Back

華麗なるフィラデルフィア・サウンド体験

「フィラデルフィア・サウンド」この輝かしい響きを、日本の多くの音楽評論家たちは「ただ音が大きくて奇麗なだけだ」と批評します。しかしながら、客観的で分別のある一部の評論家は、考え得るあらゆる言葉でもって褒め称えます。そして、「この音は録音には入りきらない」と...

私がオーマンディにめぐり逢ったのは、1989年のことです。それまで、クラシック音楽に興味を持ったこともありませんでした。オーマンディは、最後の来日が1981年、ガーネギー・ホールにおける最後のコンサートが1984年、そして、1985年3月12日に永眠しました。したがいまして、私はオーマンディが指揮するフィラデルフィア・サウンドを生で聴いたことオーマンディ 1978がないのです。

1993年には「サントリーホール」で、1996年には「ザ・シンフォニーホール」、1999年には「みなとみらいホール」で、フィラデルフィアの来日公演を聴きました。しかし、感動はしたものの、当然のことながらそこには「これがフィラデルフィア・サウンドかぁ」といった類いの音は存在しませんでした。もう、今となっては「入りきっていない録音」を聴きながら想像するしかないのです。

そこで、ここではオーマンディが指揮する本物の「フィラデルフィア・サウンド」を体験したことのあるみなさまからの感想を募集したいと思います。私にとっては本当に羨ましい方々、ぜひ感想をお聞かせ下さい。お待ちしております。


E-mail  PostPet


あいざーまんさん

1978,81

私がオーマンディの実演に接したのは、1978&1981年でした。特に77&78年は実は生涯最も充実した海外のオケの実演に接した時期で、(1977)ベーム&VPO、ハイテインク&ACO、ショルティ&シカゴ、ムラヴィンスキー&
レニングラード、カラヤン&BPO(1978)オーマンディ&フィラデルフィア、マゼール&フランス国立、マゼール&クリーヴランド、スイトナー&ベルリン国立歌劇場というふうに聴いていた時期でした。そのためオーマンディ&フィラデルフィアを他の団体と否応なく比較して聴くこととなってしまいました。

結論からいうと、オーマンディ&フィラデルフィアはこれら団体となんら劣ることの無い、きわめて情報量が巨大でしかも見事なオーケストラ・アンサンブルを誇る団体でありました。特に弦の風圧をともないながら、「透明感のある色彩的」な響きと、その巨大な壁のように立ち上がる弦ごしに聴こえる美しくブレンドされた管楽器の響きは、なんともいえない絶妙なものでした。そして「ここ」というときに弦の壁とともに客席にすり足のように、しかも「重くひきずった感覚は皆無の」音が、大きくグングンとせりだしてくる様はこの団体だけのもので、しかもそれが目的ではなく、ひとつの手段として用いられているというところに感心し、そして驚嘆したものでした。このオーケストラ・コントロールの力というものはとにかく凄いものがあり、そう意味でムラヴィンスキーとレニングラードがこの時イメージとして浮かんできたものでした。

たしかにオーマンディは1936年、ムラヴィンスキーは1938年からそれぞれの手兵と約40年かかわっており、両者ともあたりまえといえばあたり前なのでしょうが、とにかくそのオケとの一心同体ぶりは完璧という気がしたものでしたが、考えてみるとこの両者、とてもよく似た指揮者だと思います。両者ともにトスカニーニを尊敬し、弦に対して驚くほどの鋭敏な感覚を持ち、巨大な情報力とスケールを持ち、そしてそれぞれの「国」らしい音を最ももったコンビというところです。録音に対しては決定的に違うものの、これだけ共通点を持っているのはたいへん珍しいというべきでしょう。

ただ不幸にして日本はオーマンディの持つ明るくやや華やかな音質を、「楽天的」ととらえ、さらにそれを「浅薄」というふうに無意識のうちにすりかえていったふしがあり、しかもそれがいつのまにか評の主流をなし聴く前から多くの人達に先入感を与えてしまったような気がします。また彼の巨大な音楽は抜群な安定感に支えられていたのですが、それが録音では「聴きやすさ」となったのはいいものの、録音の多くはその部分のみをすくって背後にある巨大な部分や、一種独特の「自然体の厳しさ」をとりきれていない部分があり、それが前述した部分とあいまって悪い意味での「BGM」指揮者というふうにとられていったようにも思います。幸い、ここ数年はそういう風潮もなくなりつつあるのはたいへん嬉しいことですが、やはり皆無になるということはなかなか無理なようです。

