<アフガン問題超特急はやわかり講座>
1 基礎編
・人口 1554万人(1980年国連調査)(日本の約8分の1)
・面積 65万平方キロ(日本の約1.7倍)
・首都 カブール(内戦前の人口約150万)
・地形 国土の4分の3が高原地帯。中央のヒンズークシ山脈が国土を二分している。
・気候 ステップ、砂漠など。全体的に乾燥している。
農耕地は12%のみ。
・国名 「アフガン人の土地」という意味。
アフガン人とは最大民族パシュトゥーン人のペルシャ語呼称。
・民族 パシュトゥーン約50% タジク約30%(以上イラン系アーリア人)
ウズベク、キルギス、トルクメン(以上トルコ系)
ハザラ(モンゴル系)など
パシュトゥーンはパキスタンと民族が共通。
タジク、ウズベク、キルギス、トルクメンは旧ソ連の各共和国と共通。
・宗教 イスラム教スンニ派74%
スンニ派の中でも特に現実妥協的なハナフィー派の影響が強い。
シーア派11%(ハザラ人中心)
・産業 農民71%、遊牧民16%、都市生活者13%
(1980年のアフガン農業土地改革省発表)
農業はおもに灌漑用の地下水路(カレーズ)を利用して行われる。
水路の持ち主(水主)や地主を中心に主従関係、共同体が形成されている。
・習慣 武士道に似た「パシュトゥーン・ワリ」(慣習法)の強い影響。
「客人歓待」=客にはできるかぎりの歓待をしなければならない。
「復讐」「勇気」「名誉」の重視。
「ジルガ」(寄り合い)=成年男子が集まって討議。全員一致が原則。
全国的な規模のものを「ロヤ・ジルガ」とよぶ。
60年代に近代化された首都カブールと、農村の生活習慣の差は大きい。
2 歴史編
・インド、ペルシア、トルキスタンの三大文明の間に位置し、強い影響を受ける。
・前6世紀 アケメネス朝ペルシア領に。ゾロアスター教が伝わる。
・前4世紀 アレキサンダーが一時占領。ギリシア文化が伝わる。
・1世紀 インドのクシャナ朝が支配。ガンダーラ美術が発達。
・3世紀 ササン朝ペルシアが支配。
・610年 アラビア半島でイスラム教はじまる。
・10世紀 トルコ系イスラム王朝ガズニ朝が支配。イスラム化はじまる。
・16世紀 カブールを拠点にムガール帝国がおこり、インド全体を支配。
・18世紀 最初のアフガン部族国家ドゥラーニ朝成立。
インドのイギリス植民地化、中央アジアのロシア領化で英露対立の焦点となる。
・1839〜42年 第1次アフガン戦争(イギリスが一時占領)
・1878〜80年 第2次アフガン戦争(イギリスによる保護国化)
(1980年マイワンドの戦い=アフガン軍がイギリス軍に大勝)
・1893年 イギリス領インドとの国境デュアラントライン確定。
→パシュトゥーン人の居住地域(パシュトゥーニスタン)を分断。
・1919年 第3次アフガン戦争(イギリスから独立)
アマヌッラー王が急進的近代化。奴隷廃止、婦人解放、義務教育など。
・1928年 タジク地方の反乱でアマヌッラー王退位→改革中断。
・1933年 ナディール・ハーン王暗殺。
・1953年 国王の従兄弟ダウドが宮廷クーデターで首相に就任。
・1957年 カブール大学でムスリム同胞団結成。
・1961年 パシュトゥーニスタンをめぐりパキスタンと軍事衝突。
(パキスタン=アメリカ側、インド・アフガニスタン=ソ連側、という構図できる)
(アメリカ、ソ連の両方からの援助合戦により、近代化がすすむ)
・1964年 民主憲法発布→「新民主主義時代」
・1965年 初の総選挙実施。共産主義者、女性議員も選出される。
共産主義政党「人民民主党」結成。タラキ、カルマルなど参加。
→タラキ=ハルク派、カルマル=バルチャム派に分裂。
・1969年 カブール大学で「ムスリム青年」公然活動開始。
社会主義化によりイスラムの伝統が破壊されることに反対。
ラバニ、ヘクマティアルなど、のちのゲリラ指導者が多数参加。
・1973年 ダウドのクーデター。王政廃止。
イスラム運動弾圧→各地で反政府反乱。
・1975年 ラバニ「イスラム協会」、ヘクマティアル「イスラム党」に分裂。
→ラバニ(タジク人)、ヘクマティアル(パシュトゥーン人)
・1978年 親ソ派左翼分子がクーデター。タラキ政権成立。
・1979年 9月、急進派アミンがクーデターをおこし政権をにぎる。
12月、ソ連軍侵攻。ソ連に亡命していたカルマルが政権をにぎる。
→内戦激化。反ソゲリラをアメリカ、パキスタン、イランが支援。
・1985年 ソ連、ゴルバチョフ政権成立。ペレストロイカはじまる。
アメリカ、アフガンゲリラに対空ミサイル、スティンガーを供与。
