公開座談会「中国を語る」



日時H13.2.3日中文化交流学会第5回総会にて
司会倉橋清方日中文化交流学会幹事
呉市立美術館館長
河尻 清日の丸産業(株)社長
竹下 彪日中文化交流学会会長

倉橋まず,お二人に中国との出会いについてお伺いいたします。
河尻昭和40年当時,国内は不況だった。そこでわが社は海外との連携を強めていった。同45年,原料確保のため中国・ベトナム・北朝鮮などを廻った。
そのうち中国は大きな地震があったりして大変な状況だった。それ以来のつき合いである。
竹下県庁の部長時代の57年,知事から「中国のどこかの省と交流を」という話を受けた。知事は中日友好協会の孫平化氏との話合いなどから内陸の省との交流を期待されていた。そうしたことから四川省が候補となり,友好提携の運びとなった。ここは米・ミカン・麦などの作物が育ち,広島県とよく似ていた。
1982年に農業青年を招くため訪中した。人民公社の名残もあり,夕食後は必ず停電があって,エネルギー不足は深刻な時代だった。以来,20数回訪れている。
倉橋四川省との提携1周年を記念した「四川省文物展」を開くことになり,その担当者として訪中したが,急な話であり,文革の後遺症もあって,大変な時代だった。さて,河尻社長,中国との生活・文化の違いなどから商談や貿易交渉でご苦労されているのではありませんか。
河尻初めの頃,エネルギー輸入交渉は「売ってくれ」ではなく「買わしてもらう」というムードであった。いきなり高い値を出してきて,交渉が直前になって変更されたり「1週間会議は開かない」など一方的な申し入れはしょっちゅうだった。時間を持て余し,冬の北京の昆明湖でスケートしながら時間を潰したこともあった。しかし,向こう側は手の内を見せないやり方で必死で交渉してきた。現在ではあまり無茶なことは言わなくなってきた。
今の中国で一番心配しているのは,地域間格差である。カネのあるところはいいが,無いところは何もできない状態である。この格差は本体を揺るがすのではないかと心配だ。九寨溝も以前はひどいところだった。 四小娘山の麓を訪ねた時,馬を借りると1頭50元いった。それが,1年後には実に250元にもなっていた。
ホテルのない場所でも1年後には3つも建っている。大変な国である。
竹下河尻さんは以前,無煙炭を輸入された。いいことだと思ったが,不良品だったということを後で耳にした。
河尻あれはとうとうダメでした。向こうは認めなかったが,船で三千万円損したこともある。これは高い授業料だったと思っている。
竹下昭和60年ごろだったと思うが,四川省の物産を購入して欲しいということで,経済関係者と訪中したことがある。一億円くらいは買いたいということで苦労した。当時,日本人が買いたいと思う品物が少なかった。しかし,現在ではデパートなどの中国物産展では品物は豊富である。
倉橋中国とのこれからの交流の在り方などについてお話ください。
河尻中国では,機械を入れたら,入れたということで「よし」としていた時代があった。それが動かなくてもいいというムードだった。そうではなくて,機械は動かなくてはいけない。
四川省成都市にある私の会社では,きめ細かい商業指導している。中国人は基本的に日本人を尊敬してくれていると思う。以前,四川大学で日本文化祭が開かれた時,鯉のぼり・刺身・生け花などが出品され,大変なにぎわいだった。「一日でフソウが分かった」と四川日報が報じた。(編注:フソウは扶桑。中国からみて東の海中にある神木,または日の昇る所をさす。または日本の別名)
この百年,日中にはいろいろあったが,欧米人との間には超えられないものがあっても,中国人との間にはそれはない。理解し得ると思う。
竹下それについて補足させて頂きたい。昨秋の国民文化祭の時,駐日中国大使が広島を訪れ,10人の中国人留学生と懇談した。その時の話によると学生たちは大使に対して「日本人の勤勉さを学ぶべき」と言ったそうだ。日本の奇跡的な経済復興が強い印象となっているのだろう。
倉橋戦前の中国に対する日本のかかわりを考えると贖罪意識がある。しかし,若い世代はそれが変化してきている。さらに中国の経済発展はやがて日本のライバルになるだろう。どういう付き合いをすればいいでしょうか。
河尻一面だけをとらえず,幅広く付き合いたい。多くのことにおいて,基本的には中国と日本はよく似ていると思う。
竹下何事も言いあえる人間関係を作りたい。正しい歴史認識と展望ある未来志向も大切だ。かつて江沢民さんが来た時,歴史認識ばかり強調したが,未来志向も大切だ。高村法務大臣は外務大臣のとき,日本からのODA(政府開発援助)で,中国に何が建設されたかをもっと中国人に知らせるべきだと言った。中国には日本のODAで作られたものがたくさんある。それが分かれば,中国人の対日感情もちがってくるだろう。
そういうことが言える仲が大切だ。日本に留学した若いひとたちが,日本の姿を伝え,行政の指導者にもなっている。未来を楽しみにしている。
倉橋当学会へのご助言をお願いします。
河尻 多い人で12回も中国に行っている人もいるこの会ですから,いろいろなお考えもあろうかと思いますが,何か一つの目的を持って中国と付き合ったらどうか。最貧地区に320万円で小学校を建設して寄付した広島の人たちがいる。
そこは二千数百人の村で450人の小学生が学んでいる。この学会もそういう活動をされたらどうかと思う。お金はかかるが,価値ある行動だと思う。