#5 逆転勝利

 11月22日,全国の野球少年が一度はその名をコールされることを夢見る日,ドラフト会議が行われた。
 その日,テレビにも映ることなく,ひっそりとその名を呼び上げられた一人の選手がいた。
「第五回選択希望選手,京浜,赤塚浩一,18歳,内野手,光栄学院高校」

 約1ヶ月後,京浜イーグルスの入団発表が行われた。
 その翌日,赤塚は一人,そのニュースを報じたスポーツ新聞を読んでいた。
 広川和雄(光栄学院→京浜一位),3割30本確実・記者会見で抱負語る。
「そうですね,まずは一日も早く一軍にあがって,チームのためにガンガン打ちたいです。自信ですか?なければ入りませんよ」
 赤塚は,その目を下に向けた。
 そこには,彼の「談話」が載っていた。
 赤塚(光栄学院→京浜五位)の話…一位の広川とは同級生で,これからチームメイト,ひいてはライバルとなるわけだが?
「彼は同級生でも,ぼくなんかとはスケールが違う,すごい選手ですから…彼と比較されるなんて,おこがましいですよ。ぼくはぼくなりに頑張るだけです」
 …俺は,こんなこと言ってない。
 全く,何も変わっちゃいないな。
 三年前のあの日から。

 三年前,当時無名だった光栄学院高校野球部に一人の,ひときわ身体の大きな選手がやって来た。
 彼は最初のバッティング練習の時から,圧倒的なパワーで周囲の度肝を抜いた。
 彼が軽くミートした打球が,まるでピンポン玉のように100メートル先の塀を越えて校外に飛んで行ってしまう。
「これで,向こう3年4番打者の心配は要らない。ひょっとしたら,この男が我々を甲子園に連れていってくれるかも…」
 当時の監督にそんな直感を与えたその男こそ,広川和雄その人だった。
 そんな彼をはるか遠くで,他の新入生と一緒にトンボでグラウンドを均しながら眺めていたもやしのような細っこい男,それが赤塚浩一だった。
 広川は,周囲の期待通り,一年の夏の大会からレギュラー,しかも4番に座り,県内レベルの各校投手を相手とせず打ちまくり,県ナンバーワンスラッガーの名を欲しいままにした。
 周囲は広川をスターとして持ち上げた。毎日のようにマスコミが学校を訪れた。評判を聞きつけたプロのスカウトが学校を訪れるようになってからは,狂騒はなおのことヒートアップした。
 そんな周囲の喧騒をよそに,ただ少しだけ人より足が速い以外にさして取り柄のなかった赤塚浩一は,静かに練習に明け暮れる日々を送っていた。

 喧騒は,意外な形で赤塚にも及ぶことになってしまった。
 身体が大きく,剛健な広川は,自分とは対照的なもやし男である赤塚に目を付けた。
 広川は,マスコミの見ている前で赤塚を呼びつけ,肩を組んで一緒に写真に収まった。
 マスコミはそんな二人を,「仲良し凸凹コンビ」ともてはやし,格好のネタにした。
 マスコミが帰ると,状況は一変する。
 広川は,赤塚に十円玉を渡して,ジュースを買って来い,と命令をした。
 足りない,という目で見ようものなら,文句があるのか,と突き飛ばされた。
 買ってくると,遅い,と言ってまた突き飛ばした。
 練習で打てなかったり,失敗でもしようものなら,そのウサは赤塚にはね返って来た。お前のせいだ。そう怒鳴りながら,更衣室で,しかもチームメートの見ている前で,殴る蹴るの暴行を加える。彼のユニフォームがいつもドロドロに汚れていたのは,練習によるものでは決してなかったのだ。
 表に出る暴力だけではなかった。スパイクやグラブが,ちょっと目を話した隙になくなったり,傷つけられたりすることが頻繁にあった。ナイフでズタズタにされたスパイクに,「バカ,ヘタクソ,死ね」と極太のマジックで書きなぐられていたこともあった。
 それらが広川の仕業であることは明白だった。しかし,それを告発することは決して許されなかった。広川は学校始まって以来の大スターであり,不可侵の存在だった。そして,世間から見れば,赤塚は広川の大親友であるという事になっていた。
 それは,全部マスコミの作り上げた虚像。
 しかし,それに逆らうことは出来なかった。
 監督もチームメートも,広川に何も言えず,赤塚を見殺しにするしかなかった。むしろ,チームのために彼には進んで犠牲になってもらおう,という雰囲気があった。
 そして,翌年の春,光栄学院高校は,広川和雄に甲子園に連れて行ってもらうことになる。