話がそれて申し訳ありませんでしたが、とにかく1978年に接したシベリウスやレスピーギ、そして1981年の古典交響曲や火の鳥、そしてチャイコフスキーの5番の途方もない演奏は今でも忘れがたい最高の演奏のひとつとなっています。それにしても彼の写真をみるとどれも「目」の厳しさが印象に残ります。彼の実演時に聴こえる「自然体の厳しさ」をこの目をみるたびに思い出してしまいます。


寺内さん

1981

81年の最後の来日公演に行きました。当時まだ高校1年生だった私は、憧れの、オーマンディ&フィラ管の公演に始めて行き演奏を聞きながら、緊張と興奮のあまり、体が震えていたのを記憶しています。当時¥12,000だったS席のチケット。高校生の私には、とてつもなく高い金額でしたが、小遣いを一生懸命にためて、何箇月も前から手に入れて楽しみにしていました。

プログラムは、プロコフィエフの1番、火の鳥、チャイコの5番でした。会場に行くと(東京文化会館)なんと客席にはムーティがいて、それに気づいた私は、あつかましくもプログラムにサインをもらってきました。これをきっかけに、あれよあれよと言う間に列ができてしまい、なんとラッキーなことで、よい思い出とお土産ができました。今でも大切な宝物としてとってあります。

さて、演奏の方ですが、プロコフィエフから、噂通り、ものすごくキレイな弦の音が耳に“スウーッ”と入ってきたのです。ビロードのような音とはこのことを言うのか!っと始めて感心しました。これまで聴いたことのない、またその後も聴くことのない音であったことが今でも記憶の中に残っています。続いての「火の鳥」これがまた、オケのパワー満開!途中の「カスチェイ王」の踊りの最後の部分のクレッシェンド、デクレッシェンドの波の大きさと滑らかさ・・・・・・会場全体が震えていました。休憩時間中に「イヤー、やっぱりレコードとは違うや!!!」と感心してメインのチャイコへ・・・・・・・会場のせいか、それまで聴いていたRCAの音とは随分違う印象を受けたのです。カドのとれた実に柔らかい音、でもその中に間違いなく存在するフィラ管の分厚い音、RCAの録音は、残響が多くとられているため、やや金属的な音がする印象があったのですが、本当のフィラ管の音は、実はとっても暖かい音でした。

本拠地のアカデミー・オブ・ミュージックは、東京文化会館のように残響の少ない(あっちはほとんど残響音がないことを5年前に現地で確認してきた。)会場なんですよね。だからやっぱり、それまで録音で聴いていた音よりも「本来の音」に触れられたことを嬉しく思います。数年後に、デロスからアカデミー・オブ・ミュージックで録音された同曲が発売され、その時の演奏と音が全く同じであることにビックリしました。今は、CDを買い直し、聴くたびにその日の演奏会を思い出しています。「ジーン先生、本当にありがとう!」

公演終了後、控室出口で待っていたら、小さいおじいちゃんがニコニコしながら出てきました。目の前で見るジーン先生、本当に気さくなおじいちゃんでした。拍手で迎えられると、「ハーイ!」と手を挙げ、本当に気さくに振る舞っていらっしゃいました。すぐに迎えの車に乗り込んでしまったのですが、見送りのお客様にこたえるために、わざわざ窓を開けてサービスを・・・・・私の1〜2人おいた隣の人が、車の中へ手を差し伸べ、握手をしたので、「アッ、僕も!!!!」と思った瞬間に、SPらしき人に遮られてしまいました。これが、大好きなジーン先生との最初で最後の出会いでした。でも、本当に公演が聴けてよかったです。それから先というもの、私は更にフィラ管を応援するようになり、フィラ管の新譜を買いあさっています。(この頃は全く発売されなくなって寂しい!)

ムーティだろうがサヴァリッシュだろうが、ヤンソンスだろうがレヴァインだろうが、ウェルザーメストだろうがティーレマンだろうが、(ミュンフンはショスタコ4番を録音したと言うが発売されてない)楽器のバランスはいじられてはいてもオケはちゃんとジーン先生の音を頑張って守って演奏しているんですね。でも、やっぱりフィラ管はジーン先生が鳴らさないと最良の状態にはならないんでしょうね。

偉大なるユージン・オーマンディの世界遺産、フィラデルフィア管弦楽団に栄光あれ!


