長編不定期連作小説#3 生臭志願(第6回〜)

#6 恋について(3)―同性を愛すること―

 その日,男は…普段からくたびれたような顔をしている男だが,その日は特にやつれているように見えた。
「辛そうだな。何かあったのか」
「いやあ…あまり寝れてないんですよ」
「忙しいのか」
「まあ,普段から忙しいんですが,おかげさまで睡眠時間は確保できていますよ」
「ならなぜ寝れないのだ。悩みでもあるのか」
「いや…ちょっと悪い夢にうなされまして」
「どんな夢だ」
 男は少々口ごもった後,非常に言いにくそうな風でぼそりと言った。
「知らない男に,キスをされる夢です」

 どんな深刻な話だと思ったら,心配をして損をしたものだ。
「いや,先生,笑い事ではないんですよ」
「あ,いや,笑ってはおらんぞ。しかしまさかあんたにそういう趣味が…」
「違いますよ!そうだったらむしろ,そのような夢で喜ぶことはあっても,うなされたりはしないじゃないですか」
「しかし,そのような夢を見るということは,そういう素養があるということではないのか」
「ほら,すぐそうやって茶化すじゃないですか。笑い事じゃないんですって」

 聞くと男は,高校時代男子校に通っていたという。
「で,クラスの中に一人,恐らくそうであろう奴がいて,どうも私に目を付けたらしくって,何だか四六時中こっちの方を見つめてくるし,選択授業で自由席になっている時は必ず私の隣に座って来るし,私が通学する電車の時間を調べて同じ電車の同じ車両に乗って来るし,私がどこの塾に通っているかまで調べて同じ塾に入ってきてやっぱり付け回して来るし…まあ,ストーカーをされた訳ですよ」
「ほほう,それはちょっと穏やかではないな」
「でしょう。おかげで高校の…特に受験生だった3年生の時なんてのはそいつのことが怖くって勉強どころじゃなくなってしまって…結局大学受験に失敗して1年浪人したんですが,まあ9割方そいつのせいですよ。浪人してやっとそいつから離れることができて,そうしたら成績が嘘のように上がって志望校に受かりましたからね」
「で,それがトラウマになってPTSDになって,その時の心の傷が原因でそのような悪夢にうなされるようになった,と」
「そうそう,それですよ。さすが先生は察しが早い」
「まあストーカーは良くないが,人が人を好きになるのは自由であり,止められるものではないからな。特に最近は性的少数者(セクシュアル・マイノリティ)の権利が声高に叫ばれる時代になっているしな」
「いや,私もそれに関しては反対はしませんよ。ただねえ,そうではない人にそれを押し付けないでもらいたい,とは思いますけどね。私は頭では理解しても,心の内では受け入れられないですね」

「そもそも,仏教では同性愛についてはどのように言われているのですか」
 男が尋ねた。
「うーむ。いや,恐らく仏教においては,前も言ったようにいわゆる『色欲』については否定的に捉えているからな。それが異性愛であろうと同性愛であろうと,そこに違いはないと思うが」
「しかし,親鸞聖人は妻帯をされていますし,先生にも奥様がいらっしゃいますよね」
「うむ。前にも話したように,親鸞聖人も恋,色欲に非常に心を乱された。結局聖人は妻帯に至る訳だが」
「しかし先生。私から見れば,人間だって生物の一種ですから,子孫を残すという使命を持っているはずなんです。子孫を残すためには異性と交わることが必要な訳で,色欲というのはそのための本能でしょう。それを理性で抑えつけ続ける,ということは自然の摂理に反するように思えます」
「それよ。仏教は色欲を否定するが,人間としては色欲を頭では否定しても,消し去ることは難しいだろう。聖人もそのことを自覚して妻帯に至ったのではないかと思う。私は…まあ,現代においては僧侶の妻帯については寛容に捉えられているから,愛する女性ができたら当然のように妻帯に至ったということで,聖人とは全く違うものではあるがな」
「しかし昔は,僧侶の妻帯は認められていなかったのでしょう」
「うむ。かつては僧侶にとって異性と交わることは罪だった。しかし,色欲という本能は消し難い。そうなると,その対象は異性ではなく,同性に向けられることになった。いわゆる『衆道』というものだな」
「その言葉は戦国時代の話で聞いたことがありますね。武将が美少年を小姓としてそばに置いて寵愛する,という…」
「うむ。織田信長の小姓の森蘭丸や,武田信玄の小姓であった高坂弾正などは有名だな。昔の日本は今よりはるかに同性愛については寛容な時代だったと言える。同性愛がタブー視されるようになったのは,西洋の価値観が入ってきた明治以降の話だからな。良かったな,あんたは現代に生まれて」
「…」
 男は苦笑いをした。

「ところであんたは,なぜそんなに同性に好かれることを拒む?別に好かれること自体は悪いことじゃない。あんたにその気がないなら放っておけば良いのではないか?」
「いやあ,何だかねえ,気持ち悪いんですよ。昨夜見た夢じゃないですが,どっかから飛び掛かられて襲われそうで」
「それは被害妄想というものだろう」
「それに,私は昔から女には全然もてなかったんですよ。女に好かれないのに男に好かれるって,と思うんですよね。何だかそのう…男としての自分を否定されているようで」
「難しい奴だな。神経質過ぎるんじゃないのか」
「…まあ今は私にも妻子がいて落ち着いていますから,以前ほど酷くはありませんが,今でも電車の中で,他に席がたくさん空いているのに私の隣に座ろうとする男がいると,少々身構えてしまいます」
「重症だな…そもそもあんたは,恋というものは所詮,人間の脳内で起きる化学反応の一種に過ぎない,と言っておっただろう。であれば,あんたに思いを寄せていた男というのも,化学反応の具合でたまたまそうなっただけだと言えるのではないか?」
「そう言われれば返す言葉もありませんが…ただこれは昔から引きずっていることなので,なかなかそういった割り切りができるものでもないんですよ」
「今言われている性的少数者…LGBTQと言われるが,そういった人たちの多くは,先天的に性的嗜好が同性に向いているという点で,あんたの言うところに近いのではないかと思う。即ち,肉体的にはたとえば男性でも,脳の作りが女性のそれで,男性を愛する方に脳が化学反応を起こす,という言い方ができるのではないかな」
 私は続けて男に問うてみた。
「そもそも,あんた自身に全くそういう気持ちがないと言えるのかな?」
「え?ありませんよ,そんなの。逆に先生にはあるんですか?」
「どうかな。人には多かれ少なかれ,そういった部分があるのではないかと思っている」
「いやいや…それはない。むしろ先生にそういう部分がある,と言うのであればお聞きしたい。お答えによっては私は今すぐここから逃げ出して,二度と来ないかも知れませんが」
「あんたの思うようなことは絶対にないから安心しなさい。私の若い頃の話だ」
 私はのどが乾いたから,一口お茶をすすって話を続けた。

「私がここに来た時は,建物こそ変わっていないが,人はもっと多かった。当時はお師匠さんがいて,その下で私を含めて…そうだなあ,5・6人くらいだったかなあ,若い坊主が修行をしていた」
「はい」
「お師匠さんも坊主たちもみんな男でな,お師匠さんはだいぶ以前に奥様を亡くされたということで,独り身で寺を守っていた。尼さんなんかいなかったから,本当に男ばかりの共同生活よ。そうなると不思議なもので,ちょっと女っぽい,綺麗な顔をした坊主なんか見ると,そういう気がなくってもはっとすることはあったよ」
「えー」
「さらに言えば,ちょっと無骨な感じの筋骨隆々な奴なんかもいて,そういう奴が力仕事なんかでちょっと恰好良いところを見せて,額に汗を光らせているところを見ると,これもちょっとはっとするものがあったな」
「…いや,先生…それは完全にそうなんじゃないんですか?よく女性の奥様と結婚できましたね」
「あんたも男子校だったんだから,思い当たる節がないとは言わさんぞ。そういうことがあって,自分はそうなんだろうか,と悩んでしまうことは特に気持ちの不安定な思春期にはありがちなことだと思う。ただ,だからと言って性的な嗜好が完全に男性に向かうことは私にはなかったな。ひと時の気の迷いというものだったんだろうな」
「どうしてそういう風に思ったのですか」
「…言いにくいが,まあ…男とセックスをしたいという気持ちにまではならなかったからな。尻で愛し合うということはさすがにちょっとできると思えなかった」
 男は声をあげて笑った。
「いや,笑い事ではないぞ。あんた自身はさておき,あんたの周りにも性的少数者がいて,それゆえの悩みを抱えている,ということはないかな?」

