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■男女共同参画的 + わんこ by 平・和(女性史研究者) |
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| 08.09.18 「男女共同参画」という言葉 08.10.27 原点に立ち返る 09.01.10 2009年も“せいぜい”男女共同参画視点に磨きをかけて 09.02.16 ある犬好き男性の犯罪と「ジェンダー」 09.04.02 「がんばれ 日本一!」の妻の声かけ 09.06.01 男女共同参画週間と厚生労働省分割案 09.08.01 なぜ宇宙を目指すのかな? 09.09.28 メディアの中のジェンダー・バイアス 09.12.28 男女共同参画社会基本法制定から10年たっても… |
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| 男女共同参画社会基本法制定から10年たっても… 2009.12.28 | ||||||||||||||||||||||||||
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それにしても相変わらずのCMの古さよ(怒!) 12月に出された最新の男女共同参画に関する世論調査では、若者(特に30代)に、「必ずしも結婚しなくてもよい」が6割(全体では4割強)に達し、「仕事と家庭の両立のため国が支援すべき」が5割を越え、「夫婦の役割」に関して、家事を「同等に担うべき」が半数、生活費を稼ぐのも3分の一が「同等に」という結果がでたそうです(関連して詳細は、朝日新聞定期意識調査結果参照 2009,12,27)。そして、90年代から持ち越されてきた「選択的夫婦別姓」については、49%が賛成(反対43%)となった(ただし、賛成しても自分は同姓派が74%)。 その、夫婦別姓法案。法務大臣になられた千葉景子さんが就任会見をされた、あのアツーイ夏の深夜の発言を、わたしは忘れない。言葉通りなら、年明けの通常国会で法案として上程されるはずでしたが、どうなるでしょう(先送り?)。世論調査でも、ここ数年拮抗はしているけど、過半数が賛成している別姓。 ああ、それなのに、冒頭掲げたCMでは、会社の上司が部下の女性にこう言うのです。「タカイ(高い)クン、彼(ヤスイ(安い))と結婚しろ」。次の場面で、白いウエディングにモーニング姿の二人。彼らは結婚して、彼女の名刺には、「安い(旧姓高い)」と書かれ、上司は「高い→安いへ、これでよし」とご満悦というもの(=住宅建築料金を安価にするとの意)・・・・怒! 夫婦別姓法案も男女共同参画世論調査もどこ吹く風、政権が交代しようが、世界にチェンジの嵐が吹きまくろうが、相も変わらないジェンダー固定的なCM制作業界に、今年最後の怒り爆発!でした・・・どうぞ商売がうまくいくためにも、男女共同参画世論調査のおベンキョウでもしてくださいませ。 名前とジェンダー 親の願いが凝縮して表れるのが、子どもの名前ですよね。生命保険会社の調査によると、2008年誕生の赤ちゃんにつけられた名前の1位は、男の子が大翔(ひろと)、女の子が陽菜(ひな)ちゃんとなったそうです。漢字で最も多く使われたのは、男子が「太」で、女子が「美」「葵」だそうです。やっぱり、男の子には、大きい・飛翔・太い、といった「らしさ」が込められ、女の子には、美しい・優しい・愛するといったイメージが多いようで、依然として「男はこう/女はこう」というジェンダー意識が健在であることを感じます。 名前を女性史的に眺めてみると、戦前の新聞(例えば、1940年の第1回「10人以上の子宝表彰」で報じられた夫婦の名前一覧―=明治生まれの人々)では、男性名は漢字ですが、女性はほとんど、ひらがな2文字となっています。しかも、多産を苦にして、「この子で打ち止めにしたい!」という思いが表れているように、「とめ」という女性名があちこちに見られます(苦笑)。
大正期になると、都市の中産階級の中で、女の子に「子」をつけるようになります。日中戦争に突入すると、男子に、勝利・征男・紘一(八紘一宇)、女の子に、勝子が流行り、特に