小出さん

1981

思い起こせば、24年前、大学オケ時代にオーマンディ&フィラデルフィア管弦楽団のBRAHMS SYMPHONIE Nr.1(特に4楽章のHornとFlo:teのソロ Hoch im Berg,Tief im Tal)を聞いて以来の熱狂的ファンです。世の評論家やヨーロッパかぶれどもがなんと言おうと、フィラデルフィア管弦楽団>>>BERLINER PHILHARMONIKER ORCHESTERと思っています。

私は、3年程前に子供の小学校の先生が指揮をする合唱団の伴奏をしたのをきっかけに、すっかり押入れの奥で眠っていた楽器を再び手にすることになり、去年から小さな室内オケで演奏を夫婦でしております。妻は5年ほど前から活動を再開していましたが。私はFlo:te、妻はHornを吹きます。実は私のフィラデルフィア管弦楽団贔屓はこのFlo:teと関係があります。

私は、学生時代に笛を、たまたま自宅の近くに住んでおられた三村園子先生とその一番弟子矢島清子先生という先生達に習っていたのですが、この三村先生こそフィラデルフィア管弦楽団の当時の首席奏者、名人の名をほしいままにした、ウィリアム・キンケード氏に直に演奏法を習って帰国された方で、当時の日本においては、N響の小出信也氏、宮元明恭氏、新日フィルの峰岸壮一氏と並び称せられる第一人者でした。

三村先生は、それまでの日本におけるFlo:te奏者達の、唇を締め、息を細く長く使い篠笛のように遠鳴りで音を聞かせるという奏法とは180度違い、唇を自由にし、息を思う存分使い、かつ腹筋を鍛え、息のスピードで音を鳴らすといった斬新な奏法をアメリカから持ち帰ったのです。この奏法は、楽器の理論と共に、今では学生ですら当然のこととして認識している常識になっておりますが、当時の日本では、なかなか受け入れられなかった奏法でありました。特に腹筋が弱いうちは、息が続かず、まったくもって曲が吹けないのですよ。私も含め、三村先生のお弟子さん達は皆、初心者のうちは、さすがアメリカンスタイルは違うなどど、他の古典流派の人から随分と悪口をいわれたものです。ところが、上達してくると、音の響き、輝き、続く息の長さがまったく別人のようになるのです。

笛の話ばかりしてしまいましたが、ムーティと一緒に初来日した時の演奏も忘れられません。16年前でしたかね?上野の文化会館で”火の鳥”と”エロイカ”(だったかな?あまりに火の鳥の印象が強烈でもう一曲が思い出せません)のプログラムを聞きました。(私達は4月末に結婚して、聞いたのは5月頃の演奏会だったと思います。妻はそれまでWIENER および BERLINER のファンでした。フィラデルフィア管弦楽団を聞くのは初めてだったと思います。)

まさに音の洪水を経験しました。終曲における金管群の澄み切った鈴のように軽やかで、かつエネルギー溢れる、輝やかんばかりの響き。それらの音を切り裂いて聞こえてくる弦の透明な音。それらの中にあっても音色がはっきりと色鮮やかに浮き立つ木管群。私達はまず、上野の文化会館がこんなに響くホールだったことに愕然としました。それまでの日本のオケの貧弱な音を聞いて、このホールはだめだね、と誤解していたのです。

妻はこの時以来、ベルリンと双璧をなすオケと認識したようです。


PONさん

1972

大阪フェスティバルホールでブラームス交響曲第3番,展覧会の絵を聞きました。当時高校生の私は、お年玉をはたいてC席(3500円)を買って友達、先輩達と聞きにいきました。あの、でかいフェスティバルホールが隅々までぎっしりと、密度の高いしかも圧倒的な音量と華麗な音色で満たされました。

展覧会の絵のキエフの大門が終わった後、しばらく席が立てないほどでした。いまでも、あのときの演奏が耳にのこっていて、他のオーケストラの音を聞いても、なんだか物足りないような気がしてしまいます。(^^)演奏終了後、グランドホテルのロビーでプログラムにフルートやトランペットの人たちのサインをねだったりしたのも良い想い出です。そして、係の人がオーマンディさんはもうかえりましたよ!!!っていった、直後エレベータからおりてこられた、なまオーマンディさんを見ました。とてもにこやかで、しかも大きく見えました。

僕の青春の大切な一こまです(^^)

