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■男女共同参画的 + わんこ 

                 
                       
by 平・和(女性史研究者)


08.09.18 「男女共同参画」という言葉  
08.10.27 原点に立ち返る  
09.01.10 2009年も“せいぜい”男女共同参画視点に磨きをかけて
09.02.16 ある犬好き男性の犯罪と「ジェンダー」
09.04.02 「がんばれ 日本一!」の妻の声かけ
09.06.01 男女共同参画週間と厚生労働省分割案
09.08.01 なぜ宇宙を目指すのかな?
09.09.28 メディアの中のジェンダー・バイアス
09.12.28 男女共同参画社会基本法制定から10年たっても…



男女共同参画社会基本法制定から10年たっても…  2009.12.28  
散歩コースの大銀杏の下で、落葉が柔らかいソファーのようです。

それにしても相変わらずのCMの古さよ(怒!) 

テレビを見ていた愚娘・アスナが、思わず怒りの声をあげ、彼氏の「よっしー」があきれて言葉を失ったというコマーシャルがあります。どこかの住宅会社のCMです。わたしも見てのけぞりましたよ。

12月に出された最新の男女共同参画に関する世論調査では、若者(特に30代)に、「必ずしも結婚しなくてもよい」が6割(全体では4割強)に達し、「仕事と家庭の両立のため国が支援すべき」が5割を越え、「夫婦の役割」に関して、家事を「同等に担うべき」が半数、生活費を稼ぐのも3分の一が「同等に」という結果がでたそうです(関連して詳細は、朝日新聞定期意識調査結果参照 2009,12,27)。そして、90年代から持ち越されてきた「選択的夫婦別姓」については、49%が賛成(反対43%)となった(ただし、賛成しても自分は同姓派が74%)。

その、夫婦別姓法案。法務大臣になられた千葉景子さんが就任会見をされた、あのアツーイ夏の深夜の発言を、わたしは忘れない。言葉通りなら、年明けの通常国会で法案として上程されるはずでしたが、どうなるでしょう(先送り?)。世論調査でも、ここ数年拮抗はしているけど、過半数が賛成している別姓。

ああ、それなのに、冒頭掲げたCMでは、会社の上司が部下の女性にこう言うのです。「タカイ(高い)クン、彼(ヤスイ(安い))と結婚しろ」。次の場面で、白いウエディングにモーニング姿の二人。彼らは結婚して、彼女の名刺には、「安い(旧姓高い)」と書かれ、上司は「高い→安いへ、これでよし」とご満悦というもの(=住宅建築料金を安価にするとの意)・・・・怒! 夫婦別姓法案も男女共同参画世論調査もどこ吹く風、政権が交代しようが、世界にチェンジの嵐が吹きまくろうが、相も変わらないジェンダー固定的なCM制作業界に、今年最後の怒り爆発!でした・・・どうぞ商売がうまくいくためにも、男女共同参画世論調査のおベンキョウでもしてくださいませ。

名前とジェンダー

親の願いが凝縮して表れるのが、子どもの名前ですよね。生命保険会社の調査によると、2008年誕生の赤ちゃんにつけられた名前の1位は、男の子が大翔(ひろと)、女の子が陽菜(ひな)ちゃんとなったそうです。漢字で最も多く使われたのは、男子が「太」で、女子が「美」「葵」だそうです。やっぱり、男の子には、大きい・飛翔・太い、といった「らしさ」が込められ、女の子には、美しい・優しい・愛するといったイメージが多いようで、依然として「男はこう/女はこう」というジェンダー意識が健在であることを感じます。

名前を女性史的に眺めてみると、戦前の新聞(例えば、1940年の第1回「10人以上の子宝表彰」で報じられた夫婦の名前一覧―=明治生まれの人々)では、男性名は漢字ですが、女性はほとんど、ひらがな2文字となっています。しかも、多産を苦にして、「この子で打ち止めにしたい!」という思いが表れているように、「とめ」という女性名があちこちに見られます(苦笑)。

大正期になると、都市の中産階級の中で、女の子に「子」をつけるようになります。日中戦争に突入すると、男子に、勝利・征男・紘一(八紘一宇)、女の子に、勝子が流行り、特に
「紀元2600年」を祝った1940年生まれには、紀代さん、実紀代さん・紀夫さんなどのネーミングが見られます。名前も歴史を反映するものですね。

さて、戦後です。昭和30年代(1955−)は、男の1位は、誠/女子は、恵子
昭和40年代(1965−)は、男 大輔/女子は「子」離れがスタート

昭和末〜平成(1980年代)は、翔太・拓也・健太/愛・美咲平成1桁(1990年代)は、大輝/ひらがな(さくら)が多くなる

時代と共に、男女の名前の流行り廃りはめまぐるしいものがありますが、それでも男女それぞれに振り分けられた「ジェンダー」観は、昭和から平成の世になっても変化がないようです。が、一方でわたしが勤めている女子大の学生たちの名簿を眺めると、ジェンダー・ニュートラルな名前も少しですが存在感を増しているように思います。

年が明けると2010年。「性別にかかわりなく」個人が可能性を発揮できるようにとうたった男女共同参画基本法ができて10年が過ぎました。そろそろ、同法の理念がジワーっと根づいてもいい時期ですよね。2010年に生まれる子どもたちには、どのような名前がつけられることでしょうか?

新しい年も、ひろしま女性学研究所と男女共同参画コラムをよろしく!



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メディアの中のジェンダー・バイアス  2009.09.28  
丹那盆地に咲き乱れるコスモスと、テラのお尻の秋深し

政権交代によって政治の風景が、がらりと変わりましたね。

「押尾事件」と「酒井事件」

長い旧政権が当たり前のようにやってきた慣行が見直され、政・官・財のユルーイもたれあいに緊急関係が生まれて、一気にスリリングな磁場となりました。この揺らぎを、わたしは、ちょっとわくわくしながら見守っています。

ああ、それなのに、このまたとない歴史的転換期に、その変化を最も近くでウオッチしているはずのメディアが、全く従来の体質であることに辟易しています。

例えば、深夜の新閣僚の記者会見のとき。平野官房長官、管直人さん…と、司会がストップをかけるほど矢継ぎ早に質問が浴びせられたのに、女性閣僚(福島みずほさん・千葉景子さん)の番になると一転して水を打ったような静けさ。お二人とも、積年の課題(選択的夫婦別姓や女性差別撤廃条約の選択議定書の締結・人権救済機関設置など)について言及され、おおっ!と聞き耳立てていた者から見ると、記者たちの拍子抜けするほどの無反応さよ(涙滂沱)。会場には女性記者も多くいたのに、ジェンダー視点は持ち合わせいないようね。と、いうより、男性記者も含めて、勉強不足の一言に尽きる(ブツブツ…)。

