call

                               seeds          

                                   
 「……縫った?」
 夜中の電話。
 畑良和、当年とって二十とん歳。職業スタジオ・ミュー
ジシャン。パートはドラムであるところの彼がワン・コー
ルで取った受話器に向かって最初に放ったのはそんな言葉
だった。ああ、と電話の向こうは一向に緊張感のない声を
出す。
 しじまに尾を引く声が、妙に距離を感じさせる。聞くと
相手は病院のロビーだという。彼は太い溜め息をついた。
「ダイジョウブなのか――ノリオ」
『ぜんぜん』
 何が、ぜんぜん、だ。彼は舌打ちする。
「全治は」
『んーと。2週間つったかな。聞いてねぇや』
「あのなぁ」
『いや、ちょっとそれどころじゃなくて』
「あのね、ノリオ君。そしたらお前は何を伝えようとして
俺に電話してきたワケよ?」
『現状報告』
「報告材料を揃えてからしろっつの」
 受話器の向こうから忍び笑いがこぼれる。時間と場所か
ら考えて大声を出せないというのもあるだろうが、傷に響
くからではないかと勘ぐってしまうのが悔しい。
「で、入院してんのか? ……さびしかろ。見舞部隊を送
り込んでやろうか。タカあたりに言やぁ一発だが?」
『いらねーよ、遠いし。それに別に寂しかねーし。同室な
の仕事仲間だしな』
「はぁん?」
 彼は受話器を顎で支えると、タバコに火を付けた。
「何? クルマで事故った?」
『うんにゃ。仕事』
「…………」
 煙が暗闇に仄白い。
「人魂でやけどでもしたのか?」
『いやもー、今回は派手だぜー。人魂に攻撃もされたし、
ドザエモンに襲われたし。とどめが神の鉄槌』
「…………」
 彼はフィルターを噛み潰す。この友人のいうことはどこ
までが本気なのか分からない。
「……ま、日頃のオコナイ、悪ぃしな」
 笑いをかみ殺すようにそう返したら、友人も、お前に言
われたかねーよ、と返した。
 ――人助けだせ、とは、ついに言わない。
「で、――死守したんだろうな? ベーシストの命は」
『耳も腕も勿論オトコマエな顔も』
「ハイハイ、よしよし。……そんじゃ暫くお前は一人寂し
くベッド暖めとけ。帰ったらイヤって程仕事させてやる。
とりあえず来週のライブはキャンセルだな」
『わりーな』
「お前は俺らが何度トロいつっても聞かねぇからな。学習
に必要だったと思えば諦めもつくだろーよ」
『トロくなんか、ねーもん』
「ばっか。何度事故ってるか覚えてんのか」
『俺はお前と違ってハードでバイオレンスな人生を送って
んのよ。傷跡はオトコの勲章よ』
「どんな美人を庇ったんだぁ、ノリオ君」
 受話器の向こうでベーシストが噴き出す。いやもう、そ
りゃ絶世の美人だよ、との返答に、ウソ吐け、と彼は返し
てタバコをもみ消した。
「……本当にヘイキなんだな?」
『――ああ』
 真面目に返され、彼は再度息を吐いた。
「他にキャンセルする仕事は? レコーディングとか、入
れてねぇのかよ? コンサートは?」
 スタジオ・ミュージシャンにはシーズンというものはな
い。ノリオ程腕がよければそれは尚更で、常にレコーディ
ングメンバーとしての打診がとぎれない。それとは別に、
夏はコンサートのシーズンで、その仕事もかなり多く入っ
ていたはずだ。
『あんまし入れてねー。こっち来るって分かってたし。……
夏はこっちの仕事もシーズンだしな』
 告げられた件をメモするために彼はスタンドの灯りをつ
ける。引き寄せたメモの一枚目には、ノリオから告げられ
た能登の住所があった。彼は眉をしかめてそれを破り取る。
『……そいや、良和。こんな時間に起きてたのか。お前さ
んには珍しいな』
「もう寝るところだったよ。……打ち上げが長引いてな」
『おお、働き者』
「任せろ。一日何時間タイコ叩いてると思ってる? もー
腕が上がっちまって大変だ」
 くすくすとノリオは笑う。良和は太い声を更に低めた。
「あんま、こっちサボってっと、おいてくぞ」
『ドラマーは動かねーもんでしょが』
 アホ、と彼は呟く。楽器が違い、同じバンドで演奏する
仲間であっても、やはり彼らはライバルなのだった。プロ
になった瞬間に、それは確定したことだったし、彼ら自身
がそのスタンスを選んだのだから。
『……ま、言ってろ。すぐ追いついてやっから』
 聞いたぞ、と言いかけて言葉を飲み込み、次いで良和は
