#43 信長降記 

 道中,明智日向守光秀は,幾度も嘆息し,時に嘔吐に近い嫌な咳をした。
 いつものことである。
(また大殿の呼び出しか…どうせ碌なことではあるまい)
 実際,彼が主君である織田信長から呼び出されるときは,必ず何か用事を仰せつかり,結果としてあれが悪いここが悪いと難癖に近い文句をつけられては,このキンカン頭めが,と額を扇子で叩かれ,家臣一門の揃う前で嘲笑されるのが常だったからである。
(このような生活はもう嫌じゃ…いっそ謀叛でも起こしてやろうかしらん)
 最近では毎度のようにそんな考えが頭を過ぎる。
 しかし,考えるだけで実行に移す術がないのが哀しいところである。

(此度の用事は何であろうか…そう言えば今,織田家中一門は皆戦に出張っているところであった…特に播磨の羽柴殿は毛利勢に手を焼いているところと聞いている…それがしに羽柴殿の救援を命じるおつもりかも分からん…嗚呼,羽柴の猿殿の下で働くのか…嫌じゃ嫌じゃ…それでも今よりはましやも知れぬが…)

 信長は,定宿としていた京の本能寺に居た。
 光秀は,嘆息を押し殺しながら信長の居室の前に立った。
 襖の一つ向こうに信長がいると思うと足が震えた。毎度毎度怒られているものだから,信長恐怖症というべきか,トラウマというべきか,そのような精神状態に追い込まれていたのだ。
「日向守殿が到着されました」
 信長の小姓の一人がそう言って襖を開けた。
 光秀は中の様子を見て,一瞬我が目を疑った。
 そこには信長と,信長の妻である濃姫,そして跡取り息子の長男信忠,そして最も信頼の厚い小姓であり,その寵愛を一身に受ける森蘭丸が,まるで密談でもするかのように集まっていたのである。
「し…失礼つかまつった…御免」
 光秀は来てはいけないところに来てしまったと思い,襖を閉めて踵を返そうとした。
「構わぬ!苦しゅうない,光秀!こら,帰るでない!」
 信長の大声が響いた。
 光秀は恐る恐る部屋に入り,言われるままに腰を下ろした。

 光秀は自分の置かれている状況がまだ信じられなかった。
 何せ今自分の目の前には,大殿の信長を筆頭に,織田家にとっての最重要人物ばかりである。そんな中に,織田家家中で最も信頼が薄いであろう自分がいるのだ。
 これは夢に相違ない。多分悪夢だろう。

「光秀」
 信長がやや声を殺して言った。
「そちは,儂に謀叛を起こそうと思っておるだろう」
 光秀は茶を吹きそうになった。気管に入って思い切りむせた。
「め…めっそうもない!そのような大それたこと…夢にも思ったことはござりませぬ」
 はいその通りです,という馬鹿はいない。信長は笑った。
「いやいや,そう思われても仕方あるまい。儂も随分そちにはきつく当たったからな。そちがそう思ってなくとも,家中では噂になっておるぞ,謀叛するなら光秀じゃと」
(おかしい)
 光秀は思った。
(今まで大殿がこのように胸襟を開いて自分に接したことがあっただろうか。それに,今までの行いを謝るような口ぶりではないか。何があったのか…)
 そう考える光秀に,信長はなおも信じられない言葉をぶつけた。
「その願い,叶えてしんぜようぞ。光秀,儂に謀叛せい」
「はあ!?」
 光秀は思わず叫んだ。この人は何を言っているのだ。
「正確に言えば,謀叛の芝居をせい。仔細は追々話す」
 光秀は周りを見渡した。皆真剣に信長の話を聞いている。
(大殿は気でもふれたのか?周りを見るに冗談とも思えぬ。皆おかしい。どうかしている)
 信長は順を追って,自らの考えを話し始めた。

