魚を見て海を見ず

そして大型連休が始まった

 昨夜、NHKの深夜の番組にさだまさしが出ていた。その番組の中で、NHKでは「ゴールデンウィーク」という表現を使わない、という話があって、おもしろいな、と思った。
 理由は5つほどあったのだけれど、一番もっともだ、と思ったのは、ウィークとは言うけれど、確かに今や9連休、10連休は当たり前。一週間を超えてウィーク、ということはないだろう。ということ。確かにね。そのほか、誰も彼もが休めるわけでもないのに「ゴールデン」だなんて、反感を買いかねない、というNHKらしい話もあった。
 また、ゴールデンウィークという呼び方そのものが、とある映画会社が使い始めたものでもあるらしい。考えてみれば黄金週間なんて、ちょっと妙な気もする。少なくとも僕の連休は黄金色に輝いてはいないし。
 というわけで、今後、僕もNHKにならって「大型連休」と呼ぶことにした。まぁどうでもいいんだけどね。そんなこと。。

 さて、その大型連休。僕の場合は4月29日から5月7日までの9連休。それほど仕事は好きではないので、会社のカレンダーが9連休であれば、ちゃんと9日間休むことにしている。休みに仕事をする人の中には、休みでないとできない業務でやむを得ず仕事をする人と、とりあえず会社に行って仕事をしていないと落ち着かない人、という2種類がいると思うのだけれど、後者の方はちょっと僕とは価値観があっていないような気がする。
 ただ、一応僕もまじめなサラリーマンなので、仕事関係の本を読もう、と思い、500頁クラスの本を2冊持って帰っている。仕事関係の本、といえども、なかなか普段仕事中に読むことはできず、こういった機会に、と思った訳だ。
 ・・・「田中さん、どうせそんな本持って帰ったって、読むわけないじゃないですか!」と後輩に言われ、「そんなことはない、俺は読むぞ!」と答えたのだけれど...まぁ後輩の方が僕という人間をよく理解していたようで...今日で大型連休も終わり。当然のように全く読んでいない。他の本は読んだのだけどね。やっぱおもしろくもなんともないや!実務解説 知的財産訴訟 なんてさぁ...こんなのおもしろがって読むやつがオカシイし...って、みんな我慢して読んでるだけなんだろうな。

 さて、この大型連休。いきなり外せない予定が舞い込んだ。
 チヌ釣りHPの老舗「黒鯛団子釣り名人への道」竹下さんが去年の9月以来の来広。いつもどおり「広島湾のチヌ釣り」安芸さんの家に泊まっての2日間の釣りの予定。
 本当なら一週間前に来る予定だったのだけれど、悪天候に阻まれて一週順延となり、この大型連休のスタートを飾ることとなったのだ。

 今回は安芸さんのホームグランド、小方港での連釣の予定。ノッコミが始まってしまうと釣果が安定しなくなるポイントなのだけれど、安芸さんに寄れば、以前のように全く釣れなくなることはないよ、とのことだし、まあそもそも釣果は二の次。いくらか釣れれば、夜は安芸さんの奥さん、菩薩さんの料理が味わえる訳だ。その”いくらか”は安芸さんが釣ってくれるだろうから気楽に考えておけばいい。

 近場、と思うと、ついついギリギリに動いてしまうところがいけないところ。遅刻こそしなかったものの、本当にギリギリに到着してしまった。「久しぶり!・・・という感じもしないねぇ」と竹下さんと僕。確かに9月の前には6月に湯浅であっているからね。

 竹下さんと安芸さんと僕。「いつも海を見ていた」はここから始まっている。

 いい仕切り直しになるな。

 さて、竹下さんと僕は紀州マッハベースで団子を作ります。安芸さんは当然、安芸さんブレンド。糠と、驚くほど目の粗い砂。これに荒挽きサナギと押し麦をブレンドしているはず。

 紀州マッハ(青)、紀州マッハ攻め深場(緑)を1:2程度でブレンド。ここは水深15m。これに細挽きサナギを半袋(900gの普通サイズ。アミエビ1カップほどを加えます。あ、押し麦も適量。

 不安。なにせ久しぶりの紀州釣りだ。10月末以来だから、ほとんど半年振りになる。果たしてまともに団子を握れるか?このポイントならそれほど締める必要はないけれど、ノッコミ期に中途半端な団子を握ってしまうと、チヌが底を離れてしまう。そうなっては釣果は厳しいものとなってしまうだろう。着底までに発生する表面の崩壊を極力抑えなければ。


 反応がない。う〜ん。

 と、思っていると、いきなり連発させるのは安芸さん。この釣り場に通い詰め、そしてここでの釣りを完成させてきた安芸さん。対してこの釣り場は2003年1月以来の僕。

 これ以上ない好天に恵まれた一日。延々とアタリを拾えない一日。

 お!浮きがシブシブっと沈んでいる...チヌじゃぁないな...しかし...アワセ!
・・・ん?ヒトデ。



 これで終わりなんじゃないだろうな...俺...いや、こんな写真を撮っている時点でかなり終わっている。

 面倒なのでハショル!この日の釣りについては興味のある方は「広島湾のチヌ釣り」を見てください。

 結局、安芸さんは1ダース。竹下さん2枚。僕は1枚。いやいや差がついたものだ。


 翌日。さすがにこれで終わるわけにも行かない、ということで、竹下さんと二人、安芸さんに一日弟子入りを試みる。団子は安芸さんのパーフェクトコピー。釣り方も、これは以前僕自身も安芸さんに習ってやっていたこの釣り場独特の「浮きを使った掛かり釣り」スタイルで釣る。
 掛かり釣りの一つの形として、柔らかい穂先で団子の重みを感じておく。団子からサシエが抜けると穂先が跳ね上がる。そのあと穂先を送る。というスタイルがあると思う。僕はすなちゃんに遊んでもらっている宇和海の北灘湾での掛かり釣りが4回と、小鳴門 堂の浦でのカセ釣りが1回。計5回しか短竿の釣りの経験がないのだけれど、これはザックリいうとそういう釣り方だったように思う。安芸さんスタイルは長竿で同じように操作し、アタリ自体は浮きでとる、というものだと思うといい。
 団子の投入点はほぼ竿下に限定されるため、足下がポイントになる釣り場限定ではあるが、逆にこういう釣り場だと強い武器になる。

 しかしね。やはりキャリアの差は出る。というより、同じスタイルで釣ればキャリアの差は余計に出るのは当たり前だった。
 この二日目。前日に比べ遙かに魚の反応場渋くなっており、また風も出て、また潮の流れも難しくなっていて、全体に不調。安芸さんを持ってして6枚。僕はなんとか2枚。竹下さん1枚。
 アタリ、取れないし、アタリ、出ないし。いや、出ないアタリは取れないのだけれどね。



 

 チヌ、という食材。僕は基本的に釣りは「食」と切っても切れない間柄だと思うし、「食」と「釣り」を切り離すときには釣りは止めよう、とも思っている。当然、競技の釣りは「食」とは離れることもあるし、それを否定するつもりは全くなくて、どちらかといえばそういう釣りも好きだ。けれど、気持ちの根底には「食」がある。

 そして、チヌという食材をこれ以上ないほど美味しく戴く術。それは菩薩さんに食材を提供すること。これは間違いない。
 どこをどうやったら同じ食材でこれほど別の食べ物ができるのだろう?あまりこういうことを大きな声でいうと女房の機嫌も悪くなるのだけれど...
 安芸さんがいつの間にかなぜだか釣って帰っていたコノシロの刺身も絶品。コノシロのスナズリの刺身なんて食べたことあります?僕はない。これがまた上手い。カルパッチョ。絶品のチヌのスープカレイ。おなじみ絶品チヌソーメン。当然お造りもあり、アラの揚げ物ありと...一つ一つの味がすべて違っているのだからこれが堪らない。
 確かにこれなら一週間チヌを食べ続けても飽きることはない。いやいや、いつもながら...やはり一番凄いのは菩薩の料理。そして菩薩さんのおもてなしの心だ。

 腹一杯食べて、食後のコーヒーをごちそうになって、全く持って幸せ。

 チヌだけを見ない。コノシロも美味しく戴く。海を楽しむ一つの形。

 ごちそうさまでした。




 いつまでも続けたい楽しい時間。

 

ダッチオーブンって?

