#37 托卵

 午後5時15分。
 終業の時間がきた。
 アルバイトの人たちは帰っていくものの,多くの職員はまだ帰る様子もない。
 今日も遅くまで残業するのだろうか。
 私は荷物をまとめて一人で帰る用意をする。
 仕事は探せばなくはないが,そこまでして仕事をする気になれないのだ。
 仕事云々以前に,この空間の中にいるのが私には耐えがたかったのである。
 本来ならば私の年齢の人間がこのようなことを言って先に帰ってしまうのは許されることではないのかもしれない。
 しかし,ここではそのことで私を責める者はいない。
 何故なら私はここのトップ―署長だったからだ。

 私は5年前,東京大学を卒業し,大蔵省に入省した。
 試験試験の人生だった。
 私立中学への入学試験,高校を経て東大入試,そして国家公務員一種試験―
 自分の将来を考える暇もなく,まるで点取りゲームのように目の前の試験で一問でも多く正解することのみに力を注いできた。
 気がつけばエリートと呼ばれ,たかだか27,8の若造のくせに,この地方税務署の署長の地位に納まっている。もちろんここは仮の宿りに過ぎない。また2年もすれば,本庁に帰るのだ。そこではまた熾烈な出世レースが待っていて,ごく一握りの者が事務次官を始めとするトップの地位まで登り詰め,そうでない者は敗者として彼らの下につくことになる。そして50かそこらで退職して適当に天下りをして余生を過ごすことになるのだ。

 私は署長であり,ここの全ての人々にとっては上司である。彼らは全て,私から見れば部下に当たる。
 しかし,私はその状況に違和感を覚えずにはいられなかった。
 私よりはるかに年上の…それこそ自分の親父と同じくらいの年齢の人間から「署長」と呼ばれて敬語で話をされる。良く考えたら私の親父もノンキャリの税務職員だ。たまたま違う税務署だったから良かったようなものだが,下手したら親父から「署長」と敬語で話をされることだってあり得るのだ…いや,それはどうでもいいことだ。
 そんな状況下で,果たして「上司」「部下」という信頼関係を築くことができるのだろうか。単に少しだけ難しい試験をクリアしてキャリアとして就職したことを除けば,それほど尊敬に値する能力を持っているわけでもない27,8の若造にぺこぺこしなければいけない職員。その気持ちはどんなものなのだろうか。こんな若造に,上司として仕えようという気に果たしてなってくれているのだろうか。

 いや,こんなことを考える方がおかしいのかも知れない。我々をこのような地位に据える目的―それは我々に,「自分たちはエリートであり,ノンキャリの人間とは生まれからして違うのだ」という幻想―そう,それは健全な目で見る限りは間違いなく幻想なのだ―を与えるために違いないのだから。
 しかし,そのような幻想を与えられ,プライドは満足させられたとしても,自分ひとりを除いて全員が「自分とは生まれながらにして違う人々」であるという状況も,それはそれでヘビーなものなのではないだろうか?

 夏になると,ビアガーデンが恋しくなる。
 職場では若手の職員を中心にして,気の合った仲間同士で飲みに行こうという者が増える。
 当然のことながら,私に声がかかることはない。
 私はこう見えても飲みは嫌いではない。大学時代だって,2年次秋以降こそ試験勉強のために行かなくなったが,それまではよく友人たちと飲みに行った。合コンだって行ったし,大きい声では言えないが違法すれすれの悪さだってやったことがある。同じ職場に同年代の人間がいれば,当然一緒に飲みに行きたいと思う。
 殆ど年齢に差異はない,考えていることだって大差のない若い奴同士なのに,地位が違う,受かった試験が違うだけで,彼らは私を別の世界の人間だと思っている。もしかすると同じ人間であるとさえ思っていないのかもしれない。私から誘ってみればいいじゃないかと思うかも知れないが,そんなことが出来るならばこうやって悩んだりはしない。地位を笠に着て誘えばそれは来るかも知れないが,そんなことをしたところで私の求めている形での酒席―同世代の話を屈託なくできて,友人としての親交を深めるための飲み会―などできるはずがない。適当にお世辞を交えながら無難な話をしてその場はおしまい,あとは私を除いた連中で二次会に行ってそこで私の悪口に花を咲かせる―ということになるのが分かりきっている。

