指導要録公開についての考え (1994年8月)
先日ニュースを見ていたら、ある医療事故の被害を受けた患者が、病院のカルテの公開
を求めて1年以上にわたる交渉の結果、それに成功したという話題をやっていた。公開さ
れたカルテは患者の症状、診断、手術の経緯、術後の経過など、非常に詳細なものだった
という。
ニュースでは、この話題をカルテの公開の是非へと展開し、「患者には自分の病気につ
いて正確な知識、情報を得る権利があり、カルテは本来患者のためにあるものだ」という
患者側の主張を伝えていた。
学校には、生徒ひとりひとりの成績、出席日数、行動などを記録する「指導要録」があ
る。この「指導要録」が高校などへ進学する場合の「内申書」の原簿とされている。
「内申書」に対する生徒や親たちの恐怖と不信の念は非常に大きいものがあって、実際
に「内申書」を口にして生徒を脅す教師も中にはいるらしい。そこで各地で自分の「内申
書」や「指導要録」の公開を求める動きがおこってきた。そして実際に公開された例もふ
えてきている。
文部省は「指導要録」を原則非公開とし、たとえ本人が教師になって、自分が生徒だっ
た時の「指導要録」を見たがったとしても、建前としては見られないことになっていた。
しかし最近、より公開しやすいように書式をかえてきた。私がもらった「指導要録の書
き方」によると、教師の所見を書く場合には「生徒の長所を取り上げることが基本となる
よう留意する」となっており、例えば「学習の記録」の所見では、「(1)生徒個人とし
て比較的優れている点など、各教科の学習全体を通して見られる生徒の特徴。(2)学習
に対する努力、学習意欲、学習態度など。(3)学年当初と学年末を比べ、進歩が著しい
教科についての状況。(4)生徒の体力の状況及び学習に困難を及ぼすような生徒の健康
状況。(5)生徒の履修困難な教科について特別の処置を取った状況など」を記録するよ
うになっている。どうも文部省は「生徒をほめるようなことばかり書いておけば、公開し
ても文句をいわれずにすむだろう」と考えているようだ。
「内申書」については、以前から生徒の長所のみを針小棒大に書きたて、よほどのこと
がないかぎり生徒の欠点や短所は書かないということが、徹底して行われてきた。時には
受験する学校によって提出する書類を差し替え、成績を操作して少しでも有利にしようと
いうことも行われている。高校の側でも「内申書」の記述内容など、ほとんど信用してい
ないという。
しかし実際には、「指導要録」が「内申書」の原簿になるということは、物理的にあり
えない。「内申書」は入学試験の前、1月ごろには書いてしまって高校に送りとどけなく
てはならない。ところが「指導要録」はふつう学年の終わり、3月ごろに書くものだ。そ
こで現実の学校現場では、すでにつくってある「内申書」を参考にして「指導要録」を書
くということがひろく行われている。
「指導要録」は普段校長室の金庫にしまわれており、記入する時とか、教育委員会など
の監査の時だけ出して見るのがふつうである。生徒が卒業してしまえば、2度と出して見
るようなことはない。その生徒がもう一度高校を受験し直すとか、卒業証明が必要だとい
うような特別な場合以外には役に立つこともない。私はいつも、卒業証書と「指導要録」
ほど仰々しくて非常に多くの労働量を必要とするくせに、ほとんど無意味な書類はすくな
いのではないかと思ってきた。教師たちの多くもそう考えているためか、または学期末の
非常に忙しい時期に作成するのが常であるためか、「指導要録」の記述内容など、ものす
ごくいい加減であることが多い。
裁判に訴えて「指導要録」の公開をかち取った人も、その「指導要録」の内容があまり
にそっけないので拍子抜けしたという感想をのべていた。
患者のカルテは病院ごとに作成される。その病院にかかる以前にその人がどんな病気や
ケガをして、どんな治療を受けてきたか、または現在他の病院でどんな治療を受けている
かということは、患者が口頭で伝える他にない。しかも患者は自分の今までの診療歴につ