さて、戦後です。昭和30年代(1955−)は、男の1位は、誠/女子は、恵子 時代と共に、男女の名前の流行り廃りはめまぐるしいものがありますが、それでも男女それぞれに振り分けられた「ジェンダー」観は、昭和から平成の世になっても変化がないようです。が、一方でわたしが勤めている女子大の学生たちの名簿を眺めると、ジェンダー・ニュートラルな名前も少しですが存在感を増しているように思います。 年が明けると2010年。「性別にかかわりなく」個人が可能性を発揮できるようにとうたった男女共同参画基本法ができて10年が過ぎました。そろそろ、同法の理念がジワーっと根づいてもいい時期ですよね。2010年に生まれる子どもたちには、どのような名前がつけられることでしょうか? 新しい年も、ひろしま女性学研究所と男女共同参画コラムをよろしく! |
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| メディアの中のジェンダー・バイアス 2009.09.28 | ||||||||||||||||||||||||||
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政権交代によって政治の風景が、がらりと変わりましたね。 「押尾事件」と「酒井事件」長い旧政権が当たり前のようにやってきた慣行が見直され、政・官・財のユルーイもたれあいに緊急関係が生まれて、一気にスリリングな磁場となりました。この揺らぎを、わたしは、ちょっとわくわくしながら見守っています。 |
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| なぜ宇宙をめざすのかな? 2009.08.01 | ||||||||||||||||||||||||||
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七月の終わりの皆既日食。何かすごいフィーバーぶりでしたね。 当日は悪天候で、もっとも長く観測できる鹿児島の南の島へ集合した「日食ハンター」たちが、予定時間に出た緊急避難勧告により、クモの子を散らすように小学校へ逃げ込むのとは対照的に、豪雨の東京の空に一瞬できた空き間から、日食がありありと観測でき、道行く人たちが足を止めて、「ほうっ!」と、見上げる皮肉さよ。 この宇宙について、日本語の魔術師のような・アーサー・ビナードさんが、新聞コラムでステキな詩を紹介していました。NASAに代表される宇宙開発事業に、いつも漠然と疑問を持ってきたわたくしメとしては、うふっと共感。地下の種や幼虫たちにとって、地上へ飛び出すことは、自ら宇宙へ飛び出すことなのでしょう。宇宙と聞くと、国境、性別、信条を瞬く間に越えて、みなさん等しく「夢の実現」なんて思考回路で繋がってしまいがちですが、天文学的お金を費やして、いったい何をしようとしているのか?(まさかスターウォーズへの転用はないですよね?)−こんなクールな視点もどこかに必要かと、改めて自らに問い直すステキな詩。解説がまた、ステキ。 ・・・・ 『詩のジャングルジム』アーサー・ビナード・木坂涼(選・共訳) 朝日新聞2008,3,26夕刊 発射 マーシー・ハンス 人工の炎の/百万の羽ばたきで/ロケットは空にトンネルを空け 天を突き抜けていった。 みんなが大喜びして/どっと歓声があがった。 神のたった一つの/思いに動かされて/種は芽を出し 土中の闇を押し進んだ。 地面の重い天井を突き破り/自分を宇宙へ/発射させた。 だれひとり/拍手する者は/いなかった。 □ □ □ ―宇宙に行ってみたいと、あまり思わない。もちろん興味はあるが、ぼくら人間が宇宙へ出かけて何が得られるかといえば、下痢と不眠と免疫力の低下。長期滞在すれば、筋肉が衰え、骨もすかすかになる。豊かな地球にいて、たくさんの動植物の仲間に囲まれながら、宇宙をじっと眺めていることに気がつく。ここも、宇宙なのだ。 (“Fueled” Marcie Hanse:Serve Me A Slice of Moon:1965,Harcourt) 自明の「宇宙(天)」を突き抜ける―男女共同参画の実践 今あるわたしたちにとって、未知なる世界を宇宙とすると、アーサー・ビナードさんの指摘するように「宇宙」は、私たちの周りのそこかしこに存在しますよね。 