中学校教師のグチ(1998年12月)
最近、ひさしぶりに3年生を担任しました。
この学年が入学してきた時から担任し、3年生まで持ち上がっていったわけですから、
3年担任としてもかなり気合が入っていたのです。そして実際3年担任というのは1、2
年担任にもまして面白いものなのです。体育祭・文化祭などの行事にしても、生徒会にし
ても、3年生が学校全体の中心になることがやはり多いですし、3年生が終われば卒業で
すから気持ちは盛り上がります。3年間のまとめとして、あれもしよう、こんなこともし
てみようと、いろいろ企画をたててみたりします。
しかしとにかく忙しい。私の学校は県内でも中規模で、他の学校とくらべれば「問題が
ない」といわれている学校です。部活動も私自身はそんなに熱心にやっているわけでもあ
りませんから、全国の中学校教師の中では、そんなに多忙な方ではないと思います。それ
なのに忙しい。3年担任の1年間は、1、2年生を担任していた時にくらべて1.5倍く
らい忙しかったように感じます。毎日の忙しさに追いまくられているうちに、1年間が終
わってしまいました。
忙しいのはいつものことなのですが、それ以上に自分のやりたいと思っていることができなくて、やりたくないと思っていることをしなくてはならないということで、精神的にも不満と疲労が高まります。
そこでせめてここでその1年間のグチをいくつか述べたてて、うっぷんを晴らすことにしたいと思います。もしよろしければおつきあいください。
1 不登校
中学校でクラスを担任する以上、ほとんど必ず登校拒否=不登校の子どもたちとめぐりあいます。私もそれまでに何人も不登校の子どもたちと出会ってきたのですが、とくにこの年は不登校の「あたり年」でした。
この問題で学校・教師のできることは基本的に限られていると私は思っています。もちろん学校や教師のがわに不登校の原因がある場合が多いことも確かですが、いったん不登
校が始まってしまうと、その子の状態をよくするも悪くするも(もちろんまた登校することが「よい」、しないことが「悪い」というのではありませんよ)、ほとんどは家庭=保
護者の対応次第になってしまうのです。そしてまた不登校の問題をどのように考え、これからどうするかというのは、基本的には本人と保護者次第なのですから、相手の依頼や納得もないまま教師が家庭の中へ土足で踏み込むようなマネはするべきではない、と思います(このへんは家庭の状況によってケース・バイ・ケースですけれど)。
ところがこうした認識は本人、保護者、教師ともにほとんどありません。
「学校にまた登校できるようになることが不登校問題の解決だ」という考えが、学校・
教師にも、本人・保護者にもまだまだ根強くあります。そこで「教室はダメでも保健室・相談室まで」「毎日来れなくても週に1日でも」「遠足・体育祭の行事だけでも」と、とにかく少しでも学校に登校させようとするわけです。
学校に全く来れない場合にも、「とにかく家にとじこもっていてはダメ」「そのままにしておいてはズルズルと欠席が長期化し、よけいに登校しにくくなる」と考えられていますので、とりあえず都道府県の児童相談所、市町村の「適応指導教室」、精神科の病院、
不登校の子どもたちを対象にした塾などの「専門機関」を紹介し、そこに定期的に通える
ようにして、やがては学校に復帰するようにしようという対策がとられます。
こうした対応は「早期発見・早期治療」が有効だと考えられているので、例えば「欠席
1日で電話連絡、3日で家庭訪問、1週間で専門機関紹介」などとマニュアル化(明文化
されたものではありませんが)されています。
しかしそう都合よくは行かない場合がほとんどです。子どもも保護者も「専門機関」
は心理的抵抗が強いのがふつうです。保護者は最初はパニック状態になっており、不登校
というわが子の現実をなかなか受け入れることができなかったりします。また長期化した