「十日ほど前じゃ。儂は夢を見た。酷い夢じゃった。比叡山で焼き殺した坊主どもが一斉に儂の前に出てきて,恨むだの七代祟るだのと…しまいに儂の全身から火が噴き出し,焼け死ぬところで目が覚めた」
 信長は憔悴したような顔で言った。
「何故十年も前のことが夢に出て来るのか,どうかしておるとしかその時は思わなかった。しかし,その後毎晩,儂が戦の末に殺めた武将や兵卒が代わる代わる夢に出てきた。特に堪えたのは浅井長政じゃ。長政が断末魔の叫びをあげ,お市が泣いておった。戦国の世故致し方なし,と自分に言い聞かせたが,その日は何もできなかった」
 信長は対面の光秀を見つめて言った。
「のう光秀,儂の天下布武は誤っておったと思うか?忌憚のない意見を聞きたい」
「畏れながら…」
 光秀は緊張で若干涸れた声で言った。
「当世は応仁の乱以来の乱世にござれば,武によって天下を平定し,治世を取り戻すという大殿のお考えに間違いはござらぬと存じます。ただ…」
「ただ?」
「それがしから見ても,やり過ぎではないかと思うこともございました。先ほどの延暦寺の件にしても浅井殿の件にしても,できるだけ命を奪わぬ形でのやり方もあったのではないかと…また」
「まだあるのか」
 信長は笑った。「まあ良い,続けよ」
「家中の者の扱いにしましても,それがしを含め気分のままに叱り飛ばし,果ては死を命じられた者もおります。もう少し情というものがあっても良いのではございませぬか」
「言うのう…十日前の儂だったら首が飛んでおるぞ」
 信長は愚痴るような,呟くような口調で言った。このような信長を見るのは初めてである。

 少しの間,誰も口を開かず,間が空いた。
 光秀にとっては永遠とも思える,気まずい間であった。
「よおく分かった」 信長が言った。
「いや,分かっておった。儂は少しやり過ぎたのかも知れぬ」
 さらに続けた。
「儂は今,天下に一番近いところに居る。それは間違いない。ただ,人が長い間権力の座に居続ければ,必ず腐敗する。儂は古い権威を嫌い,それに抗って生き,革新を追求し続けて現在この地位にある。しかし,このままでは儂自身が古い権威になってしまうのではないかという考えが出てきた」
 次の言葉は,すべての人が耳を疑うものだった。
「儂は降りる。儂の次の天下人を選ぶことにした」

 信長が天下取りから撤退する。
 光秀は震えた。
「…次の天下人は…どなたで…こちらの…信忠殿にござるか…?」
「信忠は若すぎる。そもそも,何も苦労せず単に信長の子に生まれたからという理由だけで天下を手にしても,良いことは何もない」
 そうなると… 信長は見透かしたかのように言った。
「光秀,そちも不合格じゃ。確かにそちは素晴らしい才知を持っておる。それは儂も認めよう。しかしそちは生真面目過ぎて気が利かぬ。天下人には不向きじゃ」
 光秀はいやいやめっそうもない,そのような考えは…と頭を振った。
「しかしそうなると…大殿は誰を後継にお選びになるのか?」
「今から決める」
「は?」
「これから次代天下人決定試験を行う。光秀,協力せい。これが儂の…」
 信長は少し間を置いて言った。
「そちの主としての最後の命令じゃ」

「儂は水無月(六月)になったら,ここ本能寺からそちに中国攻めの命を出す。そちは軍勢を率い,まずは大殿への御目見得と称して山城へ入れ。京の近くまで来たら,『敵は本能寺にあり!』と叫んで本能寺を攻め,火を放て」
「そんなことをしたら殿が死んでしまいます!」
「たわけ!抜け穴くらい用意しておるわい。そこから儂とお濃,お蘭ら手勢の者は脱け出す。信忠は妙覚寺から二条城に籠るから今度はそちらを襲撃し,火を放て。当然二条城にも抜け穴は用意してある。心配は無用じゃ」
 そうか…それなら安心…な訳がない!
「お待ちくだされ!そんなことをしたらそれがしは大謀叛人として織田家中の全ての者から命を狙われてしまいます!」
「それが狙いよ」
 信長はにやりと笑った。
「信長死す,ということになれば,誰もが仇を討ちにそちのもとに行くであろう。一番先に仇討ちに来た者が次の天下人じゃ…どうじゃ,わくわくせんか?」
「冗談ではありませぬ!そうなればそれがしとその者との戦は必定…まさかそこから大殿が出てきて『嘘でした〜』などと申されるつもりではございますまいな」
「安心せい。そちの命は儂が保障する。安心して任務を全うするがよい。次の天下はそちにかかっておるのだぞ。しかもこれは,謀叛するなら光秀,と噂されるそちにしかできない任務じゃ。それとも…」
 信長は光秀に顔を近づけた。
「この儂の言うことが聞けぬと申すか?」
 この目に見据えられるとノーとは言えないことを,光秀は肌で知っていた。
「…か…かしこまりましてございます」
 信長の顔がぱあっと晴れた。
「ようし決まった!今宵は飲むぞ!お蘭,酒じゃ!酒をもて!」
 その夜は盛大な宴となった。
 光秀がちっとも酔えなかったことは言うまでもない。

