#35 2150年のタイム・パラドックス

 俺は今,旧式の核シェルターの中で息を殺して独りたたずんでいる。
 ここにいれば核爆弾の被害は避けられるが,「敵」に見つかって機銃掃射を食らったらひとたまりもない。
 辺りに自分以外の同胞の気配はない。
 みんな殺されてしまったのだろう。
 昔,俺の祖父さん辺りの世代が読んでいた漫画とやらに,こんなことが書いてあった。
 「過去を変えては,絶対にいけない。」

 2150年。
 50になろうかという年齢になって,俺は会社からリストラを食らった。
 元々生活のための必要最低限度の給金しかもらっていなかった俺は,たちまち生活苦に陥った。ついこないだ結ばれたばかりの若くて美しい妻はあっさりと俺の元を去り,子もいなかった俺はたちまち天涯孤独の身の上になっちまった。
 俺の首を切った社長は,2年前社長に就任したばかりの25歳の青年だった。祖父,父親が代々続く政界の実力者で,親の七光りで前の社長を蹴落としていきなり社長の座に就いた。
 会社の業績は決して悪くはなかった。数年前は夢の夢,それこそ漫画の世界でしか考えられなかった「時間渡航装置」,俗にいうタイム・マシンの開発に世界で初めて成功し,これからむしろ発展していく過程にあった。しかしあいつ―あの若い社長の奴は,「こういう時だからこそ,若くて有能な人材を抜擢していく。ただ年を食っているだけの金食い虫はいらない」とぬかして,大規模なリストラ策を発表した。俺だけではない。数百という数の俺と同世代の人間が―創業以来今の会社を支え,会社に尽くしてきた連中が,ゴミのように放り捨てられた。
 口にこそ出さなかったが,皆思ったはずだ。
 あの社長を―殺してやりたい,と。
 その気持ちが一番強かったのは,誰がなんと言おうとこの俺だ。
 何せ若くて美しい妻は,俺の元を去った後,こともあろうに俺の首を切ったあの社長に囲われることになったのだから。
 俺は思った。
 あの社長を―殺す,と。

 現時点で彼を殺すことは,俺には不可能な相談だった。
 彼の周りには常に数十人規模の警護がついていたし,仮に一人のところを狙ったとしても,彼は若くて力が強かった。空手と合気道と柔道の有段者であるという話も聞いたことがある。50の俺の力では徒手空拳ではとてもかなわない。その日の生活にさえ困窮する身の上,マシン・ガンの一丁さえも手には入れられない。
 それならば―俺は一計を案じ,画期的な方法を思いついた。
 25年前に戻り,当時の彼を殺せばいいのだ。今は25歳の屈強な青年だが,25年前は脆弱な赤子に過ぎない。赤子ならば,鶏を締めるよりもたやすくあの世に送ることが出来るだろう。
 そこまで考えて,俺はかつての職場に向かった。
 働くためではなく,かつての最高上司を亡き者にするために。

 本社の研究室に,タイム・マシンはあった。
 今日は休日だったから俺以外に人間はいなかったが,平日はこの機械は一般公開されていた。世間に会社の功績を誇示するためだ。だから警備は全くない。誰も誰かがこの機械を悪用するなんてことは考えていないのだ。バカな奴らだ。
 操作は驚くほどシンプルだ。自分の行きたい年代を西暦で入力すればいいだけだ。
 2125,と入力してエンターキーを押すと,体がふわっとして目の前が暗くなった。
 次の瞬間,俺は大学院にいた頃と寸分違わぬ,懐かしい景色の中に放り込まれていた。
 俺は不意に胸に熱いものを感じた。
 当時の友人は,付き合っていた彼女は,元気だろうか。
 無性にあの新しい,当時としては奇妙なデザインの建造物の中に身を投じてみたく思った。
 そんなことを考えている場合じゃないだろう。
 ふと我に返った。
 俺は,「今の」,「2150年の」,自分の幸福を取り戻すためにやってきたのだ。
 「2125年は」,俺にとってはもう既に過去のものに過ぎないのだ。
 「2125年当時の」,「25歳だった」俺にはもう戻れないのだ。
 「50歳の」俺がこの世界にいたとしても,何も得られるものはない。
 「50歳の」俺を知る者は,「50歳の」俺に暖かく接してくれる者は,この時代にはいないのだ。
 「今の」俺が居るべき時代を,間違ってはいけない。
 俺はここまでは大層理性的だった。
 俺は彼の住処に向かった。

