平清盛生誕900年によせて 2018年2月12日

 平成30年は平清盛生誕900年です。宮島観光協会では、平清盛再評価のための各種イベントを開催しています。歴史は勝者の歴史です。残された記録資料から描かれる清盛像がゆがんでしまう事は、致し方ないことです。このゆがみを正すのは歴史家です。発掘調査手法で、平家一門の居住地から多数の宋銭が発見されました。日貿易で得た平家一門の経済力を示しています。清盛は瀬戸内海航路を整備し、摂津の福原を、宋や高麗商人が集う対外貿易の拠点にしようとします。福原京に貿易立国の建国を夢見たのです。

 平清盛の厳島信仰の始まりは、夢枕に立った老僧の教示だと言われています。後にこの老僧は弘法大師だったとも言われています。清盛は、厳島神社の修復・造営を行っただけでなく、平家納経の奉納や京の船遊びをモデルとした管弦祭を始めました。当時の超一流な京文化を宮島にもたらしたのです。瀬戸内海に分布する、海人をコントロールするための方便であったのかも知れません。しかし45回に及ぶ厳島詣では、美しい白拍子に会うためだけでなく、平家一門の繁栄と極楽浄土を願う清盛の心の現われです。

 平清盛の極楽浄土への願いは高野山信仰にも見られます。金堂の修復・造営を担うだけでなく、真言密教の神髄である両界曼荼羅を奉納しています。この曼荼羅は「血曼陀羅」と呼ばれ、清盛が頭血を朱に混ぜて、絵師に描かせたと言う逸話が残っています。

 平清盛生誕900年にあたり、平家納経と両界曼荼羅のコラボが実現できれば、素晴しいなと思います。

 宮島では、清盛の偉大な功績を称えるために、昭和29年に没後770年を記念し、西の松原に清盛神社が創建されました。平成16年から、行列を通して清盛の雄姿を再現する「春を呼ぶ 宮島清盛祭」が開催されています。平成26年には、宮島桟橋広場に清盛の銅像が立ちました。

 平清盛の厳島信仰や高野山信仰は、900年の歴史を飛び越えて今日でも宮島に息づいています。

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