#16 教祖
今,俺は大きな舞台の真ん中で仁王立ちになっている。
俺は偉そうに振舞うのは好きではなかった。しかし,ここは威厳を保たなければならない場所だった。
そして,「ここ」以外に俺のいるべき場所はなかった。
俺の眼下では,何百,何千という者が跪いて祈りを捧げていた。
それは決して,俺という一人の人間に対して捧げられたものではなかった。恐らくは,俺の後ろにある,何か巨大な力の前に跪いているのだろう,と思った。
公称では二千四百九人。
しかし,俺の眼には,もっと大勢のように思われた。その人波は,果てしなく無限であるかのように思われた。
これだけあれば,何が出来るだろうか。
ふと,そんなことを考える。
それは,少しばかり「権力」とやらを握った人間に生じる,ありがちな誇大妄想だった。
いかんいかん。
俺は残った分の理性で,必死にその妄想を抑えにかかった。
俺は,何かを成すためにこの場所を選んだのではない。
最初は―そう,最初は,たった二人だったじゃないか。
遠くを見渡せば,青々とした一面の緑。
牛がいる。
茶色のやら,白地に黒の斑のやら。
鶏がいる。
朝の挨拶をするには,まだ早い時間だった。
俺の背後から光が射した。
それを待ちかねたように,群衆はお決まりの賛美の叫びを上げる。
鶏の声は,かき消された。
それを締めるのが,俺の仕事だ。
この大いなる自然の恵みに!
自然の下に育つ生命に!
そしてそれら全ての元を成すこの偉大なる太陽に!
栄えあれ!
―栄えあれ!
栄えあれ!
―栄えあれ!
遥か向こうを見渡せば,四方を囲む山々が,ぼんやりとその姿を現した。
美しいな。
美しい。
ここへ来て良かったな。
良かった。二年前。
当時25歳だった俺は,幸か不幸かある大病院に厄介になることになった。
科名は,精神・神経科。
そもそも俺の元の職業は,漫画家だった。
ただ漠然と漫画を描くのが好きで,好きなことをして飯を食っていけるなら望外の幸せ。しかも一発当てれば死ぬまで食うには困らん,てなもんで,俺は大学時分から,せっせと描いては投稿し,描いては出し,と繰り返した。
そしてその中の一つが,偶然にも,当時隆盛を誇り,わが世の春を謳歌してきた某漫画誌が募集していた漫画賞に入選した。
その時の審査員の弁から,俺は途方もない才能を隠し持った,これからの漫画界を背負って立つべき期待の人材である,と世間が評価したことが分かった。当時地方大学の田舎学生だった俺は,出版社の編集者の命じるままに,夢心地に上京した。担当編集者は俺に,早速連載用のアイデアを考え,ネームを寄越せ,と言った。
言われた通り送ったら,早速その日に呼び出しを食らい,ここはダメ,あそこも直せ,と殆ど全ページに渡って直しを入れられた。
ショックだった。あれだけ才能がある,素晴らしい,と評論家諸氏に評された俺の作品のアイデアが,この出版社の一社員に過ぎない男に指図され,ポーカーの全取っ替えのようにやり直しを強いられる。
直せと云われれば直すだろう。でも,それはもう既に俺の作品じゃない。本当に担当編集がそう直さなきゃ載せない,と言うのなら,俺はもう描かないから貴様が描けばいいだろう,と思った。
しかし,描いて載せて貰えなければ勿論原稿料は貰えない。生活も出来ない。俺はその週は仕方なくそのように直した。おかげで作品の質は明らかに落ちた。毎週その雑誌では人気投票があって,ビリになった作品は遠からず淘汰される掟があった。俺はその週ブービーだった。俺は落胆した。俺の作品は明らかに,この編集者によってスポイルされたのである。
翌週などはもっとひどかった。
ネームを送ったら,間髪入れず編集から,
「ダメ。全ボツ。完全描キ直シヲ命ズ」