子どもの保護者の中には「どうせああいうところに行っても、言われることはわかっている(『幼児期の子育てに問題がある』など)」という不信感もあり、学校が「専門機関」
を紹介してもすぐに動く例はまれです(すぐに精神科に強制的に入院させた例もありますが)。
動かない保護者・本人に対して、学校・教師は家庭訪問をくりかえしたり、保護者を学校へ呼び出したりして、「本人がいやがっているなら保護者だけでも」と、とにかくどこかの「専門機関」にかかるように説得します。それでも保護者が動かないと「保護者が本気になってないからダメだ」「まだ保護者の考えが甘いのでは」ということになり、さらに手をかえ品をかえて説得します。さらに極端な場合には、「保護者が動かないなら直接本人を動かさなくては」ということになって、教師が家庭訪問をして直接本人を説得し、
そのまま車に乗せて「専門機関」に連れていくなどということもあります。
こうして学校・教師たちは「熱心さのあまり」保護者や本人をおいつめていくわけですが、これがかえって本人のとじこもり度を強くして、学校と家庭との間のミゾを深め、より状況を悪くしてしまうということが多いようです。
私はこういうやり方には違和感があって、あまり熱心には「専門機関」を紹介したりし
ませんでした。こまめに家庭訪問はしましたが、本人ととりとめのない話をしたり、本人が出てこない時には保護者に様子を聞いて帰る、いわば「待ちの姿勢」だったわけです。
それでも「今度中間テストがあるけどどうする?」「遠足があるけど」「体育祭があるけど」と言えば、いくら「無理して出ることはないんだよ」とつけくわえても、「行きます」ということになるわけです。そして前日まで「行く、行く」と言っていて、保護者も大いに期待していても、実際にはほとんどの場合当日になると具合が悪くなって参加できません。たとえ参加できたとしてもその日一日だけのことです。
結局、私も本人・保護者を追いつめていく役割しか果たすことができませんでした。
2 進路指導
この地方では数年前まで、各高校・各学科の出願者数を募集定員にピタリと合わせるように事前に調整して、本番では一人も不合格者が出ないようにしてしまうという、すごい進路指導が行われていました。しかし数年来の教育改革で「合格可能な学校よりも、本人が行きたい学校を」ということになり、さすがにこうした指導はなくなっています。中学
校3年間に計画的な進路学習を行い、地域のいろいろな職場で体験的に働く「職場体験学習」や、高校見学、一日体験入学などもやるようにもなりました。
もちろん地域的な高校のランクわけはあいかわらずあります。当然地域内の「上位校」
への進学希望も根強くあり、「合格可能な学校よりも、本人が行きたい学校を」という動きの結果、「上位校」には志願者が集中し、毎年大量の不合格者を出すようになってきました。成績が上位であればいくら第一希望校に落ちても第二希望、第三希望には合格するので大丈夫なのですが、問題は成績が下位の生徒たちです。
成績が下位の生徒を第二希望でとってくれる学校などありませんから、第一希望の一発勝負になります。しかも成績上位者が大量に第一希望校を不合格になって第二希望の学校にまわってくるのですから、彼らに押し出されてしまうとどこにも行けなくなってしまいます。(もちろん「進学をあきらめて就職にする」という選択肢もあるのですが、これまた
非常に狭き門ですし、第一本人も保護者も就職する気持ちなどほとんどありません)
そこで下位の生徒に対しては、多少でも不合格の可能性がある高校はさけ、絶対確実な学校を受験させようとする進路指導が行われます。つまり「合格可能な学校よりも、本人が行きたい学校を」とは言っても、実際にそれが可能なのはおもに成績が上位の生徒だけであって、成績が下位の生徒にとってはさらに選択の幅が狭くなってきているのが現実なのです。