 男は少々考えた後,思い出すように話した。
「私自身ではないですが…知り合いが相談を受けていましたね」
「ほう」
「何でも,息子さんが結構な年齢になっても結婚しない。お見合いの話も拒否していると」
「それは単に過去に何かあって,女性に不信感を抱いているということなんじゃないか」
「それがですねえ,たまたま息子さんの部屋に掃除をしに入ったら,ベッドの下から男の裸の写真が大量に載った本が」
「随分古典的なばれ方だな。しかしそれはそれで仕方のないことなんじゃないのか。他人にはどうしようもないことだ」
「で,息子さんとも話をしたらしいんですよ。そうしたら状況はさらに深刻になって」
「と言うと?」
「本人はそのことを誰にも知られたくなかったらしいんです。特に両親にだけは知られたくなかったと。で,もうこんなことになってしまったら僕は生きていたくない,死にたいと言い出して」
「穏やかではないな」
「で,結婚云々以前に,彼の『死にたい』という気持ちを何とか落ち着かせないといけなくなってしまった,という訳で…先生だったら,彼にどんなアドバイスをしますか?」

「まずアドバイスより前に,彼が何故にそこまで思い詰めるに至ったのかを考えないといけないだろうな。そこを理解してやらなければ,彼の気持ちに寄り添った助言はできないだろう」
「なるほど」
「恐らく彼は,早く結婚をしてもらいたい,孫の顔が見たい,と願う親御さんの思いを痛いほど感じていただろう。しかし,性的嗜好が同性の方を向いている以上,その願いに応えることができない。そこに対する申し訳なさというものを感じていることは間違いない。ということであれば,まず親御さんが,息子さんのありのままの姿を認め,『あなたはそれで良いのですよ』と言ってあげることが必要だと思うな」
「ただ,彼の両親…特にお父さんは厳格な方で…」
「いや,それは厳格とは言わないだろう。厳しい言い方をすれば,従来の価値観に縛られ,凝り固まってしまった人間,と言う方が正しい」
「厳しいなあ」
「確かに厳しいさ。何もこのお父さんだけが取り立ててそうだという訳ではない。性的少数者でない人たちの多く,いや,殆ど全てがそうだと言っても過言ではないと思う。性的少数者であるはずの彼自身でさえそうなのではないかな」
「彼自身も,ですか」
「そうだ。自分は男だけど男が好きだ,とそれだけの話なのに,妙に罪悪感に囚われて生きることそのものにさえ後ろ向きになってしまうのは,彼自身がそういう価値観の下に生きているからだろう。そうでなければ,『ゲイでどこが悪い』と胸を張って生きられるはずだが」
「いや先生,いくら何でもそこまで強くなるのは難しいと思いますが」
「なぜそこに『強くなる』ことが必要になる?それはきっと,今の周りの…もっと言えば日本全体を覆う価値観の中に,同性を愛することは罪である,タブーである,という要素があるからではないのかな」
「それは確かに言えるかも知れません」
「さっき言ったように,これは西洋から入ってきた価値観であり,かつての日本はもっと同性愛については寛容だった。確かに人間という生物にとって子孫を残すことが使命であるのなら,子孫を残せない同性愛というものはその使命に反するものではあるだろう。その点で,特に西洋においては同性愛を宗教的に悪であると位置づける価値観ができたのだろうな。ただ,そういった一方的な合理主義だけで片付けられないことだってこの世にはある。まして彼の場合はそれが恐らく先天的なもので,持って生まれたものだ。言ってみれば,それは彼のキャラクターというか,個性の範疇だと思う。それを認めず,あたかも罪であるかの如く扱うのであれば,この国も随分偏狭になったものだと思うなあ」

「そう言えば,昔は『ホモ』という存在を極端に誇張した道化のようなキャラクターやタレントが出ていましたね。これも『同性愛=罪』という価値観から派生し,『ホモは笑い飛ばされるべき存在である』という考え方が世間で当たり前のように捉えられていたことによるものなんでしょうかね」
「そうだろうな。ただ,『ホモ』を前面に出してテレビに出ていた同性愛のタレントだって,まさか本当に『ホモである自分を笑い者にしてもらいたい』という思いでテレビに出ていた訳ではないだろう。彼らだって本当は理解してもらいたかった。自らが露出することでその突破口になれば,という一縷の望みのようなものがあったのではないかな。しかし,世間はあくまで道化,笑い者としての『ホモ』を面白がっていただけだった。一見需要と供給が一致しているように見えて,実際には同性愛者にとっては自らが望んだ方向とは全く別の方に進んでしまった」
「そういった状況を経て,ようやっと今に至ったということですね」
「うむ。彼らにとっては長い長い闘いだったと思うよ。存在そのものが罪とされ,無視されるか笑われるかだった同性愛者という存在に対して,やっと世間が真面目に向き合ってくれ始めている…あくまでまだ『くれ始めた』だけだがな」
「…で,先生。彼のご両親にはどのように説得を?」
「もう答えは出ているだろう。今喋ったことをそのまま話してやればいい。あんなに同性愛を忌み嫌っていたあんただって,今は同性愛と正面から向き合い,きちんと考えているじゃないか。あんたなりに」
「…はあ,まあ…。でも私は,『ホモ』は嫌いです。いや,苦手と言った方がいいかな」
「それは仕方ない。人それぞれだからな。嫌いなものをなかなか好きにはなれないのは当然だ。ただ,一歩立ち止まって『なぜそうなのか』ということを突き詰めて考えていくというのは値打ちのあることだと思うぞ」
「はあ」
「逆に言えば,あんたをストーカーした男だって,本当は『異性愛者』である相手がどう思うのか,その気持ちを理解することは必要だったと思う。自分の気持ちだけで突っ走って,結局好きな相手―あんたを苦しめることになったし,絶望的に嫌われることになってしまった訳だから,彼にとっても不幸なことだったよ。無論あんたも不幸だが」
 彼は静かに頷いた。
 そこでいつもの,夕焼け小焼けが鳴り始めた。

 帰り際に彼は私に尋ねた。
「しかし先生,先生はなぜそこまで同性愛に対して理解があり,寛容なのですか?」
 私は少々考えてから応えた。
「何故かなあ…私は一応仏教者であり,『愛』という…性愛ではない,もっと大きな,仏様の慈愛というべき大きな愛に憧れを持っているからかな」
「それだけですか」
「何が言いたい」
「いや,先生ももしかしたら,やっぱりそういう気持ちを少しは持ち合わせているからのかな,と」
「そいつはどうかなあ。ただ人間の気持ちというものは0か1かで決められるものではないからな。大抵は異性愛でも,時に同性愛の気持ちが顔を出すことはあるかも知れんな。勿論多数派はそれを『ひと時の気の迷い』と定義して異性と結ばれることを選ぶと思うが,その気持ちが振り切れた者や,あるいは元々同性を好きになる方向に生まれついた者などは同性を愛することを選ぶことになるだろう。確か同性愛者の割合は7%くらいと聞いたから,決して少ない割合ではない。例えば満員のバスだったら80人くらい乗っているから,5〜6人だ。そう考えると決して珍しい存在ではないぞ」
「ううん…それを聞いたら,バスに乗りたくなくなってきました」
「そこがいかん。初めから毛嫌いして避けるのではなく,相手の気持ちを理解し,思いやる気持ちを持ちたいものだな」
「私はとても先生のような境地にはなれません」

「おい,得度する気はないか」
 私は彼に尋ねた。
「もしこの寺に素敵な尼さんがいて,一緒に修行できるなら考えますよ」
 彼は笑いながら言った。
「呆れた男だな。あんたが来るのなら,うちの寺は女人禁制にしないといかんな」
 彼はそれには応えず車に乗り込み,いつものようにやかましいエンジン音を響かせながら,砂埃の向こうに遠ざかっていくのだった。



#7 「空気」について

「先生,『空気』って何なんでしょうね」
 男はその日,突然そう問うてきた。
 私はいきなりだったので少々狼狽し,数刻黙っていた。
「ご存知ないですか?空気とは,窒素が約78%,酸素が約21%,二酸化炭素が…」
「あんたはそんなくだらない冗談を言うために今日ここに来たのか」
 私が言うと,男はばつが悪そうに頭を掻いた。
「いや,これは冗談ですが,私もあれから少々思うところがありまして」

