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                     山 本 和 子
                


▼オヤジのモラル ▼スローガン「地域みんなで子育てを!」再考▼過剰な約束事にご用心!▼子どものころからまちづまり.
 ▼ちょっとずつの不徹底…▼“連帯”って良いこと?悪いこと?▼何のために働いているの?▼ウィルスとの
暮らし方▼「すべてよし」ではないがチャンス▼盛り上がらない選挙

 ●山本和子(呉こどもNPOセンターYYY代表) http://www.geocities.jp/kure_yyy/

  子どもとおとなの協働参画社会を目指して活動中! 
  さまざまな人との関わりの中で、自分も日々育っているような気になっている今日この頃。
  子どもたちにとって、“人とのかかわり=楽しい≧めんどくさい”っていう方程式が
  成り立つような“まちづくり”をしていきたい。


今年も、大変≦それなりに楽しい 2010.1.16

いよいよ年が明けてしまった。大晦日とか、お正月に、さほどこだわりのない私ではありますが、年の始めって、なんだかウキウキする。初日の出も見に行かないし、初詣にも行かない。でも、“いいこといっぱいあるかなあ”とか“たくさんのいい出会いがありますように”くらいのことは思ったりする。

そう考えてみると、1年の節目って、やっぱりあった方がいいんだと思う。引きずるものもいっぱいあるけど、とりあえず去年のことはあっちに置いて、新たな気持ちで…ってな具合?! だから、それまで大切にお取り置きしていた資料の山も“ここぞ”とばかりに捨て去り、タンスの肥やしたちも資源回収送りにしてみたり…と。もしかしたら、そういう作業をしたものだけが、スッキリ爽やかな気分で、新年のスタートをきることができるのかもしれない。

でも、今年のスタートはちょっと微妙。スタートした瞬間から、時間が経つのが超早い。というのも、この3月末で、今管理している小学校を閉めるんだけど、それに伴って、なんだか忙しさに拍車がかかっている。その期限までにその地域の“まちづくり計画”を地域、行政と協働?でつくり上げ、ファイナルイベントを企画実施し、自分の団体の事業も進めながら、4月以降の予定をたててしまわなければならない。考えただけで、ため息が出てくる。ただ、どの事業も1人で進めるわけではないので、今のところ“大変≦それなりに楽しい”の方程式が成り立っている。

人と関わることは、楽しい。煩わしいこともたくさんあるけど、その都度学びがある。この人は、“こんなこと考えるんだ”とか“こういう人と知り合いなんだ”とか…。本や新聞では知り得ない情報もたくさん入ってくる。

昨年末、詐欺事件の裁判を傍聴する機会があった。被告は60歳。前科13犯で、今回は、わずか9500円の無銭飲食。身寄りもなく、職もない、婚姻暦もないとのこと。九州出身で、中学卒業後、集団就職で大阪に行き、その後、職を転々としながら今に至ったそうである。裁判中のやり取りを聞きながら、この人は、人と関わることが苦手なタイプなんだと思った。たぶん、これまでにも、他人から誤解されたり、嫌な思いをいっぱいしてきたに違いない。口ぶりから、もうどうなってもしょうがない…みたいな様子が見てとれる。傍聴人も半ばあきれた様子。この人が、もし、もっと上手く他人と関わることが出来たなら、また違った人生があったのだろうに…って、本当にそう思った。

つい先日、成人の日に、事務所に来てくれた新成人たちのやり取りを見聞きしていたら、そのことが思い出された。彼らをあんな風に追い詰めてしまわないために、私たち大人は、この若者たちとどのように関わっていけばいいのだろうか? 彼らが他人との関わりを早くからきってしまうようなことがありませんように!!…などと、新年早々、つまんないことに想いを馳せてしまったのだった。



