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 ■ 生の作法 ■       

文/中村隆子
写真/高雄きくえ





   
「娘よましらのごとくあれ」 「けさの花よ」 「老いの後」 「山羊の仮面」 「言葉が逃げる」 「リハビリテーションへの道」 「ごにゃいます」 「魂のコロニー」 「わがまま」 「異界」 「孤独」 「絶対言語」 「無幾への憧れ」 「希望」「サンゴの林」 「石よりも」 「心の民」 「『嘘』のかなしみ」 「案山子」 「暗い朝」 「無音のコトバ」 鬼神」 一丈四方」 「ケンカイコロウ」枯れ木」 Longing」    



雨季はいいきっかけだ
しあわせはここらでおわりにしよう
朝から人疲れが始まったようだ
大きな鳥になった羽虫が
鳥かごを探している
この雨季からは
もう私については話すまい。
私を見つめるのはよそう。
廃船の白い輝きに釘付けされながら
ウミネコの帰るあたりを見ていよう。
ただ描写をしたに過ぎなかった
ただ数えたに過ぎなかったページは
まだ残っているけれど。


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旅に出るように本を読む。
果てしない山河を風が渡り、鳥が行く。
五線譜の中の句読点。

夜明けのまどろみ。
あと幾日のセンチメンタルジャーニーか。
惜しみながらページをめくる。
スカンジナビア半島のかもめたちが
モスクワの芝居小屋でライムライトをあびていた
−少し落ち目の評判記、
    垂れ幕のかげから私を見ている−
枕もとの人影みたいだ。


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娘たちよ ましらのごとくあれ
秋が来たら 
きみはひときわ老獪に美しくなり
私をしりへに見据えて
とりこむしぐさをするだろう
それもいつしか風見鶏の風車小屋
ひと袋の内臓の中に赤い草の実をつめこんで
スバルめざしてとんでいくのか


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けさの花よ
咲き残りたいか
散りたいか
いまさら青空があらわれたとしても
なにほどのことがあるだろうか
花が首をおとして空を見ている
うつむくしぐさをしている



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老いの後

老いの後には何があるのだろうか。
老いる前の私は老いを知らなかった。
そして老いたら、
今では老いの後に来るものに憧れている。
かくも命は美化されてやまないのだろうか。
死者と遊ぶ日さえも私は待っている。
北上する台風九号の分度器の中に、
私の風も吹いているはずだ。
そして、老いてこそぜいたくな秋が深まる。


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いつものような

辺境の昼さがりに
いつものような花を探し
咲かないふりして咲く花を
むりやりに見つけようとして
私は旅人のように疲れてしまう
山羊の仮面をまぶかにかぶって
積乱雲が踊っている秋
病気の猫が花粉をつけて帰ってきた。
影になって。


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言葉が逃げる 風より速く
あと追いするな ふり向くな
かえってこなくてもいいではないか
たとえわたしが生んだにしても
いつもひとり歩きして
わたしの前を立ち廻る
セリフのない夢の中では
声のないプロンプターだ
言葉はわたしから逃げながら
どこまでもわたしにつきまとう
そしてわたしと死ぬのだろう


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リハビリテーションへの道

赤玉ポートワインの牛乳割りを飲んで
いると、赤い目をしたアンゴラ兎がやってきた。
かれは三つくちのくせに無くちなのだ。
そのメランコリーな明るさ。
ハビットという名のラビットがいた。
かれは昭和10年ごろ、
小倉市伊到津動物園で生まれた。
風の吹く夜、オリから逃げて
まだ帰ってこない。
ハビットの棲む村はハビタントになったのだ。


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初雪の朝の光に猫といる

殺人ニュースの届かぬ距離で


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ホームアローンはETに似ている。
ピーターパンもクリストファーロビンもファックルベリフィンもジェーンエアも孤児だった。
孤児であることの自由は原初から生物にあり、魂や精霊や昆虫や花粉になって、空間の中にいた。
墓地は魂のコロニーかもしれない。コロニーは魂にしかつくれない「場」だ。
マザー・テレサの「死を待つ人の家」は施設ではない。「楢山」の浄土を見せているホスピタリティではあるまいか。


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入院よりも在宅がいいのはなぜだろうか。不便という不自由さを我慢してでも、
ぜったい的わがままができる唯一の
居場所だからではないだろうか。
死に場所は誰にも選べない。
生まれ場所も選べないように。
それでも「きょうは死ぬのにいい日だ」と
思える日があるのではないか。
とはいっても自殺願望ではありたくない。
わがままでない赤ん坊はいない。
遊ばないネこの仔はいない。
在宅というホスピスは、人権としてのわがままがあるところではないか。


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酔芙蓉の色の変化は
白百合の変化と似ている。
日暮れの色の薄くれないは
あかつきどきの茜と似ているようで、
異界のようだ。


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竹林の岳は群生の中
孤独をみつめあって
立っているのだろうか。
風も邪魔をしない。
光も美しい影をつくり、
蜘蛛は糸をはる。


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死者はもうどこへも行かない
わたしの中から旅立つことはない
あなたの帰りを待つことも
訪れを待つこともない
わたしが不在のときあなたはやってきて
カスバのタバコをくわえている
過去形でも未来形でもなく語る言葉が現在形
絶対言語
エピクロスとロゴスの朝ごはん