ここに面白い一冊があります。近世(16,17,18世紀)のヨーロッパにおける「異性装」を、詳細なデータに基づいてたどった『兵士になった女性たち』(2007年法政大学出版会)という本です。中下層民の女たち・男たちには、「娼婦になるか/兵士になるか」という選択肢しかなかった時代、とくに働く機会が男性よりずっと少なく賃金も低かった女性たち、さらに新天地を求めて渡航するにも制限があった女性たちが、「ジェンダーの壁」を打ち破るために搾り出した手段が、「男になる」ということ。 つまり、男装するという戦略です。ヨーロッパ諸国が競って世界へ漕ぎ出した時代は、水夫、兵士などの男性雇用が増大した時代。そこへ、男装することによって初めて、女性に閉ざされていた「領域」へ参入が可能となったということ。また、東インドまでの長旅を、女性にとっての危険性を避けるためにも、男装が適していたという理由もあります。(まんまと兵士となり、長くそれを続けるために偽装結婚(妻を持つ夫として振舞った)まで行ったオランダ共和国のマリア・アントウエルペンは、男装によって「周りから立派に見られること」=男であることの社会的優位性を体験できたと言っていて、面白い)。 この男装の伝統は19世紀に入ったとたん消えて、忘れ去られてしまいます。それまで男女関係は基本的に上下関係であったのが、近代に始まった性別役割(ジェンダー・ロール)によって、相補的な関係に変わったことが要因となるのです。つまり、男女は並び立ち、それぞれが領域(男は仕事/女は家庭)を分け合うことによって、もはや女性が「男性になる」ことが、その地位を高めることにはならなくなった、というのです。 生き延びるための苦肉の策として、女性が男装する(ジェンダーを変える)という時代から、相互補完的ジェンダーの固定化を自明とした20世紀を過ぎ、そして21世紀の現在、ありのままの自分で(ジェンダーを変えないで)、多様な生き方を保障しようとする時代に生きていることを喜びたいと思います。それは20世紀の終わり、第2波フェミニズムが「女であること/男であること」を、史上初めて、疑ったことから獲得できた新たな知であります。生物学決定論に対して社会的性(ジェンダー)があることを発見したという人類の体験は、「天井を突き破り/自分を/宇宙へ発射させた」と同じくらいの快挙ではないでしょうか。誰も拍手をしてくれなくても。 |
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| 6月に思う―男女共同参画週間と厚生労働省分割案 | ||||||||||||||||||||||||||
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ついこの前、2009年が明けたと思っていたら、もう半年過ぎたのね(涙)。 男女共同参画週間って が、今回、麻生総理が思いつきのような形で出され、あっという間に立ち消えになった厚生労働省の分割案。二分割された一方の「国民生活省」に、男女共同参画局も移されるという構想で、これは内外の反対で急速にしぼみ、ひとまず胸を撫で下ろしましたが、ちょっと、ぎくりとしました。相変わらず、基本法を目の敵にして、隙あらば無きものに、それは出来なくとも骨抜きにして、「正しい男女共同参画(=男女の役割分担を生かして協力するの意)」にしようとする勢力はご健在ですから。彼ら/彼女らは、タカ派政権が生まれると息を吹き返し、お元気になられます(苦笑)。 この分割案に、最も敏速に対応したのは、私の知るところでは、全国地域婦人団体連絡協議会(地婦連)さんでした。構想がマスコミに報じられると、間髪を入れず、会長名で麻生総理へ、「くれぐれも慎重に」という要望書を提出されました。「基本法」に則れば、男女共同参画社会の実現は「我が国最重要課題」のはず、だから、各省庁を横断して全てをみわたせる内閣府直属担となっている、また担当も特命大臣として、各大臣への勧告権、調整などの特権を持っているのに、省庁の一つとなってはその力が発揮できない、との主張です。ごもっとも。 そして、担当の内閣府の男女共同参画局は、地道ながらもそれなりに良くやっておられるように思います。