ビッグバン理論

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(発見と理論)

 ビッグバン宇宙と呼ばれる宇宙モデルがロシア生まれのアメリカの物理学者、ジョージ・ガモフによって提案されたのは

1946年頃である。とはいえ、ガモフが問えう全ビッグバン宇宙モデルを作り出したのではなく、この理論の誕生にはそこに

至る長い前史がある。また理論が構築されて以降も、それは現在まで拡大と進化を続けているのであり、内容の固定した特

定の理論が検証されつつあるというのではない。しかし、次のような理論の大枠は当初から変わっていない。

「空間は拡大し続けている」

「したがって、これを過去にさかのぼると、宇宙は高温で高密度な火の玉(の内部)のような状態であった」

「超高温・超高密度の状態では原子核は存在できず、したがって元素は存在しなかった」

「そのような高エネルギーの素粒子反応の結果として、弱い相互作用を行う素粒子の残存物があるはずである」

「高温・高密度の状態では、現在の天体は存在できない」

「宇宙はほぼ一様で構造のない状態から始まり、現在のような天体の散在する姿になった」

「宇宙の膨張は一方向に進行しており、二度と同じ姿には戻らない」

                        

 ビッグバン宇宙論は、これらの前提に立って、3つの分野を扱っている。第1は、火の玉状態(原初の宇宙)の進化がどのよ

うに進行したのか。第2は、そこからどのようにして現在のような天体の広がる宇宙が生み出されたのか。そして第3は、火の

玉状態の起源をさらにさかのぼって説明することができるか、である。

 この宇宙モデルの誕生には、2つの物理学理論と2つの観測的発見とが深く関わっている。2つの発見とは、

(1)1929年にエドウィン・ハッブルによって発見された「膨張宇宙」の証拠となるデータ

(2)1965年にアーノ・ペンジアスとロバート・ウィルソンによって発見された「宇宙黒体放射」

 また2つの物理学理論とは、

(1)1915年にアインシュタインによって構築された「一般相対性理論」

(2)1930年代に始まった「素粒子理論」

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(ハッブルの法則)

 アメリカの天文学界には1929年以前に、ハッブルの発見を導く2つの芽があった。1つは、1914年頃からヴェスト・スライ

ファーが高速で後退する“謎の天体”を発見していたこと。もう1つは、ヘンリエッタ・リービッヒ、ハーロウ・シャープレイらが、

変光星を用いた星雲(銀河)までの距離の測定法を見出していたことである。ハッブルがやったことは、“謎の天体”までの

距離を“変光星を用いた距離測定法”で測った、ということである。

 ハッブルは「銀河の後退速度Vはわれわれからの距離rに比例する(V=Hr)」と発表した。これが後の「ハッブル定数」で

ある。

 ハッブルの法則の比例係数Hは現在「ハッブル定数」と呼んでいる。だがその値は、彼が当時与えたものよりも10分の1ま

で小さくなっている。しかも彼の距離測定値には、現在のものとは数倍も異なっているものがある。

                                                                  

 ハッブルのこの強引さを支えたのは、この比例関係を示唆する論文である。その論文が引用したのは、オランダの天文学者

ウィレム・ド・ジッターの、一般相対性理論を用いた宇宙モデルである。その後1924年頃には、イギリスの天文学者アーサー・

エディントンらが、スライファーの謎の天体とド・ジッター理論を結び付ける試みも行っていた。V=Hrは、これらの論文にすで

に書かれており、それをはじめて観測によって確認したという意味で、現在これはハッブルの法則と呼ばれているのである。

 1917年、アインシュタインは自ら発表した一般相対性理論に立って、物質の密度が一様な宇宙モデル(静止宇宙モデル)を

論じた。彼はこの中に「宇宙項」という物質どうしの間に働く反発力(万有斥力)を導入し、重力(万有引力)と釣り合わせること

によって、宇宙を静止させようとした。

 ド・ジッターは同じ年、宇宙項が存在し、物質がまったく存在しないような宇宙はどうなるかを論じた。そして彼は、そのよう

な宇宙は膨張宇宙になることに気づいたのである。また1922年にはロシアの気象学者アレクサンドル・フリードマンが、宇宙

項なしで物質のある現実的な宇宙モデルを提出し、そこでも宇宙は膨張宇宙となると結論した。

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(定常宇宙論)

