■ STAFF メッセージ   


わたしの夢!
2011年になりました。今年もよろしくお願いいたします。

1年に1回しか書いていないスタッフメッセージ、今年こそはせめて一月に1回ぐらいは書き込みたいと思っております。言いたいこと、伝えたいことがないわけではないのですが…。書きたいことがないから書かないのだから、無理する必要はない、書きたいものがないのにましてやうまく書けるわけがない、とは、中村がまだ元気なころ公民館の文章講座に呼ばれて最初にのたまわったこと。確かにさようで。

2010年は私にとって、かなりハードかつ重要な年だった。今年の出来事7を挙げてみる。
一位:○○(内緒)
二位:交通事故
三位:性暴力を考えるための基礎講座とシンポジウム開催
四位:左側顔面麻痺神経症になる
五位:「原爆乙女とジェンダー」「広島湾軍事三角地帯」小論文まとめる
六位:全国女性史交流のつどい2010in東京にて、藤目さん・平井さんと3人で発表。
七位:済州島・江華島平和紀行参加

昨年は、3冊(『共生を哲学する』『女性史からみた岩国米軍基地』『アメリカ、オキナワ、ヒロシマ』)の出版ができた。わたしの夢は、2ヵ月に1冊、つまり年に6冊刊行することが目標なのだが、なかなか難しい。今年はいまのところ四冊を同時進行ですすめている。追ってご案内できるよう、すすめていきます。


2010.6.15 『共生を哲学する』刊行! 「共生する」ことの困難と希望
前回からもはや8ヵ月経っているが、この期間、何にもしていなかったわけではない。いや、むしろわたしとしてはかなり重要な体験をしていたといえる。

ヒロシマ平和映画祭は2009を締めくくるにふさわしい、映像と思考の実験場だったし、一月末には、ある方に勧められていた「『原爆乙女』とジェンダー』をまとめ、出稿。2/1に広島市内で交通事故に遭遇、一週間後から体調に異変が起き、その二週間後に、急性十二指腸潰瘍と多発性胃潰瘍で18日間の入院という事態。わたし自身は交通事故によるストレスからきていることを主張しているが、保険会社からの判断はいまだない。

さて、わたしが退院したら、入れ替わりにわたしの同居人(元家族社社長)が入院。逆流性食道炎・胃炎(たぶん。食道が狭くて胃カメラが入らないからはっきりと病名が決められないそうだ)。2週間したら胃がんじゃないから退院してくれと言われ、次の病院で2週間。ここはリハビリの配慮がまったくなく廃人化するのが怖くなって、リハビリ病院へ。わたしはこの間、交通事故の前から申し込んでいたアジア女性資料センター主催の済州島スタディツアー(四泊五日)に。リハビリのコツは自宅で訓練することだと認識した同居人は5月連休明けに退院。たらいまわし一ヵ月半の「小さな旅」を終えてふたたび二人暮らしになった。

ここでようやく表記の「共生を哲学する」にたどりつく。わたしは2年前からシャリバリ地下大学(学長・行友太郎/『フードジョッキー』著者)の読書会に参加しているが、その仲間である柿木伸之さん(広島市立大学教員)の本を、四月の新学期に間に合うよう準備をしていたのだが、延期するわけには行かず、入院中も友人に手伝ってもらいながらすすめ、滑り込みセーフでできあがったのが『共生を哲学する 他者と共に生きるために』である。

柿木さんはドイツ哲学、特にベンヤミンの研究者である。わたしは現場で哲学してきた(!?)と勝手に思っているのだが、哲学という「知」とはかけ離れて生きてきたわたしには、大学に行かなくても講義が聞ける「哲学講座」の先生なのだ。哲学・哲学史の膨大な知見の中に分け入り、丁寧に説いてくれる」この本は、60年生きてきたその襞にひたひたと確実に染み入ってくる。理解したというわけではないが(笑)

一昨日、『共生を哲学する』の刊行記念会が開かれた。シャリバリに集う人々は、仲間が本を出すと必ず出版記念会を開き、合評会とパーティをするという「歓待の思想」に満ち満ちた人たちだ。柿木先生の元・現学生、そしてシャリバリ地下大学学生がまさしく「共生を哲学する」空間は、
一冊の本が届くべき人のところで扉を開いた、その瞬間でもあったと思う。編集者としてこの上ない喜びである。

わたしはこのような熱き人びととの共同作業で、二年間で四冊の本を出すことができた。「知と関係性」が有機的に動いて本という一つの形になる。これからもこうした喜びが持続するよう、丁寧にコトバと向き合って行きたいと思う。

年内の出版が決まっているのは2冊。一冊は、ヒロシマ平和映画祭2009で開催したシンポジウム「アメリカ、オキナワ、ヒロシマ」の記録。この三地域をつなぐ視点は「新たな戦争を内側から乗り越えるために」必要かつ重要であることを教えてくれる。もう一冊は、藤目ゆき著『広島湾の軍事化と性暴力』(仮題)である。いずれも秋刊行を目指している。


2009.10.02  トンネルを抜けるとそこは船越だった
ヒロシマ平和映画祭の実行委員に加わり、当ビルが事務局になって、にわかに映画をめぐる情報がめまぐるしく行き交うようになった。わたしはここ10年映画をよく観るようになって、映画好きを自称していたが、メンバーたちの映画好きと映画への愛は半端じゃないことに圧倒される日々。11月20日-12月11日までのメイン映画祭に向けて、ただいま準備中!! はっきり言ってかなりおもしろい、です。「ヒロシマ平和映画祭」でクリックしてみてください。

さて、わたしは次なる出版の企画を温めつつ、進めつつ、個人的には、わたしの誕生の地、誰も知らない「船越町」(コラム「ヒロシマ」を参照ください)にかなり嵌まっている。古い郷土誌をめくると、昭和35年に第七回中国こども音楽会で最優秀賞をとったときのメンバーの名前が記録されていて、ちょっと懐かしかった。たとえ「高尾菊子」と記されていようと(笑)。自分のようで自分ではない感じ。たかがこれだけのことでもそのような感じを持ってしまうものだ。

わたしが「船越町」に目を向けるようになったのは、ヒロシマとフェミニズムと平和運動を考えたいと思ったことからだ。軍都廣島の衛星都市であった船越町とはどういう町だったのか、そしていまどういう町なのかを知る必要に迫られ、調べているうちに、船越に三つあったと言われている朝鮮人部落のことがまったく町史に載っていないことに気づいた。

名前を間違えられて不快感をもつこともあるのだから、ましてや名前を奪われた上、そこにいたのにいなかったこととされる「朝鮮の人々」のことをどう考えたらいいのか。わたしは「書かれた歴史」の政治性と「記憶殺し」ということの怖さを実感した。

在韓被爆者支援に長年取り組んでおられる豊永恵三郎さんにご紹介いただき、少しずつだが、船越に住んでいたことがあるという在日の方に聞き取りをしている。豊永さんは船越町に戦前から住んでおられた方だ。豊永さんも「なぜ同級生に朝鮮人がいるのかを深く考えなかったこと」が自分の運動の背景にあるとおっしゃった。

船越小学校の2年先輩だったTさん。とても喜んでくださった。だが、ほぼ同時代を生きながら、かなり違う体験をしているはずのわたしとTさんの間には、語っても語っても埋められないものがあるようにも感じる。わたしがごくごく近所にあった朝鮮人部落と人々に出会っていないことがその証かもしれない。

Tさんが2回目に会った別れ際に「自分がこんなに語ることに飢えていたとは気づかなかった」と率直に話された。1回目、7時間。2回目、5時間おしゃべりしたあとに。わたしは、胸が痛かった。
今度いっしょに船越町を歩いてくださることになっている。「記憶」を辿りながら、「わたしたちの歴史」をつかみたい。


2009.07.15  出版業23年の夏は熱い!
3ヵ月もたってしまった。この間、出版に向けて3冊同時刊行に向けて動いていたことになる。が、いろいろトラブルや失敗、温かい励ましについホロリ、とかあった。

1冊目は、「フードジョッキー その理論と実践」。7月15日今日、先ほど届いた。感慨深い。一冊本を作る過程は、著者とデザイナーと編者のコラボレーションなのだが、どの関係がずれてもいろいろ響いてくる「怖い仕事」だ。生ものではなく、記録と記憶につながるから。なのに私自身が大きなミスをしていることが発覚した。著者は「正誤表でいいですよ」と言ってくださったのだが、あまりの初歩的ミスに、私自身が納得がいかない。勉強代だと思って、思い切って、刷りなおすことにした。もうしばらくお待ちを。

教訓1「デザイナー・著者・編集者は、ある程度のコトバのノリ、身体のノリが大事である。いつも初心、初歩に戻るべし。」
2冊目は「走れ ひばく電車」改訂・日英語版。原爆資料館の書籍売り場から、まだいけますよ、と注文があった。絵本で英語版があるのは「アオギリ」だけだそうだ。「ひばく電車」がまだ広島を走っていることは外国人には知られていないという。そこで増刷するに当たって、日英語版にすることになった。夏休みに入る前にと、急いですすめた。それが7月20日納品の予定。この本は、小学校教師退職時に担任の子どもたちと交わした約束を二年かけて実現したもの。著者まさきさんは、月刊家族時代からわたしを知っていて(だが読者ではなかった!笑)、出版するときには『家族社』からと決めていたそう。だから、彼女はいまでも「家族社」というのだが…。なんにつけても何か信念のようなものを感じさせるまさきさんとの出会いは、なんにつけてもだらしないわたしには刺激的だった。
教訓2「だらだらでも好きなことを継続しているといいことがある。」

3冊目は新シリーズ「愚直に、間抜けに、ヒロシマを問う ヒロシマズ・ノート」@「『平和構築』ってなんですか?」である。これは手作り風冊子であるが、わたしにとってはとても面白い仕事であった。なぜなら、本当に一通のメールから生み出された『平和』論だからだ。広島には議論がない、とよく言われる。とくに、外から来た人、あるいはいったん広島から出て帰ってきた人からよく聞く。その閉塞感を打ち破るかのように、この冊子は「躍り出た」、と思う。3月のある日、わたしも参加している某メーリングに、広島平和公園内にある国際会議場で軍・官・民・学が論ずる「平和構築」に違和感を感じたある女性からの投稿があった。それから一ヵ月、それまでに「平和構築」に
胡散臭さを感じていたメール参加者から、怒涛のごとく意見表明がされていった。それはわたしにとって初めての経験であり、現場にいるという高揚感さえもたらした。誰が言っているのか、ではなく、何を言っているのかに耳を澄ませ、誠実に応答しようとするその議論は、とても面白かったし、編集者心をくすぐり、記録に残したいと思ったのだ。わたしの提案は皆さんの賛同を得て、もうすぐ形になる。嬉しい。編集者を引き受けてくださった、繊細な挑発者である東琢磨さん(『ヒロシマ独立論著者』)に感謝したい。
教訓3「議論は最大の文化。インターネットをバカにしないこと。そこから活字文化も生まれる。」

これでちょっと一休み。秋は、上記の東さんと鄭暎恵さん(社会学者・大妻女子大教授)による対談にとりかかる。もう一冊は、春頃の刊行になるが藤目ゆきさん(大阪大学)の「岩国基地をめぐる女性史」(仮題)を予定している。


2009.03.31  フードジョッキーってなに?   
中村の敷地内に一坪半の畑を作った。知人に分けてもらったサラダ菜とねぎとパセリと韮とアスパラと三つ葉。陽が当らないし、お隣が町内会長さん、わたしはど素人という条件をクリアした苗たちは、ぴしっと空に向いているのもあれば、慣れない土にしなだれているのもある。そのうち春・夏がきて、食卓を賑わせてくれることだろう。

野菜作りをはじめようと思った理由はいくつかあるが、今後さまざまな事情で在宅時間が長くなることははっきりしているので、職場で机の周りを整えるのと同じように、家の周りを整えておく必要があると思ったからだ。

わたしは目的的に体を動かすのが好きではない。つまり水泳したりジムに行ったり、ランニングしたりとかスポーツが嫌いなのだ。そこで日常の中で否が応でもからだを使うような場面、その一つとして「畑」が浮かんだ。これまで一度たりともやってみようと思ったことはなかったのだが、父が畑作りをしていたのをずっと見ていたからかもしれない、あまり自分の中に無理がないような気もする。。わたしも不思議な気がするが、わたしを知る人はもっと不思議そうになべて「うそーっ」とのけぞる。

もうひとつは、6月に「フード・ジョッキー宣言」(予定)という“食と都市空間”をテーマにした本を予定しているのだが、これがおもしろい。これまであまり「食」に欲望を持っていなかったわたしが、「食」への欲望を炎々と語り続ける二人(東琢磨&行友太郎)に、「あたって」しまったのかも。とにかくその「食」欲はすごい!! どんな本ができるのか、いまだよく見えないが、フードジョッキー実践とともに進行中である。読み手の身体にぐいぐいと入り込んでいくことは間違いない。

彼らが定義する[FOOD JOCKEY]とは---
フードジョッキーとは、食物を騎手が馬を乗りこなすように使用する人のこと。一般的に、フードジョッキーは食物の選択を行い、料理方法の決定し、料理を実行することで、表現活動や空間演出を行う。Food JockeyDisc Jockeyと対比して考えられるとき、DJにおけるターンテーブルがフードジョッキーにおいてはカセットコンロ、DJにおけるカートリッジ(レコード針)がフードジョッキーにおいてはカセットボンベに置き換えられている。Jockeyとの関係で考えるならば、騎手が馬を操る時に騎手自身の意向を馬に押し付けるのではなく馬の気性や能力を考慮して騎乗することで馬を御するように、フードジョッキーが食材の特性を考慮して料理する点が共通する。(一部抜粋)

で、なぜ私が「畑」なのかなのだが、その大胆な遊びに乗り遅れているわたしは、一坪半の畑でバランスをとろうとしているのかもしれない。今夏7月の刊行予定である。


2009.02.23   「高齢者」と「性暴力」のあいだ
しつこいようだが、新刊二冊刊行して2ヵ月。面白いことを発見した。「高齢者とジェンダー」と「広島で性暴力を考える」の購読者がほぼ二分化されているということ。「高齢者」を買う人は「高齢者」だけ、「性暴力」を買う人は「性暴力」だけ。両方買う人は一割も満たない。それはなぜなのか。そんなに「高齢者」と「性暴力」の間は遠いのか。最近はこのことを考えている。

じつは、わたしの目論見では、この二冊はいつも誰にでも同時に売れるはずだったのだ。だからがんばって同時刊行を進めたし、なぜかそう信じ込んでいた。がゆえに、この2ヵ月の現象に驚いている。2冊同時購買なんて、わたしの勝手な、虫のいい話なのだろうか。とらぬ狸の皮算用をしていたわたしは、すごくがっかり、なのだ。

いろいろ情宣はしているが、大きな!?マーケットである2つのジェンダー関連のメーリングリストに、恐縮ながら、この二冊刊行の「情報提供」を流した。すると、やはり反応はよく、注文のメールが思ったより入ったのだが、春日さんの「高齢者」だけなのだ。春日さんの仕事に注目している人が全国的にいるんだということを、改めて知ることにはなったのだが…。

えっ、「性暴力」はジェンダーとは関係ないの? 「高齢者」には「性暴力」は関係ないの? 「性暴力」は日常的に起きていることではないの? 高齢者には誰もがなるけど、性暴力には誰もが遭うわけではないから自分の問題ではない? 「性暴力」はできれば見たくない、知りたくない、考えたくないことだから? 広島のことだから自分には関係ない?