現在の大臣は、少子化担当と兼務の小渕優子さん。国の取り組みや姿勢を確認したい方は、ぜひ男女共同参画局のホームページを覗いて見てください。定期的に最新情報を欲しい方は、メールマガジンを申し込むことが出来ますよ。二週間に一度、金曜日に届くので煩わしくもありません。登録は簡単、もちろん無料。http://www.gender.go.jp わたしが最もスゴイな!ーと毎回、その内容の充実ぶりに感嘆しつつ拝読したのは2005年から2006年にかけてのメルマガ。名取はにわさんが局長の時代です。担当者が持ちまわり制で、自分のコメントなどを寄稿して楽しく拝読しました。圧巻なのは、分析官(女性)が、世界中の最新データをもとに、女性の労働環境と生活、ワークライフバランスなどを様々な角度から客観的に分析したもの。これはシリーズで連載されて、目からうろこのデータに毎回、感嘆とともに勉強させていただいたものです。 その後、男女共同参画には冷たい(?)(=というよりバッシング派に親和的な)安倍内閣になると、メルマガは短縮され、通り一遍の形式的なものに様変わりしました。担当は、沖縄「開発」のことまで兼務させられた高市早苗さんでしたから(涙滂沱)。参画局のメルマガに、ビミョーに影響するその時々の首相(内閣)のジェンダー姿勢。 それにしても大学生の認知度は で、2005年末に特命担当大臣になられた猪口邦子さん(任命したのは小泉サン=彼は男女共同参画の内容を知らないまま、猪口さんタイプの優秀で可愛い女性がお好きなのでだと思うよ、きっと)。が、猪口さんは、ただのぶりっ子ではなかった。当時巻き起こっていた凄まじいバックラッシュの嵐をよけつつ、何とかまとめられた「基本計画U」で、「ジェンダー」用語に長い注を2つもつけて、この文言を「死守」されたのです。 だから、「大事に育てよう。このジェンダー概念に込められている本質を!」と、不肖、わたしくめも思って、この4月に担当した女子大の学生に聞きました。「男女共同参画」という言葉を知っていますか?って。そしたら、90人の2クラスどちらも、「全く知らない」が、1割。大半は「聞いたことはあるが意味は知らない」。2005年に猪口さん、この男女共同参画の認知度を2030年までに百パーセントにすると高らかに宣言されたのですが(涙)。まっ道半ば、これから、みんなで頑張りましょう。 ちなみに、今時の大学生がアンケートで挙げる歴史上の女性名は、卑弥呼・紫式部・与謝野晶子・平塚らいてう・樋口一葉ときて、篤姫もランクインしました(みなさん、漢字で正しく書けるのね。その場で電子辞書引いているから)。が、太平洋戦争の開始と終わりが正しく書けたのは一人もありませんでした。女性参政権の獲得に至っては、「18世紀?」「大正の頃?」というお答えもしばしば(涙滂沱)。−まっ、仕方ないか。 |
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| 「がんばれ 日本一!」の妻の声かけ 2009.04.02 | ||||||||||||||||||||||||||
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ジェンダー・ロールの怖さ 「大丈夫、大丈夫、がんばれ 日本一!」 ホントは怖いー臆病なオトコたち 先日、拉致された田口さんのご家族の会見の席に、同席している中川さんが映し出されていました。―大臣を辞任されて1ヶ月。ぬけぬけと、と思ったのはわたしだけでしょうか。やはり、政治家、もろいようで実は、図太いのかモ。 |
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| ある犬好き男性の犯罪と「ジェンダー」 09.02.16 | ||||||||||||||||||||||||||