と言われてしまったのである。
俺は途方に暮れた。ネームに二日,下書きに二日,ペン入れとベタに二日,仕上げに一日どうしても必要だった俺にとって,一日でも延びることは死活問題だった。俺の割当は32ページだったし,当時駆け出しでアシスタントもいなかった(雇う気もなかったし,その金もなかった)から,誰に頼ることも出来ずに独りでもがくしかなかったのである。
しかも,先週編集の茶々入れが入った所為で,当初俺の考えていたストーリー展開とは全く別な方向に話が行ってしまい,俺はそれを何とか軌道修正するべく苦心惨憺する羽目に陥ったのである。
こうして毎週毎週,「描きたいもの」が描けず,ただ編集の言いなりの作品を作る日々が続いた。ちょっとでも自分の色を出そうとすると,即刻否定された。
時間の余裕もなかった。週七日間ずっと缶詰状態であったことに加え,いよいよ切羽詰れば完徹(完全徹夜)が待っていた。朦朧とする意識の中で,俺は今自分がやっていることが無為で無意味でつまらなく馬鹿馬鹿しいことのように思えた。だってそうだろう。好きで始めた漫画なのに,職業にした途端自分の好きなことが描けなくなってしまったのだから。これでは,上司の命令の下彼の意向に沿った企画書を唯々諾々とワープロ打ちする冴えない平社員と大差ない。いや,そっちのほうがまだマシだろう。今の俺よりは休みだってあるだろうし,給料だって多いだろうし,安定しているのだから。会社が潰れる確率よりも連載を切られる確率の方が遥かに高い。
俺は明らかに縛られていた。逃げたい。逃げたい。そればかりを考えた。
そしてその強迫観念にも似たストレスは徐々に,元々あまり頑強じゃなかった俺の精神を蝕んでいった。
ある日。
5回目にしてやっとネームにOKをもらい,下書きをするべく原稿に向かった俺を,突如猛烈な吐き気と腹痛が襲った。
トイレに駆け込み,上と下からしこたま出した。それでも足らず,俺はひたすら黄色い酸っぱい味のする液を嘔吐し続けていた。
ひとしきり吐いて原稿用紙に向かおうとすると,再び猛烈な吐き気。
そんなことを何度も繰り返した挙げ句,体調が悪い,もう無理だと判断した俺は,今日一日の犠牲を承知の上で,布団を敷いて休むことにした。
白い布団が,真っ白な原稿用紙に見えた。
間に合わず,俺は布団の上に吐いた。
激しい頭痛。
俺は病院に行った。
病名は,自律神経失調症。
勧められるままに,俺は入院の手続きを取った。
入院?
1ヶ月?
それだけ穴空けたら,どうなるか分かってるんだろうな。
電話の向こうの担当が,脅迫するような調子で怒鳴り続けた。
判っていた。
1ヶ月,4回分休載した場合,その空いた32ページは,代原(代わりの原稿)で埋めることになる。多くの場合それは,まだ日の目を見ず,連載作家の席を与えられていない若手の作家の作品が入る。そしてその作品が人気を取った場合,俺の連載は切られ,その作家が俺に取って代わることになる。
弱肉強食。
生存競争。
弱点を見せたものは,容赦なく切り捨てられる。
そんな漫画界の掟くらい,デビューしたての俺でもちゃあんと判っていた。
しかし,それら全てのファクターを考えに入れても,俺は入院せざるを得なかったのだ。
このまま続けていたら,潰されてしまう。
死んでしまう。
そんな自己防衛本能が,職業意識だの何だのを凡て打っ棄って俺を支配したのだ。
連載を切られれば,失業同然になる。
それでもいいと思った。
今のままやっていくのは,もう嫌だ。
まだ若いんだから,仕事なんて探せば幾らでもあるだろうし,いざとなれば人間何をやったって食っていけるものだ。
俺は病床の人となった。入院の日。
俺は見目麗しき看護婦さんに連れられて,精神・神経科病棟に入った。