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無幾への憧れ
記憶と思い出について
寂しさと恨み、怒りについて…
やはり最後に人を狂気づけるのは
嫉妬ではないか。
アラン島に
私はあした行きます。


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希望とは予定があること。
たばこをくわえるのは
火をつける仕事があるからだ。
段取りを持つこと。
命は連鎖の中にある。
今日のマーボー豆腐の卵は双卵だった
「何か嬉しいですね」と彼女が言う。
「無精卵でも双子はできるの?」とわたしは言いながら
何の当てもないのに希望の時間があった。


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白化したサンゴの林の中で
母たちは目覚める
命は毎日やり直せる
だめでもあの世がある


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石よりも木がいい
アスファルトよりあぜ道がいい
大理石のテーブルはしみがつかない
思い出すものがない
思い出は削ってはいけない
拭きこんでこそ思い出


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海の民は海のものを
山の民は山のものを食べてきた
わたしは「心」でつくられている


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わたしが読書遍歴70年のなかで、最後に思い出す本は、
モーパッサンの『真珠の首飾り』とオー・ヘンリーの『最後の一葉』である。
どちらもテーマは「嘘」のかなしみである。

絵でいえば、ダリの「だまし絵」の美しさか。被爆地ヒロシマが生んだサダコの折鶴神話がある。
千羽折ったら病気が治るというのはどこから来たのか。
薬を包んだ四角の紙を手遊びに鶴を折りながら、
千服飲むころには病気が治るかもしれないと、昔の人は思い続けたのだろう。
しかし、サダコの話が嘘の悲しみの旋律をもたず まことしやかな美談になったのは罪深いことである。
真実のない嘘は美しくない。「詩」と「真実」のない「嘘」は語るな。ましてや涙を流すな。
そこから平和は生まれない。



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気まぐれな天気予報士がいたら
もしかすると異常気象と気があって
ぴたりと当ったりするかもしれない。

近頃見なくなったもの--
テルテル坊主と一本足の案山子
そしてわたしの存在。
変調のはげしさに
自分で自分についていけない。
ガダルカナルの生き物たちは
浜辺の砂に食べ物を埋めておく。
わたしは食べ残りを毎日腐らせてしまう。

ムダなことばかりさせて…
もうほかに、
ムダなことはありませんか。



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希望はささやくが
絶望はつぶやくことしかできない。
でも甘いささやきに眠らされるよりも
絶望に耳をすませよう。
暗い朝にも目覚めはある。
思い込みの強さは
根拠の弱さと逆比例する。
とりあえず息を吸い込もう。



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わたしは声が出ないことに
不便を感じたことはない。
コトバが補ってくれるから。
無音のコトバはとても好きだ。
他者のことを気にしなくてもいいからだ。
語ることの楽しさは声をなくして深まった。
声はいったいなんだったのか。
音であることはたしかだ。
笑い袋の声。無機質な音。雑音。
魂の音がコトダマだったのだ。
だから音をなくして耳を傾ける。
コトバが聞こえてくる。
虫の声、鳥の声のように。



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人は死ぬと鬼神になるという。
とてもやさしくておどけているのが鬼である。
人はふと街角や旅先で
そんな鬼に出会って慰められる。
鬼神の哭く夕暮れは淋しいか?
あかごたちは泣きながら眠ってきた。
仮面の下でいつも泣いている鬼のように。
風が吹くと鬼は風に吹かれるふりをする。
さも軽々と命をもて遊ぶ
終わらない夕暮れのコマ回し。
だからわたしも隠れ続ける。
祭りのように淋しい神かくし。



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人は死んだあと価値がわかる
一丈四方の住居は茶室のように
清められた空間であっただろう。
そこは宇宙船のコックピットのように
星空のさなかにあり
流れる星の音さえ聞こえていた。
何を考えてもいいし、
何を考えなくてもいいし、
考える人間の胡散臭さをひとり
引き受けることも自由だった。
こんな自由を手に入れるためには
「方丈」の人にならなければならない。
身の丈いっぱいのいほりのなかで
身の丈いっぱいのしぐさをしながら
身のほど知らずに思考する自由を
盗みとる。



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人は死んだあと価値がわかる
ヘルパーさんは帰ったあと価値がわかる
わたしは「孤老」になって
ヘルパー制度に助けられいる。
制度がなかったら、
ケンカイコロウの性格は
悪化の道をたどりどうなっていたか
鬼ババになるか
はたまた山姥になるか


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「足るを知る」前に不足の正体を
「なぜお前はそうなんだ?」とつきつめる。
少しずつ敗北していくことの妥協。
そして枯れ木のシンプルさに憧れる。
枯れ木が生きているのは、
枯れ木が枯れ木の命の原理にしたがっているからだ。
シンプルであることが基本型であること。
世間にかかわらず、
ホントウの礼儀作法にかなった
美しいあり方かもしれない。



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わたしは「憧れ」があるかぎり、
人を殺したりしないだろう。
雲をつかみつぶそうとしないように。
手の届かないはるかなところに大好きなものがある―
ということは好きなことを手に入れることよりも
はるかに幸運なことではないか。
目に見えるものしか信じないときは絶望を繰り返す。
でも憧れに裏切られることはない。
Longing ヤマト言葉でアクガレ。



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