先日、ある新聞社の方から聞いた話だ。一昨年10月に起きた岩国米兵によるレイプ事件が起きたときの藤田県知事の発言「うろうろした未成年もどうかと思うんでありますが」。その藤田発言を批判的(?)に書いた地元新聞には「何が悪い!」コールの電話がたくさん入っているのは知っていたが、県庁にもたくさん「よく言った」激励の電話が入っているという。

その記者は「どんなに抗議しても、県庁側は激励が来ていることを盾にしますよ」と言う。そして、広島地検が不起訴にした時点で、すでに報道の価値はなくなってしまったのだとも。こうして、事件自体がなかったものとされていくことは、いったい誰にとってトクなのか。「広島で性暴力を考えること」が人々に届かないことは、いったい誰にとってトクなのか。

少なくとも、この事件が「なかったもの」とされないためにだけでも『広島で性暴力を考える』は意味を持っている。いま、つくづくそう思う。


2009.01.14   TよりY
もう14日。早い。20日に新刊2冊がいよいよ出来上がる。印刷所に最終ゲラを出して出来上がるまでの期間が、わたしは好きだ。「思い」が「カタチ」になって目の前に現れる、その瞬間。冷や汗ものだけど、喜びも大きい。一方で、あの「思い」はこの「カタチ」でよかったのか? と問われるあと一週間を、姿勢を正して待っている。

今年はわたしは還暦。だからどうしたというわけではないが、何か本格的に「老い」を生きるんだと思うと、仕事も介護も旅も遊びも…ととたんに、忙しく感じる。大体なんでもやってみたがりのわたしなので、これまではっきりいって「このカタチ」として満足したものはない。要するに中途半端なのだ。それを認めないわけにはいかない。

その一つが楽器を奏でること。考えてみれば、これまでやろうと思えばやれた楽器は、案外多い。木琴、リコーダー、ティンパニー、ハーモニカ、ギター、ピアノ、オルガン、篠笛、サックス、トランペット、バイオリン、太鼓…どれも続かなかったのに、通過しただけなのに、いまなぜかチャンゴを週一回練習している。

本当に、なぜか、なのだ。しかしこれまでのわたしはチャンゴにたどり着くように生きてきたのかもと考えると、それも必然な気がしてくるから不思議だ。「今年の目標は舞台に出ること」と初稽古で宣言すると、朴先生は笑っておられた。「わたしは地道に確実に一つひとつこつこつと丁寧にちゃんと覚えていくこと」というもう一人の練習仲間Oさんとのギャップがあまりに大きかったので。

チャンゴを身近にしながら、60年の足元をいま覗き込んでいる。そして「地道に確実に一つひとつコツコツと丁寧に」再考してみたいと思っている。フェミニズム、家族、ヒロシマ、戦争と平和、暴力、女、わたし…そのプロセスを「本」というカタチに結実させたい。なにを「記憶」しなにを「記録」するのか、それが問われている。

もう一つ大きな仕事は、白島ビルを次世代につなげていくこと。多元的な文化の「場」として息を吹き込んでいきたい。わたしが「あの世」にいっても、ときどき「この世」との交信を楽しむために。
市内中心部でレコード店“シャリバリ”を運営していた若者たちが年末に突然立ち退きを迫られ、行き先を探していることを知った。本・音楽・映画…共通項はたくさんある。今年から共同スペースの模索をしていくことになった。T字路ではなく、Y字路として。


2008.11.27  出版は共同作業の結晶
前回「新たに小冊子刊行!」と書いて早二ヶ月が経った。さて、どうなっているのかの中間報告を。実はけっこう順調に進んでいるものと、道のり半ばまで行かないものとに見事に分かれた。今日は、前者を。

『高齢者とジェンダー』(ブックレットhiroshima1000シリーズJ)は、家族社時代の1997年に出版した『介護とジェンダー』の著者である春日キスヨさんの当社からは2冊目である。『介護とジェンダー』は、当社のベストセラーかつロングセラー。3刷りまでいったところで在庫がなくなった。専門学校等でテキストに使われているので4刷りをしたいと春日さんにお願いしたところ、「この10年で家族は変わり、わたしの問題意識も変わってきたから」とやんわり断られた。

わたしはぜひこの1000シリーズに春日さんの著書を入れたいと思っていたので少しがっかりしながら、久しぶりなこともあってしぶとくあれこれお話をした。す、すると、「雑誌や新聞に連載してきたものはありますよ」と洩らされた。もちろん、わたしが聞き逃さなかったのは言うまでもない。その後、話はとんとんと進み、現在最終校正を春日さんに送ったところである。

打ち合わせでお宅に行くたびに、全無農薬自家栽培野菜をいただく。栗もたくさんいただいたのでレシピを見ながら渋皮煮にして、札幌の娘にも送った。きっと娘はびっくりしたことだろう「母は大丈夫か?」と(笑)。そんなおまけまでついた『高齢者とジェンダー』刊行。春日さんの現場への温かい眼差しが「ひとりと家族、そして国家」のあいだを読み解いていく。わたしは“社会学的エッセー”と名づけた。2009年早々の出版である。

もう一冊は『広島で性暴力を考える』。小冊子として刊行しようと思ったが、編集を進めるうちにページ数が増し、結果、1000シリーズKとして刊行することになった。2009年早々上記とともに2冊同時発行となる。

『ヒロシマ独立論』を出版した東琢磨さん(フリーランスライター・文化活動家)が仲間たちとする読書会に参加している。その議論の中で、昨年10月に起きた「岩国基地米兵による集団強姦事件」は、広島の平和運動と深くリンクしているのではないかという共通の問題意識を確認しあった。そしてその「場」が事件から1年後にシンポジウムと出版を生むことになったのだ。まさに共同作業の結晶である。とても刺激的な作業だった。

わたしもシンポジストの1人だったのでこの本に登場しているのだが、ちょっと緊張している。やはり活字になって残すということは、怖い。しかし、考えてみれば、わたしはそのようなことを編集者として他者に勧めてきたわけで、「書き手」に改めて敬意を表すばかりだ。いよいよわたしも「わたしのコトバ」を投げ出し、批判をいただくことになる。気を引き締めて、2009年を迎えたい。


2008.9.23  新たに小冊子刊行!!!!予定
9月3-15日、メキシコへ。アステカ・マヤ遺跡をさまよいながら、メキシコを徹底して植民地化(宗教・言語)したスペインを思うにつけ、しかし、朝鮮を植民地化した日本も変わらぬことを思い知らされり、メキシコ・シティでは、そこで「日本なんてちっとも恋しくありません」と言い切るフリーライターのNさんや、「もう帰っても日本に基盤はありませんから」とからっという日本語教師のSさんにも出会い、30代半ばの彼女たちの「日本との距離」と自由さを、好ましく受けとめたり。過去と現在を行ったり来たりの旅。いろいろ書きたいこともあるが…またの機会に。

帰国して、さあ、秋の仕事モードに。現在刊行しているブックレットとは別に、50ページ前後の小冊子を年内にとりあえず3冊刊行することにした。広島内外で開催される「ヒロシマ・ジェンダー」関連シンポジウムや講演会の記録をきちんと残しておくためである。

ひとつは、今年2月3日にオーラルヒストリー総合研究会主催で開催された「戦争体験を継承する」シンポジウム記録。発言者は、加納実紀代さん、平井和子さん、八木良広さん。内容は、そのときの話だけではなく、その話を受けて後日、当編集部が「継承」に絞ってインタビューをしたものである。「継承」するとは、いったいどういうことなのか。ことに「ヒロシマの継承」が叫ばれる中で、今一度「継承」の意味を考えたいと思ったからだ。

ひとつは、「ひろしま女性戦後史年表1945-60」。これまで広島女性史研究会の方々が編まれた、主に新聞記事からの年表はあるが、「原爆・原爆女性関連」事項・「女性の動き」事項・「一般社会」事項にまとめたものはなかった。先輩の仕事を元に、さらに資料を拡げて、より詳細かつ事項関係づけができたのではないかと思っている。広島県女性史の通史がない現在、その一歩になればと思う。

ひとつは、メキシコ行き直前9月1日にあったシンポジウム「広島で性暴力を考える-責められるべきは誰なのか? 性・暴力・国家」。このテーマは、岩国・呉と両軍事基地と密接なヒロシマ(わたしは軍事三角地帯と呼んでいる)を考える上で、徹底的これまで排除されてきたものだ。「平和都市ヒロシマ」という名のもとで。わたしはヒロシマをジェンダー視点で考えるとき、エポックメーキングなシンポジウムだと位置づけている。

「小粒だけど中身の濃い」小冊子、あくまでも予定ですが、どうぞご期待下さい。


2008.8.8  ヒロシマに素人の乱
「ヒロシマ」の現在を自分の目で見、自分のコトバで語ることを意識し始めて5〜6年たつが、いまだかってできないでいる。なぜなのだろう。一つはコトバの積み重ねがないからだろう。一つは現在をどうみたらいいか混乱しているからだろう。そのクロスするところに、コトバの始まりがあるとしたら、小さき者たちへの眼差しを研いで行くしかないのだ思う。

今年の8.6。5日10時「韓国人慰霊碑」前での追悼式に初めて参加。チャンゴの朴先生による追悼の儀の舞をみるために。2万人が被爆死したといわれる在日の人のうち約2300人の名簿が納棺されているという。約1割である。たくさんの不明死者たちがお互い、あるいは生者と出会えるような空間をつくることが生者の負った意味だとしたら、慰霊碑とその集いはその一つかもしれないが、それだけではないだろう。なぜ彼らはヒロシマにいたのか、そしているのか。そのこととわたしはどういう関係があるのか。その改めての問いこそ、わたしをヒロシマに、慰霊碑前に導いてもくれるはずだ。そう思いながら慰霊碑を後にした。

8.6はテレビの前で黙祷をし、アキバ市長の平和宣言をセミの鳴き声の中で聞き、優等生な子どものメッセージはすぐそばを通る汽車の音に掻き消されて聞こえず、あの日15歳だった同居者Nの点滴が終わるのをじっと見つめていた。Nの下咽頭癌は原爆のせいだったのだろうか。タバコ・酒のせいだったのだろうか。Nは原爆を特権化することを嫌い、いつもヒロシマとは遠くにいる。しかし、24時間つけっぱなしのテレビは「原爆特集番組」を選んでいることだけがいつもの年と違っていた。

夕方6時から「素人の乱」(東京高井戸の商店街の中古家電品店)のすさまじくアトランダムな、日々の空気をかき乱す、超ドキュメンタリーと仕掛け人たちのトークに。8.6にこんなに笑うことはなかったし、これからもないような気がする。とにかく権力や権力が支配する空間への氾濫が、一瞬にしてもその景色を変える痛快さ、70年代の大学闘争とは違って大学を出ても背広を着ようとしない過激な自営業者の増乱は、「ヒロシマから世界に平和を発信」するという秩序を壊し、しかし、少なくとも彼らの「核兵器廃絶ではなく、戦争そのものを廃絶する志向性」を信じられる、例年にない8.6でした。


2008.7.16 なぜ広島の女性運動は弱いのか
6月に入って、久しぶりの怒涛の日々でした。6/8「札幌女性自衛官裁判支援報告会」、6/18横川シネマ『境界の作家たち』上映と連続トークでのトーク、21日の白島ビルでのビデオ鑑賞と馬庭議員トークイベント、22日他グループ連携企画、川本隆史著『共生から』合評会でのコメンテーター。7月3日札幌での「軍隊/基地と女性国際シンポジウム」での広島報告…

自分の『コトバ』を街に放り出すとき、それが5分でも1時間でも、同じような緊張感が襲ってくるのはいつになっても変わりない。なんとも情けないことだが、この緊張感がまた楽しさでもある。もともととても怠け者なので、「締め切り」や「責任性」を問われないと、なかなか日頃の考えをまとめるということをしない。いい機会だとも思って、荷が重いものもあるが、なるべくやっていこうと思っている。

その一つがアジア女性資料センターの丹羽雅代さんからお誘いをいただいた7月3日の広島報告だった。題して『なぜ広島の女性運動は弱いのか』。こんな不名誉!?なタイトルに惹かれたのは、やはりわたしの中にそんな思いがあったからだろう。まあ、娘が札幌にいるのでそれも動機にはなったのだが、平和運動の象徴・ヒロシマの無様さを自分のコトバで語ることによって、「ヒロシマという現在」をきちんとつかんでおきたかった。その作業なしに、わたしはヒロシマと出会えないし、ヒロシマとフェミニズムは出会えないから。

札幌に行く前に、呉の「大和ミュージアム」を見学した。その足で歴史コースになっている道を散歩していると、こんな看板が見えた。「海上自衛隊員募集 平和をつくるためにあなたが必要です」。もちろん、この「呼びかけ」を今まで知らなかったわけではないが、改めて「平和」というコトバの二面性を思った。なぜなら、ヒロシマはその二面性を隠して「平和」というスローガンを唱え続けていると思うから。わたしの「平和」への違和感はここにあったようだ。

そんなことを考えていたら、はっきりと「国際平和文化都市・広島は、両足に米軍基地・岩国と、日本の自衛隊・呉(海)/海田(陸)に守られた二等辺三角形の頂点にいる」ことが見えてきた。この構図と、たとえば秋葉広島市長の「花水木と和解路線」「広島平和文化センター理事長にアメリカ人リーパーさん就任」「G8議長サミット開催」「IT戦略のための女性副市長就任」などに、つながりはないのだろうか。

こんな構図の中でこそ、広島は「平和の象徴ヒロシマ」でありえたし「国際平和文化都市ヒロシマ」でありえたのではないか。「平和」をスローガンにすることこそ、広島は現在の「軍事的体制」を不可視化できる唯一の方法ではなかったのかとさえ、思えてくる。

わたしは昨年10月の「岩国基地海兵隊員4人による19歳女性への性暴力事件が広島で起きたこと」をもう一度、この構図の中で考えなければいけないと思っている。そこが見えなかったことが、広島の女性運動の弱さになっていたかもしれない。


2008.5.16  岩国米兵性暴力事件に思う
昨年10月14日、広島市中心街・流川で岩国米兵4人による19歳の女性への性暴力事件が起こり、7ヵ月たった(詳細を知りたい方はご連絡ください)。かいつまんでいうと、1週間後にあった日本女性会議の閉会挨拶で広島県知事は「朝の3時ごろまで盛り場でうろついている未成年もどうかとおもうんでありますが」と発言。広島県警は4人を書類送検したにもかかわらず、広島地検は不起訴処分にした。その後米軍は4人を軍法会議にかけることを決め、1人目の軍法会議が5月6日にされた。判決は、「懲役2年と不名誉除隊」。「同意がない性的接触」をみとめながら、肉体的な暴力や脅迫行為がないから「強姦」ではないとしている。

このむちゃくちゃな論理がまかり通ることに腹も立つが、むしろ、広島地検の「不起訴」という決定の無残さを思わずにおれない。と同時に、すぐに抗議声明を出せなかった「わたしたち」の無残さもある。(日本女性会議は緊急アピールを出しているが、現在HPには掲載されていない)

,ネットを調べていたら、次のようなことがわかった。2月におきた沖縄の性暴力事件に対する要請行動で米国大使館を訪れた「平和フォーラム」(東京)が、レイモンド・F・グリーン課長と面会したとき、「広島で事件を起こした岩国基地の兵士は、日本では不起訴になりましたが、米国では軍事法廷のかけることになりました。米軍が裁判を行うということは、米軍の規律が高いこと、また事件を真剣に受け止めていることの象徴です」の発言があったという。この発言から読み取らなければならないことがたくさんある。

広島の女性たちはこの事件をどう受けとめたのかー。まるっきし弱い、としかいいようがないが、それ以上に、いまやほぼ何もなかったかのようである、といったほうがいいだろう。遅きに失したが、だからこそ? 有志で広島県知事の発言に対する抗議と実態の解明と窓口の設置要望100人署名を始めているのだが、これがまたなかなか集まらない。

なぜ県知事なのか、なぜ声明でなくて要望なのか、なぜ女性・女性団体の動きは弱いか、なぜ広島検察庁・警察には抗議しないのか。なぜ、なぜ、なぜ…各方面からご批判をいただいている。だから集まらないのか!?

しかし、その問いにしっかり耳を傾けたい。とりあえず、「わたし」はなにを受け止めたのか、そのことが重要だということ。「わたしたち」ではなく。少しずつ「痛み」を引きずりながら、私なりの回答を出したいと思っている。


2008.4.8  家と家族のあいだ
春になったからか、いろんなことが微動し始めた気がする。

もう一つのスペースも片が着いた。車が通らない細い路地の突き当たりのわたしの出生地「船越の家」が売れた。車が通らないと二束三文とは聞いていたが、本当に二束三文。わたしはどんな人が買ったのか知りたくなった。買主はまもなく定年を迎えるご夫婦。セカンド・ハウスとして購入されたらしい。いやいや避暑地のログハウスじゃないよ、と突っ込みを入れたくなるが、ボロ家付きがよかったのだそうだ。とにかくその「ボロ家」から逃げたかったわたしとしては、感慨深いものがある。

つまり、定年後の「日曜大工」のお遊びに、戦後すぐに父親が子ども5人を抱えて金策に走り回り買い求めた家、いまや突然アル中の住人を失って戸惑う「家」を蘇らせていただけるらしい。なるほど、こんな「家の買い方」があったのかと、妙に感心した。きっと彼らは海外旅行にも老人クラブにも老人ホームにも行かないで、あの壊れかけた家に手を入れ続けるのだろう。壊れた「家族」はなかなか修復しがたいが、壊れた「家」はまた新たな「家族」の器として修復されていくのだろうか。買い主の夫婦関係が壊れているかどうかは知らないが。

某女子大の「ジェンダーの視点から」という講座を前期だけ受け持っていて、昨日は今年度初めてのご対面。「何人かな?」と怖いものをみるように、そっと教室のドアを開けると、な、な、なんと10人様いたではないか。昨年より一人増えてました。受講理由は、単位とりもいれば、ジェンダーへの関心からもいれば、すでにジェンダーで卒論を書きたいからという学生もいて、なかなか幅が広い。

自己紹介で「某女子大」を選んだ理由を聞いてみた。「母親が卒業した大学で母親の勧めがあった」「わたしの好きな先輩を追っかけて」「共学より全てが透明できれいに見えた」「取りたい資格が取れるから」。県外に出なかった理由では、「家の人」、主に母親や祖母が反対したからという学生が半分もいる。親は「出るのなら仕送りはしない」と笑って!脅す!のだそうだ。

親の言うことなど聞くものではないということを実践してきたわたしと、「親の庇護」のもとでノビノビと暮らす彼らとの距離はいかほどのものなのか、とくとこの授業の中で観察もしてみたいと思ったしだい。

「家族」から「親密圏」へ、いまわたしの「家」は移動した。



2008.4.2 「白昼夢」の終わりと始まり 
自前のスペースがないときは、あれば何でもできるような気がしてその確保に奔走し、結果、小さいながらもスペースを手に入れると、しばらくはその熱意で楽しめるしアイデアも浮かぶのだが、また、そのスペースを維持することの大変さに、怯んでもくる--こんなことを何回繰り返してきたことか。そして23年後の今、出版社とちょっと小洒落た(!?)ビルが生き残っています。

ぎゃらりぃと茶房ジョッカfはめでたくも2年続き、いったん解散しました。2年間のめくるめく「白(島)昼夢」は、とても甘美でした。ともに時間を共有してくださった皆さん、ありがとうございました。

さて、ほんとに「フリースペース」にするために、スペースにペースを振り回されないよう、ぼちぼちといきます。広島市会議員・馬庭恭子さんのトークと「第二回見たいビデオを一緒に見る会」は今後も随時やります。画面が大きく鑑賞できるのは、映画好きにはたまりませんから。最近、広島平和映画祭実行委員会の人々との出会いがあり、「映像」分野が充実しそうです。

もう一つのスペース、6年前から運営していたDV被害者対象のシェルターを、昨年の入居一人という実績を機に閉所し、今後は広島市が計画しているDV対策基本計画と配偶者暴力防止相談センターづくりに、シェルター経験が活かせたらと思っています。そしてその経験をもとに、大学院では「日本のシェルター史」と「フェミニズムと支援」についてまとめています。これまでご協力くださいました皆様に御礼申し上げます(カンパ・物品協力していただいた方にはいずれ報告とご挨拶を致します)