「それ、何?」
ん?鶏の丸蒸し?丸焼き?へ?

 大型連休前。会社の親しい連中が妙なことを口走り始めた。よくよく聞いてみるとアウトドア料理らしい。

 これだけ釣りにばかり行っていると、ひょっとすると僕のことをアウトドアマンだと勘違いされている人もいるかも知れないけれど(いないか...)、はっきりいっていわゆるアウトドアマンでは全くない。
 キャンプなんて数えるほどしか行ったことはないし、以前周防大島の片添ヶ浜オートキャンプ場で家族でキャンプしたときなどは、あまりのアホらしさに嫌気がさして、二度と来るか!と思ったくらいだ。折角の静かな夜。波の音。そんなところに身を置きながら、ワイワイガヤガヤと深夜まで騒ぎまくる連中。いや、そういう価値観が大勢を占める場所に入り込んだ僕が悪いのだ。文句を言ってはいけない。だからやっぱり二度と行かない。
 誰もいない海辺。あるいは河原。そんなところでのキャンプは少しあこがれる。けれど一人でそんなところでキャンプをする、というのは、なかなか家族に説明し辛い。家族で行くには水もトイレもないこういう場所はあまり受け入れられそうにない。

 さらに炭に火を起こすのも自信ないし、そもそも海辺で肉を焼いて食べなければいけない意味も分からないのでその気にもならなかった。

 つまり必要がないので、アウトドア料理に興味もさほど湧いていなかったのだ。


 だけれど、実は少しばかり思うところがあって、ちょっと興味がわき始めている。もっともこのダッチオーブンというものは、高い確率で僕の目指すところとは違うのだけれど。


 広島湾をぐるっと周り、呉から音頭大橋を渡り、倉橋島大向海岸を目指す。我が家は広島湾の西側に位置しているので、この倉橋島やそこから早瀬大橋でつながる能美島、江田島といった場所は非常に遠い。直線距離なら近いのだけれど海を渡る術はなし。さらに呉や広島の街中を抜けなければいけないためやたらに時間が掛かるのだ。だから滅多に行かない。周防大島の方が近いし楽なのだ。

 しかし、廿日市から木材港と商工センターを突き抜け、広島西飛行場の北を抜けて宇品までほぼまっすぐに抜けることができる道が出来てからは、少しばかり呉は近くなっているようだ。しかし、これも莫大な干潟や藻場を潰して出来た道路なのだ。海を潰した道を通って、海の幸を得に走る。すさまじい矛盾。

 この日、仲間は3手に別れて大向海岸を目指している。1つは大向海岸での投げ釣り組。もう1つはダッチオーブンその他のいわゆるアウトドア料理を主導する組。これは買い物などもしてくるし、そもそも朝早くから行く必要がないので後からゆっくり来ることになっている。
 そして僕。僕は単独。あまり遠く離れる訳にはいかないので、料理を作ったりする予定の大向海水浴場の東側の小磯に入るつもりだ。このあたりは初めて。さてさて。

 300円の有料駐車場に車を停め、砂浜を端まで歩いて岩場に到着。ここは満ちると行き来できなくなるんだっけ?なんとなくそんな記憶があったのだけれど、その気になってみてみるとかなり凹凸のある崖肌。問題なく行き来できそうだ。



海を見る。駆け上がりが走る。足下には藻場。これはいい。ノッコミ場としては申し分ない。シーズンインしていれば間違いなく釣れるだろう。



マキエはオキアミ生3kg、チヌパワーV9遠投とオカラダンゴを一袋ずつ。4時間ほどしか竿は出せないと思うので、これでも量は多いくらいだと思う。

まずは広範囲にマキエをいれて、ともかくチヌにやる気を出してもらう。

5分ほどマキエを打ってから、仕掛けを準備。プロ山元浮きG2にG5とG7を打つという僕の定番仕掛けでスタート。

マキエを打っていると、みるみる草フグが集まってきた。こいつらだけはいつも付き合いがいい。

メバルを2つ3つ釣って、あとは草フグに遊ばれつつ時間が過ぎていく。

際は駄目だ。藻際はいつまで経っても草フグが遠慮なく餌をつついている。となると沖。浮きを2Bに交換して沖目を竿1本から1.5本の棚で探ってみる。

サシエは時々残る。いけるかな?

浮きが滲む。張り気味の道糸がスッっと動く。アワセ!がつん!

よっしゃ!気持ちよく引き込むがサイズは期待できない。浮いてきたチヌは35cmほど。引き抜こうと思ったが持ち上がらなかったので玉網で掬う。
サイズはともかく久しぶりに磯で釣るチヌは気持ちがいい。

しかし...割合深い棚で食ってきた。これだけマキエを打ってこの状況。ということはまだまだノッコミも本格化していないな。

案の定、アタリは続かない。

ふと、砂浜を見ると料理組が到着している。11時には上がってこい、とのこと。あと1時間。もう一枚釣れるか釣れないかだな。

が、結局アタリはそれっきり。11時前に竿を畳み、バッカンを洗って仲間のところに戻る。


料理はほぼ出来ている様子。ダッチオーブンは今少し時間が掛かるそうだ。みんな、ご苦労様。僕、食べるだけの人。

しかし...折角海岸まで来て、何故海が見えない駐車場で火を起こして、テーブルを出しているのだろう?
この純粋な疑問をぶつけてみると、荷物を運ぶのが大変だから、ということだった。ごもっとも。何も手伝っていない僕にどうこういう資格はない。

炭で肉を焼いている。勧められるが一つだけ食べて、後は30cmクラスの見事なアジを焼いたものをいただく。これは海岸を車で回っている魚屋から買ったもの。美味しいからヨシ。

炊き込みご飯が炊きあがった。これは炊飯ジャーで炊くより飯盒で炊く方が間違いなく美味い。おかわり!ほぼお腹が膨れてきた。幸せ。

ダッチオーブン。これは七輪の上にのせられ、さらにふたの上に炭が載せられている。ようやくダッチオーブンが何者なのか分かってきた。要するにオープンなオーブンなのだな。上から下から熱を加えているのか。



おお、これは見事。鶏のお腹の中にもジャガイモやらニンニクやらが詰められているそうだ。

鳥皮。美味いね。あとは味が今ひとつ付いていないようだけれど、それなりに美味い。なるほどなぁ。外で食べれば雰囲気も食べれるから、やはり美味しいものなんだな。

会社の中では数少ない気の合う連中との時間。これはこれで楽しい。今までもこういう機会は何度かあったのだけれど、折角の休日を釣り以外に割くのがもったいなくてほとんど参加していなかった。つまり視野が狭いのだ。こんなことだから行き詰まる。

これも海を楽しむ一つの形。・・・海、見えないけど...


