∞ブラックホール話C∞

仏教十三宗B

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【候補】

《はくちょう座X−1》

謎のX線源

(1)1960年代初頭、当時マサチューセッツ工科大学にいたB.ロッシとR.ジャコーニらは、X線検出器をロケットに積んで大気圏

外に打ち上げた。そして彼らは、太陽以外にも強いX線を放出しているさまざまな天体があることを知った。

(2)ロケット観測が始まるとすぐに、はくちょう座の方向にも強いX線源が存在することがつきとめられ、「はくちょう座X−1」(はくち

ょう座のX線源bP)と命名された。

(3)1971年、ついに問題のX線源の位置に、太陽よりも青いスペクトル型(BO型)の9等星が存在することがつきとめられた。

(問題)

:それは、HDE226868(ヘンリー・ドレーパー・カタログという恒星カタログの22万6868番目の星)と呼ばれる青白い星だった。

だが、これをはくちょう座X−1とみなすには大きな問題があった。というのも、太陽のような普通の星は可視光こそたくさん放射する

が、X線や電波はあまり出さないからだ。

(4)1971年の秋には、この青い星のすぐそばに別の天体が隠れていることが明らかになった。

(変動周期)

:青い星から放射される水素の線スペクトルの波長を精密に測定したところ、スペクトルの波長が5、6日の周期で規則的に変動

することが分かった。これは、青い星がもう1つの天体のまわりを公転運動している−つまり連星系をなしている−ために、青い星

から出た光が周期的に「ドップラー偏移」(地球に近づくときに波長が短くなり、遠ざかるときに長くなる)を起こすことが原因だと考

えれば説明がつく。つまり、5、6日の変動周期は連星の公転周期だったのである。

★★★★★★★★★★★★★

《X線源は…》

(5)そして現在、この見えない天体X−1は、ブラックホールの最有力候補と考えられている。

(理由)

@質量:青い星HDE226868の質量は、もしこの星が主系列系であるなら、星の理論から考えて太陽の約30倍だと考えられる。

一方はくちょう座X−1の質量は連星系の運動の解析から推定でき、太陽の10倍程度と見積もられてた。

もしこのX−1が普通の星であるなら−太陽の30倍以上の大質量の青い星が見えているのだから−当然これも観測できるはず。

にもかかわらずそれが見えないということは、この天体が普通の星ではないことを示している。

A大きさ:はくちょう座X−1から出ているX線の詳しい観測から、その強度が0.1〜0.001秒くらいのきわめて短い間隔で不規則

に変動していることがわかった。これほど短時間でX線が変動するためには、X線源の大きさが非常に小さくなければならず、その

直径はせいぜい300キロメートル以下だとされた。

質量が太陽の10倍以上もありながら、普通の星よりはるかに小さい天体といえば、地球程度の大きさの白色矮星、直径20キロメー

トル程度の中性子星、あるいはブラックホールに限られる。

しかし、現在の星の理論に従えば、白色矮星の質量には上限があり、太陽質量の1.4倍より重い白色矮星は存在できない(チャン

ドラセガールの限界)。さらに、中性子星の質量もせいぜい太陽質量の2〜3倍程度であることが分かっている。

◎となると、非常に小さくて、しかも白色矮星や中性子星の質量上限をはるかに超える天体、はくちょう座X−1こそ、ブラックホー

ル以外に考えられない。

名前
質量(太陽質量)
備考
はくちょう座X−1(CygX-1)9.5倍以上 ハイステート/ローステート
大マゼラン銀河X−3(LMCX-3)9.0倍以上 ハイステート
はくちょう座V404(GS2023+338)6.3倍以上 X線新星、ローステート
いっかくじゅう座(AO620-00)3.2倍以上 X線新星、ハイステート
大マゼラン銀河X−1(LMCX-1)2.5倍以上