 二年の夏の大会直前,赤塚浩一はレギュラーに昇格した。
 それまでレギュラーだった三年生がケガをしたのに加え,当初人より少し速い程度だった赤塚の足が,あたかも魔法にでもかかったかのように,突然に目を見張るほどの俊足に変貌したのだ。
 それは確かに,広川のイジメに耐えながら黙々と練習を続けてきた,その成果と言えないこともなかった。しかし,それだけではとても説明できないくらい,はっきりと彼は変わっていたのだ。不可思議な何かが,赤塚に起こっていた。
 一番に座った赤塚の俊足は,相手チームの脅威となった。何しろそれまでは,広川にホームランさえ打たれなければ,最悪敬遠しても失点は防げたのに,赤塚を出してしまうと,二盗,三盗を決められた挙句に犠牲フライやスクイズでもホームインされてしまうのだから。県レベルでは,彼を刺せるキャッチャーなどいなかった。塁上に出れば,彼はまさに走り放題だった。
 赤塚は,守備も格段に上達していた。肩が少し弱かったが,その俊足と判断の良さでセカンドの守備をほぼ完璧にこなした。その守備範囲の広さは,巨漢故に動きの良くない広川の守備をカバーする役割も持った。
 広川ほどではなかったが,「広川の友人」という以上の存在として赤塚本人にも次第に注目が集まるようになってきた。広川一人が目当てだったプロのスカウトたちも,「ついでに」赤塚も見ておこう,という程度ではあったが,彼のほうに目を向けるようになったのである。
 一番の赤塚,四番の広川を擁して得点力の格段に上がった光栄学院は,その年の夏の甲子園で二勝した。次の年の春の選抜にも出場してベスト8,最後の夏の甲子園にも出場して,この年には決勝まで進み,結果的に敗れたものの,それまでの無名高のこの大健闘は「光栄旋風」として大きな印象を世間に残すことになった。
 そして,その年の秋,広川和雄はドラフト一位で,赤塚浩一は五位で,同じ京浜イーグルスに入団することになったのである。

 舞台がプロの世界に変わってからも,二人の力関係は変わることがなかった。
 もちろん,監督,コーチ,諸先輩の見ている前であからさまに暴力を振るったりするようなことはなかったが,二人だけになるとやはり広川は赤塚をあたかも奴隷のように扱った。
 最初のキャンプの時,広川と赤塚は相部屋で同室になった。それは同じルーキー同志である,ということもあったし,何より同じ高校出身の「仲良しコンビ」としてマスコミからもてはやされたこともあり,チームの首脳陣が話題作りも込めてこのような部屋割りにしたのだ。
 それは広川にはこの上もない好都合であり,赤塚にはこの上もない不都合だった。高校時代の延長のような理不尽なイジメは,より陰湿に,巧妙に赤塚を苦しめた。ある時,スパイク,グラブ,バットが悉くみんなナイフで傷つけられる,という事があった。しかもバットはご丁寧に全部真っ二つに折られ,赤塚のロッカーの中に無雑作に詰め込まれていた。そしてまたある時は,財布が盗まれたこともあった。それは翌々日にトイレの便器の中から汚物にまみれて発見された。勿論中身は抜き取られ,クレジットカードもなくなっていた。1ヶ月後,赤塚の元に膨大な額の請求書が届いたことは言うまでもない。
 このような環境の中で野球に没頭できる筈もなく,赤塚は二軍スタートになった。対照的にオープン戦から好調を維持した広川は,「即戦力」というマスコミの前評判も手伝って,一軍,しかもスタメンで開幕を迎えた。

