#40 冤罪の作り方

「湊東町3丁目で殺し発生,至急急行せよ―」
 その声を合図に,トレンチのコートでも持った刑事たちがどっと立ち上がり,現場へと急行する。
 そんなシーンをテレビドラマででも見たことのある人は多いだろう。
 今,私はそんな中にいる。
 私は,警察官である。

「昨日の午前2時頃,この辺りで不審な人物を見ませんでしたか?」
 まるで壊れたテープレコーダーのように,周辺の人皆に同じことを聞いて回る。
 これが今の私の仕事である。
 いかに華々しい犯人検挙劇と言っても,こういう地道な捜査なくしてはあり得ない。
 少しでも犯人につながる情報があれば,先輩を通じて上につなげる。
 そして,情報の欠片たちをつなぎ合わせ,犯人を割り出して追い詰めていく。
 これが,捜査の基本だ。

 いつも思うが,どうして市民というのは警察に対して身構えるのだろうか。
 私だって市民の一人であり,たまたま警察官を拝命して仕事上話をしているだけなのだ。
 制服を脱げば,他の人たちと何ら変わりない25歳の男に過ぎない。
 にもかかわらず,私が近づいて話し掛けると,一目でそれとわかるくらい皆顔がこわばってしまう。そしてそれを悟られまいとして,やけにはきはきした言葉で喋りたがる。そんな緊張した状態で一つも間違えないで言葉を発するのは不可能だから,どもったり,噛んだりする。そうすると彼らは明らかに動揺して,怯えたような目で下を向いてしまう。その間決して私と目を合わせようとはしない。
 別に自分が何も悪いことをしていないならば,そのことに自信を持って堂々としていれば良さそうなものなのに,何かやましいことや後ろめたいことがあるような顔をするから不思議なものだ。

 どうも彼らは,我々警察官におかしなイメージを持っているらしい。
 我々の前で粗相をすれば,誰でも彼でも怪しんで,「ちょっと署までご同行を」などと言いながら問答無用でしょっ引いていくのではないか,という先入観を持っているらしい。
 確かに人を疑ってかかることが我々の仕事の基本であると言えなくもないが,少なくとも状況から間違いなく無罪であるという人は大抵分かるし,そういう人をむやみやたらにしょっ引いていくような真似はしない。
 かつて冤罪事件のニュースがあまりにセンセーショナルに報道されたから,あるいはその影響かも知れない。勿論そういったことがかつてあったことは知っているし,今でも捜査の過程でそういったことが起こり得ることを否定はしない。
 ただ,100%絶対ということはあり得ないかも知れないが,できるだけ100%に近づけるための努力は日夜しているという自負がある。今は誤認逮捕でもあろうものならばマスコミにこれでもかと叩かれるから,むしろ過剰に「疑わしきは罰せず」の方に傾いているような気さえする。あまりその種のことを恐れすぎると今度は犯人を検挙できなくなってしまい,今度は「税金泥棒」と叩かれてしまうのだが。

「ついに来やがったな,このポリ公め。俺はやってねえぞ,無実だコノヤロー」
 市内のアパートの一室のドアをノックし,警察ですちょっとお話を,と言った途端,中から敵意剥き出しの怒声が響いた。もう何十件,何百件の家を回って事情を訊いているが,いきなりここまで言われたのは初めてである。
「逮捕しに来た訳じゃありませんよ。お話を訊きたいだけです。開けてください」
「嘘だ。俺を捕まえに来たんだろう。証拠もないのに。大体俺にはアリバイがあるんだ。あの日はシャアとコージとガンちゃんと4人で徹マンしてたんだ。嘘だと思うなら訊いてみろ」
「だから誰もあなたが犯人だなんて一言も言ってないじゃないですか。この辺で誰か不審な人がいなかったかとか,何か情報がありませんか,ということだけなんですから」
「嘘つけ。それで俺がドア開けたら機動隊かなんかが50人くらいで突入してきて,寄ってたかって俺のこと袋叩きにして,ブタ箱にぶち込んで,し,死刑にするつもりなんだろう」
「どこに機動隊が50人もいるんですか。私一人しかいませんよ。とにかく落ち着いてお話を」
「あ,お前,俺がこんな平日の昼日中に一人でアパートにいるのが怪しいと思ってるんだろう。仕方がねえじゃねえか,てめえ仕事がねえんだから。俺が悪いんじゃない,政府が悪いんだ。総理大臣を呼べ,総理大臣を」
 私はもう帰ろうかと思った。この男ではまともに話になりそうもない。もしかしたら酒でも飲んで酔っているのかも知れない。
「大体,何で俺が疑われなくっちゃあいけねえんだ。確かに俺はナルミに振られた。でも俺は何もしちゃあいねえんだ。あいつが俺に,俺というものがありながら勝手に他の男に靡いてどっかいっちまったんじゃあねえか。それであいつが勝手に死んで,死んだら俺が犯人扱いかよ。何だって振られた上にそんな目に遭わなくっちゃいけねえんだ。嗚呼,可哀想な俺」
 ナルミというのは今回の殺人事件の被害者だ。そして,そのナルミの婚約者も一緒にマンションの一室で死体で発見されていた。
 この男が彼らに対してある程度の情報を持っているのは間違いのないことのようだ。
 私は帰る訳にいかなくなってしまった。

