詩のようなもの
オレは人間が大切にされる世界に住みたい (1999年8月31日)
みなさんにほんとうに本気でお願いすること
(1998年12月21日、教え子が16歳で死んだ日に)
2000年に二十歳になるきみたちへ (1993年12月 当時担任していた中学1年生に対して)
愛の必要 (1991年12月)
胎内めぐりの暗闇の (1989年6月)
オレは人間が大切にされる世界に住みたい
オレは自分の権利が大切にされる世界に住みたい。
オレという人間が平気で踏みつけにされて、
ボロキレのように捨てられるような世界には住みたくない。
そんなことは、とうていがまんできない。
オレには他人のことなんかどうだっていいんだ。
とにかくオレはオレの権利が大切にされる世界に住みたいんだ。
オレは自分の権利が大切にされる世界に住みたい。
だからオレは、他人の権利が大切にされる世界に住みたい。
どこかにだれか、踏みつけにされている人がいたら、
どこかにだれか、ボロキレのように捨てられる人がいたら、
いつオレがその人と立場が入れかわるか知れたもんじゃないからさ。
だからオレは、みんなの権利が大切にされる世界に住みたい。
オレは自分の権利が大切にされる世界に住みたい。
だからオレは、少数派の権利が大切にされる世界に住みたい。
なぜなら、オレだって(だれだって)少数派みたいなものだからさ。
オレは老人の権利が大切にされる世界に住みたい。
なぜなら、オレだって(だれだって)かならず老人になるからさ。
オレは障害者の権利が大切にされる世界に住みたい。
なぜなら、オレだって(だれだって)いつ障害者になるかわからないからさ。
オレは外国人の権利が大切にされる世界に住みたい。
なぜなら、オレだって(だれだって)外国に行けば外国人だからさ。
オレは犯罪の容疑者の権利が大切にされる世界に住みたい。
なぜなら、オレだって(だれだって)いつ犯罪の容疑者にされるかわからないからさ。
オレは犯罪の犯人の権利が大切にされる世界に住みたい。
なぜなら、オレだって(だれだって)いつ犯罪者になってしまうかわからないからさ。
もちろん、もしオレがなにか罪をおかすことがあったなら、
その罪はきちんとつぐないたいけれど、
いくら犯罪者でも、刑務所の中でボロキレのようにあつかわれるのはいやだからさ。
オレは犯罪の被害者の権利が大切にされる世界に住みたい。
なぜなら、オレだって(だれだって)いつ犯罪の被害者になるかわからないからさ。
オレは女性の権利が大切にされる世界に住みたい。
なぜなら、オレだって(だれだって)女から生まれたのだし、
人口の半分以上の人々の権利が踏みにじられているような世界なんて、
どう考えたってまっとうな世界じゃないからさ。
オレは子どもの権利が大切にされる世界に住みたい。
なぜなら、オレだって(だれだって)昔は子どもだったし、
いいかげん世の中に腹をたてていたからさ。
(今だって腹をたてているけど)
「そんなのは理想論だ」だって?
もちろんそのとおりさ!
だけどあんたは、自分がボロキレみたいにあつかわれても文句を言わないらしいな。
オレはそんなこと、ぜったいに納得できないぜ。
「人間はそんな理想が実現できるほどカシコクない」だって?
もちろんそのとおりさ!
だけどあんたは、そんなことが言えるほどエライのかい?
「かしこいエリートがバカな大衆をみちびく」だって?
そんなこと言ってるあんたこそ、正真正銘の大バカさ!
かしこいエリートたちがどんなに大失敗をしまくってきたか、
ちょっと過去をふりかえればわかるだろうに。
第一あんた、自分のことをえらばれた立派なエリートだとでも思っているのかい?
それともあんたもバカな大衆の一員で、
手とり足とり何から何まで教えてもらうつもりかい?
人間はほんとうに救いようのないバカばっかりさ。
だからこそ、時には信じられないほどすごいことをやるんじゃないのかい。
「責任能力のないヤツには権利はない」なんて、ホントに言っていいのかよ。
オレたちだってちょっと前までそう言われていたんだぜ。
「アジア人は子どもといっしょだ」なんてね。
だいたいあんたに、ホントの責任能力なんかあるのかい?
