長編不定期連作小説#3 生臭志願
第27回(最終回) 不肖の弟子の立場から
小高い丘に建つ寺の本堂からは、街の姿がよく見える。
私がいつも車を停めていた、駐車場の一番隅っこの区画には、今はもう誰も停める者はいない。
もう随分前のことのように感じる。
私はだいぶ久しぶりに先生を訪ねた。
「おう、久しぶりだな。生きていたのか」
いつものシニカルな表情で私を迎えた先生。
しかし、いつもとは明らかに違っていることが一つだけあった。
「先生、顔色が悪いですよ。もしやお身体がお悪いのでは?」
「分かるか」
「当たり前でしょう。私は仮にも医者です」
「そうか」
先生はやけにあっけらかんとした様子で、自分が癌であることを話した。
「ここであんたと話せるのも、今日が最後かも知れない」
先生は笑った。
「笑い事ではありませんよ」
「いやいや、癌というのは『都合の良い病気』とも言われる。あんたは知らんかな」
「知りませんよ。どういうことですか」
「人間はいつかは死ぬ。それがいつになるかは分からない。だから要らぬ苦しみや悩みの根源となる」
「まあ、そうですね」
「しかし、癌になってしまえば自分がいつ死ぬか大体わかる。医者から『貴方の余命はあとどれだけです』と言われるからな。自分の死ぬ時期が分かるというのは、死への心構えという点から言うと非常に便利なことだ」
「便利じゃないでしょう。怖くはないんですか」
「何が怖いか。何故そう思う?」
「たとえば、余命があと1年です、と言われたならば、一日が過ぎるごとに、あと何日しか生きられない、という思いに囚われたりはしませんか。しかも身体は一日一日悪くなっていくのに」
「…どうかなあ。今のところ私にはそのような思いはないな。むしろ楽しみだ」
「楽しみ?」
「うむ。浄土に還って御仏の許に行くことが出来る。そう考えたら何も辛いことはないさ」
私は先生の目を見た。一点の弱気も曇りも、強がりもなかった。
私はその日、たまたま気が向いたからお寺を訪れたのだが、先生はその翌日に入院されるという。
つまり、今日来なければ先生とはもう話が出来なかったかも知れない。
これも「縁」というものなのだろうか。
私は、もはや自分と先生、このお寺、そして仏の教えと切っても切れない絆が出来たことを強く感じたのである。
先生が入院された後、私は幾度かお寺を訪れ、奥様にお会いした。
奥様は気丈に振舞っておられたが、さすがに気落ちしていることは隠せなかった。
先生がいなければ、奥様はお一人である。
それが心配だったから、私はより頻回に奥様を訪ねるようになった。
私は何も出来ない。出来ることは気を紛らわすための話し相手になることくらいである。
そんな私にある時、奥様は言った。
「あの人は、良い方との御縁を残されましたね」
私は得度することに決めた。
得度には師僧が必要であるという。
そうなると、私には先生しかいない。
先生は病を押して来てくださった。
主治医には随分止められたようだが、これだけはやっておかなければ死んでも死に切れん、と押し切ったそうだ。
「もう少し早く言ってくれれば、私も楽だったのに」
先生に皮肉を言われ、私は頭を掻いた。
その日から二拠点生活となった。
自宅には妻子が暮らしている。
お寺には先生の奥様が御在宅である。
勤務医は辞めた。
お寺の一室をいただき、診療所を開設した。ここが仕事場である。
僧侶として在りながら、心療内科医としての仕事をする。二足の草鞋である。
心の医者であるから、悩みを抱いて訪れる患者さんばかりである。彼らの悩みが少しでも晴れるよう、何より心安らかに生きることができるよう、時に御仏の教えを説きながら日々診療に当たっている。
その後ほどなくして、先生は浄土に還られた。
癌と言えば苦痛は少なくないはずだが、そのお顔はひたすらに安らかであった。
何だかこちらを見て笑っているように思えた。
お前、後は頼んだぞ。
そう言われているようだった。
奥様は涙ぐんでおられた。
私は涙は出なかった。
ただ、ひたすらに寂しさが募った。
そして奥様も、ほどなくその後を追うように還浄されたのである。
かくして、この寺には私一人となった。
諸行無常。
奥様をお送りした後、誰もいなくなった寺の居室に立って、私はそう独りごちた。
今はあまり自宅に帰らず、寺にいることが多くなった。
まずここが仕事場であること、そしてまだまだ駆け出しの坊主である自分にとって、この寺に居て勉強をしなければならないことが山のようにあるということ。
そして、もう一つ大きな理由がある。
あの日の私のような―臆面もなく、何の縁もゆかりもないお寺にいきなり訪ねてきて、ずけずけと自分の悩みを相談するような、そんな人間がまたいるかも知れない。
そんな時、私はここに居て、「彼」の相手をしなければならない。
いつかの「先生」のように。