ホームへ戻る

自分とは魂(意識)である。

そして、意識がもっとも苦手なのが、痛み。
多くの場合、痛みからの逃避としての仕組みや文明。
重労働は痛い。痛いから、拒否できない立場の人々が担ってきた。

意識は、痛みの原因を外に探し、安心したがる。
「**のせいでこうなった」と…
でも、痛みそのものは消えない。
意識の下に沈殿していく、痛みへの不安。

何かのせいにして、責め立てるほどに痛みは鋭くなって…
また、痛みの原因をそのせいにする。
結果が原因を作り出す世界。
どこまでも続く悪循環。
地獄の本質は、無限ループ。

痛みから逃避するための「科学」はありあまるほどあるけど
そもそも、何故、痛みというものが存在するのか…
痛みの「哲学」は、自分が実践・体得するほかない。
仮に、痛みというものがないとしたら、愚かで傲慢な意識は、いのちを省みることもせず、おのれの帰る場所がどこかも分からず、永遠に、さまよい続けるだろう。

「ああ 人は獣 牙も毒も棘もなく たた痛むための
 涙だけを持って生まれた 裸過ぎる獣たちだ」
(中島みゆき・瞬きもせず)

外に対して作り上げた自分を「我」と呼ぼう。
もし、自分が「我」だとすると…
外がゆらげば自分もゆらぎ、外の変化にいつもびくびくする。
臆病さを隠すように強がり、「我」を張る…
「我」は頭にはりついた意識のかざぶたのようなもの、ゆっくり壊していこう。
さびしさやおそれがわき上がっても、それも意識の世界のこと。
その下には痛みがある。
痛みは癒せば肥やしになる。

「人を愛するため 人は生まれた
 苦しみの数だけ やさしくなれるはず」
(高橋真梨子・遙かな人へ)

あのとき、怨みと憎しみの道からぼくを呼び戻してくれたのは、きみへの愛しさだった。
ぼくはできる限り、痛みと正面から向き合おうとした。
空虚な安心よりも、確かな痛みを選んだ。

この道は真実へ至るから
きみと共に歩きたい。

見る・見られるのしがらみの世界から
見えない世界へ。

道は、呼吸のなかにある。

ココロ
イノチ



記された文だけが この世に残ってゆく
形あるものだけが すべてを語ってゆく
叫べども おお あがけども ああ
誰がそれを知るだろう…
  (中島みゆき「伝説」より)