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■はるこの部屋 〜音のエッセイ〜

音のエッセーへ ようこそ!



「声の合理化」
「子どもの音」

「オナラの音」
「音・公害」
「音楽とジェンダー」
「街と奏でる」

「おどり〜る」
音楽と民族性
楽器と民族性1」「楽器と民族性2
ユキちゃんの歌声
「即興の会」
「C・M・F
(クリエイテイブ・ミュージック・フエステイバル)」

「一触即発」
「ゲンバクの木巡礼」 「時代の子」
「HARUKO パフォーマンス」 
「老人とテレビ」 「音が生まれる」
「音が立つ」 「声と孤独・ひとり遊び」
「日本のリズム、韓国(朝鮮)のリズム」
「チャンゴ」 「バラフォン」
「インプロビゼーション(即興)・ミュージック」
大・気・音・信・極楽浄土」  「ジャンベ」
ようこそ!「はるこの部屋」へおいでくださいました。 狭い部屋ですが、マ、お茶でも一杯。浮き世の塵芥(ちりあくた)をいっとき振り払って、「音」という抽象的でマカ不思議な世界の散策におつき合いくださいませ。

「なんではるこさんなの?」よく聞かれる質問です。芸名です。おとなりの朝鮮半島では、複数の名を名乗ることは、結構あることらしいということを、在日の方から聞いたことがあります。 わたしの原初の記憶のなかに「はるこ・春子」という名前があるんですね。わたしの母の世代の女たちは、愛だとか恋だとかの結婚でなく、生きてゆくための(口べらしとしての)結婚だったことが多く、わたしの家にいた叔母さんもそうだっ たんですね。亭主に不満足でもとにかくおマンマが食えれば良かった。そんな叔母の鼻歌「〜じゃがたらお春〜」というフレーズがやけに子ども心にしみたんですねえ。

また、「在日」というカン・サンジュンさんの本のなかで、彼のお母さんの日本名が「春子」で、字の書けないオモニが何度も「これでよいか」と息子にたしかめる話がありました。そんなわけで、「はるこ」は日本の女の総称のようなものなんでしょ うか。いたしかたなく日本名をつけた「在日」の人たち。かたや趣味でつけるわたくし「はるこ」の芸名。その「距離」を心して今日も朝鮮韓国打楽器、チャンゴを叩く今日この頃でございます。

注=はるこ・2002年春、突如、白塗り大道芸人風いでたちで、広島のライブハウスや街頭に出没しはじめる。本人にもその動機や意味は不明。得意芸はタイコ。たぶん出雲のお国もこんな感じじゃあなかっただろうか?

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「声の合理化」

「足元にご注意ください」「バスが停車してからお立ちください」「よいこのみなさん、エスカレーターのまわりで遊ばないようにしましょう」「おはようございます」「傘などお忘れものにご注意ください」…。街のなかにはさまざまな録音されたアナウンスが流れています。これを「ご親切に」と受け取るか、「おせっかいな」と受け取るか、さしずめわたくしは後者です。

通勤途中の「いのくち駅」では、ホームに入った電車のドアが閉まるまで、「足元にご注意ください」というフレーズが録音された声が繰り返し繰り返し流れている。オームがえしに繰り返された機械的で単調な声というものは大変に耳障りで、いつも早く電車が発車してくれないかなあと思います。電車とホームの間があきすぎて危険なら、そちらを直すようにすればいいし。

バスに乗れば、「バスが停車してから席をお立ちください」というフレーズがシツコイほど流れます。座席の裏にもこの言葉が張ってあり、「日本バス協会」とある。満員で立ちっぱなしの人はどうなるのか、揺れるバスの中でも足のバランスに自信のある人はどうか。

高齢社会到来のための「親切心」で、バス協会はこういう画一的なアナウンスを流すことを決めたんだろうが、余計なおせっかいと無駄使いというもんで。こういうのを流しときゃ、かりにバスがストップする前に立ちあがってコケたりした老人がいたとしても、「ほ〜〜ら、決まりを守らなかったからそうなるんだ」という悪しき自己責任が問われるのがオチで、よろけた老人に回りが手を貸すというような臨機応変、自主的判断が育つようなふうにはならないような方向性じゃないのかと思ってしまう。

感情のない無機質なオーム返しの声は、人の心の芯までは届かないし、それで注意力を喚起するつもりが、逆に悪しき他力本願、自己判断能力や、物事を考えさせなくする巧妙な政治的意図があるんでないかと考えたりします。駅の改札口での駅員の「おはようございます」という連呼も、やっている本人は苦痛でしかないんじゃあないかと察します。まあ、これも日本国の七不思議の一つではありますが、こうした習慣がますます増えるのも多数派は良しと思っているということで、わたくしなんぞは異端モノなんでしょうが…。


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「子どもの音」

公民館で子どもにチャンゴを教えて数年になります。幼児から小学生までの子どもたち。 子どもの描いた絵がすばらしいと同じように、子どもの出す音というのもなかなか良い。

どのように良いのかを言葉で説明するのが難しいんですが、良く言われる天真爛漫さ、「素の音」の気持ち良さがあるんですねえ。下手でも良い絵ってのがあるけど、下手でも良い音っていうのがある。

それにひきかえ、大人の音は鈍重でくぐもっているというか、余分な垢がこびりついています。技巧を磨くというのは、このこびりついた垢をひたすら取り除くということじゃあないかと思えるほどです。プロ、アマを問わず、よごれなき「素の音」を出す人はいるもんですが。絵画では、子どもの絵の世界から養分を吸収した、ピカソやクレー、デュ・ビュッヘ…。詩人で思いつくのは、まどみちおや谷川俊太郎。音楽でもそういう試みはあるんだろうか?

先日、エリザベート音大の作曲家、ジョン・コールさんの新曲披露コンサートに行って聴いた音楽は、「WORD」という題名の曲で、ハモニカ・オルガン4台の音色が長く細く流れるなかを、コールさんの発音する中国語の単語が杵の音のようになつかしく響くステキなものでした。

使われた単語は、中国人のおつれあいとの間に生まれた子どもが2歳になって、2年間に発した言葉を連ねたそうで、演奏が終わってコールさんは、「この曲はシンプルで子どもでも演奏できるネ」と楽しそうに言っていました。そこにもとても注意深く丁寧に配慮された「素の音」がありました。


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「オナラの音」

チャングムの「オナラ」ではなく、屁のはなし。「屁」とは、つまらない物事のたとえ。屁とも思わない、屁のかっぱ、屁をひって尻つぼめ。まあ、一般に、公共空間で屁の音を出すのはタブーという暗黙の了解があり、たしかに緊張していると屁は出ない。屁のジェンダーでいえば、やはりまだ女にリスクは多くかかっていて、プライベートな時空で、放屁をがまんするという生活はストレスがかかる。

