@中学生当時、誰もいない家には裏口から入ります。母親は専業主婦なのでそういうことは滅多となかったのですが。
ゴミシューター(っていうの?家の中からゴミ捨てるやつ)に入れてある鍵でドアを開け、家の中に一歩踏み入れると...
基本的に僕は怖がりです。夜道で怪しいもの(視界に触れる白い何か、バックミラーに映るやっぱり白い何か)は、見な
かったことにします。楽観主義なのかな?しかし上の場面では、僕はたいてい悲観的な想像に入り込みます。
「ドアの向こうには泥棒が潜んでいて、僕が気づかない間に僕の腹に包丁を刺す」
さらに基本的に僕には空想、というか夢想癖があって、この想像はどんどん膨らんで、伸びて、そりゃもう節操がなくな
ります。つまり、ドアを開け、一歩踏み込み、薄闇の向こうの様子が視界に映し出された時点で「僕は死んでいる」
A最近の出来事により、@の夢想が復活しました。復活というよりも台頭か。「そういうこともありえるんちゃうん理論ランキ
ング」上位に浮上してきた。夜道、えらい車を飛ばしてます。カーステ、ジョンスペ、ガンガン鳴らしてます。おまけに適当
英語で思いっきり歌ってます。ふいに視界に点滅するテールランプ。キュキュキュイン!よけてから、それが大型トラック
だったと気づきます。
気づくのがもうコンマ遅ければ死んでた、というスピードでありタイミングでした。別に何かのきっかけがあって、テール
ランプが目に入ったわけじゃありません。生と死は紙一重と言いますが、その紙は実際には存在するものではない、下手
すると生と死は一部分融合してさえいるのかもしれない、と、ここまでは今考えました(笑)
@の時期の夢想に話を戻しますと、結局のところ別の・平行・多重世界というような考えに陥るわけです。「陥る」という言
葉を使うのは、ちょっと安易だなと思いつつも、当時はそう考えていたから。家の裏口を開けた、その一瞬後に死んだ自分
がどこかにいる。その「世界」では、しばらくして死体が家族の誰かによって発見され、病院に運ばれ、医者が「ご臨終」で
すと言い(当時はね、そう考えてた)、葬式では友達がひっそりと泣いている、みたいな。ある意味、こっちの方に僕は現実
味を感じてた。今、生きている自分にはなんとなく嘘っぽさを感じてた。だから、「平行世界」のひとつというよりは、自分は
詐欺にあっている、というような感じか。
で、そういう瞬間が今までに、いくつかある、もしくはかなりあると考えたわけです。そりゃまあ、一度っきりなんてこたあ
ないでしょうから。で、僕は何度も死んでて、その度に違う世界に移っている、もしくは違う世界が生まれている、と。そし
て、さすがの夢想もここで破綻するわけです(笑)さすがの夢想癖の持ち主も、これ以上の深追いをやめるわけです。
だから醒めた僕も、これ以上深く突っ込むのはやめにします。夢想だから面白いわけで、僕にはね。