10月例会のようす(2000年10月21日)
<日本にも難民が来ていることをご存知ですか>
9月30日(土)松江市国際交流会館 参加者11人
講師 筒井志保さん(難民支援協会職員 元アムネスティ日本支部大阪事務所職員)
難民支援協会のホームページへのリンク
○「難民」とは?
・人種、宗教、思想などが理由の迫害から国外にのがれた人(難民条約の対象)
・戦争からの避難民(難民条約の対象外。しかし現実には大量発生)
・国内難民(国境が閉ざされたために国外に避難できない人々。条約の対象外)
○「難民条約」とは?
・1951年に成立。第2次世界大戦のユダヤ人迫害の反省からうまれた。
・古い条約のため、他の人権条約のような国連による審査制度はない。
○難民の急増
・東西冷戦の時代、西側諸国は社会主義国からの難民を政治的に受け入れてきた。
・冷戦終結後、地域紛争が増えて難民も激増。とくにアジア、アフリカで増えている。
・大量の難民が避難してくることで周辺諸国も不安定化、新たな難民を生み出す。
・冷戦後、西側諸国にとって難民の政治的価値は低下、受入れ数を減らしている。それ
でもヨーロッパ諸国は毎年数千人程度受け入れている。
・世界に約2700万人(1996年)国内避難民もふくめると約5000万人。
そのうち条約の対象となる難民は1250万人。
○日本の難民受入れ
・1978年にインドシナ難民がはじめて日本にやってくる。約1万人を特別受入れ。
・1981年難民条約加盟。1982年から法律にもとづく難民受入れ開始。
・1989年〜1997年は毎年1人か2人。
・1999年には260人が申請、難民と認定されたのは13人。
・インドシナ以外で難民と認定されたうち8割はミャンマー(ビルマ)人。
・中国は1人? クルド人(トルコ)は0人?
・国別統計が公開されていない(「本人の利益のため」というが、諸外国では公開)た
め詳細不明。
○日本の難民認定制度の問題点
・難民として認定される人が圧倒的にすくない。
・難民認定制度自体が知られていない。
・「60日ルール」(「日本の入国、または難民の立場になってから60日以内に申請
しろ」というきまり)だけを理由にして、機械的に認定拒否することが多い。
・審査方法が非公開、審査基準があいまい。
・申請をしてから結果が出るまでに長い時間がかかる。1、2年はふつう。10年以上
という例もある。待っている間に精神的に不安定となり、自殺する人もいる。
・審査結果に不服がある場合、再審査を申し立てることができるが、その場合も審査す
るのは同じ法務省。
・難民として認定せずに、在留資格を認めることが多い(「難民」は条約にもとづく権
利だが、「在留資格」は法務省が与える恩恵)。外交問題化することを避けるためか?
(難民認定をすることは「その国の政治に問題がある」と認めることになる)
・期限切れなどで在留資格のない人が難民申請をした場合、不認定になったらすぐに強
制送還されてしまう。
○裁判の問題点
・難民認定に不服がある場合には裁判もおこせる。しかしオカネがないとできない。
・裁判では個人情報を全面的に公開するため、敗訴して強制送還されたら非常に不利。
外国では非公開にすることが多い。
・多くの場合「60日ルール」という手続きの問題だけを争うことになってしまう。
・裁判中に強制送還されることもある。
○「上陸防止施設」(空港などで入国を拒否した人を一時収容する場所)の問題
・外部に全く連絡することができない。電話もなし。
・「難民申請をしようとしても聞かなかったことにして無理やり送り返す」「暴行や虐
待が行われている」という証言あり。
・以前は9カ月も収容されていた人もいた(現在は2週間以内)。
○難民に対応する役人の問題
・入国管理局職員の労働環境はかなりきびしい。
・難民調査官が全国に30人。しかしこれは法務省内の人事異動でたまたまなった人。
それまで密入国者を摘発する立場だった入国管理局職員が、すぐに難民を保護する立場
になれるのか。充分な研修がおこなわれているのか。相手の国の文化や政治状況への理
解は充分か。きちんとした通訳が配置されているのか。
○難民認定のむつかしさ
・迫害の証拠品を持って難民となる人はすくなく、本人の話がたより。
・経済難民とホントの難民とをどう見分けるか。
○難民に認定されても・・・
・現在の日本では難民として認定されても生活の保障や支援はない。外国では申請をし
た時点から語学教育や社会保障が受けられるところもある。
・ただ「むりやり返されることはない」というだけ。
○その他
・密入国した人の中にも難民はいるはずだが・・・。
・日本に上陸する以前に海上でつかまった人はどうなるのか?→海上保安庁は「難民認
定には関与しない」という。
・現在、約30万人の「不法滞在者」が日本の産業を支えている。しかしこれらの人々
の労働条件は劣悪で社会保障もない。「毎年50万人ずつ外国人労働者を受け入れてい
