意味の在る言葉


8/22 巨大なブラックホール

今日、中国新聞を見ていると、天の川の中心に巨大なブラックホールが見つかったそうです。ブラックホールというのは、宇宙の落とし穴みたいなものでしょう。私たちの銀河の中心に巨大な落とし穴が在ったということは驚きです。いつか読んだ本の中にこの宇宙は、膨張し続け希薄なものになるという説と、時計の振り子のように振幅し、永遠に繰り返されている、という二通りの説が在るそうです。こうした巨大なブラックホールの発見は、私たちの宇宙を、やがて収縮へと向かわせるものかもしれません。ところで、織り姫様と彦星は、大丈夫でしょうか。

8/26神々のパトス

一寸まえまで流行っていた、エヴァのテーデの中に、残酷な天使という言い回しがある。エヴァの中の残酷な天使とは、言うまでもなく使徒と呼ばれる敵でしかない。使徒とは、キリスト教的には、十二使徒のことではないだろうか、新世紀エヴ ァンゲリオンというアニメ が、多くの若者の心をとらえたのは、そこに神々のパトスを感じさせるからかもしれない。エヴァの中では、旧約聖書で神が創造した、最初の人アダムあるいは、その子リリスが、可愛そうに 生きながらに、ネルフという特務機関の地下でロンギヌスの槍に貫かれている。ロンギヌスの槍とは、過ってイエスを刺した処刑人ロンギヌスの槍の意であろう、使徒はそのアダムを助けるために?ネルフにむかって戦いを挑むのである。碇 シンジはまったく普通の少年でありながら、この使徒を次々と撃破てしまう。惣流 アスカ.ラングレーに、あんたバカと罵られながら。

9/01 マスコミは残忍

ダイアナ元妃は、マスコミは残忍であると、フランス紙ルモンドとの書面インタビューで答えたそうです。嘗て、権力の持つ不正や横暴に立ち向かって、ぺンを振るったマスコミは、ペンを力として戦っていたのであろう、ペンは力也と言う言葉が在ったぐらいだから、現代でもやはり真摯なジャーナリストは、ペンを力として戦っているのかもしれない、しかし、それは 暴力とは違うばずである。 ペンの暴力を持って一人の女性を追い回し最後には、死に至らしめたマスコミの持つ商業主義には、辟易してしまう。立場の弱い人々の味方になりたいと言っていた、ダイアナ元妃は、多くの大衆の支持を得ていた。そのダイアナ元妃のスキャンダルを、最も読みたがっていたのも大衆である、そうゆうふうに考えると、本当に残忍なのは、マスコミではなく、彼女が支持を得ていた大衆かもしれない。

9/12 緩やかな自殺

ダイアナ元妃の乗ったベンツを、運転していた人は、緩やかな自殺を、試みる人で在った。即ちアルコール依存症患者である。アンリ.ポール氏は、その日も多量のアルコールと、それを治療するための、坑精神剤を服用していた様である。この緩やかな自殺を、試みる人が何故、性急な死へと自らを向かわせたのであろうか、人は、自己の死の意味を、死後に問う事はできない、問う事が出来るのは、いま確実に生き長らえている人だけである。そうして周りに在るのは、確かな他者の死ばかりでしかない。

9/17 二重の記憶

嘗て、子供は神様からの授かり物であった。現在でもやはり子供は、神様からの授かり物であろう。世の中には不妊に苦しむ、多くの夫婦がいるのだから。ところで今、流行っている商売に、親子の遺伝子の記憶を調べてみて、その親子関係を、実証しょうとするものがあるそうです。例えば十年位、子供を育ててみて自分に似てないと思う、一寸不安である。この子は、本当に自分の子供なのだろうかと考えてしまう、そこで唾液を綿棒に付けて然るべき業者に送る、これでその親子関係が、本当の親子関係であるかどうかが、ほぼ100%判るそうです。でも、もし違うという結果がでたらどうするのだろう。それまで築いてきた、親子の情愛という脳の古皮質にある海馬の記憶のほうは、一体どの様にして削除してしまうのでしょうか。ちなみに僕は独身である。そんな心配はいらないのである。だいたい一回の検査料は、24,5000円位だそうです。

9/19 石つぶてを投げる人

ロッキード事件で有罪判決が確定した佐藤孝行総務庁長官の罷免要求が、与野党の政治家から上がっている。本人は「辞めない」と言っている様である、つまり日本的にい言えばあえて切腹はしないということであろう。聖書には、姦淫の罪を侵し、人々から石つぶてを投げられ殺されそうになっていた女に、イエスは何やら地面に文字を書きはじめ、そのあと人々に向かって彼方がたの中で、今まで一度も罪を犯した事の無い者だけがこの女を、石で打ちなさいと言い、また地面に文字を書きはじめた、するとだれ一人あえて女に石をぶつける者はなく、最後にこの女とイエスだけが残った、そこでイエスはこの女に貴方の罪は許されたと言った。と言う記述があった様に思う、イエスが罪を許すと言うのは、無論この世ばかりのことではない。国会は、法律を作る場であり、国会議員のしかも閣僚が、二度も法を犯し有罪判決を受けた人であると言うことは、どうにも弁解の余地の無いことである。ところで橋本総理大臣は、きっと聖書の中に在るイエスと同じことを言いたいに違いない、国会議員諸君、君たちの内で、今まで一度も罪を犯した事の無い者だけがこの男を石で打ちなさいと。

