♂思想家人名辞典♀

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ア行

アウグスチヌス(354−430)

:中世最大の教父哲学者。彼は古代から中世への転換の時代に生き、時代の問題を自己の問題とし、悩み、

カトリック教会の基礎を定めた。

アリストテレス(B.C.384−322)

:ギリシャの哲学者。マケドニア宮廷の待医ニコマコスの子。プラトンのアカデメイアに入り、師の死まで20年間そこに留まり、

のちにマケドニア王子アレクサンドロスの教育にあたる。アテネに学塾をつくり子弟を教育したが、

無神論のためにアテネを追放された。

ウィリアム・ジェイムズ(1842−1910)

:アメリカの心理学者、哲学者(プラグマティズムの代表者)。観念論及び唯物論の絶対観に反対し、

認識論としては「経験論」を、また哲学の方法としてはプラグマティズム(実用主義)を唱道した。

エンゲルス(1820―1895)

:ドイツの哲学者、社会革命家。1870年代以後ロンドンに移り住み、マルクスと共同して思想活動、社会活動に従事。

マルクスの死後、資本論第2第3巻を整理刊行する。「自然弁証法」は彼が、自然科学及び数学も、

弁証法的唯物論にもとづいてはじめて発展することができると考え、自然科学や数学に関する哲学的研究を試み、

ブルジョア自然科学者や数学者の観念論的理論や形而上学的方法に批判を加えたもの。

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カ行

ガンディ(1869―1948)

:インドの哲人、独立運動指導者。マハトマ(偉大なる魂)ガンジーと呼ばれる。イギリスの不正、侵略、民族的不平等に対する、

無抵抗主義による抵抗と勝利は、世界史上まれにみるものである。

彼の根本思想は@ブラフマチャリャー(純潔)、Aアムヒサー(不殺生)、Bサチャグラハ(真理把持)で、

11回に及ぶ断食を武器として、スワラージ(独立)をかちとった。1948年暗殺される。

カント(1724−1804)

:近代における最大の哲学者(ドイツ)。ケーニヒスベルク大学で数学、自然科学、哲学を学ぶ。

同大学講師、教授、のち2回同大学総長となる。

キリスト(B.C.4−A.D.29)

:アレキサンドロスの支配後も、パレスチナはローマの支配とヘロデの専政にうちひしがれていた。

ヨハネの処刑に続いて立ったイエスは、「汝ら悔い改めよ。神の国は近づけり」とユダヤ民衆に呼びかけ、権力とたたかい、

十字架上に倒れた。2000年後の世界に、今なお聖書は読まれ続けている。

キルケゴール(1813−55)

:デンマークの宗教思想家。1840年レギネ・オルセンと婚約し、翌年これを破棄したが、この体験が宗教心を深め、

最後まで重要な動機として彼の著作活動を支えた。

彼は、“人はいかにしてキリスト者”になるか?“を生涯の課題とした。

孔子(B.C.552−479)

:儒家の祖。魯の国の小官吏から大臣クラスにまで出世したが、意見が用いられぬのを嘆いて魯を去り、諸国を歴遊した。

のちに、故国に帰って子弟の教育にあたった。

コント(1798−1857)

:フランスの哲学者で、実証哲学の創始者。産業革命とフランス革命のもたらした、社会的混乱を救おうとして新哲学を提唱した。

彼の思想の中心は“三段階の法則”であり、人間の知性は、

@神学的空想的段階、A形而上学的抽象的段階、B科学的実証的段階を経ると説く。

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サ行

サルトル(1905−)

:フランスの哲学者、作家、無神論的実存主義の中心人物。第二次大戦中に捕虜生活を体験した。雑誌「現代」を主宰。

釈迦(B.C.556−486)

:仏教の始祖。シャカ族の貴族の家に生れ、19歳で妻子を捨て出家。

30歳で成道、以後50年間、説法教化し81歳で入滅。

スターリン(1879−1953)

:ソビエトの政治家。レーニンの協力者として革命運動を指導し、数度の投獄、流刑ののち1917年の革命に成功、

党書記長、首相となる。特に民族問題の権威。死後、批判にさらされる。

スピノザ(1632−77)

:オランダのユダヤ人哲学者。自由思想のゆえにユダヤ教教会から破門される。ハイデルベルグ大学の招聘を拒み、

レンズ磨きを生業とした。「エチカ」の中には彼の哲学の一切−形而上学、心理学、認識論、感情論、倫理学があるが、

重点は倫理学。汎神論と決定論の立場で、“永遠の相もとに”万象を観ずる彼の哲学の目的は、

認識による人間の幸福にあった。

荘子(B.C.4世紀後半の人)