「スペース」にとらわれて「フリー」でなくなっていた日々を顧みつつ、いまいちど「フリー・自由」に向き合っております。



2008.3.4  幅か筋か
「幅を広げるか、筋を通すか」−この二者択一の強迫は「運動」に関わる場合、必ずついてまわる悩みでもある。「幅を広げる」ことを優先すれば、その目的が薄れ、主催者の意図を疑われながら、ただ「たくさんの人」が集まったことに意味をもたせるしかなくなる。また、「筋を通す」ことを優先すれば、目的ははっきりするがその目的に賛同する「少数の人」しか来なくなり、主催者の狭量さが非難される。そのあいだを揺れ動くのです。

たとえば、最近よくあることなんですが、男女共同参画の講座やイベントで、とにかく「人に来てもらう」ために頭を悩ました結果、「癒しのカラー・コーディネイト講座」とか、キャリアウーマンのお化粧教室」とか、「男のファッション講座」とかが堂々と登場しています。小耳に挟んだのですが、「中高年女性がウェディングドレスを着て写真を撮る企画」や「メタボなシンデレラにならないための健康チェック」とか…。頭がくらくらして、ウーマン・リブ−フェミニズム-ジェンダー-男女共同参画の「長い道のり」を思い出しました。

それでもと思います。もちろん「幅も筋も」ある議論もイベントもしたい。だから、早々と「筋」を捨てることは、早々と「幅」を捨てることと同じぐらい方向性を失わせるのではないか、と思うのです。どちらも手放さす、「わたしたちは何をしようとしているのか」を共有し、「幅も筋も」ある「何か」に知恵を絞ることはできないのだろうか。自戒を込めて…。



2008.2.18 東京でヒロシマ
2月3日、東京でシンポジウム『「戦争を継承する」第一弾-ヒロシマを語る・ヒロシマを受け継ぐ・ヒロシマを聞き取る』(オーラルヒストリー総合研究会主催)があった。「ヒロシマ以後…」の平井さんからそのお知らせをいただき、ブックレットにできないかと考え、参加することにしていた。

が、前日から雪模様。早朝出かける用意をしていると、テレビの画面は、東京が雪のため交通が混乱しており午後まで続く、とつたえる。最近、年のせいか、こういうことに怯むようになった。若かりし頃は、ええいっと、きっとでかけたはずだ。というわけで、わたしはひよって東京行きは取りやめ、映画『ラスト、コーション』に。「禁断の愛」はもはやセックスするしかないがごとく、18禁映画。「ヒロシマ」から一挙に「上海」へ。舞台は上海! だけが救いだった、のです。

あとで、MDを送ってもらい、ようやく文字化した(テープお越しの腕はまだ落ちていなかったことに、一人でほくそ笑んでいる)。加納実紀代さん(60代)が「語り」、平井和子さん(50代)が「受け継ぎ」、八木さん(大学院生・20代)が「聞き取る」。「語る」「聞き取る」ということはどういう行為なのか、「継承する」とはどういうことなのか。短い時間の中で、3人は日頃の実践に触れながら、世代も感じさせながら、大事なキーワードを示唆した。

さあ、このキーワードをどう料理して本にしていこうか、いろいろ考えています。実はこれが編集者の編集者たる試練であり、醍醐味なのです。どういうカタチになるか、乞うご期待!

今日は結構冷える。友だちが広島を引き上げ、故郷に帰る日。父親の介護のためだ。誰かさんの「介護」の愚痴を酒を酌み交わしながら、いつも聞いてもらっていたのでちょっぴりつらいものがある。「代わり」という人はなかなかいないものだ。



2008.1.16  おばさんバックパッカーを夢見て
年明けて久しぶりに上海にぶらり2人ツアーをした。10年ぶりかな。その前10年、ツアー事業なるものもしていて、よく上海に行っていた。この10年はソウル三昧。というわけで、「昔の恋人」に会ったような、ちょっとほろ苦い懐かしさを堪能した。

当然、安ホテル。でも立地だけはよい。何せ外灘まで歩いて5分だから。早速ホテル周辺を散策。寄り添うように、いやもたれかかる様に建ち並ぶ家々。上海風物の一つ、路地に突き出た竿に干された洗濯物は相変わらずスモッグな空をそよいでいる。家の入り口は1軒ぐらいの細い三階建て。そんな町並みを竹でつくられた足台が囲っている。全部取り壊してマンションが林立するという。そういえば、浦東空港からホテルまでの車内から見えるものといえば、高さと色を競うかのようなマンション。上海はオリンピックより万博に浮き足だっているとか。

相棒が髪を切りたいというので、美容室を探した。あった、あった、のだが、みんな若いイケメン男性たち。表を行ったり来たり。勇気を出して入った。雑然とした五坪ぐらいの店内。決して日本のような「清潔さと整然さ」はないが、男性にとっての新職業のようで、なんだか愉しそう。1人は昼食をとっている。シャンプーは座ったまま泡立てて洗う。わたしはカットしたばかりなので、思い切ってトレードマーク白髪を染めることにした(広島に帰っても誰にも気付かれない!ことにちょっとへこんだけど)。

上海蟹食べて、南京路を散策・思索して、美術館で文化して、ジャズライブ(和平飯店のあの老人たちではありませんよ)聞いて、足裏マッサージして…なんだかこのままこの調子で大陸を歩けたら、なんとうれしいこと。なにせ、わたしの旅の原点だから。60を前にして、旅の原点に身を置いて、これからが「わたしの旅」だなあと、スモッグと霧の向こうを想う。

わたしが写真で、相棒がエッセーで、「中高年おばさんのバックパッカー紀行」出したいねーなんて、たわけたことを言い合いながらの四日間でした。



200712.24  酔いどれ表現者と隠れ表現者
ひさしぶりに12月はぎゃらりぃfで個展があった。28歳の男性Tさんであるが、ある日、彼の友人の婚約者が東京からやってきていた。彼女も油絵を描くというが、結婚が決まり、軽井沢の画廊で来夏結婚式を挙げるという。夫になる人はそこそこ売れ筋らしい。

その彼女がこんなことを言った。「わたしは彼を支えるけど、ほんとはこのわたしのほうが才能がある! この構図がいいんです」と。すると間髪いれずTさんが、「ボクもその構図がいい」と。わたしは思わず、「才能も使わないと枯渇するよ、枯渇するどころか、精神を病んだ女たちがたくさんいるよ」と、実は、わたしは言い損ねた。なぜ?

先日NHKで、「女性映画監督」を映画プロデューサー・李鳳宇さんがインタビューするというドキュメンタリーがあった。蜷川実花・西川美和・荻上直子・浜野佐智・河瀬直美…。最後の、李さんの「ぼくはこれまで95%女性監督を使おうとは思わなかった。いま少し考えを変えた」というような発言はとりあえずおいといて、やはり映画プロデューサーと結婚し離婚した河瀬直美が「仙頭直美になったとき、映画現場では対等なのに、家に帰るととたんに私がいつも従属させられる感じだった。それがつらくて、家を出た」と告白をしていた。

22日の上映会の一本は「わたしとフクロウ」。韓国・ソウル北部ウィジョンブ市の基地村で働く女性たちをサポートする「トゥレバン(女たちの部屋)」が制作した作品。その主人公といえる朴インスンさんは、トゥレバンに行くようになって、絵を描き始めた。その一つが「わたしとフクロウ」。そういえば、ナヌムの家でも絵を描くことが女性たちへのセラピーとして生きていたことを思い出す。

お金がないから、お腹がすくから、焼酎を飲みたいから、今でも男と寝るというインスンさんだが、トゥレバンに行くと、若いスタッフにお説教されながらも、インスンさんの筆は確かに「表現」に向かう。この映画は確かに「酔いどれ表現者」としてのインスンさんの存在感を伝える。

「才能はわたしのほうにあるけど彼を支える」彼女と、自分の「才能」についてなど考えたことのないけど描き続けるインスンさん。インスンさんは字も読めない。「表現」のもつ意味を考えさせられた一本。来年は、ミニシアターでいこうかな。



2007.11.28  「実の娘」でないということ
岩国基地米兵による性暴力事件は、不起訴になった。きっと政治的力が働いたに違いない。12月1日は、「国の仕打ちに怒り1万人集会」が岩国・錦帯橋で開催される。「再編強化反対」か「撤去」なのか、米兵による性暴力を「基地・軍隊による女性への暴力」と位置づけるのか(男性主流の市民運動ではなかなか難しいとか)、ヒロシマ市民はどういう位置にあるのか-。

話は変わるが、岩国錦帯橋といえば、認知症10年生きて8年前に亡くなった母が入所したことのある老人ホームが吉香公園を挟んである。3年間日曜日ごとに2人の子供を連れて訪問していたことを思い出す。春は桜、初夏はあやめ、秋は紅葉と、散歩に連れ出した母の目を楽しませてくれたものだ。

母は介護保険制度ができる前になくなったのだが、母がまだ生存中にできていたとしたら、私は母を老人ホームに入れずに自宅で介護できたのだろうか。できないのである。

現在、わたしは中村隆子さんと同居している。車イスで移動したり、嚥下障害で苦しんだりする隆子さんが、安全に安心に暮らせるように日曜日以外は1〜2時間ヘルパーさんに来てもらっている。4人のヘルパーさんのローテーションになって丸1年。それぞれ得意技を持ってのヘルパー稼業の面白さも伝わってくる。隆子さんもようやくそんな生活に慣れてきたところなのだが。

実は、この体制はわたしが「実の娘」ではないからできるのである。実の娘だとこれだけの介護サービスは使えないとか。しかしそれも昼間だけだから、夜の安全は誰かがいなくては維持できない。そこでわたしがいるわけだが、「実の娘」でないことをこんなに喜ばなければならないのも変な話だ。

「ひとり暮らし」というのは、本当に「ひとり暮らし」なのではなく、「ひとり」を基本にした暮らし方、人との付き合い方という意味だと思っている。介護保険制度が「ひとり」を支えてくれる日が来るのだろうか。わたしが生きているうちは無理だろうなあ。

その対応策として、シングル同士の共同生活と介護保険制度で切り抜けられないかと思っている。いま隆子さんが住んでいる家は、リビングを囲んで4部屋と台所があるので、なんとかできそう。実際、親を看取って自分はどこで誰と…という友人と目論んでいるところである。



2007.11.15  岩国とヒロシマ
10月14日広島で起きた米海兵隊岩国基地の米兵四人による19歳の女性への性暴力事件の一報を聞いて、去年、広島にあったRAA特殊慰安施設協会・占領軍のための慰安施設)のホットラインを開設したとき、岩国基地に出入りする業者だという男性から「そんな昔のことなんか調べるより、広島の繁華街で米兵に群がる女の子たちを何とかしろよ」という電話があったことを思い出した。米兵4人の年齢は、19歳、24歳、34歳、38歳。彼らは1万数千円の現金も奪っているという。また、10月20日には、藤田広島県知事が『朝の三時ごろまで盛り場でうろうろしている未成年もどうかと思うんでありますけれども…』と、こともあろうに前日から開催されていた日本女性会議会場で発言している。

女性の「落ち度」論にはうんざりだが、中国新聞には「藤田県知事の発言のどこがいけんのか」という電話がかなりあったとも聞く。19歳の男性が盛り場でうろうろしていて、米兵から暴行を受けたら藤田知事は同じように発言したのだろうか。そうではないだろう。「性のダブルスタンダード」は根強い。こうした米兵の犯罪の広域化は「平和都市・ヒロシマ」を根底から揺るがすのではないか。米岩国軍事基地と地続きであることの実感が、改めて「軍隊・基地と女性」を考えさせる。

19歳の被害者は今どうしているのだろうか。被害届を出して3週間後に書類送検。(検察は起訴するらしいと今、連絡が入った)。しかし、だからこそ、彼女を支える人はいるのだろうか。親は、友人は、弁護士や医師は、彼女のそばにいるのだろうか。いや被害届を出すときに弁護士がいたらどんなに心強かっただろうか。そんなことを思うと、広島にはその受け皿は全くないし、いや、そもそも米兵による犯罪の実態すら知らされていないことに気付く。実態をつかむことなしにそのサポートはありえないのだから。

この事件に心痛める女性たちは、わたしの周りだけでも少なくない。11月1日には沖縄から高里鈴代さん(軍隊・基地の暴力を許さない行動する女たちの会)に急遽来ていただき、沖縄の女たちの息の長い闘いの貴重な経験を聞いた。「軍事基地と女性」という構造的な視点をもちつつ、「女性への暴力」はこうして「個人」にふりかかるものであることを忘れてはならないと思う。



2007.10.2  東京とヒロシマ
やっぱりビョン・ヨンジュ監督特集東京3日間に出かけました。初日のトークは斉藤綾子さん、2日目は『ナヌムの家』3部作と矢野久美子さん(ハンナ・アーレント研究)とのトーク、3日目は「密愛」と北原みのりさん(ラブ・ピース・クラブ主宰)、「僕らのバレエ教室」と浜野佐知さん(映画監督)とのトークと、豪華ゲストの巧みなインタビューでビョン三昧を致しました。そして、ビョン監督著『アジアで女性として生きるということ』は、なんと48冊売れまして、交通費プラスアルファとなった次第です。

一挙五作上映に、「私を引退させる気ですか」とジョークでトークを始めたビョンさん。一年半お休みを取り、いよいよ次回作は宮部みゆき作『火車』の韓国バージョンに決定したとか。振り返って、そもそもわたしが映画好きになったのは、ビョン監督との出会いです(今や月に5本ぐらい観ています)。12年前の「ナヌムの家」T広島上映のときに来広したビョンさんに、なぜかわたしは強い衝撃を受けたのです。今考えれば、若くして映画を通して「世界」をつかみとろうとするその態度に魅かれたのだと思います。そして現在もビョンさんは「変わらず、変容しながら」映画をつくっていることを確認しました。

もう一つ確認したこと。加納さんと平井さんの本やヒロシマについておしゃべりしていたとき、わたしの中の「ヒロシマの非継承」を指摘されてぎくっとしたのです。そういえば、わたしは親が被爆者でありながら、「女性への暴力」を迂回してしかヒロシマにたどり着けなかったのはなぜなのか。

わたしの父は薪取りをしていた比治山で被爆、母は能美島から3日後の入市被爆、姉は学徒動員で働いていた横川の針工場で被爆。振り返ってみると、確かにわたしはこれ以上のことを知らない。知らないのにわたしは「ヒロシマの継承」をと、これからの出版の軸にしている。もう少し考えてみなければいけない。なぜわたしの両親は、教育上、あるいはちゃぶ台の話題としてヒロシマを日常的に語ろうとしなかったのか。

いくつか理由は挙げられる。両親とも自分の体験を語り継ごうとする「正しい被爆者」ではなかった、いやありえなかったということ。戦後5人の子を育てるのに、働きづくめだったということ。被爆による直接的な被害が日常を取り巻いていなかったこと。子どもが5人ともヒロシマについて関心を持っていなかったこと。でもなぜ5人とも関心を持たなかったのか。平和教育がなかったからなのか。本当に、わたしたち家族は「ヒロシマ」について語ったことがない。

それでもなお疑問は残る。なぜわたしの親たちは自分たちが体験した悲惨な体験を子どもたちに語ろうとしなかったのか。誰かに語らないで死を迎えることができるのか。いや、語りたかったけど、語れなかったのか。逆にまったく、そんな意識さえ持たなかったのか。両親にとってヒロシマ体験は「過去」の出来事として過ごせるほど「軽い」ものだったのか…。

そして、こうしたわたしの疑問と不安は、わたしだけのものなのだろうかということも考えた。重たいテーマをまた一つ抱えてしまった。田口ランディの『被爆のマリア』がぐっと近づいた。



2007.9.7 動けばいいこと何かあり
たまには東京さへと、ヌエックの2泊3日「男女共同参画のための研究と実践の交流推進フォーラム」(8月31−9月2日)に新刊を抱えていってまいりました。「情報ひろば」での本の販売・20団体ぐらいがそれぞれの自信作を机に並べていましたが、もちろん、当社発行の本のカラフルさは負けていませんでした。隣にはWEの中村さん、その隣にはアジア女性資料センターの丹羽さん…と、日頃から注目している方々と情報・知恵交換ができました。

一つは、Hiroshimaブックレット1000シリーズがめでたくもNO.10まできたので、1セット特別価格にし、女性センター等にダイレクトメールを送るというアイデア。すると、お隣WEの中村さんが「次号のWEにチラシを入れてあげますよ」というあり難いお申し出。本当に感謝、感謝。早速帰広してチラシをつくり、まじめに販売戦略に取り組んでいます。

もう一つは、ビョン・ヨンジュ監督にまつわる情報。新作の発表! と思いきや、そうではなくて、今年の山形国際ドキュメンタリー映画祭(10月4日-11日)にビョンさんは審査員として招待されていて、その後東京で『ナヌムの家』三部作、『密愛』『僕らのバレー教室』の一挙上映とトークがあるというのです(東京にもビョンさんファンがいっぱい、そりゃそうだ)。以前から一度この映画祭には行ってみたいと思っていますが、いまだ果たせていません。今年も無理そう。でも、当社発行の『アジアで女性として生きるということ』(ビョン・ヨンジュ著)は宅急便でどこにでもいけるはず。早速丹羽さんに、山形と東京で販売ができるようお願いしました。あー、でも、私は行かないでおれるかなー(笑)。

広島で、ひとりで、コツコツな私ですが、でも、ときどきこうした「フェミニズムと業界の友情」に支えられた20年だったし、今もその中で支えられていることを強く感じます。



2007.8.13  ヒロシマと9条の関係
7月29日、参議院選挙を終えて、8月3日、58歳のわが誕生日をひそかに楽しみ、6日はそういえばぼんやりとすごして、気がつけばもはや13日。「院」の宿題をいっぱい抱え、久しぶりの「夏休み」で右往左往している日々です。

広島選挙区から立候補した河野美代子さんの応援は、馬庭さんの市議選と大きく違って、国政ゆえか何か手ごたえ・歯ごたえを感じられないまま、当日を迎えたのでずか、二大政党の渦の中で、「9条を変えてはならない」という河野さんや多くの支持者の声は届きませんでした。このヒロシマで。

わたしは、楽観的でした。きっとヒロシマだからこそ、9条への反応は強いはずだと。しかし開票直後8時10分ごろには、もう判明したのです。河野さんは落選したと。さあ、じっくり選挙速報を見ようかとテレビの前に座ろうとしたそのときです。せめて競ってほしかった…。そして、せめて、なぜヒロシマで「9条」を変えないという体制が形にならないのか、考えなければいけないし、特にマスコミは改めて分析してほしいと思う。戦争はいけない、核兵器は廃絶せよ、ということと、9条の間には深くて遠い距離があるのでしょうか。

そしてこの間、政治や政治家や選挙についていろいろ考える機会がありました。今のわたしの結論は、地方議会に女性議員を増やすこと、憲法を大切にする議員を増やすこと、じわじわと攻めていくことのほうが現実的だということです。よく言われてきたことですが、改めて、その観を強くしました。

さて、7月末に出版予定とお知らせしていた本は、タイトルを『「ヒロシマ以後」の広島に生まれて-女性史・「ジェンダー」ときどき犬』として、8月20日に発売いたします。是非是非、当社からの久しぶりの本、暑い夏の読書の一冊に加えてください。詳しくは当HP出版物ご案内を!



