8月例会のようす
 場所  しまね国際センター(くにびきメッセ2階)
 日時  8月29日(日)1時半から
 参加者 6人

 国際事務局からの情報
 学習会:マスコミ報道人権侵害について
 南アフリカ
 松江市総合女性センターの市民講座「女性に対する暴力とサポートシステム」の話
 「登校拒否を考える夏の全国合宿」

 国際事務局からの情報
 アムネスティの活動の柱のひとつに「良心の囚人」への支援があります。
松江グループ は今までエジプトの「ムスリム兄弟団」の「良心の囚人」を担当して、手紙かきを行って きました。
 その結果(かどうかはわかりませんが)、私たちが担当してきた「良心の囚人」は釈放 されました。そして今回、「エジプトのケースへのとりくみは終わりにする」という連絡 が国際事務局からきたのです。しかしまだエジプトには死刑をはじめとしていろいろな人 権問題があるので、「さらにエジプト問題にとりくみたい、というグループは連絡してく れ」ということだったのですが、グループで相談した結果、他の国のケース(できれば私 たちにとって身近な、アジアの国)を担当したい、という要望を出すことになりました。

 学習会:マスコミ報道人権侵害について
(1)以下の話の参考文献
(2)マスコミ報道による人権侵害の実例
(3)人権侵害の内容
(4)素朴な疑問
(5)マスコミ取材の問題点
(6)マスコミの自主規制機関(BRO)の問題点
(7)浅野健一さんの提案しているマスコミ人権侵害の防止策
(8)マスコミがわの「実名報道が必要だ」という主張の根拠

(1)以下の話の参考文献
 ・河野義行さん『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』    1995年11月 文芸春秋社
 ・島田荘司さん『三浦和義事件』 1998年11月 角川書店
 ・『人権と報道連絡会ニュース』1999年6月30日号 人権と報道連絡会   (人権と報道連絡会はマスコミ人権侵害について活動している民間団体です)
 ・浅野健一さん『犯罪報道の犯罪』 1987年6月 講談社文庫
  浅野健一さん『新・犯罪報道の犯罪』 1989年6月 講談社文庫
  浅野健一さん『マスコミ報道の犯罪』 1996年3月 講談社文庫
  (浅野健一さんはもと共同通信社の記者で、現在は同志社大学教授)

(2)マスコミ報道による人権侵害の実例
 ・豊田商事事件(社長が殺される場面を多くのマスコミが撮影、だれも止めなかった)
 ・三浦和義さん事件(「あの人があやしい」と犯人あつかいし、加熱した報道)
 ・松本サリン事件(被害者を犯人として報道→ほとんどのマスコミが謝罪)
 ・高知脳死臓器移植(提供者、患者のプライバシーを侵害。病院の医療にも支障)
 ・和歌山毒カレー事件(被疑者、地域住民の生活に支障)
 ・神戸小学生殺人事件(少年法に反して未成年を実名報道)
   など、あげればきりがありません。

(3)人権侵害の内容
 ・まちがった情報が報道される
  (「農薬の調合に失敗してサリンが発生」と自白、などウソの情報)
 ・プライバシーを侵害される
  (事件の被疑者はもちろん、被害者、家族、地域住民なども)

(4)素朴な疑問
 ・容疑者や被害者の住所、性別、年齢、職業などはなぜ報道される必要があるのか
 ・そもそも報道する必要がない事件も多いのではないか

(5)マスコミ取材の問題点
 ・役所や企業団体におかれた、記者クラブ中心の取材
  →当局の発表したことを報道する、という体制
 ・警察幹部などと仲良くなり、情報をもらおう、という取材
  →相手に都合の悪いことは報道しにくい。
 (情報公開がすすんでおらず、当局の情報が集中している、という背景もある)
 ・取材者の地位の不安定さ(TVのカメラマンなどはほとんど下請け、フリー契約)
  →取材相手の都合を考えるより、迫力ある映像をとらないとクビになってしまう。
 ・報道による被害者のほとんどが泣き寝入りしている
  →マスコミ相手の裁判はすごくたいへん。勝訴してもわずかな賠償金がせいぜい。

(6)マスコミの自主規制機関(BRO)の問題点
 (『人権と報道連絡会ニュース』1999年6月30日号による)
 ・最近のマスコミ報道批判をうけ、1997年5月「放送と人権等権利に関する委員会 機構」(BRO)がマスコミ業界を中心に設立、報道被害の苦情処理にあたっている。
 ・1996年5月 アメリカ合衆国サンディエゴ事件報道(BRO第1号案件)
   →1998年3月「権利侵害はなかった」と決定
 ・1998年1月 帝京大学レイプ事件
  逮捕されたうちの2人が、「暴行に加わっていなかったのに犯人として報道され、名 誉を傷つけられた」としてBROに権利侵害を申請
   →1999年3月「警察発表にもとづいた報道だったので名誉棄損とはいえない」 と決定
 マスコミ業界よりの判定で、被害者を救済するものになっていない。