:老子の思想を継ぎ、道家といわれる。老子が政治的社会的な関心をもっていたのに対し、

荘子は安心立命を問題とし、知識を否定し死を讃美しさえする。無為にして化すというのがその理想。

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タ行

デカルト(1596−1650)

:フランスの哲学者、近世哲学の父といわれる。「われ思う、ゆえに、われあり」とは彼の言葉。彼の主著はすべて、

20年にわたるオランダ滞在中に書かれた。「方法序説」は彼の思想的自叙伝ともいえる。

デューイ(1859−1952)

:アメリカの哲学者、社会学者、教育学者。プラグマティズムの大成者。「進歩主義教育」の創始者。

彼は中国、トルコ、メキシコ、ソビエトを訪れ、教育革命を指導した。彼の立場は道具主義(インスツルーメンタリズム)といわれ、

「思考とは、人間が環境に順応するために経験を操作し、欲求を実現するための道具である」と説く。

トマス・アクィナス(1225−74)

:南イタリア、アクィノの領主の子として生まれる。彼はスコラ哲学を内容形式ともに大成した、中世最大の体系家で、

哲学神学の原理的アリストテレス化という大業を成就した。

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ナ行

ニーチェ(1844−1900)

:ドイツの実存的思想家。ショーペンハウエルの影響を受け、音楽家ワグナーと親交があった。牧師の子。1889年に発狂。

独身で妹とともに生活。ヨーロッパ文明の精神的頽廃はキリスト教にあったと断じ、

資本制的生産による、人間の機械化奴隷化を痛烈に批判した。

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ハ行

パスカル(1623−62)

:フランスの数学者、物理学者、宗教哲学者。異常な天才で、16歳で「円鐘曲線論」を書いた。

キリスト教の中でも、もっとも禁欲的なジャンセニズムに帰依し、ポール・ロワイヤル修道院に入った。

「人間は考える葦である」とは彼の言葉。

ヒューム(1711−76)

:18世紀のイギリスの代表的哲学者。1765年フランス代理大使、ルソーを伴って帰国し、彼との不幸な確執が生ずる。

ついで国務次官となる。

フィヒテ(1762―1814)

:シュトルム・ウント・ドランクからロマンティック初期にいたる感情の高揚期において、

意志主義的・理想主義的哲学の理論化が彼の仕事であった。ナポレオン追放後の解放戦争に、

従軍看護婦となった婦人から感染したチフスで死す。

フォイエルバッハ(1804−72)

:ドイツの哲学者、宗教批判家。彼の史的位置は、ヘーゲルとマルクス、エンゲルスとの媒介者として重要である。

フッサール(1859−1938)

:ドイツの哲学者で、現象学の創始者。彼は意識の本質を指向作用として捉え、その構造を現象学的に解明し、

内容的にも方法論的にも学問の各分野に多大な影響を与えた。

プラトン(B.C.427−347或はB.C.428−348)

:ギリシャの哲学者。アテナイに生れ、青年時代ソクラテスに師事、諸国を歴遊し、帰国後アカデメイアを創設して、

子弟を教育する。晩年に政治的理想を実現せんとしてシラクサにおもむいたが失敗した。

著作はすべて対話形式で述べられ、他に書簡13通を加え4部作集36編に分けられている。

フロイト(1856−1939)

:夢の分析による深層心理学をうちたて、精神医学のみならず社会学、政治学、文化人類学、文学等に重大な影響を与えた。

20世紀最大の思想家の一人。1936年ナチスに追われて英国に亡命。

ヘーゲル(1770−1831)

:観念論的弁証法を考え出し、ドイツ観念論哲学を大成した体系的形而上学者。大学の同窓にヘルデルソーン、シェリングあり、

在学中にルソーやフランス革命を謳歌し、社会改革を志したこともあった。ベルリン大学総長となり、突然チフスにて死す。

ベーコン(1561−1626)

:イギリスの経験論的哲学者。エリザベス女王顧問、下院議員、大法官となったが、収賄事件でロンドン塔に幽閉された。

帰納法によって思考し判断することを、はじめて提唱した。彼は、正しい認識や判断を誤らせるものは、

先入観や偏見であるとして、それらを次の四つに分類した。

@種族の偶像、A洞窟の偶像(または個人的偏見)、B市場の偶像、C劇場の偶像(または伝統や権威への盲目的追従)

これらから抜け出る道は、科学的帰納法−実験であるとした。

ホッブス(1588−1626)

:イギリスの哲学者、政治学者。ピューリタン革命直前にフランスに亡命し、やがて王党派からは無神論的・民主主義的

危険思想家として追われ、再びクロムウェル治下のイギリスに逃げ帰った。それは彼が、王権の絶対性の基礎を、

人民の自己保存権(自然権)においたことからくる当然の帰結だろう。

「リヴァイアサン」は、旧約聖書の「ヨブ記」にある怪獣の名前であり、それによって世俗的近代国家を象徴せしめている。

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マ行

マキァべリ(1469−1527)

