2000年の旅行報告

<中国東北部・旧満州(2000年2月)>
中国の東北地方はむかし日本が植民地 支配をしたところです。日本が日露戦争でたくさんの兵隊を無駄死にさせた旅順の戦 場跡や、細菌兵器の人体実験をした731部隊の跡地や日本がつくった満州国の首都 長春(当時の新京)の関東軍司令部やら何やらの役所跡の建物群や、皇帝溥儀のくら した宮殿跡や、撫順にある巨大な炭坑の露天掘りや、日本の軍人などの戦争犯罪人を 収容していた刑務所あと(ここに戦犯として収容されていたもと日本軍人の人から は、以前私は直接話を聞いたことがあります)や、日本軍が村人を大虐殺して埋めた 遺骨がそのまま保存されているところなど、社会科の教師はぜひ訪れるべきところが たくさんあります。(どこに行っても人々は中国共産党のすばらしい指導のもとに日 本帝国主義に英雄的に抵抗したことになっています)
私は5年前にも中国の北京、上海、西安(昔の長安)に行きましたが、その時はとて つもない大混乱の有り様が強く印象に残りました。いくら改革、開放政策で経済発展 を続けても、一部の沿岸都市だけならすぐに発展できるにしても、本当に中国全体が 経済的に高度成長をとげるのは、ものすごく先のことのように思ったものです。しか し今回は、この5年間で、日本の高度成長期の10年分かそれ以上は急激に発展しつ つあるように感じました。もちろん今回行ったのも一部の都市だけなのですが、前回 の旅では車掌から切符を買うのも一苦労だった市内バスはどんどんワンマン化されて いるし、駅の切符売り場はコンピューターで発券するようになって、以前のような長 蛇の列はなくなってしたり、腹の立つ外国人料金もなくなり、スーパーマーケットも めずらしくなくなり、巨大なショッピングセンターが各地にできて、全く日本とおな じようにモノが売られている有り様でした。バレンタインデーには巨大なチョコレー ト売り場も特設されていました。日本と同じように若者の中には髪の色を変えている 人々も増え(前回は全く見なかったように思います)、日本から流行が伝わったらし い厚底の靴をはく人も目立ちました。携帯電話も日本の十分の一くらいには普及して いるようです。狭くて暗かった北京空港に比べると、今回行った大連空港のターミナ ルビルは全く日本やアメリカなどの空港と変わらないかんじでした。北京空港も現在では新ターミナルができているということなので、同じではないかと思います。
このような経済成長が続いていくと、そのうちには現在の韓国や台湾のように民主化 が進んでいくのでしょうか。またほんの20年ほど前まではこの国も現在の北朝鮮の ような鎖国国家だったことを考えると、そのうちには北朝鮮も現在の中国のようにな る、といえるのでしょうか。
中国国内の英字新聞を読むとちょうど中国政府が「人権白書」を発表したことがのっ ていました。その内容は「中国ではこの50年間に劇的に人権保障が進んだ」という のですが、その根拠はおもに人々の生活水準や医療状況が向上したことであるようで す。チベットについても、同じように昔の悲惨な状況と現在が比較されているのです が、もちろんインドに亡命したダライラマなどのことは全く触れていませんでした。 しかし一方で香港や台湾の音楽などはどんどん入ってきており、外国からの観光客や 進出企業も増えているのですから、今後さらに情報流通がさかんになっていけば、今 の独裁的な政治がそういつまでも続くとはおもえません。 また何年かあとには行って見たいと思います。

<ベトナム(2000年4月・5月)>
現在のベトナムは外国人観光客にとって非常に旅行しやすい国です。外国人用のホテルや旅行社がたくさんあり、外国人用の長距離バスや観光ツアーもたくさんあって、英語さえできればほとんど不便はありません。もちろん日本人観光客も多いのですが、白人、特にアメリカ人観光客も目立ちます。彼らアメリカ人たちが唯一戦争に負けた相手であるベトナムを、どういう気持ちで旅しているのか、またかつて激しく戦った相手のアメリカ人たちを、ベトナムの人々がどういう気持ちで迎えているのか、なんだか不思議な感じがします。
ちょうど4月30日のベトナム戦争終結25周年の日にホーチミン(旧サイゴン)にいて、記念のパレードを見物しました。それは北ベトナム=共産党に指導された社会主義勢力の勝利の日だったわけですが、それまで経済の実権を握っていた中国系の人々は迫害され、多くの人々が「ボートピープル」となって国外に脱出しました。ところがその後の社会主義政策の失敗でベトナムの経済は破綻し、「ドイモイ」とよばれる改革・開放が行われた結果、ほとんど資本主義が復活しているように思えます。外国からの投資の中心となっているのはかつて脱出していった中国系の人々の資本なのだそうです。社会主義の実現に命をかけて戦った人々や、迫害された中国系の人々は、現在の状況をどう思っているのでしょうか。また、現在でも北ベトナム出身者が政府の実権を握っており、南の出身者は出世しにくい、という話も聞きました。
ホーチミン近郊には、当時の南ベトナム解放戦線が使っていた地下トンネルが残っていて、観光地となっています。ベトナムの人々は圧倒的な物量のアメリカ軍に対して、こうした地下トンネルで対抗し、最終的には勝ったのです。かつて日本軍も沖縄や硫黄島などで同じような作戦をとりましたが、アメリカ軍に勝つことはできませんでした。この差は一体なんだったのでしょうか。