★★★★★★★★★★★★★

《ブラックホールを追いつめる》

スペクトル

:太陽光をプリズムを通して虹の7色に分けるように、天体からやってくる光を波長で分けたもの。一般には、横軸に波長(あるいは

振動数)、縦軸に各波長での光の強さをとったグラフ(スペクトル図)を作り、天体の性質を論じることができる。

T:中性子星を含む連星系のスペクトル

@X線パルサー型

:エネルギーの低い軟X線領域ではX線強度はほぼ一定だが、エネルギーの高い硬X線領域では強度が急に落ちる。

このタイプのスペクトルを示すX線連星では、X線の強度が周期的に変化するが、その原因は強い磁場をもつ中性子星(とくにX

線パルサーと呼ぶ)の自転によるものだと考えられている。

A熱放射型

:X線スペクトルはカーブを描きながら硬X線側で落ちていく。これは、非常に高温のプラズマのガスから放射されるX線特有のス

ペクトルで、中性子星の表面近くのプラズマから放射されていると見られる。

熱放射型が中性子星を含むという証拠は、このタイプのスペクトルを示すX線連星では、しばしば急激にX線が強くなる「X線バー

スト」という現象が起こり、それが中性子星の表面の爆発現象だと判明しているからである。

U:ブラックホールを含むと見られる連星からのX線スペクトル

@ハイステート

:軟X線の強度が強く、スペクトル全体がほぼ1000万度の熱放射(黒放射体)のそれに近い。ちなみに中性子星の場合にも熱放

射があるが、温度は約2000万度と2倍である。また、ブラックホールの場合、硬X線の領域で裾を引いているのも特徴である。

Aローステート

:軟X線から硬X線にかけてだらだらと伸びた、“べき乗型”といわれるスペクトルが現れる。またローステートは、X線の強度が数

秒から数十ミリ秒で不規則に変化することが観測されている。

※さらにブラックホールの場合、同じ天体があるときはハイステートになったり、別のときにはローステートになったりと、スペクトル

状態が切り換わる現象も観測されている。



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【時宗】

 一遍を宗祖とする時宗は、浄土真宗と同じく法然の浄土宗に源を発する、浄土信仰を説く教団である。鎌倉時代後期から室町

時代に盛んで、現在は、寺院約400、信者約30万人を擁している。 総本山は、神奈川県藤沢市の清浄光寺(俗に遊行寺)であ

り、ほかに相模原の無量光寺、京都の金蓮寺、正法寺などがある。

 1239年、四国道後で生まれた一遍は10歳で出家し、13歳のとき、九州の浄土宗西山派の門に入って浄土教を学び、13年の

修行ののち故郷に戻った。

 33歳で再び求道の旅にたち、3年後、熊野本宮で他力念仏の奥義を悟った。それは、“衆生が浄土に往生することは、すでに

阿弥陀仏が法蔵菩薩と名乗っていた昔に誓った本願によって決まったことで、いまに始まったことではない。だから、善悪を問わ

ず、浄、不浄を選ばず、さらに信、不信を論ぜず、名号を称えれば必ず往生することができる。ゆえに、縁ある者には念仏札を

配るように“という啓示であった。

                                                                     

 これ以後一遍は、51歳で世を去るまで一度も寺に留まらず、北はみちのくの江刺から、南は九州の大隈まで、ほぼ全国にわた

って遊行賦算(ゆぎょうふさん)を行った。遊行賦算とは、各地を念仏札を配って念仏勧進に巡り歩くこと。この念仏札を手にすれ

ば、誰でも阿弥陀仏のはからいで極楽浄土に往生できるという。

 また一遍は、民衆教化に「踊り念仏」を取り入れた。これは、愚かな凡夫がありのままで救われる、という喜びを踊りに表現した

もので、民衆の間に爆発的に広まった。現在、各地で行われている盆踊りは、この踊り念仏がそのもとだといわれている。

 時宗では、阿弥陀仏の本願によって成就された南無阿弥陀仏の名号を称え、自らの心のはからいを捨てて南無阿弥陀仏に

なりきるとき、現世において浄土往生が約束される、と教えている。これによって阿弥陀仏はじめ諸仏に守られて、平穏で充実し

た生涯を送ることができる、というわけである。この他力本願を一切衆生にすすめ、もろ共に浄土往生を期すのが時宗の教える

ところなのである。

★★★★★★★★★★★★★★

【臨済宗】

 臨済宗は、禅宗の一派で、栄西がおこした宗派である。現在、寺院数約5700、信者数約170万人、という規模である。臨済

宗の中にも各派があり、特に臨済宗妙心寺派は、寺院数約3400、信者数約85万人と、全体の半数以上を占めている。

 禅宗の初祖は、菩提達磨大師。達磨大師はインド僧で、6世紀の中頃、仏教布教のために海路中国に渡った。中国各地で

禅を教えたが、洛陽の嵩山少林寺で壁観(壁に向かって座禅すること)をして、“心が本来清浄であると悟ることが仏の教えで

ある“と主張するにいたった。

 その後、数々の僧が輩出したが、そのうち臨済義玄が中国臨済宗を開いた。この唐の時代、禅宗の流れをくむ宗派は「五家」

といわれ、臨済宗を含め、雲門宗・潟仰宗・法眼宗・曹洞宗があり、その隆盛を誇った。このうち日本には、臨済宗と曹洞宗が

伝えられたのである。

                                                                     