病棟は8階にあった。精神を病んだ奴を8階なんかに連れてきて,自殺でもする奴がいたりしないのだろうか。ぼんやりそんなことを考えていると,
「ここです」
と看護婦の声。
そこは6人部屋だった。
俺以外の五人は皆40を越えていて,まともに歩ける人間はうち二人しかいなかった。残り3人は寝たきりの爺さんだった。ちなみにその3人は,1人が老人性痴呆,残りの2人はアルツハイマーだった。
まともに立って歩ける二人はいずれも窓際のベッドで向かい合わせになっていた。そのうちの一人がここの病室のヌシであるらしく,40ちょい過ぎくらいの土方風の男で,風呂に入る順番だのドアの開け閉めだのを一人で仕切っていた。ぱっと目には俺より元気そうで,どこが悪いのか見た目には判断できなかった。
「今日からここに入院する下山さんです」
看護婦の紹介に,
「ああ,よろしく」
と,素っ気無くはあるが一応返事を返したのも彼だけであった。
その日の夕方,
「兄ちゃん,俺今日外泊すっから,誰か来たらそう云うといてな」
彼が俺にそう云った。
「は…はい」
「看護婦さん,それじゃそういうことで」
「はい,行ってらっしゃい。お酒は飲んじゃダメですよ。せんだって先生にきつくお灸を据えられたでしょ」
「ああ,分かってるよ」
彼の病名はアルコール依存症,即ちアル中であった。
痴呆,アル中,アルツハイマー。
重病人のオンパレードである。
俺は入院の時,自分が一番重症だという自信(?)を持って入って来た。
とんでもない。
彼らに比べたら俺なんて,夢の島に浮かぶハナクソのようなものだったのだ。
世界は広い。初日は病室から出ることを許されなかった。
退屈と不便にはほとほと閉口する。
何せ,地下の一階にある売店に行くことも出来ないのだ。缶ジュースや新聞さえも買うことがままならない。これでは仕事場で缶詰にされるのと大差ない。忙し過ぎる缶詰も悪質だが,暇過ぎる缶詰もそれに劣らず性質が悪いと,今日只今初めて承知つかまつった。
俺以外の患者の所には家族が良く見舞いに訪れていた。
俺の所には誰も来ない。
当たり前である。俺が入院したことを知っているのは,あの忌々しい担当編集を含む編集者の極一部だけだ。そんな連中が見舞いにでも来ようものなら,却って俺の神経に障って症状が悪化するばかりである。
大体,親兄弟にさえ知らせてはおらない。何かあった時に身元引受人が必要になったらその時に呼べばいいだけの話だ。
そもそも俺の家族は,一家揃って俺が漫画家になるのに反対していた。一発当てれば家が建つが,人気が取れなければ失業同然という博打のような商売なんてする奴は馬鹿だ,と殊に親父は云っていた。ちなみに親父は役所に勤めている。そして俺にも跡を継いで貰いたかったらしいが,俺は自分が真っ当に勤められないという性分を知っていた。頭を下げるのが嫌いで,嘘がつけなかったからだ。
そういう訳で,俺は親の期待を裏切って,殆ど勘当同然で家を出て上京してきた。今更多忙で倒れたと云っても,家族は誰一人心配なんてしやしないだろう。だから云ったんだこの馬鹿が,と罵倒するか,ざまを見ろと嘲笑するのが関の山だろう。
俺は独り暮しで淋しいと思ったことなど全くなかったが,この日ばかりは誰かにそばにいて貰いたい,という人恋しさに胸を衝かれた。
結婚の一つでもしておけば良かったな。
そう思ったが,してないものはしょうがない。そもそも相手がいない。学生時分は好きな女の一人や二人はいたが,俺は人付き合いが下手糞で友達さえろくにいなかったから,綺麗な女がいても,ただああ綺麗だなと思うだけで,指をくわえて見ているしかなかった。漫画家になってからは,俺の世界の住人は自分と,例の忌まわしい担当編集の二人きりになった。そりゃノイローゼにもなるっちゅうねん。
