#46 幸福なる人生
学生だった私は,就職活動をするために健康診断を受けた。
結果に異常はなく,大変健康であるとのお墨付きを受けた。
病院を出ると,後ろから一人の男性が現れ,私に声を掛けてきた。
「あなたは今,幸せですか?」
男はそう尋ねてきた。
「宗教だったらお断りですよ」
私はそう言って彼を振り切ろうとした。
「いえ,そうではありません。では質問を変えます」
彼は一つ間を置いて,再び私に問うた。
「何の悩みもストレスもない,そんな人生に興味はありませんか?」
普段であればそれとて怪しいと思い,興味はありません結構です,と言い捨ててその場を去るところだが,この時の私は状況が違っていた。
それまでは彼の言うところの「何の悩みもストレスもない人生」を送っていたのだが,厳しい就職活動を間近に控え,また就職後の将来というものに漠然とした不安を抱いていた。
さらにこの頃間の悪いことに,大学でできた彼女にも振られてしまった。
ちょうどメンタルが参っていた時期だったのである。
このため,悩みやストレスから解放されたいという思いが強かったことは否めない。
そのための方法論が聞けるのであれば,何らかのプラスにはなるのかも知れない。
そう思い,彼の話を聞くことにしたのである。
彼は最初に,あなたは間違いなく健康ですね,と聞いてきた。
さっき健康診断を受けて何の異常もなく,至って健康と言われたばかりである。そのように答えた。
素晴らしい,と彼は快哉を叫んで身を乗り出し,そんなあなたにとても良いお話があります,と言った。
この時点で少々嫌な予感がしたのだが,とりあえず聞くだけ聞いてみる。
「実は私どもは,凸凹大学の『ストレスと寿命についての研究』に係るプロジェクトを行っております」
「はあ」
「で,あなたのような健康で若い人を探しておりまして」
私は怪訝そうな顔をした。
「いやいや,怪しいものではありません。割の良いアルバイトだと思っていただければ」
「アルバイトですか」
「そうです。あなたにお願いしたいのは,このプロジェクトの被験者になっていただきたいのです」
「被験者?実験台ってことですか?」
「まあそう言われると身も蓋もありませんが…嫌ならいつでも降りていただけますので」
本来なら気味悪いと考えてお断りするところだが,私は当時は若く,お金が必要だった。
「いかほどいただけるんですか」
「はい,1か月であれば100万円,続けていただければ毎年2000万円をお支払い致します」
とんでもない高給である。
「で,何をしなきゃいけないんですか?薬でも飲むんですか」
「いや,そういったことは一切ありません。ただ」
「ただ?」
「私どもの用意した,『悩みやストレスのない世界』で生活していただきます」
彼の条件はこうだ。
就職や日々の仕事,恋愛など悩みやストレスの元になるようなことについては一切しない。
就職して仕事をしてお金を稼ぐ代わりに,日々遊んで暮らせるだけの高給が毎月支払われる。
恋人やお嫁さんが欲しいのであれば,煩わしい恋愛をしなくとも気立ての良くて美しい女性をいくらでも紹介してもらえる。彼女たちは私の全てを無条件で受け入れてくれ,決して断ったり拒絶したりはしない。
それ以外に関しては,今まで通りに過ごすことができる。
要するに,今の生活から悩みやストレスの元を一切取り去った状態で暮らしてもらいたい,ということである。
「どうしてそのような夢のような人生を私にプレゼントしてくれるんですか」
私は聞いた。
「あなただから,ということではありませんが…」
彼は続けた。
「これは実験なんです。人間は悩みやストレスがない状態でどのくらい生きることができるのか。逆に言うと,悩みやストレスは人間の寿命をどのくらい縮めているのか。たとえば現在確認される世界最長寿はフランスの女性で,122歳だそうです。もしあなたがこれを超えて生きることができれば,悩みやストレスを完全になくすことによって人間は更なる長生きが出来ることが証明される訳です」
「はあ」