2007.7.1   犬好き、腰痛の方へ
去年は残念ながら一冊も出版ができませんでした。巷にあふれている本ですが、本を作るということは、その前に執筆者に本を書いていただくという「つらいが楽しい作業」を経なければなりません。編集者は執筆者がノッて筆を進めてくださるように、時には甘く、時には甘く、言い寄るのです。しつこいなーと嫌われるのを覚悟で。そのぐらいの覚悟でないと、お忙しい執筆者の息に近づくことができません。でも、その息が合ったときのあの高揚感は、結構好きです。

とうとう、ようやく、ブックレットが7月末に出版できそうです。平井和子著『犬と女性史とジェンダーと−ヒロシマを継承するために』(仮題)。犬好きの人、女性史に、ジェンダーに、さらにヒロシマに関心ある人、そして腰痛で悩んでいる人?など幅広い層を狙って(!)おります。

そうです。平井さんは広島出身、静岡在住の女性史研究者です。加納実紀代さんを通じての出会いです。2年前の全国女性史大会で初めてお会いしました。そのとき、犬が大好きなこと、広島で被爆者に聞き取りをしていること、ジェンダー視点で暮らしをつむぐ「メイプル通信」を発信していることを知りました。わたしのアンテナはしっかりキャッチしておりました。早速、「本を出版しましょう」と半ば強引にお誘いしたというわけです。

メイプル通信を拝読して、「痒いところに手が届く文章」とでもいうのでしょうか、平井さんの女性史や暮らしへの眼差しにはっとすることが多く、日頃見落としていることの「危うさ」を、静かに、はっきりと届けてくれます。どうぞお楽しみに! 

平井さんのプロフィール●1955年生まれ。日本近現代女性史、ジェンダー論。大妻女子大学非常勤講師。論文に「米軍基地売買春と反「売春」運動−御殿場の場合」「日本占領を『性』で見直す」などがあり、この2007年5月に出版されたばかりの『占領と性-政策・実態・表象』にも「RAAと「赤線」−熱海における展開」を執筆。



2007.5.23   駒尺喜美さんの訃報 
すでにご存知かと思いますが、文学者でありライフアーチストの駒尺喜美さんが昨日亡くなられました。82歳でした。体調が悪く、ここ1年、入退院を繰り返しているということはお聞きしていましたが、どうされているかなあと気になった矢先でした。

月刊家族を発行するときも、中村のガン手術のときも、ブックス家族を開店するときも、ひろしま女性学研究所として再出発するときも、いつもいつも変わらぬエールを送り続けてくださいました。『近かったら一緒に面白いことができるのになあ』なんて、嬉しいことも言ってくださってましたが、伊豆はやはり遠かった。

『魔女の論理』の著者・駒尺喜美さんとして本で出会って、実際に交流することになるなんて考えてもいなかったけど、取材にかこつけて何回かお邪魔していくうち、ますますファンになっていったわけです。

今日午後一時、荼毘にふされると聞いてます。小西さんや駒尺さんと共に生きてきた後輩の女たちに囲まれて。いずれ『偲ぶ会』が開かれるそうなので、そのときに『友だち村』を訪れるつもりです。

で、今日は、私流に駒尺さんを偲ぶため、『ジェンダー学』講座を持っているある女子大(9人ですが)で、駒尺さんについて話しました。もちろん学生さんは、駒尺さんの名前も業績も著書も知りません。それでも、当研究所から発行した『<魔女>が読む源氏物語』をプレゼントすると、結構興味深くページを開いていました。少しでも先輩の女性たちに思いを馳せてもらえたら。(たかお記)



2007.4.16    馬庭さん“楽勝” 私は“苦戦”
新聞紙上で皆様すでにご存知かと思いますが、広島市議選に二期目挑戦した馬庭恭子さんは定数削減の中大いに検討し二位当選、7056票獲得でした。投票率が50%を越えて各候補得票率は上がったが、馬庭さんの場合はそれだけではなく、その基礎票にさらに上乗せされた票があったということ。これは馬庭さんの一期の仕事と二期目への期待が確実に評価されたことを意味している。

時速15−20キロで堂々と市内中心部を走り回ることが出来る選挙期間中、大通りから路地まで舐めるように車を走らせたが、あまり人が歩いていない。見かけるのは高齢者ばかりで、高齢社会を実感した日々でもあるが、そんな町で「高齢・福祉・医療の専門家・馬庭」さんは、名前だけではなく、実績と課題をきちんと伝えていたことは、家でひっそりと暮らすひとり暮らしの高齢者にも届いていたと思う。次には「女性施策の専門家・○○」さんも登場することを願いつつ、馬庭さんへの期待は、確実に連動して次期の女性候補!?を勇気付けることになったのは間違いない。

昨日は深入山に友人と登った。山焼きが終わったなだらかな山。一時間で登頂すると看板にあったので、楽勝と思いきや、なんのなんの。息切れ激しく2回休憩すること、情けないさまである。カーライフを手放せないままここまで来て、ふと足元をみると…。選挙で足元固めの重要性を教えられた矢先だったが。(たかお記)



2007.3.24   ま庭で走る  
ずいぶんご無沙汰だった。ものすごく忙しかった、わけがない。むしろ静かな時間が流れていて、あれこれ考える時間がたくさんあった。

気がついたら、広島市会議員二期目に挑戦する馬庭恭子さんの選挙活動日が目の前に迫っている。30日から投票日4月8日前日の7日まで、わたしは選挙カーの運転をすることになっている。馬庭さんの意欲が広島市政につながるよう、しっかりお務めを果たしたいと思っている。

そういえばいよいよ大学院生の生活が始まる4月でもあるし、もう一つ、ぎゃらりぃfの体制を変えて再出発の4月でもある。報告が遅れたが、1階の『ぎゃらりぃf』と3階の『すぺーすf』の運営はひろしま女性学研究所から独立させ、新たに『ジョッカ(イタリア語で楽しむ)f』というグループを作り、今のところ7人が共同運営することになった。これにはいろいろな事情があるが、硬く言えば、誰もが平等な責任と権利を持つことを前提にして「楽しむ空間」にしようというわけだ。そうそう、もし、「私も」と手を上げてくださる方がいらっしゃいましたら、ご連絡の程よろしく。また、スペースも借り易くお安くしていますよ。

現在ぎゃらりぃで展示している21歳の松村佳子さん。「今、誰にあっても何を聞いてもなんでも吸収できて、愉しい!」と言う。うわぁ、私もそういう時期があったなあ。わたしはたぶん20代後半から30代。ウーマン・リブやフェミニズムに出会って、がぜん生きることに貪欲になったことを思い出す。
身をもてあますほどのテンションは確実に落ちたが、その余韻をうまく生きていきたい。(たかお記)



2007.2.17   15cmの年月
最近続けて「月刊家族」申し込みが2件あった。びっくりするやら嬉しいやら、懐かしいやら。月刊家族を終刊して丸2年。19年間刊行したそれは、5cmの厚さ、3冊に製本されて鎮座ましましている。いまだその余韻の中に居るといってもいかもしれない。なかなかあのときのあの感覚から離れられず、われながら情けない。それだけわたしにとって凝縮した時間だったということだろう。

時々ページをめくる。そのときそのときのわたしの未熟な、でも必死な問題意識が見えて、面映い心地でつい時間を忘れて読みいっている。ミニコミであろうが取材で成り立つ新聞には、“出会い”によって生まれる力で満ち溢れている。月刊家族もわたしも例外ではない。

“出会い”があれば“別れ”もある。会わないですむならそっとしておきたいという、不幸な別れもある。年をとればとるほど丸くならないわたしなので、そういう人が増えていっているような気がしてときどき猛烈に自己:嫌悪に陥り、そんなときは昼間から映画館にもぐりこむ。

月刊家族を申し込んでくださった方は、いったい何を期待してくださったのだろう。もしまだ月刊家族を発行し続けていたら、わたしは特集テーマをどのように料理するだろうかと想像してみる。例えばいくつかの柳沢発言をどの角度から取り上げ、どのような人に発言を求め、どのようにまとめるか--そういえば、結構いまだわたしはそのような回路を捨てずにいるのだが、実はわたしのささやかな「ひとり遊び」にもなっている。(たかお記)



2007.2.10   柳沢大臣も真っ青!
「即今、テレビ新聞で難詰、問責して居る柳沢大臣の機械発言は全くものかはである。『機械』とは単に機能、権能の意味。反対解釈として『男性は子供を生む機械は持たない』等と言えば、即ち、男性軽視発言となるのか。高麗久久しく笑止千万と言わざる可からず。予に言わせば女は人間製造株式会社の社長、男はそれに雇われた夜の夜中の油差しである。然るを『女が産む機械なら男は働く機械か』と宣うて居る。答えは応である。柳沢大臣は何も陳謝すべきに有らざるを一再ならず…。然るを大人気なく貧乏人共が不和雷同それぞれ尻馬に乗り何時までしねくね抜かすのか。外道共が。道に外れるから外道である。野党の莫迦共三百代言的申し状で連日牽強付会を抜かし居る。無分別。無粋。無能。不仁、不按、不遜凡そ有らゆる『無』や『不』の字を付けても尚足らざる程である。厚顔無恥等と言う言葉では到底形容の出来るに非ず。今朝の新聞に依り満腔の不満と憤激に堪えず攬筆した次第である。手を束ねて謝の意を表したる者に追い討ちはやめい。将にこの意見に文句あるなら電話・FAX・持参も苦しからず。払暁○○」個人タクシー運転手・62歳。

有志で柳沢発言への街頭抗議行動をしたのが2月4日。あくる日の中国新聞の記事を読んで早速いただいた「抗議」ファックスである。今は21世紀だぞ、いつの時代の文体かと思いきや、内容も明治時代の匂いぷんぷん。『女は人間製造株式会社の社長』とは柳沢大臣も真っ青!だろう。

それにしても思う。わざわざファックス番号を調べて『満腔の不満と憤激』をもって手紙を書きファックスする、このおじ様のエネルギーはいったいなんだろうと。去年の夏『占領軍向け性的慰安所』についてのホットラインをしたときも、4件のうち2件が70代のおじ様の『怒り』のお電話だった。

被害者意識からくる女嫌い? なんなんだろうと頭を巡らすうちに、こうした『古いおじ様』の嫌がらせは、こと「女と戦争」について向けられていることに気付いた。おじ様は『女と戦争』に対して血が騒ぐらしいということ。そういえば安部内閣もしっかりこの定式にはまっている。だからこそ『怒り』は冷静に表現したい。(たかお記)



2007.1.29     ジャズ空間の表情
1月のライブは「梶田誠悟(ジャズギター)&石津典子(ヴォーカル)」お2人によるジャズライブ。3時間前から暖めた部屋はほぼ20人の観客。ボストンのバークリー音楽院に留学していた梶田さんのギターテクニックのすばらしさには、舌を巻いた。ハスキーな石津さんは五輪真弓の『恋人よ』、陽水の『少年時代』から、『Night & Day』などジャズスタンダートナンバーまで、10曲を披露。ゴスペルがお得意という石津さんの声とともに、顔の表情が印象的だった(何せ近いですからね)。

白島にジャズがやってきた! な気分を満喫した日曜日の午後。小笠原さんのミキシングも板についてきて、安心して演奏に耳を傾けることができ、少しからだが軽やかになっていることに気付いた。

お2人とも20代半ば。梶田さんはギターを教えながら、石津さんはOLをやりながら、好きな音楽に邁進しておられる。その繊細な空気が十分に伝わってきて、心地いい。ライブの面白さは、演奏者の姿、聴き手の姿が、その空間の表情として体感できるということかもしれない。ミニであればあるほどその「表情」が直接的だ。

4月には篠笛のグループの方のライブを予定している。是非是非一度「体感」してみてください。(たかお記)



2007.1.22  コミカル&シニカル
久しぶりに大阪のドーンセンターに出かけた。以前ご紹介した綾智佳さん(写真表現大学ディレクター・The Third gallery Aya)が韓国のパク・ヨンスク(写真家)さんの提案を受けて、『コミカル&シニカル-韓国と日本の現代写真/二人の女性のディレクターから見た一側面』という写真展を開催(1.17-31)されたからだ。開催以来連日のギャラリートーク、20日には、両ディレクター・北原恵・小林美香・韓錦Rさんらによるフォーラムがあり、その意気込みが十分伝わるものだった。

写真展は採算が合わなくて閉鎖されていた地下プール跡というユニークな空間。韓日8人ずつ、16人の若手作家の作品が、室内のタイルを生かしながら、プール自体の空間を生かしながら、その沈黙が響きあうという効果をもたらしていた。

テーマ性、メッセージ性を韓国人作家に、感覚的なスナップの面白さを日本人作家に感じた。タイトルの「コミカル&シニカル」はもともとこうしたものを表そうとしたのかと勘違いしてしまいそうだが、こうした二分法はどこか危険でもある(自戒をこめて)。

フォーラムでもそのことが語られた。写真研究者・小林さんは、「韓国作品はジェンダー的、政治的なメッセージが強いが、日本は同じような状況でありながらそれを笑い飛ばす作品になっている」と評したが、韓国写真評論家・韓さんは「どちらも写真はコミュニケーションツールだということに変わりはない」と釘をさした。作家は同時代性を生き、写しているということが大事なのかもしれないが、しかし、なぜ「生きる場所」によってこんなに視点が違うのかも考えてみたいことではある。それにしても「コミカル&シニカル」とはなかなかいいタイトル!。

実際韓国人作品では、米軍基地や結婚・女の生き方を作品にしたものが印象深く、既成の枠組みを解体する方向性が見えるぶん、やはり写真に「強さとしなやかさ」を感じるし、わたしは好きだ。韓国では2000年以降、ようやく写真に目が向けられるようになり、二元論を超えてその境界に視点を置く、つまり多様性・混成性が重要視されるようになったとか。今回の展示はその成果かな。写真に関心をお持ちの方、是非、足を運んでみてください。

ドーンセンターにあるウィメンズブックストアゆうの森屋裕子さんと立ち話もできた。お互い出版業の難しさを嘆いたり…。そして紹介していただいた写真研究者の小林美香さんは、なんと広島にいたことがあり中・高校の後輩だった。わたしより二周り若い。早速彼女の著書『写真を<読む>視点』をゆうで買って帰った。(たかお記)



2007.1.16 変わり身が早い!
4月23日にオープンしたぎゃらりぃ茶房fとすぺーすf。約9ヶ月たって、また3月からリニューアルすることになった。ひろしま女性学研究所の運営から独立させて、この指とまれ!でとまった人の共同運営に体制を変える。名称は「fネット」(仮称)。この間、展示もミニライブも韓国伝統茶も、意気込みの中で実績もつくっていったのだが、スタッフの見込み違いや思い込みやそれぞれの主仕事との両立やらで、少々ズレが生じ始めたので軌道修正が必要となった。現在新体制作り真っ最中だ。

まことに「空間」を維持するのにはエネルギーが要る。エネルギーの質、量が問われる。それでもf空間への思いはお互い強く、知恵を絞った結果を2月に入ったらご報告できるはず。内容が大きく変わるわけではないが、それぞれのイメージを最大限発揮できるよう、工夫したい。ある人に空間は使うのではなく、育てるんだよと言われた。育てるのには手間暇かかる。「いまある空間」に振り回されず、「ちょっと先の空間」を意識して、私たち自身も育つ空間にするために。

行き詰まったら原点に帰る、これがわたしのモットーだが、原点に帰るけれどそこからまた変わり続けることを楽しみたい。変わり身が早い! のがとりえかな。(たかお記)



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2007.1.8  混乱させる「選挙公報」?
6日、3回目になる現広島市会議員・馬庭恭子と語るかい!で始まった当研究所の仕事。今回は政令指令12都市のなかでは北九州市と広島市だけが広島市議候補の選挙公報が発行されていないという話で盛り上がった。

新聞等ではその審議会で「発行しない」ことになったという報道がなされたが、まだ議会には提出されておらず、2月議会で決まるとか。選挙公報発行に賛成はわずか6人。共産党と馬庭議員だけだそうです。反対多数だがその理由がなんとも幼稚。「財政困難な中で750万円かかる費用は無駄」「できもしない公約を書くような広報は選挙民を混乱させる」だそうだ。

市長選と市議選が同日選挙になったのだから、その費用を回せばいいことだし、反対議員は「できもしない公約」を書いてきたのかとあきれてしまう。政治は「理念と具体的政策」がなくてはなりたたない。そして選挙民はその「理念と具体的政策」を知る権利がある。そのための「選挙公報」はとても重要な選挙情報なのに、こんなことにおどおどする議員がいるなんて…。しかも新人が立候補する場合には特に必要であることは、誰が考えても明らかだ。

