団子を握り続けた日々


何年間?思い出せない。

それこそ春先から真夏の炎天下の下、そして初冬まで。

炎天下の岩国港の護岸。私にもっとも染みついている記憶。

麦わら帽子を被って...

吹き出る汗...

汗にまとわりつく糠...

手に染みついた糠の臭い...

夢中になり過ぎて水分も取らず、帰りには頭がクラクラと...

汗ばんだTシャツに取り着いた糠の粉は、車の中に糠の埃を積もらせる...

パルプ工場の臭いが鼻につく...

それでも毎週毎週、いや週に2日出ていたこともあるだろう。真っ黒に日焼けした手は幾度と無く団子を握り、海に放っていた。


私のチヌ釣りの始まりは、所謂紀州団子だと思う。

どれくらいのチヌを釣ったか、想像が出来ない。無論、最初は滅多に釣れなかったのだけれど、あの”師”に出逢って、あの”自立棒浮き”を貰ってからの私は、とにかく狂ったように団子でチヌを釣っていました。

岩国港新港の私の当時のポイントは、水深は満潮時で竿2本有るか無いかで、比較的浅場のポイントでした。このポイントは潮の大きい日は、割合速い流れが駆け抜けていきます。

釣り場について、糠をバッカンに入れる。近くに砂山があるため、足下には風に吹かれた海砂が堆積していて、これを戴く。荒挽きサナギ粉と押し麦。海水を極少量ずつ入れながら、まとめられる最小の水分量を探っていきます。

現地で団子を作るから、水分の糠への馴染みが遅いのだけれど、団子をそこで作ることが、一日の釣りの始まりだったし、団子の出来が釣果の全てを決めるものだと感じていたから、団子を30分くらい掛けて作ることもよくありました。

理想の団子。
着底後、3〜10秒で割れて餌が飛び出す団子。水深が浅かったため、これは簡単にコントロール出来ていました。

右の膝裏に竿尻を挟んで、左の腿の上に竿を置く。これで竿を固定しておいて、両手で団子を握ります。

団子を下手投げで7〜10m沖に放って、予め弛ませておいた道糸を竿先で煽るようにして浮きを潮上に意識的に飛ばす。この一連の流れを「綺麗にまとめたい」なんて思っていました。

団子釣りはリズム。
「綺麗にまとめる」ということは、同じリズムで団子の投入を繰り返すことにつながります。
同じリズムで団子を投入。着底後、同じ短時間で団子は割れる。僅かに沈めた浮きがユラユラと浮き上がる。浮きが浮き上がれば3秒ほど流してすぐに回収。また団子を握る。

最初の1時間は寄せ。
団子釣りはポイントを自分で作る釣り。だから最初の一時間は魚を掛けようなんて思わないで、とにかく一定のリズムで団子を投入します。

浮きに違和感が...そしてアタリが出る。

日によってアタリの出方は違う。
浮きが浮かび上がる途中で止まるだけのアタリ。団子が割れたはずなのに浮きが浮かび上がらず消えていくようなアタリ。浮かび上がって一息ついて消し込むアタリ。

潮の読み。
流れが出るポイントだから、単に干満による潮の上下で浮き下を変更していたのでは棚はキープできません。当然潮が速くなれば浮き下は深く、そして浮きはより潮上に飛ばしてやります。

アタリが出るのが、潮の動き始めと、止まる前に集中するというのは、身体に染みついていました。
小チヌの数釣りだから、潮が止まっていても釣れますが、入れ食いになるのはそんな時間でした。

決して座らない。
団子を握るとき先に書いたように姿勢を落としますが、イスやクーラに腰掛けるようなことは絶対にしないで、団子を放るときからずーっと立ちっぱなしです。
座ればアタリに対する反応が鈍くなるし、何より真剣勝負である以上、気を抜いた態度で臨みたくなかったのです。小チヌとはいえ、あの頃の私にとっては、その時点での自分の全てを掛けて挑んでいた相手でしたから。

チヌのサイズは大きくて15cmから27〜28cmまで。数は日によって多少のムラはありますが、2桁以上は当たり前で20枚以上の日も多かったように思います。



夏の小チヌ釣りとはいえ、チヌが濃かったことだけは間違いないと思います。
上述したような基本をマスターしてからは、確実な釣果が出ていました。

理屈をこねるのは、多分好きな方だから、今も聞かれれば...いや聞かれなくても理屈を言ったりしています。でも、基本は理屈じゃないんです。
チヌの命を前にして、真剣に、毎週毎週、何年も、汗を流しながら、身に染み込ませた何かがあるのです。

”釣れない”から”釣れる”に変わる。”釣れる”が続く。そこでどうするか?なんです。
”釣れる”が続くと、どうやったらよりコンスタントに”釣れる”を続けられるか?海を前にして、理屈を考える前に、思いつきを実行していくのです。理屈は後でつければいいのです。理屈っぽい性格なのでしょうから、結局釣り終われば、今日の結果に理屈をつけていきます。それで形にして納得すれば、それを次に試して、その理屈が打ち壊されて、また何かやって、それを理屈にするのです。


思えば、多くの小チヌの命を奪ってきました。誉められた話ではありません。今、そんな釣りをしようとは思いません。
でもそうしてきたのは事実ですし、それが自分を創ってきたのも確かで、恐らく釣りを除いても、今の私を形成している要因の一つだと思います。生命を糧にしてしか生きられない人間...だからなのかな?

多かれ少なかれ、今も”その最中”にいるんだと思います。数年後振り返れば、今やっている釣りについて、同じようなことを考えているのでしょうね。


あの頃の小チヌ釣りがあったからこそ、今、フカセをやっても、また団子をやっても、僅かばかりではあるのだけれど、チヌの顔を見ることができるのだと自分では思っています。

だから、今の自分の釣りがあるからこそ、ひょっとしたらそれは釣りには現れないかもしれないけれど、きっと将来の自分もあるのでしょう。
当然、そこまで深く考えてはいません。


今、底冷えする冬の最中、そろそろ団子の季節だな...などと考え、

「冬場に団子でチヌを釣ろう、などとは思いもしなかった頃の話。」を少し思い出して、脈絡無く綴ってみました。


思い出せば出すほど、
私のチヌ釣りの原点は、炎天下の団子釣りだったんだなぁ〜。目を閉じれば、あの頃、真っ黒な手に汗を滲ませて団子を握っている自分の腕を容易に浮かび上がらせることができるのです。よく通ったものだなぁ.........


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