「あなたが何歳まで生きるかは分かりませんが,少なくとも悩みやストレスを抱えて生きる人生よりは長く生きられることが期待されます。私どもにとってはそれが研究成果になりますし,あなたは悩みやストレスの一切ない幸福な人生を送り,かつ長生きができる。まさにウィンウィンの関係になる訳です」
私は彼に問い返した。
「これはいつでもやめることができるんですよね」
「はい。ただ,恐らくあなたはやめようという気持ちにはならないと思いますがね」
彼は笑みを浮かべて言った。
「じゃあ,ちょっとだけやってみようかなあ」
「ありがとうございます」
彼は恭しくそう言った後,一つ厳しい顔になってこう付け加えた。
「ただし,あなたには条件があります」
一呼吸置いて続けた。
「事故に遭ったり自殺したりしないでください。まあ自殺は考えられないと思いますが,不慮の事故で命を落とさないようにくれぐれも気を付けてください。これは我々でも防げませんから」
その後,彼が取り出した契約書に言われるままにサインした。
これが全ての始まりであった。
そこから,私の人生は確かに良い方に変わったのである。
お金に不自由することがなくなったので欲しいものは自由に買えるし,今まで全く頓着していなかった外見にも気を配るようになり,お洒落な服や装飾品で身を飾ることができるようになった。
また,ストレスの元が一切なくなったことが功を奏し,確かに以前にも増して身体の調子が良くなったと思う。
毎晩よく眠れるし,食欲も問題ない。
私は年に数回皮膚炎を起こすことがあったのだが,これがピタッと止まった。
肌が綺麗になり,またよく食べる割には太らなくなった。
気分が高揚し,笑顔が増えたのが自分でも分かった。
それが良かったのだろう。彼らが女性を斡旋して来なくても,向こうから女性が寄ってくるようになった。
ただ,リアルの女性というものは随分と扱いにくく,我儘である。
付き合うまでは従順なのだが,付き合ってみると大変な代物であったから,結局は長く続かなかった。
こういう時にいくらかの女性は執着してトラブルを起こしがちになるものだが,そういった女性はいつの間にか私の前から姿を消すこととなった。
結局私は最終的に,彼らが斡旋してくれた女性のみと交際するようになった。
私は女性を厳選するようになり,少しでも気に入らないところがあれば,あたかも風俗の女性を指名する時のように気軽にチェンジを求めた。
彼女は何も言わず私の前から去り,ほどなく新しい女性が私の前に現れる。
そういったことを繰り返すうち,私は誰か一人に決めることが出来なくなり,常に若くて美しい女性を求め続けるようになったのである。
就職はしなかった。
彼の言った通り,この生活をやめようという気になれなかったからである。
就職先は「凸凹大学」ということにしておいた。
周りが就職活動に奔走し,時に打ちのめされ悄然とする様子を横目に見ながら,私はある種優越感に浸った。
何せ私は何も苦労しなくとも,毎年年収2000万円が保証されているのだ。
私は結婚もせず子どもも儲けなかったから,この2000万円は全て自分の金である。
到底使い切ることのできる額ではなかったから,銀行の預金残高は増える一方である。
もっとも少々退屈ではあった。
旅に出ることにした。
私がその時に一番気に入っていた女性と二人である。
飛行機に乗って万一のことがあると大変だから,クルーズ船をチャーターしてもらった。
これも私の金ではない。彼らが用意してくれたものである。
彼女は聡明で,全ての国の言葉を完璧に解した。
そして私の要求に対し,全て完璧に応じてくれた。
私がすることと言えば,いろんな地方,いろんな国の様子を見聞し,また旨いものを食って旨い酒を飲むこと,あとは強いて言えば自分の欲求の赴くままに彼女を抱くことだけであった。
本来これで満足すべきところなのだろうが,何となくもやもやした,煮え切らないものを感じ始めていた。
私は,「何かしなければならない」という衝動に駆られ始めていた。
現状に満足はしているものの,今は「生きている」という実感がない。どちらかと言うと「生かされている」,もっと言えばペットの如く「飼われている」ような気分ですらあった。
私は日記をつけることにした。
