「緑の我が家」
Home,Green Home

*
「寂しい。家に帰りたい。帰る場所がない。待っててくれる人がいない。
―――違う?」
(「緑の我が家 Home,Green Home」p129)
ここは「家」にはちがいない。
たとえどんなに不快な場所でも。
[home]をなくした少年が
辿り着いた[home]
―――浩志は気に入られたんだ。
……この場所に。
―――だから、出ていったほうがいいよ。
<ストーリー紹介>
ひどく嫌な気分がした―――あるいは予感が。
父親の再婚を機に一人暮らしをすることになり、新しい住処―――「ハイツ・グリーンホーム」
の緑の扉を開くことになった浩志は、その日から、様々の不快な「嫌がらせ」に遭遇する。
差出名の無い手紙、無言電話、届けられた人形の首、猫の死体、奇妙な落書き・・・・・
そうして出会ったときから不愉快な印象をしか与えない奇妙な少年・和泉。
それでも浩志の「場所」は「ここ」しかない。
すべてのことに目を瞑って日々を過ごしていたある日、惨劇は起こった。
そうして―――
<トピックス>
1999年夏、ASUKAミステリーDXにて漫画化されました。
<一言>
| 朝日ソノラマパンプキン文庫から発行された『グリーンホームの亡霊たち』に加筆・改題を加えて再発行されたもの。「過ぎる十七の春」と違って、こちらは加筆はちょこっとで、ほとんど訂正しただけ・・・・・その小野主上の言葉を鵜呑みにしてはいけません。その訂正がほとんど全ページに余すとこなく加えられていて、同じ物語なのに、ここまで印象が変わってくるかな?という位、変化しています。言葉の持つ威力というか、それによって雰囲気が左右されるのだな、ということを、この再発行された作品が改めて教えてくれます。 人物で上げてみると、和泉少年と管理人の野崎さん。この二人はまるで別人か?と思えるほどに印象が違います。和泉少年については台詞は殆ど同じなのですが、「おどおどした感じ」の描写を多用することで、野崎さんに関しては台詞を簡潔に短くすることで、その印象をがらりと変えてしまっています。 文章に関して言えば、原型である「グリーンホームの亡霊たち」の方がはるかに読みやすいです。文がスムーズに流れていきます。技巧というか技術、表現でいったら「緑の我が家」の方が数段上ですが、これは昔の文に現在の小野先生の筆力でもって加筆を加えてあることが問題だとおもうのですが、どこかぎくしゃくとした感が否めないのです。(初読の時そう感じた漠然とした印象が古本屋さんで「グリーンホーム」を見付けて読んで、はっきりとしました。「グリーンホーム」にはぎくしゃくとした感じがないんですね。やはり「その時に書ける文章」というもので一貫されているからでしょう)だから、これは加筆なさるのではなく、そのままの形で、その時代の「小野不由美」の作品として再び世に出した方が、個人的には良かったように思います。あるいは、全く同じ物語を「最初から」描き直すか。 物語に関して言えば「緑の我が家」の方が、主人公浩志の心情を書き込んである分だけ、格段に深くなっています。 |
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