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子育ては社会貢献? 2009.12.12

つい先日、ハローワークが主催する再就職支援セミナーに参加した。主催者側から参加者が少ないので、周囲に呼びかけて欲しいとの依頼を受けてのことだったけど、興味があったので、参加してみた。ちょっと遅れて行ってみると、とある税理士事務所の社長さんと社員2名が、実際に子育てしながら働いている状況について発表されていた。

その会社は、子育て中の女子社員が働き易いようにたくさんの配慮がされていた。今年の1月から勤め始めたという2人の女子社員からは、残業はしないようにしているとか、早く帰らせてもらっているので、朝はできるだけ早く行って率先して掃除をしたりするように心がけている。また社内に、場合によっては子どもを連れて出社できるようなスペースが設けてある等のことが報告された。

一方、その女社長さんからも自分がずっと勤めていた経験から、仕事と家事・育児を両立していく上で、“すべてのことを自分が担う、って思わないほうがいい、頑張りすぎない方がいい”とのアドバイスがあった(本当にそう思う!)。さらに彼女は、「みなさんは、この少子化の中、子育てしてるってだけで、十分社会貢献されていると思います。」と発言。子育て中の人にエールを贈った。


私もしばらく、心の中で、“そうだ、そうだ”って思っていたけれど、よく考えてみたら、これって子どもを産まない、産めない人は社会貢献できていない…って言われたりしないだろうか? って、ちょっと心配になった。

その後、グループごとに“仕事をする上で、心配なことは何?”というテーマで話した。その中で、とても驚いたのは、働きに出ると、子どもに淋しい思いをさせないだろうか? って考えている人のなんと多いこと。これって、ジェネレーションギャップ? なんで、いつも母親が一緒にいないと淋しいって思うの? 最初は多少そういうこともあるかもしれない。だけど、子どももだんだん慣れてくるし、自立していく。すぐに、居なくてラッキーって思われるようになるのに…。

子育てしながら働くって、きっと、大変なことなんだろうと思うし、一方で個人の選択なんだとも思う。生き方の問題だ。しかし私たちは、人生の選択を迫られる度に、たくさんの不公平と出会ってしまう。結婚するにあたって、仕事を続けるかどうか決める時、子どもを産むかどうか悩んだ時、子どもの病気や親の介護で仕事を休まなくてはならない時…そう、殆どの場合、仕事を諦めるのは女の方である。

これは、女が世話好きだからってことじゃない。まだまだ、男女の賃金格差は大きい。合理的選択ってやつだ。今、ちまたでは男女共同参画社会という単語が当たり前に飛び交っているけど、なんかスッキリしないのはなぜ?
(つづく)



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盛り上がらない選挙 2009.11.20

選挙が終った。呉では、県知事選だけでなく、市長選、市議補選まであったのにぜんぜん盛り上がらなかった。自分的にもいま一つ盛り上がりに欠ける選挙だった。なので、周囲の若い子たちに、「ちゃんと選挙に行きんさいよ!」とはなかなか言えなかった。

どこに行っても、合言葉のように聞こえてきたのは「誰にいれればいいん?」との問いかけ。確かに選択肢のない悩ましい選挙だったとは思うが、文句ばっかり言ってても何もはじまらない。言いたいことがあるんなら、選ぶ人がおらんって思うんなら「オマエが立てや」って話である。選挙に出る金も勇気も無いヤツは誰かに投票するしかない。

立候補者は、立候補するって決めたこと自体、それなりに立派なことなんだと思う。なかなかすぐに「んじゃあ、(選挙に)でてみるわ!」ってわけにはいかない。まずは身内からの理解を取り付け、友人・知人に協力のお願いをして歩き、さらにご近所にも頭を下げて、後援会を立ち上げる。あっちの会やこっちの会、さまざまなイベントや集会に、こまめに顔を出す。毎朝、通勤ラッシュ時にのぼりなど持って、挨拶していた人もいたくらいだ。つくづくと感心するばかりである。

