釣りサンデーに捧ぐ

私は生まれも広島(尾道)、学校も、就職先も広島です。
この環境だと、「週間釣りサンデー」という雑誌は目に触れることはありませんでした。

初めて釣りサンデーを買ったのは、確か就職して、大阪に出張に行ったときだったと思う。もう10年くらい前だろうか。

広島には「月刊釣り情報」という地方誌が昔からあって、これは毎月買っていた。
でも、10年前に目にした釣りの週刊誌は、それとは全く構成が違うものだった。妙に印象に残っている。現に、そのとき見た先錘式のマダイ仕掛けは、投げ釣りでマダイを狙うときに、最近でも使っている。


「ちぬ倶楽部」。
これは全く異質だった。チヌという魚種に対象を絞ったマニア向け雑誌。
あまりにマニアっぽくて、最初は買うのも気が引けたし、逆に、知り合いにもらった数冊は未だに大事に持っている。
それが、釣りサンデー社が発刊している雑誌だという意識は無かったなぁ。


それから年月が経るわけです。

いっぱしのチヌ師だと錯覚するようになって、こうしてHP「いつも海を見ていた」でチヌ主体のテーマで長々と文章を連ねるようになったのが98年の11月でした。

それからさらに時を経て、2000年の4月。いや連絡を受けたのは3月だったかも知れません。
当時は確か「列島ホットライン」というコーナーだったと思います。各地方の釣況を掲載するコーナーがあり、ここのレポータとして何故か私に目を付けて戴いたのです。
広島では、蔦さん、という投げ釣りの大ベテランの方がすでにレポータとして活躍しておられたのですが、蔦さんが投げ釣り主体、ということで、私にはチヌを初めとした磯釣りや波止釣りなどを主体に書いて欲しい、とのことでした。
もともと、私は文章を書くのが好きで、その文章が本に載る、ということは、正に願ってもないことでした。当然二つ返事で引き受けたのです。

当初、広島の記事も、他地方と同じで毎週掲載されていたのですが、さすがに週間釣りサンデーを置いている店がほとんどない広島ですから、途中から隔週で広島の記事が掲載されるようになりました。つまり、私は蔦さんと交代で書いていますから、2週間に1度が月に1度となったわけです。


2週間に1度。僅か1/2頁の記事。文章をまとめることの難しさ。情報を集めることの難しさを痛感させられました。
ご存じの通り、だらだらと文章を書き続けるのは私は得意とするところなのですが、これを決まった文字数にまとめる、ということはかなり難しい作業です。
また、各渡船店や遊漁船を出している釣具屋に、意気揚々として取材に行くと思いも寄らぬ場面に出くわしました。雑誌の取材だから、快く答えてくれるだろう、と思ったのは大間違い。正直、数軒の店に断られました。他の雑誌への情報提供との関係、また雑誌へポイント情報を載せたばかりに、競合する渡船が自分が船を着けるより早く釣り人を降ろし初め、商売に影響を与えられてしまった、など。どれも納得できる話でもあり、商売の難しさ、自分の浅はかさを思い知らされました。
そんな中でも、とても快く取材に応じてくださった店もあったわけです。本当に嬉しかった。

前者は私に文章のまとめかたを学ばせてくれました。
後者は私に社会を学ばせてくれました。

このことは、釣りの世界だけでなく、社会=仕事の中でも私をステップアップさせてくれたと思っています。


そして、こうした中で、さらに願ってもないチャンスがありました。
「紀州釣りマニア」
この本は、永易さんを初めとする、紀州釣り、ダンゴ釣りの第1人者、そして各地の紀州釣りマニアたちがその思いを綴ったものです。おそらくこのような本は、釣りサンデーにしか作れなかったと思います。

釣りサンデー社の本の素晴らしいところは、同じ魚種でも、また同じ釣り方でも、100人100様の釣りを、そのままの形で伝えようとする姿勢ではないか、と思っています。やもすると、統計的に一般的な釣り方を解説しようとするところですが、各地の釣り師の理屈をそのまま本にしてしまう。こういった本には、とてつもないパワーが秘められていると思うのです。

そんな本の一つの究極の形が、「○○マニア」シリーズでしょう。

その紀州釣りマニアに対し、私に原稿依頼が来たのです。
当時の私は、まだ永易さんと知り合う前でしたから、純然とした広島湾っぽい紀州釣りを展開していましたし、また、どちらかというとフカセ主体の釣りをしていましたから、若干この依頼を引き受けるのには抵抗もありました。
私なんかが書いていいのだろうか?

まぁいいか。私は私で、自分で納得している釣りをしているのだから...

今読み返してみると、少し恥ずかしくなるような文章ですが、あれはあれで一つの形だな、と思えます。


そして、2002年3月。
とうとう、「ちぬ倶楽部」6月号への原稿依頼が来たのです。今度は春、ノッコミのフカセ釣りがテーマ。これは二つ返事で引き受けました。
最初に書き上げた段階では、原稿の文字制限の倍近いボリュームになってしまい、あとで削るのが大変だったのを覚えています。

そのあと、「磯釣りスペシャル」での周防大島の紹介記事。

そして、今現在店頭に並んでいる「ちぬ倶楽部」秋冬号に私の書いた原稿が掲載されています。


幸運だった。
このHPが引き寄せてくれた財産だったと思います。
そして、このHPに目を留め、私に声を掛けて下さった釣りサンデー編集の方には感謝するばかりです。


もう「ちぬ倶楽部」が店頭に並ぶことがなくなる?
あまりに寂しいじゃないですか。我々チヌ師にとっては、それはいつもそこにあるべき本だったんです。

読者が作る釣り週刊誌。こんな肝の太い雑誌があっていいじゃないですか。


釣りサンデー解散。
この報告を受けて現在(いま)、無性に寂しさを感じている自分です。

私にとっても一つの時代が終わった。そんな気もします。

私の記事などどうでもいい。
また書店に、釣具屋に、「ちぬ倶楽部」の文字が並ぶことを願って止みません。


釣りサンデー関係者の方々。これから大変だと思いますが、頑張って下さい。月並みな言葉しか言えず、すみません。

そして、本当に有り難うございました。

2003年11月12日 田中優海