ともかく、この日で3日連続釣り。結構疲れて帰路に着く。

回帰...いつも海を見ていた

「いつも海を見ていた」
 このネーミングは、いつも社会生活で疲弊し、またそんな中には喜びもあったりするのだけれど、そんな記憶とは別に、いやオーバラップしながら、常に僕の記憶には海が背後に広がっているような気がする、そんな思いでつけたものだ。何かを悩んでいるときも海を見ていたし、ウキウキしながら海を見ていたこともある。苛立ちを海にぶつけたり、海に癒されたり。釣り、という行為は、僕が海に接するための一番重要な道。ツールである。
なにぜ小学生のガキのころから、毎週釣りに行っていたからね。近所のため池、そして自転車を1時間以上こいで出掛けた海。
僕が子供のころからダイビングを楽しむような家庭に生まれていたなら、恐らく釣りに傾倒しないで今もダイビングに傾倒していただろうし、両親がサーファーならそれはサーフィンに傾倒したものになっていただろうと思う。幸か不幸か、そういう洒落た家庭に生まれていなくて、釣りだって、実のところおじちゃんの影響が強かったかも。

 基本的に融通の利かない性格というか、不器用というか。あれこれ同時に熱中することができないんだな。これが。
 釣りは面白い。チヌというターゲットに巡り会ったことで完全にはまってしまい、毎年毎年釣りのうち95%〜100%をチヌ釣りに費やしている。釣行回数は年間45〜49回。幾らがんばっても50回に到達しないあたりが、まだ家庭を大事にしていることの現れだと思う。きっと間違いない。その50回弱のうち1回くらいは別の釣りを付き合いでやってみたりしている。これはこれで面白いのだけれど、どうしても...不器用なもので。そういえば渓流にも長いこと行っていないな。

 ところが、フッと疲れている自分に気付いた。なんだかんだと自分に言い訳をして釣りに行かない自分に気付いた。釣りに行かなければ行かないで過ごせるのだ。けれど、多分僕の顔は段々生気を失ってきているはず。

 今年の冬は寒かった。また水温の低下も激しかったのだろう。魚の反応がとにかく悪かった。その影響だと思うのだけれど、今年のノッコミは1潮から2潮くらい遅れているような気がする。釣ったチヌの卵が未だ小指ほどもないくらいだ。当然釣ったチヌが小さい、という前提はあるのだけれど。
 そんな寒さと魚っ気のない海に対して、意欲が湧かなかった。忙しかったのもあるけれど、忙しくても行っていたのだからやはり意欲が湧かなかったのだ。

 2ヶ月ほど釣りに行かない、という自己記録を見事に樹立した頃、ようやく毎年僕を悩まされる花粉症も落ちついてきた。マスク無しで空気を吸える嬉しさ。風に当たっても眼がウサギ眼にならない嬉しさ。制約があってこそ感じられるものが自由だ!などという人がいるけれど、まさに自由!なのだ。

 うずうず。海を見たい気になってきた。そうそう、このこそばゆいような気持ち。これなんだよな。

 someさんに勧められて読み始めた野田知佑さんの本。その空白の2ヶ月の間に10冊近く読んだ。そして僕は考えた。そうだ、僕は「海を見ていた」というスタンスに立つつもりだったのに「魚を見ていた」いや「チヌを見ていた」になってしまっていた。もっとも必ず釣れるほどの腕があるわけではないので、正確には「いつもチヌを見ようとしていた」なのだけれど。
 野田知佑さんに素直に影響されてみよう。そう思った。誰かの真似をする、というのは基本的に好きではないのだけれど、憧れてしまったのだから仕方がない。それに光が見えた気がした。これから何十年も海に向かい合うであろう僕の未来が開けた気がした。もっと「海を見よう」と。

 海を見る。友達と遊ぶ。手を掛けた料理で魚を味わう。ぼーっとする。昼寝をする。泳ぐ。魚以外のものを獲る。チヌ以外のものを釣る。そのまま食べる。まだまだいろいろありそうだ。

 とりあえず、倉庫からもう10年ほど前に買ったコールマンのシングルバーナーを引っ張り出す。このスポーツスター2とツーマントルランタン。実はこれくらいのものは持っていたりする。以前は夜釣りもしていたからね。
 長いこと放置していたので、アウトドアショップでパッキンを買って組み替えた。オイルを差して、ホワイトガソリンを入れる。ポンピングをして庭で火をつけてみる。しばらくは赤い不安定な炎と黒い煙が出ていたけれど、なんとか安定してきた。使えそう。

 部屋の中には釣具屋で衝動買いしたスノーピークのパーソナルクッカーNo,3がある。よく調べるとチタン製が今は主流みたいだけれど、このクッカーはステンレス製だ。まぁ素人なのだしこれでいいだろう。
 さらにコールマンのパーコレーターと、これは匂いが気になるので本当はチタンが欲しかったのだけれど見当たらなかったのでやむなく我慢したコールマンの二重構造になったステンレスマグカップ。あと、一体、何に使うのかも知らないが、シェラカップというものも一つ買った。これはキャプテンスタッグというメーカのチタン製のもの。このメーカはジュンテンドーやデパートでも見かけるな。なんだかシェラカップでコーヒーを飲むのもかっこよさそうだ。形から入るのも男の楽しみ方。

 いつも、集魚材とポカリスェットと、その他いつから入れっぱなしか解らないフィッシンググローブやスーパーの袋などが入った、すでに縫い目が破れているディパック。上に書いた道具たちを全て詰め込むとかなりパンパンだ。本当は背負子が欲しかったのだけれど、なかなか思うようなものが見つかっていない。それに2ヶ月釣りに行かなかったお陰で財布は割とゆとりがある状態だったのだけれど、かなり衝動買いしたのですでに寂しくなってきている。まぁ僕の財布のゆとりなんてその程度のものだ。所詮お小遣い性。きっと高校生くらいの連中より貧乏なんじゃないだろうか。

 エクストレイルが両側から草が張り出す細い道をかき分けるように進む。ここは久しぶりの磯だ。それほど知られない場所ではないが、雰囲気はいい場所。もっとも、海の方は...ここを最初に見つけた年には、とにかくよく釣れた。2桁はそれほど驚かない状態だった。
 しかし、翌々年には磯際にはびっしり網が張り巡らされ、竿が出せるときが少なくなった。さらに竿が出せてもあまり釣れなくなってしまった。釣れる釣れないは我慢できるが、網が入るというのは致命傷だ。最近、網の入れ方が容赦ない。磯際ギリギリの藻際を完全に取り巻くように網が入っていることが多い。スーパーに並んで売れ残っている10cmもないような小メバルはこうして乱獲されて、そして誰の腹も満たすことなく、海は荒れていく。漁師は仕事でやっているのだから僕なんかが文句を言ってはいけないのだろうが、海は何をやっても受け入れてくれるほど強くない、ということは僕が知っているくらいなのだから、漁師も知っているのではないか?と思う。10年後、20年後には20cmクラスのメバルは幻の魚になっていることだろう。いや、今だってすでにそのサイズのメバルなんぞ滅多に見かけない。
 チヌが網に掛かっているのは、網上げをしているのをじっと見ていても、滅多に見かけない。用心深い魚なのだろう。とはいっても、スーパーに並んでいるのだからやはり網には掛かるのかな。何れにしても竿2本先に網が入っていたのでは釣りにはならない。間違って網を針に引っ掛けたりすると大変だ。網は引っ張れば寄ってくる。当然、錘ごと寄ってくる訳ではないのだけれど、浮いている部分は寄ってくる。そのせいで引っ張ってもなかなか切れないのだ。こういうときの1.25号のハリスは強い。大きなボラを掛けたときも強いけど。ハリスというのは本命の魚を掛けたときに自動的にこれを判別して切れるように設定されている。これは経験的に間違いない...のか。


 車を停める。
 海を見てみると、少なくともあからさまに網が入っている様子はない。発砲スチロールが浮いていない。
 ハッチを開けてブーツを取り出しサンダルから履き替える。フローティングベストを着けて、がまかつのメッシュキャップを被り、首にタオルを巻く。ディパックを背負い、ロッドケースとバッカンを一つ、それとチェストハイのウェーダーをもって出発。