しかしながら、彼らが県知事、市長、市議として適任かどうかということは、また別の問題なのである。私たち県民、市民は、彼らの今後の活動を注意深く見ていく必要がある。だって、選んでしまった以上、彼らが公約に掲げていた課題にちゃんと取り組んでいるかどうか、チェックすることは投票した者の責任である。

特に県は課題が山積していると思われる。平成の大合併で、行政区の数は減ったものの、中山間地や離島の高齢化はどんどん進んでおり、限界集落も増えている。住民が、それぞれ生まれ育った地域で、最後まで安心して暮らしていける、そんな県政、市政を期待したい。



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「すべてよし」ではないがチャンス 2009.10.06

子どもたちにとっては、楽しかったであろう夏休み、シルバーウィークがやっと終わった。私的には主催事業目白押しのこの3カ月だった。過ぎてみれば“あっ”というまだが、とてもハードな毎日だった。年々、疲れが取れにくくなってきているような気がする。基本的には、何事も気の持ちようって考えるタイプなのだけど、徐々に気分だけでは乗り切れなくなってきているみたいだ。

そう考えてみると、自治会の世話をしているお年寄りは実によくがんばっていると思う。月に何回も会議を開き(自治会だの地区社協だの、組織は違うらしいけどメンバーはほとんど同じ)、行政からの配布物を仕分けし、掲示板の管理をしたりもする。しかも、まったくのボランティアだ。自分は彼らの年になった時、あんなに元気でいられるだろうか?全く自信がない。

一昨年から地域のまちづくりにかかわっている。呉市のまちづくり施策の一環、今流行りの地域協働ってやつだ。どこのまちもお金が無くなったので、これまで行政が一手に引き受けてきたことを地域に戻そうという作戦だ。地域版、三位一体の改革?みたいな()。決してこの施策をALLOKと思っているわけではない。行政側からすれば、コストの削減こそが最大の命題なのだが、地域としては自分たちにとって必要なところにお金が使える、つまり地域課題を解決する絶好のチャンスだ。ちょっと面白そうなので、かかわってみることにした。

しかしながら、これまでサービスを与えられることに慣れきった地域の体質を変えていくことはなかなか難しい。担い手は高齢者ばかりである。10年後、20年後の自分たちの地域ビジョンを考えろと言われても、市が無理難題を言ってきたくらいの受け止めである。考えてみれば、行政が出す長期基本構想だって、各部局からの意見を吸い上げつつ、総務だか、企画だかの人たちが寄ってたかって何カ月も残業しながら創ってるんだから。

そこに向かって、あんたたちの裁量で好きなように金を使ってもいいよと突然言われても、“えっ?”とか“はあ〜?”とかっていうのが地域の実情である。地域協働の意味なんてほとんど理解されていない。それでも彼らは、言われたようにまちづくりに取り組んでいく。“こんな風な地域にしていきたい”というビジョンも持って無いのに・・・。

今後どのようなまちづくりをしていきたいのかを考えるには、自治会の若返りが求められる。それこそが一番の地域課題なのである。ただ、その課題はどうしたらクリアできるのだろうか?その鍵を握っているのは子どもたち。子どもの頃からまちづくりへの参画の機会をつくっていくことが、若い世代のまちづくりへの参画に繋がっていくものと考える。

いずれにしても、自分たちが暮らしている街のこと。さまざまな世代が、もっと主体的にかかわらなければ、結局は行政が管理しやすい“まち”のままで、自分たちが本当の意味で自分らしく暮らせる地域社会は実現できないのだと思う。



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ウィルスと暮らし方 2009.07.20

とうとう、呉にもウワサの豚インフルがやってきた。休校になった小学校もでてきている。マスコミが連日取り上げた影響も大きく、ちょっと前には、感染列島なる映画もあり、なんとなく過剰対応のような気もする。新型ではあるが、そんなに重症化しないという報道が事実なのであれば、今のうちにみんなかかって、抗体を作った方がいいのではないかなどと、素人的にはそんな風にも思う。