中学校側には「とにかく卒業までには3年生全員の進路を確定させてしまいたい」という心理が強く働いています。不登校状態でも「高校には行きたい」「高校ぐらいは行かせたい」という本人・保護者が大多数ですから、「高校に行くためにはまず中学校に復帰しなくては」と、3月のタイムリミットをにらみながら前述のような働きかけが進んでいきます。最終的に目指した高校が不合格だったり当日受験に行けなかった場合でも、通信制の高校を紹介したりします。そしてなんとか卒業時には「全員が希望する進路にすすんだ」
ということにするのです。
3年生の1年間に何回も進路希望調査を行い、習熟度テスト(数年前に禁止された「業者テスト」に似て非なるもの)を年に8回くらい行い、二者面談(本人+教師)、三者面
談(本人+保護者+教師)をして志望校を決めるわけですが、それでも合格可能性の低い
高校・学科を強く志望する生徒・保護者がたくさん出てきます。
そうした場合、「合格可能な学校よりも、本人が行きたい学校を」なのですから、一応
合格可能性が低いことをしっかり説明して、あとは本人の判断にまかせればよい、行き場がなくなってもそれは本人・保護者の責任で、そうなった時にまた相談にのればよいと思うのですが、それではいけないらしいのです。
私が「ちゃんと説明したんですが、本人も保護者も『それでも受けます』と言っています」と報告すると、進路指導主任からは「まだ説明不足でよく分かっていないんじゃないか」「今は『不合格になってもいいから受けます』と言っていても、いざ不合格になったら『なんでもっとちゃんと説明してくれなかったんだ』と言いだしたりするものだ」「万が一にも行き場がない者を出してはならない」と、さらにくり返して指導するように「指導」されます。あるいは私が例のごとく不熱心だと見ると進路指導主任みずから説得にあ
たるのです。
教師・学校から何回も繰り返して不合格の可能性を強調されて、それでも「不合格でもいいから受験します」と主張できる生徒・保護者はまずいません。最終的には全員が確実安全な学校を受験することになり、実際にほぼ全員合格でした。しかしこれが本当に「本人が行きたい学校」に挑戦したことになるのかは、大いに疑問の残るところです。
さらに最近は推薦入学の人数が増えてきています。そこで、これは以前からあったのですが、高校側の教員との人間的つながりや部活動の関係などのコネを利用して、生徒をとってもらおうということがなかば公然とあります。高校によっては中学校の3年担当の教員と飲み会をひらくところもあります。私はもともと飲み会がきらいなこともあって、そんな飲み会には絶対出たくないとダダをこねたのですが、「ウチの学校だけ担任が欠席するというわけにはいかない」と同僚や上司総がかりの説得をうけて、イヤイヤ出席しまし
た。
3 生徒指導
いくら「(他の学校にくらべれば)問題がすくない」といわれている学校でも、現代日本の中学校である以上、実際にはさまざまな問題がおきるものです。
飲酒、喫煙などの「生徒指導上の問題」がおこった場合、中学校ではまず担任や生徒指導部の教師が名前のあがった生徒に事実を確認(取り調べ)し事実関係を調査していきます。一応の事実が判明したところで、反省文を書かせたりなど本人の指導(「個別指導」といいます)をして、最後に保護者を呼び出して一件落着になります。
調査の過程でイモヅル式に多数の名前が出て、学年や学級の多くの生徒が関わっていることが分かることもよくあります。そういう場合には、これを集団全体の問題として学級会や学年集会を行い、生徒の名前はふせて(もちろん生徒たちの方がだれが何をしたのかよく知っていることも多いのですが)ある程度事実を説明した上で、今後このようなことがないように指導(「全体指導」といいます)します。事件の調査の過程で、全員に自分の知っていること、反省点などを書かせるということもよくおこなわれます。
最初はささいな事実から、イモヅル式に次々と新しい事実が分かり、「そういえばこんなことも・・」と、全く無関係な事件も明るみにでて、どんどん問題が大きくなっていくこともあります。そういう場合、最終的には関係者はほとんど全校生徒に拡大(「名札や校章をつけていない」「スカートが短すぎる」などといい出せば、ほとんどの生徒がなんらかの違反をしているわけですから)してしまうこともめずらしくありません。