かないと将来労働力不足になる」という予想もある。
<「拷問禁止条約」>
○正式名称 「拷問、および他の残虐な、非人道的な、または品位を傷つける取扱い、ま
たは刑罰に関する条約」
○「拷問禁止条約」の歴史
アムネスティ・インターナショナルなど、NGOの運動が生み出した最初の人権条約
・1973年 アムネスティ・インターナショナルが拷問に関する実態報告書を発表
・1975年 国連総会で「拷問等禁止宣言」採択
・1984年 国連総会で「拷問禁止条約」採択
・1999年 日本が「拷問禁止条約」に加盟(2000年1月時点で加盟国118)
○なぜ条約が必要なのか
・世界人権宣言などの国際条約や、各国の国内法で禁止されているのになくならない
・おもに国家の容認のもとで秘密に行われるために、国内でその被害者が救済され、加
害者が処罰されることは期待しにくい。
・体制維持のために組織的に行われる拷問は、国内法などでは防止できない。
○条約のおもな内容
(1)「拷問」とは(第1条)
・重い苦痛を与えること(身体的苦痛だけではなく、精神的苦痛もふくむ)
・一定の目的や動機が存在すること
・公務員その他の公的資格で行動する者がなんらかのかたちで関与していること
(煽動、同意、黙認による場合をふくむ)
(2)例外のない拷問禁止(第2条)
・戦争状態や内乱などの緊急事態でもダメ
・上司や公の機関の命令があっても正当化できない
(3)拷問のおそれがある国への送還禁止(第3条1項)
・難民条約では対象外の、犯罪者引き渡しも対象になる
・拷問のおそれがあるかどうかは、すべての関連する事情を考慮して判断しなければ
ならない
(4)拷問容疑者に聖域はない(第5条〜第7条)
・拷問犯罪がおこった国、容疑者の国籍がある国、被害者の国籍がある国の、どの国
ででも裁判できる
・容疑者がいる国は、裁判のできる国に容疑者を引き渡すか、そうでなければ自国で
裁判をしなければならない=「引き渡すか訴追するか」
(チリのピノチェト元大統領のイギリスでの裁判に「拷問禁止条約」が援用された)
(5)条約を実行していくためのきまり
・加盟国政府は条約加盟1年目と4年ごとに報告書提出、国連の<拷問の禁止に関す
る委員会>で審議され、勧告が出される。(第19条)
・委員会による独自の調査もできる(第20条)
・拷問被害者は直接、委員会に訴える=「個人通報制度」(第22条)
(日本政府はこの項目は留保=国内の裁判に影響をおよぼすおそれあり)
○日本政府の考え
・条約加盟のために、あらたな立法措置や予算措置は必要としない
・刑法の特別公務員暴行凌虐罪、暴行罪、脅迫罪などで対応可能
○拷問禁止条約をめぐる日本での問題点
・刑事手続き(代用監獄の問題、刑務所・拘置所での処遇、死刑囚の処遇)
・入国管理・難民手続き(捜査・摘発の過程、収容施設などでの処遇、難民認定)
○その他
・拷問加害者の不処罰(免責)が次の拷問をもたらす→「免責の連鎖」を断つ必要
・被害者の救済制度の整備
・条約が対象としていない、私的領域での拷問への対処
(私的拷問は公的拷問と連続している)
<チベット問題>
・チベットにはチベット仏教を中心とする独自の文化を持つ王国が栄えていた
・チベット仏教では、ダライ・ラマ(観音菩薩の化身とされる)などの高僧は、何回も
転生をくりかえすと信じられている。(現在のダライ・ラマは14世)
・以前のチベットではダライ・ラマを中心とする、高僧や貴族による封建的な政治がお
こなわれていた。
・歴代のチベット政権は、元、明、清などの中国政権と強いつながりを持ってきた。
・近代になって、イギリス、ロシアなどの勢力がのびてきて、不安定な状況が続いた。
・1911年 中国で清がほろんだのを機会に、チベットは独立を宣言。
各国はこれを認めず。
・1949年 中華人民共和国が成立すると、中国はチベット領有を宣言。
・1950年 中国軍が東チベットに侵攻、占領
・1951年 中国軍がチベット全土を占領
・中国軍との戦闘やその後の強制移住により、100万人以上が死亡(チベット亡命政
府の発表。中国政府の発表では数万人)
・1959年 チベットの宗教的・政治的指導者ダライ・ラマはインドに亡命。
インド北部のダラムサラにチベット亡命政府を設立。
・中国の文化大革命で、多くの寺院が破壊され、多数の死者がでる。
・1987年、88年には大規模な反中国暴動がおきる。
・1989年 ダライ・ラマはノーベル平和賞を受賞
・現在、10万人以上のチベット難民がインドなどで生活している。
・中国政府はチベットの伝統文化を破壊し、独立運動を弾圧する政策を続けている。
・中国は世界一の死刑大国(1996年に4367人)
・チベット問題は日本の教科書にはまったくふれられていない(中国政府の圧力で)
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