 天正十(一五八二)年六月一日,当初の予定通り織田信長は明智光秀に対し,中国攻めの命を下した。
 光秀は当初の予定通り,大殿への御目見得と称し,居城の丹波からは逆方向となる京の本能寺を目指した。
(こうなったら,やるしかない)
 光秀は腹を括った。
「敵は本能寺にあり!」
 光秀は当初の予定通りこう叫ぶと,本能寺に雪崩打った。
 当初の予定通り光秀の軍勢は本能寺に火を放ち,信長一行は地下に掘ってあった抜け穴から外に逃げ出した。
 さらに明智軍は当初の予定通り,妙覚寺から二条城の織田信忠を襲撃した。
 信忠もまた,当初の予定通り地下の抜け穴から外に逃げたのである。

 信長死す,の知らせは織田家中の武将たちに瞬く間に知れ渡った。
「さあて,誰が最初に来るかのう」
 雑兵の中に紛れて,妙に威厳のある男がにやにや笑いながら言った。
 場所は摂津と山城の境,山崎である。
「大殿,それがしはやはり…」
「大殿と呼ぶな!儂は明智軍の一雑兵じゃ!信ちゃんと呼べ!長さんでも良いぞ」
 光秀は呆れた。自分はこんな人を恐れ,仕えていたのかと。
 次の瞬間。地鳴りのような足音と鬨の声が聞こえた。
 幟の紋を見る。羽柴藤吉郎秀吉のものであった。
「猿か…あやつは毛利攻めで備中にいたはず。思ったより早かったな…見事じゃ」
 信ちゃん…いや,信長は唸った。
「よし,次の天下人は猿に決定じゃ!」
「殿!そんな場合ではござらん!羽柴殿はそれがしを討たんと血眼になっておりまするぞ!このままだと殿も道連れにござる!殿だけでも逃げ…」
「たわけ!」
 信長は怒鳴った。
「そちの命は保障すると申したはず!そちはこの織田信長を,嘘をつくような男と見損なうか!」
「し…しかし,どうやって」
「任せておけ」
 そう言うと信長は,羽柴軍の陣内に向けて駆け出した。
 この人は大丈夫なんだろうか,という気持ちと,信長の毅然とした態度に感服する気持ちと,二つの相矛盾する感情が光秀を覆っていた。

 羽柴軍と明智軍は川を挟んでにらみ合う状態だった。
「謀叛人光秀め,大殿の仇は必ず討ってやるで,覚悟しやあがれ」
 早く決着をつけたくてうずうずしている秀吉ではあったが,うかつに川を渡って攻め込めば逆襲を食らう可能性があったため,自重していたのである。
 その夜。
 秀吉はうとうとと眠りこけた。
 次の瞬間,彼は信じられないものを見た。
 死んだはずの主君,織田信長が目の前に立っていたのである。
「猿」
「の…信長様!?生きていらっしゃったので?」
「儂はもうこの世にはおらぬ。猿よ,天下はそちのものじゃ。儂に代わり,日ノ本に治世を取り戻して見せよ」
「…も…もったいないお言葉…痛み入りまする」
「ただし!条件がある」
「じょ…条件!?何にござりますか」
「あたら命を無駄にせぬことじゃ。そち自身も,味方も,そして敵も…命を大切にすることが天下人の条件じゃ」
「は…ははっ!」
「まず手始めに此度の戦じゃ。兵の命を無駄にしてはならぬ。光秀も殺すな」
「え…と,殿!兵はともかく光秀は…殿の仇ではござりませぬか!」
「つべこべ申すな!儂の言うことが聞けぬのか!?光秀を殺したら承知せぬぞ!いいか,分かったな!」
「は…ははっ…!」
「分かれば良い」
 言うと,信長はまるで霧のように忽然と姿を消したのである。
 秀吉は我に返った。
 今のは夢か?いや,しかし確かに…