<ミャンマー=ビルマ(2000年9月)>
3連休の前後を休んで5連休にして、行ってきました。
個人旅行者は入国するときに200ドルを強制両替させられることになっていて、私 も両替所に連れて行かれました。観念して200ドルを差し出したのですが、係員の方から「いくら両替したいか」というのです。結局ワイロを15ドルとられて50ド ルだけの両替ですみました。他にもワイロ10ドルで100ドルで済んだ人などいろ いろで、いくら政府が不合理な制度をつくっても、現実はこうなってしまうのだ、と いうことがよくわかります。
経済的には破綻した国なので非常に物価は安く、1日に10ドルとはいりません。 イギリス植民地だったにもかかわらず車は右側通行なのですが、実際に走っている車 の99%は右ハンドルという奇妙なところです。車の9割くらいは日本の中古車で、 中には日本語の塗装そのままで走っているものもあります。トラックの荷台を改造し たバスに人が鈴なりにぶら下がって走っているほか、長距離バスなどは日本の高速バ スがそのまま走っていたりもするようです。しかしパンクや故障も多く、道も悪いの で長距離移動はかなり大変だと多くの旅行者が言っていました。
ビルマ人はもともと中国の雲南地方から南下してきたのだそうですが、完全に日本人 と同じ顔つきの人が多いです。他にも中国系、インド系の人がたくさんいます。しか し人種を問わず男女の別なく、ほとんど全員がロンジーという巻きスカートをはき、 ゾウリをはいて歩いているので、外国人は一発でわかります。男もスカートなので、 立ちションではなく座ってションベンをしていました。また女性や子どもはタナカと いう木の液を顔に塗りつける独特の化粧をしています。日本で和服やチョンマゲ、お 歯黒が現在でも残っていたらこんな感じでしょうか。将来政治が民主化され、経済が 自由化されて、外国との交流がさかんになったら、こうした独自の文化はどうなるの でしょうか。
男性は一生に一度は出家することになっているそうで、坊さんがたくさんいます。夕 方、「明日、坊さんにあげるごちそうをしっかりつくろう」といった放送がスピー カーで流され、朝、坊さんたちが行列してやってくると、人々がおそなえをするのです。しかしもちろん、坊さんたち全員がきちんとまじめに修行している、というわけ ではないようです。
政治は独裁的ですが、そのため治安は非常によい国で、一人で外国人が歩いていても 全く心配はいりません。日本が戦争した国のひとつなのに、対日感情は非常によく、 「日本人だ」というと、ウケがいいのです。日本の戦争がイギリスの植民地支配から 独立するキッカケになったのはたしかなのですが、それにしても日本軍が当時この国 でそんなにいいことばかりしていたわけではありませんし、戦争末期には日本軍と独 立ビルマ軍の間で戦闘もおこっています。このへんは誤解に基づくものなのか、よく かわりません。
テレビは一般的ではないようで、郊外の村ではテレビのある家の前に子どもたちが群がっていました。映画館はにぎわっていて、インド映画や香港映画、そしてやはりハ リウッド映画が多いようです。ミャンマーの映画もやっていて、私も見ましたが、一 部インド映画のような歌も入っていて、けっこう面白かったです。

<イタリア(2000年11月)>
11月末というシーズンオフだったのですが、実にイタリアには日本人観光客が多く て、団体客全体の4割くらいは日本人だったのではないかと思います。団体客の数で いえば地元のイタリア人を圧倒していました。どこへ行っても日本語のガイドの説明 を聞くことができました。もちろん私が行ったのはイタリアの中でも代表的な観光地 だけなので、他の地方では事情はちがうでしょうが。
首都ローマはともかく、フィレンツェやベネチアなどは人口30万人程度の小都市で す。たぶんこの規模の都市としては世界でいちばん有名なのではないかと思います。 しかもこの両方とも中世の街並みがほとんどそのまま残っているのでした。高いビル や近代的な建物はありません。日本にも昔の町並みが残っているところがあります が、規模はぜんぜん違います。 ベネチアは有名な運河の街で、自動車はありません。たぶん自動車のない世界最大の 都市でしょう。人々はどこへ行くのにも船に乗ったり運河を渡る高い橋の階段を登ら なくてはならないので、老人や身体の不自由な人にはかなり住みにくそうです。

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