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グローバル規模での新自由主義の波が、容赦ない「貧困と格差」を生み出し人々を分断している昨今。殺伐とした時代を映し出すかのように、日本でも背筋が凍りつくような事件が後を絶ちませんね。なかでも、わたしが未だに引っかかっているのが、元厚生省事務次官とそのご家族への連続殺傷事件です。 犯人は、シングルの中年男性。動機として子どもの頃飼っていた犬を保健所で処分されたことをあげているそうですが、それと高級官僚への敵意に大きな飛躍があるので、みんな首を傾げるばかり。が、わたしは、「いい思いをしてきた官僚とその共犯者の妻」という犯人の弁に、ドキッとしました。偶然かもしれませんが、襲われた元官僚の2人は、厚生省でともに1985年の国民年金法「改正」を中心になって行われた方だったからです。 1985年という年 1985年という年は、国連女性の十年の最終年にあたり、日本は女子差別撤廃条約に批准。男女雇用機会均等法を制定した年として、現代史年表に記憶される年となりました。が、同時に、労働者派遣法と、国民年金法改正による第3号被保険者制度(年収130万円以下の基礎年金控除)が成立した年でもあります。翌年には、所得税の配偶者控除も決定(2004年に特別控除の一部廃止)。雇用における男女「平等」の法律と同時に、「男性=主たる稼ぎ主世帯」を優遇するような、一見相反する法律ができたことを、わたしたちはシビアに見る必要があります。それも、世界は既に「両立支援」型に舵を切った80年代において。 実は、この事件を報じるテレビが、年金改定時の国会答弁の録画を流すので、わたしも被害にあわれた事務次官のお2人がこのときの担当者であったことを知ったのです(!)。VTRのなかで担当者は、所得のない人(主婦)に税負担をさせられないことと、サラリーマンの妻の老後保障の観点から答弁されていました。当時の状況から、主観的には「善意」の発想だったことは分かりますが、これによって、女性たちの周辺労働化(「103万円以内」の働き方)、低賃金と「女性の足場は家庭」というジェンダー・ロールの固定化に「貢献」した面も見過ごしてはならないと思うのです。また、女性たちに無用の分断を持ち込むことにも(涙)。 それに、やはり自営業も含めて働く女性(男性)、共働き家庭から見ると、不公平感がぬぐいがたくあります(第三号保険料は、20歳以上の学生も含めて第二号が全員で負担している。ちなみに、ワタクシメも非常勤の掛け持ちで年収は限度額を少々上回り、社会保険も含めてぜーんぶ払っておりまする。ので、実質収入は、ほどほど働いて無税の人より少ないかもね。涙)。さらに、世代間格差と階層格差が広がる現在、「専業主婦」=セレブリティな少数女性たちというイメージがつくられ、若者男性(特に、非正規雇用)の中に、彼女たちの分まで、経済的基盤が脆弱な自分たちが負担しているという不公平感が蔓延しているように感じます。 が、実際は、「高収入夫+専業主婦」の組み合わせは90年代までで、雇用機会均等法世代が多くを占めるようになってきた現在は、「高収入正規雇用夫+正規雇用の妻」のカップリングが増えている(したがって、逆の組み合わせによる共働きも増えている)のですがねえ。もしかして、例の元官僚を襲った彼の心の奥底に、この「格差」へのもやもやとした思いが潜んでいたのでは?−これは、深読みしすぎでしょうか(彼は、事務次官の妻を「共犯者」と表現したのです)。 同様に、少子化対策担当大臣の小渕優子さんが、出産・育児支援に国庫負担金の増額を主張されたことに反発するネット上の書き込みにも共通する傾向がみられます。「こんなに俺たち大変なのに、何で、遊んでいる主婦に金をかけるのだ?」という、若者男性たちの苛立ちです。もちろん、その苛立ちが犯罪に結びつくことはごく稀でしょうが、その矛先が社会的矛盾にではなく、人々を分断し、個人へ向けられることの不当性と、悲しさよ。 ジェンダー・ニュートラルな制度を 上記のゲンジツを見ると、赤川学さんが、『子どもが減って何が悪いか!』(ちくま新書2004)ので、「健康で文化的な最低限度の生活」を保障する基礎控除を主婦に適応するため、また所得のない者から定額保険料を取れないので、これは「専業主婦優遇策ではない」とおっしゃっているのは、当たらない。多様な家族、ライフ・スタイルが広がる現在、「男は仕事/女は家庭」のサラリーマン世帯をモデルとしたジェンダー・レジーム制度がうまく機能しなくなっている。