「先生は前,性的少数者について話された際,彼らもまた,『同性愛は罪,タブーである』という価値観に囚われているのではないか,と仰っていましたよね」
「ああ,言ったな」
「そこが少々引っ掛かったんですよ。彼ら自身はそう思っていなくても,周りがそうである。そうすると,自分を変えることができたとしても,周りを変えないと状況は好転しないのではないか,と思ったのです」
「うむ。しかし,現実的には他人を変えるということはまず出来ることではない。仮に出来るとしても,そのためには想像を絶する手間暇がかかるだろうな。私は普段人を諭す際には,『他人を変えることは出来ないが,自分自身を変えることは出来るのだから,物事を良くしていくためにはまず,自らが良い方向に変わることだ』と言っている」
「だとしたら,そのことを彼らに伝えるとしたら,『周りが理解してくれることは期待するな,自分が自分を肯定してやれればそれで良いのだ』ということになるでしょう。ただ,彼らは周りに自分を理解して欲しいわけで,その言葉は彼らの救いにはならないのではないでしょうか」
 私は黙って聞いていた。
 男はさらに続けた。
「私もそうですが,多くの人にとってはまだまだ同性愛とは異端であり,タブーであり,もっと露骨に言えば気持ち悪いもの,という『空気』があると思います。それを彼ら自身の力で変えていく,というのはあまりにも荷が重い仕事なのではないでしょうか」
「なるほどな」
 私は考えをまとめる暇を作るため,お茶を啜る仕草をした。

「仏教では」
 私は何かを思い出すように,男の頭の少し上をぼんやり眺めながら呟くように切り出した。
「他人との衝突は苦しみを生む煩悩の原因の一つとして忌むべきものとされている。最も近い苦しみは『慢』だろうな」
「『慢』?」
「うむ。自己に囚われて自分自身に執着し,他人を見下したり他人を軽視したりすることを言うのだな。例えば,『我慢する』というのは今は自分を抑えて耐えることを指すが,本来の意味は自分本位となって他人を軽視したり強情を張ったりすることを言う」
「へえ」
「恐らく,他人との価値観の衝突というのは,お互いが『慢』,即ち自分自身の価値観が正しいものであると見て他者の価値観を軽視することから起こるのではないかと思う。本来は人ひとりひとりが持っている価値観に優劣などありはしないはずなのだが,たとえば今回のケースで言えば,多数者は自身の価値観が『普通』であり『正常』なものだと過信し,少数者の価値観を『異常』とみなして軽視する。逆に少数者は自分たちが少数者であるが故,自身の価値観を認めてもらいたい,という思いを持つから,多数者の価値観を『傲慢』であり『差別的』とみなして攻撃する。そこに争いが起こっている,と言えるのではないかと思っている」
「なるほど」
「恐らく最近言われる『空気を読む』というのは,そういった気持ちを抑え,その場の状況,そこにいる人たちの顔色を見て,それらを踏まえた行動を取るということであり,ある種仏教的な行動というか,知恵と言えるものなのかも知れない」
「仏教的にも肯定されることなんですか」
「自身が『慢』の気持ちを捨て,他者の価値観を尊重することによる行動であればそうだな」
「ただそうなると,初めから明らかに正しいとは思えない,偏った価値観に基づいた行動を見ても,『あれはあの人の価値観だから尊重しよう』という考えにならなければならないのでしょうか。明らかな憎悪や差別意識など,本来『人として』矯正されなければならないような価値観を持つ者もいますよね」
「そこは難しいところだな。本来なら矯正されるべきものなのかも知れないが,さっき言ったように他人を変えることはなかなか難しいものだ。頭ごなしに『あんたのその考えは間違っている,変えないとダメだ』と注意したところで,本人はますます腹を立てて自分の殻に閉じこもってしまい,逆効果にしかならないだろうからな」
「そこをどう考えるかですね」
「うむ。私自身は,それなら自分は自分,他人は他人なのだから放っておくしかない,気付くのであればいつか自分で気付くことになるだろう,その時を待つしかない,と考えるかな」
「仏教者であってもその説得は難しい,と」
「我々にできることがあるとすれば,今あんたとこうやって話しているように,仏教の教え…一般の人には法話として話しているようなこと,それを対話という形でやっていくことくらいかな」
 男はまだ少々釈然としない顔をしている。
 私はさらに続けた。
「仏教の教えは,基本的には自分自身が苦しみから逃れ,解脱の境地を目指すことを目的としているからな。その上で他者に対して慈悲の思いを持ち,皆で持って仏によって救われることを目指すのがいわゆる『大乗』というもの,と言えるかな。だからまずは『自分自身』『個』があるべき姿を目指すことになる。他者を変える,という行為そのものがある種傲慢であり,解脱するうえで障害となる苦しみを生む元になる,と私は解釈している」
「では先生」
 男はしびれを切らしたように身を乗り出した。
「明らかに誤った『空気』が覆い出したとき,我々は黙ってそれを受け入れるしかないのでしょうか。それが将来,明らかに我々に災いをもたらすと分かっているとしても」

 男はさらに続ける。
「たとえば戦争中の日本では,戦争に反対する意見は『非国民』扱いされて封殺されていました。世間一般で良しとされる意見と異なる意見を言うことが許されない時代があったのです。現在においても,多数派とされる意見に異を唱えれば,ネットや実生活の中で袋叩きにされる,いわゆる同調圧力というものが問題になっていますよね。特に日本人は,こういったものに安易に流される傾向があるのではないかと思っています」
 私は黙って頷いた。
「本当に正しいこと,たとえば人を殺してはいけないとか,そういった当たり前のことというのは別として,それが本当に正しいことなのかどうか分からないのにそれを絶対的に正しいことだと思い込み,異を唱えれば排斥する,そういったことが特に最近は増えている気がします。そういった『空気』に抗うことをせず,黙って受け入れるということを仏教ではどう考えているのでしょうか」
「戦争,という言葉を出されると私も少々耳が痛いな。宗教はしばしば,争いの引き金となってきた。それは仏教とて例外ではないからな」
 私は俯いて答えた。
 男は黙っている。私はさらに続けた。
「さっきあんたは,人を殺してはいけないということを『当たり前』と言ったな。しかし宗教ではしばしば,教えを守るために人を殺めることさえ正当化してきた。仏教においても,たとえば戦国時代の一向一揆においては,『進者往生極楽,退者無間地獄』の旗を掲げ,教えのために戦って死ねば極楽に往生できる,というスローガンの下に信者に殺し合いを強いてきた歴史がある。残念な話だが」
「仏教は殺人を肯定するのですか」
「いやいや,私はそうは思わない。少なくともお釈迦様は首を縦に振らないだろう。そもそも仏教は,一人の人間が悟りに至るための道筋を示した教えだと私は思っている」
「『個』としての人間が,ということですね」
「うむ。しかし人間というのは社会性を帯びた存在である。人は一人では生きていけない,とよく言われるが,群れ,集団として生活していくという特徴がある。そういった中で,仏教者の間から『大乗』という考え方も生まれてきた」
「仏の慈愛を全ての人に,というものでしたね」
「うむ。これは私自身の解釈だが,そもそも人が『個』として社会から隔絶された状態で悟りに至る,ということを実現するのは並大抵のことではない。お釈迦様は俗世から離れて旅をすることでそのことを実現できたのだろうが,我々凡夫には無理なことだ」
「このお寺も俗世から離れるには良い環境に見えますが。静かだし」
「この寺に四六時中引きこもっていられるならそうかも知れないが,そういう訳にもいかないじゃないか。生活のためには外に出なきゃならんし,他者との接触も避けられん。それが社会生活というものだ」
「はい」
「で,そのような中でお釈迦様の理想と我々の現実との間には乖離が出るよな。お釈迦様は,衆生を普く救うという『大乗』の考えはお持ちではなかったと思う」
「しかし,仏教者が集まっている中では,残虐な殺し合いのような発想は本来出てこないはずのものではないですか」
「そこよ。人間誰しも,本来ならば平穏に生きたい,殺し合いなどはしたくないと思うわな。ただそういった者たちを殺し合いに駆り立てる理由がそこにはあったのだろうな」
「理由,ですか」
「うむ。たとえばさっきあんたが言った『絶対的に正しいこと』,ここで言うなれば『絶対的に正しい,と信じられていること』だな。宗教はその性質上,何かを『絶対的に正しい』と思い込み,すがりがちになる。浄土の教えであれば『南無阿弥陀仏』,法華であれば『南無妙法蓮華経』,このお題目を唱えることによって極楽往生できる。これは教えの中で言えば絶対的なものであり,疑問を挟む余地のないものだ」
「そうですね」
「なので,この教えを絶対的に正しい,とする以上,それに異を唱える者は排斥するという方向に向かいがちになる」
「異を唱える人は信者の中にはいないでしょうから,それは問題にならないのでは」
「うむ。信者の仲間内だけであればそうだ。しかし,外部の者がそのことを否定し,圧力をかけてきた場合はどうなるだろう」
「内部と外部の争いが起こりますね」
「その通り。宗教が外部と折り合いをつけ,外の者が宗教を温かく見守ってくれていれば良いが,そうでない場合は…」
「そうでない場合?」
「たとえば,外の者が宗教を敵視し,潰そうとしてきたらどうなるか。信者たちは自らにとって『絶対的なもの』である『教え』を守るために,時には武器を取ることもあるだろう」
「ひええ」
「さっきあんたは戦争の話をしなすったが,日本が太平洋戦争に至ったきっかけは,軍事力によるアジア諸国への領土拡張路線が特に欧米諸国の不興を買い,国際社会から孤立した挙句,包囲網を狭められて戦争以外に逃げ道を失ったということが大きな要因の一つとも言われている。宗教だって,『やらなければやられる』という状況になれば,最悪の場合は武力でもって立ち上がることだってあるだろうさ」
「怖いなあ」
「本当に怖いのは宗教ではない。人間の中にある排他性だ。人間は社会性を持ち,群れて生きているが,その中で自分と合わないものは排除したがる傾向にある。たとえ殺してでも。それが一番怖いのよ」
「なるほど」
「特に排他性が強まると,自分や自分が信じている何かに対して少しでも異を唱えると,さっきあんたが言ったように袋叩きにされる。最悪自殺にまで追い込まれるケースも少なからずある。最近の日本では徹底的に追い込んで絶対に許さない,という精神性が顕著になっている気がする。これは宗教云々以前に,社会生活を営む人間として非常に危ない傾向だと思うぞ」
「どうしたらいいでしょう」
「本来は理性的に話し合うべきだと思う。そうすれば,相手にも理があるところが分かってくるし,自分にも間違いがゼロではない,ということも分かる。そうすることでお互いが歩み寄り,少々の意見の違いがあっても寛容に認め合うことができ,お互いの和解と自身の進歩につながると思う」
「寛容ですか…確かにそれは最近なくなってきている気がします」
「そうだろう。最近の傾向としては,初めから自分の中で『絶対的に正しい』結論を決めてしまっていて,相手の主張を受け入れる気が一切なく,相手の主張の粗を探すことだけが目的となっていて,そこをつついて得意になり,自分の『正しさ』に酔っ払う。これでは主張をぶつけ合う意味がない。お互いに憎悪しか生まない」
「はい」
「お互いがもう少し寛容になれれば,今ある争いの多くはなくなり,もっと社会は進歩する。そのことで,あんたが言うところの『空気』も少しずつ変えていくことができるのかも知れんな」
「私も人に話をする時は,相手の話にもっと耳を傾けることにしますよ」
「そうしなさい。特に私の話にはもっと耳を傾けるように」
 二人で笑った。