:ルネサンス・イタリアの政治家、歴史家。貴族出身、フローレンス共和政府の指導者。政治を倫理から解放した。

マックス・ウェーバー(1864−1920)

:ドイツの社会学者。学的活動は法学、経済学、歴史学に及ぶ。彼によれば、客観的宇宙なるものは成立せず、

各人は異なる神を信仰し、歴史は諸要因がからまり制約しあって流れるとする。

社会科学方法論では、科学の没価値性とイデアル・テュプス(理想型)による概念構成を主張した。

マルクス(1818−83)

:ドイツの科学的社会主義の創始者。ユダヤ人。彼のマルクス主義の体系はドイツの観念論哲学(ヘーゲル弁証法)、

イギリス古典経済学(アダム・スミス=リカードの労働価値論)、及びフランスの社会主義を源泉としている。

「資本論」は在来の人間・社会の味方を根本的に批判し、変革し、

社会主義を科学的に基礎づけた、近世最大の歴史的な哲学的著作。

孟子(B.C.372−289)

:中国戦国時代の思想家。孔子の思想を発展させ、道徳の基礎としては「仁義」を重視し、性善説、王道政治を力説した。

モンテーニュ(1533−92)

:ルネサンス期フランスの思想家。ボルドー市長も勤めた。「ク・セ・ジュ?(吾れ何をかを知る?)」との彼の言葉は、

彼の思想をよく表現している。「随想録」で彼は、学問、政治、宗教、恋愛、詩、老病、死などへの処し方について、

謙虚な試論(エセー)の形で語っている。彼の思想的自叙伝でもある。

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ヤ行

ヤスパース(1883−)

:ドイツの実存哲学者。バーゼル大学教授。彼は精神病医として、精神病にかかった芸術家の作品を分析研究しているうちに、

科学の限界を認識し、哲学の研究に入った。

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ラ行

ライプニッツ(1646−1716)

:ドイツの哲学者、数学者、物理学者。外交官としても活躍。普遍数学、普遍記号法、普遍言語の形成、百科学の組織、

世界にわたる学士院の建設、新旧両教会の和解統一などを生涯の仕事として努力した。

ラッセル(1872−)

:イギリスの論理学者、数学者、哲学者、社会評論家。1921年に日本を訪れた。

第一次大戦中、反戦運動のため大学を辞職させられ投獄された。原水爆禁止声明を出して、世界の注目を集めた。

近代論理学には多大の業績をあげ、ホワイトヘッドとの共著「プリンキピア・マテマティカ」は、記号論理学の古典的著作。

哲学では、“ケンブリッジ分析学派“の創始者の一人として、同学派の強力な推進者。

ルソー(1712−78)

:フランス啓蒙期の天才的思想家。彼の主権在民、自由平等、憂国の思想が、アメリカの独立やフランス革命に、

理論的基礎と情熱的原動力を与えたのみでなく、社会主義、人格主義、永久平和の理想、ヒューマニズム教育、ロマン主義、

告白文学、民衆芸術、山岳趣味など、近代を形成する諸要素はすべて彼にその先駆者を見出す。

ルター(1483−1546)

:ドイツの宗教改革者。ローマ法皇庁の堕落を攻撃し、宗教改革の火ぶたをきった。またエラスムスとの論争によって、

人文主義者と決別し、ドイツ農民戦争(1525年)においては農民を裏切り不信を買った。最初のドイツ語聖書訳者。

レーニン(1870−1924)

:本名はウラジミール・イリイッチ・ウリヤノフ。ソビエト・ロシアの創始者。マルクス及びエンゲルスの後継者として、

弁証法的唯物論と史的唯物論とを、新時代の諸条件に適用して一層発展させた。レーニン主義の創始者。

「唯物論と経験批判論」は、ボグダーノフ、ルナチャルスキー等ロシアのマッハ主義者、経験批判論者たちの、

マルクス主義“改善”に対するレーニンの理論闘争。エンゲルスの「反デューリング論」以後の自然科学上の進歩や変革を取り入れ

マルクシズム認識論を発展させ、また哲学の党派性や階級闘争とのつながりを強調した。

老子(B.C.5世紀後半の人)

:儒家が、春秋戦国の乱世に秩序を回復するために、人為的な方法による大統一国家を念願したのに対し、

老子は無為自然の状態への復帰、小国寡民の理想社会をのぞんだ。

ロック(1632−1704)

:イギリス経験論の代表的哲学者。近代民主主義の代表的思想家。名誉革命の指導的理論家。

彼の、自然権威擁護のための革命の正当性の理論は、後年のフランス革命、アメリカ革命に大きく影響した。