2日目になると少々慣れた。
とはいえ,退屈なのに変わりはなかった。
この日初めて主治医と会って色々と話をした。
診療室で俺と二人きりになると,彼は症状のことに始まり,職業,家族構成,趣味,その他もろもろを俺に訊いてきた。
そういったことが果たして俺の病気と関係あるのかどうか疑わしかったが,俺は今のところこの男に命を預けるしかないし,下手な返答をして誤診でもされたら洒落にならないから一つ一つ丁寧に答えてやった。
一通り訊いた後で,彼は俺の病状について話した。
貴方は「病気」という訳じゃない。
きちんとした判断も出来るし,ちゃんと他人とコミニュケーションをすることも出来る。
ただ,神経の使い過ぎと過労が原因で,神経症の抑うつ状態になっているので,恐らくそれが原因で身体に症状がきているのでしょう。
今の貴方に必要なのはとりあえず何も考えないで休むことですよ。
あと,嘔吐などがあるということなので,一応内科的な検査もしておきますから。
まだ若く,いかにも秀才げなその医者は,じゃ,そういうことで,と言って席を立った。
あ,そうそう。売店には行っていいですから。
最後に彼は笑ってそう付け加えた。俺は売店に行って,念願の缶ジュースとスポーツ新聞を買ってから病室に戻った。
寝たきりの三人の爺さんは眠っていた。
人間というものは横になってしまえばいくらでも眠ることができるものなのだなあ,と俺は思った。
ここの消灯時間は一応夜9時半ということになっていたが,彼らは8時半になると勝手に電気を消して眠りに就いてしまうのだった。
そして朝食の時間までたっぷり睡眠を取って,しかも回診と検温の時間を除けば殆どずっと眠っていた。
俺も可能ならばそうしたかったが,とてもじゃないが彼らの真似は不可能だった。ついこの間まで,原稿が上がるまでは死んでも眠るなと言われ続けてきた人間が,いきなり24時間病室で寝ていろと言われたって,それは無理な相談である。
3度の食事の後に看護婦が薬を配りに来る。それは精神安定剤であり,それには誘眠効果もあったらしく,それを飲めば少しは眠くなるし,ある程度はそれを頼りに昼寝もしてはいたのだが,眼が覚めてしまえばまた退屈になるばかりだ。大体ずっと寝てばかりいると,次第に寝るのに飽きてきてしまい,横になって寝ること自体が苦痛になってきてしまう。俺は元々飽きっぽい性分ではあったが,寝ることにまで「飽きる」という概念が存在するとは思わなかった。例えて言うなら飯を食うことや女とやることに飽きるのと同義じゃないか。俺は苦笑した。1週間ばかり経った頃だろうか。
いつもの如く点滴を受け,検査と回診があり,もうこの後は何もないですから,と看護婦に言われたのを幸いに,俺はいそいそと売店に行き,いつもの如く缶コーヒーとスポーツ新聞と,あと週刊誌を一冊買って病室に戻ってきた。
病室ではいつもの如く爺さん達は熟睡中。窓際では例のアル中男と,向かいのベッドのもう1人そこそこ症状の軽いと思しき初老の男が何事か会話をしていた。
病院生活が長いのだろうか。彼らは俺が入院した時から,まるでお互い旧知の友の如く気安く話をしていた。それは俺の印象に残っていた。
俺はというと,先にも言ったように人付き合いが下手糞だったし,しかも親子ほども年齢の違う彼らに対する遠慮もあって,とてもじゃないがそこに入っていくことは出来なかった。ただ,彼らが話していることは,俺の耳にも嫌でも入ってくる。
「また泥棒が出たらしいの」
「ああ,全く性質の悪い話じゃ。病院を専門にして狙って入ってくるらしいで」
「気ぃつけんといかんな。あまり大金持って歩かれんで」