馬庭議員は2月議会に是非提出して実現したいと意欲満々。それには広島市民からの要望があることが大きな鍵になる。是非マスコミ投書や広島市に要望を出してください!ませ。もちろんわたしも出します!(たかお記)

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2007.1.1 “手綱”を緩めて、今年もよろしく!
元家族社社長・中村亭に大晦日には泊まり、34型液晶テレビに映る紅白歌合戦を消せばいいものを、「動く世界」がないと耐えられないという中村の習慣にならってテレビバックミュージックを聞きながら、「家族の『絆』とは家族の『手綱』だ」と薀蓄たれる中村とわたしは、ホームレス仲間。

1日、眼を覚ますと、陽が浅く入り込む窓辺に、いつものように焼酎を片手に中村は、てぐすね引いて待っている。「コトバとはなにか」「愛とは何か」「老いとは何か」際限なく、電気喉頭声は疲れを知らない。その合間に、中村は年賀はがきが今日来ることを思い出した。

1枚来ていた。女学校の友人からだった。わたしたち2人は「老いとは何か」を語るべくもなく、了解した。「老いる」とは、年賀状が1枚になることだと。わたしも夕方帰宅してポストを開けると、1枚の年賀はがきが厳かにそこにあった。2年前亡くなった友人のお姉さんからだった。

わたしの「老い」のスピードを感じるとともに、意外とそれが淋しいものではないことを自覚した。それは確実にわたしが老いていることの証だろう。そんな感慨をもった2007年元旦。何も変わらぬ今日の続きの明日をもう少し楽しみたいと思っている。(たかお記)

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12.24   課題山盛り 来年もよろしく!
昨日の忘年会で、すべてを終えた。すべてなんて大げさに聞こえるが、ぎゃらりぃやミニライブというこれまでと違ったことを手がけたので、どこか緊張感が張り付いていて「すべて」という表現になった。ごくろうさんでした! そしてありがとうございました。足を白島まで運んでくださったすべての皆様に感謝。いろいろ問題も出てきたが、それは当然で、ゆっくり解決していくしかない。

ブックレット出版予定3冊は残念ながら実現しなかった。本を出すということは本当に難しい。巷にあふれる出版物をそばめに見ながら、気を取り直しているところ。乞う、ご期待! 本業がちょっとおざなりになった年でしたが、長い眼で見てやってください。(たかお記)

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12.16  いま読みたい物語 
たまに立ち寄る居酒屋食堂でたまたま映画の話になった。映画好きなわたしに、今年のベストワン1は?と聞かれたので、すぐに思いついた『かもめ食堂』と答えたら、すかさず「えっ、あんなリアリティのない映画が?」と驚かれた。彼女に言わせると「あんな食堂があるはずがない。あんな高級なブランドの食器や鍋やエプロンを使ってるところなんて」と取り付く島がない。

さすが食堂経営者。見るところが違う!といったん引っ込んだが、その先に話が進まない。人はそれぞれ見るところが違うのだといえば、それはそうだが、そんなことを言えば、突然フィンランドに行って女一人でなんであんな食堂が開けるのかからして不思議な物語だ。原作では宝くじが当たったことになっているのだが、それもまたなかなかのありえない話。

人は自分が読みたい物語をそこに読もうとする、自己反映は免れない。してみれば、わたしが『かもめ食堂』に触発されたのは、わたしの何かが『女たちの物語』として読みたいと思ったからだろうか。あの3人の女たちの関係性。それが、いまのわたしの何かをかき混ぜたというわけだ。

わたしはここ20年、女たちとの共同作業に夢中になった。『わたしの体験』や『女たちとの体験』を意識的にコトバにし、仕事にもしてきた。その中で深い痛手もたくさんあった。共同という言葉の中には『困難』を含んでいるとしか思えないとき、それでも『女』に希望を持ってきたような気がする。でもあの映画を見て、『あんなきれいな関係があるはずはない。あんなに偶然にうまくいく関係なんてない』とは思わなかった。わたしにはとてもリアリティのある希望に見えたのだ。

人は生きたように老い、人は見たいように見る。ならば『生きた』や『見たい』をかたちづくったものへの洞察が欠かせないだろう。(たかお記)

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12.12  支離滅裂介護論  
痴呆の母の介護は施設を利用することで切り抜けた。だから、食べること、風呂に入れること、おしめを替えること、眠れない夜につきあうこと、からだを拭くこと、着替えさせることなど、直接からだに触れる介護はほとんどしていないことに改めて気付いた。わたしはいったい母にとってどういう存在だったんだろう。施設を見つけ、入所手続きをし、一週間に一度訪問する。そのことを果たして「介護」した、「看取った」といえるのだろうかと、つらつら考える日々だ。

どんなに家事・介護が上手な人でも、それぞれこだわるところが違うし、好みも違うしやり方も違うから、どこで相手の「満足度」を計るかは難しい。ましてや、はっきり言ってわたしは家事も苦手。それにスキンシップも苦手なので、介護も下手だ。それは十分自覚しているのだが、それでもできるだけの想像力を働かせて相手を不快にしないように努力はする。その積み重ねが「満足」感をもたらすのだ思うから。

わたしは「介護者」と「被介護者」は対等だと思っている。それはないよと、施設で働く友人はわたしを諌めるが、わたしが「被介護者」になったときにそうありたいから、そう思っている。人の手を上手に借りる力を身につけた自律的な「被介護者」であるために。そのときに初めて信頼に基づいた「介護関係」が成立するのではないかと。

現実はそう簡単ではないこともよく知っている。それまでの関係性が大きく影響するから。でも、介護者が家族であろうとヘルパーであろうと友人であろうと、自分の身体をめぐる変化と自分の身体に近い他者の存在とどう付き合っていくのか。これが「老い」というテーマのひとつではないだろうか。

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11.28   わたしは落語者!
25日は、女2人落語ミニライブ。そのお1人吉野紫小枝(あさえ)さんもやはり50過ぎて突然落語を始めた人。古典『天狗裁き』は初めてとか。漫才も手がけ、男女共同参画や高齢社会問題をわかりやすく楽しく解説する吉野さんは公民館などで引っ張りだことか。白髪・刈り上げのよく似合う吉野さん。今日は、新婚旅行で行った奄美大島で手に入れたという素敵な大島紬の着物を着て、お囃子にのって登場!

わたしは落語をじっくり聞いたことがないまったくの門外漢。その面白さを知らないまま57年を過ごしたわけだが、この期に及んで、落語のダイナミックな物語性に、ほほが緩み、笑っている自分を発見するとは。物語性を表現する吉野さんの顔の表情、からだの動きは、吉野さんからにじみ出る身体の物語とも読み取れるし、落語暦5年というが、人生暦57年の動画のようにも思えた。

そういえば、2年前に癌で亡くなった友人は落語が好きで、入院中も在宅療養のときも桂枝雀のCDを手放さなかったことを思い出した。わたしの手元に残されたそのCDは、落語の面白さを知らなかったわたしの部屋の戸棚に大事にしまわれているのだが、時間があったらゆっくり聞いてみよう。そして、『じゃあ、またね』と言って逝った友人に、いずれ会うだろうから、どんな気持ちで聞いていたのか、どんな落語が好きだったのか、いろいろおしゃべりしてみよう。2人の人生の「おち」についても。(たかお記)

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11.20   Her Story
6年前、急に絵が描きたくなり、今年からは陶人形を制作してきたという尾留川さん(珍しい名前!)の作品展『Their Stories』は、女体ファンタジーの世界だ。

最初は絵を書いていたが、その後男女の「AI NO KOUI」を絵ではなく立体人形で作りたくなり、いまや、一日たりとも土をこねない日はないという。主婦の仕事は完璧にやりながら、それ以外はすべての時間を費やす。子どもが学校に行って帰るまでの昼間、子どもが寝てからの夜。子どものソフトポール練習当番に駆り出されても、早く帰って制作したいと思うばかりとか。

彼女が興味深いことを言った。「絵や陶芸をし始めて、お化粧をしなくなり、すべてがシンプルな生活になった。テレビも見ない」と。そして、内なる欲望を形にしていく快感が、土を手にしたとたん、自然に人形になって次から次に生まれてくるのだという。「だから、人形は自分がまだ出会っていない分身なのかもしれない」。鏡に映る化粧した自分から、自分が生み出した自分を手にする感覚とはどのようなものか。もしかしたら、それをわたしは「ファンタジー」と思ったのかもしれない。

男が作った「女体」ではなく、女が生み出した「女体」は少なくともそこに「自・身」がいるという意味で、『My Story』である。(たかお記)

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11.12  チュニジア料理
昨日は、現在展示中の『小さなチュニジア展』のお楽しみ企画『チュニジア料理を楽しもう』日。お客様は5人でしたが、2年間滞在で鍛えた坂本さんの手早いチュニジア料理を、ほとんど知らなかったチュニジアのお話とともに堪能致しました。以下はレシピです。是非試してみてください。

<オジャ>たまねぎ・ピーマン・なすび・えびをいためて塩・胡椒する。更にケチャップとハリッサ(韓国のコチジャンのようなもの)を加え、溶き卵でとじる。これをフランスパンにノっけて食べます。パンのさくさく感と辛味が絶妙です。

<ブリック>春巻きをお茶碗に敷き、その中に卵を割りいれ、チーズとツナをおいて包むようにして、たっぷり目の油で焼きます。卵が春巻きからこぼれ出さないように焼くのはかなりコツがいるみたい。レモンをかけていただきます。朝食によさそう。地中海に面していて生魚が多いかと思いきや、あちらではツナ缶をよく使うそうです。

<ミントティー>紅茶とミントと砂糖を最初から煮出します。
 
                乾煎りしたヒヨコマメ

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11.09  団塊世代の老いらく
久しぶりに高齢社会問題のシンポジウムに行った。高齢社会をよくする女性の会・広島(馬庭恭子代表)主催の『ひとりを生き抜く力-頼りになるのか?介護保険』。最近はわたしは「DVと戦争と女性史」に偏りがちなのだが、「老い問題」はすぐ目の前にあるのも確か。介護保険制度はわたしの“ひとり暮らし”を支えてくれるのか--樋口恵子さんもシンポジストの1人。どれどれ少しおさらいをして新情報を入れようと出かけていった次第。180人の参加がこの問題への関心の高さを示していた。

このたびの介護保険「改正」は、10年後の団塊世代の高齢をにらんで「独居世帯」を支えるものにするものであり、これからは地域包括支援センターが中心になって、地域ネット介護体制が組まれていくとのこと。最終的には「モノ言う市民」になりましょう、ということだが、その解説を聞いてもちっとも「わたしのひとり暮らし」が支えられるという安心感がもてない。

たぶん話の中に生身の「個人」というものが見えないからだろう。確かに「地域ネット」は大切だろうが、介護保険は個人との契約であり、その契約内容を当事者の現場から充実させることはもっと大切じゃないかと思うからだ。支援センターも制度を根拠に進められるのだから、制度が“ひとり暮らし”を支えるものでなければおのずと限度がある。

シンポジストの広島県職員・支援センター職員・学者の方は、いずれも「地域」をキーワードにお話しをされるのだが、わたしはこの「地域」という言葉は気をつけて使わなければいけないと思っている。「地域」を強調する余りに「個人」が不可視化されていく傾向があるからだ。

介護保険がしっかり「個人」を支え、その現場のネットとして「地域」は重要だろうと思うが、その反対ではないと思う。それはわたしが「地縁」より「志縁」の中で生きてきたからだろうか。しかし「志縁」もまた「老い」を生きるものに重要であることは変わりない。久しぶりに「志縁」という言葉をころがしてみた。それにしても樋口恵子さんがずいぶんお疲れのようなのが気になったのですが…。(たかお記)

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11.06 音と写真とコトバ
「カヤグムを聴こう」と「女性写真作家作品を読む」を終えたら、もうすでに肌寒い季節。セーターを着た。早いなあ。

21弦の絹糸を素手で奏でる20歳のサンミさん。成人式に来たというブルー地に刺繍をちりばめたチマチョゴリは、いまさらながら美しい。そしてカヤグムの音色は、白島を一瞬「白い島」に変えるほどに琴線に触れる。それは「指先」から生まれたコトバだからかもしれない。

「写真はコトバを持たない人の道具ではない。コトバを持つ人がいい写真を撮り、いい写真をとる人はコトバを持っている」ということを教えてもらったのは、わたしが1年間通った写真表現大学(大阪)の講座ディレクター・綾智佳さん。彼女は大学卒業後三年間OLをした後、写真表現大学に行き、その後、自身のぎゃらりぃ運営と若手写真家を育てる仕事をしておられる。このたび県北高野町の女性たちへの写真ワークショップ講師として、広島県女性会議の招きで来広された。せっかくなので4日に急遽当研究所で講座を持ったしだいだ。

写真業界も東京中心。大阪という地、しかも「女」であるということでご苦労も多いようだ。が、その中で「女性の作品に反応する」彼女は、若手女性写真家と共同で「写場写場」という雑誌を編集したり、写真中心のぎゃらりぃ運営を着実に定着させておられる。わたしが期待したい女性の1人であることは間違いない。

彼女に言わせると、ありそうでないのが「老い」をめぐる写真だそうだ。高齢社会は当然「老い」を表現する場を生み出さざるを得ないだろう。身近になったカメラは、誰でも撮ることができるからこそ、日々刻々その「老い」を記録し、記憶し、表現する道具として一層コトバ化していくのではないだろうか。(たかお記)

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10月 /27 /17 /5


10.17 なぜオスが生まれたか
「性と進化のなぞ」というテーマで、「行動生態学」専門の長谷川真理子さんの講演会にいきました。面白かった、分かりやすかった。そして科学による解明について絶対視しない態度に好感をもちました。

生命を増やすというてんでは、単為生殖が効率いい。クローンなどは環境対応に弱い。有性生殖は単為生殖の2倍効率が悪いにもかかわらず、どうしてオスが出来たのかはナゾである。が、混ぜ合わせることによって、多様性をつくり様々な環境の変化に対応するということが考えられる。う〜〜ん、「類」としてのオトコは好きなわたしはやはり有性生殖類なんですわね。

そして社会学フェミニストからはあまり言ってくれるなといわれるが、性差はあると。しかし基本的人権の立場からも伝統的性役割概念は見直されねばならないと。性差によって個人の自由が束縛されてはならないんだと。そして諸処の決定機関に女性は参加してシステムを変えていくことが大事であると。

高雄さんが「暴力」をどうみるか?という質問。長谷川さん曰く、暴力本能説はもはやつかわない。条件(生存する、身をまもるなど)しだいで乗るかそるか?という条件依存が考えられる。生物は追い込まれると暴力的になると。DVなどでは、男は自分の子どもの確認が出来にくいので配偶者防衛をする、その過剰な形ではないのか。

まだまだ、いろんな話があって書き切れません。一度講演を聞いた人などで座談したらいいね。まだわたしも整理されてないんですが、ふと頭をよぎったのは「堕胎」について。

「堕胎という行為は動物の世界ではありえない。すべてが自然分娩か流産だ。堕胎は意識的に(命?)を抹殺することで、ここに人間の意識が働く。自然に従うのでなく意識で自然をねじふせる。いわばきわめて人間的な行為。昔「間引き」は罪に問われたのだろうか。闇から闇に葬りさられた歴史がある。戦争は正義という名において行われる大量殺人だが、女は命を生むことも殺すことも出来る自由を獲得している」

これはわたしが堕胎するのかしないのか選択をせまられている若いときのメモ。皇室の「女の腹は借りもの」思想論外。「純潔教育」論外。だけど女性が生む生まないの選択の自由を手に入れたとき、命を大切にする性教育だけじゃない、生物学的な土台からモラルにいたるまで、さまざまな「生む性」についての「女の哲学」が豊かになるといいな。(いさじ記)


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10.5  根源的な愚痴
ある人から『せっかく面白い空間なのに、場所が悪いよ。ビルを貸してその家賃で中央に出てきたほうがいいよ」という、かなり本気な忠告をいただきました。私の商売センスがないのはおいといて、確かに住宅街にぽつんとある『ぎゃらりぃ茶房f』は、交通の便と駐車場が一台分(2万円もするのです!)しかないという物理的な障害に押されて、なかなかお客さんに来てもらえません。内容には結構自信を持っているのですが。

そういえば『女性・家族専門書店・ブックス家族』も最後は意地だけでやって13年の幕を5年前に閉じました。最後の3年間は女性センターの一角という中心地に進出したのですが、結局、閉店。その後の事業として、ぎゃらりーとフリースペースを考え、リニューアルしたわけですが、懲りないというか、やりたがりというか、せっかく主義というか…。場所が変わらないのだから、同じ悩みにぶつかるわけですよ(自業自得という温かいお言葉が聞こえてきそう)。笑ってくださいませ。

女性の動きとして、行政の女性センターと民間の女性スペースがあるのはいいことだと思うので、もう少しチャレンジしてもいいのですが、お店は誰かがいなくてはいけないという制約があるので売り上げもほしい。そのジレンマに、暇していると考え込んでしまうのです。それなら場所を変えてみるのも一案、なわけですが、そうことは簡単ではないのです。あの手この手でいろいろイベントも企画して、年内はかなりなものなのですが…。頭が痛いーい。でも場所だけの問題だけではないことは承知しております。(たかお記)


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9月 /28 /22 /17 /15 /14 /4
9.28   ブックアート
思い立ったらやってみるもんだ、と今回も思いました。最近は、『いい企画』を思いついても、だんだん腰が重くなり、一週間ぐらいしてもまだ頭から離れないものであることを確認して動き出すようになっていますから。

それでも今展示中の「公共図書室から一時消えたジェンダー関連本150冊展』。小さいながらも出版社である当研究所としては、見逃せない動きでした。過激であるとかないとかの問題ではありません。表現が誰かの圧力によってないものにされるということが許せないことですから。