 日本に臨済宗を伝えた栄西は、1141年、備中(岡山県)に生まれた。8歳で寺に入り、19歳で比叡山に上り、天台学を学んだ。

28歳のとき宋に渡り、天台山で学び、帰国後は密教の研究にはげんだ。それから18年後、再び宋に渡り臨済宗の僧から禅の教

えを受け、4年後帰国して日本に臨済宗を伝えた。しかし、この新しい禅は天台僧たちによって妨害されたので、鎌倉にくだって

寿福寺を開いた。さらに鎌倉幕府の援助によって、京都に建仁寺を創立し、ここを天台・密教・禅の兼修道場とした。

 その後、臨済宗は優れた僧たちによって大いに栄え、ついに室町時代には全国の禅寺を統制するため、夢窓疎石らの協力

五山十刹制度(寺院の格式を定めた制度)が設けられるまでになった。さらに江戸時代に入り、白隠によって臨済禅が確立さ

れた。

 臨済宗の教義は、“不立文字・教外別伝・直指人心・見性成仏”で表される。これは、仏の道はことばや文字ではなく(不立文

字)、ただ心から心に伝えられるものである(教外別伝)。衆生の心と仏心とはもとは一つであるから、仏を外に求めるのではなく、

自分自身の中に求めなければならない(直指人心)。悟りとは、ただ自己のありさまを徹底して見、識ることのほかにない(見性

成仏)ということである。

★★★★★★★★★★★★★★

【曹洞宗】

 道元を開祖とする曹洞宗は、臨済宗と同様に、中国の禅宗にその源をもつ宗派である。現在、寺院数約1万5000、信者数約

700万人を擁している。大本山は福井の永平寺と、神奈川鶴見の総持寺の二つ。永平寺は、道元によって建立された大仏寺が

改称されたもの。また総持寺は、四祖瑩山が信者から寄進された諸獄寺を、出世道場として整備発展させたものである。曹洞宗

では、道元を高祖、瑩山を太祖と呼んでいる。

 1200年に京都で生まれた道元は、幼くして父母を亡くし、14歳のとき比叡山で出家得度(戒律を受け、正式に僧侶となること)

した。しかし道元は、“一切の衆生は本来仏性を持っており、人は元来仏である”という天台宗の教えに対して、“人がもともと仏

なら、なぜ修行しなければならないのか“という疑問を抱き、京都建仁寺の栄西の門を訪ね、弟子の明全のもとで修行を重ねた。

 24歳で明全とともに宋に渡り、天童山の如浄から曹洞禅を学んだ。帰国後、禅道場を開き、禅の普及につとめ、多くの門弟を

育てたが、権力に近づくことをよしとせず、世俗的な栄達を嫌って、越前に赴き永平寺を開いて、徹底した座禅修行を行った。

32歳から書き続けた『正法眼蔵』95巻は、22年の歳月をかけ完成した。

                                                                     