K.M.さん

1978,81

映画音楽からクラシック音楽に興味を持ち、かれこれ20年余りになりますが、楽器を奏でる事はもちろん、楽譜が読めるわけでもありません。雑誌の批評などを参考に色々な演奏を聞いてきましたが、その中でもP・Sは強烈な印象が残っています。わが国のクラシック愛好家の間では極めて評価が低く、エンターテイメント扱いされかねない当コンビで、私も正直言って一時飽きがきたこともありました。オーマンディーの指揮は事務的で綺麗な音を出すだけだとよく言われます。確かに全てに中庸を踏み外さない(テンポ・楽器のバランス共に)、ただ音色は類まれな明るさで統一された演奏形式には疑問を持つ方もいらっしゃると思います。私もこの年齢になってやっとわかったような気がするのですが、たぶん彼は自分に正直なプラグマティストだったのではないかと。フィラデルフィアという世界のどこにもない名器で、限りなく沢山の音楽を効果的に演奏するためにはこの方法がベストであると、そして中途半端な誘惑には駆られず楽譜の範囲(正確に言えば管弦楽法の中で)で音楽を語らせるためにはどうすれば良いかを主義として選択したんだと思います。そういう意味ではびくともしない自分の演奏スタイルを持った紛れもない巨匠だったと言えるのではないでしょうか。

前置きが長くなりますが、この辺を納得して聞かないと彼らの演奏は非常に無機質な物に聞こえてしまう恐れがあります。オーマンディーは自らがバイオリンの名手であり、どんな楽器でもいつも朗々と響く事を先ず演奏の基本として求めたのではないでしょうか。彼らの演奏の共通の特徴を列挙しますと

1.ピアニシモが通常のメゾフォルテ程度の音で演奏される
  (その分フォルテシモも驚異的な音量で演奏されるが録音では無理)
2.遅くもなく早くもないテンポを基本にする
  (アンサンブルの乱れを気にするより、それぞれの楽器の響きを重視)
3.どんな強奏の時でも弦楽器中心のバランスを崩さない
  (管楽器突出の演奏では決してなく弦と溶け合ったゴージャスな響き)
4.フィラデルフィアの音色も印象的ではあるが、良く聞くと作曲家独自の
  管弦楽法も十分に表現されている
  (客観的な演奏を好まれる方にとってはうってつけの演奏)
    以上の特徴は常に当てはまっていると思います。

本題に入りますが、すでにかなりの方が書かれていますので重複を避けて録音(CD・LP)との対比で感想を述べたいと思います。81年の東京文化会館での演奏は席の位置がいまひとつだったので、78年の名古屋での演奏を対象にします。

1.R.シュトラウス  「交響詩 ドンファン」
  オーマンディーにしては速めのテンポで実に颯爽とした演奏でした。いき
  なり冒頭からのトゥッティーは度肝を抜く効果がありました。最初から録音
  と比較するのが無理だと思ったし、他のオケとも際立った差があると感じ
  ました。弦も管もとにかく音が柔らかいのにはびっくり仰天、高音が眩しく
  輝きながらそれでいて艶があって音が溶け合っている感じでした。
  RCAとの再録音を持っていますが、当時は限界があったのだと思います。
  RCAになって多少柔らかい音質で録音するようになったようですが、フォル
  テシモを意識したのかCBS時代に比べると音が痩せて輝きがなくなったと
  思います。そうかと言ってCBSの平板的で常に硬質なキンキンした音とも  
  実態とは大違いなのですが。

2.ドビュッシー  「交響組曲 海」
  まさにゴージャスな海でした。特徴1で述べたように管楽器のソロパッセー
  ジが雄弁と言うより朗々と演奏され、その間たっぷりとした弦と低音の管
  楽器に支えられ陽の光ににきらめく海を見ているような感じがしました。
  そしてエンディングのトゥッティーのすごい事、特徴3で述べたように弦楽器
  がどこまでも駆け上がって管楽器と溶け合う様は筆舌に尽くしがたいものが
  ありました。これもRCAとの再録音がありますが、何分の一の音が入って
  いるのか残念な限りです。彼のような演奏様式こそ最高の録音で評価され
  るべきでしょう、そうでなければ慌てず騒がずのあのテンポと分厚い響きは
  無意味な物になってしまいます。

