#6 娯楽装置

 199X年度版全国大学偏差値ランキング・私立文系。
 京洛大学経済学部…A塾32.5,Bゼミ33.2。
 同文学部…A塾32.0,Bゼミ32.8。

 3人の男たちが表を眺めながら溜め息をついていた。上座に座っているのが京洛大学理事長兼学長・勅使河原篤(てしがわら あつし)。テーブルの両脇に座っているのが同大学経済学部長・武者小路浩司(むしゃのこうじ こうじ)と,文学部長・綾小路秀麿(あやのこうじ ひでまろ)である。

「また下がったな…」勅使河原が切り出した。
「そうですね…」武者小路が力なく応える。
「でも,偏差値だけが大学の価値を決めるものではないでしょう」最も若い綾小路が,二人を元気付けるように言った。
「しかしだねえ,綾小路君」勅使河原がたしなめるように返す。
「偏差値が大学の価値を決める基準になっておることは間違いないのだよ。現に偏差値が下がるにつれて,志願者数も倍率も下がっておるのだからね」
「データによるとだな」武者小路が続ける。
「我が校の入学試験における倍率は,大学創設時には2.3倍だった。しかし,バブル崩壊と第二次ベビーブーム後の受験人口の低下,そして大学の相対的な地位の低下と相俟って,去年は1.02倍だ。今年はこのままでいくと定員割れは間違いない。この状態が続けば,大学が潰れるという事態さえも覚悟しなければならなくなるかも知れんのだぞ」
 綾小路は黙ってしまった。

 京洛大学は,バブル経済と呼ばれた空前の好況期に,大学の新設ブームに乗って創立された新興私立大学であり,経済・文の二学部構成である。所在地は京都市左京区の鴨川沿いの一角で,東大路通りを挟んで京都大学が間近に見える。
 勅使河原が不意に立ち上がり,窓際へ赴いた。窓から見えるのは名門・京都大学の知性と活気にあふれた光景。
「略せば同じ『京大』なのに,何でこうも違うのかねえ」
 綾小路は吹き出しかけたが,武者小路ににらまれたので必死にこらえた。そして,必要以上に真面目な顔を作り,「大学の改革が必要ですよね」と言った。
「君ねえ,改革改革と言うのは簡単なんだよ。どう改革すればいいと言うんだ。具体的にいいたまえ。生半可な小手先の改革じゃダメなんだぞ。抜本的に,大学を根底から変え,学生の目をこっちへ向けるようにゲホオホ…」
 勅使河原は勢い込んでまくし立てた。そして,年甲斐もなく興奮したせいで,苦しげにむせた。
 武者小路はやれやれといった表情で立ち上がり,大丈夫ですかと言って勅使河原の背中をさすった。勅使河原が落ち着くと,彼は反対側の窓際へ赴いた。そして外の様子を眺めた。鴨川の河原が見える。鴨川名物“等間隔に並んで座るアベック”が見える。そして彼らを横目に通り過ぎて行く,いかにも恋人いません,という風体の,気の弱そうな,寂しそうな青年たちの姿がある。
「今の学生のニーズ…」
 武者小路は呟いた。そして再び勅使河原の所へ戻り,彼に何事か耳打ちした。
 勅使河原は唇の端を少し上げながらうなずいた。
「何ですか?」綾小路も興味深そうに話に加わる。
 秘密会議は夜まで続いた。

 1ヶ月後。大学学生課の隣の空き部屋に,一風変わった部屋ができた。
 「恋愛課」と書かれた表札。ドアの張り紙にはこう書かれていた。
「彼女の出来ない貴男!恋に臆病な貴女!恋愛のない大学生活なんて××××を入れないコーヒーのようなものです!恋をしたい人,恋に悩む人,恋愛に関することなら何でもご相談下さい!必ず力になります!!」
 看板に偽りはなかった。新生「京洛大学恋愛課」は実に精力的な活動を行った。カウンセラーによる恋の悩み相談,専任講師による異性との付き合い方講座の開設,ねるとんパーティー,合コン,ダンパ等の斡旋,愛の告白の舞台のセッティング,デートプランの設定と場所のセッティングetc…。出会いから最後の一線を越えるまでの一切の手伝いを請け負うという徹底ぶりであった。
 恋愛課創設後,京洛大生の恋人保有率は80%を超えた。この驚異的な実績はすぐマスコミに取り上げられた。中には「学問を第一義とすべき大学で…」という批判的論調もあったが,大部分は好奇と好意をもって扱われた。大学自身も,入学案内の宣伝文句としてこれらを最大限に利用。翌年,京洛大の志願者数および倍率は,開学以来はじめて上昇に転じた。

