1999年の旅行報告

<沖縄(1998年12月・1999年1月)>
短い間でしたが、沖縄へ行ってまいりました。今回は沖縄本島周辺のみでしたが、自転車で走ってきました。 12月30日はキャンプもしましたが、昨年8月に青森でキャンプした時よりもず っと暖かかったです。 しかしおおみそかからは天気が悪くなり、気温もだいぶ下がってしまいました。
沖縄は日本の中でもなかば外国(明治のはじめまでは琉球王国という外国だったのですし、25年ほど前まではアメリカ領だったのですから) 自動販売機のジュースは110円だし、ジュースの中には沖縄独特のものがあるし 、街にはスクーターがおおく、なんとなく東南アジアの雰囲気でもあるし、なかな か面白いところです。 広大な米軍基地と、基地のフェンスにへばりついてゴミゴミと続く町並みの対照や 、沖縄戦の史跡、琉球王国の史跡など、みるべきところもたくさんあります。 まだ沖縄に行ったことがない人はぜひおいでください。

<スウェーデン・ドイツ・デンマーク(1999年2月)>
スウェーデンのストックホルムに4泊、ドイツのベルリンに4泊、デンマークのコ ペンハーゲンに1泊という、短い旅行をしてきました。特にストックホルムではほ とんど日本人(というか有色人種)にはあいませんでしたが、旅行中あった日本人旅行者はほとんど卒業旅行などの大学生でした。その中で、小学校6年生の子ども とその母親にあいました。3学期いっぱい学校を休んで(母親の方は仕事をやめて) 1カ月イギリスにホームスティしたあと、ヨーロッパ旅行をしているということで 、卒業式には帰るのだそうです。

・ゲルマン系の社会はやっぱりカッチリしている!!
以前ヨーロッパに行ったのは10年近く前で、イギリス、フランス、ギリシャに行ったのですが、とくにフランスでは人々はちゃんと列をつくって待ったりはしないし、実にいいかげんで非能率な国だと思いました。 しかし今回、ヨーロッパ北部のゲルマン系の社会に行ってみると、これは実にカッ チリした社会だという印象を受けました。列車もほとんど遅れずに動いていました 。 よく「車もこないのに赤信号だと道路を渡らないのは日本人だけだ」という話があ りますが、今回の3カ国では ほとんどの人は赤信号を守っていました。(もちろん全員がそうだというのではあ りませんよ)

・古い石造りの街にあらためて圧倒される
なんど行っても、ヨーロッパの古い石造りの街並みには驚かされます。 どの街も市の中心部には日本でいえば江戸時代ごろの古い街並みが残り、ベルリン なんか戦争で徹底的に破壊されたのに、また同じように再現しているのです。その中で古い建物がそのまま市役所や商工会議所や国会、裁判所、中央銀行などとして 、現役で使われているのです。日本のようにどんどん新しいビルがたつようなこと はありません。東京の官庁街や銀座などが、江戸時代の街並みのまま残っているよ うなものです。 ベルリンは首都機能が旧西ドイツのボンから移ってくるために、昔の「ベルリンの壁」のあとを中心に都市再開発がおこなわれ、そこらじゅう工事していましたが、 これも古い建物と新しい建物をたくみにくみあわせているのでした。 そしてどの街にも市街の中心部に広大な公園・森があるのです。ベルリンは人口3 00万人を越える大都市なのですが、中心部から電車で10分もいくと、もう深い 森がそこらじゅうにあるのです。 この石造りの街並みには、現在の私でさえ圧倒されるのですから、明治時代にヨー ロッパを訪れた政治家や学者たちはさらに何倍も圧倒され、「おくれた日本」を実 感して帰ったことでしょう。

・なぜ北欧諸国はあんなに豊かになったのか?
デンマークやスウェーデンなどの北ヨーロッパの国々は充実した福祉政策で有名で す。 列車に車椅子はもちろん、ベビーカー、自転車もそのまま乗せられます。私は見て いませんが、観光案内所のパンフレットには、障害者用のパンフレットも常備して あって、各種の障害にあわせて(各種アレルギーの人についても)施設の利用方法 が説明してあるということです。地下鉄駅でもいちばん利用しやすい場所にエレベ ーターが何台もありました。一方で消費税25%など、税金は非常に高く、物価もほとんど日本なみかそれ以上 です。しかしよく言われるような「高福祉政策のせいで国民が無気力になっている 」といった感じは私は受けませんでした。
それにしても北ヨーロッパの国々はヨーロッパの中では辺境で後進地帯であり、たとえば広い植民地を持っていたこともありません。現在もそんなに工業国というわけでもありません。高い物価と高い人件費で、国際的にも競争力は弱いはずなのに 、どうしてあんな豊かさを実現できたのか、非常に不思議です。