考えてみれば、わたしの離婚原因はそんなところにあったかも知れないわけですわ。人はとりあえず遠慮なく放屁ができれば、浮世のストレスはかなり解消できるというもので、皇室のまさこさんのストレスもこれが大きいんじゃないかと察します。

気兼ねなしに、へこき合う関係、それがホントの愛情関係かもしれない。詩人の石垣りんさんは、一人暮らしの良い点を聞かれて、「お風呂から出たあと、裸でいられることかなあ」と。わたしは、「遠慮なく気ままにオナラできることかなあ」この自由は手放したくないものですね。

オナラの音は楽器にたとえるなら管楽器、チューバ、サックス、クラリネット、トロンボーン、、、、下腹の長いくねくねした大腸、小腸を通った体内ガスが抜けるのだから、構造的に似ているわけで。匂いをともなわないときは、体調も良くなかなか平和的ないい音がする。風船の空気がスーーーと抜けるように音がなく、臭みだけのときは体調が良くないみたい。肛門の手前で、ガスがほどよくたまる感じを脳がキャッチして、「出すぞ」と司令をくだし、ほんの少しの力みを入れて出す放屁はすばらしい音がするし、ああ、幸せ!!生きていて良かった!!!という快感もひとしおですね。

わが息子が小学1年生頃だったか、先生から「朝、学校にくる前にかならずうんこを済ませてくるように」と言われ、それが逆にストレスになって、通学途中で下痢になってしまうという可哀そうなことがあったが、排便や、放屁の自由まで束縛されるというのは、人間のもっとも基本的人権の侵害だと思うわけですわ。


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「音・公害」

見たくないものには目をつぶればいいが、聞きたくないものはそうもいかない。「音」が気になりだしたら、どんな小さな音でも気に障るということらしい。先日もテレビ番組「クローズ・アップ現代」で、東京の公園の多くは、こどもたちの遊ぶ声がうるさいとの苦情で、遊んではいけない告知掲示板が増えているとのこと。こどもたちの遊ぶ声まで禁止される世の中っていったい何?と思ってしまう。

とうぜん親のほうは、「じゃあ、いったい子供はどこで遊べばいいの?」と訴え。
「音」というものが気に障りだした背景に、近隣の人間関係の希薄さがあげられるという。みずしらずの他人の出す音が不快になる、またそれを許容する心のゆとりもないということなんだろうか。

わたしのこどもの頃、目覚めると、母屋から大人たちがかもしだす生活の音が、朝の空気をとおして伝わってくるのがとても心地よかった。向こう三軒両隣りの顔のみえる関係のなかでは、生活の中から出る「音」は気になるよりはなぐさめにもなったものだった。うるさかったら「うるさい!」と直接本人に言えばすむことだった。

それにしても、町のあちこちにある「公園」。全国どこでも同じような画一的で魅力のないあのスペースは、どんな意図があってつくられたんだろうか。町には公園というものが必要なものなのだというだけで、さほどの考えもなしに作られたとしか思えない現在の公園は、中途半端な広さでなんの利用価値もない。子供も遊べない、シルバー世代のラジオ体操もうるさいというのなら、そんな公園は無くてもいい。

今の公園のスペースを5つか6つほど合わせたような、もっと広い草むら広場をこどもたちに作ってほしい。騒音公害をいうなら、夜中の県警のパトカーのサイレンと、ガ鳴りたてる警官の声こそ受け入れられない最たるものだ。


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「音楽とジェンダー」

最近の若い歌手の歌声は、聴いているだけでは女性なのか男性なのかが分からなくなった。男性の声は低いものだという刷り込み、ジェンダーが崩れてきました。作曲家、ポーリン・オリヴエロス(アメリカ)の「ソフトウエア・フォー・ピープル=現代音楽へのジェンダー的論考」という本を、題名に興味を覚えて読んでみました。「『女流』作曲家と呼ばないで」という項は、音楽も他の分野と同じく「男流」で占められてきたことが分かります。

普遍的だと言われる5線譜で書かれたヨーロッパの音楽が、全世界的にみれば一地方のものであることは今では当たり前になっていますが、「西洋音楽の世界で認められた作曲家は、男性ばかりであった。女性は伝統的にこの世界に入ることを思いとどまらされてきた。作曲家は他者が(主に男性が)何をすべきなのかを積極的に規定する。女性はその文化的役割のために、そのような経験から排除されている。社会は音楽がどのようであるべきか積極的に規制する。音楽の力は良く知られている。「国家の音楽の性格は、習慣や制度を変えることなしには変わりえない」(プラトン「国家」より)」とあるように、そのようであったんだ。

ついこのあいだ友人に誘われて、「第9合唱演奏会」を聴きにいきましたが、その圧倒的な人数の人々の合唱はそれは見事な迫力でしたが、指揮者、オーケストラ、ソリスト、1300人の合唱隊、聴衆という一種のヒエラルキー、西洋の家父長制的な形式に対する一抹の違和感を感じたことも又正直なとこでした。

ポーリンの作曲は残念ながらまだ聴いたことがありませんが、5線音符から取り残されている「音」を観察する、拾いあげることから初めて、即興的な音楽や、さまざまな演奏形態を試みていく様子が書かれています。楽譜が読めないわたしのようなものでも、「音」を楽しみ音楽をやれているのは、こうした音楽のジェンダー的な考察のおかげであるということも言えるのかな?


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「街と奏でる」


車と奏でる、橋の欄干と奏でる、河の流れに向かって奏でる、自転車と奏でる、植え込みの植物と奏でる、へいわ公園の噴水と奏でる、、、。夏の終わりの一日、チャッパ(神儀などに使う小物の楽器)を鳴らして行脚しました。

2008年9月2日、サミット議長会議(G8会議)が開催されるという広島の街は、歓迎の幟がはためいていたり、一部交通規制もひかれたりしていました。その前後に、H8グループなる摩訶不思議なムーブメントに誘われて、路上パフォーマンスをやることに。少しおおげさに言えば、「戒厳令下」の広島の街で、ぬきうち路上パフォーマンスをやるとなれば、このところ取り締まりに騒がしい県警のパトカーにでも捕まるという事態もなきにしもあらずやと、かすかなカクゴをしての参加とあいなりました。市役所の向かいにある平和研究所の高橋博子さんの研究室をお借りして、着替え変相。

誘ってくださった「単独旅行舎」の大槻オサムさんは、長髪に白塗り、ピースマークのついたサングラスにシルクハット、裸に背広、素足の出で立ちは、天皇ヒロヒトかジョン・レノンか?で、たちどころに「ヒロヒト・レノン」という名がつきました。なら、さしずめわたしは「皇后ハル子」といったところか?変身を怪訝な表情で見つめていた高橋博子さんが、「ああ、ハルコって、あの映画のハルコ?」(註=在日のお母さんを扱ったドキュメント映画)とさすが機敏な想像力を働かせてくれました。