 この磯、釣り座に入るには一箇所難関がある。以前は崖上にはい上がってこの難関を越えていたのだけれど、もともとあまりしっかりした地盤でなかったこと、また台風でかなり崩れていることを予測していた。案の定。無理せずウェーダーを履く。
 瀬戸内とはいえ、周防大島のこのあたりの海は透明度がそれなりにある。膝くらいの水深かな、と思って足を差し込んでみると、太股がすっかり浸かってしまう、なんてことがよくある。ウェーダーは便利だけれど、転倒すると恐ろしい。足に空気が入って浮いてしまうので、立ち上がれなくなるらしい。経験はないけれど。フローティングベストを着けているので頭が沈んでしまうことはないだろうけれど、ウェーディングは充分注意しなければいけない。ちなみにウェディングも注意すべきだ。やってしまうと後悔してもなかなか後戻りできない。別にこれは経験を述べている訳ではないので勘違いしないで欲しいけど。

 ともかく、思ったより深い海を用心しながらウェーディングで越える。距離は僅か。

 釣り座に到着。

 いつもならすぐにマキエを作り始めるところだけれど、今日は違う。ちなみに朝もゆっくり出たので、この時点で時計は9時を回っている。焦るのは止めたんだ。

 パーコレーターに水を入れる。一人だけなので少しでいいのだけれど...とりあえず300mlほど入れてみる。コーヒー豆。家には昔衝動買いした手挽きのミルがあって、本当ならモカを粗挽きして持ってきたかったのだけれど、貧乏性が出て、家にあったもらい物のコーヒーを持ってきた。中細挽きなので、おそらくパーコレータには向かない。まぁどうせ自分が飲むだけだからどうでもいい。こういう自由度。単独行の気楽さ。誰に対しても責任を持たなくていい。ゴミを出さない、怪我をしない。これだけを守ればいいんだ。

 家で一度くらい試してみればいいものを、現地でいきなり使おうとする。それで動揺するのも僕らしいといえば僕らしい。

 さて、コーヒー豆はどこに入れるのかな?目の細かい孔が多数に空いている器があって、その上を蓋するように、少し目の大きい孔があいたものが被さっている。まぁ常識的に考えれば、この器のようなところに入れればいいのだろうな。計量スプーンなど当然持ってきていないので、適当にコーヒー粉を入れる。ちなみに家でコーヒーをドリップするときも、量はいつも適当。

 スポーツスター2をポンピングする。面倒だけれどこのポンピング作業はなんだか儀式みたいで面白い。火をつけると、また赤い炎と黒い煙が出ている。面倒なのでそのままパーコレーターをおくと、パーコレーターが煤で黒くなってきた。しばらくすると炎の色が消えて、火力が安定してきた。



 コーヒーが沸くまでの間、マキエを作る。
 あとでコーヒーがマキエ臭くなったって構うもんか。飲むのは僕だ。

 オキアミ生3kg、チヌパワームギ1袋、オカラダンゴ1袋。それと糠を半袋ほど(1kgの半分)。ノッコミも本番になれば、マキエは量を増やした方がいい。だからオキアミも倍は使うし、アミエビをさらに2kgほど入れたりする。だけれど今年は多分まだまだだろうな、と思っているから量は少ない。水温が低く、餌獲りの活性も低いときは、固形のマキエ素材は減らした方がいいと思っている。マキエは底に溜まるほど撒けばいい、というものではなくて、餌獲りとチヌが食べ尽くせるほど撒くのが基本だ、と勝手に考えている。ただ、ノッコミ本番になればチヌは浮き勝手になり、自分より下に落ちた餌を追わなくなってくる傾向がある。こうなってくるとそれなりに量が必要になってくるんだ。

 マキエを作り、釣り座に運んでバッカンを置く。
 周辺にしっかりとマキエを打ち込んでおく。

 振り返るとパーコレーターから湯気が立っている。お、沸いてきたな。

 が、何故だかポコポコいっていない。ひたすら沸騰しているだけだ。ポコポコとお湯があがってこないとコーヒーにならないじゃないか。火力が弱いのかな?
 火力を強くするとより一層沸き立って、だんだんお湯がなくなってくるのではないか?と不安になってきた。少しはポコポコし始めたけれど、なかなか色が着かないじゃないか。こんなのでは。
 原因はなんなんだろう?アウトドアに精通した人たちが近くにいたら笑われてしまいそう。パーコレータを前にして、火力を調整したりしながら悩んでいる僕。
 ひょっとするとパーコレータの大きさに対して水が少なすぎたのかな?水を200mlほど追加。これが効を奏したのかどうか解らないけれど、なんとかポコポコいい始めた。

 そろそろいいかな?コールマンのマグカップにコーヒーを注ぐ。飲む。・・・薄い...
 何故だ?・・・ん・・・あ、そりゃそうだ。豆を足さずに水だけ足したんだから薄くて当たり前か。ポコポコも足りなかったような気がするし。火力はもっと落とさないといけないのかな。
 しかし薄すぎるな・・・あ、ドリップすりゃいいのか。
 かなりいい加減なことをやっているなぁ。思わず一人で笑ってしまう。パーコレーターの蓋をあけて、マグカップの薄いコーヒーを注ぐ。これで当然コーヒー豆を一度お湯が通過する訳だから、少しは濃くなるはず。ペーパーフィルタがないので、スッとお湯が通過してしまうにしても、だ。これを2度ほどやると、それなりに味が付いてきた。

 今度、一度家でパーコレータでコーヒーを入れてみよう。何事も経験だな。

 海に向かって岩の上に腰を下ろす。コーヒーを飲む。



ときどきマキエを入れる。ノッコミの釣りは焦る必要はない。より始めのチヌを間違って釣ってしまうより、しっかり寄せてから釣った方が効率もいいしね。

 それにしても美味いもんだなぁ。海を見ながら飲むコーヒーは。別に格好つける訳じゃないけど、こりゃ美味いぞ。

 2杯目のコーヒーをカップに注ぎ、岩の上に置く。
 オキアミを針につけてようやく今日の第1投。とりあえず様子見にプロ山元浮きG2をセットしている。

 チヌが浮いている様子はない。やっぱり厳しいな。

 それと、海をよく見てみると、ペットボトルが浮いている。それには紐が付いていて、釣り座の目の前にある。・・・網かなぁ。これを除けて仕掛けを入れないといけない。

 浮きをプロ山元浮き2Bに交換。浮き下を竿1本〜1.5本で調整する。
 コーヒーを飲みながら竿を振る。去年までの僕なら、「お前、マジメにやれ!」と言ってしまいそうな光景だ...と仲間のうち何人かは思っているかも知れないけれど、そもそも価値観は人それぞれだと思っているので、実は隣でラーメンを食べている人がいても何とも思わない。いや、正確には、「おいしそうだなぁ」と思う。

 浮きが沈む。お!来た来た。こいつを待っていたんだ。15cmほどのメバル。
 水汲みバケツに入れておく。

 草フグは見えているし餌も獲られるけれど、どうにも活性が低い。チヌの雰囲気は感じられない。ときおり「ひょこたん」が釣れるだけだ。え?ひょこたんってなんだ、って?それは気長にこれを読んでいれば解るよ。

 腹減ってきたな。よし、そろそろやろうか。

 ちゃんとしたアウトドアクッキングには実は未だあまり興味がない。だけれど、そこで獲れたものを最低限の料理でそこで食べる、という行為にはとても興味がある。持ってきている調味料は醤油と塩だけ。たぶん、ずっとこれで充分なはず。味付けなんてほんの僅かでいいんだ。これは家で作るチヌのアラ汁で知っている。

 パーソナルクッカーの一番小さい鍋に水を入れる。スポーツスター2はそれなりに火力が強いので、メバルを捌いている間にかなり沸いてきた。おっといかんいかん。先に捌いておけばよかった。醤油をさっと垂らして、鍋にメバルを放り込む。腹を割いているので腹身が瞬間で反り返り、生命は食べ物に変わった。
 少し煮ないと出汁が出ないな。弱火にして数分待つ。いい匂いがしてきた。



 もういいかな?

