映画、観て来ました。 とりあえず、簡単な感想を・・・ おもしろかったー。 え?意外? うーん、でもおもしろかった。 ピースは可哀想じゃないけど悲しい存在だ。 とても精巧で優秀なロボットみたいだった。 ほんとは人間になりたいのに いくら説明しても、人間の感情や心が理解出来ないロボットみたいだった。 自分の行動を正当化する理屈は、いくらでも並べられるのに 人間として決定的な何かが欠けている。 そして、それに自分も気付いている。 で、最後に壊れた(爆発した)感じ。 細かくいろいろ見るとまだわからない所も多いし これと言った答えが出せないシーンもあるんだけど 全体的な展開は、原作を読んでいないけど、ついて行けた。 もっと複雑なのかと思ってたら、そうでもなかったかな。 中居君の演技は、「中居君がやってるー」と思わず ずーっとピースだと思って観れた。 中居君主演なんだけど 綺麗に撮ってもらってるんだけど 中居君のプロモーションビデオ的な映画ではなく 映画の中の、それこそピースの一つとして存在していた気がする。 …6/8 映画は、時間の流れが前後してたりするので 全体の感想を、順序良く書くのが難しい。 ストーリーを追う映画でもない様な気がするし。 だから、断片的に思い出した事や、感じた事を ランダムに書き足していこうかなーと思う。 私は映画を観る前に、原作を読んでいなかった。 ただ原作を読んで、映画を観た方の ネタバレなしの感想をもらっていた。 この感想をもらったか、もらってなかったかで もしかして、映画の見方が少し変わってたかもしれない。 「前評判は忘れて観た方がいい」ということと 「擁護する事もなく、また厳しい批評家になる事もなく観て欲しい」 と言われた。 それで私は、なるべく真っ白な気持ちで 自分の感性で観ようかな、と思った。 幸いケーブルテレビで、邦画洋画を問わず、 あまりメジャーになってないけど、後々引きずる様な映画を 見慣れていたので、免疫もあったのかもしれない。 映画の初回を観て、訳がわからなかったりしたら その次の回も観ようと思っていた。 基本的には、一回観て納得出来ない作りの映画は「違うだろ」て思いがあったけど、 私の場合は、一回で十分いろいろ感じられて完結してた。 だから続けて二回は観なかった。 この映画は二回以上観たら、初回観た時とまた別の映画になっていきそうなので とりあえず最初だけは間を空けようと思った。 でもまた見るよ。新しい発見もしたいし 映画全体だけでなく、中居君に集中して観たりもしたいから。 森田監督が哲学映画だと言っていて 難解な映画だとも聞いていたけど、あまりそういう難しい事も 考えなかったなー。 だから見逃してるシーンもいっぱいあると思う。 ドキドキしながら映画を観ていたのに リラックスしてる部分もあったんだよね。 合間合間に笑えるシーンとかが、あったからかもしれない。 和明の練乳チュッチュッや、爆笑問題の漫才の様なやり取りがお気に入り。 浩美の母親への一人ごとも笑えたなー。凶悪犯のくせに なんて緊張感がないんだーと思ったり。 世の中、シリアスな事と、コミカルな事がすぐ隣にあるのかもしれない。 鞠子の父親が病院で言ってた事も、無茶苦茶身勝手過ぎて それ冗談かーと思ったもん。漫才だったらツッコムとこだよ。 でもあの人は大真面目だった。 私は最初にピースは人の心を理解出来ないって言ったけど 心の動きは無茶苦茶研究してるよね。 手紙を書いて、どこかで元気にしてると思わせれば 親は安心するだとか、(ここは有馬さんも 同じ事をしてて、興味深いんだけど) 浩美は和明を殺せないんじゃないかと直感して、試してみる所とか。 このシーンは怖かったなー。 あんなに和やかな空気なのに、何の迷いもなく いきなりバットを持って来て殺そうとするんだから。 浩美がピースを止めた時 「やっぱりこいつにも心がある。俺とは違う」て思ったのかなー。…6/10 ピースが自爆する時の顔 見た瞬間、どこかで見た事あるなーと思ってたんだけど 思い出した。 昔外国映画で見た、メデューサの顔だ。 あの髪の毛が蛇で、顔を見た人間は石になるってやつ。 なんか阿修羅とかにも似てる気がする。 それだけなんだけど(^^;)…6/12 映画を2回観た。原作も読み始めてる。 中居君が「女性に危機感を持ってくれ」と何度も言ってたのは 原作を読んでたからなんだなーと思った。 ピースの(電話の)声が最初に出て来た時、浩美の話し方と比べて 刑事や有馬が「大人と子供」と表現していた。 その時の感じは、映画のピースと浩美にぴったり合った。 