長編不定期連作小説#3 生臭志願

第26回 人間として生かされるということ


 男がやってきた。
 前回の最後に、少し自分で考えると言っていたから当分来ないだろうと思っていたが、考え違いであった。

「先生、一つご意見を伺いたいことがありまして」
 男は神妙な顔でそう切り出した。
 内心はあまり神妙ではないことくらいは分かっているが、そう言われると応えざるを得ない。
「何だ。随分深刻そうだな」
「いや、深刻ではありませんが」
 男は自分が少々暗い顔をしていたことを認識したのか、苦笑いをして頭を掻いた。
「よく仏教…いや、仏教だけではないのかも知れませんが、『生きる』のではなく『生かされる』と言いますね」
「そうだな」
「その意味についてお伺いしたいのです」
 思わぬ方向から矢が飛んできたものだ。
 私は少々間抜けな顔をして男の顔を眺め、その後虚空を見上げた。

「仏教、特に浄土の教えにあっては、御仏のお導きにより、御仏によって救われる。これが『他力本願』である」
「はい」
「であれば、人間は自ら『生きる』のではなく、御仏によって『生かされる』存在である。故に、人間は『生きる』のではなく『生かされる』と言うのだと解釈することができる」
「はい。そこは理解しているつもりです。ただ、人間は自分の意思で生きる道を選び、もしくは不幸にして自ら命を絶つという道を選ぶ者もいます。また、以前もお話ししましたが、不慮の事故や事件、病などで心ならずも早々にその人生をある日突然絶たれる者もいます。これらについてはどう考えるべきなのか、と」
「うむ。確か以前、事故で突然命を絶たれたお子さんの話をしていたな。あの時私は何と言ったかな」
「それも輪廻転生の一つであり、人間としての生を終え、解脱をして極楽に行くのか、あるいは他の生を繰り返すのか、というようなお話であったかと思います。しかしそれはやはり理不尽なことだと思うのです」

「人間は『生かされる』存在である。それは真理だと私は考えている」
 少し間を置いて、私は切り出した。
「人間がどう生き、どう死ぬか。それも含め、全ては御仏の掌中にある」
「であれば、御仏は何故そのような残酷な運命を、特定の人間に課すのでしょうか」
「ここで一つ問題だ」
 私は男が言い終わるのを待っていたような顔をして、そう言った。
「あんたは今、早くに、あるいは突然にその生を絶たれることを『残酷』とか『理不尽』と言ったな」
「はい」
「なぜ『残酷』『理不尽』だと思うのか」
「え?」
 男は口を開けて言葉を失った。
「いやいやいや、そりゃそうでしょう。普通に考えれば」
 男は早口でまくし立てた。
「落ち着きなさい。なぜ『残酷』『理不尽』と思うのか。答えなさい」
「はい、わかりました。…いや、それはそうでしょう。本人は可哀想ですし、親御さんも悲しみます」
「なぜ本人が可哀想と思うのかな」
「え?…そりゃあそうでしょう。この先前途洋々とした未来があって、楽しいことだってたくさんあるに違いないのに」
「その『楽しい』というのは『欲』ではないかな」
 男は唖然とした顔をした。
「は?」
「考えてみなさい。人生には確かに楽しいことや嬉しいことがたくさんある。人間誰しも、そういったことを求めて生きて行くのだろう」
「はあ」
「しかしその裏で、人生には辛いことや悲しいこともまた多い。生きている以上、苦しみは避けられない。その苦しみの元となるのが『欲』だ。以前話したな」
 男は黙っている。
「仏教においては、『欲』は悟りの妨げになるものだ。人間は皆『欲』を持ち、苦しみの中で生きている。その裏返しとして喜びや楽しみがあるのであれば、むしろそういうものに振り回されて『生かされる』方が余程可哀想である」
 うわあ…という声ともため息ともつかない音を立て、男は苦い表情で下を向いた。
 私はなおも畳みかけた。
「では、親御さんが悲しむのは何故だろうか」
「それは勿論、愛する者を失ったからに決まっているでしょうが」
 男は口を尖らせて言った。
「そうだろう。これについて、私は以前あんたに話をしたよな。覚えているか」
「…ああ、愛別離苦、というものでしたっけ」
「その通り。愛する者と引き離されることは苦しい。八苦の一つだな」
「そうでしたね。しかしそれは当たり前のことだという気もするんですが」
「うむ。普通に考えればそうだろう。しかし仏教の観点から言えば、二つの見方によって克服できる」
「教えてください」
「一つ目は、以前言わなかったかな…『執着』というものだ」
「執着ですか」
「うむ。親は子を愛する。これは当然のことだ。しかし、愛することは一面、相手に対する『執着』を孕む」
「はあ」
「愛する者を失いたくない、という気持ちが執着を生むのだ。あんたはよく分かっているはずだがな」
 男は顔を赤くして下を向いた。
「人の黒歴史をほじくり返すのやめてもらっていいですか」
 私は無視してなおも続けた。
「親子の愛でも同じことだ。勿論親が子を愛することを否定する気はない。ただ、『愛』は『執着』を孕むし、『執着』は『欲』の一つだと言える。それは生きる上での苦しみを生む」
 私はそこまで言うと、一区切りと茶を啜った。
 男はまだ合点がいかない顔をしている。