・1986年 カルマル失脚。ナジブラ政権成立。民族和解をすすめる。
・1988年 ソ連軍撤退開始。89年完了。
・1991年 ソ連崩壊→中央アジアのイスラム国家独立。
・1992年 4月、ゲリラがカブールを占領。イスラム協会ラバニが大統領に。
6月、イスラム党ヘクマチアルとの間で戦闘再開。
・1994年 ラバニ対ヘクマチアル+ドスダムの大規模内戦となる。
(周辺諸国が各民族のゲリラ組織を支援する代理戦争に)
タリバン、パキスタンからアフガニスタンに侵攻。急速に勢力拡大。
・1995年 7月、ラバニ、ヘクマティアルと和平協定。
9月、タリバン、カブールを制圧。
・1997年 6月、ラバニ、ドスダムなど「北部同盟」を結成。
・2001年 2月 タリバン、バーミアン大仏を破壊。
9月11日 アメリカ同時多発テロ
10月7日 アメリカ軍、アフガニスタン攻撃開始。
11月13日 北部同盟軍カブールを制圧。
12月22日 アフガニスタン暫定政権成立。
・2002年 6月10日 緊急ロヤ・ジルガ開催。
3 「イスラム原理主義」とアフガニスタン
・「原理主義」=もともと、聖書に忠実なことを指すキリスト教のことば。
「イスラム原理主義」はキリスト教がわからの呼び名で、批判も多い。
・「コーラン、シャーリア(マホメットの言行録)の規定を厳格に実行しよう」
「外敵が優勢なのは、イスラム共同体(ウンマ)がシャーリアを疎かにしたから」
・モンゴル軍と十字軍の侵攻、欧米による植民地化に対しておこった考え。
イスラムの新解釈により、国内の専制政治と、欧米の植民地主義に抵抗する理論。
・欧米化した世俗主義に反対し、政教一致を主張。
欧米の影響を一切拒否し、伝統的イスラムの戒律に固執。
世俗主義の政府に任命された高位イスラム聖職者の権威を否定。
現在の国家エリート、経済エリートの支配に反発。
民族国家、ナショナリズムに反対し、イスラムの統一を求める。
「イスラムの家(領域)」と「その他の世界」を峻別。
・1967年、第三次中東戦争の大敗北で広まる。
70年代以後、西アジアの多くの政権が「イスラム国家」を名乗るようになる。
・シャーリアによるジハード(聖戦)の理論。
「拡大ジハード」=イスラム教国を広めるための戦い=カリフの命令が必要。
「防衛ジハード」=イスラム教国を守るための戦い=イスラム教徒の義務とされる。
「イスラムの家」に武装した異教徒があらわれた場合。
・パレスチナ、アフガニスタン、チェチェン、コソボなどにイスラム義勇兵が集まる。
・タリバン=イスラム神学生(タリーブ)の複数形。
パキスタンの難民キャンプ内の神学校で学んだ、対ソゲリラ活動の経験者中心。
日常生活にも厳格さを求める、スンナ派デーオバンド学派の影響が強い。
ウマル代表を中心に20名程度のシューラー(評議会)が行動を決定。
シューラーの出すファトワー(行動指針)によって信者が行動する形式。
4 オサマ・ビン・ラディンとアフガニスタン
・1957年サウジアラビア最大のゼネコン経営者の17番目の子供として生まれる。
・ジッダの大学で経営学を専攻。
・ソ連のアフガニスタン侵攻に対して義勇兵として参加。
・ソ連軍撤退により、サウジアラビアに戻り建設業に従事?
・1991年 1月、湾岸戦争はじまる。アメリカ軍がサウジアラビアに進駐。
4月、サウジアラビアより出国。
・1992年 12月、イエメンでのホテル爆破事件に関与?
・1993年 2月、ニューヨーク世界貿易センタービル爆破に関与?
10月、ソマリアでの米軍攻撃に関与?→米軍ソマリアから撤退。
・1995年 11月、サウジアラビア、リヤドの爆弾テロに関与?
・1996年 5月 スーダンからアフガニスタンに移動。
6月、サウジアラビア、ダハランの米軍基地爆弾テロに関与?
・1998年 8月、ナイロビ、ダルエスサラームの米大使館爆破に関与?
→米軍、アフガニスタンの「テロリスト施設」をミサイルで報復攻撃。
5 アメリカとイスラム
・パレスチナ対イスラエルでは、イスラエルを支援。
・イランのパーレビ王朝を支援、ホメイニ・イスラム革命と対立。
・イラン、イラク戦争では、世俗主義のイラクを支援。
・アフガニスタンでは、ソ連軍撤退後の内戦を放置。
・湾岸戦争では、クウェート王朝を支援。
イスラムの聖地のあるサウジアラビアに、異教徒の軍隊を進駐。
・湾岸戦争後のイラク国内の反乱では、反乱がイラク軍に鎮圧されるのを傍観。
・現状維持、世俗主義の各国専制政府を支援。
・反イスラムの欧米文化の中心、高度資本主義の中心。
・世界の富を集中。対極にある貧困を放置。
・一国中心主義。