 戦が始まった。
 しかしそれは,形ばかりのものだった。
 羽柴軍が攻め込むと,明智軍は殆ど何もせずに逃げた。
 秀吉は「夢の中の」信長の命令を守り,光秀を討ちに深入りすることを避けた。
 おかげで光秀は,捕まることもなく容易に逃げおおせることができたのである。
「ともかく,坂本(光秀の居城)に戻らなくては…しかし,大殿はどこに?」
 信長はいなかった。あれ以来,姿を見ていない。
 場所は京・伏見の藪の中である。
「明智光秀,御命頂戴!」
 竹槍を突き付けられ,光秀はもんどりうって落馬した。
 落ち武者狩りだ。
 もはやこれまでか。
 大殿はやはり口だけであったか…
 光秀が覚悟を決めたその時である。
 声の主がその姿を現した。
「わっはっはっはっは!驚いたか,光秀!今の顔!」
 それは信長であった。
「と…殿!なんてことを!」
「これ,そう怒るな。楽しい冗談ではないか」
「楽しくありませぬ!それがしは死を…!」
「たわけ!武士たる者,常に死を覚悟しておらなければならぬもの!人間五十年,下天のうちを比ぶれば,夢幻の如くなり…」
「こんなところで敦盛を舞っている場合ではございませぬ!それがしと共にある以上,殿も命を狙われまするぞ!」
「全く冗談の分からぬ奴じゃな…儂がおるからには安心せい。そちを死なせはせぬ。万一そちを狙う者が現れたならば,儂が一撃のもとに仕留めて見せようぞ」
 言うと信長は,火縄銃を取り出した。

「殿」
 光秀が切り出した。
「それがしは一度,殿を見損なっておりました。殿はそれがしを見捨てて逃げたのだと」
 信長は黙って聞いていた。
「それがしをあの頃のように…このキンカン頭め,と頭を叩いてくだされ」
 信長は笑った。
「もう儂は信長ではない…織田信長は本能寺で死んだのじゃ」
「殿…」
「だから儂はもう殿ではない。そう,明智光秀も山崎の戦にて落ち武者狩りに遭って死んだのじゃ。だからそちももう臣ではない」
「…」
「湿っぽい顔をするな!これからが楽しいんじゃぞ!見ろ,京が見えた」
「しかし,本能寺も二条城ももうありませぬ。とりあえず坂本に…」
「そうよのう…しかし儂とそちは目立ちすぎるぞ。どうにかせねばならぬ」

 天正十(一五八二)年六月十五日。
 丹波国某所で,頭をつるつるに剃り上げた二人の男が酒を飲んでいた。
「そちはいいのう,元がキンカン頭じゃから違和感がないわ」
「違和感があった方が良いのではございませぬか,世を忍んで目立たぬようにせねばならぬのですから」
「そうは言うがのう,儂など頭もつるつるで口髭も顎鬚も剃ってしもうたのじゃぞ,この威厳のないこと。情けなくなるわ」
「それでもまだ威厳があり過ぎるように見えまするが…いっそ眉毛も…」
「たわけ!…いや,その儀ばかりはご勘弁を…」
 信長は首をすくめた。光秀は笑った。
「そちが笑ったのを初めて見たわ」
 信長が言った。
「殿にお仕えするのは緊張の連続でありましたゆえ…」
「悪かったの」
 信長は神妙な顔で言った。
「しかしな,もう君でもなければ臣でもない。敬語も要らぬぞ!そもそもそちの方が年上ではないか!これからは…さて,これからはどうしたものか」
「考えておられなかったのですか!これからが楽しいとか申されていたのに!」
「そう怒るな…そうじゃ,諸国漫遊の旅などどうじゃろう」
「旅ですか」
「うむ,儂は天下を譲ったつもりであったが,その趨勢は気にかかる。猿がこの日ノ本に平穏を取り戻すことができるのかどうか…それには実際に各国を巡り,そこに生きる民の姿をこの目で見るのが一番だと思う」
「そういうことであれば,それがしもお供を致します」
「ううむ,この姿であるから,『それがし』という言葉はまずいのう。『拙僧』と言わねば」
「殿だって『儂』と申されたではありませぬか」
「うむ,『儂』もやめよう。『拙僧』にしよう…しかし,比叡山で坊主を殺した儂…いや拙僧が坊主に扮するとは皮肉よのう」
 光秀が笑った。信長はたしなめるように続けた。
「あとそちも『殿』はやめよ。前も言ったが『信ちゃん』か『長さん』で良いぞ。儂…いや拙僧は『秀ちゃん』と呼ぶ」
「拙僧は『秀光』と号します故,殿…いや,長さんは『長信』と号されませ」
「うむ,もう二人の間に上下はない故,いざとなれば秀ちゃんは拙僧を叩いても構わぬぞ」
「それはさすがに…」
「たわけ。秀ちゃんは『勧進帳』の逸話を知らぬのか」
「もちろん存じておりますが…それは余りに恐ろしい…」
 信長は笑った。
 この二人に織田家縁者を含めた一行の旅は,後に改変されて江戸時代の副将軍・水戸光圀の話として後世に語り継がれることになるのだが,それはまた別のお話。