わたしらの変身に待ちくたびれた上村崇「ゾンビ」さん、東琢磨さんらとともに市役所を出発して、夕方のシンポジュウムの会場、HEART TU HEART までの路上行脚。市役所前の電停のホームで逆立ちするヒロヒト・レノンは、橋の欄干にも飛び乗り、一本足立ちの綱渡りパフォーマンスはヒヤリとさせられつつも、ウ〜〜〜ン、鍛えてあるねえ〜〜と、さすがです。わたしらの日々の生活もそのように危ういものであることを想起させられます。

へいわ公園のG8の国旗のはためく下で踊るゾンビくん。いたずらなこどものココロ、無意味さの愉しみ軽み。久しぶりに街と遊ぶ開放感、「街はわたしたちのものだ」ということを実感しました。若い人たちの反応が良かったのが印象的でした。


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「おどり〜る」

現代美術館にHARUKO出没。広島でコンテンポラリーダンスの活動を精力的に展開している、くしま雅子さんのお誘いで、「現美どこでも企画=おどり〜る」のイベントに出演しました。

ダンスやパフォーマンスの身体表現を、ソフト・スカルプチャ−(柔らかい彫刻)ととらえ、美術館の全体を使って、柔らかい彫刻でうめ尽くそうといった面白いコンセプト。そして観客との関係も、空間を共有してゆくことを意識的に取り込みながら、館全体を化学反応させるという興味深いアイデア。

一部は全員でアクションを起こし、2部では個別な自由な表現をするという構成で、さてわたしは何をしようか? で、困ったときの白羽の矢は、卒業生の宮谷彰くんに決まりました。ちょっと「病気?」な面白い若者で、いつも斬新な変化球を送ってくれるのが愉しみです。

2人のグループ名も彼のアイデアで「ガンバレ中小企業」に決まりました。さしあたって動きのオーデイション・テストがあったのですが、ユニークすぎて、勝手にやって下さい扱いに。発表当日も、「死にたい、死にたい」ともらす宮谷くんを、叱咤激励してなんとかもたしました。が、後日、撮ったビデオをみると、ちゃっかりカメラ目線をしっかり意識した動きをしていて、全く侮れない現金なヤツ! でそんなところがやっぱり気にいっています。

くしまさんたち、コンテンポラリーのダンサーたちは、さすがに鍛えた柔らかな身体を目一杯くねらせて踊る動きは観ていて気持ちのいいものでした。


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「音楽と民族性」 


チャンゴをつうじて、在日の人たちとの関わりのなかで、映画「パッチギ」を観た感想を書き留めておきたいと思います。

在日の女の子を好きになった日本の青年が、河向こうの在日村に近づいて行くのですが、ある日、御葬式に出向いた日本人青年が、韓国人家族から冷たい仕打ちを受ける。「ここは日本人の来るところじゃない、帰れ!」と突っぱねられ、しょんぼり帰る道すがら、橋の上から持っていた愛用のギターを河へ投げ捨てて大泣きするシーンがあって、わたしはいたくその青年の気持ちに感情移入しました。

戦後日本社会の朝鮮人差別のしこりは、やはり今もってまだまだ払拭されずに燻りをみせています。そして好意をもって近づいた日本人が矢面にたたされることになるのです(これはフェミニズムに近づいた男性が袋叩きに合うのと似てるかなあ)。その様を、「飛んで火に入る夏の虫」と形容した在日韓国人もいます。

韓国朝鮮の唄には、恨(ハン)の心がテーマになっているといいます。わたしのチャンゴの先生の解説では、恨(ハン)とは、いわゆる恨み、つらみではなく、自分の希望や願望が叶えられない悲しみである、ゆえに恨(ハン)とは希望につながる願望なのだと(そして日本人には、恨(ハン)の心は分からないのだとも)。

映画「パッチギ」の最後のシーンでは、日本人青年がラジオで「イムジン河」を歌うのですが、これは、わたしなりの解釈ですが、その時、彼の心のなかに恨(ハン)の感情が芽生えたのではないか? 歌うことによって恨(ハン)を解く、ここに芸事の存在意味があります。恨(ハン)という心が韓国朝鮮人だけのものでなく、普遍的な感情なのだということになったとき、事体は少し改善されるかも知れません。


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「楽器と民族性 2


5月のある一夜、広島のライブハウス「楽座」にて、琴奏者の榊さん主催のライブに飛び入り出演しました。ゲストは自由即興演奏の寺内大輔さん、三宅珠穂さん。前半は榊さんの琴の独奏と寺内、三宅さんの自由即興。後半はわたしのチャンゴ、石丸さんのフルートなどを入れた即興、最後は榊さんの独奏といった構成。

自由即興では、チャンゴで参加して音の波の中で遊び楽しみました。わたしの技量もさることながら、「タスリム」というリズム自体がもっている、草原を馬で駆け抜けるような高揚感は必ず聴衆の心をゆさぶる力があります。演奏はおおむね好評でした。

ライブが終わって、演奏者たちで歓談のおり、わたしが韓国打楽器の民族性について、又在日の人たちとの関わりについて話していたことに対して、三宅珠穂さんが「でも、そういうことは音楽とは関係ないことですからね」と確信をもって言っていたことがとても印象に残りました。

自由即興の三宅さん、寺内さんらにとっては、「音楽」というところから出発していて、求めるものはミニマルな音の自由さ、新しさ、普遍さなのだと思われます。わたしがチャンゴをやりながら、音楽と関係ないことに考えをめぐらしたりするのは、世代の相違なんでしょうか? 

民族性と普遍性。ともあれ「音楽」に何を求めるのか、求めないのか?その答えをずっとひきずって考えつづけてゆきたいことだと思いました。


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「楽器と民族性 1」


朝鮮半島伝統打楽器、チャンゴ(杖鼓)に取り付かれたことで、民族の壁の複雑さも思い知らされることになりました。堅い言葉で云えば、国家、社会、民族、たかが楽器されど楽器、楽器もまた社会性と無縁ではないと云うことなのでしょう。

しかし、もう一方で、音楽は国境を超えるという普遍性をも持ち合わせているわけですが…。日本人がピアノやバイオリン、ギターをやるようにチャンゴをやるというようにはいかない何かがそこにはあって。かっての日本の半島への侵略、在日の人たちの日本での差別の事、などが重くのしかかっていることを思い知らされるのです。

在日の人たちにとっても、朝鮮半島伝統楽器は民族的なアイデンテイテイーの象徴であり、それへの思い入れの強さは格別のものがあるようです。そして、チャンゴをとおして在日の人たちとの関わりのなかで、ヒリヒリとした痛感をともなって、あぶり出される過去を知らされることも多いのです。

それは、わたしの出生にまつわること、つまり、あの戦争がなかったら生まれていなかったという、(父は衛生兵として、母は従軍看護婦として廣島の宇品港から出兵して南方で出会っている)わたしの「存在」がにわかに意識されてきたのでした。侵略と差別は、わたしの意識の及ばないところで、すでに存在そのものが差別的であること…。チャンゴには、そんな歴史の臭いがしみ込んでいる楽器でもあるのです。

