#47 いとしのハゲ様
毎日バスで仕事に行く私は、必ず右側の前から2番目の窓側に座る。
私が乗るバス停は始発停留所なので、早くから並んでいれば席は選び放題なのだ。
他の人はこういう場合、右側の一番前か、左側に3つ並んでいる一人座席に座るのだが、私はそうしない。
その人は他に窓際の席がたくさん空いているのに、どういう訳か右側の前から2番目に座る。
私が先に座っていると、必ず隣に座る。
それが私の狙いなのだ。
職場に行くまでの至福の時間。
それは彼と二人でバスに揺られる30分ほどのひと時なのである。
私は彼の名前も知らないし、結婚しているのかどうかも知らない。
薬指に指輪をしてはいないが、既婚でも指輪をしていない男などいくらでもいる。
そんなことはどうでもいい。
今彼が私の隣にいる。
そのことが何より大切なことなのだ。
ハゲが好きだ。
どうやらそれが私の趣味であることに気付いたのは、ここ数年のことである。
幾人かいいなあ、素敵だなあ、と思う男性がいたのだが、みんなハゲていた。
勿論、今私の隣でスマホをつついている彼もハゲている。
ハゲにもいろいろあるが、私は毛が一本もない方がいい。
そもそも、男たちはムダ毛だと言って髭を剃ったり、腋毛や胸毛などを永久脱毛したりするではないか。
そんなに毛を疎んじるくせに、何故か髪の毛だけはやたら大事にする。
同じハゲでも、残り少なくなった毛を未練がましく撫でつけたり何やらして一本でも多く見せようとするような男には私は魅力を感じない。
隣の彼はツルツルである。私の好みど真ん中ストライクなのだ。
これよ、これ。最高だ。
私の好みとして、余計な香りはない方がいい。
モテたいのか何だか分からないが、香水をプンプンさせる男が少なくないが、はっきり言って気持ち悪い。
整髪料も嫌いだ。そこへ行くとハゲは整髪料もシャンプーも要らない。
隣の彼も余計な匂いが一切しない。ワイシャツの糊のほのかな香りだけが私の心までくすぐる。
なので、別に「おじさん」が好きな訳ではない。加齢臭は好きじゃない。出来れば若い人がいい。
好みのタイプが「ハゲ」という人はそんなに多くないだろう。
だから選び放題かと言われれば、そういう訳ではないのだ。
そもそも、「ハゲていて若い人」というのをなかなか見ない。
しかも私の場合、毛が一本もないツルツルがいいのだ。
そういう人がいたら是非紹介してもらいたいのだが、友達にはなかなかそれを言えない。
隣の彼にそっと視線をやる。
カッコいい。
ハゲだからというだけではなく、彼は本当にカッコいいと思う。
顔立ちは整っているし、何より清潔感がある。
ワイシャツはパリッとしているし、スーツも洒落ている。
下半身に目をやるのは若干憚られたが、一瞬だけ目を落としてみる。
スラックスはきちんと筋目が通っているし、靴も光沢が溢れ、高級感が漂っている。
恐らく、これくらいカッコいい人であればハゲでもモテるのではなかろうか。
私はハゲだからこそ好きなのだが。
なぜ私がハゲを好きになったのか、ハゲを今好きなのか、それは分からない。
恐らく理屈ではないのだろう。
とにかく、毛の一本もないツルツルの頭を見ると、胸がぐっとくるのだ。
これは言葉では言い表せない。
そして動悸があって、身体がふわっとなるような感覚を覚えるのだ。
もしかすると、これは私がハゲに対して「エロス」を感じているのかも知れない、と思う。
ハゲの人の頭を時々男の人の「アレ」に喩える人がいるが、無意識のうちに想像しているのかも知れない。
私はそんなにエロい人ではないと自分で思っているのだが、案外そうではないのかも知れない。
そう言えば、ハゲは男性ホルモンが多く、性欲が旺盛な人が多いと言われている。
そういう人に満足させてほしい、という気持ちがこの私にもあるのだろうか。
そんなことを考えながらもう一度左に目をやると、彼がごそごそとポケットをまさぐっていた。
彼はもう降りるのである。
悟られないように視線を外すと、彼はそんな私に構うはずもなく、そそくさと席を立ち、降りて行った。
寂しさに浸る暇はない。
私も次の停留所で降りるのであった。
ステップから押し出されるようにバスを降りると、冷たい風が私の首筋を撫でた。
彼も寒いんだろうな。
どこが、とは言わないけれど。
いつか彼のために、ニットの帽子でも編んでプレゼントできる日が来るといい。
私は編み物はやったことがないのだけれど。
社のビルに入り、エレベーターに乗り込む。
周りは加齢臭の漂う、中途半端に汚らしくハゲ散らかしたおじさんばかりである。
こういう人たちに誤解されるので、私は社内では「ハゲが好き」とは言わないことにしているのだ。
夢は終わり、現実の中に放り込まれる。
でも、私は幸せなのだ。
また明日、夢を見ることが出来るのだから。