マスコミの旧態然の極めつけは、この暑い夏の選挙中、ある意味で選挙よりず〜と多く流され続けた某女性タレントと男性俳優の薬物事件。両者の報道のされ方に明らかにジェンダー・ギャップがあることが気がかりでした。このことについて、朝日新聞の「フォーカス・オン」で竹田さをり記者が、押尾報道は酒井報道の4分の1以下(「間メディア社会研究会」調査による)であることを指摘していました。人一人の命が失われていることの重大さを考えれば、「押尾事件」の方が多くの時間を割かれてしかるべきでは?と、しごくマトモナ感覚の記事。

さらに、TVでの残間里江子さんの次の指摘を紹介していました。「酒井報道が「母親失格」に偏っている」、「部屋が散らかっていたとか詳細な情報が出ている。押尾被告だって父親としてまずいのに、マスコミの方が実社会より保守的だから女性に厳しい」(「ワイド・スクランブル」朝日系)というジェンダー・ニュートラルな視点です。

「オシオ男」に気をつけて

さらにさらに、この記事で竹田さをり記者は、押尾被告のことを、「今どき珍しい「オレ様」」だと位置づけ、「このテの男に惑わされる女性をなくすため」に、「オシオ男」の分析が必要だといいます。少ない報道の中でもTBS系のお昼の番組で「オシオ男に気をつけろ」をテーマにした特集(9月13日)があったことを紹介しています。「彼は権力や財力を持つ人にも好かれる…自信ありげでプレゼン力が高いから「能力あるかも」とオジサンに可愛がられ、ある程度は出世する。が、有言不実行」「夢がでかすぎる、常に上から目線、問題が起きると逃げる」などの特徴を挙げています(大笑い)。

最後は、インターネットサイト「ALL About」の西郷理恵子さんの次の呼びかけで終わっています。このテの男性は「短期的恋愛などにいいが、人生の伴侶には向かない。女性は、自分はオシオ男には性欲を覚えているのであって、恋愛感情ではないことを認識し、早めに関係を切り上げよう」ってね(『朝日新聞』2009,9,21)。その意味では、自分を必要以上に大きく見せようとしない「草食系男子」が増えているのはいいことかもしれません。

―それにしても、今回の女性国会議員の当選者数は54人で、約12%。やっと1割を超えたことになります。女性参政権が実現した敗戦直後の1946年に39人の女性議員が誕生して以来、ほぼ60年かけて微増ということに。この間、女性が政治に参画できにくい状況は変わらず、さらに小選挙区制になってから女性が当選するのはより困難になっています。その状況を勝ち抜いた一人前の女性たちを「○○ガールズ」と呼ぶマスコミの相変わらずの旧態然さ(オヤジ中心主義)よ(苦笑)。



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  なぜ宇宙をめざすのかな?  2009.08.01  
コスモス(宇宙)と、テラの背中。
テラにとっての宇宙は地面の中?


七月の終わりの皆既日食。何かすごいフィーバーぶりでしたね。
当日は悪天候で、もっとも長く観測できる鹿児島の南の島へ集合した「日食ハンター」たちが、予定時間に出た緊急避難勧告により、クモの子を散らすように小学校へ逃げ込むのとは対照的に、豪雨の東京の空に一瞬できた空き間から、日食がありありと観測でき、道行く人たちが足を止めて、「ほうっ!」と、見上げる皮肉さよ。

この宇宙について、日本語の魔術師のような・アーサー・ビナードさんが、新聞コラムでステキな詩を紹介していました。NASAに代表される宇宙開発事業に、いつも漠然と疑問を持ってきたわたくしメとしては、うふっと共感。地下の種や幼虫たちにとって、地上へ飛び出すことは、自ら宇宙へ飛び出すことなのでしょう。宇宙と聞くと、国境、性別、信条を瞬く間に越えて、みなさん等しく「夢の実現」なんて思考回路で繋がってしまいがちですが、天文学的お金を費やして、いったい何をしようとしているのか?(まさかスターウォーズへの転用はないですよね?)−こんなクールな視点もどこかに必要かと、改めて自らに問い直すステキな詩。解説がまた、ステキ。
・・・・
『詩のジャングルジム』アーサー・ビナード・木坂涼(選・共訳) 朝日新聞2008,3,26夕刊
 発射    マーシー・ハンス
 人工の炎の/百万の羽ばたきで/ロケットは空にトンネルを空け
天を突き抜けていった。
みんなが大喜びして/どっと歓声があがった。

神のたった一つの/思いに動かされて/種は芽を出し
土中の闇を押し進んだ。
地面の重い天井を突き破り/自分を宇宙へ/発射させた。
だれひとり/拍手する者は/いなかった。

     □     □     □

―宇宙に行ってみたいと、あまり思わない。もちろん興味はあるが、ぼくら人間が宇宙へ出かけて何が得られるかといえば、下痢と不眠と免疫力の低下。長期滞在すれば、筋肉が衰え、骨もすかすかになる。豊かな地球にいて、たくさんの動植物の仲間に囲まれながら、宇宙をじっと眺めていることに気がつく。ここも、宇宙なのだ。
   (“Fueled” Marcie Hanse:Serve Me A Slice of Moon:1965,Harcourt)

自明の「宇宙(天)」を突き抜ける―男女共同参画の実践

今あるわたしたちにとって、未知なる世界を宇宙とすると、アーサー・ビナードさんの指摘するように「宇宙」は、私たちの周りのそこかしこに存在しますよね。

ここに面白い一冊があります。近世(16,17,18世紀)のヨーロッパにおける「異性装」を、詳細なデータに基づいてたどった『兵士になった女性たち』(2007年法政大学出版会)という本です。中下層民の女たち・男たちには、「娼婦になるか/兵士になるか」という選択肢しかなかった時代、とくに働く機会が男性よりずっと少なく賃金も低かった女性たち、さらに新天地を求めて渡航するにも制限があった女性たちが、「ジェンダーの壁」を打ち破るために搾り出した手段が、「男になる」ということ。