しかし、もう一方でわたしがチャンゴに魅せられたのは、その音の響きに我がルーツは半島にあるのではないかと感じられるほど血のさわぐ思いがすること。長い長い歴史のスパンで考えるなら、わたしは半島から流れてきた末裔であり、もともと民族的には同じであったということに希望を見出せるとも思います。そんなことを考えながら今日もチャンゴを打ちます。


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「ユキちゃんの歌声


6月のある夕方、鶴見橋の袂でチャンゴを叩いていると、ユキちゃんとその友達が自転車でやってきました。遠くからタイコの音を聞きつけて「祭りをやってるのかと思ったよ」と言いました。

ユキちゃんとは再会なのです。はじめは、猿候橋の岸で、ちがう友達と話しかけてきました。今度ウチの学校の学園祭に来てほしい、仏教の女子校に行っているのだ…とか。わたしのチャンゴの音を聞いて「すごくリラックスするよ」と言ってくれます。彼女らの表情は、一種独特な緊張感が、顔にみなぎっていて随分ストレスがたまっていそうです。世の中のストレスを一身に背負っているような、そんなに背負えるのは若いエネルギーがあるゆえにとでも言えそうです。

ユキちゃんは「そばに座っていい?」とわたしに体をくっつけるように座ります。そしてケイタイの中に入っているユキちゃんの大好きなメロデイー、中島みかの「桜色まう頃」を流して、3人で歌いました。「ここはあっち(猿候川)よりいいネ」と言う。京橋川がゆったりと蛇行して、夕空が良く見えて静かです。梅雨空だけど、風がそよいで気持ちのよい夕暮れに、高校生の女の子2人と鼻歌を歌いながら暮れるにまかせる美しい時間。だれから言うでもなしに「いいなあ…」という気分がお互いに伝わったときユキちゃんの家庭の話を聞きました。

中一の頃は暴走族の仲間に入ったりしてグレた。今は母親が大好きで、母親のようになりたいと言います。父が帰ってこない時があった、父は子どもみたいだとも。歌の道に進みたいから今、声楽をやっているとか。もう一人の女の子は英語の発音がとても上手でした。あたりは少しうす暗くなり、「縁があるから又会えるネ」といって別れました。


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「即興の会」

琵琶湖での経験が忘れられず、「即興の会」を立ち上げました。その第一回め。三味線、はうたのYさん、口琴、ホーメイ、馬頭琴のTさん参加予定でしたが、Tさんは、風邪にて欠席(残念)。今回は、11月4日の宮島は「千畳閣」での演奏のための打ち合わせをしました。

三味線の日本、チャンゴの韓国、ホーメイ、イギル(馬頭琴の原型)のトウバ共和国といった案配のにわかバンド。で、名前も「東アジアの風」。「わたし完全即興は苦手なんよ」というYさん、宮島なら「祇園精舎」でしょうと、しっかり楽譜を持参してくれました。

マルやら四角、数字も入った摩訶不思議な面白い楽譜をみながら、三味線で浚ってみせてくれます。「ギオンショウジャノーーーカネノオーーーートーーーーー」に、おもわず「チ−−ー−ーン」と、マンガちっくに合いの手を入れてしまったら、「あ、いいねえ、そのノリでいこうや。本来ならこの曲は琵琶で荘厳にやるもんだけど、ウチらそんな完璧どうせ出来へんなら、最初と最後はしっかり祇園で、あんこ(中)は即興の掛けあいってどう?」。そうやね、それでいこう。だけど、ふざけるなって宮島に怒られんかナ。

あれこれ音を出しながら、だんだん二人で盛り上がってきます。三人の見せ場も考えて、だいたいの骨組みがみえてきました。衣装はそれぞれの民族衣装で。今度はTさんを加えて、近いうちに打ち合わせをしようということで終わりました。

「即興の会」は、まったく経験のない人でも大丈夫です。「音」が好きな人、もしくは「音」に興味のある人、「音」で対話を楽しむという心得だけあれば、だれでも参加できます。

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「C・M・F(クリエイテイブ・ミュージック・フエステイバル)」

07の夏、滋賀県は琵琶湖のほとりで行われた、CMF(クリエイテイブ・ミュージック・フエステイバル)に参加しました。神戸大学の現代音楽家、若尾裕さん、バイオリニストの若尾久美さんらが中心となって、新しい音楽を探そうと始まったイベントで、今年で10年目になるといいます。毎年、参加したいと思いつつも日程の都合がつかず、今年待望の初参加となりました。

関西はもちろん、東京から、九州方面から、30人以上の「音好き」が集まってきました。若尾先生のゼミの研究生、音大卒の専門プレーヤー、療法士やセラピーを仕事 にしている人、ダンサー、わたしのように美術から音に目覚めた人。ほとんど初対面の人たちが、「音」という糸で結ばれて来ているのでした。自己紹介をかねた最初の「音出し」のときから、みな心のスタンバイOK、充分に熟しているという感じで、、これから何が興るのか期待に胸が弾みます。

今年のゲストはイギリスから、「人間の声」をテーマにしている、トレヴアー・ウイ シャートさん。喋ったり、歌ったりする意外に人間はどれだけの音声が出せるのか。いろんな言語の音の響きや、何十種類もの擬音、時にはゲップ、くしゃみ、あくびなども含めて声の可能性をさぐるパフォーマンスはそれは面白いものでした。こんな研究が芸術として存在するなんて。

もう一人のゲストは、ウイーンからミヒヤエル・フイッシャーさん。作曲家であり、サックス、バイオリン奏者。ヨーロッパ、インプロビゼーションの歴史についてのレクチャーや、みなで演奏した即興音楽は忘れがたいものになった。CDの出来上がりが楽しみです。又、寺内大輔さんの、ユーモラスなワークショップ、みんなで奏する世界初演の曲や「くちずけ口琴」の実演など。

なぜにこんなに楽しいかと考えてみるに、即興音楽では人と人との関係性が、従来の上下だったり親分子分だったり、司令塔が取り仕切るというような人間観ではなく、あくまでも自由な結びつきを模索するところにあるんだということを、今回も又思い知らされました。琵琶湖を眼下に見下ろすヴイラでの2泊3日のフエステイバル。ますます「音ってなんだろう」「音」の魅力にとりつかれています。

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「一触即発」

一触即発の空気が、社会(世界)に蔓延している。わたしの皮膚感覚がそのように反応します。国家間の一触即発、小個人のあいだにおいても。

先日もわたしの絵画教室にきている、とても仲良しに見える中学3年のふたりの女の子の片方が、実はブログで悪口を書きまくっていたという話しを、お母さんから聞いて、表裏の使い分けの激しさにおどろきました。いや、それはわたしら大人の世界でもあることでしょう。人間関係の摩擦の放出、いじめたい心、これは世の常かもしれませんが、それが今や、ヒステリックな感情になってひりひりしています。

