SHI KI 
<主要登場人物紹介> 構築中


――――されば汝は詛われ、この地を離れ、永遠の流離子となるべし(上p・63)

注:コメントは掲示板の田村の書き込み等から抜粋してあります。

静信(せいしん)
/室井静信 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「自分でも不思議に思う。・・・・ぼくはいったい、あのとき何を考えていたんだろうね」(上p・522) 
            

 屍鬼で、一番、納得できたのが作中作「屍鬼」という形で書き表された「神」というものに対する概念でした。これほど、「神」という存在をえがききった作品を私は知りません。
というか、自分が感じていた思いを、これほどまで完璧な形で表現されてしまうと、もうただ、作者の前に頭をたれるしかありません。心の中に、だれもが、
空の祭壇を持っていると思います。「絶対者」たる神の存在を知らぬ、持たぬ、故に。その虚ろさを、虚ろさの訳を、知らぬままに。

 静信は自分のことをたいへんな「理想主義者」だと語ります。
 そのことばで彼の絶望がずっしりと伝わってきます。

 静信の精神の動きというか、そのもの、とても興味深いです。 最初の、鉛筆の芯の先の描写や、原稿をきっちりと畳んでから捨てる描写とかで、「うっわ、静かに神経質・・・」と、思ったのが、彼への感想のはじめだったんですけど・・・。読了後は、・・・・うぅん。
 
理想主義者。彼を救って、あるいは裁いてくれる筈の、彼の「理想の」神。そうして、その「理想的な」信徒であろうとする彼。だが、彼には、その神が見えないし、そうして、実際は存在しないことを知っているし、だけど、彼は「信徒」であることを止めることは出来ない。そういうことなのだろうと、思う。例えば日常、檀家や村の人が彼の背後にみているもの、彼の中に求めているもの、に対して、その通りの姿でであろうとしていたように。
 そんざいしえないもの、・・・「神」や「救い」を、それでも求め続けるのなら、そうすることが彼の「意味」であるのなら、ならば、それを抱えていてなお、「あがく」ことしかできない、というのは、実は当たり前で、しかも唯一の結論なのだろう。
 それは我々も同じで。「あがく」ことを止めた時、ひとは人として生きていることは出来ない。いや、「生きているだけ」で、いいのなら、その範囲ではないと思うけれど。
 だけど、屍鬼は、死ねないのだ。だから、あがき続けなくてはいけない。
 「終わりがある」ということは、有限だということは、幸いなのだ、と。改めて、思ったりしました。

 それで私は静信、ずるいと思います。彼が解決したのは、己の心の平安だけでしたから。しかも、他の全てに目を瞑る(あるいは見捨てる)ことで。最も、彼の関心はそこにしかなかったようですが。なら、なぜ、始め敏夫と強力しようとしたり、彼を責めたりしたのだろう、と。思うにつけて、彼の矛盾に、ある種の(同族)嫌悪を覚えます。結局は、誰も、自分の為にしか、行動出来たり、出来ないのかもしれないですが、でも。「そうじゃないこと」の為に、生きたり、戦ったりした人が周りにいたりしたからそう思うのでしょう。いや、それだって「誰かのために」とか「何かのために」何かしているという自己満足のため、ということでもありますが。
 結局は、何もかもを切り捨てて、さっさと「悟って」しまった
彼が羨ましく、妬ましいです。 誰もが本当は、己の平安を得るためにもがき、生きているのですから。結局、彼は「そうなれなかった自分」のそうなれた姿であるのだから。

敏夫(としお)
/尾崎敏夫

 

 

 

 

 

 

 

「そうやって喚いていれば、誰かが自分にとって都合の良い答えを放り込んでくれると思っている」(下p・114)

敏夫さんのその後・・・・もう、お医者さまはしてないような気がしますがどうでしょう?(でも医者って彼にとっては天職なような・・・)やっぱりどこか小さな村に行って唯一のお医者さまをしているか、どっか怪しげな組織でお抱え医者をやってそれなりに権力(笑)を振るっていつつ、でも犬、というのも似合っていそうな・・・(爆)。

 