「ということは,先生にとってみれば,宗教が争いのきっかけになることは,本来はあり得ないということですか?そもそもは人間の本質に要因がある,と」
 男は尋ねた。
「いや,さっき言ったが,宗教というものはその性質上,『絶対的に正しい』ものを盲信することで,他者を排斥する危険性を常に孕んでいる。これは私も仏教という宗教を信じる者としては気を付けなければならないと思っている」
「最初に先生が仰った『慢』という状態に通じるものがありますね」
「そういうことになるかな…それともう一つ,宗教,ということで言えば,少し気になることがあるな」
「と言いますと?」
「宗教の中には…いや,これを宗教と呼ぶべきではないのではないかと思うが…残念ながら,指導者としての地位に立つ者が私利私欲にまみれ,宗教の力を悪用して私腹を肥やすようなものもあった。そのような『偽宗教』は早晩外界と衝突することは勿論,内部からも崩壊していくものだろうと思うが,特に最近宗教というものが争いのきっかけとなる原因として,見落としてはいけないことではないかと思う」
「仏教は大丈夫ですか」
 男は我が寺の本堂全体を大げさに見回して,怪訝な顔で呟いた。
 私は少々大げさに目を剥いた。
「失礼な奴だな。私がそんな人間に見えるか」
 男は笑った。
「…うむ。日本の仏教にだってかつて争いはあった。歴史的事実は否定できない。しかし,真に教えの下に生きている仏教者にそのような者は決していないと断言できる。争いの裏にはいろいろな歴史的背景があったものだ。時間があったら,そのことを勉強してみるのも良いだろう。今の日本においては仏教は社会に認められ,溶け込み,平和に信仰の日々を過ごすことを許されている。だからあんたも安心して得度するがいい」
 これ以上ないタイミングで,夕焼け小焼けが鳴った。

「という訳で,安心安全な仏教に得度する気はないかな?」
 私はいつものように,帰り際に男に尋ねた。
「いやあ…もう少し歴史を勉強してから考えますよ」
 男はそう言って,そそくさと車に乗り込んだ。
 やかましく走り去る車を見送った後,私は戻って一杯,すっかり冷めてしまったお茶を飲んだ。




#8 疑心について

 その日も男は,私に相談事を持ち掛けてきた。
「私の知り合いが相談して来たんですがね」
「あんたには悩みを持つ知り合いが随分多いんだな」
「いやまあ…そういう立場なんですよ」
「で,それをまた私にそのまま持って来る訳か」
「先生はそういう立場です」
「引き受けた覚えはないぞ」
 私は少々苦い顔をして茶を一啜りした。
「まあ,そう言わないで」

 聞くところによれば,男の知り合い―これも彼と同年代の男性のようである―が,同じ会社で知り合った別部署の若い女性との関わり方について悩みを持っているという。
「それまでは割と仲良くやっていて,行き帰りの電車などでよく一緒になり,楽しくお喋りでもして過ごすなどしていたようですが,最近避けられたり,無視をされているように感じると」
「どのように?」
「まあ,私から見たら他愛のないことなんですがね。挨拶をしたのに気付いてもらえなかったとか,目が合ったのにそっぽを向かれたとか,最近電車で会わなくなったが,自分に会いたくないために乗る電車をずらしているのではないか,とか」
「考えすぎなんじゃないのか。というか,そこまで意識するというのは,彼の方にこそ何かそういう感情があるんじゃないか」
「どうでしょうかね。彼も一応妻子がいるんですがね。でもまあ,女好きには違いなさそうですね」
「一応確認しておくが,あんた自身のことじゃないだろうな」
「違いますよ。私は妻一筋ですから」
「嘘をつけ。こないだ男ばかりの寺は嫌だ,尼さんのいる寺になら帰依してもいいとぬかしてたのはどこのどいつだ」
「覚えてたんですか。物覚えのいいことで」
「年の割にとか言いたいんだろう」
「いえいえ,褒めてるんですよ…いや,私も女性は好きですよ。でもまあ,そんな大それたことはしませんよ。こう見えてもねえ,…恐妻家ですからね」
「どうだかな。まあいいや。しかしその男も何だなあ。何故いい年をして,そんな中学生みたいな悩みを持つのかね」
「彼は実際前から社交的というか,そういう付き合いをしていたみたいなんですよ。ただねえ,以前一回酷い目に遭ったって言ってましてね」
「ほう」
「今まで仲良くしていたと思っていた同僚の女性から,ある日突然セクハラで訴えられたことがあるらしいんですよ。妻子があるのに自分に気があって迫って来るのだと」
「何かそんなことをしたのか」
「本人はその自覚は全くなくて,単に世間話をしてただけだと。性的なことは言っていないし,言葉には気を付けていたつもりであると。無論交際を迫ったこともないと」
「本当にそうならば気の毒な話と言えなくもないな。ただいい年をして若い女と仲良くしたくて近付くということそのものがあまり褒められた話ではないようにも思えるが」
「そういう訳で,彼からしてみれば相手に嫌われるということそのものもですけど,こちらは何も悪いことをした覚えがないのに,勝手に悪意を持たれて訴えられでもしたらたまらない,ということもあるようですね」
「ふうん」
 私は少々気のない返事をした。
「それであれば,もう放っておけばいいんじゃないのか」
「彼はそのつもりのようですが…とはいえ彼自身も少々腹を立てているようでね。彼女の気持ちが分からない,もう今後はそのように対応する,みたいなことを言っていて,彼女に対して悪意を抱いているように見えるものだから少々心配になりましてね」