小さく笑った。
「しょーがねーヤツ」
 音楽を捨てる気はない、と言うのだ。そう応えるしかな
い。ノリオもまた呆れたように笑った。
「じゃ、また入院ってことにしとくぞ。良いんだな?」
『しゃーねぇな。今度ばかりはホントなんだし』
 突然副業の方に走る度にノリオは仕事を『病欠』する。
副業の内容から、ノリオは決して身内の危篤云々という定
番の言い訳を使わない。それ故、業界内でのノリオは『病
弱』で通っている。実際によく入院するし、釈然としない
ままも関係者はそれで納得するしかない。本当は至って体
力のある方なのだが。
 ボールペンの先で額を小突き、良和はスケジュールを睨
む。来週の欄にある、バンドライブ、という文字に×印を
付けた。
「あいつらにはホントの事言うけど、いいんだな」
『あー……。クルマ、貸してもらえなくなっかもな』
「困るんならもうちょっとカラダを大切にすんだな。でな
きゃ仕事仲間で買え」
『お説ごもっともで』
 バンドのヴォーカリストは少しばかりひねくれた口を持
っている。頼まれるとイヤとはいえず長くノリオの副業に
車を貸すくせに、ケガをしたと聞いてもおそらくただ一言、
もう貸さねぇと、それだけを言ってノリオを非難するだけ
だろう。
 ――誰もノリオを止めることは出来ないのだ。だが、心
配はしている。そして、それを素直に口には出せない。
『……やべ。看護婦だ。じゃ、また連絡すっから』
「おお、ばれねぇよーに帰れ」
 聞こえたのか、いないのか。慌ただしく切られた受話器
のスイッチを切り、彼はそれをベッドの上に放った。ちら
りと窓の外の明るい闇を目で追う。
 閉塞感のある六畳間が無限の闇になった。
 ――薄明かり。遠くで聞こえる都会の喧噪。そこにある
ただそれだけの日常。非現実的な世界は通話の切断と共に
消えた。
 彼らにはノリオが見ているものは見えない。――それは
ずっと昔からそうだった。ノリオを必要とする人たちが世
間にはいて、自分たちがいてもその助けにはなれない。―
―だから、同じ方向へ進めない。それは無駄なことだから
だ。
 仕事仲間、とノリオは口にする。ノリオと同じものが見
えて、同じ目標を持つ相手が、副業の方にも存在するのだ。
 ――だから、それはとても結構なことだと良和は思う。だが。
 本当によくケガをする、と彼は心中で呟く。
 分かっているのか、いないのか。かつて副業中に酷い事
故に遭い、ノリオは一時廃人になりかけたことがある。
 頭を打った衝撃で昏倒し、気付いたときには目が見えな
かった。――見えない、と本人が主張した。見えていた世
界が違うものになった、とそう言った。その時初めて、彼
らはノリオが常日頃に見ていたものの存在とその大きさを、
うつろに宙を見つめるノリオの瞳に見つけて戦慄した。
 その時は、音楽があった。音楽がかろうじてノリオを救
った。だからノリオはどんなに身体を酷使しても音楽は棄
てないのだ。
 見ている世界は違う。進む方向は違う。どんなに心配で
あっても彼らにはノリオを止めることは出来ない。
 だが――。
 彼は、ベッドの上を手探りし、受話器を持ち上げて薄闇
に透かした。標準より二回りは大きい良和の手の中、その
機械は脆弱なまでに小さい。
 ――また、連絡すっから。
 彼は微笑う。このちっぽけな家電製品を接点にして、呼
べばいい。いつでも応えてやる。『ノリオ』と『法生(ほ
うしょう)』がその瞬間にスイッチする、これはその為の
る魔法の杖なのだ。
 追ってくればいい。振り返って、笑ってやる。
 ――笑い掛けてやれる。
「連絡……」
 眉を顰めたヴォーカリストと、呆れ果てた顔をするキー
ボ−ディスト、そうして帰ってきた時のために毒舌を磨く
であろう仲間の姿を脳裏に浮かべ、良和は欠伸をする。
「寝るか」
 呟いて彼は受話器を充電器の上に据える。
「明日にしよう……」
 語尾はもう既に眠りに飲まれてかすれた。しんしんと、
平和な夜が降り注ぐ。
 ――それは、滝川法生の、もう一つの世界の物語。

                              end        

 

 

悪霊館に戻る    hort toriesに戻る


掲載された文章や画像を許可なく転載することを禁じます。
All rights reserved. Copyright (C)1998,
seeds