「大成功だな」勅使河原はほくそ笑んだ。
「実は心配だったんですけどね」綾小路が苦笑いを浮かべながら言った。「こんなにうまくいくとは…確かに受験生の目を惹き付けることはできるでしょうけど…こういう取り上げられ方をすると親が子供を入れたがらないんじゃないかと…」
「結局決めるのは受験生ですからね,親が反対したところで…それに…」武者小路が声のトーンを落として続ける。「大学の差別化ってヤツですよ…今は同じ偏差値レベルの大学ならどこへ行っても一緒ですからね…それなら…一つでもメリットのある大学を選択する…たとえそれが何であろうともね」

 成功に気を良くした大学側はこの年遂に,「大学レジャーランド化計画」をぶち上げた。
 まず,それまであった文学部と経済学部のゼミを全廃し,新しい“娯楽ゼミ”の創設を決めたのである。おかげで,文学・経済学を真面目に研究しようという学生達は細々と自分で勉強する羽目に陥った。
 新生京洛大学の生徒達はすぐ,大小五十いくつから成るゼミに振り分けられる。その一部を紹介しよう。
 パチンコゼミ…パチプロを講師として招き,パチンコ,パチスロのあらゆる機種の攻略法を学ぶ。
 競馬ゼミ…プロの予想屋・スポーツ誌記者と共に,血統,馬場,体調等を基にレースの行方を論議する。競輪・競艇等も行う。
 漫画ゼミ…某アニメーション学院と提携し,プロの指導の下に漫画家,アニメーター,声優等を養成する。
 麻雀ゼミ…プロの雀師を招き,“いかにして勝つか”“いかにして振り込まないか”を学ぶ。ちなみにこのゼミのゼミ生の論文「私の九連宝橙体験」は話題になった。
 ゲームゼミ…ゲームセンター,各種家庭用ゲーム機,パソコンetc,あらゆるゲームをジャンルを問わず攻略していく。勿論講師はプロのゲーマー。
 カラオケゼミ…声楽家の指導の下,いかに聴かせるかを学び,振付け師の指導の下,いかにノリよく魅せるかを学ぶ。実はこのゼミが一番厳しく,採点カラオケで60点を切ると単位がもらえない。
 美容ゼミ…女性優先のゼミ。メイクとエステティシャンの指導により,ひたすら自らの美しさを追求する。地顔がブスだから入れない,ということは勿論ない。
 グルメゼミ…ひたすらおいしいものを食べる。費用はタダ。入ゼミの条件は,“好き嫌いがないこと”。
 酒ゼミ…ひたすら酒を飲みまくる。利き酒も行う。入ゼミの条件は,「肝臓が強いこと」。
 ×××ゼミ…異性とのまぐわいによりいかに自分が快楽を得,相手に快楽を与えるかを学ぶ…らしいがその実態はナゾ。やはり公然とやるとヤバイらしい。
 …とまあ,こんな調子である。
 更に大学の中に,遊園地や漫画図書館,カラオケボックスに映画館,果ては風俗店まで造ってしまうなど,“遊びの大学”としての姿を堂々と誇示することになったのである。

 さすがに世間の風当たりは強かった。
「京洛大学は,文学部・経済学部が一応は存在し,大学の体裁だけはなしているが,もはや学府としての二学部は機能しておらず,実質上“遊び学部”があるに過ぎない。こんなものは大学ではない。文部省は大学としての認可を取り消すべきだ」教育評論家は言葉を極めて批判した。
「ううむ…これだけ叩かれるとはな」勅使河原はうめいた。
「文部省のお役人ににらまれることにでもなったら…厄介ですね」綾小路も沈痛な面持ちで呟く。そんな中,一人平然としていたのは武者小路である。
「何を弱気になっているんですか…こんな手でも打たないことには,遅かれ早かれ大学は潰れていたんですよ…どうせ潰れるなら…あがいてから潰れた方がいい…覚悟を…決めることです」
「しかし…」
「結果は自ずとついてきます…我々の路線は間違ってはいないんですからね」
「武者小路さん…しかし今の批判は…」
「任せておけ」