世帯別から個人別の年金・税制度に転換し、社会的弱者にはセイフティーネットで相互の助け合いを張り巡らせるという方向転換が必要だと思うのです(ただし、彼も現行の税制・社会保障制度の改革の必要を認めているし、男女共同参画は少子化対策とは違うという点は大賛成!)。 ここで誤解のないように。男女共同参画は、「専業主婦(夫)」的生き方が良くないとか、みんな「共稼ぎ夫婦」になりましょうとか、「男も家事・育児をすれば○」とか言っているのではないのです。まして、「結婚して子どもを産みましょう!」的な、かつて経験した「産めよ殖やせよ」でもありません。カップルをつくろうが、シングルでいようが、子どもを産んでも、産まなくても、一人ひとりが自由に選択できる生き方の幅を保障し、それらに中立的(特にジェンダー・ニュートラル)に作用する制度・政策の必要性をいっているのです。 やっぱり「母性神話」は健在なのね・・・ああ、オトコたちの思い込み 先月号で、瀬戸内寂聴さんのテレビ番組での発言が「母性神話」に満ち満ちている旨を、「瀬戸内さん、あなたもね・・・(涙)」という思いで書かせていただきましたが、やっぱ男性にも(こそ?)、この思い込みは深いのですね。ノンフィクション作家の柳田邦夫さんの新聞連載コラムを読んでいたら、「最近目にした、ぞっとする風景」という文脈で、病院の待合室で目にした母親たちの姿を書いておられました(新聞記事を切り取ったのですが、机の書類の山にまぎれて日付が確認できません。確か『朝日新聞』09年1月の記事だと・・ゴメンナサイ)。 子どもにおっぱいを飲ませながら、携帯メールをしている彼女らに、「授乳とはホンライ、母親と子どもが目を合わせながらすべき愛情に満ちた行為であったのに、これでは子どもが育たない、世も末じゃ」というニュアンスで、わたしはこれに仰天しました。 この手の発言は、自らは一度も赤ちゃんのオムツも替えたこともないような中高年男性に共通の傾向みたい。育児や「母性」のゲンジツの姿を離れて、自らが描く高尚なものに飛翔させる。逆に、育児支援の乏しい時代、ほぼ孤立無援の中で家事や仕事もこなしながらけたたましい日常を生きてきた女性たちは、老いも若きも、この男たちの幻想を、苦笑とともに一蹴してしまうことでしょう。かく言うわたしだって、その辺に転がっている哺乳瓶にミルクを入れて、「ほれっ」と片方の手で娘に与えつつ、片手でワープロ打ってきました。が、娘は、別段いわゆる「ゲーム脳」といわれるような「非人間的」でもなく、「人の痛みが分かる」大人になりました。歴史的に見ても、高度成長期までの女性たちは、常に農作業や家事(水汲み、洗濯、風呂焚きも重労働)に追われ、授乳している間も次の段取りを考えたり、あるいはちょっと居眠りしたもンです。 もちろん、子どもがニッコリ笑う、その寝顔に至福を感じる瞬間もあることも充分しっているのも女性たち。これを、その任を担っていないゆえに味合う機を逃してきた男性にも提供する大切さを男女共同参画は一貫していってきたのですよ。息子さんの痛ましい自殺という体験から『犠牲(サクリファイス)我が息子脳死の11日』を書かれ、「命」について、深い考察をされている柳田さんのお仕事に注目してきただけに、ちょっと残念な気がしました。 今回も硬い文章になってしまいました。愚犬・テラの写真に免じておゆるしを。 ヒラリー・クリントンさんが来日される日の朝に |
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| ジェンダー二分法を超えて 09.01.10 | ||||||||||||||||||||||||||
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あるがままのツヨシ(♀) |
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| 原点に立ち返る−スリリングな体験(大汗) 08.10.27 | ||||||||||||||||||||||||||
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「男女共同参画」以前の「女性政策」 |