 メバル一匹では腹は満たされないので、カロリーメイトを一袋もって、鍋を持って、海に向かって岩に腰掛ける。

 とりあえずメバルをつついてみる。お、小さいけど美味いな。
 鍋にそのまま口をつけて汁を飲む...おお!こりゃぁ美味い!美味すぎるぞ。一人で騒いでも誰にも笑われないのも単独行のメリット。しかし美味いな。今度、Kabe兄と一緒に釣りをするときには、こいつを食わせてやろう。

 メバルはとことん僕につつかれて、骨と鰭と頭だけになる。これはゴミにはならないので放り投げる。トンビが狙っている。

 残った汁でカロリーメイトを流し込む。ちょっと足りないけど、でも満たされた気分。

 海を見ていた、だなぁ。少しこの路線で楽しんでみよう。


 風が強くなる。ここは北風が谷間を吹き抜けて強烈に吹き付けてくる場所だ。その北風が襲ってきている。こうなるとかなり過酷だ。

 浮きをプロ山元浮き3B遠投に交換し、水中浮きもセットする。こうでもしないと道糸が風に煽られてまともに仕掛けが入らない。

 岩陰にパーコレーターやクッカーを押し込んで、少し釣りに集中。依然と雰囲気は出ない。いやそれ以前に久しぶりの釣りと手強い風で、まともにマキエとサシエが同調していないようだ。こりゃぁ釣りもリハビリが必要だ。

 風の弱まる間隙を突いて仕掛けを入れる。
 ・・・朱色が海面に滲む...シュッと力強く浮きが動いたのを確認してアワセ!グゥンっと重量感がアテンダーにのってきた。サイズは小さい。グゥーンと横走りしている。竿の弾力でそのまま浮かせて、抜き上げよう...と思ったけれど、大事に玉網で掬った。

 綺麗な魚体が薄曇りの空から差し込む光にギラッと光った。32cm。



 その後、風はどんどん強くなり、チヌも活性を上げることはなかった。いまの僕だと低活性のチヌをこのコンディションで底から引きずり出すことはできない。

 潮が引いてきた。干出し岩の上に降りて、風の影響を抑えながら竿を振ってみたけれど、やっぱり釣れなかった。竿を畳む。

 荷物を片付けてから、もう一度干出し岩に戻る。さっき釣りをしている最中、ずっと気になっていたんだ。

 水温が低いからなんだろうなぁ。5月にもなるといつもなら溶けたようになってきているものも沢山あるのに、今年は未だに新芽のような小さなワカメが沢山着いている。

 肘まで海に手を浸けてワカメを獲る。沢山は要らない。冷蔵庫の肥やしにした上にゴミ箱行きじゃあワカメにも申し訳ない。小さいものを4束ほど獲った。このワカメ。家に帰ってさっと湯がいて食べたら、そりゃぁ美味しいのなんのって。乾燥ワカメしか食べたことの無い人っていうものいるんだろうな。本当のワカメ。海の中にあるときは冴えない色をしているんだけれど、さっと湯がくと綺麗な緑色になる。コリコリして柔らかい自然の味がして、美味しいんだ。
 女房にも「また獲ってこい」と命じられたのだけれど、これだけは潮が下がらないと獲れないし、どのみちそろそろシーズンも終わりだからね。また来年でもチャンスがあれば獲ってくるよ。

 ああ、楽しかった。

ひょこたん

 友波、という男がいる。
 出会ったのは1999年の5月だったと思うから...そうか、もう6年にもなるんだ。
 不思議な男だ。歳は確か一つ下だったと思うのだけれど、よく言えば落ち着いていている...そんな友さんに僕自身、何度助けられただろう。

 些細なことから、釣りが楽しまなかった時期がある。

 そんなとき、友さんと釣りに行った。
 別に誰かにそういう愚痴を言っていたわけでもなくて、僕自身が漠然と「なんだかつまらないな」と思っているくらいだったのだけれど、「田中さんは、前みたいに釣りを楽しんでないみたいじゃね。」と指摘してきた。
 ちょっと驚いた。そのとき別につまらなそうな顔をして竿を振っていた訳でもないのだ。
 そんな男だからこそ、ただ何でもないことをしゃべりながら、ゆったりと竿を振ると、ああ、釣りは楽しいな、と思えてくるのかも知れない。

 友さんだけではなくて、僕は幸い、素晴らしい友達を、そして兄貴分すらこのホームページをきっかけにして得ている。
 これは僕がホームページを続けてきて得た最大の宝で、自慢でもある。


 友さんの海に向かう姿勢は本当に自然だ。メバルが食べたければメバルを釣ってくる。イカを食べたければエギングだってやるし、沖に出てジギングもやるし、自ら海晴丸をかって海原を駆ける...というと格好よすぎる...ポンポンポンという感じで進んでいる。もちろんチヌのフカセ釣りは得意で、自然体を崩さないのに、どうにも必死で細々としたことをやっている僕が釣り負けること多々。
 本人には決して言わないけれど、結構格好いい。
 いや、見た感じはちょっとヤボったいかも知れないけれど、男は見た目じゃない。
 
 釣り負ける、と言ったけれど、友さんとの釣りは勝ち負けなど関係ないのは分かってもらえるかな。

 ところで、狭い釣り座で肩を並べるようにして一緒に竿を振る、というのは、お互いの釣りのレベルや、相手を気遣う気持ち、また自分の譲れないところは譲らないという気持ち、そんなものが上手くバランスしないと、実は心底楽しめない。
 そういう意味では、友さんとの釣りは気が楽だ。

 ずっと馬鹿話、仕事の話、家の話、社会的な話、今年も弱そうなカープの話などしながら竿を振っているのだけれど、これが沈黙になっても構わない。

 あ、雰囲気が出てる...と思って、友さんの仕掛けの投入点を超えて仕掛けを流していても、友さんも僕の浮きからその雰囲気を感じ取っているのだと思うのだけれど、何も言うことなく、手を止めて待っていてくれる。僕はそれには必ずしも礼は言わない。潮の向きが変われば逆になるだけのことだ。


 ちょっとホメ過ぎた。


 さて、大島大橋を渡る。
 友さんといつも待ち合わせる釣具店の駐車場。珍しく既に友さんが来ている。実はこの男、結構遅刻が多い。

 友さんの提案でここから僕の車一台で釣り場へ向かうことにした。荷物をエクストレイルに積み込む。

 久しぶりにゆっくり顔を合わせるので、少しずつ会話のペースを取り戻しつつ、既に日が昇って相変わらずキラキラと綺麗な海を左手に車を走らせる。

 車を停める。身支度をしている友さんを見てみると、もう何年も前から同じ格好。そろそろそのフローティングベスト、替えた方がいいんじゃないか?沈むぞ!とちゃかす。

 少しばかり歩きにくいゴロタ浜を進む。足下でこぶし大からこぶし二つ分くらいの岩がぐらぐらと動いている。歩きにくいが、そこに広がる生命感が嬉しい。海と陸の接線はいろいろあるのだけれど、もっとも自然で、もっとも生命感に溢れているのが磯だろう。とくに瀬戸内の磯場はその大きな干満差によって圧倒的な生命感を生み出している。まさに数え切れないほどの生命が存在し、それらによって魚が育まれる。
 ただ、これがいつまで持つのか...干潟は埋められ、磯も削られ、自然に接したいがために海辺に別荘を買おうとする人がいるが故に、磯場はその犠牲になる。生活排水で汚された磯を見るのは、本当に虚しいものだ。