この空気はいったいどこから来るのか?そんな空気にさらに追い討ちをかけるように、このところ昼夜を問わず、パトカーのサイレンと、マイクでがなりたてる騒音が、夜の安眠を妨害するようになっています。

暴走族の騒音が近頃減ったと思っていたら、かわりにパトカーの我がもの顔の深夜の騒乱です。思いあまって県警に電話をしてみました。女性の声で応対、「不審な事件を未然に対処するため、、、」だとか訳の分からない返事です。毎日、命にかかわる事件が町内に起こっているはずもなく、いたずらな深夜の闇をつんざく騒音は、人々の安眠をさまたげ、不安なヒステリックな感情を高ぶらせる効果はあれど、いくら県警といえども人々の安眠をさまたげる権利はないはずです。

人々の気分が集団的な狂気に暴走していく気配が空気のなかに潜んでいます。

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「時代の子」

2003年8月、夏草の生い茂る元宇品のプラットホーム(2005年5月消滅)で、現代ア−テイスト、岡部昌生氏のフロッタージュ(紙に鉛筆などで擦り出す技法)の仕事に立ち会いました。岡部さんは、北海道は根室の出身だが、1986年以来、HIROSHIMAにこだわり続けている作家です。彼のテーマを一口で言えば「近代とは何だったのか?」という問いを考え続けるということだと思いました。

元宇品のプラットホームからは、日清戦争から大平洋戦争終結までに、600万の兵士とおびただしい物資が、アジアへと運ばれた場所。そのプラットホームの石の表面を、コンテで擦り取るのを手伝いながら、ふと、ザック、ザックとホームの上を歩く人々の足音が聴こえたような気がしました。

そういえば、亡くなった父が、廣島の町に3日間だけ滞在したあと、宇品からマレー半島へ出兵したと言っていたのを思いだして、にわかにそのプラットホームに出会ってしまったという思いがしました。そして又、母も従軍看護婦として出ていきました。宮島で写した日赤看護婦たちの集団写真が残っています。

そんな話を岡部さんにすると、「時代の子なんだね」とぽつりと呟きました。プラットホームが消滅する(後には湾岸自動車道路になる)5月、わたしはどうしても、そのプラットホームに立ちたくて、「父母をさがして、時代の境界線に立って」というパフォーマンスをやらせてもらいました。

今年、岡部さんは、ベネツイア・ビエンナーレに、日本代表で出品されています。
日本の近代は、ヨーロッパにどう響くでしょうか。

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『ゲンバクの木巡礼』


広島の繁栄のすき間から、今もヒロシマの死者たちの風が通りぬける…白いヒロシマ。これが広島の街にたいするわたしの印象です。街のど真ん中にある平和公園や慰霊碑。たくさんの運河ぞいを歩くと、あちらこちらにゲンバクにあった樹木が、少し異形の姿で大きく佇んでいます。年月を経て樹は、腰や背のまがった老女、老爺のよう。

「木に会いに行こ!ひろしまの風にふかれてネ、今年もたくましく生きてる「ゲンバクの木」たち、そして…」 2002年8月から毎年市内のゲンバクの樹の下で太鼓を打つという「巡礼」をやっています。「平和活動」といったような大層な理由からでなく、何かそうすることで気分が納まるという感じなんです。

ゲンバクは天から降ってきたのではなく、アメリカの支配層が落したことにもっと自覚的にならねばなりません。慰霊碑の「あやまちは二度とくり返しません」という言葉は、「人間は反省、学習をしない愚かな動物です」に変えて、ブッシュや安部にノシを付けて返してやりたいわけですが。

ともあれ、ゲンバクで亡くなった人の命は取り返しようがなく、その取り返しのつかなさに対する、せめてものわたしの鎮魂がしたいのだと思います。”現世にたいする恥じらい”のようなものが、わたしをしてタイコを打たせているのかも知れません。

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『HARUKO パフォーマンス』



白塗り「HARUKO」 のいでたちで、太鼓を叩きパフォーマンスを始めたのは、2002年の春、啓蟄。なぜそんなことをするのか? 自分にも理由はさだかでないままに、でも何故かやると気分がスッキリおさまるのでした。ほとんど内的、生理的欲求でありんした。

戦時下には平静を保っていても、平和がやってきたときに人はむしろ狂うもの、などといいますが、わたしにとって離婚と「HARUKO」とは大いに関係があるかも。自由と孤独を手にしたとき、鬱積していたモロモロのものを、こういう形で吐き出したいという衝動だったのでしょうか。抑圧したものが噴出するには時間がかかるということでしょう。

ある種の表現というものは、インスピレーションで、すべてを明晰に分かってやっているとはかぎりません。あとになって「ああ、あれはこういうことだったのか」と納得することがあります。

それで、「HARUKO」 を分析してみますと、頭はゲイシャ、身体は白無垢花嫁のいでたち。つまり、長い間の家父長制男社会のなかで作られてきた女の二つのイメージ、娼婦性と処女性、これらを合体させた「古い女の象徴」を面白おかしく再現させたというわけです。

それに若干の動物性。古い民話のなかに出て来る、女はキツネだったり、鶴だったりする要素も取り入れて…。いくら否定的なイメージであっても愛されるキャラクターでなくてはいけません。そう、チャップリンのようにね。

そんな女の総称としての「HARUKO 」をいちど身にまとうことは、わたしにとってリアルなことだったんでしょう。そしてそれを乗り越えたいということであったかなアと思えます。男友達が「HARUKO」を見て? 女が女を対象化できるんだなあ、オレ、男を対象化できるかなあ…」という感想をくれました。

この頃、「HARUKO」をやる必然性がうすれてきました。今や「HARUKO」はわたしの古い友人になり、”脱皮”新たな「わたし」が生まれているのかも知れない…。

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「音が生まれる」


チャンゴという韓国打楽器をまじめに習おうと思い立つきっかけを与えてくれた、在日の女性ユミジャさんは、自己紹介で「チャング打ち」と書いていました。チャンゴは「叩く」のではなく、「打つ」ものなんだという認識を新たにしました。

久々に福岡へ、彼女が主催するチャンゴグループの練習を見学に行きました。リ−さんというプロの先生はまだ28才という若さで、平均年令は20代と思われる彼らの音の若さ、迫力に圧倒されて帰ってきました。音にも年令というものは如実に現れるのだなあと、わが「老い」を自覚させられたのですが、、。

しかし、とにかくチャンゴを打つのは文句なく楽しい。そして打たないときに「なぜ音を出すのか?」「なぜそんなに取り憑かれているのか?」と考えます。チャンゴを打っている時、わたしが出している音以外の、第三者の「声」のような音が聴こえてくるという不思議な体験がよくあります。これはきっと音楽をやる人なら誰でも経験のあることかも知れませんが。