この世界にだれか、カンペキな責任能力を持ってるヤツがいるっていうのか?
「子どもの人権なんていうから、甘ったれたヤツがふえる」だって?
もちろんそのとおりさ!
だけどあんたはカタにはめて育てられても、なんの疑問も感じなかったらしいな。
オレはそんなのまっぴらごめんだぜ。
最初に「人権」を発明したのはとおい国の金持ちの男たちで、
他の連中(オレはもちろん)は<子どもあつかい>だったのさ。
「おまえらには『責任能力』なんかない」
「おまえらのことはこっちでよく考えて保護してやるから安心しろ、文句をいうな」
なんて言われて、実際にはボロキレのようにあつかわれてきたんだぜ。
そのあとのながい歴史の中で、
たくさんの人々が苦労した結果、
貧乏人にも、女にも、アフリカ人にも、オレたちにも、
障害者にも、老人にも、少数民族にも、
だんだんとオコボレが広まってきたってわけだ。
もちろん中には特別に保護されるべき人々もいるだろうさ。
障害者、老人、そして子どもなんかは特にそうだろうさ。
だけどそういう人たちにも、
自分の考えを主張し、自分のやりたいことを選ぶ権利があるのさ。
なんでも他人に言われたとおりにするなんて、
そんなことに耐えられる人間なんかいないのさ。
<子どもあつかい>される人々がへってきて、
最後に残されているのが<子ども>なんだ。
<子ども>の権利を大切にすることが、
<みんな>の権利を大切にすることになるんだ。
<子ども>の権利を大切にすることは、
<人間>が大切にされる世界の完成になるんだ。
それはつまり、<オレ>の権利が大切にされるということなのさ。
オレは子どもの権利が大切にされる世界に住みたい。
オレはオレの権利が大切にされる世界に住みたい。
オレはオレが大切にされる世界に住みたい。
オレは人間が人間を大切にする世界に住みたい。
オレは人間が人間を大切にする世界に住みたい。
これはネゴトさ。
だけど本気で言ってるネゴトだぜ。
オレは人間が人間を大切にする世界に住みたい。
そう本気で思っているんだぜ。
ところで、あんたはどうなんだい?
(1999年8月31日)
みなさんにほんとうに本気でお願いすること
みなさんは、 これからちょいと長いあいだ、生きていくわけですから、
いろんなことがあるわけです。
もちろん、いいことばっかりではありません。
病気になったり、ケガをしたり、
とんでもない大失敗をしたりするでしょう。
もしかすると、牢屋に入れられることだってあるかもしれません。
そのたびに、いろんな人がいろんなことを言うでしょう。
「ちゃんと反省しろ」
「希望を持って前向きに生きろ」
「あいさつをきちんとしろ」
「遅刻するな」
・・・・・・・
なんてね。
もちろん、それなりに大切なことばかりです。
でも、みなさん、
ほんとうにとりかえしがつかないことは、そんなにたくさんはありません。
実際のところ、
ほんとうにとりかえしがつかないことは、ほんのすこししかありません。
ほんとうにとりかえしがつかないことは、いのちをなくすことだけです。
いのちをなくしてしまったら、これはどうしようもありません。
ほんとうにとりかえしがつきません。
なにをしたって、どうなったって、
死んでしまったらどうにもなりません。
勝負は生きているうちだけなのです。
生きていさえすれば、たとえうまくいかないにしても、
自分のやりたいことに挑戦できるのです。
自分の生きたいように生きようとすることができるのです。
もちろんそれは失敗ばかりです。
思いどおりにいくことなんか、なにひとつありません。
それでも、
勝負は生きているうちだけなのです。
生きていさえすれば、どうにかなるのです。
生きているからこそ、どうにかなるのです。
だから、みなさん、
人殺し以外なら、どんなことをしてもいいのです。
泥棒しようが、ウソをつこうが、病気になろうが、他人に大文句をいわれようが、
なにをしたって、どうなったって、
死んでしまうのにくらべりゃ百万倍マシなのです。
殺してしまうのにくらべりゃ百万倍マシなのです。
だから、みなさん、
自分のいのちを、ほんとうに本気で大切にしてください。
(戦争で、事故で、犯罪で、自殺で・・・・・死ぬな!)