 広川は前評判の通り,開幕直後から三番に座り,四番打者がスランプになった夏場過ぎからは四番を任されることも多々あった。一年間フルに戦力としてチームに貢献した広川は,打率二割六分,ホームラン29本,打点77という,ルーキーとしては文句なしの成績で,殆ど満票で新人王を手にした。
 赤塚はというと,ほぼ一年を通して二軍暮らしだった。足の速さを買われて,二軍戦でまず代走から起用され,その後スタメンで出る機会も徐々に与えられるようにはなってきたが,一軍の声はついに掛かることなく一年を終えた。
 翌年も同様に,二軍のレギュラーこそ獲得したものの,一軍での出番はついになかった。
 しかし,それは赤塚にとっては実は幸運なことだった。何せ,広川と離れ,何の憂いもなく野球に打ち込める最高のチャンスだったのだから。二軍暮らしの野球漬けの二年間は,その後の赤塚を飛躍させる土台を作るものになった。

 その翌年,二軍キャンプで目立っていい動きを見せていた赤塚に,初めて一軍の声が掛かった。チーム自体,昨年までのレギュラーの二塁手がケガで戦列を離れ,誰でもいいから使えそうな人材を持ってこなければならなかった,という事情があった。その上,京浜イーグルスの昨年のチーム盗塁数は12球団でもワーストの数字で,とにかく走れる人材を,という一軍首脳陣の要請があった。いずれにもあてはまる赤塚に,こうして白羽の矢が立った。
 レギュラー二塁手のケガは思いのほか重症で,ほぼ一年間絶望となった。開幕時は中堅の控え選手がレギュラーを務めたが,守備も走塁も無難にはこなすもののさして見所のない彼では物足りなく,チームも開幕から不調で何らかのカンフル剤を必要としていたこともあって,高卒三年目の赤塚を,殆ど博打のようにレギュラーで起用せざるを得ない状況と相成った。
 赤塚の起用は当たった。それまでイーグルスに皆無だった機動力を使えるようになり,攻撃に幅が出来た。守備の方でも,時たまエラーはするものの球に食らいついていくアグレッシブな守備はチームにいい影響を与えた。それまで無難な守備しかしないセカンドと動きの鈍いファーストの広川とでがら空きだった一,二塁間が締まり,この間を抜けるヒットは格段に少なくなり,失点も減った。
 広川はというと,一年目の数字からその後が大いに期待されたのだが,二年目は打率が二割五分を超えるのがやっと,ホームランも20本そこそこで,「二年目のジンクス」と囁かれる状態だった。飛躍が期待された三年目も,ホームラン,打率とも一年目の数字を越えられずに終わった。
 そんな広川が唯一自己新を記録したのは,打点だった。三番に座っていた彼は,一番の赤塚が出塁し,盗塁をした後,二番打者のバントで三塁に進んだ彼を犠牲フライか内野ゴロで返すことで打点を稼ぐことが多くなっていた。広川はこの年リーグ第3位の90打点を記録した。
 京浜イーグルスはこの年,守備と得点力の向上で前年の5位から3位に浮上し,久々のAクラス,開幕権を獲得した。そして,気の早い関係者からは来年はさらに上,優勝を期待する声さえ出るようになっていた。そして,赤塚は間違いなくその功労者の一人だった。この年の契約更改で赤塚は,広川よりも高い貢献ポイントを認められ,前年の600万円から一気に4倍の2400万円まで年俸を上げた。