3.ブラームス交響曲第1番
  オーマンディーはブラームスのエキスパートだと言う評価を耳にした事が
  ありますがこれは当たっています。独奧系のブラームスではありませんが、
  あの分厚い響きと悠揚としたインテンポがこの曲にあっているのです。
  低音部の弦・管のブレンドが温かい独特なハーモニーを醸し出しています。
  特徴4の作曲家自身の管弦楽法も良くこなされていて、ブラームスの響き
  であることには間違いありません。
  この曲の演奏は前出の2曲に比べるとより起伏の少ない、終始豊かな響き
  を湛えたスケールの大きな力演だったと思います。
  これはRCAの再録音はなくCBS末期の録音だけですが、比較的良質で
  輝かしさと柔らかさが共に捉えられていて私の好きな録音のひとつです。

以上、つぼにはまれば(彼らではなく曲の方が)これ以上ない豊かな音楽的
響きに満ちた演奏が聞けました。それは他のオケの演奏がみすぼらしく思
える程だった事は間違いありません。

***
録音についての記述の中で誤解を招く可能性がある部分として、RCAの録音について補記しておきます。RCA初期の録音は残響を採ってダイナミックレンジを意識した影響で全体的に音がぼやけ弱音部の響きが痩せてしまった感があります。70年の後半位から柔らかさを残しながら高音の切れも良く、低音もかなり捉える様になったと思います。CBS時代と比べれば文句なく実演に近くなっています。


岩切さん

1978,81

私もオーマンディ&フィラデルフィア管の響を懐かしく思っているものの一人です。中学校時代にクラシック音楽に興味を持ち、吹奏楽部でホルンを吹きながら、暇があればLPを聴く毎日でした。学生時代にオーマンディの生の演奏を聴きましたので、その記憶を紹介します。

フィラデルフィア管の演奏会へは合計4回足を運びましたが、やはりオーマンディ時代の演奏が強烈に印象に残っています。Koyamatchさんや諏訪さんと同じ、81年の東京文化会館での演奏会へも行きました。明るくパワフルな金管、すばらしいソロを聴かせる木管の主席奏者、豊麗な弦、かっこいい打楽器奏者、どこをとっても文句のつけようがないという演奏でした。私がホルンを吹きますので、特にチャイコフスキーの2楽章のソロには注目していましたが、途中ののばしの音を2ndが手伝っていたのに妙に感動したものでした。81年の来日では、ムーティの振ったチャイコフスキー“悲愴”&ムソルグスキー“展覧会の絵”というプログラムも聴きましたが、2曲ともTpのトップをカデラベックが難なく吹き通したのには度肝を抜かれました。この演奏会はNHKで放送されたはずです。どなたかビデオを持っていたらご一報くださると幸せです。

この81年の演奏会もすばらしかったのですが、それ以上に78年来日の時の演奏は強烈でした。その当時は九州の田舎から関東の大学へ行ったばかりで、外国のメージャーオケの生なんてほとんど聴いたことがなかったので余計そう思ったのかもしれません。プログラムはバッハ「パッサカリアとフーガ」、シベリウス「交響曲第1番」、ブラームス「ハイドンの主題による変奏曲」、レスピーギ「ローマの松」でした(6/1横浜)。オーマンディ時代のフィラデルフィア管のプログラムは、普通の1.5倍くらいのボリュームがありますよね。オーマンディ自身の編曲によるバッハ、得意のシベリウスももちろんすばらしい演奏だったと思いますが、「ローマの松」の印象が強すぎてあまり記憶に残っていません。レスピーギの冒頭のきらめくような音にホルンとチェロのブレンドした柔らかな音色。(ホルンはチェロと同じ音形で演奏していたのではないかと思います)最初から金縛り状態でした。ジグリオッティの見事なppp、のびのびと歌うTp(演奏者は残念ながらわかりません)。それにアッピア街道での圧倒的な金管群。まるで巨大な音の壁が築かれ、それが迫ってくるようでした。そして、とどめに飛び上がって振り下ろされたバスドラムの一打。もう20年も前の経験ですが、今でも鮮烈な印象として頭に残っています。

6月にオーマンディ&フィラデルフィアの演奏がまとめてCD化されるということで、楽しみにしています。RCA時代の録音は音質がイマイチだったので、そのあたりが改善されているとありがたいのですが。RCAの外盤のHigh Performance!シリーズでもとりあげられるようで、こちらも注目です。今年は生誕100年で、ファンとしては楽しみな年になりそうですね。


Koyamatchさん

1981

ボクはストコフスキーが好きだからオーマンディの事は必然的に知ってましたけど、お金もそんなになかったのでストコフスキーのレコードを買うので精一杯。オーマンディの演奏は、もっぱらラジオで楽しんでました。というのは、FENで毎週日曜日の朝10時5分から「フィラデルフィア・アワー」と言う番組があって、フィラデルフィアの定期公演のライヴを放送してたんです。メインはオーマンディでしたが、副指揮者のスミスや、アバドとかも振ってました。よくラジカセで録音していましたが、なぜか手元には残ってなくてとても残念です。