 10倍も間違っていたハッブル定数(H)も値は、その後余計な問題も引き起こした。一般相対性理論の上に立った宇宙モデ

ル(相対論的宇宙モデル)は、宇宙には有限の年齢があることを結論づける。この年齢はハッブル定数に逆比例するので、

Hが10倍大きく間違っていれば、宇宙の年齢は10分の1になる。

 他方、宇宙の年齢は、球状星団の星の年齢や放射性元素の崩壊を用いても推定できる。ところが、Hが間違っていたため、

宇宙モデルから推定される宇宙の年齢が、これらの星や放射性元素の年齢より短くなってしまうという問題が生じた。この矛盾

を解決することを一つの動機として登場したのが、ケンブリッジ大学の物理学者フレッド・ホイルらの「定常宇宙論」である。

 当時すでに、前述の膨張宇宙と「星の進化と元素の起源」についての大枠は認識されていた。すなわち、局所的には星の世

界は一方的に老化しており、定常的ではない。また、宇宙は膨張しているから、単純に考えれば膨張につれて物質の密度が

小さくなっていき、同じ宇宙の姿は二度と存在しない。つまり、ここでもやはり宇宙は定常的ではない。

                                                              

 そこでホイルらは、「宇宙は一定のHで膨張し、また物質はある一定の割合で創造される」と仮定した。つまり、宇宙は膨張し

ているが、つねに新たな物質が生まれているので、密度は変わらないと考えたのである。こうすると、古くなった星はしだいに

地平線の外に姿を消していくので、見える範囲の宇宙の姿はいつでもある一定の老化度を保つことができる。ホイルらは、こ

のようなアイデアをもとに「定常宇宙論」をつくった。

 この宇宙は前述のド・ジッター宇宙モデルと同じように膨張しており、また宇宙の年齢が無限大になるので、ハッブル定数H

の測定値の誤差によって宇宙の年齢が、星や放射性元素の年齢よりも若いという、見かけ上の矛盾も解消する。

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(宇宙背景放射)

 定常宇宙論はそれ自体、非常にうまくできているので、しばらくその理論は真剣に検討された。定常宇宙論の魅力は、“宇宙

論を終わらせることができる最終理論“となり得るからである。

 一方、これと対比されるビッグバン理論などは、「ビッグバンの前は?さらにその前は?」といった具合に果てしなく疑問が出

されて、決して最終理論に到達することができず、無限に未知を抱え込むという落着かない状態が続く。

 1965年、その両者に判定がまったく偶然に下った。膨張宇宙の初期はいまと違って、火の玉のような高温・高密度であったと

いう証拠が発見されたのである。定常宇宙論がいうように、宇宙の密度はつねに一定であったというのは真っ赤な嘘であったと

ということが、白日のもとにさらされたのである。それが、「宇宙黒体放射」あるいは「宇宙マイクロ波背景放射」などと呼ばれる

宇宙放射の発見であった。

                                                                

 1960年代のはじめは、現在では日常茶飯事になっている衛星中継の試験段階の時代であり、アメリカ、ニュージャージー州

では、ベル電話会社によって衛星電波の受信用として雑音の少ないマイクロ波受信機(ホーン型アンテナ)が作られた。同社の

研究員、アーノ・ペンジアスとロバート・ウィルソンは、このアンテナを中継用の衛星にではなく、宇宙のいろいろな方角に向け

てみた。するとアンテナには、なぜかどの方角からも一定の信号(マイクロ波)が入ってきた。

 彼らははじめのうち、これは受信機の内部で発生する雑音かと思ってあちこと調整したものの、原因が見つからず、途方に

暮れていた。

 まもなく、この話を伝え聞いた物理学者から、ビッグバン宇宙論ではそのようなマイクロ波の存在を予想していると聞いて、彼

らは自分たちが大発見をしたことに気づいたのであった。