音と音のあいだの空白を日本語では「間」といいますが、「間」を感じる感性は東洋独特のものなんでしょう。チャンゴを打っていても、音と音のあいだの空白というものがあって、それを日本の「間」という、平面的で横に広がるような言葉で表すと、どうも少しニュアンスが違うなあと感じていて、あの奥行きの深い「闇」のような空間をどう表現したら良いものかと考えあぐねています。

そしてその深い深い闇のなかから、さきほどの第三者の声のような幾重にも重なった束が通奏低音のように流れてくる瞬間があって、それは大袈裟にいえば、長い長い人類の自然時間のなかへ消えていった無数の者たちの声の重なりのようにわたしには聴こえるのですね。音は本来「呼ぶ」行為だとどこかで読みました。

わたしが「今」叩く音、「今生まれる音」と音のあいだの「闇」から立ち上がり、絡みついてくる過去の者たちの声、あるいはもしかしたら今だ生まれざる者たちの声。それらが混然一体になったときに起こる、「今、ここ」を超えて、「今、ここ」に在るあの感じ、それをどのような言葉で表したらいいのかまだ分からないでいます。

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「老人とテレビ」


74才になるひとり暮しの隆子さんの家にときどき訪れるようになりました。隆子さんは中国新聞社の記者を勤め上げ、元祖キャリア・ウーマンの名を馳せた一人。還暦の頃、咽頭ガンを患い現役を引退後「家族社」というフェミニスト・グループを立ち上げ、あらゆる文化はサロンから始まるという彼女の提案のもと、女性たちのサロンをということだったらしい。

話し好き、博学な隆子さんは、さながら言葉で旅をする。異次元の時空を彷徨うといったようで、それはレバノン杉の話から、いつしか旧約聖書の世界になだれ込み、あたかも古今東西の知識の断片をコラージュのように張り合わせて見せてくれる一枚の絵のようであります。が、しかしわたしは隆子さんの「生」の声をついぞ聞いたことがないのです。声帯がないので、音声器を咽に当てて話すその音は、夏の蝉の羽擦りの音に似て、隆子さんの個性とその音はもう切り離しがたくあります。その音を聞きながら、隆子さんが無くした声帯について、自分の咽で音を出さなくなった年月というものをぼんやり考えたりしました。

テレビの音声が一日中流れるなかで私たちは取り留めのない話をします。「わたしにはもう集中力というものが無くなった」と嘆く隆子さんは、せわしなくテレビのチャンネルをリモコンで切り替えます。そしてバーチャルな音がないと寂しいのだと、、。テレビの音を縫って、時折貨物列車の通り過ぎる音、それも好きなのだといいます。そしてつかの間の静寂が訪れるとき、老人にとってはそれが耐えられなく寂しいらしいのです。

老人にとって、その「空白」は死を予感させられるものとしてあるんだろうか。それとも絶対的な孤独を意識させられるという恐怖なんでしょうか。隆子さんと同じ年令まで生きていたら、確かめてみたいことの一つです。

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「声と孤独・ひとり遊び」


離婚してひとり身になってから、ウタが歌えるようになりました。体のなかから声が自然に湧きあがってくるというほうが正確です。

連れ合いの家を出て、1DKのアパートに必要最小限度の生活用具とわずかな貯金で始めた新生活。はた目からは惨めに見えたかも知れませんが、当人はいたって快適なのでありました。離婚前の精神的な抑圧から解放されたついでに、世間体というものからも解き放たれました。その安堵感は、経済的な苦労をしのぐものであったナア。

会話が出来なくなった相手と暮らす孤独が「牢獄」のようならば、ひとり身になった孤独は、大草原のなかで風を受けて立つ清々しさ。それは自分を自分で抱擁したくなるような身体の感覚なんでした。そして、この身ひとつで遊べること、自分を楽しませてやれることといったら、自分で「声」を出すということなのをいつしか自覚しました。お金のいらない遊び。もともとわたしは安上がりに出来ているんでしょう。そういえば、昔住んでいたマンションの独り暮しの老人が、いつも小声でなにかしら鼻歌をうたっていたのを、すれ違いざまに聞くことがありました。

声と孤独は関係がありそうです。腹式で声を出すのは、90分喋りずめの大学の授業で訓練ずみなので、あとは腹から上昇してきた気圧を声帯のところで、膨らませたり震わせたりして音声をコントロールすると、自分でも驚く程の音域が出ます。自然に任せて即興でメロデイ−を歌うと、わたしの場合必ず短調の音階になります。おそらく、日本および北東アジアの人々の音階はそれが自然なのじゃないかと推測します。自分の身体が楽器になるなんて、なんだか得をした気分になります。

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「音が立つ」


カワイ・ミュージックスクールの講師、大屋恭代さんに誘われて、カワイ・ミュージック・スプリングコンサートに出演しました。クラシックピアノや声楽のなかに、即興演奏のプログラムも入れるというので、お声がかかりました。半年間ほどかけて月2回ほどの練習。はじめのころはメンバーもまちまちで、皆ほんとにやるのかなと半信半疑。取りまとめ役の大屋さんも時折表情が曇りがち・・・。ところが本番が近くなったある日、ピアニストの川端先生が突然「音が立っている!」と言われました。「音が立ってきた」つまりそれは音楽として成立してきたということを指すのだろうか?。その言葉が妙に印象的で、それの意味をあれこれ考えたのでした。

メンバーは最終的に11人。ピアノ、サックス、トランペット、ドラム、ホルン、声、アコーデオン、馬頭琴、鉄琴、韓国太鼓、それに大屋さんのプロンプター(指揮)と摩訶不思議な編成。アメリカの現代作曲家、ジョン・ゾーンが発明した「コブラ」のルールを基にしつつも、やはりクラシックで鍛えた演奏家たちは何らかの秩序を求めるという方向に傾きがちで少しずつ変型してゆきました。「絵」からイメージした音を出すという子ども向けレッスンの方法も取り入れて、花、風、雨、雷、お化け、都会、動物、森などという絵を10枚ほどわたしが描くことになった。「ウワオー、これみんなボランテイアかあ」と文句もちらつかせつつ・・・。

しかし、川端先生の「音が立つ」発言の頃から、メンバーはお互いの心が通じ合うようになり、楽しいものにしようという空気が漂うようになりました。即興演奏の好きな人はおちゃめな人が多いように思います。衣装も各自工夫をこらして、世界民族衣装集合のようになりました。大のおとなたちがみんなそれぞれの変身を子どものように楽しんでいます。かくして本番は最高の出来上がりになりました。

即興演奏のプレイは、人との関係性についても新しさを秘めているといえます。他人の出す音をよく聴き取る、と同時に自分の音を重ねていくということは、他人の個性を生かしつつ自分も生かすという対等な関係を模索しています。そこには起承転結的なテーマ性が弱まるきらいはありますが、首尾一貫性よりは、さまざまな音がコラージュ的に織重なって、時には異質なものが異質なまま共存する形は、今日の地球の他民族が交流するグローバルな世界のあり方への新たな提言にもみえます。ともあれ音楽を一緒に造り上げてゆくという、めくるめく楽しい体験は一度味わうとやめられなくなります。そして音楽をとおして生きるということを模索している人々の「上質さ」にも触れたのでした。