その昔、本屋をやっていた私の手元には、たくさんの本が陽の目を見ないまま倉庫に埋もれていたのですが、こんなことで出番ができようとは。リストアップされた150冊すべてはなかったので借り集め、124冊を展示することができました。さて、いかにお金をかけないでどのように展示するか。

口が裏打ちされた8枚一組のビニール袋を100円ショップでみつけました。これだ! 手にとって見てもらえるし、なんと、思わぬ展示効果が出たのです。まさしくブックアート。編集者が精魂こめて作った本の表紙は、デザイン・色・文字の配置など工夫が凝らしてあり、本というもののアート性を改めて発見することになりました。

ご覧になった方はみなさん『これはいいアイデア。もらいます!』と。おーい、本もちゃんと見てくださいねー。(たかお記)

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9.22   地域デビュー
毎週金曜日の中国新聞には販売営業所が発行する『ほのぼの飄漫通信』(2万部)が差し挟まれています。今日その通信に『ぎゃらりぃ茶房f』が紹介されました。いつもは静かなぎゃらりぃ。今日は電話が多いなあと思っていたら、白島地域の人からの問合せでした。つまり白島でも知られていないという証でもあるのですが。しかしとうとう、20年目にしてひろしま女性学研究所は「地域デビュー」を果たしましたゾ。何事も遅すぎることはございません、へへへ。

入り口では『今日、載っとったよね。ここじゃね』と70歳後半の仲良し女友だちらしき2人が立ち話。『どうぞお入りください』と声をかけたが、『昼ごはんじゃけぇ、またにしますわ』と帰られた。残念、でも正直、うれしいです。

『老いた女』が『韓国伝統茶』しながら『アート三昧』するの構図。これこそわが意を得たり。あのお2人がおいでくださるのをひたすら待ち続けます。『かもめ食堂』のサチエさんが、ひたすらテーブルを磨きながら、人におもねることなく客を待ち続けたように。(たかお記)

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9.17  シナリオ期待!
高雄さん、大学院合格おめでとうです!思ったらすぐさま行動に移す高雄さんの面目躍如ですね。 そうですね、「女性学研究所」ですから核になる理論家が必要ですわ。つねずね思っていることですが、高雄さんはDVシェルターの活動や、戦後RAAの問題やにしぶとく食らい付いて、つまり社会(男社会)の負の部分を一手に引き受けてねばりずよくやっていることにたいして、敬意を感じておりますんですわ。

快楽主義のわたくしにはとても真似出来ないことであります。こういう問題を三日も考えたらわたしは多分逃げ出したくなるでしょう。でも、もし高雄さんが、RAAの問題について、シナリオを書いてくれたなら、それを演じるのはわたくしにおまかせください。(いさじ記)

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9.15  問いを学ぶ
学問とは「問いを学ぶこと」、このコトバに私はひどく動揺し、感激しました。私にとって最近では一番印象的な言葉です。若尾典子さんから聞きました。感動したので、若尾さんのもとで勉強することにしました。いまさら、とも言えるし、いまだから、とも言えるのですが、県立広島大学大学院に籍を置き、若尾さんの指導で、しつこく拘っているRAA(特殊慰安施設協会)に取り組んでみようと思っています。今日合格発表がありました。

実は周りの人には内緒で受験しました。不合格だとちょっとかっこ悪いし…(ミエハルなのです)。面接で「ここに至って何で大学院に?」という質問をされて、「これまで浅く広くやってきたので、ここらで一本論文を書いて死にたいと思うようになりまして…」と答えました。本音です。60歳までに後3年。本を読んだり何か書いたりまとめたりできるのもこれが最後だなあと、57歳の誕生日を迎えて強く思ったのです。『ひろしま女性学研究所』と名乗るのですから、何か研究しなければ名前倒れになってしまいますし…。

ぎゃらりぃを始めたり、チャンゴを始めたり、受験したり…今年は向老期にあたっての人生選び直し転換期でしょうか。二束、三束のわらじを履いて、楽しくいきたいものです。(たかお記)

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9.14  モノ物語
「父は社会的にそれなりに評価されていたけど、母はそうではない。亡くなって5年経つけど、少し母に華やかな場所、光あたる場所を作りたかった」という、まにわきょうこさん。手作りのシミーズ(懐かしい!)ゆかた、ワンピース、ベスト、コサージュ、レースのテーブルかけ、お手玉などとともに、決して多くはないのですが、十分にお母さんの「生きた証」を伝える写真らでつくられた空間(展示ページをご覧ください)。

あーこんな「供養」の仕方もあるなあと、わが母を思い起こしながら、ちょっと変わった企画の面白さを体感しています。一週間を二週間の展示に延ばして、「母と娘」はいま、特別な時間を作り出しています。どうぞ足をお運びください。

見た人の第一声は「わぁ、きれいによく残していたねー」です。消費文化の中で、記憶としても薄らいで、いつの間にか箪笥の中身はすっかり変わっているのが現実です。たぶん「残していた」ことへの感動は、そのモノにまつわる人々の物語を想起すると同時に、自分と母親との物語に思いを馳せることにつながるのだと思います。

明治生まれの私の母がミシンを踏んでいるという記憶は、男物のパンツにつながります。内職です。国旗をつらるねようにミシン台から糸でつながれ、垂れてくるパンツをはさみで切り離していたことを懐かしく思い出しました。(たかお記)

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9.4   できる女の二束のわらじ
22歳の女性の2人展「共有するもの 異なるもの」。現在京都精華大学4年生。卒業を前に、版画と日本画という違いを意識した展示になっています。1人は就職が決まり、もう1人はこれから本腰を入れるとか。 9月3日の作家トークで、司会のいさじさんが言ってました。「女は二束のわらじができるよ。男はやらないけど」と。

2人の放つ光で白島はいつもより少し華やいでいます。中高年の「煮詰まった」肉体から発せられるものとは、何か違うなあ…。

ぎゃらりぃを始めて、アートというものを考えるようになりました。わたしはアートというものを丁寧に考えたことがなかったのです。わたしはゲイのない人間なのですが、そのわたしがこの間感じたことは、アートはやはり「内発の表現」だということです。つまり自分と向き合う時間を持つという意味で、早くからアートに出会うことは「自分」と出会うことになるのだなあと、その意味は意外と大きいと、作品を見ながら思います。

額縁という枠の中にすえられた作品は、その枠を超えて、作者の「身体を出奔しようとするエネルギー」が感じられます。そのエネルギーのイロとカタチが絵になり、版画になり、コトバになり…届いてくる。ぎゃらりぃはそれを届けるところ。そう思うようになりました。何も分からず始めたぎゃらりぃ、だからこそこの「空間」を見逃さずにおこうと思うのです。(たかお記)

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8月 /31 /23 /10 /9 /3 /2 /1
8.31  福井発・焚書坑儒事件   
26日は福井県まで出張。皆さん、ご存知ですか。『福井発・焚書坑儒事件』。もちろん秦の始皇帝時代の話ではありません。福井県で今年起きた『思想統制』事件です。

福井県の男女共同参画・生涯学習の拠点である生活学習館が、この3月、福井県男女共同参画推進員の1人である男性が『過激で不適切』とする図書リストを作成し排除を求めた本153冊が書架から撤去していたというのです。まさにフェミニズム・ジェンダー・性教育関連本。具体的には『結婚』『離婚』『シングル』『シングルマザー』など…。

直ちにその撤去対象になった本の著者である上野千鶴子さんらは、情報公開・住民監査請求などで地元市会議員や女性たちと抗議行動を展開。真っ黒に塗りつぶされたリストを目にして、上野さんらは提訴する予定でいたが、件が急遽リストを全面公開したため、提訴を取りやめ26日に抗議集会を開いたというわです。当日には更に37冊の追加リストがあることも判明しました。ひとつ残念なのは、家族社の本がリストに入っていなかったこと。 

当研究所は家族社時代から「書く・つくる・売る・読む」の四味一体で事業をしてきました。だから、この福井県の自体は人事ではないのです。こんな「思想統制」がまかり通るような世の中になるなんて冗談じゃない、そう思い、“腰痛”をかかえての参加でした(なんと、上野さんもひどい腰痛でした。しかし歯切れのいいアジテーションは180人の参加者にびんびんと届いていましたね)。それに、以前書きましたが、広島でもジワリとその攻勢はあり、家族社の本を入荷することへの嫌がらせもあるやに聞いていますからね。福井県だけの話ではない。

当日は、リストを提出した50歳ぐらいの男性がリレートークに出てきて発言したり、その仲間が野次を飛ばすなど、ちょっとばかし緊張感が走る場面もありましたが、この動きに抗すぞという強い共感の場になったことは確かです。

というわけで、当研究所は消えるはずだった153冊の本をなるべく集め、ぎゃらりぃf で展示することにしました。いま半分ぐらいです。関心のある方、家にたくさん『関連本』があるよという方、ご連絡いただけませんか。リストをお送りしますので、あれば本を貸してくださいませんか。9月14日〜10月10日まで。展示期間中には、『今だからこそ読んでおきたいフェミニズム・ジェンダー関連本』の半額セールを致します。ぜひお立ち寄りください。

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8.23   「かもめ食堂」と「バーバー吉野」
夏休みの間に、若干33歳・荻上直子監督の映画を2本続けて見ました。「かもめ食堂」と「バーバー吉野」(あらすじは省略)。舞台はフィンランドのヘルシンキ、片や日本のとある田舎町。町という暮らしの場を最大限生かした人と人とのキョリ、これがとてもいいのです。適度に友の情と地域の情とがからみあって、シニカルでコミカルで、淡々と暮らしていくことの不思議な力というか。ひさびさに、暴力や破天荒なストーリーのない、だからこそ透明感がある映画に出会った感じです。広島出身の西川美和監督(『蛇いちご』・9月に広島公開の『ゆれる』)も若いです。西川監督は高校の後輩になるらしいのですが、才能ある女性を輩出してますねー。映画好きの私としては、すごくうれしい。日本映画は余り見ないのですが、彼女たちの登場でなんだか楽しみになってきました。(たかお記)

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8.10    ヒロシマ撮れたて展『ハチロクの風』展示中!

昨年一年間、私は大阪万博公園にある写真表現大学に月2回通い、写真という「表現」を少し学びました。月刊家族を19年間出し続けた私へのご褒美として、ぜいたくな時間を過ごしたのです。その成果がぎゃらりぃ開廊の最初を飾った「中村隆子・老いらくの舞台」なのですが、そのときの友人たちの幾人かは、仕事をしながら2年目もゼミ研究生として「写真」を追求し続けています。

このたび彼ら7人(男性2人・女性5人) が夏の合宿として、「カメラ・パフォーマンス ヒロシマ撮れたて展」に大阪から参加してくれたのです。fビルの三階を宿として、5日から2泊3日出たり入ったりの、カメラ漬けの日々を楽しく過ごしました。私以外は早朝6時頃から撮影開始で、各々被写体を求めて繰り出しました。平和公園はもちろんのこと、精力的に重いカメラを片手にその周辺も歩き回り、即現像。その凝縮した眼差しは、一人ひとりの関心と過ごした時間が伝わるもう1つの「ドキュメント・ヒロシマ」になりました。

「三つの熱」「平和のうた」「ヒロシマ非日常の日常」「ヒロシマ・その向こうへ」「2.2」「何気なく、意外」「ヒカリノホウヘ」。7人の作品につけられたタイトルです。これを見るだけでも、彼らが何を見たのかがうかがい知れるものになっています。

ところで、わたしが平和公園に着いたのは9時過ぎ。久しぶりにシャッターを切ることになったのですが、リズムがついてくると、あっという間にフィルム三本。他の人たちはカラーで撮っていましたが、わたしは白黒、「どこに行きますか」というタイトルにしました。こんなにたくさんの人が集まるヒロシマから、それぞれどこに行こうとしているのだろうか、という思いにかられたからです。

6日一日撮りまくり、その夜は撮った写真をみんなで合評し合い、翌日すぐ展示する。結構面白い企画だったと、自画自賛しているところです(しかし彼らが参加してくれなければこの企画はおじゃんだったのですが…感謝感謝)。わたしは7.8日の「ひろしまRAAホットライン」もあったので、展示は彼らにお任せになったが、「好き」ということは暑さもものとしないエネルギーをはらんでいることもよく分かりました。そして何より、これまで写真表現に関心のなかった若者Nさんは大阪人のカメラ談議に触発されて、早速カメラを片手に6日の夜の空を写していました。「カメラは誰でもいつでもできる手軽な表現方法」の力を垣間見た気がします。見に来てください!! (たかお記)


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8.9  ひろしまRAAホットライン終了!こだわりにこだわるももめかもめ食堂ぜいたくな究ス

昨日のRAAホット・ラインは件数こそ少なかったが、1件大きな収穫があった。今後の検証が楽しみである。その他、嫌がらせ・ガサネタとも、敗戦直後多感な10代半ばから20才だった男性たち(私の父親世代)の女に対する性意識に、61年経た現在も大きい変化がみられなかったのは当然といえば当然であったがショックであった。それはそれとして、たとえ嫌がらせの電話でも、とても貴重な情報もあった。昨日ばかりは電話の向こうの捨て台詞すら小躍りしたくらいだ。たとえ個人史の一片でもパズルのように並べていくとひとつの事象が浮かんでくる。それはまぎれもない歴史の断片でもあるからだ。

伺った話をネット上で詳らかにできないが、ひとつ言えることは戦時下・占領下性暴力は世界各地であるいは日本でも沖縄をはじめとして基地を抱える地域では同じように日常的に起きている。そして、日常女は性をテコに「妻・母」と「娼婦」とに分断されているが、被害者はこの分断によって幾重にもその被害を再生産され放置されている。状況は何ら変わっていない。

反基地運動の側の論理にも一部見られるように、売買春が増えて迷惑とか、PTAや地域の母親たちの子どもの教育環境に悪影響を及ぼすという論理のすり替えも珍しくない。よく集会などで自分が沖縄や岩国に住んでいたらと身を置き換えて考える視点が必要というアジテーションを聞くが、わざわざ置き換えなくても、女たちは日常的に家庭で主婦として同じ状況に立たされている。自覚しているかどうかは別として。

そもそも国策で良家の子女を護る為(実は国体維持でもあった)に一部の女性を民族の防波堤にするという男たちの論理の裏には、どんな本音が隠されているのだろうか。昨年奈良であった女性史交流会で同じ分科会におられた加納さんが次のように発言されていたのを思い出した。それは「俺の物に手を出すな」という感覚でしかなく、「良家の子女」の人権を守るという感覚ではさらさらなく、所有権であったと。戦前の姦通罪の発想と同じように。「俺の物に手を出すな」に、私は腑に落ちた。「俺の物は煮て食おうが焼いて食おうが勝手」と同義だから。

実際、その後良家の子女たちも連合軍の兵士のオンリー化し、男たちは臍をかんだかどうかは知らないが、彼女らが「ええめをしやがって」という電話の向こうのある男性のことばは、「原爆乙女」といわれた女性たちが治療を終えて元敵国アメリカから帰国したときに彼女らに投げかけられた言葉でもあった。

戦時下の集団レイプが民族浄化を意味するというが、敗者の側では「民族の防波堤」の名のもとに女たちを敵に差し出す。どちらの側の男たちも「おれの女に手を出した」と怒るくせに、所詮自己保身のためには、女は煮て食おうが焼いて食おうが勝手という論理がまかり通るのである。女たちも同様彼女達に「ええめをした」と呟いている。男が変わらない筈だ。        (おが記)


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8.3  3人目のスタッフ、おが登場!こだわりにこだわるももめかもめ食堂ぜいたくな究ス
「こだわりにこだわる」番外編
加納さんはプロの大学教員である。知らない人はこだわって当然と思うであろう。しかし、世間的にはそろそろ引退してもいい時期の65才。今も次々と問題点を引き出しては徹底追及の手を決して緩めない。何がそんなに面白いのか。それがフェミニスト的好奇心からくるものであることが理解できたのは自分の体験からであった。

私は以前、「男」で失敗した。一時期フェミニストであることにこだわることの無力感すら感じたこともあった。フェミ自覚歴たかだか5年、知識も認識もなかった「遅れてきた中年フェミニスト」の私。闘うリベラリスト、チョムスキーも言っているではないか「戦後確実に世の中を変えてきたのはフェミニズムだ」と。私はこの言葉を信じていた。しかし、本来楽しみでもあるはずの知的好奇心が、どうやら焦りとなり、なかば理論武装のためだけの知にいつしかすり替わり、もがいていることに気付いたのだ。方向性を見失ってしまったのだ。

誰を仮想敵にしたかったのだろう。どんな女でも身体性から解きほぐすと少しは理解する。しかし、確信犯的に途轍もなく厚い壁として私の前に立ちはだかるリベラリストを自称する男たちの論理は私の力ではどうにもならない。そのうち2人は頑張れ、と応援してくれた。どの男も我が家で奴隷を抱えながら「奴隷解放」を称えるリンカーンのような男たち。もう一人の確信犯の男を支えているのが同じ自称フェミニストの仲間であることも知った。

この人たちはダブル・スタンダードの世界に生きていることを自覚しようともしていない。そりゃそうだ、男性同盟は男同士にとってもダブル・スタンダードが自明の世界だ。女は当然コミットしようものなら、たとえ男同士でも自分の首を絞めるような不様な姿を晒す世界だ。そこを認識しない無謀なフェミニスト(女)は無意識に男に媚びを売り、ますます男性化し男の権威を内在化していく。男のチア・ガールになり、男達に女たちの首をじわじわと締め上げさせる。糸の絡み具合はあるにせよ、その構図が教科書どおりというか、単純明解なことが何とも面白かった。

上野千鶴子や辛淑玉がオヤジ達に「そこどいてよ!うちらがやるから!」と言う意味がよくわかった。どんな女も男性同盟の同心円の外にいることも。シスターフッドが男を真ん中に挟まないことも。男、とりわけリベラル思考の男の応援ほど「女」を骨抜きにすることも。これらの分析はフェミニスト的好奇心が導いてくれた。

フェミニスト的好奇心の対象はどこまでいっても「男」がつきまとう。
フェミニスト的好奇心は性から国際政治、軍事問題までカバーする。

わたしは特定の男を卒業しただけのことである。私はこれからも自分なりに加納さんやタカオさんの「こだわりにこだわる」にあやかりたい。彼女らのあしもとには到底及ばないが。

後記:先日ミニ・ライブでお知り合いになった真女織さんの名前もアルファベットにすれば私の名前と同じ「YORIKO」。ヨーロッパでは真女織ではなく「YORIKO」で活躍されています。世界中に響きわたれ「YORIKO」の世界!ひろしまRAAホット・ラインが終わったらデオデオにCD買いに行きます。「f」で流しますね。みなさんお茶飲みに寄ってらしてね〜。(おが記)

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8.2   こだわりにこだわるこだわりにこだわるももめかもめ食堂ぜいたくなひろ研究ス
7月30日の真女織さんのライブをいさじさんにお任せして、急遽、久々に上京した。始発新幹線に乗り込んだらすぐに睡眠、目が覚めると横浜あたり。アー気持ちいい、いや、無様な姿! !

