どうしてこんなに髪の色を変える人がふえたの?
(1999年9月)

 この数年の間に、髪の色を変える人がすごくふえたように思います。
 20歳前後の世代の人々の半分くらいは髪の色を変えているようです。お年寄り でも紫や黄色などに染めている人がめずらしくありませんし、小学生でもけっこう 見かけます。私が日本にはじめて来た外国人だったら「日本はいろいろな髪の色の 人がいる、多民族国家なんだな」と驚くかもしれません。
 数年前までは<髪の色を変えている人>は圧倒的少数派であり、「ちょっとヘン な人」と思われていました。現在でも、学校などでは「よくないこと」とする雰囲 気が残っていますが、髪の色を変える人があまりにも多くなってしまったために、 社会全体としてはもう「あたりまえのこと」になっているようです。

 それにしても、どうしてこんなに髪の色を変える人が増えたのでしょうか。
 髪の色を変えている人にいろいろ聞いてみても、どうもよくわかりません。  「ちょっと変身してみたかった」「カッコよくなりたかった」などという人がい ます。
 「変身してみたい」つまり、「今までの自分ではないちがった自分になりたい」 ということは、ぎゃくにいうと「今の自分のままではいたくない」ということでし ょう。「髪の色を変えてカッコよくなりたい」ということはつまり、「今の髪の色 のままではカッコよくない」ということになります。
 これだけ多くの人々が髪の色を変えている、ということは、自分の本来の髪の色 は「カッコよくない」と思っている人がそれだけ多いということでしょうか。また は「今の自分のままでいるのはイヤだ」という人が、それだけ多いということでし ょうか。
 とくに、黄色(金髪)や茶色(ブロンド)に変える人が多いようです。これは人 々が、白人の髪の色を「カッコいい」、と思っていることを示しているのでしょう か。「黄色人種でいるのはイヤだ、できれば白人に生まれたかったのに」という人 がたくさんいる、ということでしょうか。(そう考えると、白く脱色している人は 「はやく老人になりたい」と思っているのでしょうかね)
 あれだけ「日本人は英語がヘタだ」といわれるくせに、ほとんどの流行歌に英語 の歌詞が入ったりするなど、やたらと英語を使いたがる人が多いのも、日本語はカ ッコわるくて英語はカッコいい、と思っている人が多いからなのでしょうか。
 江戸時代末の黒船来航以来、「すすんだ欧米」と「おくれた日本」の圧倒的な差 を見せつけられて、なんとか欧米諸国においつこうとマネしまくってきたことや、 戦争に負けてアメリカ合衆国との力や文化の差をあらためて見せつけられたことの 影響が、この<髪の色を変える>という流行にもあらわれているのでしょうか。
 この国の人々の多くが、自分の本来の髪の色を「カッコわるい」と感じ、現在の 自分自身や自分のカラダに自信を持てないでいる、自分たちの言葉や文化に自信を 持てないでいるとしたら、それはやはりとても不幸なことなのではないか、と私は 思います。
 カッコいい他人のマネをいくらしてみたって、自信はつきません。たとえ自分が 本当に「カッコわるい」のだとしても、「このカッコわるさが自分なのだ」「この カッコわるい自分でいいのだ」と思えるようにならないかぎり、自信は生まれない でしょう。

 もちろん、自分の髪の色をどうしようが、その人の勝手であり、他人が文句を言 うような問題ではありません。だから「髪の色を変えるなんてけしからん」「もと の色にもどすべきだ」などとは思いません。そんなことをだれかがだれかに強制す ることなんか、やるべきことではないでしょう。
 それにしても、なんでこんなに急に髪の色を変える人がふえたのか、本当のとこ ろは私にはよくわかりません。だれかわかりやすく説明してくれる人はいないでし ょうか。

 儒教の教典である『孝経』の中に「身体髪膚これを父母に受く、あえて毀傷せざ るは孝の始めなり(自分の体を傷つけないことが親孝行の第一歩だ)」という言葉 があります。
 こうした儒教の考えは、日本でも長いあいだ強い影響力をもってきました。しか し、髪の色を変える人や、耳や口や鼻に穴をあける人などが、これだけ多くなって きたことは、現在の日本では儒教道徳の影響力がほとんど消えてしまった、という ことを示すものだ、といえそうです。
 韓国は現在でも儒教道徳が現在でも強い影響力を持っている国ですが、6年前( 1993年)に行った時には、若い女性の多くが耳に穴をあけているのに驚かされ ました。現在では、韓国でも髪の色を変える人がふえているかどうか、また近いう ちに行ってたしかめてみたい、と思っています。


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