 彼の住処は,都内の一等地にある大層大きな屋敷だった。
 俺は一回だけここに来たことがあった。
 タイム・マシンの開発を記念して,彼が戯れに社員を招待してパーティを開いたのだ。
 当時は素直に感激したものだが,今となってはその招待の正体は,社員一同に自らの権勢を誇示するためであり,大規模な首切りの始まりを告げるセレモニーに過ぎなかったのだと思うと,あの時の自分がバカみたいに思えてきてまた無性に腹が立ってきた。
 俺は,たった一着しか持っていない一張羅の礼服を着て正面から屋敷に入った。
 架空の外資系の会社の最高幹部の肩書きを騙った名刺を渡していかにも重々しい風に,ご子息のご誕生を祝し,ぜひともお目にかかりたいのだが,と言うと,世間知らずの人好しな警備の連中はすっかり俺を信用して,どうぞこちらです,と恭しく俺を案内した。俺は笑いをかみ殺すのに必死だった。

 「25年前の彼」は,高そうなベビーサークルの中で一人眠りの中にあった。
 余りにも簡単に行き過ぎたので,俺は拍子抜けをした。
 思えば,あまりにも大胆で無謀な計画だった。
 タイム・マシンが故障したらとか,警備に止められたらとか,彼の家族や付きの者がそばにいたらとか,いつもならばそういうことを必ず考えるし,必ず実際にそういうツキのないアクシデントが起こっていたのに。
 いや。
 ついてない俺は,昨日で終わったのだ。
 今日からは,全てがうまくいく。
 不思議にそう思えた。
 今ここにいるのは,俺とこの赤子だけ。
 心臓の鼓動が,不意に高まる。
 いくら25年後に俺に多大なる害を及ぼすことになる人間とはいえ,今は一人の無邪気な赤子に過ぎない。そんな赤子を手にかけることは,さすがにその段になるとためらわれた。これは普通の神経を持つ人間ならば当然の心理だろう。
 振り切らなければならない。
 俺が何のために25年前の世界にやって来たのか。
 何もしないで2150年に戻ったら,俺の今後はどうなるのか。
 ここで退いたら,地獄しか待っていない。
 その時,彼の―25年後の彼の忌まわしい微笑が頭をよぎった。
 決まった。
 俺は―彼の首に両手を掛けた。
 固く目を閉じ,横を向いてその手にじわりと力を加える。
 彼はその気配を感取り,泣き声を上げようとしたが,俺の両手がそれを遮った。
 わずかに俺に抵抗していた力が抜けた。
 彼の死を確認すると,俺は堂々と正面から屋敷を出た。そして屋敷を遠く後ろに見ながら,走って逃げた。
 あとは,懐かしい大学院の校舎裏に放り込んでおいたタイム・マシンに乗って2150年の世界に帰るだけだ。
 俺は―勝ったのだ。

 2125年7月。
 わが国は,某国に宣戦を布告した。
 彼の―俺が殺したあの社長の祖父は,某国を「悪の帝国」と憎む政治家だった。
 当時の政権は某国を含む周辺諸国との友好政策を推進していた。
 その状況を一変させたのは―彼の死だった。
 政界で隠然たる勢力を誇っていた祖父は,その死にいたく慟哭し,この死は某国のスパイの仕業に相違ない,と決め付けた。いや,その慟哭はポーズだったのかも知れない。某国を悪玉に仕立て上げるための口実として,彼の死が単に好都合だっただけなのかも知れない。
 しかし真実がどうあれ,彼の死は某国に敵対する雰囲気を国内に作り上げるためのプロパガンダに最大限利用された。
 わが国は他の周辺諸国と組んで某国を孤立させ,経済的に追い詰めた。
 某国は経済的に破綻し,やけくそで軍事増強を行ってわが国に圧力を加えようとしたが,わが国はこれを幸いに某国に宣戦を布告。
 経済的にも軍事的にもわが国は某国を圧倒しているはずだったが,某国は密かに準備していた核兵器を使用,これによって戦局は一変した。某国はわが国の主要都市に核ミサイルを投下,我が同胞は俺を含めた少数の生き残りを除いてほぼ全滅した。そしてそのごく少ない生き残りも,某国の徹底した機銃掃射によって一人,また一人と殲滅されつつあった。

 「過去を変えては,絶対にいけない。」
 俺はその言葉の重みを今更ながらに噛み締めていた。
 たった一人の人間の消滅のために,歴史は全く変わってしまった。
 タイム・マシンを発明したのは,彼が―俺が殺した社長が自ら抜擢したエンジニアだ。社長が死んだために,彼と,彼の発明品は永遠に埋もれることになってしまった。
 2150年に戻ろうにも,タイム・マシンはもうない。
  俺の上を,ばたばたとけたたましい敵兵の足音が通り過ぎていった。

 

★あとがき
 昔よく読んだ「ドラえもん」に出て来た「タイム・パラドックス」。それを逆手に取って書いたもので,原案は前日見た私の夢です。なんつう夢見とるんじゃ,俺(笑)。しかしこういったことを漫画の中で表現したのは藤子不二雄先生な訳で,私はその「他人のふんどしで相撲を取っている」に過ぎない。それを考えると,何もないところからこういった考え,理論といったものを生み出した藤子先生は,アインシュタインに匹敵するくらい偉大なクリエイターなのだなあ,と今更ながら尊崇の念を深めるばかりです。

 

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