さて、目的はwam(女たちの戦争と平和資料館=平和と非暴力の世界をつくるために戦時性暴力の被害と加害を集めた日本発の資料館)と8月7.8日に共同で国内「慰安婦」ホットラインをすることになり、主にその打ち合わせに。

広島は、わたしの関心の1つでもある占領軍向け「慰安所」=RAA(特殊慰安施設協会)を担当する。日本女性史の中でも研究が余りされていないRAAの生の情報を集めるためだ。戦後61年、人々が忘れたがっている、そして実際忘れられた「RAA」を記憶するために。日本軍「慰安婦」制度の帰結としての、戦後女性史の始まりとしてのRAAを記憶するために。

その日は女性史研究者・加納実紀代さん宅に泊めていただいた。図々しくも、上京したときの常宿とさせてもらっているのだ。月刊家族に執筆していただいたのを期に、いつも怠け者のわたしを叱咤激励していただいているので、まったり気分になるとお会いしたくなる。そしてお会いするたびに「こだわり」の大切さを教えられる。そう、「こだわり」から「仕事」は生まれるのだ。加納さんの停滞することのない仕事の「量」と「質」は、だからいつもわたしを圧倒する。新潟と広島の冷酒を交わしながら、お互いお酒が弱くなったと近況を交わしながら、ほろ酔い気分を堪能したのでした。

加納さんは5日からアジア女性資料センター主催の北朝鮮にスタディツアーで行かれるとか。こんな時期だからこそ、一見の意味は大きいかも。わたしの夏休みは12-20日。どこを一見しようかな。(たかお記)

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8.1   現代のシャーマン・マジョリかももめかもめ食堂ぜいたくなひろしま女性学研究ス
月1ライブ、第2弾は、ヴォイス・パフォーマ−・マジョリさんの「indigo」。マジョリさんとは、10年ぶりくらいの出会いでした。オープンまもなくのひっそりとしたこのギャラリーに「入っていいですか」とブラリとやってきた客。お互い(どっかで会ったような・・・)一瞬わからなかった。

あのころのマジョリさんは、エキセントリックな少し思いつめたような印象だったが、「モンゴルから帰ってきたのよ」と話す彼女はすっかり大地の香りとパワーをみなぎらせていた。海外のいろんな場所でコラボレートな活動をしているという。そういうわたしもいつの間にか、聞き手の立場から、プレーする楽しみを知ってしまっているし。そんなこんなで30日のライブが決まった。

心配していたお客さんの入りも20人を超え、むしろを敷いた地べたに座っていただいても満杯状態。人いきれに包まれたなか、わたくしめのチャンゴにあわせてマジョリさんのパーフォーマンス。お客さんにさかんに「気」を入れ、交換している様子。歌は10曲ほど。シャンソンから始まって、アメリカの反戦ソング、彼女のゆかりの地・宮島を歌ったオリジナルソングのあたりで、マジョリさんのシャーマン的な、内から湧き出て来る熱がこちらにも伝わって、空気が満つになってくる。ああ、いいんだなあ、こんな感じが・・・だから歌うのをやめられない、という気持ちが伝わって来ました。

にわかPAの小笠原さんが必死に機材と格闘している。歌が終わり、ティータイム。高雄さんの息子さん・祥平さん、マジョリさんの娘さん・まゆさんも、にわか店員になって立ち働いてくれて、全員にお茶がいきわたりホっとする。お茶の評判は上々。みなさんまた飲みにきてください。

お茶したあとは、即興演奏で、丹田さんの手造り楽器の音や、マジョリさんのヴォイスの誘導でみんなで声を出す、楽器を鳴らす、体を動かす・・・乗らない人も乗せちゃうマジョリ・パワーで「場」はいっとき祭り空間に盛り上がりました。イヤー、現代においてシャーマンの果たす役割は大きいですね。楽しかったです。小笠原さん(お連れ合い)前座をつとめてくださってありがとうございました。(いさじ記)

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7月 /28 /27 /22 /20 /15 /13 /9 /6 /4 /3 /2
7.28   ?の空間かかももめかもめ食堂ぜいたくなひろしま女性学研究所のス
ややっと夏休みバージョンに入った。経済大の300人近い学生のレポートを読み、成績をつけるという頭の痛い仕事は残っているものの。この機会に高雄さんに日頃のお返しをと思いつつ、一日ギャラリー当番をするのだが…。

ギャラリーはひっそりと静かだ。森田さんのカラフルなインド写真に囲まれて、それにあうようなCDを選び、かけてみる。電話がかかってくる。「ひろしま女性学研究所ですが、、」言い慣れない。女性学のあたりで呂律がまわらなくなりそう。「はい、今高雄さんがおりませんので、伝えておきます」と返答はこれしかない。

中国新聞からミニ取材、今からファクスを送るからチェックしてくれとのこと。はて、ファックスはどこに届くのか?2Fの事務所をうろうろ…。ああ、勝手が分からないんだなあ…(まだまだわたしは他人ものである)

ところで、このオルタナテイブ・スペースとやら、いったいなんなのだろう?企業でもない、店でもない、今はやりのNGO的組織でもない、高雄さんのひとり遊びのひとつかな? 一体ナンなのだろう。

で、中村隆子さんに聞いてみた。「家族社」立ち上げたとき、何かビジョンのようなものはあったの?というわたしに、「そんなもんナイ、飲み屋で盛り上がってそうなったんじゃ。まあ強いて言えば、記者やってたときに「家族」のことはとり上げる話題がいっぱいあるということを感じていたからね」というご返事。そして、何かビジョンをほしがるわたしに、「そんなものイランじゃアないの」う〜ん、そうか、そうともいえるなあ。「女」を遊ぶ、それでいいのか?ナ…。
(いさじ記)

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7.27   不足と過剰かかももめかもめ食堂ぜいたくなひろしま女性学研究所のス
月刊家族を発行していたとき、痴呆症の母の居場所を求めていろいろ取材したことがある。母は特養で過ごしていたのだが、わたしは取材の中でグループホームがベターという結論を出し、準備していたときに母は亡くなった。間に合わなかったというわけだ。

今日、ゆえあってデイ・サービスを見学した。するとわたしが特養に感じた馴染めなさを、またそこで経験することになった。何か違和感があるのだ。このまったりした空気はいったいどこから来るのか--。「皆さん、自由に楽しく過ごしておられますよ」とスタッフの声が聞こえる。でもわたしはd「何か違う、違う」と叫んでいる。

デイ・サービスが必要であることを否定するつもりはない。だが何かが足りないし、何かが過剰だという思いは消しがたい。そこに身をおきたいという気にならないのだ。しかし見学したところが特別ではないだろうし、介護保険以降、全国にできたたくさんのデイ・サービス事業所は、お年寄りの居場所と雇用を確保している重要な高齢社会対策のひとつだろう。だが、だが…。

デイ・サービスに来る人は「家族と同居」の人と「独居」の人と、どちらが多いのだろう。ここに来る人の背後にはどのような人間関係や人生があるのだろう。<時間>を刻んだ身体が<老人>とひとくくりにされて、だだっ広いフロアーを浮遊している。どこかに帰りたがっている、とわたしには見える。しかし、どこに帰ればいいのか--わたしにも分からない。ゆっくり考えたい。(たかお記)

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7.22    写真展「揺」展示中−インドの色ぜいたくなひろしま女性学研究所のスタッフか
わたしの最初の海外旅行はユースホステルツアーで、タイ・ネパール・スリランカ・インドだった。1ドル360円の時代。もう30年前になる。とにかく一度日本から脱出したかったらしい。しかし留学なんて考えも浮かばない。「女」であることを悶々と抱え込んだ20代半ばった。インド以外は、どこでも現地の人に間違われ、道を尋ねられた(わたしの外観がどのようであるかお分かりでしょう)。そのとき、わたしはアジアを体感したような気がして、どこでも暮らせるかもと思ったものだ。しかしその後、わたしは日本にとどまり、幸いフェミニズムというおもしろい「芸」にはまり、生き延びている。

ぎゃらりぃ茶房fは、この7月にインド(デリー・アグラ・ジャイプール)を旅した森田裕美さんによる写真展「揺−私がインドに惚れるわけ」を開催(展示作品のページをご覧ください)している。きっと私もその道をたどったはずだが、わたしの印象とは違ってとても美しい。カラー写真16点は、酷暑の中で暮らす人々と風景が森田さんを引きつけ惚れさせたわけが伝わってくる作品になっている。わたしはモノクロが好きなのだが、「現在」を記憶するには確かにカラーがあっている。インドというカレー、ではなくてカラーがカメラをわしづかみにするかのようだ。

わたしの中のインドはモノクロ化し、時間を超えて記憶にとどまっている。わたしはあのとき、余りの異文化と貧富の差に圧倒され、混沌を抱きしめて一日寝込んだものだ。そしてそのことは今のわたしのなにかを確かに形づくった、と思う。「共生」と「平等」という観念として。

面白い表現とは、見るものに何かを喚起させる力を持っているということだろう。今年の8.6のヒロシマをモノクロで撮ってみようと思っている。(たかお記)

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7.20  30代、揺らぐ韓国女性    ぜいたくなひろしま女性学研究所のスタッフから
韓国南部は大洪水でテレビは特集番組をずっと流していた。多くの人がなくなり、避難生活を余儀なくされている。漢江にかかる橋も決壊寸前。ソウルでは一時は地下鉄にも水が流れ込み、市民生活は混乱状態になったが、幸いその後小雨続きで、わたしは何とか目的を果たすことはできた。

その中をぬって、Rさんはわたしたちを歓迎する夕食会を開いてくれた。彼女の高校時代の先輩とその友人4人と共に、炭焼きカルピのお店で腹ごしらえをし(皆さんよく食べる、食べるそして飲む、飲む) 、二次会、カラオケ(皆さん歌いまくり、踊りまくり)というコース。二次会では一升瓶のビールに感激し、一緒に行った友人の誕生日を祝う。きしくもわたし以外は皆さん30代後半。激しく盛り上がる中で、おのずとそれぞれの近況に耳を傾けることになった。

KさんとHさんはシングル。2人で保険代理店をしている。営業は順調だが、Kさんは親から結婚を迫られている。もう1人のKさんは1年間オーストラリアに語学留学をして帰国したばかり。オーストラリアの男性との結婚が決まり、秋には渡豪する。Iさんは結婚して二児を育てる専業主婦。夫が働かないし家のことを何もしないので離婚を考えているが離婚後の生活を考えたら踏み切れないでいる。そしてRさん。シングルだが結婚願望が強く、結婚の決め手は「愛か、お金か」と議論をふっかけてくる(ふーっ)。

5人の女性のいまは、偶然だが30代を生きる女性のいまを映し出していて、わたしにはとても興味深かった。わたしはその頃何を考えていただろうか。家族社を始めたのは35歳、子どもを生んだのも同時期。何かに背を押されるように、わたしは生き急いでいたようにも思う。彼女たちの姿とわたしの姿を重ねながら、「決して自分をあきらめないで!」と祈るようにつぶやく。

そういうわたしは、もうすぐ57歳。57歳にならないと分からないことがあることに希望を持って、ひとつずつ年を重ねて生きたいと思う。(たかお記)

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7.15   本づくりは楽しい!    ぜいたくなひろしま女性学研究所のスタッフから
昨年は『<魔女>が読む源氏物語』『ジェンダーの憲法学』『ジェンダーのアート散歩』3冊を出版した。ギャラリィも楽しいが、本づくりも楽しい。「見えない考え・思いを見えるカタチにする」こと。1冊出版するごとに、わたしの何かが気持ちよくなっていく。

今年も3冊準備中だ。1つは『公共空間とジェンダー』。月刊家族連載に加えて現在書下ろしをしていただいている。見落としがちな公共空間の彫刻やオブジェをジェンダー視点で読む解くと…そこには。もう1つは『岩国基地と性暴力(仮題)』。平和都市・広島に近い岩国基地の戦後史を性暴力という視点から読み解くという刺激的なテーマ。3つめは、『田端かやの韓国女性レポート』。これも月刊家族に長期間連載していただいたものだが、最近の5年間をテーマ別にまとめ、最新情報も入れていただき、今年中に出版したいと思っている。

実は、明日から3泊4日でソウルに友人と2人で。韓国伝統茶の仕入れと田端さんと出版の打ち合わせ。そしてわたしをなぜか「お姑さん」(これには笑うに笑えないエピソードがあるのですよ)と慕ってくれる韓国女性Rさんとの再会も…いろいろ理由はありますが、わたしの「息抜き」であることには間違いはありません。留守番を託されたいさじさん。「高雄さんは息抜きばかり」という声が聞こえるような聞こえないような。小さくなって行ってまいりマース。           (たかお記)

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7.13  ぜいたくな講座  ぜいたくなひろしま女性学研究所のスタッフから
昨日は、私が非常勤をしている某大学の前期最後の授業。「ジェンダーの視点から」というものだが、受講生はなんと!3年生5人。最初はちょっと落ち込んだが気を取り直し、主に「暴力」と「仕事」について、少人数だからこそできる「議論」の場にしていった(つもり) 。

「暴力」についてはDVとビデオ『ナヌムの家』をみてすすめた。5人とも日本軍による「慰安婦制度」があったことはまったく知らなかったようで、私の投げかける質問に答えながらレポートを毎回膨らませていった。そして「仕事」。3年生になると早就職を意識して情報集めをするらしい。どんな適性検査より生の先輩たちの話は身に迫るはず。ぜひいろんな女性の仕事や生き方のモデルを知った上で自分の将来を熟考してほしいと思う。

そこで、新聞記者と市会議員をしているお2人にお話をしていただくことにしたのだ。それは私が大学生のときにそんな出会いがあったらと思うから。まったく「ぜいたくな講座」になった。学生さんは熱心に耳を傾け、質問をした。そしておふたりとも「あきらめず、自分のやりたいことを手放さないで」と強調した。

授業中、ライフプランを聞くと、大学卒業してしばらく働き、子どもは自分の手で育てたいので仕事はやめて、子どもが小学校高学年になったらパートをして…というのが4人、働き続けたいといった学生は1人だった。母親しかモデルを知らないからとも言う。お2人の話が彼女たちに何がしかの刺激になってくれたらうれしい。

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7.9  広島市会議員・馬庭恭子さんを囲んでひろしま女性学研究所のスタッフから
馬庭さんほど議員という仕事を楽しんでいる人をみたことがない。今日も彼女は本領発揮。参加者は13人だが、日頃聞けない議員裏話・表話に耳を傾ける。表情豊かな彼女は顔を見ているだけでも楽しい。無党派、利害なしの彼女は、自分の判断で自分の言動を決めるかっこいい一匹うさぎ(彼女のキャラクター) ? 

