3月例会のようす(2001年3月24日) 参加者 8人
・ミャンマー(ビルマ)問題学習会
・アムネスティ日本総会議案の検討

<ミャンマー(ビルマ)問題基礎講座>
○ミャンマー(ビルマ)入門
・人口約4600万人。面積は日本の約1.8倍。首都はヤンゴン。
・ビルマ族約70%。多数の少数民族。インド系、中国系も。少数民族との内戦続
く。
・仏教徒(上座部仏教)85% ほかにキリスト教、イスラム教、ヒンズー教。
・1989年に軍事政権が英語国名をビルマからミャンマーに変更。口語から文語へ
の変更だといわれるが、「軍事政権による改名だから認めない」という意見もある。
・現政権は軍部による国家平和発展協議会(SPDC)。
○民主化運動までの歴史
・1044年最初の統一王朝(パガン朝)ができる。
・1826年から3回のイギリスとの戦争の結果、1886年にイギリス植民地となる。
・1941年12月日本軍はアウン・サンなどを中心にビルマ独立義勇軍を組織。
・1942年3月日本軍はビルマ独立義勇軍の支援を受けビルマを占領、軍政をし
く。
・1943年8月日本軍は形式的なビルマの独立を認めるが、実質的には軍政が続
く。
・1945年3月アウン・サン指揮下のビルマ軍、日本軍に反乱。8月日本軍降伏。
・1947年7月アウン・サン暗殺。
・1948年1月ビルマ独立。カレン族の武装蜂起、政府内部の対立など混乱が続
く。
・1962年3月参謀総長ネ・ウィンがクーデター。「ビルマ式社会主義」を採用。
・1987年国連から最貧国に認定される。
○アウン・サン・スー・チー
・1945年6月生まれ。「建国の父」アウン・サン将軍の子供。兄が二人。長兄は
アメリカ国籍。次兄は死亡。
・15歳で母のインド大使就任にともない出国、以後外国で生活。オックスフオード
に留学。国連本部に3年間勤務。ロンドン、ブータン、インドにも滞在。
・1985年10月から86年6月には日本の京都大学にも留学。
・イギリス人のヒマラヤ文化研究家マイケル・アリスと結婚。子どもが二人。
○民主化運動の歴史
・1988年3月12日軍と民衆が衝突。発砲で多数の死者。民主化運動はじまる。
・4月アウン・サン・スー・チー、母の看病のために帰国。
・7月23日ネ・ウィン辞任演説。「次は当たるように撃つ」と国民に警告。
・8月8日民主化運動の大規模なデモ。
・8月24日アウン・サン・スー・チー最初の演説。
・9月18日軍がクーデターを宣言。19日発砲で約千人の死者(といわれる)。
・9月27日国民民主連盟(NLD)結成。アウン・サン・スー・チー総書記に就
任。
・1989年2月軍事政権は総選挙を90年5月に実施すると発表。新政党が乱立。
・7月19日アウン・サン・スー・チー自宅軟禁。
・1990年5月27日総選挙投票日。NLDが議席の8割を獲得する圧勝。しかし
軍事政権は国会招集の前に憲法制定が必要だと主張、自らが選んだ代表者による
憲法制定国民会議を招集。NLDは途中からこれをボイコット。
・9月軍事政権はNLD幹部を多数逮捕。
・1991年アウン・サン・スー・チー、ノーベル平和賞を受賞。式には子どもが出
席。
・1995年7月アウン・サン・スー・チー、自宅軟禁を一時解かれる。97年10
月から軟禁再開、断続的に軟禁状態が続いている。
・1999年3月マイケル・アリス死去。直前にミャンマー入国を求めるが認められ
ず。
・2000年9月アウン・サン・スー・チー、NLD地方集会への参加を阻止され自
宅へ連れ戻される。
・現在、NLDと軍事政権との対話は再開されている。
○日本との関係
・日本政府は1988年9月13日に援助を凍結。しかし半年後には軍事政権を承
認。
・1997年のミャンマーへのODAは1430万ドル。対ミャンマー援助の63%。
・1998年ヤンゴン空港の改修に対する援助を再開。
・多くの日本企業がミャンマーに進出している。1998年にはスズキがヤンゴンに
工場を建設する計画を発表して、国際的なボイコット運動がおこっている。

<アムネスティ・インターナショナル日本 総会議案の検討>
 4月14日、15日に東京で開かれる総会の議案を検討しました。その結果決まっ
たグループとしての意見は次のとおりです。

○議案書4ページ右上 「活動カレンダーの共有化と活用」
 いろいろなキャンペーンやイベントが集中してしまい、全体の状況がよくわからな
いことも多い。きちんとした「活動カレンダー」をつくって、しっかり活用しよう。
○5ページ 決議12「個人会員の会費減額措置について」
 1年間の試行では、3年以上会員だった個人会員がとくに申請してきた場合だけを
対象にしているが、実際には1人しか申請がなかったという。しかし松江グループでも
「会費が払えない」ということがおもな理由で、やめてしまった人も多い。近年の会員の減
少傾向は会費が高いことも大きいのではないか。そこで、
 ・会費減額措置の対象を、グループ会員にもひろげてほしい。
 ・会費の額自体を何段階かにわけて、各自の経済的余裕によって選べるようにして
は。
○6ページ 4 国際協議委員会
 債務見直しの方向性についてすべてのグループに対してアンケートを実施して、そ
の結果をまとめて常設委員会に回答した、アムネスティ日本としての案を理事会に提案し
た、と書いてあるが、具体的にどういうアンケート結果だったのか、どんな案を提案した
か、説明してほしい。
○8ページ以降の「方針議案」
 毎年のことだが具体的な内容がない。
○9ページ 活動方針議案3「司法制度改革審議会の合意を評価し、陪審制の実現を
求める」
 司法への国民の参加を訴えるのはよいが、グループの中で「陪審制の実現を求め
る」とまで意見が統一できていない。アムネスティ日本全体としてもそうだろう。
 →グループの票を「賛成」と「保留」に分けて投票する予定。
○松江グループ独自の提案
 次の決議案を、松江グループ提案として総会に提出することにしました。

<国際事務局に対して、簡潔にわかりやすい表現を求める決議案>
 とくにアクションファイルについて
  ・重要な点と背景説明とを分ける。
  ・要点を箇条書きにする。
  ・専門用語、略語はできるだけ使わない。
  ・できるだけ分かりやすい言葉づかいをする。
 ことを求めます。

 提案理由
 ・アクションファイルの内容が膨大で難解なため、グループ内で処理しきれない。
 ・国際NGOであるアムネスティ・インターナショナルは、英語が得意でない大
多数の人々に対しても、充分な配慮をするべきだ。

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