9/30 神と人から、愛された人

ダイアナ元妃が、多くの大衆から愛された様に、人々から愛された一人の老女が、安らかな死を(眠りを)迎えた。人は、神の前では平等で在ると言う、それは神の裁きの前では平等で在るという意味であろう。マザーテレサは、その生前、愛の反対は、憎悪ではなく、むしろ人に対する無関心であると言っていたそうである。そう言えばイエスも聖書の中で似た様な事を語っていた様に思う。「彼方は、熱くも無く冷たくも無い、故に私は、彼方を吐き出そうと、」彼女は、富の有り余る中からではなく、全く貧しい生活の中から、より貧しい人々の為に、自己を犠牲として、喜びを持って捧げたのである。マザーテレサは、疑いもなく、神と人から愛された人であった。

10/20 命の尊厳

今日の中国新聞に、英バース大学のジョナサン・スラック教授(発展生物学)が、頭部のない蛙の肺を作り出すことに成功したという、英紙サンデー・タイムズ紙の一報を伝えていた。この事は、人間の遺伝子にも応用可能だそうである。例えばクローン技術を応用して、遺伝子操作した細胞を、子宮(人口)に着床させてわざと、無頭児を生ませることが可能になる。そこで全く拒絶反応を起こさない臓器を移植することが出来る様になるかもしれない。もし近い将来、一部の権力者や、金持ちがこの技術を応用して、嘗て、秦の始皇帝が、夢想した様な不老不死の為に、次々と自己の、臓器や皮膚を入れ換えていく姿を想像する事は真におぞましい事である。中国では死刑囚からの臓器売買が行われ、外貨獲得の有力な手段とされている様である。
頭部のないカエルの胚

11/29 最近のナショナリスト

最近のナショナリストは、岡田監督率いる、サッカーチームの所謂サポーターと言われている人々である。彼らは、卵を投げることが得意で、殆ど偶然に近い一点にまるで、神の奇跡を見るかのように狂気する。最もテレビで見る外国のサポーターは、もっと過激なのだけれど、それもこれも愛国心の歪んだ?現れなのかしら、何だかやたらに日の丸が乱舞している。所で、僕としては、カズより、サンフレッチェの高木琢也を出して欲しいのだけれど。

12/01 進化の足跡

生物の進化の軌跡を考えた時、NASAの土井隆雄さんの、宇宙遊泳の映像を、何故だか奇異な感じてとらえてしまうのは、僕だけだろうか、生物学的な進化は、地球環境の海から始まり、三十六億年の時をへて、遂に宇宙にまで至ったのである。何故、生物の進化とよんでいるものは、生命にその居住環境を絶えず拡大してきたではないか、否、宇宙への進化は、意味が全く違うのである。其れは、生物学的進化ではなく、科学技術的進歩にほかならないので在って、やがて人類は無限の宇宙空間に地球のゴミを捨てに行く日がくるのかもしれない。


5/14 インドの核兵器問題

この度、インドが地下核実験を実施したそうである。インドは間違いなく核を保有する大国である。この問題が不透明で在るのは、核拡散防止条約(NTP)による五大大国の核の独占という、立場の不透明さにある。今やアメリカも、日本もインドに経済的制裁を下そうとしている。しかし、こうした制裁によって最初に苦しむのは、言うまでもなく、インドのカースト制における最下層の人々である。経済制裁を実施する前に、すべての国々から核を全廃していく方向を導くべきではないか。正義はなにも米、中、英、仏、露、だけにあるわけではない、そうして、こうした問題は、次々第三国へと波及して行くことは、必至である。核兵器を保有していると言うことが外交上の大きな得点となってはならない。


7/03もののけ姫

昨日、初めてもののけ姫の映画をビデオで見た、宮崎作品特有の画面の美しさと、優しさを感じさせる作品である。アシタカと言う勇敢な少年と、山犬に育てられたサンと言う少女との関係を通して、自然と人とがいかに共存していくかがテーマとなっている。僕がこの作品に違和感を持つのは、自然の側に人間の言葉を話させていることである、その時点で自然は既に、自然では無く、本来の自然が持っている久遠の時間、物言わぬ受け継がれえない時が失われてしまっている。つまりこの作品の中の自然との共存とは、人間と、人間にとって都合のよい、人間の言葉を話す自然との共存ということに成ってしまっている。それは無論作者の意図した所ではないであろう。しかし、我々は、傲慢にも、自然のもつ本質的な意味さえも時として見落として仕舞うのである。