第4回 8月6日について


原爆ドーム(旧産業奨励館) また、暑い夏がやってきた。
あの日もきっと、今日みたいに「ジージー」と蝉の声がしていたのだろう。
昭和20年8月6日、広島市上空500mで炸裂した爆弾。
一瞬の閃光で十数万の人たちの命が消えた。
その中には、僕につながる人もいる。
僕は、被爆2世である。
僕の母親が体内被曝をしたからだ。
最近は、義務教育中の平和教育も以前よりも大人しいものになっていると聞く。
こんなことを、書くと何処かの団体の人みたいだがそうではない。
僕は、一個人であり、一市民である。
ただ、被爆者の子孫として8月6日が特別な日なのである。
祖父(他界)は、翌日に爆心地に入り息子(僕から見ると叔父)を探した。
残念ながら、既に亡くなっていたそうだ。
叔父は、爆心から1Kmと離れていない十日市で建物疎開作業中だったそうだ。

僕の住んでいるところは、爆心から2Kmのところにある。
何だかんだと改築はしているが、爆風に耐えた建物である。
そんなこんなからも、関心が深くなってしまうものである。
被爆者の高齢かも進み、当時の実状を知る人も少なくなっている。
僕の周りにも3人しかいなくなった。
今、若い世代に当時の惨状が引き継がれなくなることが問題になっている。
人は、記憶が薄くなるとまた過ちを犯してしまう愚かな動物である。
世界各地で、様様な紛争が勃発している。
幸まだ、核兵器が使用されていない。
もし、使用されていればと考えると怖くなる。
広島に住む人間として、悲劇を語り継がなければならないのではないかと思う。
いや、被爆2世として・・・・。
そして、地球上から大量殺戮兵器がなくなることを願ってやまない。
戦争は、きっとなくならないと思う。
人類の歴史は戦争と共にある。
せめて、一滴も血を流すことない戦争になればなんて都合のいいことを考えてしまう。
そしてまた、暑いその日をむかえる・・・・。



表現能力の不足から大変読みにくい文章になったことお詫びいたします。
このページをご覧になられた方の中に、戦争について見つめ直された方が居られましたら幸いに思います。


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