つまり、男装するという戦略です。ヨーロッパ諸国が競って世界へ漕ぎ出した時代は、水夫、兵士などの男性雇用が増大した時代。そこへ、男装することによって初めて、女性に閉ざされていた「領域」へ参入が可能となったということ。また、東インドまでの長旅を、女性にとっての危険性を避けるためにも、男装が適していたという理由もあります。(まんまと兵士となり、長くそれを続けるために偽装結婚(妻を持つ夫として振舞った)まで行ったオランダ共和国のマリア・アントウエルペンは、男装によって「周りから立派に見られること」=男であることの社会的優位性を体験できたと言っていて、面白い)。

この男装の伝統は19世紀に入ったとたん消えて、忘れ去られてしまいます。それまで男女関係は基本的に上下関係であったのが、近代に始まった性別役割(ジェンダー・ロール)によって、相補的な関係に変わったことが要因となるのです。つまり、男女は並び立ち、それぞれが領域(男は仕事/女は家庭)を分け合うことによって、もはや女性が「男性になる」ことが、その地位を高めることにはならなくなった、というのです。


生き延びるための苦肉の策として、女性が男装する(ジェンダーを変える)という時代から、相互補完的ジェンダーの固定化を自明とした20世紀を過ぎ、そして21世紀の現在、ありのままの自分で(ジェンダーを変えないで)、多様な生き方を保障しようとする時代に生きていることを喜びたいと思います。それは20世紀の終わり、第2波フェミニズムが「女であること/男であること」を、史上初めて、疑ったことから獲得できた新たな知であります。生物学決定論に対して社会的性(ジェンダー)があることを発見したという人類の体験は、「天井を突き破り/自分を/宇宙へ発射させた」と同じくらいの快挙ではないでしょうか。誰も拍手をしてくれなくても。           





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6月に思う―男女共同参画週間と厚生労働省分割案
庭のジャスミンの甘い香りに包まれて

ついこの前、2009年が明けたと思っていたら、もう半年過ぎたのね(涙)。
 今年も、あっという間に6月が巡ってきました。6月といえば、梅雨、田植えに蛙、アジサイ…そして23日の沖縄慰霊の日、同日から始まる男女共同参画週間。

男女共同参画週間って

―その由来は、1999年男女共同参画基本法が公布・施行された日を記念してということです。ここで重要なのは、男女が個人として尊重されることと、男女間の格差(ジェンダー・バイアス)を是正することが、「緊要な課題」とされたことですね。しかも、男女共同参画の実現が「我が国社会を決定する最重要課題」と位置づけられたのです(前文)。これを6月に、毎年再確認しましょうーという週間なのですね。

 が、今回、麻生総理が思いつきのような形で出され、あっという間に立ち消えになった厚生労働省の分割案。二分割された一方の「国民生活省」に、男女共同参画局も移されるという構想で、これは内外の反対で急速にしぼみ、ひとまず胸を撫で下ろしましたが、ちょっと、ぎくりとしました。相変わらず、基本法を目の敵にして、隙あらば無きものに、それは出来なくとも骨抜きにして、「正しい男女共同参画(=男女の役割分担を生かして協力するの意)」にしようとする勢力はご健在ですから。彼ら/彼女らは、タカ派政権が生まれると息を吹き返し、お元気になられます(苦笑)。

 この分割案に、最も敏速に対応したのは、私の知るところでは、全国地域婦人団体連絡協議会(地婦連)さんでした。構想がマスコミに報じられると、間髪を入れず、会長名で麻生総理へ、「くれぐれも慎重に」という要望書を提出されました。「基本法」に則れば、男女共同参画社会の実現は「我が国最重要課題」のはず、だから、各省庁を横断して全てをみわたせる内閣府直属担となっている、また担当も特命大臣として、各大臣への勧告権、調整などの特権を持っているのに、省庁の一つとなってはその力が発揮できない、との主張です。ごもっとも。

 そして、担当の内閣府の男女共同参画局は、地道ながらもそれなりに良くやっておられるように思います。現在の大臣は、少子化担当と兼務の小渕優子さん。国の取り組みや姿勢を確認したい方は、ぜひ男女共同参画局のホームページを覗いて見てください。定期的に最新情報を欲しい方は、メールマガジンを申し込むことが出来ますよ。二週間に一度、金曜日に届くので煩わしくもありません。登録は簡単、もちろん無料。http://www.gender.go.jp

 わたしが最もスゴイな!ーと毎回、その内容の充実ぶりに感嘆しつつ拝読したのは2005年から2006年にかけてのメルマガ。名取はにわさんが局長の時代です。担当者が持ちまわり制で、自分のコメントなどを寄稿して楽しく拝読しました。圧巻なのは、分析官(女性)が、世界中の最新データをもとに、女性の労働環境と生活、ワークライフバランスなどを様々な角度から客観的に分析したもの。これはシリーズで連載されて、目からうろこのデータに毎回、感嘆とともに勉強させていただいたものです。

 その後、男女共同参画には冷たい(?)(=というよりバッシング派に親和的な)安倍内閣になると、メルマガは短縮され、通り一遍の形式的なものに様変わりしました。担当は、沖縄「開発」のことまで兼務させられた高市早苗さんでしたから(涙滂沱)。参画局のメルマガに、ビミョーに影響するその時々の首相(内閣)のジェンダー姿勢。

それにしても大学生の認知度は

 で、2005年末に特命担当大臣になられた猪口邦子さん(任命したのは小泉サン=彼は男女共同参画の内容を知らないまま、猪口さんタイプの優秀で可愛い女性がお好きなのでだと思うよ、きっと)。が、猪口さんは、ただのぶりっ子ではなかった。当時巻き起こっていた凄まじいバックラッシュの嵐をよけつつ、何とかまとめられた「基本計画U」で、「ジェンダー」用語に長い注を2つもつけて、この文言を「死守」されたのです。

 だから、「大事に育てよう。このジェンダー概念に込められている本質を!」と、不肖、わたしくめも思って、この4月に担当した女子大の学生に聞きました。「男女共同参画」という言葉を知っていますか?って。そしたら、90人の2クラスどちらも、「全く知らない」が、1割。大半は「聞いたことはあるが意味は知らない」。2005年に猪口さん、この男女共同参画の認知度を2030年までに百パーセントにすると高らかに宣言されたのですが(涙)。まっ道半ば、これから、みんなで頑張りましょう。

 ちなみに、今時の大学生がアンケートで挙げる歴史上の女性名は、卑弥呼・紫式部・与謝野晶子・平塚らいてう・樋口一葉ときて、篤姫もランクインしました(みなさん、漢字で正しく書けるのね。その場で電子辞書引いているから)。が、太平洋戦争の開始と終わりが正しく書けたのは一人もありませんでした。女性参政権の獲得に至っては、「18世紀?」「大正の頃?」というお答えもしばしば(涙滂沱)。−まっ、仕方ないか。




