#32 レンタル・ラバー

「Jリーグ,サンフレッチェ広島の○○選手の,大分トリニータへのレンタル移籍が決まりました。レンタル期間は1年で…」
 レンタル移籍,という当初耳慣れなかった言葉も,今やもう慣れてしまって何とも感じなくなっていたのだが,僕はその言葉を初めて耳にし,なおかつその意味を知った時に奇妙な違和感に囚われたものだ。
 その選手の身になって考えてみるならば,彼は果たしてそのレンタル先のチームのために真剣になって働こうと思えるのだろうか?いずれまた元のチームに帰る,もしくはさらに別のチームに放り出されることが分かっているのに。
 この疑問を口にした時,友達は言った。
 もしその選手がレンタル先のチームで必要不可欠な選手だと認められたならば,完全移籍っていうパターンもあるんだよ。ま,少なくとも日本では殆ど聞かない話だけどね…

 僕は29歳で,今の会社に入ってから8年目を迎える。
 まだ8年目なのに何故か転勤が多く,これまで6回住居を変えた。
 長期出張なども入れたら,僕が住んだ都市は両手では数えられない。
 営業という仕事柄,人付き合いは多く,また,比較的女性の多い職場ばかりだったので,これまでに割と多くの女性とお付き合いしてきたと思っている。
 それは殆どの場合,長くは続かなかった。
 一番長く続いたのは最初入社してすぐに付き合い出した娘で,1年続いた。しかし,僕が転勤になり,遠距離恋愛になったことでフェードアウトしてしまった。
 その後転勤する先々で幾人かの女性と出逢い,交際してきた。しかし,そのたび必ず遠からぬうちに,僕か相手が他の場所へ去ってしまうのが常だった。僕はそこにいない相手を思い続けるメンタリティを持ち合わせていなかった。恐らくは相手もそうだったのだろう。離れてから一月もすると,お互い連絡も取らなくなって,そこで二人の想いは途切れる。
 もったところで,どうせ1年じゃないの。
 たかだか1年かそこらしか付き合えない相手に本気で気持ちを捧げようと思えるか?
 適当に楽しむだけ楽しんで,後腐れなくバイバイすればいいんだよ。
 いつしかそう思うようになっていた。
 昔の僕なら一度好意を抱いた相手を捕まえることが出来たら,もう絶対離さない,一生添い遂げると誓ったものなのに,今の僕は女性にそんなことを言われた日には背筋が寒くなって気分が悪くなる。そしてその翌日には決まって別れを告げていた。
 そんなやり方を正解だとは思わないけど,少なくとも現代という時代にはこのスタンスの方が向いている,と信じていた。

 今僕が住んでいる某地方都市に,Jリーグのチームがある。
 とは言ってもテレビに映るようなチームではない。下部リーグで,少ないお客さんの前で,それでもJ1に上がる日を夢見て戦っているようなチームだ。
 職場の友人とある日,勤務後居酒屋に飲みに出かけた。
 先に着いた僕にようと手を挙げた彼の横には,見覚えのある大きな男が立っていた。
 彼はこの街のチームに所属するサッカー選手だった。僕が彼のことを知っていたのは,彼が昨年までJ1の人気チームでプレーしていたからだった。
 ポジションはフォワード。荒削りだがパワフルなそのプレースタイルは,将来を大いに嘱望されていた。
 しかし,ケガなどもあって彼はその後伸び悩み,後から入ってきた若い選手達に居場所を奪われる格好になった。僕と同じ29歳の彼は,このまま試合に出られずに埋もれるより新しい働き場所が欲しい,と直訴して2年の約束でレンタル移籍して来たのだという。
 カウンター席に友人,フォワードの彼,僕の順番に座ると,向こうの二人が早速会話を始める。
 ―どうだ,調子の方は。
 ―うん,体は調子いい。後は勝負勘を取り戻せば,昔のように動けるはずだ。
 ―そっちの方はまだなのか。
 ―そうだな,でもじき慣れるさ。今は試合に出してもらえているしな。
 ―チームもお前が来てから勝ち出したしな。
 ―ああ。この分なら近い将来のJ2昇格も夢じゃない。楽しみだな。
 ―2年じゃ無理だろう。
 ―ははは。俺のいる間は無理だ。ただチームが,今一緒にプレーしている仲間達が,その日を迎えられるように。俺はその手伝いができればそれでいいんだ。そのためなら,俺は何でもやる。死に物狂いでやるよ。
 ―お前らしいな。
 僕はその会話を,半ば苦々しい思いで聞いていた。彼の―その,自分のことなんてどうだっていいから,今の,それもたった1年か2年しか一緒にいないような連中のためにその身を投げ出して闘うという気持ちが信じられなかった。ええかっこしいの偽善としか思われなかった。
 何故あなたは,そんな期限の限られた境遇で真剣になれると言うんですか―
 酔っ払っていた僕は,自分が意図したよりも大きな声でそう叫んでいた。
 友人がびっくりしたような顔で僕を見た。
 フォワードの彼は,静かに僕の顔を見た。
 そして言った。
 期限があるとかないとか,そういったことを気にしたことがないんですよ。
 僕らの世界はいつどこでどういう形で他のチームに行くことになるか分からない。
 でもね。
 どこのチームに行ったとしても,そのチームは僕を必要としてくれて取ってくれた訳だから,それに感謝して,自分の力で貢献してその恩には報いなくちゃいけないでしょ?
 いつの間にか真顔になっていた僕に,彼は微笑んで続けた。
 …まあこういうことを言うと嘘臭くなるのかも知れないな。そう,それはやはり自分のためにやっている,そういう部分も少なからずあると思う。だってね…
 少し間を置いた。
 …だってね,ここで頑張らないと,もうないかも知れないからね…
 彼は下を向いた。
 泣いているように見えた。
 彼が泣き上戸であるという話は聞かない。
 僕も下を向いてしまった。
 友人だけがどうしていいか分からなくて,正面を向いたままジョッキ生を飲み干した。

 2年後。
 チームのJ2昇格決定のニュースとともに,彼の完全移籍が報じられた。レンタル元の人気チームは彼を返して欲しいと望んだらしいが,彼の希望とチームの熱意で決まったのだという。
 僕はそのニュースを複雑な思いで聞いていた。
 ―結局今の僕ときたら,レンタル移籍を繰り返した挙げ句,どこからも必要とされなくなって,今は一人でビールを飲みながらポテトチップをかじる以外に術をなくしてしまっているのだから―

★あとがき
 サッカー界に殆ど独自であろうと思われる「レンタル移籍」制度をネタに書いてみました。個人的には最初に書いたような疑問がどうしても拭えないんですが,まあこんな感じかな,と。それをまたしても恋愛という状況になぞらえてしまったのがこの作品ですね。「何でもかんでもなぞらえるな!」という非難の声が聞こえてくるようですが,とりあえずもうしばらくは実験としてこういった試みをやってみたいと考えていますのでご了承ください(笑)。

 

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