 さて、マキエを作ろう。
 僕はオキアミ生3kgにチヌパワームギとオカラダンゴといういつものブレンド。友さんはオキアミ生3kgに糠とチヌパワームギ。チヌパワーを混ぜていることが多いような気がして、「あれ、今日はムギなん?」と聞いてみると、ここは遠投ポイントだから重いムギを使う、との答えが返ってきた。なるほどね。

 ここの釣り座はさっき話したような釣り場なんだ。
 大きな岩の上の狭い釣り座にバッカンを並べて置く。
 「ワシ、左じゃけぇこっち入らしてもらうよ。」「ああ、ええよ。」友さんは仕掛けを投入するとき、左から振り込むことが多い。僕は左手で竿を持つので右から振り込むことが多い。もちろんどちらも反対側からでも触れるのだけれどね。

 潮位が低い。しかも時間が経っても潮がほとんど上がってこない。潮が小さいから仕方ないが、今ひとつだな。15〜20m沖の駆け上がりよりさらに沖に仕掛けを振り込む。可能な限り沖へ。悲しいかなマキエのコントロールが定まらない。あれ?マキエの遠投はどちらかというと得意...いや、好きな方なんだけどな。

 やはり凡人を絵に描いてペンキで塗り固めたような僕は、少しブランクが空くだけですぐに駄目になってしまうようだ。

 ともかく、一日中杓をフルスイング。相当疲れてきた。けれど気持ちがいい。
 つまり単純なんだ。マキエは思いっきり遠くに投げた方が気持ちがいいし、団子も思いっきり遠くへ投げた方が気持ちがいい。投げ釣りだって、ポイント云々よりとにかく思いっきり竿を振った方が気持ちがいい。日頃、たとえば思いっきり走る、とか、思いっきり何かを投げる、とか、思いっきり大きな声を出す、といった「思いっきり」な行動はいくら考えてもまったくやっていない。
 スポーツでもしていればいいのだろうけど、朝早く電車にのって会社に行って、夜遅く家に帰って寝る、というほとんど虚しい日々には「思いっきり」という言葉は似合わない。いや、仕事に手を抜いている訳ではないのだけれど。

 馴染みの魚を釣り上げる。
 「あ、ひょこたんじゃ。」
 「ん?ひょこたん?なんだそりゃ。磯ベラって大島じゃ”ひょこたん”っていうんか?」
 「ほおよ、ひょこたんいうんじゃ。」

 磯ベラ。ササノハベラとオハグロベラを普段あまり区別せずに磯ベラ、と呼んでいる。釣り人にとっては、いずれにしてもあまり美味しい魚ではないし、見た目も決して美しくもないし、にも係わらず至る所でサシエに食いついてくる厄介者なので、ちゃんと区別する必要性もない、ということだろう。
 この場に登場した「ひょこたん」は、ササノハベラ。大島でササノハベラのみを「ひょこたん」と呼ぶのか、磯ベラ全般を「ひょこたん」と呼ぶのか?はたまた、この友波という男が呼ぶ「ひょこたん」という名前が周防大島統一のものなのか?は、現段階では謎のままだ。しかし、謎は謎としてそれ以上追求しない、という僕のポリシーに基づいて、また、「ひょこたん」という名前がすっかり気に入ってしまったので、今後磯ベラ、というありきたりな呼び方をせず、愛情を込めて「ひょこたん」と呼ぶことにした。


 少しばかり風に翻弄されながら、それでも穏やかな一日が過ぎていく。

 友さんが竿を曲げる。息子の誕生日に尾頭付きを願った友さんに周防大島の海は微笑んでくれた。

 一日中、的はずれなマキエを打ち続けた僕は、沢山のひょこたんと、そしてフグと気まぐれな鯖に遊んでもらって、それでも気持ちよく竿を畳んだ。


 「じゃ、もうちぃと調子が良おなってからまた行こうの。」「じゃ、またの。」


 大型連休最後の釣行。9日間の休みで5日間釣りに行った僕の残りの家での4日間は、決して居心地がよいものではなかったことは補足しておこう。ちゃんと家族のことも考えないといけないよ。

 大型連休が終わった。当然、仕事に行かなければならないのだけれど、やはり仕事を生き甲斐にできていない僕はなかなか頭も身体も仕事に馴染んでくれない。当たり前といえば当たり前だ。
 古い記憶を呼び起こしてみると、確か、小学生のころは夏休み明けは午前中だけ学校、というようなことがあったような...何事にしても「徐々に身体を慣らしていく」というのは必要だろう。どのみち一日会社に居たって、大半魂ここにあらずでボーっとしていたのでは意味がない。徐々に身体を慣らしつつ、なるべく早く自然に社会復帰させた方がお互いのため、というような気がする。・・・いや、僕がボーっとしている、という訳ではないぞ。

 実はあまり気が乗らない釣りが待っていた。何故気が乗らないのか、がよく分からないのだけれど、どうにもワクワクしないのだ。



 大型連休が終わった次の日曜日。
 それでも3時半にはちゃんと起きて、4時ころ家を出る。もう少し遅い時間だと大地がきょとんとした瞳で、そして期待感丸出しで僕の方を見つめて、そのまま車に乗るときに何となく悪いことをしたような気がするのだけれど、さすがにまだ真っ暗な4時ころだと大地も寝ている。

 大地というのは我が家の飼い犬のゴールデンレトリバー。お世辞にも端正な顔立ち、とはいえないのだけれど、それはそれ。まぁ個性というやつだ。
 朝の散歩は平日も休日もだいたい僕が行っている。だから、僕が朝起きて、そして玄関先でごそごそしていると、もうヤツは散歩に連れて行ってくれるものと思って、庭の2畳ほどの広さの屋根付き柵の中をウロウロウロウロしている。そして僕が顔を覗かせたときの顔といったら、まぁ何というか、期待感...そう、目が「ワクワク」と言っているのだ。.
 が、背を向けて僕が車に乗ろうとしたり、駅の方に歩いていこうとすると、「・・・え?・・・え?どうして?」というような目になり、寂しげにこちらを見つめるのだ。純粋な動物の目、というのは、結構訴えるものがある。

 さて、そんな大地も寝ている時間に車を東に向かって走らせる。15分ほどで草津漁港に到着。いつもの駐車場にはもう沢山の車が停まっている。

 マルキューチヌ釣り選手権大会広島湾予選。
 毎度毎度のことながら、参加することに意義がある...のかどうか分からない状態になっている大会だ。


 僕が最初に出た大きな釣り大会は、がまかつの大会だ。G杯。やはり惹かれるものがあった。
 この大会は予選からトーナメントで、一つの磯に2名上がり、2時間で沢山釣った方が勝ち。しかも1時間で釣り座交代、という、公平というものが達成しにくい釣り大会において、おそらくもっとも公平感の高い大会だと思う。しかもノッコミの時期の広島湾では、その2時間でも釣果はだいたい出る。だから面白いのだ。

 5カ年計画を立てた。5年で全国に出ることができなかったら、もう大会に出るのは止めよう、と。

 1年目。第1回戦を何とか勝って、2回戦目で負けた。負けたけれど、僕は2枚、相手は1枚。相手の1枚が大きかったのだ。だからまだやれる、と思った。

 2年目。3戦を勝ち進んで広島湾予選突破。このときの記憶は喉がヒリつくような乾きとともに思い出すことができる。面白かった。
 しかし秋の中国地区予選では、1戦目、じゃんけんで勝った。2戦目、じゃんけんで負けた。秋の芸予諸島はトーナメント形式で試合するには少し物足りなかった。不完全燃焼。面白くなかった。