 曹洞宗の宗旨は、ひたすらに座禅することに生き(只管打坐)、座禅している姿そのものが仏であると信じること(即心是仏)で

ある。そのためには、次のことに全生命を賭けなければならないと説いている。すなわち、

@自分自身の愚かさからする行いを洗い清める。

A仏の子として掟に従い、仏として目ざめる。

Bこの苦悩の世界の救いに身を捧げることを誓う。

C自らが、生かされていることへの感謝行を日々の生活のなかで積み重ねる。

ということである。

★★★★★★★★★★★★★★

【日蓮宗】

 日蓮宗は、日蓮が法華経を基礎におこした宗派である。現在、日蓮宗の流れをくむ教団には38の法華教団(日蓮を祖と仰ぐ

日蓮系の宗派)があり、信者総数は約3400万人を数えている。総本山は山梨の身延山久遠寺。代表的な寺院には、東京池上

の本門寺、千葉の誕生寺・清澄寺・法華経寺、静岡の実相寺・仏現寺、藤沢の龍口寺などがある。

 1222年に安房(千葉県)の小湊で、漁師の子として生まれた日蓮は、12歳のとき清澄寺にのぼり、16歳で師の道善房につい

て出家した。その後、鎌倉に遊学し浄土宗と禅宗を修め、さらに京都の各寺をたずね仏教の研鑚につとめた。32歳になると、こ

の末法の時代を救う教えは法華経にある、という信念を固め、ついに故郷の清澄寺で開宗を宣言した。

 しかし、日蓮の教えは故郷では受け入れられず、鎌倉で辻説法による布教活動を始めた。数年後、天災地変が続出し、人々

の悲惨な姿を目にした日蓮は『立正安国論』を著した。そのなかで日蓮は、“法華経の理念にもとづいて仏教を統一し、政治を

行えば国を安泰に治められる“と説いている。

 以後、数度の幕府の弾圧を受けるが、それに屈せず『撰時抄』のなかで、宇宙の統一的心理(妙法)による社会改革と楽土建

設を未来に托し、61歳でその生涯を閉じた。

                                                                     

 日蓮の教えの基本は、五箇の教判(教えの優劣をはかる基準)と三大秘法にある。五箇の教判とは、末法という時代(時)に、

日本国(国)の人々や世界に向かって(機)、流布すべきは南無妙法蓮華経(教)で、それを広める使命を持ったのが、日蓮(師)

である、ということ。三大秘法とは、具体的な実践を示したもので、それは、本門の本尊(久遠常住の仏)、本門の題目(南無妙法

蓮華経)、本門の戒壇(題目を受持する道場)である。

 これは、法華経に帰依し、仏使日蓮聖人に導かれた南無妙法蓮華経を受持し、謗法(悪い教え)への折伏諌暁(いさめて正法

に目覚めさせること)と法華経の流布を三世にわたって行い、本門の本尊、題目、戒壇をもって、仏国土をつくりあげ、立正安国

の実現を目指す、ということである。

 ところで、日蓮系の信者のうち、8割以上は新興宗教に属している。新興宗教とは、江戸時代末期から現代にいたるまでに誕生

した新宗教で、新道系と仏教系の二つに大別されている。この仏教系新興宗教の大半が日蓮系の信者で占められているのだ。

★★★★★★★★★★★★★★

【黄檗宗】

 黄檗宗は、中国の禅宗にその起源を持つ宗派で、江戸時代の初期に、明僧・隠元隆gによって開宗された。現在、寺院数約

500、信者数約35万人を数える教団である。大本山は、宇治の黄檗山万福寺で、これは、隠元来日に随行した工匠たちによっ

て、中国の檗山万福寺を模してつくられた。ほかに檗宗の寺院としては、長崎の崇福寺、興福寺、聖福寺、小倉の広寿山、

萩の東光寺、滋賀の正明寺などがある。

 1592年、中国福建省で生まれた隠元が、29歳で檗山万福寺の鑑源興寿について出家した。46歳のとき万福寺の住持と

なり、62歳のとき、長崎興福寺の逸然性融の招きで来日し、摂津(大阪府)の善門寺に入った。隠元は、日本で四代将軍家綱

の援助を受け、宇治に檗山万福寺をたて、本格的な布教を行った。

 隠元が広めた禅は、それまでの禅とは大きく違っていた。たとえば、食事は1日2回と決められていたのを3回にしたり、座禅の

あと南無阿弥陀仏を称えて歩く念仏禅を行ったりした。そこで従来の禅にいきづまっていた禅僧たちが檗宗の門をたたき、禅

界に大きな波紋を起した。

                                                                     

 黄檗宗の教義は、参禅によって仏心を究明し、唯心(心で識ること)の浄土、己心(自分自身)の阿弥陀仏を体得し、さらに禅

教(禅と浄土)一如の妙謗(真理)によって転迷開悟(煩悩を浄化しながら次第に悟りの世界に転ずること)、安心立命(一切をま

かせきって、心を動かされない境地)を期する、ということである。

 つまり、人間には誰にでも良心があるように、生まれながらにしてそなわっている仏心がある。この仏心を参禅によって発見し、

仏陀と掻痒の境地を体得することが大切だ、ということなのだ。