「ナルミさんとジョージさんのことで,何かご存知のことはありませんか」
 私は彼と顔を付き合わせるのは諦めて,ドア越しに尋ねた。
「うるせえ,俺は何も知らねえ。帰れ,帰ってくれよう」
 男の声は微かに震えていた。どうしてこの男は自分で自分を怪しまれる方へ怪しまれる方へと演出しようとするのか。私は溜息をついた。
「あなたはナルミさんと付き合っていたんですね」
「付き合っていたも何も…いやいや,知らねえ。そんな女,知らねえ,知らねんだよう」
「さっき俺というものがありながらとか何とか,仰ってたじゃないですか」
「違う違う,知らねえ知らねえ。帰ってくれよう」
「ジョージさんのことはご存知なんですか」
「知ってるも何もあのクソ野郎…いやもとい,知らない知らない。帰ってくれえ」
「知らない人にクソ野郎はないでしょう。ご存知なんですね」
「あんな奴,友達じゃあねえ」
「友達だったんですね」
「違う違う,違うんだあ。俺はやってねえ。帰ってくれえ」
 私はだんだん腹が立ってきた。今日中に帰って処理しなければならない仕事が山のように溜まっている。この事件の所為で,最近はまともに家に帰って眠ることもままならない状態なのだ。
「ちゃんと正直に話してくださいよ。隠すとためになりませんよ」
「ひゃあ,ほら来たあ,正直に吐け,吐かねえとためにならねえぞ,だってえ。やっぱり俺を逮捕しに来たんだあ」
「だからそういう訳じゃなくてですね,ないけど」
「ほら,『けど』なんて言ってるう」
「だからねえ」
「嫌だあ,冤罪だあ,不当逮捕だあ,お巡りさあん,助けてえ」
 何で警察官の私がお巡りさんを呼ばれないといけないんだ。無駄な時間だけが刻々と過ぎていく。
「あんたねえ,こっちだって忙しいんだよ。あんたとコントやってる暇はないんだよ。いい加減にしてくれ」
「待ってくれえ,撃たないでくれえ」
 妄想妄言ここに極まれり。私は銃に手すらかけてはいない。仮にかけていたとしても,ドアを閉めっぱなしにしているんだから,向こうから見えるはずがない。
 ガアン。
 次の瞬間,ものすごい音がした。
 ドアをぶち破って中に入ると,中で中年男が死んでいた。銃で撃ち抜かれたらしい左胸から,おびただしい鮮血が流れていた。

 私はその状況証拠から,中年男を銃殺した疑いをかけられた。
 ご丁寧に彼の胸を貫通した弾丸が私が貸与されている銃のそれと同じだったため,かなり濃厚な嫌疑をかけられた。
 取調官が野太い声の早口で何かを喋るのを上の空で聞きながら,こうして冤罪が作られていくのか,と私は思った。
 私に怪訝な目を向けていた,あの時の彼らの気持ちが,少しだけ分かった。

 結局捜査の結果,中年男が自分で銃を撃って死んだことが証明され,私の疑いは晴れた。
 しかし,私の職質の結果彼が追い詰められ,絶望して銃を撃ったということにされ,捜査のあり方がマスコミから厳しく指弾された。記者会見で謝罪する本部長をテレビで見ながら,私は辞職願を書いた。

 今私は,失業保険で食いつなぎながら,ハローワークに通って職探しをしている。
 この不景気なご時世,なかなか新しい仕事は見つからない。
 眠れぬ夜にふと思い立ち,コンビニで酒を買って帰る道すがら,黒白ツートンの車を見かけると,心臓がどかんとなって,身震いが止まらなくなる。
 何も悪いことをした訳ではなく,やましいことも後ろめたいこともないというのに。


★あとがき
 私が人生で最も怖れているのは,自分ではどうしようもできない不運で人生が狂うことです。そして,とりあえず現時点で思い浮かぶ二つのことが,不慮の事故に巻き込まれることと,あらぬ疑いをかけられて罰を食うことです(刑事上でのことに限らず)。という訳で,その二つをテーマにして書いたのが前作と今作であります。ただそれだけなんですが,その怖さを文章で表現できるかどうか,ということについての挑戦,という意味でやってみたんですが,果たしてできたものかどうか,自信はありません(苦笑)
 

 

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