 3年目。広島湾予選の申し込みを損ねて、徳山湾予選に参加した。ここでもじゃんけん負け。

 4年目。訳の分からない理由で広島湾予選が無くなった。
 広島県はそもそもマキエを使った釣りが漁業規則で禁止されている。と、いいながら、漁業権を持った漁師がやっている遊漁船でも、これでもか!というくらいアミカゴにアミエビを詰めて魚を釣らせている。当然、フカセをやっていて咎められたこともない。有名無実な規則となっているのだ。
 周辺他県ではこれが改正されたところもある。が、広島では、別にその規則を行使しようとする気はないが、改正するつもりもないらしい。一時、このことが騒がれて、結果としてがまかつは広島県で大会を開かなくなった。まじめ、といえばまじめだけれど、なんだか逃げているような気がした。

 この年は場所を上関に移して開催され、ここでは勝てていた試合を落とした。焦りからくるつまらないミスだった。

 そして、その翌年。つまり5年目から広島湾でのG杯は完全になくなり、上関でも開催されなかった。
 徳山湾の大会に参戦することは可能だったのだけれど、今ひとつ気が乗らず、5カ年計画の5年目はお預けのまま今に至っている。

 マルキューはそんな中、ずっと広島湾予選を開き、決勝大会も広島湾で開催し続けている。
 そして2003年からこれには参加し続けている。広島湾だけでなく、徳山湾の大会にも毎年参加してきたし、一度、福山にも行ったことがある。結果はいずれも話すほどのこともないほどのものだ。


 そんなマルキュー杯。今年も徳山湾にも行こうと思っていたのだけれど、フ、と気がつくと、すでに申し込み期限が過ぎていた。釣りの試合、というものに対する興味が少し薄れてしまっている。それが顕著に顕れたんだろうな。

 さて、今年も抽選でゼッケンを引く。これで渡る釣り場のエリアが決まるのだけれど、これまで、ほとんど期待感を持つのも難しいようなところに上げられて来ている。去年などは、もっとも広島湾奥の似島。それだけならまだいいのだけれど、普通に車が走っている道路脇の奥行き2mほどのカーブミラー脇の磯。道路と同じ高さ。少し左手の砂浜では家族が弁当を広げている。おいおい、金返せ!と心の中で叫んだのは記憶に新しい。

 さてさて、今年はどうなることか。

 どうやら割り当てられた渡船は、またまた広島湾奥行きの渡船らしい。かなり小さな船だ。
 そして船は似島に向かっている。・・・まさかまた同じ磯じゃあないだろうなぁ・・・そんなことを考えていたら、まずは似島でも磯らしい磯に2組(4人)が降りた。このまま似島周りに降ろすと、僕の順番あたりは「道路脇カーブミラー脇磯」だなぁ、とびくびくしていると、船は突然船首を沖に向けた。
 お、これは奈佐美島に向かうんだな。

 思った通り奈佐美島へ。ここは宮島と能美島の間にある細長い島で、時期がよければそこそこ期待が持てる場所だ。

 しかし、なんだかいろいろトラブルがあって(他の船が故障したとか、僕らの乗っている船の船頭が、実は奈佐美のことを知らないとか...なんだかねぇ)、奈佐美島沖でしばし停船。

 このときも我ながらおかしいなぁ、と思ったんだ。
 普通なら「いい加減にしろよ。いらいらするなぁ。ちゃんと遅れた時間は考慮してくれるんだろうな?え?おい。」くらい思いそうなものなのだけれど、「ああそうなんだ。まぁゆっくりしとこう。え?競技時間は遅れた分延ばしてくれるの?別にそのままでもいいけどなぁ。」などと思ってしまっていた。

 ようやく船頭が交代して、渡礁が始まる。僕ともう一名が上がったのはおそらく三角か船着きか、どちらかだと思うのだけれど、実は奈佐美は始めてきたのでよく分からない。

 ともかく、上がった釣り座はめちゃくちゃ狭い。荷物が無ければ何とか二人で竿が触れるかも知れないけれど、さすがにこれはなぁ...
 仕方ないので準備をしようとしていると、同磯の人が、「私はあっち(地方)に行きます。」と言ってきてくれました。お互いにその方が楽に釣れるだろうし、その人が選んだ方向(一つの磯で中心線を決めて、ゼッケン番号が若い方が先に好きな方をとるルール。僕の方が番号が大きかったので、選択権はあちらにあった。)なら、地方から釣ってもさほど変わらないだろう、と思ってのことだろう。
 とはいえ、船が着けられた、潮が高くなれば地方と行き来できなくなるこの釣り座が一番いい釣り座であることは間違いない。
 なんていい人なんだろう。と思いつつ、船着きのこの釣り座で釣らせてもらうことにした。

 ところで、「同磯の人」とか「一緒にあがった人」とか、いろいろな表現があるのだけれど、結構これはいつも思うのだけれど書きにくい。したがって、ここでは単に「隣人」と呼ぶことにする。契約書風にいえば(以下、「隣人」という。)という感じだ。


 マキエは駐車場で混ぜてきた。オキアミ生4.5kgほどとアミエビ1kg。これにチヌパワームギ、オカラダンゴと、チヌパワーV9半袋。サシエは残ったオキアミブロック1.5kgから取るのはいつものパターン。だって、3kg450円のオキアミ生ブロックを買っているのに、わざわざワンパック450円くらいのサシエ専用オキアミを買う気になれないと思わない?それならもう3kgオキアミブロックを買った方がお得なような気がするのは、やはり貧乏性なんだろうね。
 これに、食わせ練り餌チヌと、魚玉を持ってきている。ちなみに魚玉は竹下さんと釣りに行ったときに買って、余ったものだ。・・・僕なら食べない。だって生ものなのだ。冷凍された生もので、しかも開封済み。一度溶けて、それを再び冷凍庫に入れていたもの。腐ってそうな気がする。だからチヌもきっと食べないのではないかな?と思うのだけれど、そういう練り餌で釣れたこともあるから、よく分からない。
 これも、大会の時に普通ならこういう不安な餌は持ってこない。けれど、「買うと高いからこれでいいや」と使いかけの練り餌を持ってきているところあたりにも普段と違うマイナスの意気込み?が感じられる。

 僕がマキエの調整をしている間に、隣人はすでに釣りスタート。

 ところがまったく焦らない僕。まずは寄せないとね。

 マキエが仕上がった状態で、丹念に自分のエリアにマキエを入れる。3分以上はたぶんマキエを打っていたと思う。

 それから竿を出して、仕掛けのセット。まずはプロ山元浮きG2のいつものセッティング。

 仕掛けを作る途中で、もう一度マキエをしっかり打ち込んで、最後に、ハリスとサルカンを結んで、ようやく準備完了。

 さぁ、釣ろう。それにしても天気が良くて気持ちいい。けど、海、濁ってるな。ああ、もう少し沖か...いや大島でゆっくりしたいな。海は綺麗な方がいいからね。



 2投したところで仕掛け交換。馴染みが悪すぎる。浮きをBに交換して、道糸にG5のガン玉を追加。

 メバルが掛かる。さすがに料理して食べる訳にもいかないし、なによりバーナーは持ってきていないのでリリース。
 周防大島より広島湾の方がメバルは濃いような気がする。広島湾だとメバルが餌取りの中心になることが結構多い。大島はひょこたん天下だからね。

 10投もしていなかったと思うのだけれど、いきなり浮きがそれっぽく沈む。
 あ、チヌだ。欲がないと釣れるものである。
 ただし、検量サイズの30cmあるかないか微妙なサイズ。一応ストリンガーに掛けておく。

 普段、大会のときは、あまりストリンガーやスカリは使わない。これは、何らかの原因で逃げてしまうと困るからだ。そう思って、一応今回はブクポンプを新調してきているのだけれど、まぁどうせ逃がすだろうし、なるべくチヌに負担が掛からない方がいいよな、と思って、ストリンガーを使った。

 僕の釣り座、そして仕掛けを入れるエリアは、ワンド向きになっている。
 潮は朝方はずっと当て潮気味。あまり釣りやすい状況ではなかった。ここなら、ワンド方向に潮が走れば結構釣れるだろうな、と思いながら、竿を振っていた。