侮ってはいけないと思うけど、必要以上に騒ぎ立てると、その他の弊害が出てきそうな気がする。そう、敵も生命体である以上、種族保存のため、あれこれ七変化しながらがんばっているわけで、特効薬の開発がそのうち速度的に追いつかなくなるであろうことは容易に想像できる。しょせんはイタチゴッコなのだから。こちら側としてもささやかながら自衛手段を講じることも大切だ。

けれど、私たちにできる自衛手段は限られている。手洗い、うがい、それなりの栄養と十分な休養を確保して、できるだけ体力が低下しないよう心がけること。そして、人混みを避けるようにすることである。でもそれは、口で言うほど簡単じゃない。特に今の都市型の暮らしの中では難しい。


例えば、今のように就労時間が長いと十分な休養を確保することはできないし、かつてのように近隣に小売店が無いってことは、必然的に人混みである大型スーパーに買い物に行かなければならない。ってことは、新型ウイルスに対抗するには、暮しそのものを見直すこと、私たち自身の生き方を問い直すことから始めなければならないのではないかと思う。

1種類のウイルスにみんながやられないためには、暮らし方が多様な方がよいと思われる。いろんな生き方を選択できる社会の方が、ウイルスにも対抗できそうだ。そういう社会の方が個人にとってもきっと暮らし易いに違いない。



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何のために働いているの? 2009.6.16

うちの団体は、毎月会員に向けて「やんちき通信」という情報誌を発行している。主催事業の報告や、10代、20代の投稿記事など、子どもNPOとしては、できるだけ地域の若者や子どもたちの声が伝えられる紙面づくりに心がけている。その「やんちき通信」の今年のテーマは「働く」。なので、意図的に就活中の人や、すでに働いている人たちの声等を集めて掲載している。

例えば、4月号の特集記事では、「何のために働いているか?」にスポットをあて、集めた声を“食べるため派”、“生きがい派”に分類してみた。面白かったのは、若い世代は“食べるため”っていう声が圧倒的に多かったのに対し、ベテラン?4050代特に女性では、そうは言っても勉強になってるだとか、出会いがあるだとか、仕事に対して付加価値を見出しているという結果が得られたことだ。つまり、働いているのはお金のためだけじゃないよってことが言いたいんだと思う。本当にそうなのか?

5月末に閣議決定された2009年度版男女共同参画白書によると、20代女性は、上の世代に比して、専業主婦志向が高くなっているという。このことに関して新聞はさまざまな識者の分析コメントを掲載した。仕事と子育てを両立するのは大変そうだと思っているからだとか、先行き不透明なのが・・・、家庭に入って楽をしたいという意識は若い女性に強い・・・などなど。

いろんなことが言われているけど、結局は4050代で子育てしながらカッコよく働いている女性に、身近なところで出会う経験が少ないんだと思う。あんな風になりたい、あんな風にカッコよく生きていきたいって思えるモデル像が見当たらないのである。お金のためだけじゃない、自分のためにもなっているって思って働いているお母さんたちは、傍からみてるとやっぱり大変そうに見えているというのが現実なのかもしれない。

さらに最近、子どもの同級生の保護者が離婚するケースが多いのだけど、母子世帯の生活は結構きつそうに見える。親のところに身を寄せている場合も少なくない。

ってことで、20代女子が専業主婦志向になる気持ちもわからなくはないけれど、結婚生活が生涯円滑に続いていくという保障はどこにもないわけで、そんなリスクをかかえるくらいなら、働いて自立していた方がよほど気楽だろうに・・・などと思ってしまう。しかしながら、女子がずっと働く意欲を持ち続けられるような社会システムになっていないのは事実である。

