G杯広島湾予選が終わり....いや、予選の前くらいから少し考えていました。
自分の目指すスタイルは何なのだろう?と。
あまり意味のないことと解っていながら、それでも人が作った評価を臨む自分がいて、だからきっとトーナメントにも興味があるのだと思う。
けれど、それ自体、別に悪いこととも思わなくて、自分が好きなことなのだから、”誰よりも上手くなりたい”....なんて実現性の全くないことだけど、突き詰めて見たいと思うのは自然なことだと思うのです。
予選を突破してみて、次は秋に中国地区大会がある。ここで没頭して、トレーニングなどと称して今まで以上のハイペースで釣りを続ける....べきなのだろうと思います。
でもですね。なんだかそれをすると、自分を見失いそうでちょっと怖い。
海というのは、自分の中のストレスとか、そういった精神的な重荷を溶かし出してくれるのです。私にとって海とはそういうもの。だからこそ、そこに人間の作り出した精神悪そのものであるゴミなどが放置されていると、余計に気になったりするのです。まぁ自分勝手な話といわれればそれまでなのですが...
それはともかくとして、気持ちに余裕を持って釣りに臨みたい。言い換えると、「海を見ている」自分がいて、その自分が釣りをしているという基本を忘れたくないのです。釣りが全てじゃぁない。
家族のことを考えました。
私が釣りに行けば、その日一日は父親がいない家庭となる訳です。好きなことに没頭する素晴らしさを見せることも悪いことではないと思うのですが、やっぱり割り切れない部分が、女房にも、娘にも、そして私にもあるようです。
今の自分にとって、最も自分らしい釣りとの係わり方ってなんなのだろう?
当然、一分でも一秒でも長く竿を握っていたいのも、それは素直な私の姿ですが、それにより発生する歪みが自分や家族にのし掛かってくるのも現実。
欲張りな私は、全てを求めようとしているのかも知れません。当然、それは叶うわけは無いのですが、最適なバランスは探すべきかな?と。
ちょっと”釣りをする時間”を減そうかな....そんなことを考え始めています。
例えば、トレーニングを意識するなら、別に周防大島に行く必要は無いわけで、家から歩いて5分の護岸でも練習はできるはずです。磯場で払い出す潮を釣るのは、これは割合簡単な状況です。難しいのは磯と平行に流れる潮、またその状況での遠投での釣り。そして当て潮。だったら護岸なら殆どの場合護岸と平行に潮が動いているのだから、練習には持ってこいなのでは?
3〜4時間集中して練習すれば、1試合から2試合分の時間だけ練習ができるはずです。
そして、自分本来の釣りをするなら、大島に行くなり、渡船を使うなりして、好きな場所で竿を振ればいいのです。
こんなことをすれば釣果は落ちると思いますが、釣果なんて食べれるだけあればいい訳ですから、さほど困ることはないでしょうし。
これから先どうするかは解りませんが、今、そんなことを考えています。
で、今日は、家族と大地くん(犬)で、結局周防大島に居たりします。
シーズンイン前のガラガラの海水浴場。
はしゃぎ回る大地くんを取りまいて、楽しい時間を過ごしてきました。
足下の砂の上には小さなハゼが沢山。そしてヤドカリも。娘も大喜びです。
周防大島はこういう私達も優しく迎えてくれます。
そして、橘町の竜崎温泉へ。大地くんを放ってはおけないので、交替で...となりますが、名物の潮の濁り湯で疲れを溶かし出してきました。
という訳で、今日も海を見てきました。