関係する生徒が多い場合には、口ウラをあわさせないためにも、授業中に次々と関係者を呼び出して個別に事情を聞くということが行われます。いくつもの問題に関わっている生徒や、なかなか「口を割らない」生徒などは、ほとんど授業に出ずに取り調べをうけることになったりします。当然事情を聞く教師の側もたくさんの人数が必要ですから、授業を自習にして取り調べに当たるということになります。
こうなると教師も犯人を取り調べている刑事とにたようなものです。より多くの自白を引き出し、たとえ表面的ではあっても一応生徒に「反省させる」ことのできる、「きびしい」「指導力のある」教師に期待と尊敬があつまります。日ごろ生徒に「甘い」教師は、
「なめられている」「指導力がない」というので軽蔑されます。そこで教師どうし、学年部どうしの対抗意識も手伝って、さらに徹底的な捜査がすすめられていきます。
さて、ではこうして明るみに出た実態を、今後どう指導していくかということになるのですが、「この機会にとことん引きしめておかなくては、どうなるか分からない」「いったん崩れはじめると一気に無秩序状態に突入してしまう」という意識が学校・教師にはやはり強いのですね。実際にほとんど秩序が崩壊してしまって、授業もなにも成立しない学校がたくさんあるわけですから、「ああなってからでは遅い」というわけです。
そこで「やはり細かい事をおろそかにせずしっかり指導しなくては」という引きしめ策が採用され、とりあえずは「制服や持ち物のきまりを徹底する」ことになります。そして
「違反制服を着ている者は早急にきまりに合った制服に直すように強く指導しよう」ということになるのですが、3年生の中には「卒業まであと数カ月しかないのに新しく制服を買うなんて」「このくらいの違反ならいいじゃないか」という生徒・保護者も当然いるわけです。そこでそういう生徒・保護者を家庭訪問して説得するなどという仕事もでてきます。それでも中には絶対に納得しない保護者もいて、私は学校に帰って「納得してもらえませんでした」と報告するわけですが、「あんたの熱意が足りないんじゃないか」「他のクラスはみんな違反制服がゼロになったのに、あんたのクラスだけ認めるというわけにはいかん」「とにかく納得してもらうまで何回でも説得しろ」ということになってしまうわけですね。
こうした学校・教師がわの「きびしい」指導は、大多数の保護者からは支持されることが多いのですが、それでも「やりすぎではないか」という批判がおこることもあります。
しかし、そういう批判を学校・教師のがわが受け入れることはめったにありません。こういう批判に対して、ほとんどの教師たちは「事情もよく知らないくせに」「子どものた
めを思って必死でやっているのに(時間外労働も膨大)」「保護者がきちんとしつけてくれないからこんなことになっているのに」などと、非常に強く反発します。やはり学校・教師たちには「文句を言わない保護者がいい保護者だ」という考えが強くあるようです。
このような事件がおこった時、一番取り調べ活動に熱心でないのが私です。
私はこうした問題については、教師からの一方的な指導(校則とりしまりの強化など)にはほとんど効果がないと思っています。生徒たちが納得していない校則を、実際に生徒たちに守らせるだけの権威も論理も、現在の学校・教師にはありません。
学校の問題は、生徒たち自身の活動を中心にしなければ、実質的には解決しません。生徒たち自身に考えさせ、生徒たち自身で解決策を作り上げていくことが必要です。学校はものごとを学ぶ場所なのですから、こうした問題を自分たちの力で解決する過程こそ、民主的な集団運営を学ぶために、もっとも大切な経験なのではないでしょうか。
しかし、もちろんこれはものすごく大変なことで、生徒たち自身の力はもちろん、教師のがわにも経験豊かな指導力と相当の覚悟が必要です。それでも一方的な校則とりしまり強化にくらべれば、効果はあると思います。