“男女共同参画社会って、どんな社会なんだろう?”なんてナンセンスな問いに対する答えを模索し続けるしかない今日この頃(笑)。



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 “連帯”って良いこと?悪いこと? 2009.5.09

ウチの団体が管理している廃校の体育館で毎日練習している男子バレー部が、一週間練習を休むという連絡が入った。熱心な部活なだけに、「何かあったん?」とすぐ聞き返してみた。すると、メンバーの数人が学校帰りに買い食いしたことがバレて、そういう措置がとられたのだそうだ。その他にも23のクラブが活動停止になっていた。ちょっとビックリした。

自分が中学生だった頃、部活帰りに時々アイスぐらいは食べていたような記憶がある。それって校則違反だったっけ? 今って、前より校則が厳しくなったのだろうか? もしかしたら、昔も基準の校則にはあったけど、そこまでうるさく言われなかっただけなのかもしれない。

この前、家庭訪問があったので、わが子の担任に聞いてみた。「買い食いって校則違反でしたっけ?」。担任からの答えは、「一応校則違反です。ただ、ウチの学校ではそういうことで、部活がなくなることはまず無いと思います。ただ、周囲から学校に連絡が入った場合、何も対応しないわけにはいかないんですよね」とのことだった。

なるほど、昔と違うのは学校ではなく、世間の了見の狭さなのかもしれない。昔とちがって、今の子は、ゴミはそのへんに捨てるは、モラルは無いわ・・・ってとこだろうか? 部活の帰りって、お腹はすくし、のどは渇くし・・・アイスやジュースくらい・・・ってことにはならないらしい。

もう1つ言えば、なんで校則違反した者だけでなく、部全員がとばっちりを食うのか? ということだ。スポ根アニメに毒された人たちが指導者になっているからだろうか? こんな時には必ずと言っていいほど“連帯責任”という言葉が飛び出す。

本来、管理する側は、管理されるものたちに連帯して欲しいとはあまり思っていないはずである。連帯して自分たちに不都合なことをされたり、言われたりするのがイヤだからだ。だから、共謀罪がどうの、組合活動がどうの・・・と言う話にもなったりする。連帯して欲しいのは自分たちが何か成果を挙げたいときだけである。例えばスポーツ大会だったり、文化祭のような催しだったりのときである。そう、決して“連帯する”ことに肯定的なわけではない。

それでも、部活な毎日をおくっている中学生諸君! せっかく、部活が無いんじゃけえ、のんびり遊べばいいじゃん!!・・・なんて思ったりもする。(笑)


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 ちょっとずつの不徹底 2009.4.09
子どもの入学式も無事?終わり、なんか春って感じの中、またしても子どもが被害者となる事故がおこった。というのも今年に入って呉市では、無理心中や死体遺棄など、子どもが被害者となる事件が相次いだ。

その事故は、入学したばかりの2人の女子児童が、下校中にバスにはねられ、1人が死亡1人が重傷を負ったというものだ。2人の女児は、下校するために市営の路線バスに乗車、停留所で降りた直後、道路を横断しようとして、このバスにはねられた。ラジオから流れてくるそのニュースを聞きながら、とても残念な気持ちでいっぱいになった。これから先、楽しいコトがたくさんあったに違いない。わが子のことではなくても、心底そう思った。身内にも経験者がいるけれど、自分より子どもの方が先に亡くなるというのは、もしかしたら人生において一番辛いことかもしれない。

こういうときいつも問題になるのが安全管理責任のことだ。交通局の安全管理体制に問題はなかったのか?運転手は、発信時にミラーを十分確認していたのか?学校は、親は、車の前後を横断してはいけないという指導を常々おこなっていたのか?たぶんどれもちょっとずつ徹底されていなかったのではないかと思う。本当にちょっとずつ・・・。だから一方的に、誰かひとり、どこかの団体だけの責任ということではないのだと思う。ただ、そのちょっとの不注意が1人の子どもの人生を終らせてしまったという事実を私たちは厳粛に受け止め、安全管理について、今以上に意識化していかなければならない。

