酒が原因で3年間の結婚生活が破綻して、またひとり暮らしになったぼくが30歳の頃…
所持金5000円をもってたどり着いた、東京太田区の安アパート。家賃は12,000円。
誰かが駆け足で階段を上ってくると、部屋全体が揺れた。5000円を元にして日雇いの仕事で生計を立て直すつもりだったが、所詮酒飲み、つもりはいつもつもり、あっという間に酒に変わった。頼るとこもなく、別れた妻に電話して5000円を工面してもらい、夜中に取りに行った。家には入らず郵便受けからお金を取って帰ってきた。そんな自分を浅ましいと思う余裕もなく、目先の金が手に入ったことにほっとした。
おそらくその金も飲んでしまったと思う。

そんな生活でもなんとか食って飲んでいた。約2年間の間に、運転手・教材セールスマン・塾教師・プレス工員・メッキ工場雑務、みんな二日酔いで1日休み2日休み無断欠勤というパターン。いよいよ、日銭に困ると日払いの製本工場に行けばよかった。朝飯を食う金がないとき、角砂糖をかじって昼までもたせ、工場でもらえる昼食券で飯にありつくまで空腹をこらえた。こんな食うや食わずの生活でも、「お金が入れば酒が飲める」が唯一の希望だった。それまでに多くのものを酒を飲んで壊し失っていたが、後悔する気持ちなど更々なく、また過去を振り返る精神的なゆとりができる生活ではなかった。

 となりの部屋には50歳くらいの男性Mさんが住んでいた。デパートの警備員をしていて酒も飲むので時々おじゃました。焼酎をご馳走してくれた。デパートの食料品売場の売れ残りをよく持ってかえっていた。ぼくもときどきもらって貴重な栄養源にしていた。
 奥の部屋には70歳くらいの男性Hさんが住んでいた。午前中はデパートの掃除をしていた。残りの時間は日本画を描くことに専念しておられた。酒は飲まれなかった。ときどきぼくの部屋に絵を持ってきて見せてくださった。ぼくはいっぱしの美術評論家気取りで批評した。それでも「この若造が」という顔ひとつせず、にこにことご自分の絵の制作談義をされた。世渡りがうまければ、日本画家として生活もできただろうに、ほんとうに絵を書くことがが好きなんだろう。

 「明日の飯」が分からない生活も2年間もったが、ある会社に勤めていたとき、自分が集金した貸付金20万円に手をつけた。もう、後のことを考えることもできなくて、今宵飲んで死ねたら…自暴自棄の気持ちだった。このときばかりは、一緒に飲んだ、ぼくにも増して破天荒な飲み友達もびびって止めようとしてくれたが、一杯入ったら後戻りはできない、結局全部飲んでしまった。アパートに帰ると会社の者が訪ねて来ると思い、リュックかついで部屋を出た。公園のベンチにあったスポーツ新聞の仕事案内で「宿無し歓迎」の文字を見つけ電話した。上野駅で待ち合わせて連れて行かれたのが、千葉県松戸市の新聞配達店だった。部屋も与えられて、親父さんに新しいスニーカーも買ってもった。食事も親父さんの家族と一緒だった。
 ある夕方、田舎の兄から電話があった。どこで知ったのかと思ったら、親父さんがぼくの素性を心配してどうやら調べたらしい。兄と何を話したか覚えてないが、金を使い込んだ罪を負うぼくとしてはそのことがばれないかとびくびくしていた。結局、会社から兄のところに連絡が行き使い込んだ金は兄が支払ってくれたと、後に聞いた。この新聞店も、飲んだ勢いで1週間目に逃げ出してしまった。このあと、どこかの飯場にたどり着いたが、ここも長くは続かなかった。
放浪は酔って乗ったタクシーの無賃乗車で警察に連れて行かれて終わった。その日食えればいいが身についていて、偽名を使っっていたので「詐欺罪」で1週間拘置された。三度の食事、入浴は週2回。着替えも支給された。鉄格子のなかで西村寿行の推理小説ばかり読んで過ごした。ぼくが勝手に知人とした人の名を告げ、未払いのタクシー代を払ってもらい釈放となったが、「知人」はぼくの生き様に愛想を尽かし、絶好を言い渡された。
警察を出るときに、ぼくを哀れんだのか刑事さんが3000円くれた。おそらくその金もすぐ酒に化けたのだろう。

さすがに、「明日の飯はわからない」暮らしにもくたびれ果て、とうとう田舎に帰ることにした。帰るときに近くの国鉄駅に見送りに来たのは、日本画家のHさんひとりだった。
ぼくの鞄をさげてくれた。そして、楽でもない暮らしのなかから工面した5000円を「餞別」としてぼくにくれた。
その金も夜汽車のなかで見知らぬ臨席の人と「都落ちの祝杯」と称して飲んでしまった。
そして前後不覚になり、気が付いたときは、帰るべき田舎でなく、大阪の繁華街にいた。
あわててポケットを探ると、所持金はなく、乗車券のみ。
わけもわからないまま受験高校に進み、某有名国立大学に入学して始まった「都暮らし」は、鈍行列車を乗り継いでの惨めな「都落ち」で終わった。

[追記]
こうして書いてきて、ぼくの周囲にあった人々の優しさに気づきます。
当時、それに気づかず、「所詮人はひとり」と突っ張って、目の前の酒におぼれていた自分の愚かさが悲しいです。Hさんにいただいた5000円をまだ本当に生かしてないような気がします。それはぼくが飲むためにくださったものではなかったはずです。