私は事件がおこるたびに、これはそうした指導をするよい機会だと思い、いろいろな作戦を考えましたが、結局他の教師たちの理解・協力をえることができず、自分ひとりでやるだけの力もなく、ほとんど実行できませんでした。
余談ですが、ここで制服というものについて改めて私の考えを述べたいと思います。
自分の個性にあい、なおかつその場の雰囲気や気候にあった服装を選ぶというのは、社会で生活する上でかなり大切な能力だと思います。しかし毎日のほとんどの時間を決められた制服を着てすごし、暑かろうと寒かろうと6月1日、10月1日をもって衣替えをするというのでは「自分で判断せずに上からの指示に従い、暑くても寒くてもがまんする」
という能力しか育ちません。
最近学校では「自己判断能力の育成」が目標のひとつとされているのですが、制服を強制していて服装についての自己判断能力が育つでしょうか。私の学校では「衣替えに1週間の移行期間を設けるから、この移行期間のあいだは自分の判断で夏服か冬服か選びなさい」ということが行われていましたが、この程度のことで自己判断能力が育つとはとても
思えません。
あるいは「もともと中学生には自己判断能力はないのだ」ということなのかもしれません。しかし社会生活を営む上で必要な能力を身につけさせるのが学校教育の目的だとしたら、それを段階的に育てていくことが必要なのではないでしょうか。そうでなければ一体どこで、自分で判断し自分でその結果に責任をとるという能力が身につくのでしょうか。
ルーズソックスなどの奇妙な制服ファッションが流行しているのも、私には学校に制服があるからこそだと思われます。全国の学校で制服を廃止すれば、100人のうち80人
がルーズソックスにミニスカートといった奇妙な「疑似制服」の流行はなくなり、子どもたちが自分の判断でそれぞれの個性にあった服装を選択するようになるでしょう。またそうなるべきであると思います。
4 卒業式
公立高校の入学試験の5日ほど後に卒業式が行われます。この高校入試から卒業式の間は3年生は授業はありません。担任の私としては、受験の不安から一応解放されたこの時期にこそ、3年間の最後をかざる楽しい学級行事や学年行事をしたいと思うのですが、そんな時間はまったくありません。ほとんどの時間は卒業式の練習にあてられます。
私が中学校の教師のすべての仕事のなかで、いちばん嫌いなのが卒業式の練習です。
卒業式の練習はまず3年生だけでやり、さらに在校生もいっしょにかなりの時間を使って
行われます。「起立」「礼」「着席」などの号令のもと、全員がそろって同じ行動ができるようになるまで、繰り返し何回も練習するわけです。
「起立」と号令を受けてサッと立つことなど、実際の社会生活の上で一度でもあるでしょうか。必要があるのは軍隊だけではないでしょうか。むかし学校がお国のために立派に戦って死ぬ兵士を育てる場所だった時には、こういう教育にも意味があったのかもしれませんが、現在の学校ではこんなことはするべきではないと思います。現在でも自衛隊や警察などでは必要なことかしれませんが、それならそうしたところに就職した時に訓練すればいいことでしょう。
生徒たちに機械のように行動することを求める以上、教師も同じように機械的に動かなくてはなりません。3年の担任は「卒業生入場」で生徒を引率して行進し、着席の合図をします。また「卒業証書授与」では、ステージのソデに出てクラスの生徒全員の名前を出席順によばなくてはなりません。このため3年担任も何回か練習をし、学年主任や儀式=
典礼担当のチェックを受けます。
この「卒業生呼名」では、生徒の名前は全員呼び捨てです。私は近年、生徒を絶対に呼び捨てにしないことを心がけており(当然のことだと思いますが)、実際にまったく呼び捨てはしていません。ですから「卒業式でも『さん』づけで呼びたい」と申し出たのですが、「式の雰囲気にあわない」と却下されてしまいました。もとより練習もあまりマジメにしていませんでしたから、案の定、本番ではとちってしまいました。