私たちは、日常的に「安心安全なまちづくり」という言葉を口にする。でも、安心安全ってなんだろう?最近、学校現場において安心安全という言葉からイメージされるのは、主に不審者対策や地域の中の危険箇所のこと等である。だから事細かに、何時になったら家に帰れとか、1人で登下校しないとか、学校ではたくさんの決まりごとがつくられる。だけど、いろんな可能性を考えると、きまりがいくらたくさんあっても大丈夫!絶対安心ってことはないのだと思う。

むしろそんなことよりも、ここから何かが飛び出してくるかもしれないとか、冬場は何時くらいに日没になるから、これくらいまでには家に帰ろうとか・・・想像できたり、配慮できたりすることの方がが本当の意味で安心安全につながっていくのではないだろうか?その為には、たくさんの人と関わりながら、ニオイを嗅ぎわける力を磨くことが求められる。

「安心安全なまちづくり」・・・それってどんなまちになること?

何が正解なのかはわからないけど、それを考えていくプロセスこそが、安心安全なまちづくりへの取り組みなのではないだろうか・・・などと考えたりする今日この頃。とっても良い日和なのに、なんかせつない!



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 子どものころからまちづくり 2009.3.09
先月から呉市内のとある地域で、住民を対象に大学、役所と連携しながらまちづくりワークショップをおこなっている。子ども参画のワークショップをすすめたら、“そのようにしたい”とのことだったので、一緒に取り組むことにした。最初はどうなることかと思ったけど、毎回50人くらいの人が楽しみに参加してくる。小学1年生から80歳近い高齢者まで。お年寄りも子どもたちと一緒にかかわることが楽しみらしい。

先日は、「実際に歩いてみよう!」ということで、3つのグループに分かれて地域の中をみんなで歩き回った。参加者からは、「いつもなにげなく通っているけど、結構いろんな店舗や施設があるということに気付かされた」「地域のことをもっと知りたいと思った」「景色のいいところがいっぱいあった」「こんなところに公園があったなんて・・・」などさまざまな声があがった。私的には、みんなが楽しそうに参加していることがとても嬉しい。

この取り組みは、今年度の呉市の主要施策である「地域協働ゆめプラン」から始まった。呉市内を28の地域に分け、それぞれの地域の特徴をいかしたまちづくりをすすめてもらおうというものだ。よく言えば、自治体が本来の自治を取り戻す素晴らしい取り組みであるが、平成の大合併により画一的に対応していくことがむずかしくなってきたこと、ゆくゆくコストの削減につなげていきたいというのが行政側の本音でもある。

行政って、「そんなことは、最初からわかっとったことじゃん!」って思うようなことばかりやらかしてくれる。わが子であれば、「ほらみんさいや!」を連発しているところである。とはいうものの、これは地域にとってもチャンスなのである。今の自治会組織って、行政の下請け?ってかんじになっている。呉市からの配布物を配ったり、呉市が取り組むイベントに動員されたり・・・。

自分たちのまちについて自分たちがビジョンを持ち、課題を明確にしながらそれに取り組んでいくことができれば、これまでと違って“かゆいところに手が届く”施策につながっていくものと考える。また、子どものころからまちづくりに参画できれば、お国が法律まで決めて押し付けなくても、自然と自分のまちに愛着がわいてくるものである。

ただ、ひとつだけ注意しなければならないことがある。それは、みんなが関わることが期待される地域協働ではあるが、物理的に関わることが難しい人にまで参加を強制しないことである。まちづくりの本来の目的は、みんなが地域の中で幸せに安心して暮らせることなのだから。



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 過剰な約束事にご用心! 2009.2.10

先週、小6の娘が、学校から1枚のプリントを持って帰ってきた。「母さん、見てこれ。絶対、母さんは“うざい”っていうと思うよ!」見てみると、A3の裏表いっぱいに「○○小学校の約束」なるものが箇条書きにしてあった。「きまり(必ず守ること)」、「がんばること」と分けて書かれていたその注意事項を順に読んでみると、娘の予想通り「はあ〜?」って思うような内容が列挙されていた。