他人のいのちを、ほんとうに本気で大切にしてください。
(戦争で、事故で、犯罪で、自殺で・・・・・殺すな!)
私がみなさんに、ほんとうに本気でお願いすることはこのふたつだけです。
(1998年12月21日、教え子が16歳で死んだ日に)
2000年に二十歳になるきみたちへ
(1993年12月 当時担任していた中学1年生に対して)
きみたちがうまれたのは、
そろそろ「世紀末」ということばが
使われはじめたころだった。
高度成長もオイルショックもおわり、
この国のひとびとは、
ながいあいだ親しんできた貧乏に、
さいごの別れを告げようとしていた。
きみたちの幼年時代にはまだ、
なにかを正しいと信じている人たちがいて、
そのために殺したり、殺されたり、
戒厳令がしかれたり、ゲリラが人質をとったり、
他の国に戦車をおくったり、
飛行機が撃墜されたり、
そりゃあいろいろなことがあったものだ。
きみたちが小学生だったあいだに、
世界は大きく変わりはじめた。
今まで正しいと信じられていたもの、
けして変わらないと信じられていたもの、
当分は解決できないと思われていた問題が、
あっけなく消えてなくなってしまった。
国境がなくなったり、
あたらしい国ができたりした。
もうすぐすべての対立やあらそいがなくなり、
すばらしい未来がやってくるようにも思われた。
いま、きみたちは中学生。
世界ではまだ、たくさんのひとたちが、
あらそい、にくみ、ころしあっている。
かえって、
ひとつの目標にこころをあわせることができずに、
ひとびとの心はバラバラに、
無気力で無秩序になり、
あらそいははげしくなっているようにも見える。
生きていくことはあいかわらず苦しい。
やがて2000年にははたちになるきみたち。
老人たちはむかしのまずしさやきびしい苦労を、
自慢したり懐かしがったりしているが、
そんなまやかしににはだまされるな。
歩いていく未来はあいかわらずきびしくくらい。
けれど、
もうわたしたちは 足を踏み出してしまったのだ。
ほんとうの愛とゆたかさは、
はるかなかなたにあるとしても。
わたしははきみたちに、
絶望しつつも期待している。
愛の必要
中学1年生が教室で涙するのを見るとき
「死ね、ぼけ、あほ」ということばを耳にするとき
生徒のけんかを引き分けるとき
暴言の嵐をあびせられるとき
学校を休んでいる生徒の家を訪問するとき
「うちの子は絶対悪くない」という親と話すとき
生徒を殴ってしまったとき
生徒に殴られてしまったとき
話している相手との間に壁を感じるとき
怒号を発しながら授業をはじめるとき
雑然たるままに授業をおわるとき
教科書の内容をむなしいと思うとき
自分の力のなさにうんざりするとき
仕事につかれをおぼえるとき
更衣室でたばこを発見するとき
強引に生徒を説教するとき
教師をやめてしまいたいと思うとき
いつか、人間に連帯と協力が必要になるとき
世界が破滅のふちにたたされているとき
ビートルズの歌を聴き直すとき
チャプリンの映画を見るとき
飢餓と戦争のニュースを聞くとき
自分の将来を思うとき
自分の家族を思うとき
きもちのよい人に会ったとき
うつくしい風景にであうとき
楽しさに時のたつのも忘れるとき
昼休み、騒然たる教室の片隅でつぶやく
もっと、もっと あふれるばかり
世界には愛が必要
(1991年12月)
胎内めぐりの暗闇の
胎内めぐりの暗闇の
どうどうめぐりのその果ては
母の陰道この先と
やみくも手さぐりゆく末に
母の真白き乳汁を浴びて
赤子の如き叫びもて
母の乳下三寸に
どっと噴き出る赤い血の
母の心臓切り裂かず
この細道は戻れまじ
(1989年6月)