 さて,信長の「次代天下人決定試験」に当選した羽柴秀吉は,信長の見立て通りその「人たらし」の才覚を発揮して支持を広げ,天下人への道を突き進まんとしていた。
 しかし,信長の表情は冴えなかった。
 柴田勝家に嫁いだ妹のお市が,秀吉との賤ヶ岳の戦いで敗れた夫ともども死んだからである。
「あれは堪えた…浅井長政に続いて勝家までも…お市…」
「…」
「のう秀ちゃん,拙僧が退くのはちと早かったのかのう…」
「ご自身で決められたことなれば…拙僧がどうこうと言うべきことではございますまい…」
「…」
 信長の目尻に光るものがあった。
 光秀は何も言わず,小さな布きれを取り出した。
「気が利くようになったのう,秀ちゃん」
 信長はぽつりと言った後,目に布を当てた。

 天正一八(一五九〇)年,羽柴秀吉改め豊臣秀吉は,小田原城を根城とする北条家を降伏させ,天下統一を達成した。
 信長の「遺言」どおり,兵を大切にして犠牲を最小限にとどめ,敵に対しても寛容であったという。
 その姿を,信長一行は大坂で見た。
「猿め,老けたのう。あれはもうすぐ死ぬぞ」
 信長が言った。
「それだけ天下統一というのは大仕事,ということでございましょう」
 光秀が答えた。
「いや,猿の目は日ノ本だけで満足してはおらぬ。あれはとんでもないことをしでかすぞ。あの時の…拙僧の仇を取るために山崎に駆け付けたあの目ではない…」

 果たして天下統一を達成した秀吉の野望は,日本一国だけにとどまることはなかった。
 一五九二(文禄元)年の文禄の役,一五九七(慶長二)年の慶長の役と,二度明を目指して朝鮮に出兵。
 しかし日本軍は苦戦を強いられ,信長の「遺言」に反し,あたら無駄な血を流すだけの結果に終わったのである。
 一五九八(慶長三)年,秀吉は病没。
 病の床で秀吉はこう呟いた。
「信長様の言を破ったから…罰が当たったのやも知れぬ…」
 秀吉の死後,徳川家康が台頭し,最終的に豊臣家を滅ぼすに至ったのは史実のとおりである。

 一六一五(慶長二〇)年,大坂の陣が徳川の勝利に終わり,天下の趨勢が決まるのを見届けた後,織田信長は旅先で没した。享年八十一。
 遺言は,「人生は五十から」だったそうである。
 翌年,光秀も信長の後を追うように病没した。享年八十八。
 遺言は,「一度でいいからあの頭を引っ叩いてみたかった」だったそうである。



※この話は歴史を題材としたフィクションであり,実際の事件,人物,団体とはちょっとしか関係ありません。

※この小説を書くに当たり,二木謙一氏著「知れば知るほど面白い戦国武将」,ゲーム「信長の野望」シリーズ(コーエー,ネット上の動画含む)及びウィキペディアを参考としたことをここに白状いたします。

 

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