「いっそ看護婦さんに財布預けといたらどうじゃ。まさか看護婦さんは盗みゃあせんじゃろう」
「違いねえな」
アハハハ。彼らは二人して笑い合った。
「おい,兄ちゃん。ここも泥棒が出るけえの。気ぃつけんさいよ」
はあ。俺は生返事を返すしかなかった。
彼らはそんな俺に構わず,さらに話を続けた。
「でもの,取られてもおらんのに取られた取られた言うて騒ぐ奴もおるじゃろ」
「らしいの。859の女じゃろ」
アル中男が急に声を顰めて言った。
俺はその声の顰め方が気になったから新聞を留守にして聞き耳を立てた。
「こないだも急に私のあれがない,これがない言うて騒いで,あんた取ったじゃろ,そうじゃなけりゃあんたじゃろ言うて1人1人問い詰めて騒いだらしい。家族やら看護婦さんやらがあんたは何も取られとらん,あれもあるしこれもあるじゃろ,言うて宥めたけどダメで,相当騒いだらしい」
「被害妄想じゃのう」
「ほうよ,同室の人間からすりゃええ迷惑よ。その前も夜中に急に何か訳の分からないこと言うて騒ぎ出したらしいで」
「もうそりゃダメよ。こんな普通病院じゃ治さりゃあせんよ。入る病院を間違えとるよ」
「ほうよ。こりゃあ聞いた話じゃけどの」
アル中男はますます声を小さくした。
俺はその声に集中した。
「あれはのう,ほんまはそれ専門の病院に入るはずじゃったんよ。でもあれまだ若いじゃろ。確かまだ24よ。それに割とええとこの娘らしいんよ。じゃけえ,そういう病院に入った言うことになったら世間の目があれじゃけえ,結婚とか何とか,将来のことを考えてから何とかここに入れないか言うて親が頼みこんで入ったらしいんよ」その女性の存在は知らないではなかった。
爺さん婆さんが殆どのこの病棟にあって,看護婦さんや見舞の家族でない,若い寝巻き姿の女性患者の存在は嫌でも俺の目に付いた。
24と彼は言ったが,もう少し年を食っているように見えた。それはその歳にはあまりにも不似合いなほど肌が荒れていて,髪の毛がぼさぼさで,俺がかつて娑婆で見ていた一般の24歳の女というイメージからは少々離れていたからだった。
しかし,それ以上のものは感じなかった。ましてや,彼らが言っていたような,あたかも化け物を見るような目で見られるべき雰囲気なんてこれっぽっちも感じなかった。
そもそも,彼女にそういう症状があったとして,仮に「それ専門の病院」に入ったとして,それが将来に取り返しのつかない―身もふたもない言い方をすれば人間扱いさえもされないような,そんな事態になるのだろうか。俺から見れば,悪いところがどこかという違いだけで,骨を折った奴とか,胃腸が悪い奴とかと大差ないように思えるのだが。彼女に「それ専門の病院」が相応しいのなら,「それ専門の病院」に入ってきっちり治して出て来ればいいだけの話なんじゃないのか。実際この俺にしたって,入院する病院を探す時,「それ専門の病院」の方がきっちり治してくれそうでいいんじゃないのか,と考えたくらいだから。
今の医学は発達していて,精神病にしたって完全にお手上げではない,きちんとした投薬などの治療を施せば治る,そうでなくても一般人と同様の社会生活はできる,ということを俺は本で読んで知っていた。最善の治療が出来る環境があるなら,そこで治した方がいいに決まっている。もしそこで治療して一般人と同様の生活が可能なレベルまで回復することが出来たなら,あとは一般人と何ら違いはないのだから,あたかも前科者のようにレッテルを貼って怖がったり阻害したりする必要はないんじゃないだろうか。
こんな俺の考えは,あまりにも無邪気に過ぎるのだろうか。
俺はその夜眠れなかった。
寝る前に貰う睡眠導入剤も,今の俺の物思いの前には無力だった。