「先生は,こういう時にはどうするべきだと思われますか」
 男はひとしきり話した後,私がしばらく黙っているのを見てさらに続けた。
「どうするも何も」
 私は少々呆れた顔を作って続けた。
「どうしようもないな。常々言っているが,他人の気持ちを変えることはなかなかできるものではない。自分が変えられるのは自分だけだ。自分の中で今ある事実を受け入れるしかないんじゃないか」
「まあまだ嫌われたと決まった訳ではないので…せめて相手の気持ちを確かめるいい方法はないですかね?もし誤解ならそれでいいし,仮に本当に嫌われたのであっても,はっきりしたのであれば受け入れられると思うんですが」
「いやいや,考えてみなさいよ。逆にあんたが好きでもない女…いや,あんたの場合は男で喩えた方がいいかな?以前ストーカーされたとか言っていたその男に同じことをされたら嫌だろう」
「あれと一緒にすることはないじゃないですか」
「似たようなもんだろう…少なくとも嫌われている可能性が多少なりともあるなら,あまりつつかない方が身のためだと思うぞ。最近あれだ,疫病の蔓延で『ソーシャル・ディスタンス』なるものが言われているだろう」
「そうですね。でもそれと何の関係が?」
「心も同じよ。他人同士,特段親しい訳でもないのであれば,他人の心の内にずけずけと踏み込むようなことはしないのが礼儀だと思うよ。例えば電車の中で,別段混んでいる訳でもないのに他人が…あんたの場合は特に男が自分の近くに寄って来たら嫌だろう」
「いちいち男に喩えないでくださいよ」
「あんたはその方が分かりいいだろう。極端に近くに寄って来られたら気持ち悪いと思うだろう。人間には『パーソナル・スペース』というものがあって,他人には物理的に一定以上の距離を置いてもらいたいという気持ちがあるものだ。さしずめ今の話ならば,心の『パーソナル・スペース』は尊重してあげないといけない」
「そうですね」
「しかし何だなあ,昔は人とのつながりなんて直接会って話すか,せいぜい電話くらいのものだったが,今はいろいろなツールがあるからな。会って話すより手間がない分,逆に人の心をより慮って接しないといけない世の中になったと言えるかな。何せちょっと近付いただけでもストーカーを疑われたり,逆にちょっとした誤解で人間関係が崩れたりするからな。今は何?LINEとかいう奴で『未読無視』とか『既読無視』とか,そんなことでいちいち疑ったり悩んだりしないといけないんだから,面倒臭くなったものだな」
「よくご存知ですね。先生もLINEをするんですか」
「私はしないがな,妻が仲間内でやっていたな。檀家さんとのやり取りもそれでやるんだそうだな」
「私の時はメールでしたがね。それまで仲良くメールをやっていた子に,ある日突然無視されるようになったことはありましたね。いくらこっちから送っても全く返事が返って来なくて,随分辛い思いをしたことがあります」
 私は怪訝そうな顔で男を見た。
「いや,結婚前ですよ。20代の時の話です」
 男は慌てて目の前で手をばたばたと振った。
「…いや,詮索はしないがな」
「ほら,すごい疑ってるじゃないですか。昔の苦い思い出ですよ。これこそ心の『パーソナル・スペース』ですよ。うかつに踏み込んではいけませんよ,先生!」

「疑心暗鬼,という言葉は知っているよな」
 私は訊いた。
「知ってます」
「結局,そういった悩みが出てくるというのは相手の気持ちを自分の中で勝手に作って『あいつはきっと自分を嫌っているに違いない』『あいつは俺を訴えようとしている』と疑う気持ちを芽生えさせることが原因なんじゃないかな。自分は彼女じゃないから,彼女の気持ちなんて分からないはずなのに」
「ううん…そういうことはあるかも知れませんね。ただ,そうなった時って大抵実際に嫌われていたり酷い目に遭わされたりしたから,経験則に従ってそう判断せざるを得ないんだと思うんですが」
「以前そうだったからと言って今回もそうだとは限らないだろう,相手も違う人間なんだから。いくら可能性が高いとは言っても,それは今時点ではまだ憶測に過ぎない」
「しかし,実際に完膚なきまでに嫌われたり訴えられたり,酷い目に遭わされてからでは遅いですからね。ある程度そのつもりで心の準備をして行動しないといけない気がします。自分の心身を守るためには」
「それはあんたの勝手だからな。相手から見たら関係のないことだ。逆に相手から見たら,あんたに勝手に『俺は嫌われている』と思い込まれて,その勝手な憶測で勝手に悪意を抱かれ,結果としてあんたから『それなりの対応』,すなわち不利益なことや不愉快なことをされたらたまったものではないだろう」
「なるほど。そうなると逆に相手も,『こいつは私を嫌っている』と思い込んで…とお互いに『勝手な思い込み』で悪意を抱く,ということになるかも知れませんね」
「うむ,なかなか察しがいいな。そういうことよ。仏教に言うところの『地獄』の中に,『想地獄』というものがある」
「想地獄?何ですか,それは?」
「簡単に言うと,いたずらに生き物を殺した者,争いを好む者,敵愾心が強い者が堕ちる地獄でな。亡者同士が憎しみ合う気持ちから手に鋭い鉄の爪を生やし,お互いに傷つけ,殺し合う。一度死んだと思ってもすぐにその肉体は蘇り,再び傷つけ合い,殺し合う。これが延々と続く地獄だな」
「恐ろしいですね」
「疑心暗鬼というのもこれに似たところがあるよな。『あいつは私を嫌っている』という勝手な思い込みから相手に対する憎悪が生まれる。そして相手を傷つけようとする。そうすると相手もこちらを憎悪し,お互いに憎しみ合って傷つけ合う。元々は単なる誤解,思い込みだったものが,本当の憎悪,争いへと繋がっていく」
「なるほど。何だか生きながらにして『想地獄』を体現しているようにも見えますね」
「そうだろう。憎しみや争いは何も生み出さない。ましてや,確たる証拠もないのに勝手な思い込みで他人を憎悪するなどこんな馬鹿馬鹿しいことはないのよ。私がアドバイスをするとすれば,『放っておきなさい』の一言しかないね。ここまで説明すれば分かるだろう。私が最初に言った意味が」
「はい」
「仮に本当に嫌われているとしたら,こちらからつつくのは逆効果で余計に鬱陶しがられるだけだろう。もし誤解だとしたら,特に何もなかったように振舞っていれば,向こうから何か言って来るさ。嫌われていないのにこっちが勝手に疑ってつついたら,そのことが原因で嫌われるかも知れんよ」
「分かりました。そのように言ってみます」
 そこでいつもの夕焼け小焼けが境内に響いた。

「おい,得度する気は…」
 言いかけたが,男は私に目もくれず駐車場の自分の車に駆け寄った。
「おいったら」
 私が大声で呼び掛けると,男はようやっと振り返った。
「すみません先生,妻からメールが来てて…『どこほっつき歩いてんの』」と」
「何だ,あんたは奥さんに何も言わずに出て来たのか」
「言えないですよ,寺に通っているなんて」
「それこそ奥さんの疑心暗鬼を呼び込むことになるぞ,『女に逢っているのでは』なんてな」
「冗談じゃないですよ,失礼します!」
 けたたましい音を立てて,車は走り去って行った。

 そう言えば,いつの間にか私はあの男の相談事のアドバイザーにされてしまっているのだった。
 今度来たら顧問料を請求してやろうかしらん。
 そう思いながら,私は本堂へと戻った。



#9 期待について


「そう言えばあんたがこの間相談してきたあの男,ありゃあどうなったんだ」
 私は尋ねた。
 先日,同僚の若い女が最近冷たい,嫌われたに違いない,と思い詰めていた中年男の話である。
「あああれですか,あれはもういいです」
 男は呆気なく言った。
「この間聞いたら,今はもう普通に喋ってるって言ってましたから」
「そうか。あれは何だったんだろうな」
「何でもこの間,久しぶりに話す機会があったらしくって,それとなく聞いたら残業があったり,帰りにコンビニに寄ったり,ダイエットのためにわざと一駅歩いて帰ったり,いろいろ理由があったんだと」
「何だそうか。馬鹿馬鹿しい。心配して損したな」
「ただねえ,まだ半分疑ってましてね。『本当は俺のことを嫌って避けていたのを,いろいろと理由をつけているだけなんじゃないのか。だとしたらよくあれだけ嘘が出てくるもんだと思うがな』などと言って愚痴ってましたが」
「まだ疑っているのか。それはもうその男自身の人間性の問題だな」
「そうは思うんですが…女性に関しては私もいろいろとあったもんで,100%被害妄想だろうと決めつける気持ちにもなれないんですよ」
 男はそう言って首をすくめた。
「まあ,前も言ったが人は一人一人違うからな。他人のことなど分かりゃあしないさ」
「女は特に分からないですからね。とにかく気まぐれで」
「女は,と一括りにするのは感心せんな。世の中には気まぐれな女もいれば気まぐれじゃあない女だっていくらでもいる」
「私の見てきた女は大抵気まぐれに見えました」
「奥さんもか」
「妻が一番気まぐれだと思います」
「あんたやその男がそう思うのは,多分相手が自分の期待した通りに動いてくれなかった,ということが原因ではないのかな」
「ああ…それは確かにそうかも知れませんね。期待,とは言わなくても,自分が予期したのと違う行動をされると何だか振り回されている感じがします」