そんなわけで、1981年にオーマンディ&フィラデルフィアが来ると知った時には、もうそれだけで感激ものでした。新音楽監督のムーティなんてのも来ましたが「なんだこいつは」って感じでしたね。チケット発売日にはいい席をと朝1番に買いに行き、6月2日の東京文化会館S席1F18列19&20(当時12000円×2はキツかった!)をゲットしました。そしていよいよ当日。照明が落ちてオーマンディが年齢相応のゆっくりとした、そして片足をちょっと引きずった感じの足取りで舞台に現れた時、まず感じたのは「写真と同じ顔してるじゃん!」でした。あと、コンマスのノーマン・キャロルが、思ったより田舎臭いおっさんでした!プログラムはプロコフィエフの「古典交響曲」、ストラヴィンスキーの「火の鳥」、チャイコフスキーの「交響曲第5番」、そしてアンコールは、アメリカ現代の作曲家ケント・ケナンの「夜の独白」でした。

古典が始まった途端に驚きは始まりました。こんな音は聴いたことがなかったです。比較的早いテンポで進めて行きましたがセカセカ感など微塵もなく、早くても底力のある音楽になっていました。分厚いサウンドで柔らかくて優しくて、はじけるような音が実に心地よかったです。火の鳥で聞かせてくれたアンサンブルの見事さと音のまろやかさ!シカゴも凄まじく巧いけど、なんでこういう人間味溢れる音が出せないのだろう。トゥッティで、レコードでも聞き取り難い細部の音が、生演奏で聞こえてくるのも半端じゃなかったです。チャイコはもうオーマンディお手のものでしたね。歌うように伸び伸びと広がる豊麗なサウンドは申し分なく、バカでかいという表現がぴったりなほど凄まじい音を出すくせして、全然やかましくないのはどーして?正に魔法の音でした。フランク・カデラベックの朗々と鳴り響くトランペットも絶品以外のなにものでもないです。もちろんホルンのノラン・ミラーも。ホルンといえば2楽章でソロ・ホルンがテーマを吹いた後、セカンド?がミスったんですよ。ちょっと音が裏返っちゃったというか。普通のオケならそれが浮いて目立っちゃうんですけど、音のバランスづくりがいいのか、ミスですら音(特に豊麗な弦!)に溶け込んでしまうという凄さ。さすがオーマンディですよね。アンコールのケナンは、マレー・パ二ッツ(ボクのフルートの先生の先生だ!)をフルート独奏に、弦楽合奏とピアノで伴奏を添えた神秘的でキレイな曲でした。弦楽の正にシルクのような音色!ディミヌエンドが巧い!ああ、この曲が終わると、目の前からオーマンディがいなくなっちゃうんだ、わくわく待ち続けたコンサートも終わっちゃうんだ、などと思いながら聴いていた事を思い出します。

終演後は、楽屋口で待ちました。もちろんお礼を言うためです。そして間近で肩に触れながら顔を合わせたオーマンディは、遠目に見るよりも背が低く、指揮台の矍鑠さとはほど遠い感じの、実に温厚な感じの人でした。このコンサートは、今まで何百回と通ったコンサートの中のベスト1か2(もうひとつは、先ごろ亡くなったナルシソ・イエペスがスペイン国立管弦楽団と演奏した、アンドレス・セゴビア追悼のための「アランフェス協奏曲」です)として、絶対の忘れられないものとなっています。オーマンディの音楽は、やはりフィラデルフィアあってのものなのでしょうか。フィラデルフィア以外を振ったオーマンディに接するのは難しい(NYフィル、ロンドン響、北ドイツ放響、バイエルン放響などいくつかは聴ける)ですが、録音物ではオーマンディの言うオーマンディサウンドが他のオケから聴き取れるか否か、よく分からない、判断できないというのが実際のところです。ウィーン・フィルを振ったマーラーが、超名演だったという話を聞いた事がありますけど、どんな音を出したんでしょうか。まあ、いずれにしても夥しい数の録音が残されていることは、とても喜ばしいことですね。


