非ユークリッド幾何学

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はじめに  ●ユークリッド幾何学  ●第五公順

<はじめに>

 お解りでしょうが、まず「ユークリッド幾何学」があります。“非”ユークリッド幾何学と名されていますが、実質的には「ユークリッド

幾何学における第五公準の問題を解決する」幾何学なのです。ただこれだけのことで、なぜ“非”ユークリッド幾何学という、一分野

を形成するまでに至ったかというと、この“非”が誕生する19世紀前半まで、ユークリッド幾何学は「空間に関する唯一無二の真理を

表わす、絶対無謬の学問」と捉えられていたからなのです。

 ここではまず、ユークリッド幾何学とは何ぞや、で、いったいそれの何が問題なのか、そして非ユークリッド幾何学の誕生、その意

義などなど、ゆっくり不完全中途半端な説明を展開(転回)していきたいと思います。


<ユークリッド幾何学>

 ギリシア人の数学は幾何学でした。つまり、「眼で見えるものこそ、最高に明晰なもの」という考え方を持ちます。一方、代数学を発

展させたアラビア人にとっては、イスラム教におけるアンチ偶像崇拝が、形あるものを否定させる結果になった、と考えられています。

 ユークリッド幾何学のすべては、紀元前3世紀にまとめられたユークリッドの『原論』に内包されています。このユークリッドという人

物については、『原論』の著者(あるいは編者)という以外、ほとんど何も解っていません。ともかく、この『原論』こそが有史以来、読

まれた本の中で聖書に次ぐベストセラーとなり、良識ある理性的判断の鑑とされたのです。

 『原論』は、「定義」から始め、「公準」と「公理」を出発点に、論理的推論を積み重ねて「定理」を導く、という首尾一貫した方法で書

かれています。いわゆる「演繹的方法」です。「定義」は幾何学を作る素材を示したもので、全部で23個あります。馴染みのあるもの

では、

●定義1:点とは部分をもたないものである。          ●定義2:線とは幅のないものである。

●定義5:面とは長さと幅のみをもつものである。

●定義23:平行線とは、同一平面上にあって両方向に限りなく延長しても、いずれの方向においても互いに交わらない直線である。

 この定義に疑念はつきものです。“部分をもたない、幅がないって?”。この“部分”や“幅”についてはどこにも定義されていない

ため、解釈の任意性は避け難いのです。つまり、常識的に考えりゃ、そうだろ?ってこと。

 「公理」や「公準」についても同様で、これらは「誰もが良識によって正しいと認めざるをえないような原理」と理解されていました。

「公理」は“共通概念”の意味で、たとえば「同じものに等しいものは互いに相等しい」とか、「全体は部分より大きい」など、一般的

な量関係についての「自明な命題」を表わします。


<第五公順>

 一方、「公準」は“要請”の意味で、幾何学的関係についての「自明な命題」が五つ並べられていました。

【公準】次のことが要請されているとせよ。

(1)任意の点から任意の点へ直線を引くこと。

(2)有限直線を連続して一直線に延長すること。

(3)任意の点と任意の距離で円をかくこと。

(4)すべての直角は等しいこと。

(5)一つの直線が二本の直線と交わり、同じ側の内角の和が二直角より小さいならば、この二直線を限りなく延長すると、二直角

 より小さな角のある側で交わること。

 第五公準だけが、他の四つに比べ不自然なほど複雑になってますね。これはつまり、「一直線上にない点を通って、その直線

と平行な線が一本だけ引ける」という意味なのですが、『原論』では上のように表記されています。果たしてこれは、「自明な命題」

なのでしょうか?