ここをち〜と見てくれてる人にお詫びと言い訳ですが、「進化論」では手に負えないことが解りました。とても続けていける
ほど尋常なものではない。内容量的にも僕のまとめ能力的にも。で、現代の(現代のみの)進化論のひとつにスポットを当て
ることにしました。まあその方が、この「学術れびゅ〜」の方向性、ベクトル(笑)に合ってるとも思われないこともないし。本当
は「異端学術れびゅ〜」にしたい気もあるんだけど。あと、これは仮説の一つだということをお忘れなきよう。
構造主義とは言語学におけるフェルディナン・ド・ソシュールのそれです。ぶっちゃけた話、「構造主義進化論」とは、この
構造主義を生物学進化論に当てはめたら結構うまくいくんちゃうん(あ、安易な関西弁申し訳ない)というもの。
「分節恣意性」
@私が発音する「あ」とあなたの発音する「あ」の音素は微妙に異なる。また、私が発音する「あ」も状況によって異なる。にもか
かわらず、私たちは「あ」という同一性をそこに認めている。
A「イヌ」という音素・表記と対応する現象としてのイヌは何らかの同一性をはらむが、そのことには根拠はない。しかしひとた
び「イヌ」と決定されれば、それはわれわれをしばることになる。実際、われわれは誰一人としてイヌを厳密に記述できないに
もかかわらず、イヌの何たるかを知っている。
「対応恣意性」
:日本語で「イヌ」という音素・表記が指示する動物が英語では「ドッグ(dog)」と呼ばれるように、対象に対応するコトバは
どんなものであっても構わない。
分節恣意性によって分節された要素が何らかの対応恣意性によって規定されているとき、この関係性の総体を「構造」と
呼びます。言語は「構造」の典型的な例なのです。構造主義生物学では、生物とはこのような「構造」が具現している時空間
と定義します。
生物の体内で生じていることは、現在の化学を前提にすれば、高分子をはじめとするさまざまな物質の運動とその結果
ということになります。したがって生物に具現している構造は、高分子の間のコミュニケーション(相互作用)のルールが生
み出したものとみなせます。そのルールとは、高分子間の対応恣意性、すなわち高分子の間に成立する記号論的な関係
なのです。
このような観点から進化を見れば、進化は、ネオ・ダーウィズムの主張する「生物の集団内での遺伝子の変化」といった
言説からかけ離れたものとなります。すなわち、構造主義進化論から見た進化とは、まず複数の要素があるとき一挙に構
造を生み出すことであり、構造主義進化論ではそれを構造の定立(構造の付加や変換を含む)と呼んでいます。
したがって構造主義進化論によれば、無生物の系に生じた最初の局所構造(限定空間)こそが始原の生物であり、これ
に次々と付加されていった高次構造こそ生物の高次分類群(たとえば動物の基本的な体制によって分類した生物群であ
る門など)の起源であるということになります。
ところで、構造が具現する空間は拡張、収縮、分離、融合、消滅などなどを起こします。ここで拡張は個体の成長、消滅
は死、分離は増殖のことと解釈できます。では融合とは?有性生殖は、同一の構造ルールを有した限定空間が融合した
場合。これに対して真核生物の起源に見られるような事態は、異なる限定空間が融合した例でしょう。
2つ以上の異なる限定空間が衝突した場合、次のような現象が起こると考えられる。
@2つの限定空間は融合せず、本質的な影響を他に与えない。
A2つの限定空間はともに消滅する。これは通常、2つの限定空間が互いに背反する構造(物質と物質の関係性として
互いに矛盾する構造ルール)をもっているに関わらず空間が融合した場合に起こると考えられる。
B2つの限定空間は融合して、どちらか1つの限定空間になる。これはふつう、一方の空間が他方よりも優位であるとき、
すなわち一方の限定空間が他方の限定空間の構造をすべて含有に、なおかつそれらの上位構造をもっている場合に
生じると思われる。
C2つの限定空間は融合して新しい限定空間をつくる。一般に、2つの限定空間が互いに異なるが背反しない構造をも
つ場合にはこうなるだろう。この新しい限定空間は、もとの限定空間より複雑で高いレベルの秩序をもつと考えられる。
新しい構造を獲得した限定空間が増殖して分離すれば、生物は構造の許容する範囲でさまざまな布置変換を起こして
多様化し、いくつかの安定した布置で落ち着くでしょう。この文脈では、種とは構造(限定空間)の安定的な布置とみなせ
ます。新しい高次分類群が出現するやいなや一挙に多様化する例は、カンブリア紀にさまざまな多細胞生物が爆発的に
現れたこと、硬骨魚が出現直後に多様化したことなど、古生物学上の証拠にことかかないのです。
では遺伝子(DNA)とは何でしょう。構造主義進化論では、遺伝子とは構造の布置を安定化させる装置であると解せます。
遺伝子はまた、構造ルールによって許容された限定空間内における安定な部分布置(要素)でもあります。それが安定で
ある限り、限定空間が分離する際、それにともなって遺伝子は複製され、遺伝される。しかし、限定空間の分離にともなって
真に遺伝されるのは布置ではなく、構造それ自体なのです。
ひとたび定立した構造は、いわば細胞の文化や伝統として子孫を拘束します。細胞の文化や伝統とは、高分子の間の
コミュニケーションのルールのこと。進化は構造の枠内の出来事にとどまるほかはありません。その限りにおいて、進化は
無方向でもランダムでもあり得ません。構造が変わらないときには進化は構造の布置変換によるものであり、それは原理的
に後戻り可能です。
ところで、遺伝子が生物の構造の布置を安定化させているとするなら、遺伝子とは生物の構造全体の布置を決定する
情報であり、その他の高分子は情報を解読する解釈系だと考えることができます。構造主義進化論は、情報系と解釈系
の関係の本質は記号論的な対応恣意性にあると想定するので、同一の物質によって担われている情報は、解釈系が異な
れば発現の仕方が違うことも当然あり得るとします。
最後に、構造主義進化論が想定する進化原因を重要な順に並べます。歴史的にみれば、
@高分子間のコミュニケーションのルールとしての構造が成立する。
A構造の布置を安定させる情報系(ゲノムシステム)が確立する。
といった順序で生物は進化したのでしょう。そして、@Aの後では、
B解釈系を含む構造が変換されたり、そこに新たな構造が付加されたりする。
C情報系におけるルールが変更される。
といった順に進化はマイナーになり、
D構造の布置が変換される。
がもっともマイナーな進化です。Dは場合によっては可逆的であり得る。ひかえめに言っても、ネオ・ダーウィニズムは
Dの進化過程のレベルの進化理論にすぎないと言えます。