元々の声の高さも中居君はちょっと低め、津田さんはちょっと高めだし。 映画のピース像は、最初のこのイメージを、最後まで貫いたのかも。 小説のピースと浩美は、タイミングよく ターゲットの被害者が見つかると、天の恵みとか 神が味方してくれてるとか言っている。 映画のピースが自爆した後、有馬に残した手紙には 僕は天国にいるでしょうと書いてあった。 どちらも、普通の人間なら、なんてずうずうしい と思うような発想だ。 それも観念って事なのか。 映画のピースの「それも観念」て言い方は、妙に頭に残る。 だから、なんでそういう発想になるんだーと思うと 「それも観念」という声が頭の中に聞こえてくる感じ。…6/19 原作を読み終わって・・・ 最初に映画を観た時、浩美の人物像が希薄だったなーと感じたんだけど 原作の方はかなり細かく描写されている。 映画はピースが主役だから、浩美の「いらない子」 「どうして自分はこうなったんだろう」等の 心の傷や葛藤を、ピースに移行させたんだなーと思った。 などと考えつつ「日経エンタ」の特集を読んだら 同じ様な事が書いてあった。 そうやって見ると、原作の和明が持つ、人間の優しさや無償の愛みたいな物は 有馬に表現させようとしていたのかも、なんて思ったりする。 あと、原作では真一に執着して、呼び出したり最後に電話していたピースだけど 映画では有馬に執着して、公園で会ったりしていた。 まー、原作の最後にピースが真一に電話をしたのは 有馬がピースに引導を渡すシーンを作る為だったせいかもしれないけど。 原作第二部のラストで、浩美と和明が事故死した事を知ったピースが 声をたてて笑うシーンがあるんだけど、 映画で古舘さんが好きだと言っていた 座って笑うあのシーンの声をイメージした。 原作に書いてある笑い方とは違うのかもしれないけど あそこを読んだ時、映画のあの笑い声が聞こえてきた感じ。 どちらも、友人を平気で切り捨てる事の出来る ピースの怖くて冷たい一面を感じさせるシーンだ。 滋子がピースに「摸倣犯」だと言うシーン。 映画を見た時は もうピースが逮捕される寸前で、警察も待機していたので 滋子個人がというより、みんなで協力して 最後にピースが 騙してきた視聴者の前で 彼の化けの皮を剥がしてやろうという目的で 嘘の前例話を利用した様に見えた。 でも原作の滋子は違う。 彼女個人が、このままじゃ気が収まらないから やり返してやるために、嘘でもいいから「摸倣犯」と言って、 ピースの殺人計画にケチをつけてやろうって感じだった。 嘘でもなんでもいいから言ってしまえばこっちの勝ち というピースと同じ方法をとったのだ。 この計画が私にはかなり乱暴に見えた。 それでその瞬間ピースが傷付くのはいいとして、 その後は?嘘がバレたら滋子の人間性まで疑われないか? 派手な嘘ほどすぐバレるって刑事も言ってたし。 ま、結果的にはピースの自白という棚ぼた的展開のおかげで 滋子はちょっとした英雄になったのだが。 そのことで旦那に褒められ、よりが戻って、 ハッピーエンドになっているのも、なんだか腑に落ちない気がした。 楽しそうなピースと、虚しそうなピース。 原作のピースはとにかく楽しそう。 罪悪感がなく、心から楽しんで犯罪を重ねているのだ。 刑務所に入っても、ほんとに楽しそうに本でも書いていそうだ。 自分が一番で、その事を疑っていない。 第三部では、有名になり、周りにちやほやされ 自分が人をおだてて操り、 操られてた人を軽蔑していた事も忘れ、浮かれている感じだ。 有馬が言う様に、刑務所の中で 死刑になるまでの間に、自分がして来た事の 虚しさを感じるのかなー。 死刑になる前ぐらいには、気付くかもしれない。 一方映画のピースは、あまり心から楽しんでいる様に見えない。 笑顔はいくつかあるけど 「自分はおもしろい事をしている。だから笑っている」という 理屈で笑っていて感情で笑っている感じがしない。 映画の中でも「気持ちを友愛に向けコントロールする」とか 「慰められる事で不幸が避けられる」とか、普通、人が いちいち理屈で説明しない様な事を、確かめる様に語る。 人を操り、事件を起こし、世間が騒げば おもしろくなると思って始めた連続殺人なのに やってもやっても楽しいという感情が沸いて来ないのでは? それどころか、 やればやるほど虚無感が広がって それ故どんどんやる事がエスカレートしていき もう自分が死ぬしかない所まで来た感じ。 有馬の言っている言葉の意味を、もうすでに 痛感している様にも見える。 ベットでのあの悲しい表情は、原作的には 刑務所の中で、浮かべたかもしれない表情なのかも。 …7/4 |