暴徒と化したりとか、酷いことを行ったり、その同じヒトが別の事では善行していたり、そういう、いろんな面―――一見、統率がとれてなかったり、整合性をみつけられなかったり、同族として見るに耐えなかったりしても、いいえ、だからこそ、それは「ひと」なのだと思うです。「イキモノ」の中でとりわけ異質な種族。

   突然ですが、「酔い」って、人間以外にもあるのかな?
   ひとは、酔いやすいと思う。その状況。事態。そうして自分自身に。
    ――宴。祭。
   熱狂。陶酔。そうして人は手放す。――理性。
外場の住人、主人公達、そうして屍鬼達。皆「酔って」いたように思う。いや、「酔っていった」と云うべきか。

もしかしたら、他の種族だって「酔う」のかもしれない。
だが「ひと」の悲劇は、「酔いから醒めた自分」というものを自覚出来る点ではないだろうか? 理性を手放したままでは、いられないところではないだろうか?
  考えると寒くなってくる。外場の住人のその後。そうして魔性の子、の登場人物達のその後。「それ」と向き合える「強さ」を持った稀な人はいるだろうか?・・・まあ、そうでない者にも「忘却」という偉大な能力が与えられはているけれども。

  
「境界線」を引ける者は幸いだと思う。
  そうでないものは、どちらでもない曖昧さの中を漂泊わねばならない。
  前者は敏夫。後者が静信。
尤も、そうして漂っているものの方が大方であるとおもうが。
  問題は、「漂泊していること」を自覚しているかどうかで。
  「外場の住人」を代表とする「ひと」は、していない者の範疇に属しているのでしょう。それはそれで、幸いなことかもしれない。(哀しくもあるが)

夏野(なつの)
/小出(結城)夏野

 

 

 

 

「そういうのを希望的観測って言うんだ。そうだといいなって話だろ。得てして、そういう予想は外れることになっている」(下p・103) 

 初読時、夏野は「生き残る」人になるんだと思っていました。それで、事件を後で振り返ったり、外側から見る人になるのだろうと。そうでなければ、「永久の命」を生きることになる人。
 でも、小野主上は彼にどの役割も与えませんでした。それを一瞬だけ意外に思い、そして成る程、と納得しました。物語の中で、夏野は一人透明でした。純粋、ではない、無垢、でもない、ただ、透明。人はそう生きれない、なることが出来ない故に、そういう風に生まれ、そうして生き続けることの出来る希有な存在に惹かれるのだと思います―――無条件に。それが憧憬、嫉妬、どのような形を取るものであれ。
 そうして小野主上は彼に眠りを与えました。彼は生き返って同輩を襲う鬼になることはなく、そうして、恐ろしい殺戮を行う暴徒―――ある意味屍鬼となるよりも人の暗黒面をさらしてしまう――と化すこともなく、透明なまま。永遠に。
 それは、最上の、慈悲であるように思えました。
 それが、自身の生、そうして、己の望み・・・「出ていきたい」・・・を代償として奪うことによって与えられたのは、夏野にとっては皮肉でしかないでしょうけれど。
 だけど、それさえも納得ずくで逝った、彼の死が、胸を突きます。

*夏野*
  静信に感じるのが同族嫌悪だとしたら、夏野に関しては「憧れ」だと 思う。「思慕」・・・ちがうな。「そうじゃない人間、が届かなくて、手に していなくて、どうしようもなく焦がれて仕方がないものを、本人無自覚に 当然の様に持っている人」に対するなんだか綺麗な気持ち。(妬心もそりゃ 混じっているだろうが・・・
「妬みは浄化されて 憧憬になり  /想いは捻 れて 孤独になる」って昔の友人の『変心』って詩なんですが、その前半部 分な心境。(#因みに未熟な私は後半部分な心境によく陥ります・爆))とかなんとか思っていたら、「・・・色眼鏡かけて見すぎ」と突っ込まれ ています。その証拠は「昭くんのことは結構どうでもいいんだよね?」とい う・・・・。いや彼の死はある意味夏野以上に振り替えれないす。痛いのは 恐いし恐いのは痛い(-_-;;;。
 夏野はあまりにも「綺麗に死にすぎた」から。

(とおる)/武藤徹

「あんな連中、ひとり残らず死んでしまえばいい。本当にそう思うんですよ、おれ。けれども自分もその仲間なんです」(下p・360) 

 
沙子(すなこ)
/桐敷沙子

 