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 「がんばれ 日本一!」の妻の声かけ 2009.04.02
夕方の駿河湾。ボールを追いかけてずぶ濡れのテラ。真冬でもどんどん海へ入って鳥を追いかけで泳ぎますよ。

ジェンダー・ロールの怖さ

いやー、久々にのけぞって、大笑いさせていただきました。―っていうか、本当は、??(疑問の山)、怒り、情けなさ、不審etc…の思いを押さえ込んで、国民は笑うしかないのです(涙)。2月中旬の、アノ中川昭一前財務・金融大臣のG7後の「もうろう会見」ですよ。1ヵ月半以上経ったからって、みなさま、ゆめゆめ忘れてはなりませぬ。

思い出してみてください。ローマでのあの会見シーン。まず、各国記者を前に、「よろしっすか?」で、始まる冒頭に、たまたま傍で見ていたシンマイ教員の娘が、「出来の悪いツッパリ高校生っか?」と突っ込みを入れたので、二人して涙を流す大爆笑となりました。

中川昭一氏といえば、1990年代に旧日本軍の「慰安所」が中学校の歴史教科書に掲載されるようになったことに強く反対し、「新しい歴史教科書をつくる会」などの勢力と結んで「慰安婦は嘘つき」「強制連行の証拠が無い」などの一大キャンペーンを展開してきたことで有名ですし、2001年のHNK「戦争をどう裁くか」シリーズの番組内容に圧力をかけ、内容を改編させた疑いがある政治家でもあります。このとき、圧力をかけたとされるもう一人は、安倍元総理。また、二人とも、山谷えり子さんが熱心に旗を振るジェンダー・フリーバッシングのお仲間でもあります。

この「もうろう会見」と前後して、アメリカ国務大臣となったヒラリー・クリントンが来日し、分刻みの外交パフォーマンスを展開しているのとは対照的に、日本の政治家が無能で危ういことが世界中に宣伝されてしまいました。国益を大いに損ねることをやっていながら、当初は、その事の重大さを認識できなかった中川さんと麻生総理。辞任のつもりもなかったようですが、日本中大ブーイング、大顰蹙の嵐のなか、翌日のワイドショーは、国会へ出勤する夫を家の中から送り出す妻の声をはっきりと伝えました。

「大丈夫、大丈夫、がんばれ 日本一!」

ちょっと気弱な、出来の悪い(息子のような)夫を、叱咤激励する妻。ジェンダー・ロールの典型をみさせていただきました。と、同時に、わたしはこの妻の応援が、怖かったですね。戦争中、夫や息子を戦場へ送り出す母や妻、企業戦士を送り出す妻の姿が重なって・・・・「戦争で女性たちは男性を励ますチアガール」の役割を果した、とされた若桑みどりさんが生きておられたら、何て言われたことでしょう?(若桑『戦争がつくる女性像』ちくま学芸文庫・『戦争とジェンダー』大月書店)入院して、始めてテレビ映像を見て、「自分でも驚いた」という中川さんの退院後の弁に、また笑わせていただきましたよ(涙滂沱)。

ホントは怖いー臆病なオトコたち

この会見について、フェミニスト・心理学者の小倉千加子さんが、週刊誌で中川氏の父・中川一郎氏の怪死に触れつつ、大谷昭宏氏(ジャーナリスト)の言葉を紹介していた。「中山成彬大臣も安倍首相もそうだったように、タカ派と言われる人はとても神経が脆くて、だからタカ派になるのかもしれませんね」って(小倉「お代は見てのお帰りに」『週刊朝日』36日)

正にその通り! 弱さは、過剰防衛、過剰反応から相手への攻撃へとつながっている。首都の某首長さんも、かつて武力による紛争解決に反対した女性国会議員(辻元清美さん)へ、「強姦されても守ってやらんぞ」と、「保護」の対象から外した某議員さんも、そしてトンデモ論文を書かれた田母神元防衛庁長官さんも、言うことはやたら勇ましいが、それは臆病さの裏返し、でしょうね。

そもそも自国の負の歴史に向き合うことを、「自虐」なんて言葉を使うこと自体、悲惨な事実に向き合えない精神の弱さと、知的怠慢、他国の人々への想像力の欠如という傲慢さの紛れも無い現れだと思いますよ。

先日、拉致された田口さんのご家族の会見の席に、同席している中川さんが映し出されていました。―大臣を辞任されて1ヶ月。ぬけぬけと、と思ったのはわたしだけでしょうか。やはり、政治家、もろいようで実は、図太いのかモ。




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   ある犬好き男性の犯罪と「ジェンダー」 09.02.16
庭の紅梅の間から、ボールをくわえて出てきたテラ。足元にボケの花一輪。

グローバル規模での新自由主義の波が、容赦ない「貧困と格差」を生み出し人々を分断している昨今。殺伐とした時代を映し出すかのように、日本でも背筋が凍りつくような事件が後を絶ちませんね。なかでも、わたしが未だに引っかかっているのが、元厚生省事務次官とそのご家族への連続殺傷事件です。

犯人は、シングルの中年男性。動機として子どもの頃飼っていた犬を保健所で処分されたことをあげているそうですが、それと高級官僚への敵意に大きな飛躍があるので、みんな首を傾げるばかり。が、わたしは、「いい思いをしてきた官僚とその共犯者の妻」という犯人の弁に、ドキッとしました。偶然かもしれませんが、襲われた元官僚の2人は、厚生省でともに1985年の国民年金法「改正」を中心になって行われた方だったからです。

1985年という年

1985年という年は、国連女性の十年の最終年にあたり、日本は女子差別撤廃条約に批准。男女雇用機会均等法を制定した年として、現代史年表に記憶される年となりました。が、同時に、労働者派遣法と、国民年金法改正による第3号被保険者制度(年収130万円以下の基礎年金控除)が成立した年でもあります。翌年には、所得税の配偶者控除も決定(2004年に特別控除の一部廃止)。雇用における男女「平等」の法律と同時に、「男性=主たる稼ぎ主世帯」を優遇するような、一見相反する法律ができたことを、わたしたちはシビアに見る必要があります。それも、世界は既に「両立支援」型に舵を切った80年代において。