1人であることの困難さはもちろんあるが、今のところ1人であることのプラスの部分で動き発言しているというポジティブな姿勢は、これまで眼を向けられなかったところにメスを入れる(まにわ恭子HPをご覧ください)。専門である医療分野にやはり力が入るが、市役所の女性登用にも取り組む。市役所が変われば影響力は大。こんなとき、もう2人ほど共通課題を持つ女性がいたら、変わるのになあ、と参加者の顔を見回す彼女。誰か同志はいないかと。ちょっとみんなたじろぐが、たぶん、こうした出会いがいつか誰かを「その気」にさせるかもしれない。

彼女は来春の選挙にもう一度挑戦するという。からだと相談すると、後四年はやれるし、やりたいと折り合いがついているそうだ。選挙のときだけの応援ではなく、こうした「交流」の場を定期的にもつことが、一人会派の議員をつぶさないことにもなる。3ヵ月に1度ぐらいに会いましょう!参加者からの要望もあったし。                                   (たかお記) 

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7.6  嫌がらせ電話 ひろしま女性学研究所のスタッフから
明日の広島市会議員・馬庭さんを囲んでのトークに、ここ2週間右翼?から嫌がらせ電話がある。だいたい朝11時ごろに電話があるのだが、「男女共同参画・ジェンダー攻撃パトロール」という仕事開始時間らしい。難儀なことで。この間、お店にもいらして出版物やチラシを手にしながら、どこを突っ込もうかとやっきに。翌日は「一階は喫茶店なのに、わしが飲める雰囲気じゃなかったのう」とおっしゃる。ご注文いただければ、こちらは喜んでお出しするのに。一杯500円がほしくて。まだ具体的な被害があるわけではないけど、毎日、不快な電話がかかるということは実にストレスがたまる。脅し・嫌がらせ…対話というものが可能とも思えないのでね。

全国的なジェンダーバッシングの一地方版だけど、「思想」というものを考えさせられる。駒尺さんが以前「フェミニズムは無血革命だ」と喝破していたな。個人の生き方や社会制度の変革を可能にしたフェミニズムに出会えたことは、私の一生を確実に豊かにしてくれたわけで…。ドキュメンタリー映画『送還日記』で、30年も40年も非転向を貫けたのは、思想でもなく金正日でもない、今目の前に起きている自分への非人間的な暴力への抵抗だった、という元北朝鮮のスパイのすでに老人になった男性がつぶやいていた。フェミニズムはまさしく「なぜ女だということで」というその現在性から出発していることを考えると、彼らのその思いがすごく分かる気がした。

そう言えば、いさじさんから大きな宿題をもらっている。いったいこのfビルはどこにいこうとしているのかと。                                             (たかお記) 

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7.4   祭り女・いさじですひろしま女性学研究所のスタッフから
おはつです。いさじ章子と申します。
又の名を、はるこ(芸名)。サウンド・ア−チスト。なんてキザですが、アートを教えながら(これは生活の糧)ひたすら趣味の世界を楽しむ快楽主義者です。マッ、ひとことでいって「祭り女」。
「あいつを引きずり込んでおけばなんとかなるサ」と代表、高雄さんが思ったかどうか、気がついたらスタッフの一員になっておりました。おもに、1F、ギャラリーの企画、運営をまかされております。どうぞよろしく。
「はじめて**をする」という、初々しさってありますよね。まあ、人生だって毎日初めてなわけで、…。そんな初々しさを「売り」にしたギャラリーにしたいと…。オープン展は、76才にして初めて絵を描いた、Fビルオーナーの中村隆子さん、そんな彼女を初めて撮った、高雄きくえさんの写真、2人展。テーマは今もっともナウ い「老い」でした。

お次は、わが広島芸術専門学校の若きホープ2人、山尾卓司君、宮谷彰君。(ふ りとも若干20歳なのだ)山尾君は、このビルのエントランスの壁画や、パンフレッ トも手がけてくれました。
二人とも、「今」を生きる若い世代の心情を、それぞれのスタイルに凝縮して表現 していました。
いまや「青春」なんて言葉は死語になったんじゃないかと思うけれど、いつの時代も青春は暗くて、生きずらいんじゃないだろうか?大人たちが造った、この病的な世界のなかで、彼等はその精一杯の誠実さでこれに対峙している。「僕達は僕達のやり方でどっこい生きている」という声を聞いたと思いました。今度は女の子たちの「声」を聞きたいなあと思っています。

それにも増して、今を生きるわたしら世代の声も響かせ合いたい…すべての人に「存在する権利」あり、そのための表現として…。(いさじ記)

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7.3  なぜ韓国? ひろしま女性学研究所のスタッフから
チャンゴ教室をいよいよ本格的に始めることになった(毎週水曜日・広島市交流プラザ・18時〜19時30分・1回1000円・いさじ章子先生です。ご希望の方は当研究所にお問合せください)。太鼓は前からやってみたいと思っていたのだが、まさかチャンゴとは思わなかった。韓国伝統茶やビョンさんやチャンゴやらソウル行きやら、気がつけば韓国三昧の日々。

そういえば、「なぜ、ひろしま女性学研究所が韓国なのですか」という質問をいただいた。本当に、気がつけば、なのである。いや、何を隠そう、やはりビョンさんとの出会いかもしれない。ビョンさんを生んだ韓国社会に関心を持ったのだと思う。何回かソウルに出かけていくうちに、屋台ストリート文化にも馴染んで、この空間に紛れ込んで生きてみたいとも思うようにもなった。政治や歴史的なところからの出会いではなく、1人の人間への尽きない興味からといえば笑われるだろうか。ダイナミックさとスピーディーさが、どうもわたしの何かを突き動かすようです。

というわけで、近々月刊家族に連載していたソウル在住・田端かやさんの『韓国女性レポート』を出版したいと思い、その打ち合わせにソウルに行ってまいります。(たかお記)

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7.2  けだるい日曜日には ひろしま女性学研究所のスタッフから
日曜日。待てど来たらぬお客様を待ちつつ、すでに夕刻が迫ってきた。年内の展示予定や月1ライブも何とかどうにかめどが立ってきたが、まだまだ心もとない。いろいろやりたいことはあるけれど、やりたいことをやるためにはやりたくないこともやらねばならないのが常。そのジレンマに少し疲れることもある。白いズボンに黄色のジャケットを着たお兄さんが「嫌がらせ」においでになるし…。

<場>の重要性と<場>の必要性とはあまり比例するとも限らないが、たぶんこういうことだろう。すでにわたしは56歳。これまでにわが喉に刺さった針を一つずつ、荒っぽい方法ではなく丁寧に抜きながらやすらかなわが着地点を探すこと。そのことに集中していきたいとも思う。(たかお記)

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6月 /27 /26 /20 /17 /16 /15
6.27  「普通」ということひろしま女性学研究所のスタッフから
ふたたびビョンさんです。われながらしつこい?
ビョン監督劇映画二作『密愛』『僕らのバレエ教室』が広島上映されたわけだが、私はもちろんすでに見ていた。二作とも日本上映初の東京に用事を無理やり作り、駆けつけたというわけ(笑)。そのときの感想と今回見たときの感想は同じようであるがやはり違っている。というより、よりビョン監督の「映画で何を表現するのか」ということがわたしなりに分かってきた気がするのだ。
広島上映で見た人はこういう。『密愛』?ようわからん。『バレエ教室』?普通じゃん。なんでビョンさんが?

さて、わたしはこの「普通」というのがキーワードのような気がしてきた。なんら特別ではない、どこにでもいる人々。その「普通」の人が持つ欲望と希望。それを描こうとしているのではないかと。そこには「なぜある人は「普通」に暮らせないのか」という視点がある。人は自分を特別だと思いたがる傾向があるが、ビョンさんは、「普通で平凡であることの熱情が社会を変える」という。この言葉は重要である。元「従軍」慰安婦の人を特別だと考えないで、自分のおばあさんだと考えてみるほうがより彼女らに近づけるのではないかと。奇想奇天烈なストーリーで社会のありようから目をそらさせるのではなく、社会はそう自分の思うようには行かないけど、それでも希望を持つことはできる。ドナドナの曲をバックにミフンは写真館で1人記念写真を撮ったように。

そこが他の韓流映画とビョンさんの映画を分かつものであるし、ドキュメンタリーに10年の歳月を費やした視線の強さは、劇映画になってもそのまま私に届いてくる。          (たかお記)


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6.26  まりさんがやってきた!

ちょっとビョンさんから話題を変えますね。
6月24日(土) は、ぎゃらりぃ茶房f初のミニライブデー。登場は、シンガーソングライター新屋まりさん。まりさんは東京でブティックの店長をしていたが、85万円の洋服を現金で買い求めるセレブな奥様相手の仕事に「何か違う」と出奔したはずの広島県は豊平町に帰郷。東京引き上げと帰郷する間にインド・ヒマラヤに行き、「何か共感」するものがあり、その後広島の秘境「豊平」に。アメリカのアフガニスタン攻撃を眼にしたとき、「歌が天から降ってきた」と彼女は言うのです。以後5年間ですべてオリジナル曲、もうすぐ100曲に届く。3月に新作CD「天来」を発売し、ただいま旬なまりさんです。お祝いにはせ参じると約束していただいていたので、早速お願いしたというしだい。
家族社時代本屋をしていた1階は、写真のようにぎゃらりぃに変身。防音ドアもしてミニライブもできるようにしている。ギターとハーモニカという懐かしい!スタイルでオープニング。観客は15人だが、まりさんのファン、初めて聞く人、それぞれが土曜日の午後、まりさんの歌を楽しみました。月刊家族終刊に当たって私が中国新聞に書いた記事がヒントになったという「女坂」(ありがとう)、男社会で仕事をしてきたまりさんの恨み節?「女で上等!」など9曲は、まりさんの語り、われらの手拍子、そして韓国伝統茶と、からだほぐしにもぴったし。1時間はあっという間でした。音と絵(中村)と写真(写真)と人と。ぎゃらりぃ空間は狭いながらも表現空間として第一歩を踏み出しました。

次回は7月30日。ボイスプレーヤー・真女織(まじょーりー)さん。どうぞお楽しみに! (詳しくはイベントページをご覧ください)                                 (たかお記)


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6.20  映画はおもしろい!
ひときわ長身のビョンさんとスタッフの記念写真です。サイン・写真・握手攻めのビョンさん、確実に広島のファンを獲得しました。今後はミステリーサスペンス『消えた女』と『僕らのバレエ教室』のユン・ゲサンが兵役を終わってクランクインするという二本が準備されています。広島での上映が待たれます。

11日の講演とシンポは、参加者80人という、ちょっと残念なものでしたが、内容は、ビョンさんがドキュメンタリーから劇映画に移った経過、韓流映画ブームの光と影、ビョンさんと韓国映画界など、コーディネーター有元さんのポイントを得た進行の中で、映画を「つくる・みせる・みる」立場から、映画のおもしろさを共有するものとなりました。

ビョンさんの「映画づくりの態度」は、「『ナヌムの家』三部作を撮って、映画を見ない人からも褒められるようになったことが劇映画に移った理由のひとつ。決して人が見なくても褒められる映画はつくるまいと決心した」といわれるところに象徴されています。ドキュメンタリー=社会派=いい映画=すばらしい監督、という図式に辟易した監督の「人に見てもらえる映画」づくりという並々ならぬ表現者としての心意気が、「不倫」や「揺らぐ若者たち」など「揺れる価値観」の中に自分の映画を投げ込んでみたのだと思います。見なければ決して評価できない世界へ。そして、すべての映画に「一瞬の肉体の変化の美しさ」が表現されていて、少なくともビョン監督の関心はそこにあり、ドキュメンタリーと劇映画を分かつものはないような気がすします。そういえば監督も「それは自然なことだった」といわれていたな。

16日、サロンシネマ『僕らのバレエ教室』上映最終日に私は足を運びました。    (たかお記)


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6.17  瀬戸内海の魚と母親の不在
10日の会食は「きゃぷてん」。御幸橋のたもと、店主が自ら漁をして客に提供するという、瀬戸内海の魚を楽しみにしている方にはうってつけの店。ビョンさんにもおいしいお刺身を食べていただきたいと思い、「瀬戸内海の魚を」というと、「今から瀬戸内海に行くの?」とちょっと不安そう。どうも田舎と海は嫌いな様子。そういえば以前噴煙舞う都会の匂いが好きなんだと聞いたことがある。

一通り自己紹介をして、乾杯。田端さんもようやく一息つかれたようで、私たちの間断ない質問をうまくさばいていただきました。その中でちょっと印象に残る話がありました。今回の『僕らのバレエ教室』が息子と父親の物語としたら、「母と娘」の物語は書かないのですかという質問に、「自分にとって母というのはただ心配な存在であり、父親との関係の方が物語を作りやすい」のだと。確かに『アジアで女性として生きるということ』の中にもほとんど母親は登場しない。映画作りのきっかけが父親の映画好き、ビデオ撮影であることはよく分かったが、「母親の不在」がビョンさんの母親との関係を示しているとしたら、どういうことか知りたかったのだが、「すべては描けない」とまとめられてしまった。「父の娘」ということなのだろうか。

それと監督になって一番怖いことは、「指を二本出すと、さっとタバコが挟まれ、火がつくことに慣れてしまうこと」とか。ドキュメンタリーのときは8人のスタッフが劇映画では100人とか。その100人を統率する監督という仕事のカリスマ性と権威性からなんとか逃れようとするビョンさんのジレンマがよく伝わってきた。                                 (たかお記) 


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6.16  ワット ハプン? 
今日は金曜日。イベントから一週間がたとうとしています。さて10日に広島空港にビョン監督をお迎えに行ったところから思い出して見ます。
四月から広島- ソウル間を日本航空が撤退してアシアナ航空だけになり、ソウル-広島行きは仁川空港朝9時発。10時20分に広島空港着。友人に普通車を借りて私は遅れないように高速を走りました。そしてビョン様ご一行(ビョンさん・田端さん・シンさん・アンさん)が11時過ぎに出口ロビーに現れるのを待っておりました。

ビョンさん、シンさん(プロデューサー) 、アンさん(スクリプター)と出てこられ、アンニョンハセヨとまずご挨拶。しかし田端さんが出てきません。ビョンさんが「何も連絡はないか。田端さんは乗れなかった」というではないか(たぶん)。その瞬間私の頭は真っ白。ワット ハップン? 田端さんへの通訳依存度100%の私は一瞬自分がソウルにいるような錯覚に陥ったのです。えっ!? ハングルはもちろんのこと英語もできない私は…。ご想像のとおりパニック状態。何とかわかったことは、田端さんは金浦空港に行ってしまったようで、しかしすぐに羽田に飛び、広島に来るだろうということ。

お昼ごはんを広島北インター近くの「からっぽ」で食べることにしていたので、私はパニック状態のまま、車に案内し、一路からっぽへ。その間50分ぐらいなのだが、なんと長く感じたことか。途中で、田端さんから電話が入り、午後2時ごろにはリムジンで広島駅に着くからとのこと。ひとまずほっとしたものの、車という密室の中で言葉が通じないというのはなんともつらい。後で田端さんが「ビョンさんが高雄さんの運転はかっこいい、つまり怖かったといっているよ」という。あー、やはり。そのとき世界的に有名な監督であることをあらためて自覚して、ぞっとしたものです。まだその感覚が残っているのですよ。からっぽの季節弁当をいただいて、広島駅に田端さんをお迎えに。なんと2時に無事会えました。ソウル-羽田-広島がうまく続いていたことが幸運でした。田端さんの何事にも動じないという態度に助けられて、私はようやく息をつき、自分を取り戻したしだいです。

京橋川のほとり、広島駅に近いホテルフレックスにチェックイン。シンさんとアンさんは別行動。シンさんは韓国では有名なプロデューサーで、ビョンさんの作品はすべてプロデュースをしている人ですが、現在は別な監督のプロデュースをしていて、その作品に広島の平和公園・平和大通りのロケを考えていて、その下見に一緒にこられたようです。二日間、広島を歩き回っておられました。お話ができなかったのが残念です。

今回ビョン監督の新作『僕らのバレエ教室』が韓流シネマフェスタ2006の一本としてサロンシネマで上映される(6.10-16)ことになり、それに合わせて研究所のイベントをしたのですが、10.11日は監督の舞台挨拶が4時から設定されていたので、まもなくサロンシネマに向かいました。もちろんもう、田端さんがいるのですからね。私は役に立たない付き人のごとく、お二人のそばでうろうろしておりました。

上映は16時10分。3時過ぎにサロンシネマに着き、代表の蔵本さんと打ち合わせ。100席近い座席は指定席でほぼ満席。上映前の挨拶に続き、監督の希望で上映後に質問を受けることになったため、ビョンさん・田端さんも映画を一緒にみることになりました。「『密愛』は30代の女性にファンタジーを見せる映画だとしたら、『僕らのバレエ教室』は高校生、なぜ大人になるのかわからない若者たちのリアリティを描きたかった」とビョンさん。すでに二本とも見ている私としては、納得です。

その後、明日のシンポジスト・コーディネーターとビョンさんとの打ち合わせ。引き続き当日協力しいていただくスタッフとの歓迎懇親会と、ビョンさん・田端さんは連れまわされてしまいました。さぞやお疲れだったでしょう。スタッフはまじかでビョン監督とおしゃべりができることの幸せに浸っておりましたが。そこで何が話されたか…。次回に。                     (たかお記)


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6.15  こんにちは ビョン・ヨンジュさんを迎えて
 4月23日にひろしま女性学研究所として新しく出発して、2ヶ月。オープンイベントを先日11日に終えて、ようやく皆様にご挨拶する余裕ができました。わたしは研究所代表の高雄と申します。よろしくお願いいたします。
 11日にわたしの大好きな韓国映画監督ビョン・ヨンジュさんをお迎えし、前日に広島入りされた監督とともに濃密な二日間を過ごし、いまだ未消化な感じで、ぼっーとしております。
 わたしは『ナヌムの家』三部作を広島で自主上映する実行委員会に参加したのをきっかけに、映画はもちろんのこと、監督のメッセージのクレバーかつユーモアに魅了された一人です。その後、監督の著書『アジアで女性として生きるということ』の日本版を出版させてもらったり、ドキュメンタリーから劇映画に移った監督にインタビューし、月刊家族に登場していただいたりと、自他共に認めるビョン・ヨンジュ監督のファンなのです。周囲にはあきれられておりますが。

 劇映画一作目『密愛』が広島の映画館で上映されなかったのが残念で、新作『僕らのバレエ教室』がこの四月に日本公開されることを聞き、このたび当研究所開所イベントとして、広島で韓流映画に力を入れているサロンシネマに協力をお願いし、二作一般映画館上映とビョンさんの講演・シンポという欲張りなイベントが実現したというわけです。ビョンさんは二本のシナリオを執筆中で、本来ならば引きこもり状態なので外には出ないそうですが、余りのわたしのしつこさに、約束を守ってくださったのでしょう。感謝、感謝です。誰がどう見ても、これは追っかけしてるんですね。ストーカーとまではいかないけど…(笑) 。

 で、改めてわたしはなぜビョン監督にこれほど惹かれるのか考えてみました。それは「変わり続ける、挑戦し続ける美しさ」ということのような気がします。わたしは人が「憧れの人」を持つことは大事だと思っていて、広島で出会ったとき29歳だった監督が今40歳になり、これからも加齢していくその根源にある「フェミニズムという通低音を奏でながら変わり続ける」そのパワーが、ずっとわたしを惹きつけるのだと思うのです。

 それは、わたしが「監督を見る」ことによって、逆に「わたしを見させる」力を持っているということです。今回もしっかりとその一瞬と継続を堪能致しました。二日間におきたこと、これから少しずつ消化し、綴っていきます。
 そして、もちろんfビルで起きるいろんな出来事を、もうひとりのスタッフ・いさじさんと綴っていきます。お楽しみいただければ幸いです。                           (たかお記)