1997年・1998年の旅行報告
<台湾(1997年11月)>
台湾は日本に一番近い外国です。日本にあるもののうち、ほとんどが台湾にもあり
、台湾にあるもののうち、ほとんどは日本にもあります。学校の制服も、人々の服装も、商店のデ
ィスプレイも、日本によくにており、日本製品が日本語のパッケージのままで売ら
れています。たぶん日本製品が最も多い外国が台湾でしょう。同じく日本の植民地
であった韓国が同じように日本の似姿でありながら日本製品がほとんどないのに比
べると対照的です。しかも観光地やホテル、レストランでは無理なく日本語が通じ
ます。アメリカ人が日本で英語を使うのよりははるかに通用力があるといえるでし
ょう。 これは日本の植民地支配の結果なのか、もともとの民族的気質が共通していたのか
わかりませんが、じつに面白い国ではあります。しかもつい最近まで独裁的な国家
であったにもかかわらず、経済的繁栄をとげ、民主的にも成熟しつつあるのですか
ら、不思議であります。
<ブラジル(1997年12月・1998年1月)>
とうとう宿願のブラジルに行ってきました。アマゾン川の中流マナウスから河口の
町べレンまで4泊5日の船旅をして実にのんびりとした休暇をすごしてきたわけです。
地球の反対側の町サンパウロには世界最大の日本人街があり、ちょうど日曜日
の市がたつ日をここですごしたのですが、金魚売り、今川やき、人形屋、わらじ屋
などが並んでいて、これがまた実におもしろかったのであります。
リオデジャネイ ロは海岸の町で、老若男女だれもが海にくりだしているのですが、これがまた壮観
であります。日本でも湘南海岸のすぐ前に東京の町があり、夏には水着で待ちをあ
るくようになると、日本人もブラジル人のように陽気になるのかなと思いましたが、どうでしょうか。
<香川県豊島(1998年4月)>
豊島は瀬戸内海にうかぶ島です。産業廃棄物の不法投棄で有名になりました。今日「アースディかが
わ」というイベントがこの島であるというのを新聞で見て、さっそく行ってきまし
た。
ニュースでは断片的にしかわかならいのですが、やはりここは訪ねるべきところで
す。水俣病、薬害エイズ問題などと、まったく同じ構造があり、そして同じように
だれも責任をとろうとしません。
最初は住民の反対をごまかすために「ミミズ養殖
場」として認可されたところが、いつのまにか産業廃棄物の不法投棄、野焼きの場
と化し、香川県当局は認可の条件として、充分な監視と指導を住民に約束していた
にもかかわらず、完全な違法行為を見逃し、充分な指導もせず(担当者の証言を要約すれば「やくざがこわかった」)、業者は不法行為で逮捕されたものの執行猶予つきの有罪判決におわり、会社は破産したので業者に責任は問えなくなり、県は51万トンの廃棄物のうち千トンのドラム缶を運び出しただけで、危険物はなくなった
と安全宣言、その後も県の環境調査では基準をごまかして危険はないといいつづけ
、現在でも県にはなんの責任もないと主張しているのです。
住民たちは県を相手に 損害賠償請求の裁判をおこすと長い年月がかかりその間危険な廃棄物は放置されて
しまうというので、損害賠償はあきらめて国の公害調停に訴え、その調査の結果で
はドイツなどでは現場が立ち入り禁止に指定されてしまうくらいの高濃度の汚染物
質がでてきたのです。(私も今日現場を2時間ばかり歩いてきましたが)今でも廃棄物は野ざらしで、汚染物質は地下水にしみこみ、海へと流れ出しています。この処理には150億円程度のカネと10年以上の年月がかかり、それでも完全に安全になると
いう保証もないのです。しかもここの処理のために建設される施設に、今度はまた
島のそとから廃棄物が持ち込まれるのではないかというおそれも住民の人々は持っているのです。
現在、この島はゴミの島として有名になり、豊島の名前が入った魚や野菜、米など
は市場で買い手がつきません。そのため小豆島産(豊島は小豆島土庄町)として売
り出しているのですが、またそのことがテレビで報道されると市場では小豆島の産
品は一時取引停止になってしまったそうです。公害の被害者が、被害者とみとめら
れたあとで、さらに大きな被害にあう、こうした構造も水俣病、薬害エイズとかわ
りありません。 しかしこうした産業廃棄物処理場問題は、現在日本全国でおきています。そしてほ
とんど例外なく、処理場は過疎地につくられ、その認可権をもつ各都道府県当局は
その建設を積極的にすすめているのです。
<香港(1998年5月)>
ゴールデンウィークには香港に行ってきました。香港から中国政府が資本主義国の企業進出をうながすための経済特区であるシェンチェンにはいりましたが、同じ中
国国内だというのに、出国審査、入国審査があり、かえってイギリス植民地時代よ
りも厳しくなっているとのこと。さらにシェンチェンから中国本土に入るのにも同
様の手続きがいるということです。シェンチェン市内を歩いているとすぐに男女の
客引きからやたらと声をかけられますが、これは要するに「女を買わないか」とい
うことだそうです。(中国語なのでよくわからない)。交差点では小学校低学年く
らいの少年がおばさんのハンドバッグから財布を掏る現場を目撃してしまいました
。貧富の差はひろがり、しかし経済は大発展をとげているようです。中国だという
のに、ペキンなどのような自転車の大洪水もありません。
<東北(1998年8月)>
1週間ほど、東北地方を自転車で旅してきました。
青森から仙台まで700キロほど走りました。
青森市近郊で発見された縄文時代の大集落のあと、三内丸山遺跡では、遺跡の発掘現場に見学コースがつくられており、発掘のようすをじかに見ること
ができるようになっていました。また資料展示室では、発掘した土器のかけ
らをくっつけているところや、それを図面にとっているところ
がガラスごしに見学できるようになっていました。さらには縄文時代の衣装を着て写真をとったり(プリクラですね)、火おこしに挑戦したり
するコーナーもありました。 こうした体験コーナーは、盛岡市の岩手県立博物館にもあり、むかしの遊び道具で
あそんだり、鎧兜を着て写真をとったり、かごをかついだり、臼をひいてみたりす
ることができるようになっていました。学校でもこういう体験が手軽にできる
ようなシステムになればいいとおもいますが・・・。
青森県の六ヶ所村には核燃料サイクル施設が建設中です。なかでも各地の原子力発
電所から出る核燃料の燃えカス(とてつもない放射能を出し、高温)を保管する、
「一時保管施設」がすでに動いています。最終的には1000メートル以上の深い
穴を掘って保管する(「最終処理施設」)のだそうですが、まだ日本にそんな深い穴はなく、どこにそんな穴をほるかは未定です。六ヶ所村のPR館では、ビデオで
「深い穴にうめるんだから安心だ」などといっていましたが、一体本気なのでしょ
うか。
<ハワイ(1998年11月)>
ハワイ4泊5日の旅に行ってきました。 ハワイはもともとポリネシア人たちが住んでいたのですが、白人の持ち込んだ伝染
病で人口が激減してしまい、そのあとにヨーロッパや中国、朝鮮、フィリピンなど
からたくさんの移民がやってきたところです。とくに日系人が人口の3分の1をし
め、人種別でいうと一番の多数派になっています。しかも日本からとてつもない数
の観光客がおしよせてくるのです。 ハワイがアメリカにとって日本のひきょうな攻撃をうけた記念すべき土地であると
同時に、日本の影響のいちばん強い地域であることは、とても皮肉なことだといえ
ます。