時間とはいったいなんだろう。遠く過ぎ去った記憶と思っていても、夢の中に現れたり、ふとしたことで蘇ったりする。
過去のあやまちに対する「償い」とはなんだろう。過ぎ去ったことは、修復できない。一生、自分を責め続けることだろうか。それでは、なにも解決しない。酒で犯した過ちならば、まずは酒を止め続けることだろう。 しらふで生き続ければこそ、こころに、折りにふれて「申し訳なさ」がこみあげる。
「本当は人一倍、人恋しい自分なのに、人と一緒に生きることができなかった」悲しい涙が、静かにあふれる。

確かに、あのとき、飲んだくれのぼくでも愛してくれた、ひとりの「夢見る少女」がいた。 彼女といい仲になったのも、酒の席を介してだったが、その頃、何日に一回かは、酒の入らない静かな夜があった。そんなある夜、つきあい始めてまもない彼女がぼくのアパートにひょっこり訪ねて来たことがあった。
ぼくは、うれしかった。彼女は、そのころ家庭の不和から、家を出て一人暮らしを始めていた。さびしかったのだろうか。 ただ、ぼくは「ぼくを好いてくれる人がいる」ことに有頂天になって、彼女のこころを聞くことをしなかった。 それから、一緒に暮らし始めるまでにはさして時間はかからなかった。

明確な父親像のない家庭で育ったぼくは、「男の生き方」に対して、不安と劣等感があった。反抗する「父」も、真似したい「父」もなく、ただ、自分で探し、作らなけれならなかった。勢いで「エリートコース」をはずれたものの、それじゃ何がしたいのか分からなかった。それが、日々の悶々とした気持ちを醸し出していた。
ぼくは「強い男」になりたかった。強がりもした。知識も詰め込んだ。でも、実際のぼくは現実に対してなにひとつ明確な自分の意見も考えもなく、おどおどしていた。ただ、他人に見せるのはいやだった。その矛盾が酒を飲むと噴出した。
彼女は飲まなかったし、酒を飲むぼくを快く思ってはいなかった。

新婚旅行に沖縄に行った。沖縄がまだ「本土復帰」前、車は右を走り、左ハンドルの時代の頃。
彼女のお腹には、3ヶ月の子供がいた。何日目かの夜、石垣島に泊まった。なぜか、ぼくはホテルの部屋で金縛りにあった。天井に「白い女」が浮かび、すーっと降りてきて、ぼくの胸を鷲掴みにした。苦しかった。ぼくの実家でも同じ「白い女」に縛られたことがあるから、何か縁のある「霊」なのだろう。
ぼくは、一人で飲みに出た。地酒の泡盛を浴びるように飲んで、他のお客とけんかした。ふらふらしながら、ホテルに帰ると玄関が閉まっていた。困ったぼくは、非常階段を上っていった。そして、4階まで上ったとき、足を滑らして落ちてしまった。
気がつくと、頭部左から血を流し、救急車のサイレンが聞こえた。落下するぼくの体が、1階にあった駐車場の幌を貫通したため、それがクッションになって、ぼくは一命を取り留めた。
地元の病院で手当を受けた。そばには、彼女がいた。
「あなたはいつもこうなんだから…」
悲しそうに言った。
新婚旅行は中断し、東京に帰った。新婚旅行の写真は「星の砂」の竹富島でとぎれてしまった。東京に帰ってから、ぼくは事実を隠し、知人には、
「この顔の傷は、女房をイリオモテヤマネコから守るため格闘してできたものだ」と冗談を言っていた。
大切な記念すべき旅行を台無しにされた、彼女の気持ちも思いもしないで…
そして、酒で、いのちまで失いかけたのに…

子供が生まれた。
ある夜、内容は覚えていないが、飲んで彼女と口論になったことがあった。腹を立てたぼくは自転車で家を出た。酩酊状態で自転車をこぎ、無灯火だったからか、お巡りさんに呼び止められた。酔っていたぼくは、口答えし、彼の体に触れてしまった。
「公務執行妨害」で、3日間、拘留された。
身元引受人として、生後間もない子供を抱いた彼女が迎えに来た。
ぼくは、酩酊後の自己嫌悪におちていたが
「言い返した私も悪かった…」
なぜだか、彼女はそう言った。バカなぼくは、それで自己嫌悪から解放され、今回のことは許されたと、酒を止めようとはさらさら思いもしなかった。

酒の止まないぼくに愛想を尽かして、ぼくと別れることが決まってからも、「引っ越し資金がたまるまで」と、ぼくはしばらく居候を続けた。そんなある夜、酒を飲んで彼女を求めた。
「これが最後よ」と彼女は言った。
ぼくは、むさぼるように彼女を抱いた。そして、叫びながら彼女の衣服を引き裂こうとした。気丈そうに見える彼女が泣いた。
一度でも自分の愛した男が、「壊れていく」様子を見なければならない彼女は、どんな思いだっただろうか。ぼくは、どんな形相をしていただろうか。いたたまれなくなる。

…もう?年も前のことだけど、決して忘れることはできない。自分のこころを見つめれば見つめるほど、鮮明に蘇る。そして、ぼくを愛し、ぼくと一緒に生きようとしてくれた、「夢見る少女」のこころと人生に対して、
「あなたの悲しみも苦しみも何一つ受け止めないで、つらい思いばかりさせました。本当にごめんなさい」と、
こころのなかで言っています。

[追記]
酒飲みを好まない彼女は、「結婚したら落ち着くだろう」と思っていたようですが、当時、ぼくは「アルコール依存症」という考えを持っていませんでした。彼女と出会った時、すでにぼくはアルコール依存症でした。
結婚して落ち着くどころか、ますますひどくなりました。度重なる失敗、自己嫌悪、それから逃れようとまた飲酒…
「酒の魔力」の恐ろしさに気づきませんでした。