 

 

 

 

 

 

 

「死は誰にとっても酷いことなのよ。――知らなかったの?」(上p・260)

屍鬼って、実はとても臆病なのだと思う。そうしてまた、その臆病さこそが彼らを守ってきたのだとも思う。自衛の根幹にあるものは、「餌」であるとともに「敵」でもある「人間(この場合、ハンター、もしくは真相に気づいて「排除」の方向に向かった人間の「集団)」」に対する「恐れ」。それから自分、一族を守るためにどうしても臆病になる。それが細心の注意深さにつながり、そうしてみると、一番臆病だったのは沙子で、だからこそ彼女は「最強」であったのだと。(だから「弱さ」を背負ったことに気づかずに、何かを超越したつもりになって浮かれた篤などは、屍鬼たちの存在にとって、マイナスというか弱点にしかならないのでしょう)

*「それでも生きていかなくてはいけない」*
 
「人は皆なにかしら異端だ」
 とゆーことを知らなかったとき。自分だけが「異端」だと思っていた。
「その多大勢」
 とゆーものが存在していると思っていたとき。世界は一枚岩で自分を「排除」しているような気がした。

 ・・・昔のことですが。いまはちょっとだけ成長?して「大人のまねごと」が出来ます。(しかし悟れている訳ではない) そういう人間には静信や沙子の苦悩(?)が嫌な位よく分かって。だから、静信が辿り着いた結論、『ああ、そういうことだったのか』と。すとんと落ちたというか・・・。理解出来ました。なんだか京極堂でいう「憑き物」を落とされた感じ。一種のカタルシスだとおもう。ただし、「よりいっそう救われない」ことに気付かされるだけの。だけど、それが自分だけではないと判る。(それもまなんだか同類相哀れむ感じでいやんだが。しかし結局はそういうことなんだろう。)
 別に人間でもなんでも、生きると言うことは「存続のための存続に奉仕すること」であることには変わらないと思う。だけど、色んな「逃げ道」や「言い訳」も用意してあって。なにせ人には長いこと「人が人の平安の為に作り上げていった「秩序」」があって、それに「従う」もしくは「従っているふりをする」あるいは単に流されているだけで、「一見」生きていくことが出来るし、理由なんて与えて貰える。もしくは見付けることが出来る。だけど彼らは「自分たちがそう思いこんでいるわけではなく」どうしょうもない異端者で。
 自分という存在が何も生み出さず、意味もなく、そうして世界は自分抜きで「閉じて(=整合して)」いる。彼らを縛る秩序はなく、返して彼らを守る秩序も存在しておらず、ならば。死ぬことと同等に生きるということが虚しいことでも、死なずにいるのなら「生きていくしかない」というのは究極の、だけど当たり前の、ひとつしかない結論なのだろう。 
 ・・・・本当に虚しいですが。

辰巳(たつみ)

           
「落下していく様子そのものが、見ていて飽きないんです――綺麗だと思う」
「それだけなんです。でもってぼくには、それだけで充分なんです。とゆうより、それ以上のことはどうでもいい」
(下p・680)

 叫んでみましょう!帝王は辰巳!!!私の屍鬼における最愛のお方。影の主役にして闇のご主人様(下僕姿もはまるのがポイント)。あの透徹した瞳とか、破滅思考とか、それでありながら誰か(屍鬼の時点では沙子)を熱く思えたりする美意識(あがく人間を「見事だ」とか思えたりするところ)がすっごいたまりませんです。好きです。愛しています!!!!
 私は辰巳、まだ生きていると信じています。(希望的観測ではなく、常道というか、そうじゃなきゃ嫌です。そんで今度は彼が「ご主人様」になってto be continued・・・というのを夢見ています。ビバ!帝王辰巳)
  彼はあの後、多分別の「綺麗なもの」を見付けて生きていくだろうと思う。いや、「綺麗だと思える別のものを見付けるために」か。いえ、それは沙子が「綺麗に思えなくなった」とかそういう事じゃなくて。でもそれは沙子に捧げたほどの思いとか行動ほどじゃなくて。永遠になにかしら満たされないまま、きっととっかえひっかえしたり、襤褸屑のようにすてたりもしながら。

 

200名、全部描こうと思っているのだが・・・・・・無理かも。

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