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「日本のリズム、韓国(朝鮮)のリズム」


「炭坑節」と「アリラン」。
日本のリズムと韓国のリズムの違いは、この2曲に良く現れています。「掘って、掘って、また掘って・・」の最初の「掘って」は、上から下へ落ちる動作で始まりますが、韓国では最初の「いち」で身体が上がります。ですから、日本の人と韓国の人がダンスをすると、頭の上げ下げがバラバラになっておかしなことになります。日本人は「ワン」で体を落し、韓国人は上げるからです。

韓国人はスイングした感じ、「いち」の前に裏拍子があるので、肩をひくひくと上下させるあの踊りの躍動感はそのスイングからきています。このスイング感がないのは日本の特徴で世界でもめずらしいといいます。チャンゴをはじめて、このリズム感の違いが良く分かりました。チャンゴを叩くには、この日本人に染み付いたリズム感の改造が必要になってきます。

日本人のリズム感は、学校教育のなかで植えつけられたのだということが今になって分かります。朝の朝礼でやる「キオツヶ!」の号令、運動会にそなえて毎日練習させられる軍隊のような規則正しい行進、すべて緊張することが美しいとされる。日本人の身体の所作はおおむね「型」の文化であり、「型」を覚えることが最優先課題になって、それを極めるという方向にエネルギーが費やされ、なかばオタク的に追求されることになります。日本舞踊、和太鼓、茶道、華道、食事作法・・・。

日本文化はいかに緊張を持続させるか、それに対して、韓国は「解し(ほぐし)」文化なのであり、硬直した不動の姿勢を「解きほぐす」ところから始まるといいます。仕事を始める前に韓国人はまずリラックスした体勢をとる。ですからチャンゴを叩くときもリラックスした姿勢から始め、草原を馬に乗って走る感じをつかめば少々間違おうがいいというわけです。「型」よりも「実」を大切にします。日本人でありながら、いわゆる日本的なものに馴染めない気持ちをいだいてきたわたしは、チャンゴに出会って、わがルーツはここにありといたく感動したのでした。「解し」の文化、スイングするリズムは、じつは日本の祭り、お神輿かつぎなどにはしっかりと残っていて、その昔、半島と島は一体であったことをしのばせます。

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バラフォン

アフリカの木琴のことを、バラフォンといいます。シロフォンの原型のようなもので、手造りの野生味豊かな楽器です。13個の荒削な木片が並び、その下部には音を反響させるための瓢箪のような丸いものがいくつも動物の乳房のようにぶら下がっています。ステイックも荒削りな太い棒で、先端に黒いゴムが幾重にも巻き付けられていて、それで叩くと少しくぐもった、スチ−ルドラムのような音がします。水を含んだような柔らかな音。気になっていた楽器でしたが、広島県立美術館でアフリカ美術展を見た折に、出口の物産店で衝動買い。2万3千円なり。

美術展も面白かった。さまざまな形相をしたお面、祭りの祭具、トーテンポール、人型のような木の柱など、すべてに切れ味の良い素朴で、しかし洗練された形態感があります。現代のもので目を引くのは、ハデな御葬式の棺桶。KLMのマークの描かれた旅客機は、生前乗りたくても叶えられなかった人のためのものだとか。豪華客船や、野菜を象ったものもあります。絵画では、ニューヨークの摩天楼が描かれた大布絵の前で写真を撮るのがはやっているようす。写真館の新商売でしょうか。アフリカの現在がこうしたあからさまなアメリカ、ヨーロッパ文化崇拝に落ち入っているとだけ見るのは早計なんでしょう。アフリカとヨーロッパ文化との引き裂かれかたのなかで模索しているア−テイストの作品も見られました。

さて、このバラフォンを叩くと、いわゆる西洋音階のフアとシが無く、ドレミソラドとなります。「チューリップの花」とか「しかられて」とか簡単な童謡が叩けるようになりましたが、気ままに出鱈目に即興で叩いたほうが、音のひとつひとつが立ち上がり生きてきます。バラフォンの音色は小振りでかわいらしく、音の粒が小さな木の実のように丸くなって飛んでいくようです。秋の陽の光にキラキラと照り輝く黄金の小さな蔓の実たち。いつか昔、何処であったか散歩の途中で見た風景のなかのつる草の実。いくつかの記憶のなかのイメージが折り重なって、影絵のように焼き付いてしまった木の実の形象。それはわたしにとって宝石のごとく美しく、バラフォンの音色もまたその蔓の実のように、いっときキラキラと輝くカケラとなって、わが心を慰めてくれます。


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チャンゴ 

夕方、原爆ドーム対岸のコンクリート河川敷でチャンゴを叩きます。河に映えるドーム、水面に魚のはねる音、ベンチに腰掛けて、聴くともなしに聞こえるチャンゴに耳をかたむけている様子のツーリストたち。その全体にたいして、出来るだけ美しい音を出そうと試みます。

日が暮れて、あたりがうっすらと暗くなった頃、腰を上げて川岸から上がってみると、公園のベンチに二人連れの青年がいて「ありがとう」と声をかけられました。チャンゴの音色がいいと誉めてくれます。韓国の青年たちでした。YMCAで日本語を習って2ヶ月だといってましたが、きれいな発音でしゃべります。わたしも「カムサハムニダ」とほとんどそれしか知らない言葉で交わしました。わたしのチャンゴの音が、夕刻、彼らをして故国の思いへと誘ったんだろうか。平和公園での思い出として記憶されることがあればうれしい。

わたしとチャンゴの出会いは、友人の高雄さんがソウルに行た折に買ってきてくれたことに始まります。その後、本格的なマイ・チャンゴがほしくなり、ソウルはインサドン通りのはずれにある楽器店で、気に入ったものを買い求めました。2万円なり。

しばらくおもちゃのようにして遊んでいましたが、ある日、「オーテイス」というライブハウスで、在日の女性、ユミジャさんのチャンゴ演奏を聴いてから、すっかり虜になりました。さっそうと馬に乗った少女が草原を駆け抜けて行くようなイメージは、大陸的な広がり、伸びやかさを感じさせてとても気持ちのいいものでした。和太鼓の堅さや、日本舞踊などのかじかんだような動きとは全くちがう柔らかさや弾力感は、細面の美しい顔だちのユミジャさんの頬を紅潮させて、健康的な色香が漂っていました。「オーテイス」のマスター、Sさんによると、チャンゴという打楽器は、インドのタブラというタイコとともに、もっとも難しいものの部類だということです。