 以前昼休みに外で食事をして帰ってきたとき,庁舎の入りがけのところで若い―私と同年代の職員が7〜8人で話をしていたのを聞いたことがある。彼らは私に気付く風もなく,屈託なくおしゃべりをしていた。男も,女もいた。何気なく通り過ぎようとしたその時,確かに私はこのような言葉を聞いた。
 「キャリアは嫌いだ」― 
 それを否定するものはいなかった。皆口々に賛意を表し,その後は私には聞こえなかった。

 「私」が嫌われているのではないのかも知れない。ここの署長は前もその前もキャリアだった。しかし,そんなことは慰めにはならない。どんなに私が彼らに溶け込もうとしたところで,彼らにとって私は「キャリア」と一括りにして嫌う対象でしかないのだ。

 そういう訳で私は,午後5時15分になるとまっすぐ帰るようになった。この職場にいる気になれないのと同時に,下手に寄り道をして人の集まるところにでも行って職場の連中が私の悪口でも言っている現場にでも出くわしたら胸クソが悪い。

 東京の本省とは違って,地方の山間の小都市にあるこの税務署は,周りにまだまだ自然が残されていた。と言うより,自然の只中にあると言った方が適当だろう。何せ10分も車を走らせれば,もうそこは田んぼと山しかない典型的な田舎の風景なのだから。 

 夕方とはいえまだまだ外は明るかった。
 どうせ帰ってもビールを飲みながらコンビニ弁当を食べて,あとはテレビでナイターでも見て風呂に入ってクソして寝るだけだから,そんなに急いで帰る必要もない。田舎の人は歩くのがゆっくりらしいが,今の私はそれ以上にゆっくりとしたスピードで歩く。そして時々立ち止まっては,思い出したように空を見上げる。 

 割と大きな,由緒でもありそうな木造の住宅の庇に,鳥の巣があった。
 中には雛が一羽。
 いや,よく見ると,大きいのが一羽と,その陰に隠れるように,小さい雛が2羽。
 大きい雛と小さい雛は,明らかに種の違う鳥だと思われた。
 そこに親鳥らしい少し大きめの鳥―しかしそれは,大きい方の雛より一回り小さいように思われた―が戻って来る。そして,親鳥らしいその鳥は,大きい雛にも小さい雛にも訳隔てなくえさをくれてやるのだ。口移しで― 

 どれくらい見ていただろうか。
 気がつくと,周りはすっかり暗くなっていた。
 私は何となく胸に苦しいものを感じながら,恋心にも似た甘ったるい気持ちを抱えてアパートへ帰った。

 あの家の前を通りかかるたびに,私は巣を見上げる。
 大きな雛が親鳥にえさをもらうのを確認してから,私は安心して家路に就く。

 それは長くは続かなかった。
 いつからか,大きな雛の姿は巣から消えていたのだ。
 えさをもらえず餓死したのか。小さな雛に叩き殺されたのか。
 私は戦慄を覚えた。
 私は周辺を注意深く眺め回した。
 大きな雛の死骸はなかった。
 あの鳥は自分の羽で飛んでいったよ。
 どこからか,そんな声が聞こえた。
 ついこないだまではきちんとえさをもらっていたこと。
 何羽がかりとはいえ,あの大きな雛を小さな雛たちがどうにかできるはずがないこと。
 その二点から,私はその声を信じて帰った。

 私は国家U種を受けなおそうか,と考えたことがある。
 普通に考えれば馬鹿げた話に思うだろうが,以前はこれでも真剣だった。
 しかし,大きな雛は小さくはなれないのだ。
 そしてあの雛も成長して,大人になって去っていく。
 そこには何の感傷も友情も恩義も残ってはいない。
 それは,自然の摂理。
 仕方がない。

 2年が経った。
 私は東京に帰る。
 職場の連中にとっては,2年に一度上司が代わる,職場内の一行事に過ぎない。型どおりの送別をやって,それでおしまいだ。

 私はあの鳥のことを思い出していた。
 仕方がない。
 私はそう思うことで,辛うじて気持ちを決め,彼らに背を向けて職場を後にした。

 

★あとがき
 故あって周りの人間との「立場の違い」から生活の中で疎外感に苛まれていた時,同様に「立場が違う」という理由で周りから受け入れられない存在―たとえば,ノンキャリの人々の中に一人だけ「署長」として送り込まれた「キャリア」に自らをなぞらえて書いた作品です。まあ私はキャリアではありませんけどね。実際には「キャリア」は「キャリア」なりに,割り切るなり溶け込むなりして上手いこと自らを処しているんだろうとは思いますが,こんなことを考えるキャリアの方も一人くらいいるんじゃないかなあ…なんて。

 

 

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