「あんたはこないだ,女性にメールを送っても返事が来なくて辛い思いをしたことがあると言っていたな」
「20代の頃の話ですからね」
「まあいつのことなのかは詮索しないが…まあそういうことにしておくとして。何故それが辛いのか分かるか?」
「そうですね…自分に興味を持ってくれていないのかな,とか無視されているのかな,と思うからです」
「それだけではなかろう」
「…と言いますと?」
「自分がメールを送れば,向こうは必ず返事を返してくれるはずだ,という期待はなかったかな?」
「それは勿論期待しますよ。会って話が出来ないので,メールで話をしようと思って送ったんですから」
「それがいかんのよ。相手の立場になって考えてみなさい。相手から見れば,こちらが望みもしないのに勝手にメールを送りつけられて,しかもそのことによって自分には返事をする義務が生じる,そんな無法があるか,と思うわな」
「ええ?そこまで言っちゃうともう身も蓋もない…」
「いや,そうだろう?忙しい時なんて尚更よ。自分の身になって考えてごらんよ。あんたは大して良く思ってもいないのに,勝手に思いを寄せてくる男から勝手にメールを送りつけられて…」
「だからその話はもうやめましょうよ」
「聞きなさいよ。そんな状況で返事をしようと思うかな?」
「いやいや,そうだったらそりゃあしないですけど,その時はそれなりに仲の良かった相手ですからね。まあ付き合えてはいなかったですけど」
「だからと言って,返事をするのが当たり前で,そうでなかったら薄情だの気まぐれだのと誹られるんだったら,相手からしたらたまらんよ。『不幸の手紙』ならぬ『不幸のメール』だな」
「酷いなあ」
「相手が自分に興味を持ってくれているはず,好いてくれているはず。それらだってあるいはあんたの勝手な思い込みだったかも知れない。相手の本当の気持ちなんか他人であるあんたには分かるはずもないのにな」
「しかしねえ,『無視』は良くないと思うんですけどねえ」
「まあまあ,気持ちは分からんでもないがな。『無視』とはその人の心の中で相手のことを殺すこと,と言われるしな」
「そうでしょう」
「とはいえ,そうされるのであればそこまでだったということよ。あんたがいくら泣こうがわめこうがどうしようもないことだ」
「仏教は無視やいじめを肯定するんですか」
 男は口を尖らせて言った。私は笑った。
「いやいや,そういう訳ではないがな。他人にそこまで振り回されるのはおかしくないですか,という話よ」

「そう言えば以前から先生のお話を聞いていて思っていたんですが」
 男は一呼吸置いて続けた。
「仏教というのは随分と個人主義的なものなのかな,という印象を受けるんですが」
「そうかな」
「はい。確か先生は以前,仏教は『自分自身』があるべき姿をまずは目指す,と仰っていましたよね」
「そうだったかな」
「今のお話でも,他人は変えようがないし他人に振り回されるのは良くないということでしたよね。そうなると,『自分自身』があるべき姿を目指すために,他者に振り回されずに生きる,それは即ち,できるだけ他者との余計な関わり合いは避け,できるだけ距離を取って接した方が良い,ということになるような気がします」
「そうさなあ」
 私は虚空を見上げ,紡ぐべき言葉を考えた。

「まず言っておくが,仏教は他者との関わりを否定している訳ではない。人間はそもそも社会性を帯びる生き物であり,他者との関わりを一切持たずに生きるということはまず不可能だ。これは前言ったよな」
「確か聞いた気がします。お釈迦様は俗世から隔絶された環境に身を置いて修行をすることで悟りを開いたが,我々凡人にはまず無理だろう,という話だったかな」
「うむ。結局人間は他者との関わりの中で生きていかざるを得ない存在なのは間違いない。そういった中で,どのように他者と関わっていけばより良い生き方ができるのか,生きていく上での『苦しみ』から解放されることができるのか。そういった視点で考えるべきではないかと思う」
「生きていく上での苦しみ…たとえば煩悩とか欲とか,執着心とかですか?」
「そのとおり。他者に振り回されて辛い思いをする,とあんたは言ったが,その辛い思い―苦しみの原因の大元はあんた自身の心の中にあるのよ。たとえば彼女からメールの返事がなくて無視されて辛い,と思うのは何故か。彼女が自分の期待―自分の方を向いてくれる,興味を持ってくれる,好いてくれる。そういった期待に沿った行動をしてくれないから辛い。さらに突き詰めれば,その原因はあんた自身が彼女に執着しているからであり,彼女を自分の物にしたいという欲望があったからではないのかな?」
「なるほど。しかし,雄が雌を求める本能がある以上,それは仕方のないことと思えます」
「確かにそれは否定できないがな。特に性愛に関する煩悩はなかなか断ち難いものがある。それゆえいつの世もこの種の苦しみは絶えない訳だが」
 私は一つお茶を啜って続けた。
「男女のことに限らず,たとえばあんたは今のところ妻子がいて,そういった苦しみとは無縁だと思うが,それでも他人に振り回されて心を乱すことはあるだろう」
「そうですねえ…たとえば」
 男は少々考えるかと思ったが,すぐに言葉を続けた。
「部下が頼んだ仕事をちゃんとやってくれなかったとか,友達が貸した金を期日までに返してくれなかったとか,子どもが言うことを聞かずにやんちゃばかりするとか,妻が…」
「分かった,もういい。立て板に水じゃないか。そんなにあるのか」
「いくらでもあります。妻が毎日口うるさいとか,妻が疲れている時に限ってあれこれ用事を命令するとか,妻が結婚してから体型に緊張感がなくなったとか,妻が…」
「もういいと言っているだろう。奥さんへの不満だけで一冊本が書けそうじゃないか。…まあいろいろあるようだな」
 私は一つ咳ばらいをして続けた。
「たとえば…何だ,部下が頼んだ仕事をしてくれない。これが何故腹が立つのかと言うと,まず『部下は自分の頼んだ仕事をきちんとやってくれるだろう』という期待をしていて,その通りにならなかったからだよな」
「そうですね」
「では何故あんたは部下が『きちんと仕事をやってくれる』という期待を裏切ったことに対してかくも腹を立てなければならないのか?」
「何故?ううん,どうだろう。きちんとやってもらわないと組織として困るし,各方面に迷惑が掛かるし…」
「違うな。本当のところは『部下がミスした所為で自分が責任を問われる,自分が後で面倒臭い思いをすることになる』といったところだと睨んだな」
「ええ?ううん…いや,そんなことは…」
 男は呻いた。
「どうかな?自分の胸に手を当ててよく考えてみるといい。自分の怒りの中にそういう要素が全くないとあんたは言い切れるかな?」
「いやいや,…そうだ,私は部下を信頼していて,それを裏切られたことについてはまず腹は立ちますよ」
「その『信頼』という言葉も曲者だな。それはあんたが勝手にそう思っているだけで,相手が望んでそうしてくれと頼んだものではないかも知れない。勝手にハードルを上げられてクリアできなかったら罵倒されるのであれば相手はたまらんな。その『信頼』とやらが,相手のことを考えてのものではなく,自分が仕事でいい思いをするためのものであるのならば尚更だ」
「ええ?…『信頼』もダメなんですか?そんなつもりじゃないんですけど」
「『信頼』自体は悪くない。むしろ他者との関わり合いにおいては大切なことだよ。ただ,その『信頼』の動機が不純な,自身の利益を考えたものであってはいかんし,自分の勝手な願望を押し付けるものであってはいかんと言っておるのよ」
「はあ」
「あとはお子さんへの不満も言っておったな。まだ小さいんだったかな」
「はい」
「もう少ししたらな,いい子にしないとか勉強しないとかそういうのも出てくるんだろうが,それとて同じよ」
「え?親は大体子どものためを思って言うと思うんですけど」
「そうかな?子どもが勉強していい大学に入ったら鼻が高いとか,そこまで露骨でなくてもいい子にして勉強して自分の思う通りに育ってくれたら親は安心できるとか,それにしたって立派な親のエゴ,我欲と言えるのではないかな?」
「…そうかも知れないですけど…厳しいですねえ」
「子どもが親の言うことを聞かずにグレたりするのはな,そういう親のさもしい我欲を見抜いているからではないかと思うんだ。親が本当に子どものことだけを考え,思って言ってくれるのであれば子どもだってそのことに気付くだろう。さすれば…まず第一には自分のためだろうが,次には『最も身近な他者』である親のことを思って,自ら進んで正しい道を選ぶだろう」
「なるほど」
「そもそも人間なんてのは大体がまず俗物だから,とりあえずはまず自分が一番大事で可愛いのよ。ただ周りの者が本当に打算なく自分のことを思って行動してくれるのであれば,自身も我欲を捨てて他者のことを思って行動できるようになる。お互いがお互いのために,というその輪を広げること,それこそが仏教が説く『慈愛』であり,社会性を持つ生き物である人間が目指すべき姿であり,いわゆる『大乗』の教えに近いものではないかな,と思うんだ」
「そうなれば素晴らしいですけど…難しいだろうなあ」
「簡単ではないな。理想と現実とはなかなか一致しないもんだ。ただ,目指していく気持ちだけは持っていたいものだ」