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インプロビゼーション(即興)・ミュージック

無秩序の大音響にへきへき、ときに逃げ出したくなるような目にあいながらも、即興音楽の魅力に、いつしかはまり込んでいました。そして気がついてみると自分も参加、プレーするように・・だからシマッタとおもっているわけではなく、その魅力にとり憑れて喜んでもいます。

出鱈目、行き当たりばったりの音の進行にとまどいながらも、あんな風に行けたら気持ちいいだろうなあと思っていました。各々バラバラに演奏しているようで、全く出鱈目でもなさそうな音のかけひきのようなものがあって、なんとなく落ち着くところで音楽が終わります。演奏者たちの息がピッタリ合うという瞬間もあって、聴いているこちらまでも、同じ時のなかに巻き込まれる快感を知ったとき、即興音楽の醍醐味が分かりかけてきた気がしました。

リハーサルも打ち合わせもほとんど無しで音楽が始まることが、最初のころは不思議でした。であるからしてまた当たりはずれもあります。ある時、ドイツのピーター・ブロッツマンのライブで、虫の居所が悪かったのか、彼は途中でプイと演奏をやめてしまいました。「お金を返せ」と言いたいところですが、即興のミュージシャンは、そういうわがまま、良く言えば客に媚びないところがあっ
て、聴衆のことを考えないというてんで、いわゆるプロではないかも知れませんが、そんなところも結構好きだったりします。

ひとり独りの個性が確立してないと成り立たない音楽でもあって、「音」で対話するに近いのです。わたしの「音」にたいする感受性や、興味が深まっていったのも、即興音楽を通じてであって、その面白さが分かってくると、いわゆる楽譜のある音楽がいくぶんつまらなく感じられてくるのでした。型どおりの音階、型どおりのリズムをいかにテクニックで早くやるか、人間わざを離れて機械に似せていくかのような方向性に自己顕示していくことがつまらなく感じてしまうのでした。

サックス吹きのある男がいいことを言っていました。「自分の出す音を信じる」ということは「他人の出す音も信じる」ということだと。そして、人はほっとけば合わせよう合わせようとしてしまうものなんだから心配はいらないんだと。ともあれ、即興音楽の始まりは予測のつかない旅の始まりのワクワクした感じに似て、または人生そのもののようでもあるんであって、その魅力はつきないのです。


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ジャンベ

惚れ込んだ最初の楽器は、ジャンベ、ジエンベとも云うアフリカの太鼓。パーカッション教室に通いはじめてしばらくしたある日、となりの女性が叩き始めたタイコの音がわたしを虜にしました。いつも出会いは一瞬であり、それがすべてであるとそのときはいつも思います。きっと誰もがあの低音の響きには魅せられるだろう。下腹の中心に「ビン」と入ってくる音。女ならもろに子宮に響く、子宮の膜壁が震え振動する音なんですね、あの音は。ジャンベはアフリカの楽器で、セネガルあたりに多いと聞きますが、すべて手造りなので、当たりはずれもあるらしいです。

暮れもおしづまったある日、ジャンベを買いに浅草のパーカッションセンターを訪れました。店の一角に大小さまざまなジャンベが並んでいて、その中から気に入ったものを見つけるのは、恋人を選ぶようなワクワク感があります。音も、形も自分に一番しっくりくるものを選ばねばならない。あれこれ試していると、「これは?」と店員さんがさりげなく持って来てくれたものが、結局一番良いということが判明しました。やはりこういうものは店の人を信用するにかぎります。6万円の2割引きで購入。

自分の物になったジャンベはまるで生き物のようで、持ち帰った最初の夜は抱いて寝るという入れ込みよう。直径が35センチほど、丸彫り筒状の木に白いヤギの皮が張ってあり、雌のヤギの皮を使うのが鉄則らしい。雄の皮のものがあれば値が下がるといいます。なぜだかわかりませんが。

自宅近くの川岸に腰掛けてジャンベを叩いていると、通りがかりの人たちが「いい音ですねえ」と言ってくれます。広島の都心を流れる太田川から分流してくる京橋川。鶴見橋の架かるこのあたりは、ゆったりと蛇行した川幅が広がり、良く晴れた日には海からの風に潮の香がまじります。
印象派風の木陰でジャンベを叩くと、ある日は魚たちが一斉に水面をジャンプしたり、またある時は、一羽の鷺が100メートルほど水上滑走したりと、あきらかに音の振動に反応したパフォーマンスをしているのが分かります。カモメや鳩、カラス、すずめたちの群舞もいつもより興奮気味なのです。

タイコを始めてから、人と生き物が、音を介して反応しあうことの驚きと感動を知るようになりました。美しい音楽は、これがこの世のものなんだろうかということを思わせるけれど、「音」というものが、人間社会から微妙にずれて超えていくところ、空中に漂い場所をもたないモノとしてあることが神秘ではあります。「音」は物質ではないので所有することができない。一瞬にして消えてゆく音を追いかけるように愛しこがれる。眼のまえを流れる河は一刻も留まることなく移ろい、永劫の時間の流れを感じさせます。つまり無常ということですが・・・そこに杭のように垂直にひと振り叩き入れる音は・・。人が最初に始めた行為はひょっとしたら、ひと振りのタイコの音じゃないでしょうか。

その後もうひとつのジャンベを手に入れました。アフリカで修業して四国に住む人の造ったもので、これも一目惚れでした。桜の木で造ってあるので、ぞんがいに重いが低音が柔らかく良く響きます。これには「ヒメ」というあだ名をつけました。

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大・気・音・信・極楽浄土 
朝、太陽が地球をあたためる。室温が上がり、南東の窓、すだれごしに朝の光が部屋に満ちて目覚めました。時計をみれば6時より少しまえ、太陽は光と大気をあたため、周囲の空気がにわかに親密になりわたしを包みます。細胞が呼吸し大気との関係をひらいていきます。

めざめ。最初の世界との接触、それには少しの注意深さが必要。空間がやわらかに感じられるとき、いつも守られているという安心な感情、それが何処から来るのか不思議なんです。世間のさまざまな雑音に感覚が汚されないまえに、しっかりとこの刻を味わい確かめておきたい。

純粋な生の自然時間、リズムの感覚もここにあるんではないだろうか。河の流れのリズム、鳥が飛翔するリズム、虫の這うリズム、人が歩くリズム・・・。空中に「音」は放たれ、最初に音は質量をもっているかに思えるがやがて大気の粒子のなかへ分解され消えてゆきます。ふたたび同じ音はありえない。生まれては消え、消えては生まれる至福の音たち。大気は粒子(原子)のびっしり詰まった充溢した空間であるようにいつしか感じられます。

空気の海のなかで揺れ動いているような・・・海水のイメージが浮かぶ。その大気はすべてのものを繋(つな)いでいます。そこに「音」という振動を送りこむと、魚や鳥たちが反応します。もちろん人も。それは大気の流れが振動によって変化し、活性化するからでしょうか。心地良い音はさらに良い。大気音信極楽浄土、ここにあり。

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