実は、この事件を報じるテレビが、年金改定時の国会答弁の録画を流すので、わたしも被害にあわれた事務次官のお2人がこのときの担当者であったことを知ったのです(!)。VTRのなかで担当者は、所得のない人(主婦)に税負担をさせられないことと、サラリーマンの妻の老後保障の観点から答弁されていました。当時の状況から、主観的には「善意」の発想だったことは分かりますが、これによって、女性たちの周辺労働化(「103万円以内」の働き方)、低賃金と「女性の足場は家庭」というジェンダー・ロールの固定化に「貢献」した面も見過ごしてはならないと思うのです。また、女性たちに無用の分断を持ち込むことにも(涙)。

それに、やはり自営業も含めて働く女性(男性)、共働き家庭から見ると、不公平感がぬぐいがたくあります(第三号保険料は、20歳以上の学生も含めて第二号が全員で負担している。ちなみに、ワタクシメも非常勤の掛け持ちで年収は限度額を少々上回り、社会保険も含めてぜーんぶ払っておりまする。ので、実質収入は、ほどほど働いて無税の人より少ないかもね。涙)。さらに、世代間格差と階層格差が広がる現在、「専業主婦」=セレブリティな少数女性たちというイメージがつくられ、若者男性(特に、非正規雇用)の中に、彼女たちの分まで、経済的基盤が脆弱な自分たちが負担しているという不公平感が蔓延しているように感じます。

実際は、「高収入夫+専業主婦」の組み合わせは90年代までで、雇用機会均等法世代が多くを占めるようになってきた現在は、「高収入正規雇用夫+正規雇用の妻」のカップリングが増えている(したがって、逆の組み合わせによる共働きも増えている)のですがねえ。もしかして、例の元官僚を襲った彼の心の奥底に、この「格差」へのもやもやとした思いが潜んでいたのでは?−これは、深読みしすぎでしょうか(彼は、事務次官の妻を「共犯者」と表現したのです)。

同様に、少子化対策担当大臣の小渕優子さんが、出産・育児支援に国庫負担金の増額を主張されたことに反発するネット上の書き込みにも共通する傾向がみられます。「こんなに俺たち大変なのに、何で、遊んでいる主婦に金をかけるのだ?」という、若者男性たちの苛立ちです。もちろん、その苛立ちが犯罪に結びつくことはごく稀でしょうが、その矛先が社会的矛盾にではなく、人々を分断し、個人へ向けられることの不当性と、悲しさよ。

ジェンダー・ニュートラルな制度を

上記のゲンジツを見ると、赤川学さんが、『子どもが減って何が悪いか!』(ちくま新書2004ので、「健康で文化的な最低限度の生活」を保障する基礎控除を主婦に適応するため、また所得のない者から定額保険料を取れないので、これは「専業主婦優遇策ではない」とおっしゃっているのは、当たらない。多様な家族、ライフ・スタイルが広がる現在、「男は仕事/女は家庭」のサラリーマン世帯をモデルとしたジェンダー・レジーム制度がうまく機能しなくなっている。世帯別から個人別の年金・税制度に転換し、社会的弱者にはセイフティーネットで相互の助け合いを張り巡らせるという方向転換が必要だと思うのです(ただし、彼も現行の税制・社会保障制度の改革の必要を認めているし、男女共同参画は少子化対策とは違うという点は大賛成!)。

ここで誤解のないように。男女共同参画は、「専業主婦(夫)」的生き方が良くないとか、みんな「共稼ぎ夫婦」になりましょうとか、「男も家事・育児をすれば○」とか言っているのではないのです。まして、「結婚して子どもを産みましょう!」的な、かつて経験した「産めよ殖やせよ」でもありません。カップルをつくろうが、シングルでいようが、子どもを産んでも、産まなくても、一人ひとりが自由に選択できる生き方の幅を保障し、それらに中立的(特にジェンダー・ニュートラル)に作用する制度・政策の必要性をいっているのです。

やっぱり「母性神話」は健在なのね・・・ああ、オトコたちの思い込み

先月号で、瀬戸内寂聴さんのテレビ番組での発言が「母性神話」に満ち満ちている旨を、「瀬戸内さん、あなたもね・・・(涙)」という思いで書かせていただきましたが、やっぱ男性にも(こそ?)、この思い込みは深いのですね。ノンフィクション作家の柳田邦夫さんの新聞連載コラムを読んでいたら、「最近目にした、ぞっとする風景」という文脈で、病院の待合室で目にした母親たちの姿を書いておられました(新聞記事を切り取ったのですが、机の書類の山にまぎれて日付が確認できません確か『朝日新聞』09年1月の記事だと・・ゴメンナサイ)。

子どもにおっぱいを飲ませながら、携帯メールをしている彼女らに、「授乳とはホンライ、母親と子どもが目を合わせながらすべき愛情に満ちた行為であったのに、これでは子どもが育たない、世も末じゃ」というニュアンスで、わたしはこれに仰天しました。

この手の発言は、自らは一度も赤ちゃんのオムツも替えたこともないような中高年男性に共通の傾向みたい。育児や「母性」のゲンジツの姿を離れて、自らが描く高尚なものに飛翔させる。逆に、育児支援の乏しい時代、ほぼ孤立無援の中で家事や仕事もこなしながらけたたましい日常を生きてきた女性たちは、老いも若きも、この男たちの幻想を、苦笑とともに一蹴してしまうことでしょう。かく言うわたしだって、その辺に転がっている哺乳瓶にミルクを入れて、「ほれっ」と片方の手で娘に与えつつ、片手でワープロ打ってきました。が、娘は、別段いわゆる「ゲーム脳」といわれるような「非人間的」でもなく、「人の痛みが分かる」大人になりました。歴史的に見ても、高度成長期までの女性たちは、常に農作業や家事(水汲み、洗濯、風呂焚きも重労働)に追われ、授乳している間も次の段取りを考えたり、あるいはちょっと居眠りしたもンです。

もちろん、子どもがニッコリ笑う、その寝顔に至福を感じる瞬間もあることも充分しっているのも女性たち。これを、その任を担っていないゆえに味合う機を逃してきた男性にも提供する大切さを男女共同参画は一貫していってきたのですよ。息子さんの痛ましい自殺という体験から『犠牲(サクリファイス)我が息子脳死の11日』を書かれ、「命」について、深い考察をされている柳田さんのお仕事に注目してきただけに、ちょっと残念な気がしました。

今回も硬い文章になってしまいました。愚犬・テラの写真に免じておゆるしを。

 ヒラリー・クリントンさんが来日される日の朝に




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   ジェンダー二分法を超えて  09.01.10
12月はじめの、我が家の庭のどうだんツツジとテラです。植え込みの中に、投げたボールを追いかけて走るコースが決まっているので、樹木の下に「テラの小道」が出来ています