「まず第一歩として,私のような凡人は何から目指せばいいでしょう」
「よく言われることだが,他人に期待をしないことだな。期待をする,ということは相手に対して自分のために役に立つことを求める,きつい言い方をすれば強要するということだ。そうしておいて思う通りにならなかったら相手に対して悪意を持つ,これは相手にとってみればいい迷惑だ」
「諦めなさい,ということですか」
「それもハズレだな。諦める,というのは期待の裏返しだろう。『期待してたけどどうせダメだろう』という筋道であって,相手への『期待』を『軽蔑』によって抑える訳だから,自らの苦しみは消えるどころか倍増し,結果として相手への憎悪のみが残ることになるだろう」
「だとするとどうすればいいんだろう。難しいですね」
「そうでもないと思うがな。何もないのが当たり前,という気構えでいればいいんだ。そうしていれば,逆に何かしてもらえた時はそれは望外の喜びとして受け入れ,感謝することができるだろう」
「なるほど」
「逆もまた然りだ。他人からの期待を重荷に感じて苦しむ,というのはよくあることだな。ただそれは,相手から良く思われたい,という我欲があるからなんじゃないかと思う。相手から良く思われることで何某かの利益を得たいと思う心が潜んでいるからこそ,そのような苦しみに囚われるのではないかな。それに,本当に相手が自分のことを思っているのであれば,一度や二度期待に応えることができなかったくらいで離れていったり悪意を持ったりすることはないのではないかと思うがな。逆に言うとそのくらいでそんなことになるのなら,その程度のものだったということなんじゃないか?」
「全ての苦しみは我欲に結びついている,とおっしゃりたいのですね」
「左様。我欲を捨てれば,人の心というものは随分と安らかになると思う」
「であれば,先生」
 男は私の方に今一度向き直って言った。
「その『安らか』でない状態,これ即ち『不安』という状態だと思うんですが…私の周りには『不安』を抱える人がたくさんいます。私自身にもないとは言えません。それら一つ一つの症例もまた,『我欲を捨てる』という特効薬一つで全て収まるものなんでしょうか」
 私は少々気圧されて,言葉が出て来なかった。
「かくおっしゃる先生には,果たして『不安』というものは全くないのでしょうか?」
 私はまるで瞑想を始める時のように,静かに目を閉じた。
 しばらく―少々私には長く感じられた―静寂が包んだ。
 それを破るように,夕焼け小焼けが鳴った。
「もう帰るのだろう。その話は次の宿題にしよう」
 男は頷いて立ち上がり,背中を向けて玄関へ向かった。

「おい,得度する気はないか」
 私はいつものように呼び掛けた。
「いやあ…この世界に飛び込むには,まだ『不安』がありましてね」
 男は薄ら笑いを作りながら,ゆっくりとドアを開けて車に乗り込んだ。
 全く不安のない人生。
 自分で言ったことではあったが,確かに果たしてそんなものがあるものだろうか。
 私自身,そのような人生を歩めているのだろうか。
 今は―どうだろうか。
 次にあの男が来るまでに,少し整理をしておかなければならないようだ。
 しばらくその場に立ち尽くしていると,頭に冷たいものを感じた。
 知らぬ間に雨が降ってきたようだ。
 頭皮に感じる雨粒の大きさから,これは本降りになりそうだと急ぎ足で寺に戻った。




#10 不安について


 男はその日も,何の前触れもなくひょっこり現れた。
 正直を言うと,何か難題を持って来る時には事前に連絡をもらいたいくらいである。
 うちの寺には電話はついているし,インターネットで調べればちゃんと出てくる。
 何なら,今や絶滅危惧種になりかけている「電話帳」にだって載せているのに。
 ただまあ,あいつが来る時は虫の知らせではないが,薄々感づいているものだから,特段慌てることはない。

「おう,来たな」
「先生,ご無沙汰しております」
「言うほど久しぶりでもないだろう。前回の話がまだ済んでいなかったな」
「何の話でしたっけ」
「あんたが振ってきたんじゃないか。呆れ果てた男だな。不安とは何か,という話だ」
「ああ,そうでしたね…で,何ですか」
「そんなに簡単に説明できるものではない。まあ座れ」
 男は言われた通りに,私の対面に座った。

「そもそもあんたは,『不安』とは何だと思う?」
 逆に私が問うてみた。男は少々狼狽えた様子で,少し考えた後,
「ええと,何だろう…何々になったらどうしよう,とか,そういうことですか?」
 私は頷いた。
「その通り。『不安』というのは,まだ起こっていないことについて,自分にとって良くないことが起こるかも知れないと考えてそれを恐れる気持ち,ということだと思う」
 男はふう,とため息をついた。
「であれば,『不安』を少しでも減らす方法は―少なくとも論理的には簡単だ」
「そうなんですか?是非教えてください」
「まず一番簡単なのは,考えないようにすることだ」
 男はお茶を吹きそうになった。
「いや,まあそうですけど,それはあまりにも身も蓋もなくないですか?」
「だから,『論理的には』と言っただろう。実際にはなかなかそれはできないだろうな。考えまいとしても,『不安』というものはどこからともなく湧いて出て,人の心を惑わせるものだ」
「そうですよ」
「だとすれば,もう一つの方法として,その『不安』をさらに突き詰めるという方法がある」
「突き詰める,とは?」
「あんたはさっき,『不安』とは何かと訊かれた時にどう答えた?」
「ええと,何々になったらどうしよう…」
「そう,ではその『何々』とは何か。その正体を考えてみるといい」

「たとえば,『泥棒に入られたらどうしよう』という不安があったとする。その『不安』を減らすために,あんたは何をする?」
「戸締りをして家を出ます」
「そうだな。じゃあ,『交通事故に遭ったらどうしよう』という不安があったら?」
「車に注意して歩くようにします」
「自分が運転する立場だったら?」
「スピードを出さずに慎重に運転します。あと,時間に余裕を持って家を出るのと…居眠りをしないように体調を整えますかね」
「そうだな。人間は往々にして『不安』になることをネガティブに捉えがちだが,逆に『不安』を覚えることによって,想定される良くないこと,さっきあんたが言ったところの『何々になったらどうしよう』の『何々』を防ぐために備えをしようとすることができる。最近よく『危機管理』ということが言われているが,常に最悪の事態を想定しておくことが必要になることだってある訳だ。その点では,『不安』が全くなくなってしまっても困るのかも知れない」
「不安というものが全部悪い,という訳ではないということですか」
「さよう」

「ただな」
 私は少し間を置いて続けた。
「不安というものが多くの場合害をなすと見られるのは,その多くが『自分ではどうしようもないこと』に基づくからではないかな」
 男は身を乗り出した。
「そうです,そうです。それを私は聞きたかったのです」
「不安の正体―あんたの言うところの『何々』というものが,果たして自力で解決できるものなのか,あるいは自分ではどうしようもないことなのか,そして自分でどうしようもないものであるならば,何がどうなれば良いのか。そこを徹底的に突き詰めていかないといけないのではないかと思うな」
 男は黙って聞いていた。今一つ理解が追いついていないように見える。
「難しい話ではないぞ。例を挙げていけば分かるだろうが…」
 私は続けた。
「一番分かりやすいのは…そうだな,あんたなら『彼女に振られたらどうしよう』という不安があったとする」
「何でそうなるんですか。私は妻子持ちですよ」
「その割にはそういう相談が多い気がするがな」
「私じゃありませんよ。同僚や友人の話です。私は妻一筋ですから」
「どうだかな。…まあいいや。仮にそういう不安を抱えていると想像してみなさい」
「はあ」
 不服そうな顔をする男の様子を無視して私は続けた。
「彼女に振られたらどうしよう,という不安の元は,『彼女に振られる』という良くない出来事を想像してしまうからだよな?」
「そうですね」
「では,『彼女に振られる』という良くない出来事を回避するための『備え』はできるだろうか?」
「ええ?…ええと,清潔感を保つとか,優しくするとか…」
「それで彼女は確実にあんたと添い遂げてくれるかな?」
「いや…それは彼女が決めることですよね?どんなに頑張っても振られる時は振られます」
「だろう?この場合の正解は,『どうしようもない』だ」
 男は下を向いた。
「じゃあダメじゃないですか」
「そうだよ。ダメだ。自分ではどうしようもないことを悩む。これは精神衛生上よろしくない。もっと言えば無駄だ」
 男は少々憔悴したような顔をして私の方を見た。
「その場合に,最初に言った『考えないようにする』という方法が功を奏するわけだ」
 男はなおも不服そうである。
「勿論さっきあんたが言ったように,『振られる』という悪い結果になる危険性を減らすための努力,清潔にするとか優しくするとか,そういったことは大切だと思うよ。ただ,自分が思いつく限りの努力を全部して,全力を尽くして,それでもダメだったらどうしようもないわな。それを決めるのは自分ではなく,他人である彼女だから。他人の気持ちは自分ではどうしようもない」
「でも,それじゃ不安は消えませんよ」
「そうか。ではさらにもう一段階進んでみよう」
 