最初に書かれていたきまりは、「学校の行き帰りは、通学路を正しく通る。」「うん?!」頭の中を??? がとびかう。これって、寄り道しないってことだとは思うけど、もっと分かりやすく表現できんの? 正しく通ってない場合は、誤って通っているってことか? などと変な突っ込みをいれたくなる。

また、「保健衛生上、又は、熱中症を避けるため、水筒(お茶)は、年間を通して持って来てもよい。(但し、中を凍らせたり、氷を入れたりしない。)」っていう項目もあった。この言い方って、ちょっと上から目線じゃん。水道管が古くなっていたりして、安全に水を供給することに自信がもてない学校設備の現状を考えたら、水筒を持たせて下さい・・・って書くだろう普通は・・・って思ったりする。

他にも、「子ども達だけで校区外に行かない。」とか、「コンビニやお店に行かない。」・・・などやってはいけないこと、行ってはいけないところが、いちいち書かれていた。目が点になった。「校区外に行ってはいけない」には但し書きがあって、図書館や習い事など家の人のゆるしがある場合はいいらしい。なん勝手なルールだ。

また、ほぼ毎日のように午後4
時近くに下校しているにもかかわらず、「午後4時半には遊びをやめて、午後5時には家に帰っているようにする。」とも記載されている。それって、結局遊べる時間がないってことじゃん。
確かに今、子どもが被害者になるような事件もたくさん起きており、安全性を確保することが難しくなってきている。それでも、子どもたちが遊ばずに育つことの方がもっと危険ではないかと考える。

モラルの低下やコミュニケーション能力の低下が問題視されているけど、そりゃあそうなるべくしてなっているだろうと。子どもたちが自分たちでルールをつくりながら遊ぶという経験をほとんどしないで大きくなるのだから。
本来、ルールって互いにいやな思いをせずに暮らしていく知恵なのだと思う。それは、みんなで決めていくというプロセスに大きな価値があり、だからみんなで守らなきゃあっていうことにもなっていく。

今年は、子どもの権利条約が採択されて20年目を迎える。子どもの育ちを邪魔しない環境整備について、今一度考えていきたい。でもって、一番笑えた「がんばること」は「大休憩とお昼の休憩時間には、一輪車の貸し出しをします。外に出てしっかり体を動かそう。」・・・大きなお世話だ!(笑)



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 スローガン「地域みんなで子育てを!」再考 2009.1.09
1月8日、新聞の地域版に“車で海転落の母死亡  呉港、無理心中か”という記事が掲載されていた。6歳と9歳の子どもを同乗させ、車を急発進させ、海に転落。9歳児の方は、途中で車から落ち、頭に軽傷を負っているとのこと。よく読んでみると、その9歳児は、私たちが管理に関わっている廃校が合併した先の小学校の児童だった。その児童は、今どうしているのだろう? どのような事情があったのだろう? 夫はいるのだろうか? 母親は、その行為に及ぶ前に誰かに相談できたのだろうか? いろんな疑問が頭の中でグルグルする。やるせない気持ちでいっぱいになった。

というのも、子育て支援活動に取り組んで、今年でおよそ10年。第2子が生まれたのを契機にはじめた活動であるが、本格的に取り組もうと決めたのは、今回同様忘れられない事件に出会ったからである。1999年11月、その事件はおこった。「2歳の子どもが幼稚園のトイレで殺害された。犯人は、同じ幼稚園に通う子どもの母親だった。しかも、殺された子どもの母親とは、一見仲の良い友人関係だった。」 通称“春奈ちゃん事件”。同じ年代の子どもを抱えるものとしては、とても他人事とは思えなかった。この事件はさまざまに報道され、子育て中の多くの母親たちが孤立化し、子育てに対する不安や悩みをたくさん抱えている状況がクローズアップされた。被害者、加害者それぞれの家族たち・・・「こんな悲しい思いをする家族を二度とだしてはいけない。」心底そう思った。