 数日後,文部省の官僚が大学を視察に訪れた。武者小路が大学側のスポークスマンとして彼らと相対した。
「噂には聞いていましたが…この現状はあまりにも大学の本分から逸脱してはいませんか」
「世間の風評によると…我が校の二学部が,学府として機能していないという事になっているようですな…申し上げておきますが,それは大きな誤解です。本学は最高学府としての大学の姿を見失ってはおりませんぞ」
「そう信じたいものですな」
「本学はただ単に専攻する学問を教えるだけの大学ではありません。人間性を高めるためのサブカルチャーを学ぶという側面を持ち,その教材としていわゆる遊びがあるのです」
「物は言いようですな…」官僚は冷笑を浮かべながら言った。
「まあお聞きなさい。これは実験です。現在の日本の没個性的な画一的教育を何とか変えたいと思ったところから出発した実験です。同時に,偏差値競争に敗れた私立大学の,存亡を賭けた勝負でもあります。どうか我々の挑戦を,しばらくの間静かに見守っていて頂きたい」武者小路は静かに言った。口調とは裏腹に,形相は鬼の如く,目は据わり,血走り,官僚の目を真っ直ぐに射抜いていた。
「わ…分かりました」気圧された官僚は,こう言うのがやっとだった。
 勝った。武者小路の表情が緩んだ。

 内憂外患。
 一難去ってまた一難。
 七転八倒。
 五月,再び京洛大学首脳陣を苦悩の淵へ叩き落す事件が発生した。
 青白い顔をした首脳陣トリオに差し向かいで座っているのは,学生代表三名。テーブルの上には,五十は下らないと見られる封書。その全てに3文字の単語が大書してある。
「退学届」。
「本気かね…」勅使河原が,尋ねるとも独り言ともつかぬ声で切り出した。
「はい」学生代表の一人が毅然と言った。三人の中で最も老けた顔をしていて,風貌には威厳が感じられる。
「理由(わけ)を…聞かせてくれないか…どうしたことだか…さっぱりつかめないんだが…」綾小路がなだめるように言った。声は震えている。
「どうしたもこうしたもない」老け顔の右側に陣取っている学生代表が言った。応援団風のゴツい男である。
「あなた方は一体何を考えておられるのですかッ,学校に遊び場を作って,それで我々の機嫌を取ったつもりでいるとは,馬鹿にするにも程がある」
「私たちは不安なんですよ。こんなに遊んでばかりでいいのか,将来は大丈夫なのか…大学の悪い評判が広がると就職も不安だし…その辺を考えて欲しいんです」更にもう一人の代表が続けた。おたふくのような風貌の,メガネをかけた厚化粧の女である。
「ここにある…退学願を書いた多くの学生も…同じ意見なのかね」綾小路が聞いた。
「その通りです」老け顔が答えた。
「うううむ…これは…どうしたものか」顔中の汗を拭きながら勅使河原がうめいた。
「どうしたも何も…この狂った状態を元に戻すか,さもなくば我々の退学を認めるか,二つに一つではないですかッ」援団男がすかさず大声で言い返す。
 綾小路は無言で下を向いている。
 武者小路も無言。腕組みをして,視線は真っ直ぐに学生を捉えている。
 勅使河原は手を組み,顔は真っ直ぐ前を向いていたものの,視線は下に落としたままだ。小刻みに震えながら,絞り出すように言った。
「分かった…これは一応預かっておく…結論は…後日出す」
 3日後。大学の掲示板に以下のような文言の書かれた紙が掲示された。
「以下のものの退学願を受理する。文学部四年秋山二朗…(以下略。五十人以上の名が連なっている)以上。平成X年五月十日・京洛大学学長・勅使河原篤」