いて、他の病院の医者が口で説明してくれたことを、自分の理解した範囲でしか説明でき
ないのだから、必ずしも正しい情報を伝えることができるとはかぎらない。
私はカルテは病院ごとではなくて、患者ごとに作るべきではないかと思う。できればそ
の人が受胎した時に新しいカルテをつくり、その人の成長に従って、かかった病気、おこ
したケガ、そのそれぞれについての医者の所見、処置、その後の経過など、身体の成長の
状況、検査の結果、歯の生えぐあい、薬の処方箋など、健康にかかわるすべてのことを記
録していく。
そしてこのカルテは患者が自分で保管し、新しい病院にかかる時には、自分でカルテを
病院へ持って行く。薬局で薬を買う時にも使える。患者は自分の身体の状況について、常
に正確な情報を得ることができるし、医者や薬剤師、看護婦などはそのカルテを見て、い
ままでの病歴と現在の症状との間の因果関係を探ることができる。薬の副作用の予防など
にも役立つだろう。必要ならば各病院でそのカルテのコピーをとっておけばよい。
さらにこのカルテは健康保険の保険証がわりにもできる。日本中の病院、薬局で共通し
たコンピューターネットワークをつくり、患者はフロッピーディスクひとつを持って歩け
るようにしておけばさらに便利である。
現行のカルテと同じように、「指導要録」も学校ごとに作成されている。生徒が進学し
たり転校したりすれば、「指導要録抄本」などのコピーは送られてくるが、原本は各学校
に保管される。
この「指導要録」もコピーも、非常に利用しにくくつくられているうえ、記録されてい
る情報量もすくなく、いいかげんに書かれている場合も多い。「指導要録」や「指導要録
抄本」を読んだだけでは、その生徒について具体的なことはほとんどわからない。
しかもこれらの「指導要録」や「指導要録抄本」は、普段はすべて校長室の金庫に保管
されているので、日常的に見ることはできない。教師はその生徒の成育歴をほとんど知ら
ず、あまつさえ去年はどんなようすだったのかも分からず、担任してはじめてその生徒を
知り、しばらくして「あの子は去年どんな風だったんですか」と同僚や小学校の教師に聞
いてようやく情報を得る。そして日常的に必要な情報は、それぞれの教師が「指導要録」
とは別に、個人的に記録して保管している。
「指導要録」などという仰々しく利用しにくいものではなく、病院のカルテのように必
要な情報が一括して入っており、日常的に利用できるものがあればよいのではないか。
この「カルテ」には、小学校に入学してから現在までのその生徒の学習状況、家庭環境
表彰されたことや活躍したこと、健康の状況、指導上注意しなくてはならないことなど、
とにかく必要と考えられる情報はすべて集中的に記録しておく。この記録は担任のみなら
ず教師であればだれでも利用したり、新しい情報を加えることができるようにしておく。
専門の情報検索システムも必要だし、各学校に、こうした情報を管理する専門職の人が最
低1人ずつは必要となるだろう。
さらにこの記録は、親や本人にも公開されたものでなくてはならない。純粋に教師が指
導する上での注意事項として、本人や親にも伝えない方がよいものを除き、それ以外の情
報は定期的に生徒本人や親にも公開すればよい。これを現行の「通知票」のかわりにする
こともできる。この定期的な公開のたびに、本人や親からの情報、学校側の情報や評価に
対する反駁資料、自己評価なども、そのつど記録に加えていくことができる。
そしてこの記録そのものも、本人が学校教育を終える時点で生徒自身に引き渡してしま
うことにすればよい。生徒が学校に在籍していたという資料だけ、学校にコピーして保存
しておけば不都合はあるまい。
このような情報の集積は、その情報の利用の仕方次第ではプライバシーの侵害となるお
それもあるが、それは運用の仕方次第で避けられる危険である。現在のように非能率で非
合理な学校社会を温存し続けるよりは、ずっとマシな方法であり、しかも非常に安価に、
簡単な労力によって維持できる、すぐはじめられる教育改革ではないかと思う。