 隣人が竿を曲げている。僕が当て潮だから、あちらは沖向きに潮が出ているのだろうな。

 その直後だったと思うのだけれど、浮きが綺麗に沈んだ。
 バシッっとアワセると、これまた見事にアテンダーがひん曲がる。おおお、こりゃいい型だなぁ。
 竿の角度だけ気をつけながら魚を浮かせに掛かる。底を切れないようなサイズではないのだけれど、簡単に浮いてくるサイズでもない。45cmは超えているだろうな。とくに焦るでもなく、ただ竿の弾力が引き上げた分だけリールを巻きながらやりとりしていると、なぜだかプツリとハリスが切れた。

 ここでの正解は、「くそぉ〜、これで勝ちを逃してしまったかもシレンじゃないか。俺って、ばかばか。ああぁ、もうやってられないよなぁ。ぶつぶつぶつぶつ」と悔やみ続けることなのだけれど、やはり今の僕はオカシイ。
 「あ、切れちゃった。まあ仕方ないな。」で済んでしまう。

 隣人の方が「あああ、凄い竿が曲がってましたね。惜しかったですねぇ。」などと言ってくれている。

 ちなみにハリスを見てみると、すこしザラついた感じになって切れていた。引きはチヌだったと思うから、このザラつきはどこかのタイミングで岩に当てていたか何かなのだと思う。針を結び直す。手は震えていない。


 潮が変わってきて、僕の浮きはワンドの浅い方に流れたり、理想的にワンドの沖の方に流れたりし始めた。ワンドの浅いところにマキエを溜めることと、流れの中で釣ること。これを使い分けながら竿を振っていたのだけれど...
 
 隣人がワンドの中で釣っていいですか?と隣人が声を掛けてきた。これは断れない。僕はこの磯で一番よい、と思われる釣り座を譲ってもらっているのだから。

 隣人の釣り座は当て潮になり、かなり釣りづらいのだそうだ。

 「あ、どうぞ」と返事をする。

 ワンド内に差し込む潮も相変わらず出ていたので、潮下に隣人が仕掛けを入れている形になる時間がある。仕掛けを流し込む範囲も自ずと制限される。

 しかし、まぁエエか。なのだ。

 結果として、ワンド内の浅瀬、僕がマキエを効かせていたつもりだった(実際にそうなっていたかどうかは分からないのだけれど)ところから、隣人は良型を引きずり出してきた。こういうと、如何にもこの良型は僕が釣るはずだった、と聞こえそうだけれど、これはそうではない。

 見ていても、仕掛けの振り込みから魚を掛けた後のやり取りから、すべてがスムーズ。かなり上手そうな人だった。隣人が上手いからちゃんと釣った、ということだけが事実だ。

 さて、僕の方は、ワンド沖に流れる潮で、50m沖あたりで良型を掛けた...が、またバラした。やれやれ。

 川水が流れ込んだと思われる濁り。水潮だ。これが時折ズズッっと押し寄せてきて、その途端、魚っ気がなくなる。この潮が抜けるとまた魚っ気が戻る。そんな一日だった。

 その後、35cmくらいのチヌを引き抜いて、磯の上でブラブラさせていたら...落ちた。ほとんど大会に臨む姿とはいえない態度だ。

 結局、納竿時間には、その後釣った30cmあるなし含めて、ストリンガーには3枚のチヌがつながっていた。



 迎えの渡船に乗り込み、草津漁港へと戻る。隣人は本当に気さくないい人で、船中もずっと話をしていた。


 検量に出す魚もいないし、どのみちお楽しみ抽選会も何も当たらないだろうな、と思って、もう帰ろうか、と思っていた。が、それもあまりに周りの空気に反している気がして、車の窓を開け、シートを倒してしばし一休み。車中は暑いかな、とは思ったのだけれど、吹き込む風がとても心地よく、うとうと...と。

 ふと、気がついたらもう表彰前の講評など始まってしまっていた。少し躊躇したけれど、車から降りて一団が座り込んでいる輪の一番外に紛れ込む。遅刻して教室に入る、バツの悪い大学生のような気分だった。

 今年の優勝者は、去年の優勝者と同じだ。場所がどうこう、またいい場所にあがる運がどうこう...というのも、確かにあるとは思うのだけれど、結局、上手い人は上手いし、上手い人が勝つんだよな。優勝者があがった磯は奈佐美島だった。僕にもチャンスはあったと思った。

 今年の大会は、始まる前にもう終わっていたのだと思う。

 え?お楽しみ抽選会?

 あれはね、当たらないんだよ。僕は。見事なまでにね。



 会社の帰り、駅から家に歩く。いつものように、踏切に引っかかる。あの大会から3日ほど経った。
 気合いがまるで入らなかった大会のことを、女房に話した。すると、「もう大会は止めた、なんて言わない方がいいよ。」などと言われた。
 カンカンカンカンという音、上下2段でそれぞれ2つずつある赤いランプが、上が右、下が左、そしてその逆という点滅の仕方をしている。少し冷たい風に吹かれながら、その点滅を見ていた。

 僕は一体何をしたいのだろう?釣りに行きたい。けれど、少しその姿勢が変わってきていることは認識している。海を楽しみたい。だから、大会の釣りに気が乗らなかった?違うなぁ。違う。今までと違う方向に考えなければならない、という、思い込みが自分の気持ちを揺らしていたのではないか。それじゃぁ前と同じじゃないか。海をいろいろな方向から楽しめばいい。大会だってそのひとつの形ではないのか。
 海を楽しめばいい、と言ってしまうと、やもすると釣りの腕などどうでもいい、という方向に流れてしまうかも知れない。そうではないはず。向上心を失えば、チヌ釣りそのものに対する興味も失せてくるのではないか。僕は少なくとも向上心は失っていないし、失いたくはない。
 僕にとってチヌ釣りは海に接するためのもっとも重要な道なんだ。これに手を抜くと、僕は海の中のことがますます解らなくなってくる。

 気が乗らないのなら行かなければいい。これも確かだ。

 けれど、そんなことを考えていると、後悔の念が押し寄せてきた。あのバラした2枚を取れていたとして、また隣人の釣ったチヌを僕が掛けていたら?磯で落とした35cmとキープした32cm。上手くいけば4kg後半、あるいは5kg台の結果を出せていたのではないか?バラしは腕が悪いのが理由だ。大会で勝てるかどうか、は運も手伝うけれど、あのときの僕は自分に甘えていた。

 貨物列車が通過する。列車に引かれた風が僕に叩きつけられる。

 もっと腕を磨こう。海を楽しみながら、味わいながら、それでも竿を握るときは集中しよう。

 僕は釣りキチ三平のファンなのだけれど、好きなシリーズのひとつに茜屋流小鷹網の話がある。この話は投網の話なのだけれど、なぜか好きなのだ。

 「鬼手仏心」という言葉が出てくる。

 鬼手仏心。本当の意味はよく知らない。広辞苑を見ると、「外科手術は体を切り開き鬼のように残酷に見えるが、患者を救いたい仏のような慈悲心に基づいているということ。」とある。

 海に向かい、生命に向かう以上、常に仏の心を持ちながら、鬼の技で狙った獲物は確実に仕留める。仏の心は、必要以上に海に負担を掛けることは望まない。そういうことだろうか。
 無宗教の僕には仏もなにもないのだろうけれど、それは海に向かうにあたってとても大切なことだと思うんだ。

 鬼の技を磨く。

 来年は気合を入れよう、と思った。

 踏切が上がった。

 僕の釣りの輪郭が少しはっきりしてきた。魚に、とくにチヌに対峙するときは、全身全霊をもって獲る。けれど、積極的に竿も置こう。海を楽しもう。メバルも、ワカメも食べよう。ああ、なんて欲張りな僕なんだろう。