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| 「男女共同参画」という言葉 あまり評判がよくないようですが… 080918 | ||||||||||||||||||||||||||
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| 「男女共同参画」という言葉は、あまり評判がよくないようですね。国が初めて(総理府本府組織令1994年)、「男女共同参画」というコトバを使うようになって、14年。「男女共同参画社会基本法」(1999年)が出来て、9年。青色の“サプライズ・ドレス”で小泉内閣へ参画した猪口邦子さんが、山谷えり子さんたちの「ジェンダー・フリーバッシング」の嵐をかいくぐってまとめた「行動計画U」(2005年)で、「男女共同参画」の周知を百パーセントにする(2020年までに)、と高らかに(?)うたってから、3年。 ―たとえば、わたしが聞く声のうち、一般の人たちは、「漢字ばかりで、難しそう。堅苦しそう」「△って?」「サンガって読むんだと思ってましたっ!」などなど・・・。フェミニストは、「ちょっと胡散臭い」「ズバリ、男女平等でヨイのです」、と。特に女性史の仲間からは「国策に乗って戦争に加担した先輩たちの歴史を、ゆめゆめ忘れてはなりませぬ」という警告の声も聞こえてきます。どちらもごもっとも。 もちろん、男女共同参画は英語のジェンダー・イクオリティ(gender equality) を日本語に訳したのですから「男女平等」と表せばよいのですが、わたしは、たとえ官僚的訳語であろうが、ここに込められた歴史的なパラダイムチェンジを大事にしたいと思っています。つまり、「男女平等」「男女同権」といっているだけでは見えなかった性差別の根っこ―「ジェンダー」がつくられるものであるということ(つくり変えられるということ)と、非対称なジェンダー・ロールの配置―への認識が十分反映されている、と思うから。 それは、従来の「女性政策」の常であった「女性を啓発し、社会参加を促す」という発想から離れて、「男女」双方が「それぞれの場」とされてきた性役割を超えて「参画」しあう、という含意の造語なのです。「参加」から、「参画」へ―たった一字ですが、この変化へ込められた「戦略」(=生物学的決定論からの解放)をもっと評価、フル活用すべきだと思っています。 「男女共同参画」も、最近流行の「ワーク・ライフ・バランス」「ダイバーシティ・マネージメント」と同様、新自由主義の新手の作法にすぎない、という批判をする人は多い。確かに、グローバリズムによるコロニアルな世界秩序のなか、資本の労働者への搾取はますますジェンダーレス化(男女を問わない)している。「多様な働き方」は、非正規や派遣といった不安定雇用を正当化するかもしれない。が、同時に、「仕事と生活の調和」は、「仕事人間」になることが「男らしさ」だという縛りから、わが愛する日本男たちを解き放つ可能性も持っている(年間3万人を超える自殺者の多くが男性であるという恐ろしい現実)。 わたしは、どちらかというと外側から正論を掲げて批判するより、どっちへ転ぶか分からないようなスリリングな磁場(政策実践の現場)へ参画して、押したり引いたりする方が大事だと思うタイプです。もちろん、自分の譲れない視点を堅持しつつ(ここがなかなか難しいところ)。現場(自治体の事業や条例作り、審議会、運動)に関わっていくことが同時代へ果たすわたしたちの責任だと考えるから。 法律や制度が出来ても、そこへ「タマシイ」を入れていくのは、歴史の主体としてのわたしたちですものね。女性学・男性学・ジェンダー学の研究者が男女共同参画政策に参画することによって、近年、性的「マイノリティ」とされてきた人々も含めて、「性」の多様性にも配慮した政策がなされつつあるというステキな効果もあります。 −とまあ、今回は「男女共同参画第1話」ということで、ちょっと硬くなってしまいました。次回は、夏にカンドウを与えてくれた北京のオリンピックとパラリンピックから、「スポーツと男女共同参画」について、考えてみたいと思います。それとも、「戦闘と男女共同参画」にしようかな(苦笑)。 (「満州事変」から77年目の9月18日に) |
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