この旅で見聞したこと,そこで感じたことなどを気の向くままに綴ったものである。
この作業は私の心を潤すものだった。
大袈裟でなく,「生きている」という実感を久しぶりに思い出させるものだった。
帰国してからも私は書き続けた。
何でも出来るはずなのに,何も出来なくなっていた。
その鬱憤を晴らすように,私はその作業に没頭した。
ある日私の預金通帳に,身に覚えのない入金があった。
振込人は,誰もが知る著名な出版社の名前だった。
そして書店に寄ると,今売れている本が平積みで置いてあり,その中の一つに覚えのあるものがあった。
表紙の写真が以前乗ったクルーズ船と全く同じものであり,旅行記・エッセイと題されている。
まさかと思いページを開くと,私が書いた文章そのものだったのである。
恐らく誰かが私の書いたものを出版社に持ち込んだのだろう。
そういうことをする心当たりは一つしかない。
そう思って彼女に聞くと,やはり彼らに頼まれて出版社に売り込んだのだそうである。
「何でまたそんなことを」
「いけませんでしたか」
「いや,いけなくはないけど…でもそれなら最初に私に言ってくれれば」
「もしそのことをあなたに伝えたら,あなたは持ち込みの結果がどうなるか気にするでしょう。それがストレスになったらいけないと思ったんです」
何はともあれ,私は文章で身を立てることになった。
とはいえ,売れようが売れまいが生活に影響はないのだから気楽なものである。
書きたいときに書きたいことを書きたいだけ書けば良い。
よって,売れたいと願い身を粉にして書き続ける世の作家の皆様方に比べたらその熱意は敵うべくもない。
ただ,私の書くものは売れた。
恐らく印税やら何やらだけで一生遊んで暮らせるだけの財は成したと思う。
であれば,この生活をやめることだって一応は可能である。
確かに悩みやストレスからは無縁だが,大金持ちの家で飼われるペットのような生活に少々飽きがきたことも確かだ。
しかし,本当にそれをやめるのかと問われると,その覚悟が持てなくなっていることもまた確かである。
今まで楽をしてきた分,この後いきなり悩みやストレスの嵐の中に放り込まれることが恐ろしかった。
私は腹を括ることが出来ず,漫然とこの生活を続けたのである。
私は今年53歳である。
彼らに言わせれば,まだ人生半分も到達していないそうである。
外見は,あの生活を始めた時のまま不気味なほど変わっていない。
髪もふさふさで真っ黒であるし,肌つやも大変よろしい。
恐らく二,三十は若く見えるはずである。
そして,考えることも昔と変わっていない。
老境に入るという意識はまるでなく,自らが不老不死であるかのような錯覚すら覚える。
このまま私はどこまで進んでいくのだろうか。
…
あれからまた長い時が経った。
私は今,121歳と10か月である。
私が覚えている訳ではなく,彼ら―何度か代替わりしているからあの時の男ではないが―が律儀に知らせてくれるのである。
もう私の知っている人間は皆死んでしまった。
結局結婚はしなかったから,子や孫もいない。
相変わらず若くて優しくて聡明な女が私のそばについていてくれる。
私はまだ頭も足腰もしゃんとしている。何なら走ることだって出来る。
まだまだ死にそうもない。
しかしこうなると,少々気が遠くなってくる。
私はいつまで生きるのだろうか。それは永遠なのだろうか。
私に悩みやストレスを与える者はもういないだろう。
むしろ,「永遠に生かされ続ける」ということが私の心を暗く覆っているのだ。
私の人生はこれで良かったのだろうか。これが幸福と言えるのだろうか。
もういいのでは。
そう思ったところで,彼らからのメッセージが届いた。
今日で,おしまいです。
彼らはそう告げた。
全面核戦争が始まりました。
いくら私どもでも,これだけはどうすることも出来ません。
研究は中止です。
お達者で。幸運を祈ります。
それだけ言って,メッセージは途切れた。
その時,私の真上で強烈な閃光が放たれた。
次の瞬間けたたましい衝撃音が響き,私の目の前が真っ暗になった。
その後のことは,もうわからない。