諏訪節生さん

1981

僕が唯一ジ−ン先生(僕は愛着を込めてこう呼ばせてもらってます)のナマを聴いたのは、1981年6月2日、東京文化会館1F14列6番の席。「古典交響曲」、「火の鳥」組曲、“チャイ5”。とにかく“古典”の最初の和音から圧倒されました。重量感のある、それでいて柔かな“ジャン!”が、コンマスのノ−マン・キャロルのところから、ひとつの音の束になって僕のノ−テンを直撃したのですから!もうあとは夢見心地のうちに、アッという間に3曲終わっちゃった印象でしたね。でも本当に、こんなに音が大きいのにちっとも刺激的じゃないし、それでいて実に生き生きと音楽が息づき、熱気が伝わってくるのに感動しました。こりゃやっぱり録音じゃ入りきらないやと思ったし、このコンビはナマで聴かなきゃ絶対によさは分からないと確信しました。

ジ−ン先生は、録音とナマ演奏をキッチリと分けて考えていたんでしょうね。繰り返し聴かれることを前提とした録音では、例えば“縦の線”をしっかり整えてきたりと、とにかく完璧を期します。しかし、コンサ−トではその瞬間瞬間の、音楽するエモ−ションを大切にして、多少縦の線が乱れても“熱い”演奏を展開するんです。それは実に爽快で感動的なわけで、音楽を聴く喜びをこんなにストレ−トに味わせてもらえることもめったにないんじゃないかと思ったものです。ジ−ン先生には音楽性がないなんていう輩には、実際腹が煮えくり返る思いをあの時新たにしたものでした。それから、アンコ−ルの曲はフル−ト・ソロの活躍する曲でしたが、マ−レ−・パ−ニッツのソロになると、ジ−ン先生は棒を下ろしてじっと聴いていたのが、今でも印象に残っています。

かつて、RCAから“シベ5”が発売された時、レコ芸の新譜月評で、担当のO氏が、以下のように書いていたのを思い出します。「これほどの演奏をしながらなおオ−マンデイが芸術的な決め手を聴き手に印象づけにくいのは、たぶんこのひとに芸術家としての歴史を思い描くことが困難であるということなのかもしれない」こんな事を平気で書く奴は絶対に許せない!こんな貧しい心の持ち主に、“芸術”等という言葉を使ってほしくない、音楽を語ってほしくないと、思ったものです。だけど、日本の評論家って、こういう貧しいメンタリテイの持ち主が多かったんだよな。最近はさすがに少なくなって、若い評論家はジ−ン先生を正当に評価する人が増えてきているのは嬉しいことです。


Juniさん

1978

相当昔のことですが、NHKホールでチャイコフスキー「交響曲第4番」をオーマンディで聴いたことがあります。まだ「子供」だったので詳しいことはよく覚えていませんが、録音で聴くよりサウンドがはるかに美しく、また各楽器の音の分離が鮮やかで和音に濁りがない、と感じたことを覚えています。また細かい表情の表現力やダイナミックレンジの広さも圧巻でした。特に金管楽器群は録音よりずっと綺麗に聞こえました。指揮者自身も指揮台の上で大暴れするが如くの熱演でした。

今でもはっきり覚えているのは第3楽章。ご存知の通り弦楽器はピチカート奏法で演奏します。その時、バイオリンとビオラが全員「ギター」のように脇に楽器を抱えて演奏したのです。視覚的に新鮮であっただけでなく、音が客席によく響きわたって、特に後半、管楽器が強奏で重なる部分でもバランス良く聴けました(もしかするとNHKホールという特殊環境に合せたのかもしれません)。


生島さん

1978

「オーマンディとフィラデルフィアか!気ィつけて聞きや!!」クラシック通の先輩にコンサート前に妙なアドバイスをされたが、その意味に気付くのはコンサートが終わってからだった。

1曲目の「コリオラン」序曲は意外なほど淡々と進み、正直言ってあまり感銘は受けなかった。ところが2曲目のメンデルスゾーンで状況は一変した。「スターンとオーマンディの組み合わせでこの曲か...なんか勿体ないな...」なんて私の不遜な考えは吹っ飛んでしまった。それまでメロディの美しいだけの軟弱な曲と思っていたが、冒頭のすべりだすようなソロの入りから興奮とため息の連発、「オーマンディのソロ合わせのテクニックは神業」という評判がまさに私の目の前で証明された。終楽章冒頭のソロとオケとの掛け合いは、あたかも二人の古武士が刀を振りかぶってにらみ合っているが如くであった。