「では,不幸にして『不安』が的中してあんたが彼女に振られたとする」
「嫌な喩えですね。私は結婚していて妻一筋だと言っているのに」
「まあいいじゃないか。そうなった場合,あんたはどうする?」
「ええ?いや,ちょっと想像できないですけど…まあ,諦めるしかないでしょうねえ」
「諦めてどうする?」
「え?…まあ,振られたら新しい別の女性を探すんじゃないですか,普通なら」
「そうとは限らんぞ。どうしてもその彼女が忘れられず,いつまでも未練がましく追いかけるという者もいるだろう」
「大体それをやるとますます嫌われてしまうもんですよ」
「よく分かっているじゃないか。ただその分別のない者がストーカーになって犯罪を犯したりするというのはよくある話だがな」
 男は苦笑いをした。
「あんたがさっき言ったように,離れていく彼女の気持ちを自力で無理矢理繋ぎ止めようとするのは難しいだろう。そうなると,諦めて新しい人を探す方がいい。それにはそれの新しい喜びがある」
「はあ」
「であれば,たとえば『彼女に振られたらどうしよう』という不安に囚われている時に,自分で出来る限りの努力はしておくにしても,そうなったらもうどうしようもないから新しい女性を探せばいいさ,という考えを心の隅に持っておけばいい。別の女性とであっても必ず自分は幸せになれるさ,と思えば不安も消えるだろう」
「いや,先生…それは随分ドライというか,楽天的というか…」
「いやいや,人間本当にうまくいっている時であれば,そんな不安は持たないもんだ。不安を持つ,ということはどこかにそういう悪い結果をもたらしかねない要素があることを自覚しているからじゃないのか?また,不安を持つと人間どうしても心の余裕がなくなるものだから,それが高じると余計物事を悪い方向に持って行くことになると思うよ」
「ああ,心の余裕ですか…それはまあ,大事ですね」
 男はようやっと口を開いた。
「まあ人間良かったり悪かったりよ。悪いことがあれば必ず良いことがあるものだから,『不安』のもう一つ先にある,何か良いことを想像してみるといいと思う。保険みたいなものだな」
「うーむ,でも何かちょっと違うなあ。私が先生に期待していた答えとはちょっと違う気がする」
 男は相変わらず合点のいかない顔をしていた。

「多分あれだな,あんたは前回の話の続きで,仏教における『不安』の解決方法を訊きたいのだな」
 男は頷いた。
「そうです。今までのお話は,何だか対症療法的というか,世俗的というか,仏教的でないというか…」
「そうだな。今までの話は,実を言うと前置きだ」
「長い前置きですねえ」
 男は少々気の抜けた顔で言った。

「では言うが,不安の種―あんたが言うところの『何々』に当たるもの,それは仏教で言うところの何に当たるかわかるか?」
「え?…いや,私にはちょっと」
「いやいや,今まで散々言って来ただろうが。それがヒントだ」
「ええと…何でしたっけ」
「あんたはもう散々私のところに来て話をしているというのに,全く成長しておらんなあ。ほら,あんたもあるだろう。最初に言ったじゃないか。『生・老・病・死』の4つ…」
「ああ,『苦』ですか」
「そう。で,その『苦』の元になるのが…」
「『我欲』ですか」
「分かっているじゃないか。妻子持ちのあんたにわざわざ恋愛の喩えを使ったのは,それが一番分かりやすいからよ。恋愛の悩みの元になるのは,相手の異性を我がものにしたいという欲,セックスをしたいという欲,元は全て『欲』になるのよ」
「ただ先生,性欲は人間が生殖して子孫を残す上で必要不可欠なものですよ。先生自身妻帯しておられ,また親鸞聖人も色欲に抗うことが非常に難しかった,というお話をされたじゃないですか」
「そうだな。食欲,性欲,睡眠欲は人間の三大欲求であり,生物としての人間を人間たらしめる基となるものであることは否定できない。これをゼロにすることは勿論できないだろう」
 男は腕組みをしている。
「仏教の理想は,『我欲』をゼロにすることだ。これ即ち『解脱』の境地と言える。ただ,我々凡夫には到達困難な境地であることもまた事実だろう。性欲だけでなく,人間は生きていく上で様々な種類の『我欲』に囚われ,結果として『生きること=苦しむこと』という『一切皆苦』の中でその生を送ることになる」
「『不安』を根本から消すためにはその基となる『我欲』を断ち切らなければならない,ということは理解しているつもりです。ただ,仰る通り実際にはそれは難しいですよね」
「さよう。『不安』というお題ではあるが,結局それは生きていく上での『苦』に直結している。つまり,根本的に『不安』を拭い去り『不安』から解放されるためには,やはり仏教的には『我欲』を捨てて『苦』から解放されることが必要である,という結論になる。繰り返すが,それはとても難しいことだと思う。仏教的には,自らが『苦』に苛まれたときには,まずはそれを受け入れることが必要だ,と説いているな」
「受け入れる,ですか」
「ん?まだ話したことがなかったかな。何かネガティブなことがあると辛く,苦しいだろう。そうなった時,何者の所為にして当たっても詮なきこと。起こってしまったことは仕方ないから,全てを自分の中で受け入れること。『諸行無常』,この世はいつも移り変わっているのだから,失ってしまったものには執着をしないこと。まあ,なるようにしかならないからな」
「やはりそこに行き着くんですね」
「勿論最初に言ったように,ネガティブなことが起こらないように自分の力で出来る努力はすべきだろうな。そのことは否定されるものではない。ただ,自分の力ではどうにもならないことであれば,もし自分を苦しめるようなことが起こった時には抗わず受け入れ,それでも前に進んで行けるように自分の気持ちをコントロールすることが大切だ,というのが仏教的な対処法と言えるかな。だから,最初に言った話も仏教的な観点から見て必ずしも大間違いという訳ではないぞ」
「はあ,なるほど」
 男はようやっと腕組みを解き,上目遣いで私を見た。

「ところで」
 私は少し間を置いて言った。
「私は『苦』ないし『苦しみ』と言ってきたが,確か今までは『生・老・病・死』の四苦しか言ってなかったかな」
「そうですね」
「もう知っているかも知れないし,薄々気付いているかも知れないが,仏教には『四苦八苦』と言って,四苦以外にさらに4つの苦しみがある」
「ええ,私も先生のところに何度も通いましたからね,調べましたよ。…ただ,難しい四字熟語だったので記憶が…」
「まあ,四字熟語だということを知っているだけでも大したもんだ。『愛別離苦』・『怨憎会苦』・『求不得苦』・『五陰盛苦』の4つだ」
「さすがは先生ですね」
「曲がりなりにも僧侶なんだから当たり前だ。『愛別離苦』,これは愛する者と別れる苦しみ。彼女に振られるとか,死に別れるとか,そういったものだな。異性に限らず,あんたの場合はお子さんについてもそうだ。恐らくはあんたが先に逝くのだからな」
「はい」
「『怨憎会苦』は他者への怨みや憎しみを抱く苦しみ,『求不得苦』は欲しいものが得られない苦しみ,『五陰盛苦』は自分の心身にまつわる―自分の心身が思うままにならない苦しみ,以上だな」
「なるほど,今お聞きした限りでは,この4つに生きていく上での苦しみが集約されている気がしますね」
「そう思うか」
「はい。ところで,前回お聞きしたかったもう一つが…」
 そこで,夕焼け小焼けが鳴った。

「聞きたかったもう一つとは何だ」
 玄関で靴を履いている男に私は訊いた。どうせ次回また訊いてくるに違いない。
「忘れましたか?先生には不安はないのですか,という質問ですよ」
「私か?…今はそんなにないなあ。ただ,若い頃はやはり随分と不安や苦しみに苛まれたものだ。若気の至りだな」
「じゃあ,次回はそのお話をお聞かせください」
「あんたが私の若い頃の話を聞いても仕方ないだろう」
「そんなことはありませんよ。私の人生の糧にしたいのでね」
 男は薄ら笑いを浮かべながら言い,外に出た。

「おい,得度する気はないか」
 いつものように,私は訊いた。
「いやあ,私も散々先生のところに来て話をしているというのに全く成長していませんから,時期尚早と思われます」
 男はそう言って私に一瞥をくれた後,車に乗り込んでエンジンを掛けた。
 ほどなくけたたましい音を立てて震えだした男の車は,あっという間に前の道路に飛び出して行ってしまった。
 相変わらず,意地の悪い奴だ。
 そう思いながら,私は本堂に入った。
 夕焼け空を眺めながら,次回あいつが来ることを思い,若干の不安が頭を過った。




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