あるがままのツヨシ(♀)

心が凍りつくような年末経済の有りようですが、何度思い出しても、そのたびに笑いがこみ上げてくるようなホットな話題のご紹介。

11月の末のこと。夜のHNKニュースを見ていたら、真面目顔のキャスターが「どうしてこんなことになったのでしょう?」と、苦笑しながら伝えたのは、札幌からある動物園へ「婿入り」したツヨシという白熊を巡る「事件」。生まれたときの性の鑑別では「オス」とされていたので、繁殖用として当該動物園へ「婿入り」したのだそうです。が、改めて調査をしてみると実は「メス」だったとか(笑)。メスの熊とじゃれつくので、てっきり「愛の行為」だと期待していたら、「それは単に遊び好きだったのですねー」って(大笑)。

元気溢れるクマとして、当地の子どもたちにもすっかり人気になり、みんな口々に「ツヨシー」「ツヨシー」と呼びかけている。嬉しいのか、お調子者なのか、ツヨシも声援に応えて走り回っている。マイクを向けられた小さな女の子が、「オンナのコだったなんてびっくりですうっ。これからドーするんでしょう?」と妙に大人びたことを言ったのもおかしかったけれど、飼育係の男性が、とまどいつつも消え入るような声でつぶやいた言葉がステキでした。「・・・メスであっても、ツヨシはツヨシです」。至言ですね!

ホッキョクグマを巡る後日談−ジェンダー視点から

数日後、新聞のコラムに、このツヨシを巡る後日談が載っていました。

 「釧路市動物園のホッキョクグマ「ツヨシ」に、秋田県立男鹿水族館の「豪太」が熱い視線を送っている。適齢期なのに独り身のままで、26日に5歳を迎えたばかり。その誕生日の夜、思わぬ朗報が飛び込んだ。水族館の館長が釧路へ電話をかけ、嫁取りの交渉へ。「生まれ年も同じで理想の相手」と館長さん。ちなみに豪太、正真正銘のオスと確認しているという。』(「青鉛筆」『朝日新聞』08,11,27太字筆者)

注目していただきたい文言を太字にしてみました(笑)。動物への擬人法的表現が、ジェンダー的解釈に満ち溢れていることに違和感を持ちませんか? 生命農学の束村博子さんによると、生物学における性とは、有性生殖をおこなうすべての生物にみられる「遺伝学的・生理学的・生物学的にオスあるいはメスであるかという指標」で、ジェンダー研究における性とは、基本的にヒトのみに使われるものである、とのこと(『性差とは何か?−ジェンダー研究と生物学の対話』日本学術会議叢書14 2008)。

一方、ヒトの性には、インターセックスなど多様な性があり、常に男女をすっきりと二分化してしまうわたしたちの思考そのものが問い直しを迫られている現在なのですが・・・。それに、生物学的存在と同時に社会的存在でもあるヒトと動物をごっちゃにして、人間社会のジェンダー規範を動物に当てはめていると、そのうち「オス犬でも女性を守ろうとする」式の珍説を述べるジェンダー・バッシング派の西尾幹二さんなどに丸め込まれてしまいますよ(笑)。それにしても、このツヨシへ、だれからも「名前を変えよう」という声が出てこないって言うのは、やはりステキなことです。うふふふふふ・・・・。

ご存知のように1990年代以降、「ジェンダーの視点」は、人文・社会学のみならず、広く自然科学の分野にも導入されるようになりました。その一つの成果が、先に引用した束村さんたちの論が載っている『性差とは何か』(学術会議叢書14 \1800)です。サブタイトルにずばり、「ジェンダー研究と生物学の対話」と銘打った、生物学、医学、スポーツ科学、法学、技術系など文理融合の成果満載となっていますので、お正月休みにでも一読をお勧めします。

それはないでしょ。瀬戸内さん(涙)

アノ久米宏さんが、毎週水曜日の夜のテレビに戻ってこられましたね。レギュラーコメンテーターに、カン・サンジュンさんが出られるので、けっこう見るようにしています(それにしても、夜の10時といえば、後継指名をされた古館さんのウラ番ですが、よいのですかね?)。

12月の中旬のこと、ゲストは、「源氏物語千年紀」とかで、86歳にしてますます艶やかな瀬戸内寂聴さん。天真爛漫で、お元気なお顔を拝見するだけで、こちらまでニコニコ、エンパワーメントでーす! ところが、番組では、視聴者から瀬戸内さんへの人生相談を受け付けるという企画をし、寄せられた中に、「子どもが可愛く思えません。毎日、やっとの思いで手を上げるのを押さえています」という母親の相談がありました。これに対して瀬戸内さんは、一言。「母親が子どもを可愛く思わないなんて、それはビーョウキです。病院へ行きなさい」。男性たちは何もいえない中、若い女性の司会者が、あわてて「セラピーとか?」と言うと、「そうです。病院へ行きなさい」を、お繰り返しになられる。

女性学では、このような思い込みを「母性愛神話」という。女性史的に言えば、「母性愛が慈愛と献身性に満ち、その絶対性が母性の本質として子どもに対する先天的・本能的な愛情」(『広辞苑』)であると信じられるようになったのは、近代に入ってからのこと。産業化に伴って誕生した、「男は仕事/女は家庭」という近代家族の浸透以降のこととなります。それより以前は、第1次産業中心の社会で、女性も男性と共に生産労働に追われ、「子育て」という概念すら成立しない中、子守は共同体のなかの年上の子どもや老人たちが担ってきました。「母性」という言葉自体、与謝野晶子さんと平塚らいてうさんの間で交わされたホットな議論(「母性保護論争」1917〜18年)で、与謝野さんがMotherhoodを「母性」と訳して近代日本へ輸入した概念です。以後、婦人雑誌で初めて「母性本能」が使用されるようになり(1925年)、女性には生来的に育児に適している「本能」がある、とみんなが信じるようになったのです。もちろん、子どもが可愛い、大切だ、という感情は通歴史的にありますが、それは男女を問わず、産む・産まないに関わらず、多くの人々に共有された心性です。