・強制収容所に行って
ベルリンの郊外にあるザクセンハウゼン収容所跡に行きました。ここはナチスが政権をとった1933年に最初につくられた強制収容所で、反ナチスの政治犯の他、 ユダヤ人、ジプシー、障害者、ソ連軍捕虜などが収容され、殺された場所です。1 945年のドイツ敗戦後、今度はここを占領したソ連軍が強制収容所として195 0年まで使い、その後国立博物館として保存されてきました。しかし1990年の ドイツ統一までは「共産主義のファシズムへの勝利」を記念する展示があこなわれていたため、ドイツ統一後展示内容は大幅に改められています。ユダヤ人が収容さ れたいた建物のひとつは、1992年にイスラエルのラビン首相が訪問した直後、 右翼団体ネオナチの襲撃をうけて半分破壊されました。その破壊された半分の部分 が展示室になっていました。

・ベルリン映画をやっていました。
そこで森田芳光監督の「刑法第三十九条」を見ました。エンドタイトルのときに突 然音楽が流れなくなり、挨拶に立った森田監督はいかりくるっていました。ベルリ ンユースホステルではこの映画祭を見にきた各国観光客も多く、私と同室になった ドイツ人青年も分厚いチケットの束をもっていました。 ベルリン郊外のポツダムは戦前のドイツ映画の中心地だったところで、映画博物館 があり、ちょうどレニ・リーフェンシュタールの特別展をやっていました。レニ・ リーフェンシュタールはドイツの有名な映画監督で、ナチスの党大会の記録「意志 の勝利」やベルリンオリンピックの記録「民族の祭典」などの傑作を撮っています 。戦後は写真家としてアフリカのヌバ族を撮り、現在は海洋写真家として活躍して います。 会場では彼女へのインタビューを上映していましたが、これがひとつひとつ の映画、ひとつひとつのシーンをとりあげるとてもくわしいもので、私は閉館まで ねばっていましたが、とても全部見れませんでした。質問は時々、ナチスへの協力 についてふれ、彼女もはげしくそれに反論していました。 日本もかつてドイツ以上の映画大国だったのですが、さて、映画博物館なんてきい たことないですねえ。

・博物館の展示方法に感心
ストックホルムの「スカンセン」は日本の明治村のような野外博物館です。むかし の建物が移築されているのですが、明治村とちがうのは、ほとんどがふつうの民家 で、それぞれに当時の服装をした人が当時の生活を再現しながら、説明してくれる のです。農家では牛や馬、羊、鶏などが実際に飼われているという規模の大きさな のでした。 コペンハーゲンの国立博物館には歴史、民族、美術などの展示の中に、「国連と人権」というコーナーがあり、さまざまな人権問題について展示されていました。ま た「子ども博物館」というコーナーもあって、むかしの建物の中で、実際に昔のも のを使ったり、服を着てみたりすることができるようになっていました。

北朝鮮(1999年5月)
ゴールデンウィークに3泊4日の北朝鮮ツアーに参加してきました。 北朝鮮旅行については、「入国できるの」「拉致されるんじゃないの」「食べ物が ないのでは」など、さまざまなことをいわれましたが、まったく心配は無用であり ます。豪華ホテルにとまり、専用の運転手と通訳つき、のみ放題食い放題です。た だしツアーでしか入国できませんし、料金は高い(20万円あまり)し、つねにガ イド(監視員)つきで、自由に個人旅行ができるわけではありません。
首都ピョンヤンとケソン、そして板門店を見物してきたのですが、印象としては、北朝鮮の現在の独裁社会主義体制は、そうかんたんに崩壊するものではなさ そうです。車も自転車もすくなく、人々はとにかく歩いているし、ビルの明かりも 極端にすくないのですが、すくなくともピョンヤンでは食料は充分ありそうでした 。(ピョンヤンは選ばれた人しか住めないそうですが)。休日に公園で弁当を広げ ている人々や遠足でゲームをしている子供たちの様子などを見る限り、「戦争前夜 」という緊迫した雰囲気は感じませんでした。(もちろんそうした人々がみんな演 出だった可能性もありますが)。
次は南北が統一されたときに行ってみたいものです。その時今の体制が、北朝鮮の 人々にどう評価されるのでしょうか。 これで日本の隣国には全部行ったことになります。次は旧日本領だった南カラフト 、 パラオ諸島や、中国東北部(満州)などに行きたいものです。

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