「もう一つ」
 私は徐に切り出した。
「あんたは『死』にネガティブなイメージを持っているだろう」
「それは当たり前ですよ。『死』にポジティブなイメージを持つ人なんかいませんよ」
 男は何をバカなことを、と言いたげな半笑いの顔で反駁した。
「それが『苦しみ』の本質な訳よ」
 私は口元をにやりとさせて言った。
「そもそも、あんたがなぜ私のところに来るようになったのかを覚えているか」
 男は黙って上を向き、思い出そうとしている。
「『死』が頭から離れなくなって、『死』への恐れから解放されたいと願ってここに来たのが最初だっただろう」
 男は思い当たったと見えて、ああと口を開けて二三度頷いた。
「人は誰しも『死』を恐れる。それは生き物としては仕方のないことだと思う。本能だからな。しかし『死』に対する恐れを克服し、死をはじめとする様々な苦しみを克服するための教えとして仏教がある」
「はい」
「仏教において『死』は必ずしも悲しむべきものではない。生・老・病・死は早い遅いの違いこそあれ、全ての人に平等に訪れる。この世は常ならざるものであり、全ては移ろう。生きる死ぬ、出会いと別れ、時を経てとどまり続けるものなどない」
 男は黙って聞いている。
「そして『死』は一つの区切りに過ぎない。さっきも言ったように、人は死を迎えると輪廻転生から解脱するか、あるいは再び輪廻の中で『生かされる』かいずれかの方へ導かれる。それが御仏の教えだ。そして我々仏教者は、人が死を迎える時に輪廻転生から解脱することが出来るように自らを高めていくと同時に、あんたのような衆生が同じように解脱することが出来るように助力をする。これがまあ、『布教』ということになるのかな」
 
「では」
 男はまた切り出した。
「先ほど申し上げました、自ら死を選ぶ者についてはどう考えれば良いのでしょう」
「うむ。自ら死を選ぶ…その動機は様々であろう。しかし、その多くは生きる上での苦しみに押しつぶされた結果なのではないだろうか。だとすれば、仏教の視点で見ても良いことであるとは言えないな」
 男は黙って見ている。
「本来、人間として『生かされる』中で苦しみを克服し、輪廻の中から解脱することが理想だが、その中途でその道を自ら絶ってしまった、という見方も出来る。しかし他方、あんたが数多く接してきた患者さんたちのように、それは『病』であり、病によって死を迎えたという考え方も出来るだろう。ともあれ、全ては御仏の導きなのだから、皆各々至るべきところに至る、ということになるだろう。ある者は輪廻から解脱し、ある者は違う生に生まれ変わる。これはどのような形で死を迎えた者であっても同じだ」
 そこまで言うと、私はすっかりぬるくなったお茶を啜った。

「しかしまあ、そう考えると人間というのは何とも中途半端な存在と言えるな」
「中途半端…ですか?」
「だってそうだろう。確かに人間としてこの世に生まれるということは、畜生に生まれるのと比べたら随分と恵まれているし、幸運なことだ。しかし他方、人間は悟りを得るに至らず、輪廻転生の中でぐるぐると生まれ変わりを繰り返している訳だからな」
「なるほど…そう言われればそうなのかも知れませんね」
 私は微笑んだ。
「しかし、そうは言っても日々一歩ずつ進歩はしているのではないかな」
「進歩?」
「そうだ。あんたも私のところに通うようになって随分になる。より広い、俯瞰した視点で物事を捉えられるようになって来ているのではないか?」
「いやあ…そうは思えませんけど」
「いや、たとえば以前の自分のことを思い返してごらん。恥ずかしくなることがあるだろう」
「それはまあ…数えきれないほどあります」
「でも以前は、それを正しいと思ってやってきた訳だ。それが恥ずかしくなるということは、以前の自分とは物の見方、考え方が変わっているということだ。それは進歩と言えるだろう」
 男は照れたような顔をして下を向いた。
「先生はどうなんですか」
 照れ隠しのように、男は問うた。
「私も…昔に比べたら、いや、昨日一昨日と比べても日々気付くことがあるし、そのことによって物の考え方が変わっていることを自覚することはある」 
 私は胸を張った。
「しかしそれでも、『死』は怖いのではないですか」
 男は言った。
 私は少々間を置いた。
「…まあ、全く怖くない、克服したかと言われれば自信はないが」
 私は一息置いて続けた。
「ただ、年を取るにつれてそういった気持ちは少なくなっていることは間違いないな」
「そうなんですか」
「うむ。以前話をしなかったかな。年を取ると『死』を恐れる気持ちは少しずつ少なくなっていくような気がする。もしかすると自分の中で『死』に対する心構えが出来てきているのかも知れない」
「もしかすると、それは人間の本能なのかも知れませんよ」
 男は言った。
「そうかなあ。私は日々の修行の成果だと思いたいのだが」
 男は笑った。
「ただ、仏教者は『死』をネガティブに捉えない、というのはあると思う。私もそうだし、嘘だと思うなら他のお寺さんに行って聞いてみるといい。驚くほどあっけらかんと『死』について考えているから」
「えー…」
 男が声を上げると同時に、夕焼け小焼けが鳴った。

「おい、得度する気はないか」
 帰り際に私は男に呼び掛けた。
「いえ…私にはまず、『得度』に対する心構えが必要なようです」
 男は薄笑いを浮かべながらそう言って車に乗り込んだ。
 ほどなくエンジン音が鳴り、土煙を立ててあっという間に車は見えなくなった。

 それにしても最近は難しい話が多くていけない。
 ちょっと前にしていた、日常の下世話な話が懐かしい。
 あまり難しい話ばかりしていると読者が離れるに違いない。
 そんなことを考えながら、私は門をくぐってお堂に戻った。




 

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