それより、「母親は子どもが可愛いはず」という思い込みによって、夫や社会からの理解やサポートも無いまま、孤独な育児をしている母親が、自己嫌悪や育児不安、あるいは虐待(逆に子どもへの癒着)への向かう構造をつくりだしていることの方が問題だと思うのです。SOSを発信している彼女に、まず必要だったのは、「アナタは異常ではない」というメッセージではなかったか? 瀬戸内さんの発想には、彼女がどのような中で子育てをしているのか、夫(パートナー、あるいは周囲の人たち)が、彼女をどう支えているのかという視点が欠けていました。それどころか、この発言は、逆に、相談者に非常に酷なものとして届いたのではないかと、その後も気がかりです。
*ただし、もちろん相談者が追い詰められてある種の心の病気に罹っておられる可能性は高いので、心療内科で相談されることも大切だとは思います。)

もし、あの場に、例えば、落合恵子さん、大日向雅美先生、あるいはフェミニストがおられたら? あるいは女性でなくても、男女共同参画視点を持っているゲストが一人でもおられたら? わたしは、この他の問題でも、ここにジェンダー視点があれば、瞬く間にことの本質が見えてくるのになーあ、と思うことがよくあります。そんなこんなで、日常生活の中で出くわす場面、場面で、見逃さず、男女共同参画的視点からちょっと一言を発言できるように、みなさま(もちろんわたしも)、2009年もせいぜい(福田前首相さんの2008年北京五輪での名言より 笑)がんばりましょう。




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  原点に立ち返る−スリリングな体験(大汗)  08.10.27
お彼岸の頃、いつもの散歩コースで土手から川原を見下ろす愚犬・テラ。晩秋には、西日に照らされ金色の波と化すススキの原に、犬と共に見とれてしばしたたずむことに

「男女共同参画」以前の「女性政策」 

ただ女性史をやっているという理由だけで、駆け出しのころから自治体の「男女共同参画事業」にお呼びが掛かるようになって20数年。当初はまだ男女共同参画というコトバはなくて、「国連女性の十年」の影響を受けて、「婦人問題」から「女性問題」へ、言い換えがなされつつある時代でした。役所の担当も、社会教育課の「婦人青少年室」か「女性政策室」。担当者はほとんど女性で、庁内の「女性職」となっていました。

講座の参加者の大半は「主婦」たち。悶々とした思いを抱えて参加される女性たちを前に、怖いもの知らずの若輩者(わたしのこと)が、その「主婦的状況」の元となるジェンダー構造を問題化するのですから、自分の人生が否定されたと思われた方も多々あったことでしょう。だから、語る方にも、聴衆の側にも、ある種の凄みがありました。1回、1回が真剣勝負!という感じ。が、性役割(gender role)がつくられたものであることを知って、「どんなに楽になったことか!」という女性も沢山おられ、その方々がその後、各地でリーダーとなったり、議員となったりして活躍中であることは嬉しいことです。

ときどき、何を勘違いされたのか、婦人会やおじいちゃんたちの郷土史研究会などからもお声がかかり、いぶかりながら出かけて、場のとのミスマッチにたじろぎつつも、若さゆえの蛮勇で言いたいことはしっかり述べて、会場を騒然とさせたこともありマス―妥協も、柔軟さも、それ自体「女らしさ」の発露だと考え、直球一筋だった頃のわたしは、この間の、参加者からの率直な問いや反応の中で、学び、鍛えられてきたように思っています(感謝)。

90年代のパラダイム転換後 

ところが、国が公式に「男女共同参画」という用語を使い始めた90年代のパラダイム転換(性別特性論の呪縛が解けたこと)によって、一挙に男女共同参画は行政のメインストリームに躍り出ました。それまで、細々と問題意識のある女性職員が中心になって、独自に(孤立気味に)継続されてきた女性政策が、首長直属の企画政策課などに位置づけられるようになり、その対象も男女双方を想定するものへ変化したのです。それは、国連でのフェミニストたちの熱心なロビーイングとともに、第2波フェミニズムの提起したものが日本の国内でもゆっくりとポリティカルな場に浸透してきたことの証しでもあります。

講演、講座でもガゼン、話がしやすくなりました。各自治体がプランや条例を作成する過程で、否応なく担当職員も勉強することになり、そこに地域の女性団体が協働して、一大学習集団が形成されていく場に呼ばれて話をするのですから。基礎知識を持っている人、「分かろう」とする人に話をするのはとても、楽なこと。それに中高年女性たちは聞き上手ときている。

が、この時期、時代の勢いに乗って、安直な男女共同参画政策のマニュアル化も流布しつつあったようで、わたしは密かに違和感を覚えたものです。たとえば、「ジェンダーチェックシート」。身近なジェンダー・バイアスに気がついてほしいというネライですが、受け手にとっては、男が料理をしたら○、女の子の赤色は×、職場のコピーは・・・とごく単純化されてしまうことへの危惧。−案の定、2003、4年ころから激しくなった「バックラッシュ」は、男女共同参画への誤解、曲解に満ちたオヤジたちの情緒的な運動でしたが、その中に一部、一般の人々に共有される(あるいは、一般の人々を代弁する)感情を含んでいたことも確かです。その意味で、男女共同参画を担ってきた研究者やフェミニストたちは、語り方、政策の進め方を自ら問い直す必要があるのではないでしょうか。

わたし自身はというと、男女共同参画に距離を置いている人々を常に意識して、女性史が解明した事実や最新の社会学的データを使う(中立化を装う)ことで、説得力を増すというスキルを身につけてきたように思います。が、これも良し悪しの面が。ある市の市民講座で話したあとに、車で送迎をしてくれた若い男性職員が言った感想−「これなら、男性が聞いても拒否反応がありませんね」−を聞いたときのアンビバレントな気持ち。これは褒め言葉でもありますが、その分、男女共同参画が持っているはずのラディカルな問い直しが届きにくいということでもありますから。

原点に立ち返るスリリングな体験! 