また、私の学校では「卒業式」ではなく「卒業証書授与式」と言っています。私は「卒業式でいいじゃないか」と主張したのですが受入れられませんでした。「3年間の努力の結晶である卒業証書を学校が与えて、卒業を認める儀式だから」というわけです。式の中
では卒業生が一人一人壇上で校長から卒業証書を受取ります。そして両手に卒業証書を高々と掲げて校長に礼をして降りてくるわけですが、これも熱心な教師たちがいて、「もっと高く手を掲げて」「まだ礼がなっちょらん」と何回も繰り返し練習させていました。
卒業証書など単なる紙きれです。卒業式が終わったらあの丸い筒の中に入れて、多分一
生に一度も出して見ることはありません。その紙切れが「3年間の中学校生活の努力の結晶」などと重要視されて、ありがたく押しいただかなければならないようなものでしょう
か。こんなバカバカしい無意味なことを、無意味だと見抜く力こそ、学校は生徒たちに教えるべきなのではないでしょうか。
卒業式には英語の指導助手であるイギリス人の女性も参加しました。彼女も「シリアスすぎる」と感想を述べていましたが、私が以上のような意見を述べると「あなたはさぞかし職場の同僚とトラブルが多いでしょうね」と同情してくれました。
5 学校・教師から一時離れてみると
私はこの4月から教師の仕事を一時離れて、遺跡の発掘の仕事をしています。私は社会科の教師ですから、遺跡の発掘を体験して、その成果をまた今後の授業に生かそうと思っ
て、期限つきの出向を希望したのです。
仕事をかわってみて、大きくおどろいたことが2つあります。
まずは労働時間のちがいです。遺跡の発掘は一般の公務員と同じで完全週五日制(ちなみに学校は現在月に2回土曜日が休みです)、8時半開始、5時終了です。現場が終わった後、片付けをしても5時半より遅くなることはありません。昼休みは完全に1時間、10時と3時の休憩もあります。もちろん現場作業はかなりきつい肉体労働中心ですし、根をつめてやらなくてはならないのですが、その労働時間は学校とは比較になりません。私の場合、朝1時間、夕方2時間はちがうのではないかと思います。昼休みや休憩時間も学校の場合にはほとんどありませんから、1日で4時間、土曜、日曜の部活動なども入れると1カ月に100時間ちがいます。夏休み、冬休みなどの長期休業中は学校の方が労働時間が短いにしても、年間で1000時間はちがうことになります。
もうひとつは人手やオカネが充分足りていることです。
遺跡の発掘には「原因者負担」という原則があります。これは建設事業などで事前に遺跡の調査発掘をする場合に、その建設事業の事業主体が発掘調査の費用を出すということです。現在私が担当している発掘現場は建設省の事業予定地なので、発掘費用も建設予算から出ています。そのため建設省管轄の特殊法人(建設省の役人の天下り先)である「建設弘済会」が、現場や工作機械の管理、作業員さんの雇用、監督などをやってくれます。
測量などに使う機材も最新式です。出土した土器などを洗ったり接合したりするパートの人も別にいます。調査員はただ調査のことだけ専念してやればいいようになっているのです。さらに現場は4月から12月までで、1月から3月までは出土品を整理したり発掘結果をまとめたりする時間としてとってあるのです。
これに対して学校の教師は、本来の発掘の仕事の他に、現場や機材の管理から作業員さんの給料の支払い、作業員どうしのケンカの仲裁、交通安全、健康管理の指導、現場内での器物破損、盗難などの事件の捜査など、あらゆることを一人でやっているようなものです。
やはり土建国家日本は、建設関係にはカネを充分つぎ込んでいるようです。それに対し
て教育にはカネも人手も大いにケチっていることが実感できました。しかし教育という未
来への投資をケチっているこの国に、いったいどんな未来があるのでしょうか。