休憩後の2曲は、まさにフィラデルフィア管の持てるテクニック、重量感、たとえ様のない美しい音色等々、全てのセールスポイントが一挙に花開いた感じであった。当時不勉強な私はシベリウスの7番を殆ど知らなかったので、演奏についてどうこうは言えないが、「ダフニスとクロエ」第二組曲は本当に素晴らしく、「全員の踊り」でのオケの強奏には、顔に風圧さえ感じてしまった。さんざん打ちのめされた後、アンコールがバッハの「アリア」、フィラデルフィアサウンドを支える弦楽器の響きに酔いしれ。、最後の音が鳴り終わってもしばらく客席は静まり返り、しばらくして嵐のような喝采...。あのような聴衆の反応を目にしたのも初めての体験であった。

それまでオーマンディとフィラデルフィアは「何でも屋の平均点オケ」と勝手に決めつけていた自分が恥ずかしかった。今も目をとじると、あのフェスティバルホールを震わせた「ダフニス」の響きがよみがえってくる。

程塚さん

1978

トーチンスキー私は、ドイツ南西部の街「Stuttgart」に住む音楽家です。私、元々はチューバ吹きですが、現在はなぜか作曲が主な仕事になってしまいました。ドイツにはドイツ語の習得と、プロデュースの勉強の為に来ています。

実は、私はオーマンディには縁があるのです。アメリカ留学の際、フィラデルフィアの黄金期をささえた名チューバ奏者のアイブ=トーチンスキーに師事したのです。したがって私は、フィラデルフィアのチューバのいわばマゴチューバ吹きなのです。

実際彼を見ることができたのは、1978年のことです。不思議なことに、会場を忘れてしまいました。当時ですから、「NHKホール」か、「文化会館」だったはずです(資料が手元にないのですみません)。曲は、シベリウスの「第7番」と、メンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲(スターン・ソロ)」、そして、ラヴェル「ダフニスとクロエ」でした。シベリウスはあまりの興奮のため、良く覚えていないのです。はじまったと思ったらおわりました。ともかく聴いたことのない音量!それまでに、すでに「NHK響」「ウィーンフィル」「レニングラード」等を聴いていたのですが、フィラデルフィアは全然違いました。なにか、舞台からオケがふくれあがってくるような幻想にとらわれてしまいました。

スターンのヴァイオリンはたいしたことなかった記憶があります。でも、圧巻は「ダフニス」でした。それまでオーマンディのフランスものは、レコードで聞く限り「いま一つかな」なんておこがましことを思っていたのですが...。特に「全員の踊り」のクライマックスのすごかったこと!!!「もうこれ以上はクレシュエンドしないだろう」と思っていると、まだまだ大きくなる。なにより驚くのは、音が大きくなっても全くバランスがくずれない!!だから全然うるさくない。明らかに、ソ連のオケや、シカゴとは違う質の音量です。でも、このように冷静に考えられたのは後になってからで、鳥肌たちっぱなし、涙ジュルジュルで、もうなんだか分からなくなってしまったのが本当です。

私は、今までにそれこそ、何百回となく演奏会に行っていますが、泣いたのは後にも先にも「あの時だけ」です。そして終わったあとに叫んだのも、後にも先にもあれ一度きりです。ともかくオケが目の前(二階席でした)30センチの所にある様に感じたのです。そしてオーマンディはホールを埋めつくすぐらい大きくみえた。そんな幻想、いや現実だったのです。演奏後のオーマンデイは、あまりつかれた様子もなく、実になんのてらいもなく、飄々と、しかし明るく、そして、凄く満足そうに、少し足を引きずりながら舞台裏に消えました。

オーマンディの訃報を知ったときは涙がとまらなかったことを、昨日のように思い出します。これを打っていても、どうしても涙が出てきます。私は、決して涙腺の弱いほうではないですが、オーマンディのことを考えたり、演奏を聞くとだめなんです。それはなぜか、それは『もう二度とこのような音楽は存在しない』という、哀切な思いなのです。確かに、フィラデルフィアは今でも一流のオーケストラです。しかし、あの『ビロード』と評されたサウンドは、そこにはありません。かけらはありますが、かえって失ったものの大きさを思うだけ悲しいです。私たちは、勘違いしてはいけないと思います。あれは『フィラデルフィア・サウンド』ではなっかったということです。すなわち『オーマンディ・サウンド!』オーマンディ自身、インタビューで『フラデルフィア・サウンド』について聞かれた時、胸をはって言っていました。『フィラデルフィア・サウンドなどというものはない。あるのはオーマンディ・サウンドだ!』と...。