「我々は…とんでもない選択をしたのではないだろうか…」勅使河原がフッと呟いた。
「これだけの犠牲を…退学者を出してまで学校を変える必要があったのか…変えるにしても…もっと別の方法が…」
「学長」武者小路が制した。「学長ともあろうお方が,そんな弱気では困りますな」
「しかし…」
「賽は投げられたのです。今途中で引き返せば全てはパーです…まあ見ていてください…結果は自ずとついてきますから…」
 勅使河原は言い返せなかった。武者小路の自信に満ちた,全ての答えを事前に知っているかのような口ぶり。信念とかそういったものを超えた,野心という名の麻薬に酔った,狂気性すら感じさせる目。綾小路も,そして勅使河原も,ただ呆然と見ているしかなかった。
 退学者は以降も月に1〜2人のペースで出た。大学側はあくまで冷徹に,出て行きたければ勝手に出て行けという態度を取り,表面上はいささかも動じることなく我が道を走りつづけた。ただしこの間に,学長の勅使河原が過労と神経性胃炎で入院してしまい,武者小路が秘密裏に学長代理に就任するという変化は起きていたが。
 病床で勅使河原はこぼした。「どこでどう間違ってこんな風になってしまったんだろう…これではまるで自殺行為ではないか。あがけばあがくほど状況は悪くなる,まるで底なし沼ではないか。弱くても,小さくても,地道にやっていくべきではなかったか…武者小路…あいつは狂っとるよ…止められる時に止めておくべきだった…最大の不覚だ…」
 勅使河原の病状は軽かった。しかし大学へ戻るのは辛すぎた。開学以来学長の座にあった彼も,気力を失いついに引っ込んだ。

 新しく学長となった武者小路は更に走り続けた。ゼミのみならず,語学クラス・クラブにサークルと,あらゆる所で娯楽のための設備を作り,予算を設けた。語学の授業では毎回のように酒宴が設けられ,それは遂には外国人教師と学生男女入り乱れての乱交パーティーにまで発展する始末であった。その様子はあまりに凄絶を極めたため,ここではとても紹介できないが,後で学生に聞いたところ,彼らの覚えたコトバがことごとく俗語,猥褻語ばかりであり,その姿が「日本でできる売春ツアー」と称されたことから想像していただきたい。クラブ・サークルも状況は似たようなもので,文化・体育活動よりも集まって遊ぶことが奨励された。各部のBOXには漫画から家庭用通信カラオケ・ゲーム機に各種酒類・おとなの玩具(おもちゃ)に至るまで,あらゆる遊び道具が揃っていた。
 大学のあちこちに仕掛けられた“娯楽装置”。いや,もはや大学そのものが娯楽装置と化していた。
 渦巻く非難の嵐の中で,武者小路は常に泰然自若とし,言い放ちつづけた。
「今に見てなさい。結果は必ず出る」

 答えの出る時がきた。所謂“大学改革”後初めての卒業生の輩出であった。
 結論から言うと,卒業生は健闘していた。企業では,そのカラーの明るさを生かし,営業を主として活躍していた。
 更に特筆すべきなのは,企業以外の場での多岐にわたる活躍ぶりであった。ゼミで培った能力を生かし,パチプロ,漫画家,声優,俳優,歌手,ゲーマー等多くの世界に人材を輩出したのであった。勿論それはごく一握りの,運と才能のある人間でしかなかったのだが,“京洛大学”の名を世間に轟かせるには十分だった。
 京洛大学は生き残った。明るいカラーに憧れた一般の学生,その道のプロを目指すアウトローたち等々,多種多様な人間が集う場となったのである。
「だから言ったでしょう,結果はいずれ出ると。全ては計算どおりだ,ワッハッハッハッ…」
 今日も武者小路学長の高笑いがこだまする。
 今日も快進撃を続ける,京洛大学に栄光あれ!!

★あとがき
 前もコラムで書いた覚えがあるが,ぼくは自分の経験上から,学歴社会というものをこれっぽっちも信用していない。所詮学歴も他の個性と同じく,生きていくための一つのツールに過ぎないと思っています。だからといって別に遊んでばかりいる奴を擁護するつもりもないのだが。ところでこれを書いたのは実は一年くらい前なのだが,これを書いている途中でどこかの大学がキャンパス内に遊園地を作ったという話を聞いた。事実は小説より奇なり,とはまさにこのことであろう。 

 

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