 翌年以降,このイーグルスの得点パターンは不動のものとなった。赤塚の俊足にはますます磨きが掛かり,セーフティーバントやボテボテの内野ゴロでも出塁できるまでになった。選球眼の良さで四球も稼ぎ,打率と出塁率で常にリーグトップを争うまでに成長していた。
 広川はというと,当初期待していたほどには伸びていなかった。確かにそれなりには成績は残していたし,不動の三番打者としての地位は確立していたが,打率は毎年二割五分から六分で推移し,ホームランも4年目に初めて30本を突破したもののその後は20本台が続き,鳴り物入りで入団した前評判と,その素質から考えると物足りない印象をファンや関係者,そして何より首脳陣に与えるようになっていた。この年チームはあと一歩という所で優勝を逸した。下手をすれば,その「A級戦犯」は広川だ,と言われても文句は言えない,そんな状況だった。その声を封じたのは,ひとえに彼の打点の多さだった。そしてそれは,殆ど赤塚のおかげだった。
 赤塚はチームに不可欠の戦力に成長し,自信をつけていた。対して広川は,打点こそ多いもののバッティングの内容の悪さに満足できるはずがなく,一人で悩むことが多くなっていた。
 自信をつけた赤塚と,悩みに沈んだ広川。
 広川が赤塚に性質の悪いちょっかいを出すことも,いつしかなくなっていた。もはや,そんな余裕すらないことは明白だった。

 プロ入り8年目,広川はついに,念願のタイトルを獲得した。
 打点王だった。
 打率二割六分五厘,ホームラン27本,打点115。
 それが彼のシーズンの成績だった。
 この年,赤塚もついに首位打者を獲得した。そして,これで3年連続となる盗塁王も。
 赤塚は首位打者の獲得は初めてだったが,それまでに何度も2位,3位までは食い込んでいた。そして,出塁率だけでいえば,前年もリーグ1位,この年は五割近い驚異的な数字を残し,ダントツでトップになっていた。

 シーズンオフに,タイトルホルダーを集めて表彰パーティーが行われた。
 その最中,突如二人の選手が姿を消した。
 しばらく経って戻ってきたのは,対照的な体躯をした二人…京浜イーグルスの打点王広川と,首位打者の赤塚。
 赤塚は愉快そうな笑顔を浮かべ,広川は心なしか青ざめていた。

 二割六分,27本の成績で打点王取れたのは,一体誰のおかげだと思ってんだ?
 いい気になるんじゃねえぞ,打点の3分の1が犠牲フライのくせに。
 全ては首位打者,出塁率一位,盗塁王,二塁打王,三塁打王のこの俺のおかげだろうが…

 翌年,広川は一足早くフリーエージェントの権利を獲得。宣言をした上でイーグルスと再契約した。5年契約だった。伸び悩みとはいえ,スター選手である彼を,球団が多額の再契約金と異例の長期契約という条件で引き留めた形となった。

 これで終わったと思うんじゃねえぞ。
 お前にやられつづけた恨みは,これからゆっくり時間をかけて晴らしてやるのだからな。

 二年後,フリーエージェントの権利を獲得した赤塚は,あっさりイーグルスを捨て,大阪ジャガースへ移籍した。
 赤塚を失ったイーグルスは機動力と守備の要を失い下位に低迷した。返すランナーのいなくなった広川は打点を3分の2までに減らし,守備でもフォローしてくれる二塁手がいなくなったことからそれまで目立たなかった動きの悪さが暴露され,轟々の非難を受けることになった。

 負けた。
 ジャガースとの試合に敗れ,ファンに罵声を浴びせられ,挙げ句の果てに生卵をぶつけられた広川は,去年までとは違うユニフォームを着て歓声を浴びるかつての「奴隷」を見ながら不意にそう思った。
 取り返せるものなら,取り返したい。
 ぼんやりとそう思いながら,彼は鼻の頭のどろりとしたものを舌で拭き取った。
 それは心なしか,しょっぱい味がした。

★あとがき
 この作品のテーマははっきりしている。「弱いものイジメ」に対する強烈なアンチテーゼである。今強いからといって弱い(と思っている)奴に好き勝手やってると必ず天罰が下るであろう,ということを,私の好きなプロ野球の世界に仮託して書いた。私はいじめられっ子だったから,誰が何と言おうとイジメをやる奴は許さないし,そんな奴に大恥をかかせるための作品をこれからも書きつづけていくつもりでいる。

 

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