そんな中、男女共同参画実践には、「講師の方も男女共同参画で」と思い立ち、ちょうど知り合った「お寺のよっちゃん」こと真宗大谷派の僧侶、3児のパパ・土屋さん(38歳)に白羽の矢を立てた次第です。初対面の時「僕も子どもを産んだんです!生まれるとき、僕も痛くて声をあげていました」と、真顔でいわれるので、「おお、この感性なら」と、さっそくスカウトしたところ、面白がって乗ってきてくれました。妻・りえちゃんの自宅出産に際して、自分のお腹(だいぶ出ている)を分娩台にして夫婦共同参画お産をしたという体験話はカンドウものです。

コンビ結成から足掛け4年、土屋さんの、お寺で直面する非男女共同参画的日常話と、わたしの歴史的解説というパターンは意外と評判を呼び、そのお蔭かどうか、土屋さんは2007年にできた大谷派の男女共同参画室のスタッフの一人に選出さるという勢いで、二人して「次は京都進出か、はたまた広島か(笑)」などと言い合っておりました。すっかり、このパターンに慣れ、楽さに安住していた観があったのですが、先日、足元を掬われるような体験をしました。

その自治体は条例で、市内地域ごとに、その特徴に沿った男女共同参画を進めていくことをきちんと位置づけているまちです。その中の一つの地区にいつものように二人してお邪魔したときのこと。 会場に入って凍りつきました。目の前に座っているのは全員男性(最後列に1人だけ女性)。しかも、高年齢の! 夜の講演会ということで参加者が少ないことを危惧した主催者たちが、動員を掛け、各町内会役員さんたちがずらりと来られたのです。最近、男女共同参画講演に、男性も多くなってはいますが、まだ女性が大半を占めることには変わりがなく、それに合わせてトークを組み立てているので、想定外の事態に、一瞬後ずさりしてしました。

急遽内容を変えようかと思ったのですが、予め印刷されたレジュメにもデカデカと書いてあるので・・・「後期高齢者」(!?)の家父長さんたちが並ぶ前で、「妻とボクの共同お産」+歴史の中の「性と産」を話すはめに・・・女性たちなら爆笑してくださるいつもの土屋さんのエピソードに、失笑さえ漏れない。シーンと凍りついたような、というより敵意さえ感じる空気。いろいろな修羅場を通り抜けて来ましたが、話の途中で帰りたくなったのは初めて。

さらに最後に出された質問で、二人ともどん底へ。「それでなくても戦後女たちはのさばったのに、男女共同参画でますます甘やかされてはたまらない」「婦人会は男女共同参画のせいで消えてしまった」「地域やPTAの役員を女性が引き受けてくれないのは、女の人たちの自覚が足りないから。家事・育児を言い訳にして欲しくない」云々・・・

いつもどんなときでも穏やかな土屋さんが、仏教の制服(袈裟)を着たまま、片足を組んで(けんか腰に)、語気を強めた姿をはじめて見ましたよ。狭い地域で共に暮らして行かねばならない主催者の方々の立場をおもんぱかると、怒りに任せてコテンパテンに反論することも憚られ・・・・(自分ながらよくガマンしたなーと。涙)。

−ということで、帰り道、二人して凹みつつ、その場その場で参加者に合わせて数種類のバージョンをつくる必要性を反省とともに話し合ったのでした。

そして、わたしは忘れかけていた初めの頃の原点−価値観や見解を異にする人々にも(こそ)届くような男女共同参画の話ができるように心がけること−を思い出した次第です。




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  「男女共同参画」という言葉  あまり評判がよくないようですが…  080918

「男女共同参画」という言葉は、あまり評判がよくないようですね。国が初めて(総理府本府組織令1994年)、「男女共同参画」というコトバを使うようになって、14年。「男女共同参画社会基本法」(1999年)が出来て、9年。青色の“サプライズ・ドレス”で小泉内閣へ参画した猪口邦子さんが、山谷えり子さんたちの「ジェンダー・フリーバッシング」の嵐をかいくぐってまとめた「行動計画U」(2005年)で、「男女共同参画」の周知を百パーセントにする(2020年までに)、と高らかに(?)うたってから、3年。

―たとえば、わたしが聞く声のうち、一般の人たちは、「漢字ばかりで、難しそう。堅苦しそう」「△って?」「サンガって読むんだと思ってましたっ!」などなど・・・。フェミニストは、「ちょっと胡散臭い」「ズバリ、男女平等でヨイのです」、と。特に女性史の仲間からは「国策に乗って戦争に加担した先輩たちの歴史を、ゆめゆめ忘れてはなりませぬ」という警告の声も聞こえてきます。どちらもごもっとも。

もちろん、男女共同参画は英語のジェンダー・イクオリティ(gender equality) を日本語に訳したのですから「男女平等」と表せばよいのですが、わたしは、たとえ官僚的訳語であろうが、ここに込められた歴史的なパラダイムチェンジを大事にしたいと思っています。つまり、「男女平等」「男女同権」といっているだけでは見えなかった性差別の根っこ―「ジェンダー」がつくられるものであるということ(つくり変えられるということ)と、非対称なジェンダー・ロールの配置―への認識が十分反映されている、と思うから。

それは、従来の「女性政策」の常であった「女性を啓発し、社会参加を促す」という発想から離れて、「男女」双方が「それぞれの場」とされてきた性役割を超えて「参画」しあう、という含意の造語なのです。「参加」から、「参画」へ―たった一字ですが、この変化へ込められた「戦略」(=生物学的決定論からの解放)をもっと評価、フル活用すべきだと思っています。

「男女共同参画」も、最近流行の「ワーク・ライフ・バランス」「ダイバーシティ・マネージメント」と同様、新自由主義の新手の作法にすぎない、という批判をする人は多い。確かに、グローバリズムによるコロニアルな世界秩序のなか、資本の労働者への搾取はますますジェンダーレス化(男女を問わない)している。「多様な働き方」は、非正規や派遣といった不安定雇用を正当化するかもしれない。が、同時に、「仕事と生活の調和」は、「仕事人間」になることが「男らしさ」だという縛りから、わが愛する日本男たちを解き放つ可能性も持っている(年間3万人を超える自殺者の多くが男性であるという恐ろしい現実)。

わたしは、どちらかというと外側から正論を掲げて批判するより、どっちへ転ぶか分からないようなスリリングな磁場(政策実践の現場)へ参画して、押したり引いたりする方が大事だと思うタイプです。もちろん、自分の譲れない視点を堅持しつつ(ここがなかなか難しいところ)。現場(自治体の事業や条例作り、審議会、運動)に関わっていくことが同時代へ果たすわたしたちの責任だと考えるから。

法律や制度が出来ても、そこへ「タマシイ」を入れていくのは、歴史の主体としてのわたしたちですものね。女性学・男性学・ジェンダー学の研究者が男女共同参画政策に参画することによって、近年、性的「マイノリティ」とされてきた人々も含めて、「性」の多様性にも配慮した政策がなされつつあるというステキな効果もあります。

−とまあ、今回は「男女共同参画第1話」ということで、ちょっと硬くなってしまいました。次回は、夏にカンドウを与えてくれた北京のオリンピックとパラリンピックから、「スポーツと男女共同参画」について、考えてみたいと思います。それとも、「戦闘と男女共同参画」にしようかな(苦笑)。        
                                           (「満州事変」から77年目の9月18日に)



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