年末に、これまでに溜まってしまった書類を整理していたら、ちょうどその頃の資料が山のようにでてきた。当時収集した子育てサークルや保育所の一時預かりなどの情報、国の子育て支援に関する施策の資料などである。今のように、みんながパソコンを使えたわけではないのですべてがアナログ。電話をかけ、実際に足を運んで情報を集めた。国の少子化対策施策という追い風もあって、いろんなものが見る間に整備されていった。

あれから10年。さまざまな地域に子育て支援センターや子育て広場なるものができ、子連れで行ける遊び場や飲食店のガイドなども増えてきた。子育て支援を啓発するイベントも年間を通して多種多様に行われている。確かに一見便利にはなったような気はするけど、子育てのしんどさは変わってないのではないかという風にも見える。

今回の事件はとても象徴的である。呉市は男女共同参画都市宣言をしている自治体であるとともに、子育て支援モデル都市でもあり、相談機関など一応のシステムは整っている。でも、一人の人間が子連れで死ぬことを選んだ・・・そういう自治体であることをどう受け止めるべきか?10年目をむかえた今年、今一度子育て支援を振り返ってみようと思う。“まずは、誰かに話してみよう!”みんながそう思えるような空気をつくっていきたい。


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  オヤジのモラル 2008.12.07
今年5月から廃校の管理の手伝いをすることになった。元職員室をコミュニティルームへと変身させ、誰でも来れる空間作りに取り組んでいる。小さな子どもを抱えた人、学校帰りの子どもたちが気軽に寄れる場所として、また若者たちのさまざまな活動拠点として、さらに高齢者がお茶などできる場所として・・・そう思って取り組んできた。この間までは・・・。

それは11月末のことだった。私たちは自分たち主催の事業があった午後から出勤した。そこで目にしたのは、「保護者、指導者が同伴しない小学生以下の児童の施設内入場は安全管理のため禁止いたします。」というはり紙だった。何も聞いていなかった私たちは、みんな「えっ?」と頭の中を???が巡った。

どうやら、校内の畑が荒らされていたのが原因らしい。5月から、小学校時代の花壇を畑として地域の人に貸し出している。そこを小学生が荒らしたというのだ。でもなんで、そのことですべての小学生が出入り禁止にされないといけないのだろう?それは、本当に小学生の仕業だったのだろうか?

小学生を連れた利用者の一人が、管理責任者でもある自治会長のオヤジに食ってかかった。そのオヤジは、「見とった人がおる。小学生じゃった、って言いよった」と返した。「いきなり小学生を出入り禁止にせんでも、他に方法があるんじゃないんですか?」とその小学生連れの彼女もがんばった。

しかしそのオヤジは、自分が決めたことだと、責任者は自分だと、責任も取れない立場のものにとやかく言われる筋合いはないと、子どもたちの見ている前で彼女を怒鳴りつけた。さらに、「丹精込めて畑で作業している人の身になって考えてみろ」と付け加えた。彼女は、「もう来ません。帰ろう。」と子どもたちを促して帰って行った。

確かに、畑で悪さをするというのは誰が考えても良いこととは思えない。しかし、見ていた人がいたのなら、何でその時に注意せんの?という思いがしてならない。第一、なんでそのことで、小学生全員が連帯責任を負わされるの?軍隊じゃあるまいし。

でも一番“変”って感じたのは、オヤジが言った「畑の人の身になれ」と言った時のシチュエーション。一見良いことを言っている風であるが、自分たちの目の前で母親が怒鳴られている子どもたちの気持ちについては全く考えない、ご都合主義のモラリストである。声高にモラルを嘆く人間ほど、人権意識が低い人が多いような気がする今日この頃である。


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