(7)浅野健一さんの提案しているマスコミ人権侵害の防止策
  ・原則として犯罪の加害者、被害者は匿名にする。
 ・権力を持つ個人や団体が、その立場を利用して不正をおこなった場合(権力犯罪や企  業犯罪)こそ、実名で報道する。
  (現在の日本の報道では逆の場合が多い)
 ・情報を発信する記者や情報源は原則として実名にする。
 ・もし情報源があきらかにできない場合には、その理由をきちんと示す。
 ・記者が直接見聞きした情報なのか、伝聞なのか、推測なのかを、ひとつひとつの情報  についてハッキリと区別して伝える。
   実際に北欧諸国では、このような報道が行われている。

(8)マスコミがわの「実名報道が必要だ」という主張の根拠
 浅野健一さん『新・犯罪報道の犯罪』が紹介する、柴田鉄治さん(当時朝日新聞社社  会部長)の主張
 ・報道の使命は正確な事実を伝えることにあり、「だれが」というのはその出発点
 ・犯罪の原因や背景をえぐり、その社会性を掘り起こすのに実名は欠かせない
 ・容疑者として身柄を拘束されるというのは大変なことだから、警察は「だれをどのよ うな容疑で」逮捕するのにか社会に対して明らかにすべきで、そのチェックのため

 (以下、『新・犯罪報道の犯罪』の191ページから引用します)
 『朝日ジャーナル』での討論で朝日新聞の柴田社会部長が「被疑者・被告人の氏名を報 道し、不起訴・無罪になった場合には、きちんと報道し、名誉回復をはかることがジャー ナリズムの基本だ」と主張した。その際の論拠として「免田事件でも無罪になったときに 大きく報道した」と柴田氏は断言した。私は「免田さんにあなたなり、どこかのマスコミ 人が聞いて確かめたのですか」と尋ねたが、返答はなかった。
 1984年12月8日、死刑廃止の会の主催で「免田さんを囲む夕べ」があった。
  (中略:ここで紹介されている免田栄さんの談話の一部を紹介します)
 「私が無罪になったとき、あなたたちは何と言っていますか。日本で初めて、世界で初 めてと公然と書いた。しかし、その恥は誰が受けるのですかと言った。新聞記者は一人も 答える言葉を持っていなかった。なぜか。自分が最初は警察の言うとおりに報道して、悪 態に悪態を重ねて死刑にしたものが、三十何年かの後に無罪になって帰ってきたところ、 今度はそうしたことを反省もなく書きたてるというマスコミは、私は少し考えてもらわな ければならない時代が来ていると思う。そういう意味で私は記者の人に質問したが、誰も 返事が出来なかった」

 南アフリカの話
 グループ会員のひとりが、南アフリカ共和国で活動している現地のNGOとの交流ツアーに 参加してきました。その話の中から印象に残ったことを書きます。
 ・南アフリカはアフリカの中でもとびぬけて豊かな国である。
 ・長年の人種差別政策により、黒人と白人の間の所得の格差はとてつもなく大きい。
 ・黒人の失業率は非常に高い
 ・人種差別が法律的にはなくなった現在でも、白人と黒人は全く別々に暮らしている。
 ・ヨハネスブルクの郊外は黒人居住区だったが、中心部でも白人は移住してしまい、黒 人だけの街になりつつある。治安も極端に悪化している。
 ・デクラーク前大統領(白人)の年金が現大統領の給料より高いなど、白人の特権が残 されている。
 ・こうした格差が今後もずっと解消されないでいると、黒人の不満が爆発し、大混乱を まねくかしもれない。
 ・こうした問題はいままでの政治が原因なのだから、なんとか解決する必要がある。

 松江市総合女性センターの市民講座「女性に対する暴力とサポートシステム」の話
 8月28日(土)に家庭内暴力(ドメスティック・バイオレンス)についての講座があ りました。
 ・夫が妻に暴力をふるう場合、離婚してしまえれば一番よいのだが、それがなかなかで きないのは、現在の日本では男女の賃金に大きな差があり、女性の経済的自立がむずか しい、という理由が大きい。
 ・家族に暴力をふるってしまう人には、職場でのストレスが大きかったり、自分も父親 が母親に暴力をふるう家庭で育ったり、子どものころに虐待をうけた、などの理由があ るのではないか。
 ・被害者に対する物理的、心理的な支援と同時に、加害者に対する心理的または医療的 な支援も必要だろう。

 「登校拒否を考える夏の全国合宿」の話
 8月20日と21日、松江で「登校拒否肯定派」の人々の全国的な集会がありました。
 ・登校拒否をすると、「学校に行けないダメなヤツ」「人生の落ちこぼれ」「親の育て 方が悪かったからだ」などと、本人、親、家族ともに社会的な迫害を受け、精神的に追 い詰められてしまう場合がおおい。
 ・そこで「登校拒否してなにがわるい」「学校に行かない権利もあるんだ」と自己肯定 することでしか、自信を持って生活することができない。
 ・しかしこういう考えの人々は圧倒的少数派なので、団結して自分たちの考えを広めて いく必要がある。
 ・ところが世間一般の親や子どもたちは、登校拒否は他人ごとだと思っているので、な かなか「登校拒否肯定派」の主張を理解することができない。
 ・この集会に県内の現役教員がほとんど参加していなかったことがショックだった。彼 らの主張は学校・教師に対して非常に批判的ではあるが、登校拒否問題で一定の説得力 と勢力を持つようになってきている。それなのに「どういうことを言っているのが聞い てみてやろう」という教師すらほとんどいないのは不思議だ。


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